店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
ネットの通販で面白いものを見つけたので、衝動買いしてしまったのでございます。ひとつは、輪ゴムを飛ばす輪ゴムピストル。「Peace Gun」って名前がついてます。これは、ついついデザインと色が気に入って。もうひとつは、ペットボトルのキャップ。お店の冷蔵庫ってのはみんなで共有しておりますので、飲み物とかは自分の名前を書いておかないといけないんですよね。このキャップを使えば、いちいち名前を書く必要がないかなって思いまして。
朝刊の見出し、「『子供必要ない』と答えた人が42%」の文字。それも、中日新聞と毎日新聞がこの記事ををトップに掲げている。毎日新聞の『毎日かあさん』の面。親子三人がそろって風邪気味で、一日ダラダラと過ごす。仕事場に置いてあるベッドで親子三人がゴロゴロ。そこに猫もやってくる。「私の大事なものが何年も使っているボロボロベッドに全部乗っちゃって、おお今日のシアワセは安くていいな、と思いつつ眠る」とは、作者西原理恵子談。
名古屋駅、高島屋へお歳暮の手配に。大変な人混み。にもかかわらず、お歳暮のコーナーは大きく縮小。陳列よりも、オペレータの人数優先か? エスカレーターの降り口に、立ち止まり防止の誘導柵が、長〜く設置。エスカレーターを降りた後、大変な大回りをさせられる。ふと見ると、ほとんどの人がエスカレーターの段を、ひとつないしふたつほど飛ばして乗っている。エスカレーターの速度を逆にもう少し“遅く”し、隙間なく乗らせるようにした方が輸送力は大きいのではないか? などと、勝手な「エスカレーターの法則」を思案していると、昨年の夏の東京ビックサイトでのエスカレーター逆走事故を思い出して、ギョッとする。なんで、こんなこと覚えてるんだろ、そして、こんなときに思い出すんだろと、自分に呆れる。
歳暮の手配を終わり、エスカレーターで降りていくと、2階のバルコニーになにやら造作物が。近づいていくと、「かまくら」風の作り物。ケロロやキッコロ、モリゾーなどが並んでいる。多くの家族が、そのかまくらの前で記念写真。その風景を見ながら、「大事なもの」「今日のシアワセは安くていいな」のセリフを思い出す。百貨店の中には物欲をくすぐる品々が溢れていて、見ているだけで幸せな気分。自分のものだったらどんなに幸せかななんて想像する。でも、身近なところにも、お安くて大きな幸せが存在しているのを、見過ごしてしまったりしている。百貨店の陳列物は、お金を払わなければ他人のもの。でも自分の子供は、最初っから最後まで、自分の子供。
でいいじゃん。つうか、そもそも障害者に条件出すなよ! 目の不自由な方にも、この説明文を読ませるのか! なんて思いつつ、あ〜ぁ、分かりやすい表現に拘りすぎるのは、いつも電話誘導で苦労しているからかな? 職業病? といった思いが、脳裏を横切ったりする。
てな感じでスタートした、名古屋薫のとある日曜日でございました。しかし、42%の人が、子供を持たなくていいと言っているとは。日本、このままだと滅んじゃいますよ。親子が体をくