最新 追記

薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2016-09-01 【Art of Helping】

今日は「防災の日」。テレビなどでも、防災関連の番組が多かったのでございます。そこで、おこがましいとは存じますが、ワタクシなりに防災に関する一家言を。

まずは、報道にひと言。災害が起きますと、新聞社、テレビ局などがヘリコプターにオーダーを出しまくってしまいます。新聞社は自前でヘリを持っていることが多いのですが、問題はテレビ局。災害現場の上空は、各テレビ局がオーダーしたヘリコプターで空が埋め尽くされるという事が少なくございません。

しかも、テレビ関係者ってのはそういった事に手慣れている。早々とヘリを買い占めてしまい、後から一般の方や行政が救援に使おうと思っても残っていなかったりする。そして、報道ヘリってのは救援物資の投下などは一切出来ない。さらにさらに、お構いなしに騒音を発し、救助活動の妨げになったりする。もう、ほんと、ろくでもない連中でございます。

そこで一案。政府の非常事態宣言と合わせて、報道関係にもちょっとした「ご協力」をお願いするのでございます。それは、「共同映像体制」。各放送局が映像や取材情報を共有する。地域や役割を分担して、被災地の上空を多数の報道ヘリが埋め尽くすなんてことがないようにする。

映像を共有いたしますので、局アナが違うチャンネルのニュースに登場するなんて事もございます。そして、取材情報を共有して、孤立した被災者、生存者、死亡者のリストを早急に作り、誰でも閲覧できるようなデータベースシステムを早急に構築する。孤立した被災者には、最小限の支援物資の投下を報道ヘリにさせる。報道関係のスクープ競争をやめさせ、救助活動の「目」となってもらうのでございます。

通信手段が失われますと、どこにどれだけの被災者がいるのかが分からない。救援物資が届いても、どこに送れば良いのか分からないので、倉庫に山積みされたまま痛んでくる。そういった反省がよく聞かれるのでございます。災害の初期段階では、報道関係のフットワークの軽さを利用して、「状況を把握する」という一番大事なことを担っていただくのでございますね。

え〜と、話が長くなりそうなので、今日のところは、あともう一つだけ。救援物資の送り方に関して。災害の初期段階では、一般の方々からの救援物資は禁止すべきでございます。受け入れ側にまったく準備が出来ていないからでございますね。企業からのまとまった物資であれば、受け入れ側も管理がし易いのでございます。

また、一般の支援物資に関しても、ダンボール箱の仕様を決めてしまう。災害用の専用ダンボールを最初から準備しておくわけでございます。箱の色や大きさを決め、内容物を外側に印刷しておく。箱を開けなくても一目で何が入っているかが分かるようにするのですね。箱の大きさが揃っているというのは、輸送上、大変なメリットなのでございます。そして一番重要なことは、異種な物資がひとつの箱に混在するのを防ぐのでございます。

「Art」という単語には、「芸術」という意味の他に「技術」という意味もございます。「Art of Loving」というエーリヒ・フロムの名著もございます。愛することに「技術」が必要なように、災害救助にも、それなりの「技術」が必要でございます。「助けたい」という情熱だけではうまく行かないことも多いのでございます。

報道の共同映像体制には、法改正が必要でございましょう。「報道の自由」「言論統制だ」と言って反対する声も出てくるかもしれません。救援物資の送り方に関しては、事前に十分な準備や告知が必要でしょう。それでも、ルールを外れた行為というのは出てくるでしょう。それらを想定した上で対処する「技術」が、受け入れ側に必要になってまいります。

日本ってのは災害が多い国でして、災害の度に少しずつ方法論が高まっていくということもございます。この日本の方法論が、海外に輸出できるようになるといいのですけどね。普段からどう備えるか。そして、災害時にはどのような体制で対処するか。そんな「お手本」になりたいものでございます。


2016-09-02 【「揉む」にこんな意味が!】

かなり前の事になりますが、「VIPルームの鏡が外れて、そりゃぁ店中大騒ぎさぁ」という事件がございました。事件というほどのものでもないのですけどね。で、「直す」「直す」と言い続けて、早、数ヶ月が経っております。名古屋薫、やっと重いお尻、いや、重い腰を上げました。修復いたしました。以前よりもキレイに。それが、この写真。

鏡が古く、汚くなっておりましたので、装飾シールを貼っちゃいました。すでに鏡としては機能しなくなっておりますが、まぁ、大丈夫ですよね。気分的な問題ですから。本当は、シールの中央部をデザインに沿って穴を切り抜き、装飾鏡みたくしたかったのですが、このシールが粘着式ではなく、表面張力でくっついている方式のもの。多分、中央に細かい細工を入れますと、剥がれてくるような気がいたしました。ですので、今回は、これで、完成!

まぁ、鏡のシールよりも、ダメになっていた取り付け金具の方が大変だったのですけどね。ネジが効かなくなっている壁の穴をドリルで掘り起こしまして、エポキシパテというのをギッチリ詰め込みまして、固まる直前に揉んでしまう。揉むって、オッパイを揉むわけじゃござんせんよ(笑)。オッパイを揉んだところで、鏡はいつまで経っても直りゃいたしません。揉むのはネジでございます。パテが固まる前に、ねじ止めをしてしまうということでございますね。

お店の内装を何度か経験しておりまして、業者さんとの打ち合わせなどもよくいたしました。業者さんが「ここは揉んどけばいいですか」なんて言うのが、最初は面白くてしょうがなかったのでございます。『揉む」=「ネジ止めする」という業界用語だというのを教えていただいてからは納得いたしましたけどね。

そうそう、VIPルームは、あともう一つ変わった事がございます。VIPルームをよく利用される方は気づいていらっしゃると思いますが、やっと、VIPルームにソファーを設置いたしました。ソファーだけポツネンとあるのは寂しいですので、小さなテーブルもセットで置いちゃいました。こんな感じ。

以前から、「どうしてVIPルームだけ、ソファーがないの」という声を頂いておりました。ということで、やっとその声に応えることが出来たのでございます。

そして、さらに、ご報告が。かねてよりフリードリンクとして「ウーロン茶」「コーラ」「ビール」「水割り」を全てのお部屋で提供しておりましたが、お酒に関しましては、VIPルームだけのサービスとなりました。VIPルーム以外のお部屋では、「ウーロン茶」「コーラ」のノンアルコールドリンクの提供となります。VIPルームは、これまで同様、4種のフリードリンクから選んで頂けます。まぁ、いろいろ大人の事情がございまして、ご了承くださいませ、ませ。

ということで、これからもVIPルームのご利用、よろしくお願いします。


2016-09-03 【危険な手法】

『VOGUE』という雑誌のブラジル版が、パラリンピックの特集をしたそうでございます。その際、健常者をCG編集で障害者の様にした写真を掲載したことで、物議を醸しております。

この話、編集部が勝手に画像を持って来て合成したのであれば、多分、世界中から非難されることでしょう。しかし、この場合、モデルとなった実際の障害者の方も取材に参加していて、実に友好的に編集が進められたようでございます。写真だけが一人歩きして騒ぎが大きくなりましたが、どうやら、悪意のある作為ではなく障害者本人が希望した企画だったようでございます。

これは、あえてネガティブなイメージを前面に出して注目させるという広告の手法でございます。ここで手が込んでいるのは、これがCG合成だというのが一目で分からないこと。そして、起こりうる炎上騒ぎをあらかじめ想定した上で、その対処方法も事前に準備していたこと。

この企画には、障害者の方の「覚悟」のようなものがあったことでしょう。この特集が、非常にネガティブな方向へ炎上が進み、収拾が付かなくなる恐れもあったわけですから。それでも踏み切ることが出来たのは、障害者の方、モデルの方、編集部、これらが強い信頼関係で結ばれていたからだと思うのでございます。

この『VOGUE』の特集、一部で批判的な言い方もされるでしょうが、注目を集めるという意味では、最大の広告効果を上げたと言えるでしょう。また、違う言い方をすれば、「この様なリスクの大きい冒険的な手法をとらなければ注目してもらえない現実」も、また存在するのでございます。

ワタクシは以前より、「愛」と「憎」は同義語だと申しております。程度が違うだけで、心の中の同じ部分の作用なのでございます。では、「愛」の反対語は何か? これも以前から申しておりますし、ワタクシ以外にも言っておられる方が大勢いらっしゃいます。愛の反対語は「無関心」でございます。

パラリンピックのチケットがなかなか売れていない現状、『VOGUE』誌が危険な手法にチャレンジしたのも、そのような人々の無関心を打破したかったのではないでしょうか。CG合成だけが批判されそうな出来事ですが、ワタクシは、『VOGUE』誌のこの「心意気」に、感心したのでございます。

余談ですが、「痒」と「痛」も程度の違いだけで同じ痛点という感覚器官で感じていること。程度が弱いと痒く、強すぎると痛く感じるわけでございます。愛情も、強すぎると、憎しみに変わってしまう。愛するということは、難しいものでございます。


2016-09-04 【自分が見えてくると、方程式が原理に変わるのです】

以前、従業員にこんな話をしたことがございます。

「『したたか』という語は、どんな漢字を当てるか知っていますか?」そう聞いてみました。「したたか」は「強か」と書くのでございます。したたかとは強いことだったのですね。今日は、そんなお話。

若い人はみな、したたかに生きようといたします。誰よりも人気が出たい。他の人よりも稼ぎたい。もっと美しくなりたい。自分のポリシーを押し通したい。いろいろな「したたか」がございます。ただ、その自分のしたたかさに押しつぶされてくたびれてしまう人が、時々いらっしゃいます。それには、この「強か」という漢字にヒントがあったりするのでございます。

したたかに生きるということは、「孤高」なのでございます。言い換えますと「一匹狼」。人類が滅亡して自分だけ生き残っても生きていける、それくらいの「強い」精神力が必要なのでございます。まぁ、しかし、えてして、そんな精神力を持ち合わせてない人が、したたかさに「憧れる」という場合がございます。

したたかさというのは、その方法論ばかりが注目されそうですが、実際のしたたかさとは「精神力」そのものなのでございます。内面の精神力が表面に出てきたもの、それがしたたかに見える生き方でございますね。ところが、この見えている部分だけに憧れて方法論だけ真似をしようとすると、それを支える精神力がございませんので、苦労することになるのでございます。

ただ、現実に揉まれて苦悩している本人には、この「原理」がなかなか見えてまいりません。「どうしてあの人のようにうまく行かないのだろう?」と、他人との比較にばかり目をやられて、苦悩を重ねるのでございます。そもそも「したたか」というのは孤高でありますので、他人との比較などが介在しない世界なのですが、形から入った人がそこに気づくのは、はなはだ難しいのでございます。

では、どうするか? こういったものは、感情論・根性論で攻めてはいけません。理屈で考えるのでございます。「したたかさ」と「強い精神力」はワンパックでございます。その両者が揃わないと言うのであれば、答えは二択。両者を揃えてしまうか、あるいは両方とも諦めるか。

両者を揃えるということは、自分の精神力を強くすることでございます。いや、実際には、精神力というのは筋肉のようにトレーニングで強く出来るものではございませんので、直接鍛えるということは難しい。では、どうする? それは、「自分の弱さを自覚する」ことでございます。

精神力の弱い人は、自分の欠点を直視できない。ここに「弱い精神力の負のスパイラル」が存在いたします。逆に、自分の欠点を直視し、「直る・直らないに関わらず、客観的に分析できる能力」、これが強い心でございます。直せる部分は直す。直らない部分は、「それをどう活かすか」を考える。そのポジティブな考え方が、「強い精神力」に他ならないのでございます。

もうひとつ、選択肢がございましたよね。「両方とも諦める」という選択肢。強くなれないのならば、いっそ「したたかに生きるのを諦める」ということでございます。「したたか」に反対語があるかどうかは知りませんが、もし有るとしたら「甘んじる」という語が最適ではないでしょうか。そう、現状に甘んじるのでございます。

甘んじるとは、「受け入れる」ことでございますね。有名な言葉で言いますと「足るを知る」ということでございます。「人間は雨露をしのげて、毎日の食事が出来ればそれで十分。それ以上、なにを望むことがあろう」という考え方でございます。今の人気、今の美貌、今の生活、それが自分に与えられたものなのだと「受け入れる」こと。そのような生き方でございます。

一見、実に消極的な生き方の様に見えますが、そうではございませんよ。受け入れるというのは、大変なパワーが必要なのでございます。したたかに生きるのとは別の精神力が必要だったりいたします。ただ、ある意味、悟りの境地のようなものですから、会得してしまえば、これが最強。そして、「したたか」には「旬」が有りますが、この「受け入れる」という考え方には旬がない。一生の財産なのでございます。

したたかな生き方、甘んじる生き方、こうやって考えると、どちらも「孤高」なんですよね。つまり、苦しみから逸脱するには、どうやったって「孤高」にならざるを得ない。逆に言うと、「他人との比較を始めたところから苦悩が始まる」ということでございます。

最初に申し上げました「原理」を覚えていらっしゃいますでしょうか? その原理が分かっていれば、苦悩から抜け成すのは「理詰め」で出来るのでございます。自分が強くなるか、あるいは受け入れるか、その二択でございます。逆に、原理が分かっていないと、「どうしてだろう?」と闇の中を迷走することになる。

現代社会は、非常に誘惑の多い環境でございます。そして、望む望まないに関係なく、自動的に他人との比較を突きつけられてしまうことが多いのも、現代社会。そのような現代社会で、この「原理」が分からなくて闇の中で模索する若い人を、大勢見てきました。そんな人達に、少しでもオリエンテーションになったかなぁ。長文でしたが、最後までおつきあい、ありがとうございました。では、では。


2016-09-05 【「どうしてこんな事が出来ないの?」と、つい言ってしまいますよね】

パラリンピック開催が近づいているということで、テレビ番組も関連したものが多いのでございます。本日のNHK『プロフェッショナル』は、義肢装具士がテーマでございました。義足を作る技術者でございます。その方がこんな言葉を発するシーンがございました。

(人々が行き交う街中の雑踏の中で)「この中に参加できない人が、大勢いるんですよね」

この言葉がジワジワと感じられるのは、ワタクシも目に程度の軽い障害があるからでございましょうか。ワタクシの場合は視野狭窄。視野の周縁部が見えておりません。ただ、程度が軽いので、日常生活にはほとんど支障はございません。

ただ、周辺部が見えていないというのは、斜め前から近づいてくるものが見えない。これで恐いのが、歩道を走り抜ける自転車。高速で向かってくるものは、どうしても気付くのが遅れる。また、斜め前から近づくものは、完全に死角に入るので、ぶつかるまで気がつかないのでございます。

ワタクシは、見た目は健常者と区別が付きません。ですので、自転車で近づいてくる人は、ワタクシが見えているものだと思い込んで近づいてくる。ところが、ワタクシには見えていない。ぶつかったり、あるいはぶつかりそうになってから、「なんでこの人は避けないんだ?」といった顔をされる。説明するのも面倒くさいので、「すみません」と言って謝る。そんなことが多いのでございます。

解決策はございます。白状と呼ばれる白い杖を持つことでございます。これを持っていれば、目に障害があるというのは一目瞭然。ただし、ワタクシのように視力が大幅に残っている者が使うのは、非常に勇気がいりますよね。実際、中程度の弱視や視野狭窄の人が白状を使っていて、「障害者の振りをしている」と誤解される例もございます。

ですので、駅のコンコース程度の雑踏でも、人にぶつからずに歩こうとすると非常に気を張るのでございます。一般の方々が普通に行っている日常生活のひとこまも、何らかの障害を持っている人にとっては、それが困難だったりいたします。街中の雑踏程度の人混みでも、そういうことが起こり得るのでございます。

そこで、冒頭の言葉。義足を使っていても、少し歩き方がぎこちない程度にしか見えません。義足の性能、そしてそれを使う人の訓練のたまものですよね。それでも、人々が複雑に交差する街中の雑踏では、ワタクシの目の場合と同じ事が起きるかもしれない。「さっさと歩きなさいよ」「どうしてよけないの?」という心ない視線を浴びている可能性はございます。

これが、多分、杖を使っていたり車いすだったりすると、状況が違うのかもしれません。ワタクシも肉離れで1ヶ月ほど松葉杖の生活をしたことが有りましたが、「松葉杖」という明白な「物証」が有りますと、人というのは実に好意的に接してくれるものでございます。

こういったことを考えますと、健常者と障害者の齟齬(そご)は、障害者が日常生活に溶け込もうとするその「接点」でのみ、起きていると言えるのでございます。障害者がその障害を乗り越えて健常者に近づくほどに、健常者側の「無知」という高い壁を思い知らされるのでございます。

「目が見えているようで、実はあまり見えていない人がいる」「普通の人に見えるけど、実は片足あるいは両足が義足の人がいる」、この様に思えるかどうかは、想像力の力ですよね。健常者側が障害者に歩み寄ることが出来るとすれば、この想像力を働かせることだと思うのでございます。某番組のような感動なんていりません。ちょっとした想像力で思い遣ること、それだけで十分なのでございます。

さて、明日からパラリンピックが始まります。オリとパラ、別日程でなければ難しいのかなぁ? 障害者にとっての幸福は、「普通に出来る」ことだと思うのでございます。その「普通」を実現するためにも、オリンピック・パラリンピック同時開催を夢みるワタクシでございます。陸上競技とか、義足ランナーとボルトが競い合ってゴールするシーンとか、思い浮かべちゃうのですけどねぇ。まぁ、難しいかなぁ? では、では。


2016-09-06 【システマティックな忘れ物防止法】

今日はですね、気持ちがブルーなのでございます。ちょっとしたポカをやっちゃいまして。お客様が傘をお持ちの際は、玄関で「お預かりしますね」と声をかけて傘をお預かりするのでございますが、お部屋へ案内するとき、そのお預かりした傘を渡し忘れたのでございます。気がついたときには、お客様が帰られた後、ほんと、あとの祭りとはよく言ったものでございます。

夕方いらっしゃったお客様。傘を返し忘れました。申しわけございません。大切にお預かりしております。次回、いらっしゃった時にお返しいたします。ゴメンナサイ。

玄関で傘をお預かりする理由は、お客様が写真を見ている間に、傘を傘袋に入れてしまうためでございます。雨の日は傘袋に入れるというひと手間が掛かっておりますのであまり忘れないのですが、本日のように傘が濡れておりませんと、直接傘立てに立ててしまうことになり、忘れやすくなるのでございます。

常日頃、お客様に忘れ物をさせないようにとコンパニオンには口を酸っぱくして言っているのですが、そのワタクシがやらかしてしまいました。ワタクシは、忘れ物に関しては非常に神経質でございます。たとえそれが100円ライターやビニール傘であってもでございます。

せっかくコンパニオンとのいい思い出を作っても、それが忘れ物の記憶といっしょになってしまっては台無しなのでございます。コンパニオンの顔を思い浮かべる度に、「そういえば、あの店で、あれをなくしたなぁ」という思いが沸き上がってきたのでは、喜びも半減なのでございます。

こういった問題は、感情論で攻めてはいけませんね。方法論で攻めなくては。「傘をお預かりする」という事象が雨の日限定の出来事なので、今まであまり改良と言える様なことはして来ませんでした。ここはシステマティックに改良を施すべきでございます。

まず、どうして忘れるのかを解明するのでございます。お預かりした傘は、必要であれば傘袋に入れ、お客様の椅子の後ろに立てかけております。ただ、お客様が椅子を動かしたりしても当たらないような位置に置いている。しかし、この位置、お客様の背後のカーテンを開くと、そのカーテン膨らみで隠れてしまう位置である事が判明。

忘れ物をしないためには、あえて「邪魔」な場所に置いておくのがいいのでございます。と言いましても、他のコンパニオンやお客様の邪魔になる場所では、本末転倒。他の人には邪魔にならず、ワタクシにだけ邪魔になるような場所、それがベストでございます。

「忘れ物を防ぐ」ということと「邪魔」というのは、相性が良いのでございます。言い換えますと「邪魔にならないと忘れやすくなる」ということでございます。前述のように「邪魔な場所」に物を置いておくというのは、ひとつの案。もう一つ、置き場所ではなくワタクシの体(特に手)に邪魔なものを付けておくという案もございます。

忘れないように、指にリボンを巻いておくとかも、その例でございます。ただ、リボンごときでは効果が薄い。忘れ物を確実に防ぐためには、本気で邪魔に感じるようなものを体に付けると効果的でございます。例えば、利き手の手首に何か大きめのものがぶら下がるような物。こういったものが付いていれば、レジ応対の間、邪魔でしょうがありません。でも、邪魔の度合いが大きいほど、忘れ物を防ぐ効果は大きいのでございます。

では、その「邪魔なもの」を手に付け「忘れる」という可能性がございます。これはどうやって防ぎましょう。ここで、傘を置く場所を「A」、手に付ける邪魔なものを「B」といたしましょう。Bは普段、Aの場所にくっつけておくのです。Aに傘を置こうとするとBが邪魔になる。ですので、Bを外して傘を置き、外したBは自分の手に。お客様に傘をお渡ししたら、自分の手のBをAに戻す。

気づかれた方もいらっしゃるかも。これは、鉄道の単線区間で使われる「タブレット」と同じ原理でございます。Bが手に付いていれば、傘が存在する。お返しする傘がなければ、Bは必ずAの場所に戻されている。このルールを守っている限り、渡し忘れは発生いたしません。

「置き場所の移動」で対処するか、「タブレット方式」で対処するか、あるいは両方とも採用するか。いろいろ試しながら、改良案を探っていくのでございます。ほんと、普段からコンパニオンに厳しく言っているワタクシがやらかしてしまって、面目ないのでございます。さぁ、東急ハンズをブラブラして、何かしら使えそうなアイテム探しでもするかな。では、では。


2016-09-07 【マンゾクネットの紹介、割引情報の改良です】

マンゾクネットのご案内

「ニューハーフファン」「ヘブンネット」は、みなさま方よくご利用いただいていると存じております。さらに、「マンゾクネット」というのが有るのを、ご存じでしょうか? こちらの方も、随時更新しておりますので、ご利用下さいませ。

それに伴い、当オフィシャル・ホームページのトップ画面も、リンクボタンを増やしました。それがこれ、

ガラケーの方は、「0(ゼロ)」か「いつでも「0」でメニュー表示」を押していただくと、項目の中に「マンゾクネット詳細」という項目が増えております。こちらからジャンプして下さいませ。

「割引情報」の改良

フロントにて、割引クーポンがなかなか見つからないお客差が、やはり多いのでございます。特に「ヘブンネット」はメニューの中に隠れておりますので、苦戦する方が多いようでございます。

また、当オフィシャル・ホームページ内にはクーポンは無く、各種風俗情報サイトの中のクーポンを利用していただくことになるのですが、当店のオフィシャル・ホームページから「ヘブンネット」「ニューハーフファン」への移動に苦戦する方もいらっしゃいます。

そこで、当店のオフィシャル・ホームページの「割引情報」の記述を、少し改良いたしました。こんな感じ。

これをクリックして、各種情報サイトへ移動してから、クーポンを見つけて下さいませ。


2016-09-08 【TOKYO 2020では、この流れを受け継いでいただきたいですね】

パラリンピックの開会式を、頑張って朝まで見ておりました。これまではあまり放送されることのなかったパラリンピックですが、今回は本気で放送されるようでございます。オリンピック同様に作り込まれた開会式に、ビックリしたのでございます。

あの開会式を見て、日本テレビはどう感じたのでしょうか? 日本テレビの方の某番組は、もう何年も観ておりません。だからとやかく言える立場ではないのですが、ちょっと皮肉っぽいことを言わせていただきましょうか。

まずは、「キューブラー・ロス」という人が説きました「死の受容の5段階モデル」というのをご紹介いたします。人間が「死」を宣告されたときに、どのような心理変化が有るかを述べたものでございます。

 第1段階:否認「何かの間違いだ」
  第2段階:怒り「何で俺がこんなことに」
  第3段階:取引「金は有る、何とかならないか」
  第4段階:抑鬱「何もやる気がしない」
  第5段階:受容「しかたがない」

この5段階を、体に障害を持った人に当てはめて語られることが多いのでございます。もっとも、障害の程度や部位が多岐に渡っているので、必ずしもこのような段階を辿るわけではないとは思います。諸説はあるのですが、どの説にもだいたい共通しているのが、第5段階の「受容」でございます。

死を迎えた人にとっては、「しかたがない」という悟りの境地に収束するわけですが、その後の人生を残している障害者の場合は、「しかたがない、頑張ろう」という前向きな気持ちに帰結するわけでございます。そして、パラリンピックの選手を始め、世の中の多くの障害者は、この第5段階を経て、日常生活に臨んでおります。

前向きに生きていらっしゃる障害者の方々は、ある意味、逆境を乗り越え、達観した人々とも言えるのでございます。パラリンピックの開会式では、そのような人々へのリスペクトを強く感じたのでございます。体の一部が不自由だということ、これは単なる「多様性」に過ぎません。その多様性のさらに深遠にある「精神」を見てあげることが、重要なのでございます。

え〜と、観てもいない番組を批判するのはおこがましいですが、日本テレビの企画の方には、そのリスペクトを感じられない。感じるのは「不自由なのだから、健常者が助けてあげなくてはならない」という上から目線の感覚。そして、企画をむりやり成立させるためのゴリ押しな進行。あの番組には、「障害者にテレビ局が合わせよう」という謙虚な姿勢が感じられないのでございます。

ここで、ちょっと、例え話を。ペンギンやダチョウが空を恋しがっているでしょうか? どちらも鳥類でありながら、空を飛ぶ能力は退化しきっております。でも、ペンギンは海の中を縦横無尽に泳ぐことが出来る。ダチョウは、地上で最高級の速度で走る脚力を持っている。どちらも、もはや「空」を必要としない形態へ進化しております。

体に障害を持った方々も、「しかたがないこと」と受け入れ、自分の境遇で出来ることを模索し、工夫し、訓練し、その結果「普通に」日常生活を送っていらっしゃる方が多いのでございます。ご本人は、自身の障害を忘れている場合が多いのかも知れません。むしろ、不自由な部分をことさら注目してしまうのは、健常者の方かも知れません。

今回のパラリンピックでは、NHKが「本気」で放送しているのに驚かされました。日本の子供達には、こういった作為・演出のない、素のままのパラリンピックの選手を見て頂きたいと思います。スポーツの世界には「作為」が介在しない。だからこそ、「彼ら・彼女ら」の力強い競技、息づかいを、感じて欲しいと思っております。

そして、前述の5段階の途中で苦しんでいらっしゃる方も大勢いらっしゃることでしょう。その様な方々には、「彼ら・彼女ら」の姿に、「希望」を見いだすことが出来るかも知れません。そう、苦しんでいる方の心を開き誘導できるのは、その苦しみを乗り越えた人達の「生きざま」であり「息づかい」しか、有り得ないのでございます。

ワタクシは、訓練をしていないタレントがぼろぼろになって長距離マラソンをする姿に、全く「希望」を感じません。端的に申しますと、「女子供の視聴率を上げるためだけの、演出・キャスト起用」しか感じられません。今回、パラリンピックが本格的に放送されて、日本テレビは何か考えているのでしょうか? 考えて欲しいのですけどね。

ちょっとおこがましいことをいろいろ申しました。重たい内容でしたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


2016-09-09 【プロジェクト・シィメイル!】

昨日は重たいお話でしたので、今日は軽いお話を。今日の主役は、これ。

美味しそうなコカコーラですねぇ。でも、主役はグラスの中身ではなく、グラスの外側にはめてある紙の枠。「カップスリーブ」というものでございます。かなり以前から利用しておりますので、当店をご利用のお客様にはお馴染みですよね。このカップスリーブ導入の経緯を、ご紹介いたしましょう。

(田口トモロヲ風に)名古屋シィメイルでは、店内でフリードリンクを提供していた。カップスリーブ導入以前は、室内でグラスを倒してしまうという出来事が後を絶たなかった。名古屋薫は模索した。グラスの回りに水滴が付き、それで滑りやすくなるのだろうと思った。そこで、円柱型のストレートのグラスではなく、逆円錐形のグラスに交換した。少し上に向かって広がっているので、手のひらから滑り落ちることがないと推測した。事態はこれで収束すると誰もが思っていた。

しかし、円錐形のグラスを導入しても、倒すという事件は減る気配がない。スタッフ全員が、グラスが倒れるメカニズムを検証した。手が乾いていれば、グラスに水滴が付いていてもいなくても、滑り方はあまり変わらない。問題は、ローションに有った。ローションが手に付いているときに、その「事件」は起きていたのだった。

それ以来、スタッフ全員が、手のヌルヌルに気をつけた。お客様がグラスを取ろうとすれば、そのお客様の手にも注意を払った。十分にぬるぬるに気をつけたにもかかわらず、それでも「事件」は確実に起きた。原因究明は、困難を極めた。スタッフの目から、少しずつ輝きが失われていった。

盲点は、意外なところにあった。あるベテランのスタッフが発言した。手がヌルッとしていれば、誰でも注意深くなる。しかし、ローションが乾いてしまうと、もはやローションが付いている様には見えなくなると...問題解決の糸口が見えた。スタッフの目に、輝きが戻った。

名古屋薫は、実験をした。手にローションを塗り、十分に乾かした。そして、水滴の付いたグラスを持とうとした瞬間、手のローションが溶解し、一瞬にしてヌルヌルになった。グラスは指先からすり抜け、ゆっくりと傾き、中のコカコーラがお盆の上にこぼれた。スタッフ一同、目を見張った

メカニズムは解明した。ただ、それを防止する方法が、また問題であった。誰かが発言した。「取っ手の付いたグラスに交換しよう」。でも、そのようなグラスは、強度に問題が有ることを、名古屋薫は知っていた。スタッフの目の輝きが、また失われつつあった。

名古屋薫が、あるものに注目した。スタッフが飲んでいるコーヒーのカップであった。ホットコーヒーを注文すると、カップの外側にはめてくれる、紙製の枠であった。「あれを流用できないか?」。名古屋薫は早速、その紙製の枠を試すことにした。

ただ、どこで売っているのか、そして「商品名」は? 手がかりは何もなかった。名古屋薫は、ありとあらゆるキーワードで検索をしまくった。ヒットするまで、何度も検索を繰り返した。しかし、たいした手がかりは掴めなかった。時間ばかりが、過ぎていった。

名古屋薫の脳裏には、あの紙製の枠を、どこかで見た覚えがあった。それがなかなか思い出せなかった。ふと、東京時代の友人から電話がかかってきた。浅草でいっしょに遊んだことなどを話し合った。その会話で、突然、かっぱ橋商店街の近くに住んでいたことを思い出した。飲食店用備品専門の、商店街である。そこのどこかで見た覚えがある。名古屋薫は、はっきりと、当時の情景を思い出していた。

早速、かっぱ橋の店舗を手当たり次第に問い合わせた。とうとう見つけた。「カップスリーブ」という商品名だった。ただ、本来の使い方ではないので、適当なサイズが分からない。全てのサイズを少しずつ注文した。ひとつひとつは安い商品である。それが最適の方法であった。届いたものを、ひとつひとつお店のグラスに合わせてみた。ピッタリのものがあった。名古屋薫は、直ぐに大量発注をした。スタッフ一同に、活気が戻ってきた。

カップスリーブをグラスにはめるようになってからは、「事件」は激減した。カップスリーブが指先に水滴が付くのを防ぐため、指にローションが付いていても、グラスが指先から滑ることはなかった。床を拭いたり、割れたグラスを掃除機で吸ったりという作業から、名古屋薫は解放された。お店の効率は、10%程上がった。カップスリーブ導入による功績であった。(「プロジェクト・エックス!」の効果音)

ということでございます。長々とお付き合い、ありがとうございます。カップスリーブ導入の顛末でございました。


2016-09-10 【ほんと、お役所仕事ってのは...】

昨日のニュースから。先進国では当たり前の「高速道ナンバリング」が、やっと日本でも現実味を帯びてきました。国土交通省が主導し、何度も話し合いが持たれた上で、大まかな案が報道されたのでございます。もうね、これが、お役所仕事的で、とってもオススメできない。みんなでこの案をフルボッコにし、改良させるべきだと思い、筆を執った次第でございます(いや、筆ではなくキーボードですけどね)。

そのナンバリング例がこちら。

どうして、こう、お役所仕事なのでございましょう。ワタクシなりに、改良点をひとつひとつ、申し上げていくのでございます。

一番ダメダメなのは、「日本人に分かりやすい分類」にしていること。国道1号と併走しているから「E1」とか、ほんと安易。このナンバリングが本当に必要となるのは、海外からの旅行者など。漢字が読めない、土地勘がない。そういう人が番号だけで道を選べるようにするためのナンバリングですから、日本人に馴染みの有る番号を振る必要は、全く無いのでございます。

しかも、新東名、新名神、伊勢湾岸を同じ番号にしていたりする。想像してみて下さい。土地勘のない人が「名古屋」からこの高速道に入ったといたしましょう。上り・下り、両方とも「E1A」という番号が表示されている。さあ、東京方面へはどちらへ入る? 結局、番号だけではなく「文字情報」も使わざるを得ないのでございます。

百歩譲って、新東名、新名神、伊勢湾岸をひとつの連続した高速道だと見なすといたしましょう。では、どうやって上り・下りを区別させるか。それは、上りと下りに別番号を割り振るのでございます。アメリカの高速道ナンバリングでは、東西方向と南北方向とで番号の偶数と奇数を使い分けております。日本なら、やはり「上り」と「下り」で番号の偶数・奇数を使い分けるべきでございます。

お役所的には、上りと下りはひとかたまりの同じ高速道。しかし、ドライバー側から見れば、上りと下りは全く別の道路なのでございます。心配なのは、今後、この問題が浮上した際、「E1AU」(Uはup、上りの意味)、「E1AD」(同様にdownのD)なんていうお役所的な番号をつけないかということ。こんな暗号のような番号より、「10」「11」とか書いてある方が、一目瞭然ですよね。

ナンバリングとは通し番号の事ですから、重要になってくるのが「ユニーク性」。ユニークとは「唯一無二」であることでございます。そこで問題になるのが、既に首都高速などではナンバリングが済んでいること。こういったものと整合性を持たせなくてはなりません。色で区別する? 色盲の人はどうする? では、形で区別するのがいいかも知れませんね。

あるいは全国的に見直して、番号を全部つけ直すなんてのも一案ですが、混乱しそうですよね。既存の案内標識が、全部取り換えになりますからね。だから、これは無理。ならば、高速道ナンバリングの方は、番号を4桁にしてしまう。これなら、3桁まである国道番号と重ならない。ユニーク性は担保されるが、4桁って覚えにくいなぁ。

こんなことを考えますと、この問題、まだまだ紆余曲折しそうな気配でございます。一度決めちゃうと、後から修正とか難しい問題ですので、熟考を重ねて頂きたいものでございます。

といったところで、当店の店内でもこういったナンバリングがございますが、長くなりますので、この続きは、明日、いたしましょう。

TO BE CONTINUED


2016-09-11 【松屋のメニューも、番号で注文できますしね】

今日は、昨日の「高速道ナンバリング」の話の続き。昨日分を書いた後思い出したのですが、外国は、道路ごとに住所区分されている場合が多いとのこと。視線が地に着いた日常生活目線のネーミングですよね。対し、日本の住所はブロック単位で区分されていることが多い。これは、年貢を取り立てる際の田畑の境の名残でしょうか。日本の住所区分は俯瞰というか上から目線のようでございます。

ブロック単位と言えば、名古屋の繁華街、「キンサン」こと錦三丁目も、きれいな格子状になっております。若い頃、あそこで働いておりましたが、お客様にお店の場所を説明するのに苦労する。ワタクシはね、あのキンサンこそ、通りにナンバリングしてあったらといつも思っておりました。それを考えると、ストリート名と「アガル・サガル」で表記する京都の地名は実に合理的。さすが、かつての日本の都なのでございます。

では、本題に入りましょうか。当店におけるナンバリングを、ご紹介いたしましょう。まず、お部屋の番号。当店では各プレイルームをナンバリングし、分かりやすく、かつ間違いが起こらないようにしております。順番にAルーム、Bルームと命名し、その次はFルーム、Hルームと続き、Xルーム、Yルーム、Zルームとナンバリングしております。あれれ〜、おかしいなぁ、アルファベットが飛んでる。

これは、口頭で伝える場合、B(ビー)、C(シー)、D(ディー)が聞き間違いを起こしやすいので、あえてC、Dを飛ばして使っているわけでございます。X、Y、Zにしたのは、聞き間違いが起こらずに分かりやすいから。ただ、今ひとつ後悔しているのは、2号店が営業していた時期、2号店にA、B、Cと割り振ってしまったこと。1号店と2号店でユニーク性を持たせておけば、データ集計の際、お部屋番号だけでどちらの店舗か区別できたのですけどね。

あと、会員番号。以前は、お客様に会員番号を発行しておりました。数年前から会員番号なしで予約を入れられるようにしたのですが、常連のお客様を店舗内で管理するためには、何かしらのナンバリングが必要となってきたのでございます。しかも、既存の会員番号と重なってはいけない。でも、お客様に渡した会員番号と、店内だけの管理番号は区別が付くようにしたい。さぁ、どうする、どうする?

管理番号は6桁以上の大きな番号にしてしまうというのも考えましたが、どうも一目瞭然ではない。そこで思いついたのは、店内だけの管理番号には「−(マイナス)」を付ける。負数の会員番号にしてしまう案でございます。桁数を大きくする必要も無いですし、既存の会員番号と同じ番号を割り振っても区別が出来る。一目瞭然でございます。めでたし、めでたし。

国民総背番号制に、賛否両論がございますよね。確かに、自分が番号で管理されるというのは、あまり良い気分ではございません。しかし、世の中にこれだけコンピュータが浸透しておりますと、あらゆる場所でナンバリングは知らない間に行われております。そして、そのナンバリングが、ワタクシたちの生活をより便利なものにしているのは間違いないのでございます。

そう、ワタクシたちは、知らない間にドンドン番号を割り振られております。もはや、国民総背番号制、あるいはマイナンバーが論議される以前に、すでに番号は振られております。ただ、各機関で整合性を取っていないだけの話。マイナンバーのメリット・デメリットをお話し始めると、話が大きくなっちゃいますのでやめときますが、世の中が電子管理されている以上、自分に番号が振られるというのは避けられない時代に入ってきていると思います。

ワタクシならさしずめ、「758」で始まる番号がいいかな、って、それ、「ナ・ゴ・ヤ」の語呂合わせじゃん。お後がよろしいようで。テケテンテンテケテケテンテケ....


2016-09-12 【地下の空間、ベンゼンさえ無ければ、使い道は多そうなのですけどねぇ】

蓮舫さんの国籍が話題になっております。なんか、気の毒に思えてまいります。国ごとに国籍の法律が違うので、片親が外国籍だったりすればどうやったってこの問題は発生するでしょ。二重で有ることが問題ではなく、「日本国籍が日本国内の法律に照らしてみて正当かどうか」ということだけで論じられるべきだと思うのですがねぇ。

もともと、日本には在日外国人の問題が古くからございますし、国際結婚が増えてきて、今日では二重国籍なんて珍しいことではございません。どうして、これほど取りざたされるのか疑問なのでございます。またまた、集団リンチをしているような、嫌な雰囲気の問題でございます。

豊洲の盛り土問題は、ほんと、おもしろい。猪瀬・舛添時代に、いかに、取り巻き連中が好き放題やっていたかということでございます。マツコ・デラックスさんが「小池さんは、この件、知っていたんじゃないか」と話されているようですが、小池さんの確信的な話の進め方を見ると、マツコさんの推測、当たっているかな。

当時の小池さんは、猪瀬・舛添の都政を見ながら「男はダメねぇ」くらいに思っていたかも。こういったことを切り崩すのは、女性の方が強いのかも知れません。女性脳ってのは、現実的で総括的にものを見ますから。それに対し、男性脳ってのは、一点集中型の思考。だから、取り巻き連中が十分に詐欺師だと、いいように騙されてしまう(笑)。

男性脳・女性脳の関係かもしれませんが、ニューハーフ・女装者が男性とバレるのは、圧倒的に女性の方が多い。はっきり申しまして、男性は、「顔」と「オッパイ」しか見てない(笑)。視線が一点集中型なのでございます。一方女性は、上から下まで舐めるように全身を観察する。そして、違和感を本能で感じ取ってしまう。

これは、人類が狩猟をしていた時代の本能がDNAに刻まれているのではないか、名古屋薫は勝手な仮説を立てるわけでございます。狩りに出かけるオスは、見つけた獲物を逃がさない集中力が必要。だから、視線や思考が一点集中型になる。

メスは、子供達にオッパイをあげながら、巣を守らなければならない。360度どこから襲ってくるか分からない敵。どうやったって、回り全体を見回す視点になる。

では、ニューハーフの世界は? ニューハーフの世界は、圧倒的に男性脳が多い。見た目とは裏腹に、意外と男社会なのでございます。「男の目から見た『いい女』を演じる」という観点からニューハーフの美学は成り立っている部分がございますからね。女性化を目指して入ってきた新人さんが、最初に戸惑う観点でございます。

逆に、(女装をしない)ホモセクシャルの世界は、それこそ見た目とは逆に女性脳の方が圧倒的に多い。美容界、ファッション界などで活躍されている方も、見た目キリッとしていても考え方が女性脳っぽかったりする。おもしろいものでございます。

ニューハーフの場合は、男性脳を持ちながら、足りない女性的な部分を論理的に補うという作り込み方をしております。これと似ているのが、バーやクラブなどの飲食店のやり手ママさん・やり手ホステスさん。こういった人達は、女性で有りながら男性脳の方が多い。それでいて、女性的な部分をやはり理屈で補っている。

商売・経営・競争という観点からは、どうやら男性脳の方が有利なようでございます。一方、全体像を見つめ、総括的にバランスを取って行くには、女性脳の方が向いている。適材適所ということでしょうか。東京都知事の小池さん、目の付け所はいいのですが、海千山千の取り巻き連中とどの様にやりやって行くかを考えると、大変でしょうねぇ。

小池さんのキッパリとした物の言い方には、やり手クラブママさんに似たものが有るのですが、これからどうなるのでしょう。名古屋市民ではございますが、東京都制に興味津々でございます。では、では。


2016-09-13 【稀勢の里も琴奨菊も、太りすぎ】

ワタクシ、秘かに、秘かに、「隠岐の海」を応援しております。関取の方って言いますと、だいたい朗らかなまん丸い顔立ちの人が多いのですが、隠岐の海関は、チョイ悪風のニヒルな顔立ち。そんな顔立ちに引かれております。

この隠岐の海関、ずっと番付の前頭上位をウロウロしている。それが何とも歯がゆい。前頭上位・小結あたりの位置ですと、序盤・中盤戦で、横綱・大関といった上位陣と一通り当たるわけでございます。だいたい、その上位陣に手こずって負けが越し、終盤で星を稼いで、ひと場所終わってみれば、なんとなく帳尻が合っている。そんな星取りを繰り返しております。

ただ、上位陣に手こずりながらも、時々、白鵬や日馬富士から金星を取るという、小粒でピリリと辛い山椒のような関取なのでございます。そして、昨日・本日と、2日連続の金星。上位陣に手こずることが多い隠岐の海関としては、異例の大活躍なのでございます。

初日には、横綱をめざし1敗も出来ないという状況の大関稀勢の里を下し、2日目は横綱鶴竜関を下し、通算三つ目の金星。この時点で、「明日の日馬富士戦、2日連続の金星も有るぞ」という期待でワクワクでございます。なぜならば、隠岐の海関は日馬富士関には二連勝中。ここのところ、めっぽう強いのでございます。

「有るぞ、有るぞ」と思いながら見ていた本日。危なげながら、見事金星。いやぁ、やりました。こんな隠岐の海関、見たことない。いつもは上位陣に手こずって星を落としておりましたが、今場所は行けるかも。そんな勝手な期待を抱いちゃうのでございます。

でもねぇ、今までのノラリクラリとした星取りを見ておりますと、隠岐の海関、「これで満足」って思っちゃわないでしょうかねぇ。序盤・中盤戦で星を落とさなければ、今場所の優勝も夢じゃないのでございます。しかも、白鵬関は休場。大関陣もポチポチと星を落としている。チャーンス、大チャーンスなのでございます。

土俵際に追い詰められても、柔らかい体を活かして粘り強く大逆転を狙う。そんな取り組みが多い隠岐の海関。今場所も、粘り強く、終盤まで優勝争いに加わっていて欲しいのでございます。稀勢の里関や琴奨菊関も、横綱昇進を期待されながら、大事な場面でアンフォーストエラー(凡ミス)を繰り返しております。

ここは、そんな大関陣を横目で見ながら、隠岐の海関にはちゃっかり大関昇進、そして綱取りを目指して欲しいのでございます。土俵際の粘り強さの様に、粘り強く昇進していただきたい、そう願いながら、明日以降の取り組みを観戦することにいたしましょう。お願い、期待を裏切らないでね、隠岐の海関。


2016-09-14 【牛乳はカルシウムなので、寝る前に飲むのは有効だそうですよ】

ここ1ヶ月ほど、親知らずの痛みで苦しんでおります。なんでも、親知らずが歯ぐきの中で横倒しになっているとのこと。かかりつけの歯科医では無理ということで、紹介状を書いてもらい、医療センター(旧国立病院)に予約を入れていただきました。予約日まであと二週間。何とか、痛み止めと痛み止めクリームでやり過ごすのでございます。

もうね、レントゲンを見ると、笑っちゃいます。歯ぐきの中で、キレイに、デッカイ奥歯が横に寝ております。寝釈迦なんて縁起の良いものはございますが、親知らずの横倒しはいただけない。せめて、真っ直ぐに立っていてくれれば、普通の歯科医で抜けたのですけどね。

「紹介状」というものをもらったのは、今回が二回目。以前、目の病気で精密検査を受ける際、紹介状を持って名大病院まで行ったことがございます。今回も名大病院という選択肢もございましたが、地下鉄で行ける医療センターの方にしていただきました。まぁ、同じ教授が名大病院と医療センターの両方に勤務しているので、どちらで受けても同じ先生に治療していただくことになるのですけどね。

抜く前から、「これで生活が変わるかなぁ?」とも、思っております。この親知らずには、何年も前から苦しめられてきましたから。以前ひどかった偏頭痛もこれが原因かなぁとか、十分な咀嚼(そしゃく)が出来るようになると体型が変わるかなとか、集中力が高まってビジネス的に良いアイデアがいっぱい浮かぶとか、あ〜あ、取らぬ狸の皮算用でございますね。意外と、大した変化はないのかも。

みなさん、歯は大事にしてくださいませね。では、では。


2016-09-15 【情報弱者なんて語も、生まれております】

もうね、豊洲が大騒ぎ。有毒ガスがどうのって騒いでおりますが、何千台ものトラックが出入りする構内では、ベンゼンよりも排気ガスの方がはるかに有毒だと思うのですけどねぇ。と、20代の頃に名古屋の中央卸売市場で働いていたワタクシが、チラッと思ったわけでございます。

さて、本題。4〜5年くらい前からでしょうか、若い新人さんにアドバイスする際、言葉を選んで非常に慎重に声をかけるようにしております。最近の傾向として、若い人が他人からアドバイスを受けるということに対して、大変ナーバスだからでございます。今日は、その理由を、考察してみたりするのでございます。

ナーバスと言いますか、「知らない」のを指摘されることに過敏なのでございます。ですので、「そんな事も知らないの?」というような空気で話しかけること、厳禁でございます。この要因といたしまして、ネット検索の便利さが関係しているのではないかなぁ〜なんて思っております。パソコンでしか出来なかったネット検索がスマートフォンでも出来るようになった時期と、だいたい呼応しているからでございます。

ネット検索がなかった頃は、ものを調べるというのは大変な作業でございました。辞書を引く、百科事典で調べる。書店へ専門書を探しに行く、図書館で本を借りる。こんな感じの行程を踏むわけでございます。文筆家の方の書斎とか部屋中に大量の本が並んでいたりしますが、あれ等も執筆する際の情報収集に必要だったりするのでしょう。

「知る」ということが大変な作業でございますから、「知っている」と「知らない」の「しきい値」が高いわけでございます。知っている人の方が圧倒的に少数派で、知らない人が多数派。かつては、あらゆる分野で、この図式だったわけでございます。以前申し上げましたが、世の中は多数派が常識。ですので、「知らない人が普通で、知っている人が特殊なんだ」という風潮だったわけでございます。

さて時は流れて、ネット検索主流の時代へ。ネットの中には、百科事典どころか世界中の書物の情報で溢れかえっております。単語を打ち込めば、瞬時に検索結果が表示されます。必要なのは、検索する際のテクニック。テクニックと言っても、キーワードの選択程度。ネット検索の時代に入りますと、先ほど申し上げた「しきい値」が、グ〜ンと下がるわけでございます。

しきい値が下がるということは、どういう事か? 知っている人が多数派で常識、知らない人は少数派で非常識、こういった図式になるわけでございます。この図式で飛び交う言葉が、「そんな事も知らないの?」という語でございますね。今の若い人は、この言葉におびえております。この言葉を言われないように、必死で自分を取りつくろうわけですね。ネット検索の弊害だと思っております。

「知らない」ことを隠蔽しようとしますから、何とか自分で調べようとします。そして、体裁を保とうとする。そう、「気取り・気取る」ということでございます。気取りは若者の特権でございます。そして、その気取った上張りを剥がされる度に、知識・経験という引き出しが増えていくのでございます。しかし、「知らない=非常識」という脅迫概念が有りますと、その上張りを鋼鉄の鎧のようにしてしまうのでございますね。

「知らない=常識」という古いタイプの人と、「知らない=非常識」という新しいタイプの人が遭遇すると、ここに悲劇が生まれます。旧タイプが不用意に「え? なんでそんな事知らないの?」というようなニュアンスで語りかけますと、ニュータイプの人は、ますますバリアを張って警戒してしまう。最悪な場合、「この人は私を傷つける人だ」というイメージを与えてしまうと、完全の心の窓口を閉じてしまうのでございます。

さらに、旧タイプの人は「分からなければ、聞けばいいじゃないか」と簡単に思うのですが、「そんな事も知らないの?」という語に怯えるニュータイプはその「気軽に聞く」ということが出来ない。それで、自分ひとりで何とか解決しようとしてしまう。「どうして聞いてくれない」という思いと「聞いたら無能な人間だと評価されてしまう」という思いとが、磁石の同極同士のように反発してしまうのでございます。

旧タイプ側は、このメカニズムを理解して、用心深く言葉を選んでアプローチする必要があるわけでございます。ニュータイプの人に、ほんの少しでも「知らないって、別に恥ずかしいことじゃないんだ」という思いが芽生えれば、そこが糸口。自己流な判断で紆余曲折な経験をするより、経験者にひとこと尋ねれば、ドンピシャな回答が得られる。あとは、旧タイプとニュータイプとの信頼関係の問題でございますね。

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」ということわざがございます。よく言ったものでございますね。まさかネット時代を予見して語られた言葉ではないでしょうけどね。自営業の方、あるいは中間管理職の方で、ニュータイプの扱いに困っている方がいらっしゃいましたら、参考にして下さいませ。では、では。


2016-09-16 【出来てしまったものは、仕方が無い】

豊洲がどんどんグダグダになっていっております。いや、揉めてる場合じゃないでしょ。東京オリンピックも控えておりますし、ここは前向きで話を進めないと。怒っていらっしゃる方々は、みんな「騙された!」と叫んでおりますが、それって「メンツ」を気にしているだけでしょ。あ〜あ、メンツとか、バカバカしい。さぁ、揉めてないで、前へ進みましょう。

そもそも、長期の工事中に誰も気がつかないということは、現場の人間はほぼ全て、地下に空間を作るものとして工事を進めていたわけでございます(大笑い)。今さら騒がれても、寝耳に水でしょうねぇ。なんかね、上から「適当にやっておけ」と言われて、適当にやったら、後から「騙された」って言われている。そんなところじゃないでしょうか。

当店も、ときどき工事が入ります。昨年末から年始にかけて、給湯器を総入れ替えするという工事をいたしました。施工主、つまりワタクシの完成予想図と、工事をする人の考えが食い違うということは、よくあることでございます。

例えば、ワタクシは給湯能力を考えて、見栄えは度外視して出来るだけ短い配管で引き回して欲しいと思っております。一方、職人さんは、綺麗な工事をしたいと思うもの。多少配管が長くなっても、美しい施工を追及するわけでございます。うかっとしていると、自分の思惑とは違うものが出来上がったりすることもございます。意志の疎通は重要でございます。

あるいは、壁や天井を開いてみて初めて、「あ〜、こりゃ別ルート考えなきゃ」なんてこともよく有る話。豊洲でも、初めてみたら、後から後から問題が湧きだしたはずでございます。ひとつひとつ対処していくうちに、最初の設計とは全然違う物になったという可能性もございます。まぁ、本来は設計変更をするべきなのですが、どうせ地下に埋まってしまうものだしということで、気軽にやっちゃったかもね。

さぁ、出来てしまったものは仕方が無い。この出来てしまったものを、どう活用するかということに注目するべきでございます。本当に地下の有害物質は危険なのか? 市場が稼働すると、何千台ものトラックが出入りいたします。その排気ガスと比べても看過出来ないほどの危険なのか? ベンゼンベンゼンって言っておりますが、喫煙者の副流煙の方が、はるかに有毒っぽいのですけどね(笑)

もうね、騙したとか、騙されたとかの議論はいいです。あそこまで作った新市場をいまさら作り直すとか、狂気の沙汰でございますよ。どの立場の人も、折れるところは折れて、前に進むことを優先しましょう。メンツはいらない! 誰の責任でもない。大勢でガヤガヤ作ると、だいたいそういうことになるのでございます。

当店の場合も、工事が終わってから、「あぁ、ここはこんな指示を出しておけば良かったなぁ」と思うことしばしばでございます。でも、作ってしまったものは、なんとかそれを生かして使わざるを得ない。やり直すなんて、またお金がかかりますからね。自分のお金ならこう考えますが、それが税金だと、どうでしょうねぇ。東京都民さん、熱くならず、冷静に対処して下さいよ。あなた方の血税ですよ。


2016-09-17 【言論統制している国がやりたい放題、それはそれで困りますけどね】

昨日は豊洲の件でいろいろ申し上げましたが、マスコミの報道もグダグダ過ぎて、もうやってらんない。ヒ素が検出って大騒ぎ。でも、詳しく聞いてみると、海中濃度とたいして変わらないとか。それだったら、海水で床を掃除している築地と大して変わんないだろ! プンプン。

ショッキングなこと、悲観的なこと、常識の逆、こういったことを載せれば視聴率や購読率が上がる。その為に恣意的な記事を、ねつ造とまでは言わないけど、悪意の有るというかミスリーディングさせる記事を載せる。日本のマスコミはさ、ジャーナリズムの原点に戻れ、でございます。

よくテレビなどでやるのが、街角インタビュー。サンプリング次第で、いくらでも恣意的な映像を作り出せる。画面に出てきた10人は、100人インタビューした内の少数派の10人かも知れない。あるいは、極端にすくないサンプル数で結果を出しているかもしれない。取材するテレビ局側が「結果ありき」で取材をしていると、無意識に偏った編集をしてしまうかもしれない。

あと、テレビがよくやりやがるのが、グラフのマジック。例えば、こんな棒グラフ、

このグラフを、意図的にこんな棒グラフとして放送してしまう。

あれれ〜、変だなぁ〜、Bの方がAの半分くらいに見えちゃうぞ〜。でも、どちらも棒グラフとしては間違っていない。ミソは、左下のモニョモニョした記号。Y軸の数字を見ていれば見誤らないのですが、女子供を騙くらかすには、このトリックで十分。テレビ局が、ときどきやらかすイタズラでございます。

あと、週刊誌やあやしい科学者なんてのがよくやるのが、「常識の反対を言えば、本がよく売れる商法」。「あなたの常識は間違っている!」なんて見出しで紹介される記事でございますね。こういったのも、極端な事例を挙げて不安感を煽っているものが少なくない。いや、少なくないどころか、こればっかり。

以前、「つけ置き洗いは危険」って大々的な記事が載っておりました。つけ置きすると、下水の何十倍もの汚染度になるから、つけ置き洗いはするなとのこと。いや、ちょっと待て、おいおい(笑)。つけ置き荒いなんて何百年も前からやっていて、それで死んだやつがいるか(大笑い)。実験的には、間違っていないのでしょう。でも、こんな記事でも、活字になると、世の中の人は踊らされてしまう。

選挙前なども、マスコミの恣意がよく分かったりいたします。選挙前の報道では野党が優勢なのかなぁなんて思わせておいて、フタを開ければ、与党の圧勝だったり。これも、野党側に偏った報道とも取れますし、不安感を煽って与党側の投票率を上げさせるという意図があったともとれる。あるいは、選挙前に限ってスキャンダラスな記事が暴露とか。単なる偶然?? 選挙とマスコミの関係も、闇が深いのでございます。

政治家の領収書や不祥事の件とか、本当にそれが国家を揺るがすような大事件なのか? あるいは「コラ!、ちゃんとやらんかい!」で済まされる話なのか。マスコミは目先の視聴率や購買率だけでなく、長期展望を持って報道して頂きたいと思うことが、山ほどございます。世の中の不正を弾劾することもマスコミの大事な仕事でしょう。ですが、国家全体の利益を考えずに、裁判官気取りで記事を書いていたとしたら、それはペンの暴力でございます。

以前、政治家の誰かが、「マスコミは楽しいニュースと悲しいニュースを半分ずつ載せろ」と発言して、マスコミから「言論統制だ!」と猛反発をくらっていたことがございます。でも、これ、政治家の本音だと思いますよ。何でもかんでも悪くとらえ、良いことはなかなか書かない。その方が新聞でも雑誌でも売れるのでしょうが、ある程度ポジティブなことも書いてもらわないと、国をリードしていく立場の人としては、重たくてしょうがないですよね。

ワタクシは、お店の責任者として、お店をリードしていく立場にございます。従業員全員が「よ〜し、盛り上げるぞ」という気分になっていると、リーダーとしても非常にやりやすい。ところが、お店の中に「何やっても、無駄さ」という悲観論が満ちていると、これは、重たい。扇動しようとしても、従業員の腰が重たい。「悲観」というものは、生活習慣病の様に組織全体をむしばんでゆく危険なものなのでございます。

豊洲も、オリンピックも、悲観論ばかり。悲観ばかりしていると、国民全体の腰が重くなって、ますます話が進まなくなる。そんなことやっていると、オリンピック、失敗しちゃいますよ。ワタクシは1964年の東京オリンピックは覚えておりませんが、大阪万博は小学校低学年。あの時は、日本中が「何とか成功させるぞ」というポジティブな空気に包まれておりました。

今、当時のポジティブな空気が感じられない世相を考えると、ほんと、心配でございます。針小棒大な報道はやめ、みんなにやる気が出るような、そんな報道を目指して頂きたいと思います。マスコミのみなさま、お願いします。m(__)m


2016-09-18 【他人の作ったおにぎりが食べられない子とか、ほんと心配】

昨日の続き。いつも長文になっちゃうので、今日は簡略にお話しましょう。シルバーウィークでもありますしね。

ヒ素が検出!とか大騒ぎしたけど、結局、水道水の基準以下だったとか。それでも、市場関係者は「魚が売れなくなる」と心配しているとか。まぁ、その報道も、ほんの少数の意見をピックアップして針小棒大している可能性もありますし、豊洲の件は、あらゆる報道をマユツバで聞かなければいけないのでございます。

これには、今の日本人の「過度の潔癖性」によると思いますよ。コンビニでも通販でも、完全なパッキングで売られている。その完璧さが膨大な流通を大いに助けてはいるのですが、一方で、日本人の潔癖性を助長してしまいました。もう、ほんと、過度に。

プラスチック片が入ったかも知れないということで、何万個もの商品が回収され、廃棄される。日本の食品の場合、「一個の不良品=全体の不良」という感覚。中国なんかは、「たくさん作れば、いくつかの不良品が出るのは当たり前」という感覚。日本も、ちょっとその中国の「大らかさ」にシフトする必要があると思います。

最近のニュースから、ある小学校での話。給食のパンの容器から、Gキちゃんの幼虫の死骸が見つかったとのこと。しかし、それは、パンを包んでいるシートと外側容器との間。直接パンに触れていたわけではない。でも、そのクラス全部のパンを回収して廃棄したとのこと。もう、狂気としか思えません。

確かに気持ち悪いでしょう。でも、空気中には無数の微生物やカビの胞子が飛び交っている。すべての人間の顔には顔ダニが生息している。手先だって、いろんなところを触っていれば、何億という細菌が付着している。人間は、不潔の海の底で生活していると言っても過言ではないのでございます。

小さな小さな有毒物質を気にするけれど、日常に溢れかえる排気ガスや副流煙には無頓着。または、ほんとに微量な放射線を気にするけれど、あまねく地球上に降り注いでいる自然放射線には言及しないとか。

木を見て森を見ず。小さな毒を見つけたとき、それが全体をひっくり返さなければならないほどの重要な事かどうか、そういったマクロな視点を、今の多くの日本人が見失っております。かつて、粉ミルクや油症といった苦い歴史がありますので、神経質にはなるのは分かります。しかし、過度に行きすぎたら修正するということも、また歴史でございます。

連日、難しい話題でゴメンナサイ。今日の所はこれくらいで勘弁してやろう、じゃなかった(笑)、今日の所は、これくらいで切り上げましょうか。では、では、良いシルバーウィークを。


2016-09-19 【水の都ベニスとか、どうしているのでしょう?】

また台風ですか。しかも、今年の台風はどれも強大。東北や北海道、そして九州の方々、気の毒でございます。特に九州は、震災の直後でございますから、たいした準備も出来ずに水の被害に遭われた方もいらっしゃることでしょう。心中お察しいたします。

東北大震災の後、巨大堤防の話や高台に移転という話がいろいろ持ち上がりました。ワタクシは当時、「人智で自然を押さえ込むのは無理、防ぐことよりも、逃げることを考えた方がいい」と申し上げました。そう、水の被害は津波だけではございません。巨大堤防を作っても、堤防の内側で豪雨に見舞われるということもあるのでございます。

日本の耐震技術は、ある時期から大きく進路変更いたしました。かつては、ガッチリ強固に作ることで地震に備えようとしておりました。しかし高層化が進むにつれて、あえて揺れるようにして振動を逃がすという方向性に変わっております。この様な発想の転換が、水の災害にも応用出来ないでしょうかねぇ。

日本は河川が多く、予算の関係などで、堤防の補修など大きく遅れております。日本中のいたる箇所で、水害の起きやすい場所が潜在的に存在しているのでございます。そこで、あえて水害は起きるものだと想定して、受け入れるのです。(被災された方、こんな話題で本当にゴメンナサイ)

あえて流されることを想定した橋というのがあるでしょ。それをヒントに、浸水することを最初から想定した高床式の住居とか、水にプカリと浮いてしまう家とか、そういうのはどうなんでしょう? 耐震基準は細かく設定されておりますが、耐水基準というのはあまり聞きませんよねぇ。作ってもいいのではないでしょうか?

農耕地、これはやりようがありませんね。ただ、程々の水害は田畑に養分を運んでくれるというメリットもあるそうです。としたら、あえて「定期的に起きるもの」という想定で行動する。と、ここまで書いて、農業というものをあまり知らないワタクシが言及するのも、ちょっと無責任な気がしております。

あとね、電気・水道・ガス。水に浸かると、これらが止まってしまう。こう考えると、やはり電気は「電柱ありき」なのではと思う次第でございます。そして、水道・ガスの配管。これらは地面すれすれに側溝を作って通す。フタを取ればすぐにメンテナンス可能な状態にする。配管の交換もやりやすい。いや、それだとかえって水の被害を受けやすいのか? 難しい問題でございます。

日本は、地震に関しては世界のトップの備えを誇れます。しかし、水害に関しては、堤防の技術、都市部の排水の技術などは進んでおりますが、住居はあまり工夫がございません。台風だけでなくゲリラ豪雨なども増えている昨今、「水に浸かること前提の建築」というのはいかがなものでしょうか。

重ね重ね、被災されている方、こんな話題で申しわけございません。


2016-09-20 【かなりの年齢まで、台風一家だと思っておりました】

本日は、世にも珍しい「台風割引!」を実施した日でございました。こんなどしゃ降りの中、来店して下さったお客様、本当にありがとうございます。

各プレイルームに中京スポーツを置いております。夕方の5時頃にコンビニに新しい中スポが届きますので、それくらいの時間にお店を抜け出してコンビニへ出かけるのですが、本日は、ちょうどその時間帯が、どしゃ降り最高潮! もうね、ほんと、帰ってきたら、パンツ以外ぜんぶビショビショになったのでございます。

コンビニに置いてある中スポも、届いたばかりにもかかわらず、角の方4分の1ほどが、ビタビタに濡れております。この雨ですからねぇ、配達されている方に何が有ったのでしょうねぇ? いろいろ想像を巡らしながら、その濡れている新聞を購入してまいりました。

新聞は意外と早く乾きます。それを実感したのは、ワタクシが中学生の頃。当時、毎朝、自転車で新聞配達をしておりました。前のカゴにドッサリ積み込みますから、不安定なのでございますよね。路肩に止めておいて、配達して戻ってきたら倒れているということもときどきございます。

ある、雨上がりの朝(なんか歌の歌詞みたいですね 笑)、その事件は起きたのでございます。自転車を路肩に止め、配達して戻ってくると、ワタクシの目の前で自転車が倒れていく(笑)。ガッシャ〜〜ンと倒れまして、前のカゴに入れてあった新聞が飛び出す。飛び出したところは水たまり。新聞をゴッソリ濡らした覚えがございます。

とりあえず、丁寧にかごに戻し、後ろの荷台の濡れてない新聞から配っていったのでございます。配達の全行程が小一時間ほど。配達の終盤になり、濡れていない新聞を使い切った後、どうかな〜、どうかな〜とカゴの中の新聞を触ってみたのでございます。

まぁ、なんということでしょう。あの濡れていた新聞が、何事もなかったように乾いているではありませんか。いや、ほんと、パリッと乾いておりました。もうね、神様に感謝いたしましたよ。ほんと。雨上がりの朝で、ジメジメしていなかったのが幸いしたのかもしれません。降雨中だったら、あれほど早く乾かなかったでしょうねぇ。

まぁ、そんなような経験もありますので、コンビニに濡れた新聞がならんでおりましても、とりわけ不快になったりいたしません。むしろ、配達の人、どうしたのかなぁ、無事かなぁ、という気分でございます。

そういえば、海外のどこかのガラス職人さんは、日本の新聞紙が大のお気に入りだそうでございますよ。熱いガラスを触るとき、濡れた新聞紙を使うらしいのですが、それが、世界中でも、日本の新聞紙でなければ使い物にならないそうでございます。そのため、古新聞をわざわざ日本から取り寄せているとのこと。日本の新聞紙、侮れないのでございます。

台風一過、明日はどんな日になるのでございましょう。からっと晴れた良い天気だといいですね。では、では。


2016-09-21 【台風の夜のミステリー】

昨日は濡れた新聞のお話でしたが、今日は、ミステリーサークルならぬ「ミステリー水たまり」のお話。

お店の中で、時々、と言っても数年に一度でございますが、原因不明の大きな水たまりが見つかることがございます。「天井から水漏れ?」と思って天井を触ってみるも、湿っていない。「水道から漏れてる?」と思って水回りをみるも、漏れてない。突如、お部屋のまん中に現れる、原因不明の巨大な水たまり。ミステリーなのでございます。

昨日の台風のどしゃ降りの日、その日もミステリーは起きたのでございます。夕方、お部屋のチェックをしに中に入ると、部屋のまん中に大きな水たまり。そりゃ、ワタクシが個人的に大騒ぎさぁって感じで、雑巾を総動員して拭きまくりでございます。昨日は、発見が早かったので事なきを得たのでございます。このミステリー、夜に発生したりすると、ちょっと面倒なのでございます。

当初は原因の分からなかった「ミステリー水たまり」、今は、原因が分かっております。昨日のような横殴りの雨が降りますと、当ビルのようなベランダのない窓ですと、雨が直接窓に当たるわけでございます。窓サッシは数年前に最新式のものに取り換えておりますが、古いビルなので、どこかかしこに隙間があるのでしょう。普通の雨では漏ったりしませんが、暴風雨の日に限って、水が入ってきたりいたします。

この手の水漏れ、天井と壁の隙間とか、窓の下枠からとか、わけわかんない所から進入してまいります。そして、特徴的なのが、一本の細い筋となって流れてきて、部屋の中の低いところに溜まる。水の経路が細い筋ですので、発見しずらかったり、あるいはすぐに経路だけ乾いてしまって、謎のミステリー水たまりだけ残るという一見不思議な現象になったりするのでございます。

もちろん、営業時間内に気づければ、すぐに対処いたします。問題は、夜間。深夜にこれが起きると、発見が次の日のお昼になってしまう。見つけ次第拭き取りますが、長時間水が溜まったままになっておりますと、ある程度床に染みこんでいくのでございます。

数年に1回。発生場所はバラバラ。こういった状況ですので、それほど頻度が多いわけではございません。しかし、何度か同じ場所で水たまりが起きると、その部分の床が弱ってフニャフニャになるという事態になっております。お店のところどころに、フニャフニャの場所がございますよね。あれは、こういった経緯で起きているのでございます。

フニャフニャの床とか、ピーピー鳴くウグイス床とか、USJもビックリのアクティビティ満載のお店なのでございます。今後ともよろしくお願いします。床などは、順番に修復しておりますので、ご安心下さいね。では、では。


2016-09-22 【名古屋薫、大忙しの巻】

本日も、ワタクシが個人的に大忙し。

新人さんが入りました。2日ほど前に面接を済ませているのですが、本日、写真撮りのためにお店まで出てきてもらいました。お化粧に自信がないとのことで、ワタクシがお化粧を施すことに。お化粧が済みましたら、撮影の準備をして店内で撮影。その後、プロフィールなどを聞きまして。新人さんの写真録り、終了。

忙しいのは、その後でございます。写真をチョイスし、ホームページにデータをアップし。店内用の写真やプロフィールの印刷。もうね、目がグルグルでございます。

ホームページも、今や、オフィシャル、ヘブンネット、ニューハーフファン、マンゾクネットと、四ヶ所を書き込まなければいけませんからね。一カ所に書き込むと全部に登録されるって方法、そのうち誰か発明してくれませんかねぇ。

そういえば、引っ越しをしたときの住所変更も、面倒くさい。あれも、役所に届けたら、後の通販やら銀行やらの住所、自動的に変更されるように出来ないものでしょうか。

今やデジタル化の時代ですから、住所の「生データ」は役所だけに置いておき、第三者は「参照」という形でそのデータにアクセスするという形を取れないかなぁと、昔から思っております。役所のデータを書き換えると、通販やら銀行やらの住所もいっしょに書き換わるわけでございます。リレーショナルデータベースでございます。

まぁ、個人情報にうるさい昨今。絶対に実現しないでしょうけどね。

いや、まだ、やることがいっぱい残っております。今回は、このへんで。では、では。


2016-09-23 【生フィルムって、何だかエロく聞こえません?】

新人さんが入ってまいりました。最初の写真は店内でワタクシが撮影するのでございますが、これが、どうも、コンパニオンを緊張させてしまい、うまくいかない。ストロボを2灯ほど立てまして、ミラーレス一眼で撮影するのですが、この仰々しい撮影風景が、ますます緊張感を高めてしまうのかもしれません。新人さんが落ち着いたら、リラックスした写真を撮り直したいと思っております。

フロントで並んでいる写真でございますが、昔は、「本当の」ポラロイド写真を使っておりました。ポラロイドのフィルムが製造終了してからは、パソコンにて「ポラロイド風」のプリントを作製しております。ですので、本当のポラロイドを使っていた頃は、もう大変。ポラロイドフィルムってのは、ちょっと「お高い」。そして、フォーカスがちょっと甘め。まぁ、ホンワカとした柔らかい写真が撮れて、それはそれで良かったのですけどね。

あと、ポラロイドフィルムってのは、夏と冬で色が変わったりする。撮影後の色が定着する時の温度が、色味に影響するようでございます。それを利用して、撮影後に手で温めたりライトにかざしたりして、黄色がかった健康的な色味を狙ったりもいたしました。狙い通りに仕上げるのは難しかったですけどね。フィルもの「鮮度」も色に影響しておりました。こう考えると、アナログのフィルムってのは、まさに「生もの」でございます。

それとですね、撮影のときに、「カメラのレンズに視線を送る」というのが、もはや常道ではなくなっている事に気づかされるのでございます。スマホですと、レンズ小さいですし、自撮りだったりすると、多分、レンズよりも画面を見ちゃう人が多いはず。レンズを意識して写真を撮るという感覚は、薄れていっているのでしょう。ですから、なおさら、一眼のデッカイレンズで迫られると、緊張しちゃうかもしれませんね。

アナログフィルムの頃は、何百枚もパシャパシャ撮るというのは難しかったですけど、デジタルの時代になってからは、もう間髪入れずにパシャパシャ。被写体が構えたところでパシャッ。撮影後に気を抜いた瞬間にパシャッ。会話をしながらパシャッ。わざとカメラを構えずにパシャッ。いつも、だいたい数百枚撮影してチョイスしております。もっとも、ワタクシの撮影技術が長けていれば、そんなにたくさん撮らなくてもいいのでしょうけど...

といったところで、写真撮影のお話でした。では、では。


2016-09-24 【「高名の木登り」ならぬ「高齢の店主」のお話】

今日は、ほんと、たわいもない話。

林檎が好きで、八百屋へ定期的に買いに行っております。近所の行きつけの八百屋。店主がかなり高齢。高齢の方のお店というのは、いろいろ面白い事が起こります。いつも、ワクワクしているのでございます。

先日も林檎を買いに行きますと、そこの店主、「これ、いいよ」とある札を指し示しました。見ると、「赤クレープ」と書いてある。しかし、高齢ゆえか、棚の上が、ゆるくというかファジーな陳列になっておりまして、その「赤クレープ」が何を指すのか分からない。そもそも、八百屋にクレープって何よ(笑)。その札のあたりを見回すのでございます。

赤いものでそれらしきもの。近くに、真っ赤に熟れたスモモがございます。これかなぁと思いながら眺めておりますと、そこの店主、「これ、これ」と言いながら、ひょいとある袋を取り上げたのでございます。袋の中には、夏みかんの様な果物が3つほど入っております。「エッ? これ、黄色じゃん、赤くないじゃん」と怪訝に思いながらも、「まぁ、新種の果物かな」なんて思いながら買ってまいりました。

部屋に戻って、さっそく、入刀。真っ二つに切って、断面を見て、全てを了解。その怪しい黄色の夏みかんの様な果物、実はピンクグレープフルーツでございました。グレープフルーツはよく知っておりますから、八百屋の店頭で分かったはずなのですが、頭の中が「赤クレープ」の先入観で染まっておりましたので、気づかない。いやはや、先入観とは恐ろしいものでございます。

この事件を、いろいろ検証してみるのでございます。まず、「ピンク」と書かずに「赤」と書いた事。高齢な店主、ピンクという語に馴染みがなく、スイカと同じ感覚で「赤」と書いたのでしょうか? あるいは「ピンク」という語にトラウマ? ピンク関係で奥さんと揉めた事が有り、店頭に「ピンク」という文字を置く事がためらわれたとか。まぁ、高齢な店主ですので、「日本人なら漢字で書け!」とばかりに「赤」と書いたのかもしれません。

問題なのは、「クレープ」の方。八百屋ですので、「グレープフルーツ」という語を、本当に知らなかったのか? という疑問がわき上がってまいります。もちろん「グレープ」が葡萄である事は知っていたでしょう。で、グレープフルーツを初めて見たときに、「これは葡萄じゃないから『グレープ』という名前が付いているはずがない」と直感で考え、「そうそう、クレープって何かで聞いたな、クレープフルーツだろ」と脳内変換したのではないか、そう勝手に推測するしだいでございます。

長年、「クレープフルーツ」と思い込んでいたかも知れませんね。で、「フルーツなんて見て直ぐ分かるから、『フルーツ』の部分は省略しちゃえ」とばかりに、「フルーツ」をぶった切って、「クレープ」と思い込んでいたのかも。年寄りってのはめんどくさがりですので、何かと省略したがる。これも、省略しちゃったのかもです。いやはや、思い込みというのは恐ろしいものでございます(ワタクシ個人の、勝手な推測でございます)。

かくして、「赤クレープ」の謎は、解けたのでございます。めでたし、めでたし。いい年齢のワタクシが言うのもなんですが、ほんと、お年寄りのやる事はおもしろい。いろいろな事が起きるのでございます。ワクワク...


2016-09-25 【夜はニューハーフ、昼はウィッグを被って男役】

大相撲、豪栄道が優勝いたしましたね。土曜日の優勝決定戦、そして本日の千秋楽、豪栄道のお母さんが客席で観戦しているのを、テレビ中継で映しておりました。お母さん、嬉しかったでしょうねぇ。そんな場面を見ながら、ワタクシも、自分のミュージカル初舞台のとき、母親が見に来ていたことを思い出しておりました。

若いころは、貧乏劇団でチョコチョコ小さな舞台に出演しておりましたが、それには一切、母親を呼びませんでした。いやぁ、恥ずかしかったですからねぇ。本格的なミュージカルのオーディションに受かったのが、30才。その時、名古屋の「つけもの」というニューハーフショーパブで働いておりました。夜、ショーパブで働きながら、昼間、舞台の稽古に出るというハードスケジュール。若かったから、出来たのでしょうねぇ。

さすがに、公演本番の期間は、お店を休んで舞台に集中。休演日を挟んではいるものの、15日間の公演。奇しくも大相撲と同じでございます。その15日間に昼公演・夜公演など有りますから、二十数回の公演を勤めた様に覚えております。

その15日間に、ワタクシの母親、3回も自分でチケットを購入して見に来たそうでございます。ワタクシの母親も、子役から女剣劇を経て女優業をしておりましたので、自分の息子(?)の舞台、嬉しかったのではないでしょうかねぇ。まぁ、後からダメ出しをしてくるのは、ちょっと面倒くさかったですけどね(笑)

豪栄道のお母さんの映像を見ながら、こんなことを思い出しておりました。ワタクシは隠岐の海を応援していたのですが、中日を超えたあたりから負ける負ける。双子の兄弟が途中で入れ替わったのではないかと思うほど、前半と後半の違う隠岐の海でございました。それでも、隠岐の海は9勝6敗で勝ち越し。来場所は三役に昇進でございましょう。また懲りずに応援するのでございます。


2016-09-26 【先天性のエッチ、後天性のエッチ】

つい、4日ほど前にアナウンスされた19才の新人、ホームページから消えております。いったい何が有ったのだろうと思い巡らせている人もいらっしゃるのでは? 誠に残念ですが、本人から「無理そう」との連絡を頂きましたので、ひとまず入店取り消しという形にいたしました。

当店の、特にベテランの人達は、ある意味「プロ集団」でございますので、ビックリしちゃったかなぁ? また、彼女の入店初日は、ここ最近入った新人の人達がたまたまそろってお休みの日。ベテランばかりに囲まれているうちに、気負けしたかもしれません。

いろいろ経験を重ねて、また再挑戦していただいてもよろしいですし、他に居心地の良いお店に出会えるかも知れませんし、頑張って頂きたいと思っております。まだ19才ですからね、無限の可能性があるのでございます。

本物の女性の風俗店ですと、新人で「風俗未経験」というのは、圧倒的な「売り」になるわけでございます。「女である」ということが、既に大きな商品価値なのでございますよね。ところが、ニューハーフヘルスでは、風俗未体験のシロウトさんというのは、要するに普通の「青年」。気軽に売り込むには、チョット要注意な点がいくつかある。ここに、ニューハーフの風俗店での新人売出の難しさがございます。

ニューハーフヘルスでは、客層が多岐に渡っているというのも、新人の売りだしを難しくしております。ひたすら女っぽい子を好むお客様もいらっしゃれば、「勃起力」重視であまり女性化の進んでいない子を好むお客様もいらっしゃいます。両極端の客層が混在しているのでございます。

女の子のヘルスの場合は、各店舗が「特化」することで、多岐に渡る客層を吸収しております。ぽっちゃり専門店とか、アナル専門店、人妻ヘルスといったお店が多くございますよね。これは、女の子の場合、市場が巨大だからやりやすい。市場の非常に小さいニューハーフ業界では、特化するのはリスクが大きいですよねぇ。間口を狭めるというのは、チョット恐いのでございます。

それともうひとつ、男と女のイトナミというのは、DNAレベルで本能に刻まれております。つまり先天性の技術。シロウトの男性と、これまた素人の女性が相対しても、なんとかなってしまうものでございます。ところがですねぇ、アナルを使ったイトナミというのは、後天性の技術。事前に何らかの練習なり訓練をしていないと、どうにもならないのでございます。

あと、立ち居振る舞いの問題もございます。ボーイッシュな女性(本物)。これは、世間一般にゆるされる。というか、それが好きな男性も少なくない。風俗店に限らず、世間一般でもまったく問題ございません。

では逆に、(言葉として正しいかどうかは別にして)ボーイッシュなニューハーフ。これは、厳しい。ニューハーフのお店でも、好まれるお客様は少ない。たとえルックスがかなり女性っぽくても、「男の風味」が少しでも感じられてしまうと、お客様の方に「醒める」という現象が起きる。同じ「ボーイッシュ」でも、女とニューハーフでは、こういった危険度の違いがございます。

まぁ、こんなような事情がありまして、ニューハーフのお店の新人さんたちは「混沌」とし易いのでございます。お仕事を続けていく内に、少しずつ染まっていって安定期に入っていくのでございますが、その染まるまでは、お店側に、そして時にはお客様側にも、「我慢」の時期がございます。

そして、一番「我慢」しなければいけないのは、新人さん本人だったりもいたします。一般常識が通用しなかったり、アマチュアとプロとの価値観や感覚の違いとか。あと、出来高の報酬というのも、給料制に慣れている人だと、かなりのストレス。ついついやってしまう、他のコンパニオンとの比較。初期はそんなストレスがいっぺんにやって来ますので、新人さんは大変なのでございます。

ということで、今回くじけちゃった新人さんも、何か他の場所か別の事で花が咲くといいですね。もし縁があったら、うちのお店で再挑戦ということがあるかもしれません。今回は、新人さんにまつわる、あれこれでございました。では、では。


2016-09-27 【親知らずを抜きに行って、親を思い出すお話】

今日は、親知らずの治療の日。医療センター(旧国立病院)の口腔外科に予約を入れてから3週間、待ちましたよ。ドキドキワクワクしながら、目覚ましを2つも用意して早起き。いそいそと出かけたのでございます。

朝の8時半に受付をし、9時から診察開始。レントゲンを撮り、診察を終え、会計まで済ませて9時50分。大病院としては非常にスピーディーに終わったのでございます。これというのも、かかりつけ歯科医の紹介状という、強い味方が有ったから。紹介状様々なのでございます。

紹介状が無いと、¥5,400円余分に払わされるとのこと。また、全てにおいて、紹介状持参の患者を優先するシステムのようでございます。その旨が病院のホームページ始め、各窓口など、いたるところに注意書きとして掲示されております。

かつて大病院の午前中と言えば、軽微な症状の患者で溢れ(特に高齢の方々)、順番待ちで時間が掛かり、診察は1日仕事か少なくとも午前中は全部潰れる、というイメージがございました。病院側も負担が大きかったのでしょうね。大病院は高度医療、軽症患者は街のかかりつけ医へというすみ分けが進んでいるようでございます。

この紹介状で、思い出した事がございます。かれこれ25年くらい前のお話。母親が体調を悪くいたしまして、東区にある逓信病院に連れて行ったのでございます。家のすぐ近くでしたし、大病院なので安心だという思いがございました。

病院まで行って、びっくりぽん(もはや死語?)。受付に「当院は、紹介状のない人の受付をしておりません」と、はっきり書いてある。親子2人、悔しいような残念なような腹立たしいような、複雑な心境で自宅まで帰ってきた覚えがございます。

当時、ワタクシは、錦(名古屋の繁華街のひとつ)のニューハーフのクラブで働いておりました。ほんと、たまたま、ワタクシのお客さんでNTTのチョットお偉いさんがいらっしゃいました。その方の来店時に、テーブルで、なんとなくその母親とのいきさつをお話したのでございます。

その際、若さ故の過ちと申しましょうか、まったくお恥ずかしいのですが、当時のワタクシは、逓信病院とNTTの繋がりを、全く知らなかったのでございます。それで、そのNTTのチョットお偉いさん(当時)相手に、逓信病院でこんなことがあって、あんなことがあって、悔しくて悔しくてバンバンバンと口角泡を飛ばしてしまったのでございます。

すると、まぁ、どうしたことでしょう。記憶が不確かですが、それから1年くらい後の事かな。逓信病院が紹介状専門の受付を撤回し、一般の外来も受け付け始めたのでございます。新聞報道にもなりました。ワタクシがバンバンバンとやったせいでしょうか? 「チョットお偉い」と思っていた人は、中くらいに偉いか、ひょっとするとスゴク偉い人だったみたいでございます。人は、酒癖で判断してはいけないのでございます(笑)。

そんな出来事が、今から約25年前のお話。皮肉なものでございますね。現在、大病院は、紹介状優先のシステムを導入して、運営を円滑にしようとしております。これで、大病院は高度治療に専念でき、街のお医者さんも潤うという、いい関係の医療システムが育っていくと良いのですけどね。あとは「大病院なら信用できる、町医者は信用できねぇ」という間違った思い込みの払拭でしょうか?

さて、ワタクシの親知らず、本日さっさと抜いてくれると思いきや、今回はレントゲンと軽い診察のみ。オペは次の予約日にということになったのでございます。いや、考えが甘かった。ワクワクドキドキと緊張しながら早起きしたのが、なんだが可笑しいのでございます。

で、さすが旧国立病院、オペの予約がビッチリ詰まっておりまして、取れたオペ日は、ちょうど1ヶ月後の10/25。3週間待たされた本日の診察。そして、また4週間待ってのオペ。診察そのものはスピーディーになりましたが、結局、待たされる事になるようでございます。オペ日まで、痛み止めを飲みながらやり過ごす事にいたしましょう。

では、ワタクシの親知らず通信、次回の報告をお楽しみに〜、では、では。


2016-09-28 【「いつも静かに笑っている」と書いた文人もおりましたね】

お店の営業が終わりまして、ちょいと夜食をと思い、小雨の中、近所のファーストフード店へ赴いたのでございます。よく利用しますので、深夜の担当者とも顔なじみ。微妙にお肉が大盛りだったり、ドレッシングを余分にくれたりとか、チョイチョイ、オマケをしてくれるのでございます。

ワタクシは人からオマケをいただくことが非常に多く、羨ましがられるのでございます。「どうして、そんなに貰えるの?」と時々聞かれますが、何ででしょうねぇ。多分、買い物をしたりするときは、いつも、何が起きても、ニコニコニコニコしているからでしょうねぇ。

ことわざで、「笑って損したもの無し」と言いますが、これを、またまた、数学的・経済学的に証明しちゃいましょう。デデン、デン、デン。登場人物は、2人。自分と、相手。相手は「好意」と「悪意」で接してくる。自分も「好意」と「悪意」だと思って反応する。場合分けをして4つの事象を検証するのでございます。

 1.相手が「好意」で接する、自分も「好意」と受け取る

 2.相手が「好意」で接する、自分は「悪意」と受け取る

 3.相手が「悪意」で接する、自分は「好意」と受け取る

 4.相手が「悪意」で接する、自分は「悪意」と受け取る

1はなんら問題ございません。ニコニコをニコニコで返す、よくある日常の風景でございます。

2はどうでしょう? 好意でしてくれたのに、それを素直に受け取れないという状況です。相手は「してあげて、かえって悪かったかな?」と思うかも知れません。「もう、この人には、余分な事をしないようにしよう」と思うかも知れません。

3は、オマヌケというか、天然キャラっぽいですよね。悪意で接してきた人は、のれんに腕押し状態でしょうね。「悪意のやり甲斐がない」という状態。相手が悪いと、利用されたり騙されたり、そんな事が起こるかも知れません。相手にそれほどまでの悪意が無ければ、相手の気持ちの方がほぐされて改心することもあるでしょう。

4は、永遠に平行線の関係です。多分、この関係のまま、何も進展はないでしょう。ただ、生き馬の目を抜くような現代社会では、これくらいの猜疑心を持ってことに臨まなければ、ケース3のように騙されてしまう、そう思う人もいるでしょう。このケース4も、時々ある日常の風景でございます。

ここからは、各ケース事に自分の利益を考えてみましょう。

1は他人と良い関係を持てるので、利益は「+」です。こういった関係が増えるに従い、自分の利益は増大する可能性を秘めています。

4も、他人の悪意を上手く回避している点で「+」とも考えられますが、この相手からは今後何も得られないでしょうから、利益的には「=」イーブンとしておきましょう。さらには、受け答え方によっては、今後、さらに酷い仕打ちを受けるかも知れません。そうなったら、この事象は明らかに「ー」です。

2は、もっと「ー」です。生き馬の目を抜くようなとは言え、それを明からさまに相手に見せてしまうのは、おろそかです。これから良い関係が結べたかも知れない相手を、自分から断ち切ってしまったわけですから。

難しいのは、3。これは、相手次第。相手が「なんだ、面白くない」と離れていけば「=」イーブン。相手が改心して好意に変わっていけば「+」。相手が筋金入りの悪者であれば、騙されて「ー」になることもある。

さぁ、まとめますよ。4つの事象の中で、「+」の要素が入っているのは、1と3。自分が「好意」を表している事象だけでございます。残りの2と4、つまり自分が「悪意」を表している事象は、「=」か「ー」。

ですので、他人の行為を悪意として受け取る行為は、イーブンなことはあっても、絶対にプラスには転じないのでございます。たとえ「悪意かな?」と思っても、それを飲み込んでしまえばOK。しかし、心の内を顔に出してしまうと、イーブンかマイナスに転じるということでございます。

結果、相手の行いの真偽に関わらず、自分はいつも好意だと思ってニコニコしている、これが最終的に自分の利益をプラスにする方法だということに帰結いたします。だから、ニコニコ最高! 風俗業界でも、天然キャラの子が人気が出たりするのも、こういったことに起因するのかも知れません。

ただ、ひとつだけ、懸念がございますよね。ケース3のマイナス要素。そう、相手が筋金入りの場合です。これを利用した犯罪が、「おれおれ詐欺」。人の好意につけ込んだ犯罪でございます。こういうのが有るから、世の中、安易にニコニコもしていられない。世知辛い世の中になったものでございます。

ほんのひと握りの猜疑心を残しつつ、いつもニコニコしているか、あるいは「騙されるのも良し」と思いながら、とことん朗らかに生きるか、そんなところでございましょう。おれおれ詐欺は勘弁して頂きたいですが、日常の小さな悪意なら、「いっそ騙されていこう」と思うと、実に楽に生きられたりするものでございます。

さ〜てと、こんなことを書いていると、「ママは時々、怒るじゃない」とお店のみんなに言われそうですね。これでも、昔に比べると、かなり丸くなったのですけどね。さぁ、明日も、ニコニコに努めましょうか。今日はこの辺で。では、では。


2016-09-29 【技術立国ならではの、オリンピック】

今から10年くらい前でしょうか、お店で粗大ゴミを処分するのに業者を呼んだ事がございます。よくポストにチラシが入っているでしょ。「不要品処分します」みたいなの。ああいった業者を呼んだわけでございます。その時の、出来事でございます。

お店で出した不要品は、ベッドマットレスとちょっと大きめの電気スタンドだったかと。最初に見積もりを出してもらい、その金額でOKを出しましたら、業者はとっとと不要品をトラックの荷台に運んでいったのでございます。

さて、支払の段になりまして、「マットレスのサイズを間違えていたので、先ほどの見積もりでは足りない」と言い出す始末。見ると、先ほどの見積料金の約5割増しの金額を提示してきたのでございます。うっかりミスかも知れませんが、載せ終わってから言い出すところは、最初から悪意が有ったかも知れませんね。

今のワタクシなら、「じゃぁ、やめる。トラックに積んだ荷物を戻しな。戻すのが面倒くさいからこのまま持って行くと言うのなら、そりゃアンタの勝手だけどね。」くらいに言ったでしょうねぇ。でも、当時は若かったですから、ついつい、言いなりになっちゃいましたねぇ。追加料金を払って、持って行ってもらいました。

え〜と、東京オリンピックの予算の問題。これと、似てない? 入札の時に予算が決まっているのに、どうして2倍とかに膨れあがるの? おっかしぃなぁ〜。いや、物価や人件費の変化で、ちょっと変わるのは分かりますよ。2倍とか、全く無計画でしょ。

これって、土建屋にいいようにやられてないかなぁ。豊洲の問題も、「移転ありき」で話が進んでいるでしょ。しかも、勝手に設計図を変えちゃったりとか、もう、自由奔放(笑)。入札率の99.9%なんて数字を誰も指摘せずに、話がドンドン進んでいく。あ〜あ、平和な国だね、日本は。

今や日本のランドマークになっているスカイツリーですが、あれも、いやぁここだけの話ですけどね、ダンナ、特に必要は無かったんですよ。高層ビルが立ち並ぶ都市部で、電波で情報を送るなんてのは、不毛でございます。ちょうど、各家庭に光ケーブルを引くという素晴らしい構想が有ったのですが、土建屋に押し切られたかも知れませんねぇ。

光ケーブル網が各家庭まで来ておりましたら、そこへ繋ぐだけで、電話、インターネット、テレビ放送、ラジオ放送、これらが全部光ケーブル経由で利用できる。もはや、家庭レベルの使用であれば、電波はいらない。夢のような光ケーブルですが、日本は映像の権利関係が複雑だったりとかで実現しなかった。あぁ、情けないのでございます。

NHKがワンセグの受信料をどうするかで揉めておりますが、あれだって、ネット経由のテレビであれば、完全に受信料をコントロール出来る。現状は不公平感があるから揉めているわけで、完全に公平な徴収であれば、CSの有料放送と同じでございますので、今ほどには混沌としないはずでございます。

ネットついでにお話しますが、これからのオリンピックは、豪華な施設はいらないと思いますよ。今、非常にバーチャルの技術が進んでおります。競技場は最小限の規模で作り、入りきれなかった観客は、バーチャルで楽しんでもらうという方法もございます。その方が、よっぽど「日本らしい」のではないでしょうかねぇ。

想像してみて下さい。競技場の中に、無数に置かれたカメラ。フィールドの中、選手のすぐ近くにまでカメラを設置する事が出来ます。しかも、スマホやゲーム機程度の機材で、3D映像で視聴できる。振り向けば、後ろの景色が見える。そう、必ずしも、競技場の中にいる必要はないのでございます。競技場の収容人数の何百倍、いや何千倍もの世界中の観客に、包み込むような臨場感を与える事が出来るのでございます。

2020年の東京オリンピック、お金をかけるべきは、施設じゃないと思いますよ。それは土建屋を喜ばせるだけでございます。技術立国日本らしいオリンピックを目指すのなら、撮影する技術、録音する技術、配信する技術、そういった所へドンドン投資するべきでございます。そして、これが有用なのは、この技術はオリンピック以外でも需要が山のようにある。後から邪魔になる巨大な観客席とかよりも、よっぽどお金のかけ甲斐が有るのでございます。

まぁ、いろいろ勝手な事を申しましたけど、結局、土建屋にいいようにやられてしまうのでしょうねぇ、豊洲も、オリンピックも。そんな感じがいたします。でもなぁ、小池さんには、ギリギリまで、ガンバって頂きたいですねぇ。ということで、では、では。


2016-09-30 【落日(らくじつ)なんて語も有るから、さらにややこしい】

昨日のメールマガジン、冒頭のコメント。な、なんと、ワタクシは有り得ないミスをしていたのでございます。配信した後に読み返しますと、月末の意味で「末尾」と書いておりました。「あれ? これ、何か違うよね」と思いつつ、手元の電子辞書を引いてみますと、「まつび」では「末尾」しか出てこない。この瞬間、ワタクシは驚愕の事実を知ったのでございます。

「え? これって、『マツビ』って読まないの?」、そう、「末日」をこの年齢まで「マツビ」と読んでおりました。まぁ、「マツジツ」って読みも知っていたわけなんですが、ワタクシ的には、「どちらの読みも大丈夫」くらいに思っておりました。いやぁ、お恥ずかしい。

どうしてかなぁと考えるに、思い出したのが「楽日(ラクビ)」という言葉。舞台などの千秋楽を指す言葉でございます。これは「ラクジツ」でもなく「ラクニチ」でもなく、「ラクビ」と読む。しかし、興行最初の日は初日と書いて「ショニチ」。さらに、まん中の日は、普通「中日(なかび)」と呼びますが、辞書を引くと「チュウニチ」でも間違いじゃない。ほんと、日本語はややこしい。

この「ラクビ」に引っ張られて、「末日(マツビ)」と読んでいたのでございましょう。この年になって、意外な発見をしたのでございます。日本語を勉強する外国の人とか、覚えるの大変でしょうねぇ。言語を習得するとき、規則性のない語というのは、一番苦労するのでございます。

先日、文化庁が行った「国語に関する世論調査」では、初めて、「ら抜き」派が正統派を上回ったそうでございます。もっとも、この逆転は「見られる/見れる」「出られる/出れる」の2語に限った話だそうで、しかも僅差での逆転のようでございます。

その他の結果を見ると、「考えられる/考えれる」は圧倒的な正統派「考えられる」の勝利。「食べられる/食べれる」は、正統派「食べられる」が60%で「食べれる」が30%。ちょっと微妙な差でございます。もっと微妙なのが、「来られる/来れる」。これはほんの誤差と言えるほどの僅差で、正統派「来られる」の勝利。

結果、「見れる」「でれる」「来れる」は、ほぼ世の中の半数の人が、違和感を感じずに使っているという事でございます。そう、言葉の進化で重要なのはこの「違和感」。文法的に正しいかどうかは、後からの研究で貼り付けた後付けの理屈。言葉というのは、古来から、この「違和感」を基軸として進化してきたのでございます。

確かに、「ら」を抜かない正統派の言葉は、時として、「可能」を意味しているのか「尊敬」を意味しているのか分かりづらい事がございます。さらに、ラ行の音は舌が大きく動きますので、舌足らずの人でなくてもちょっと面倒な音。この音が「ラレ」と連続しますので、こういう面倒な言い回しは、言語の進化の中で廃れやすいのでございます。

また、「ら抜き」の言葉は、ちょっと幼児性を感じさせる可愛らしさがございます。言葉の進化には、先ほどの「違和感」とともに、この言葉の持つ「イメージ・印象」も重要な要素。言葉に新たなイメージが上張りされる度に、その言葉は進化していくのでございます。これには、ワタクシたちの環境の変化も重要な要素。文化や文明が移り変わっていけば、その新しいイメージを表現するために、言葉も進化せざるを得ないのでございます。

最近では、パソコンの日本語変換プログラムが非常に進んでおります。この「ら抜き表現」の注意だけでなく、「さ入れ表現」「誤った敬語」「用法・用例の間違い」「ことわざの引用」など、至れり尽くせりの注意喚起をしてくれるのでございます。これは、実にありがたい。

昔は、文章を書き終わった後に、辞書を引きまくって確認しておりました。しかし、自分の中で「違和感」の無い言葉に関しては、どうしても見落としますからね。ですので、見落としのないパソコンは、実にありがたい。

本日も、「ウワマル」と入力して変換できない。正しくは「上回る(うわまわる)」とのこと。自分で「うわまる」って何だよって笑っちゃいました。ら抜き言葉ならず「ワ抜き言葉」ですか。いやぁ、重ね重ね、お恥ずかしい。では、では。


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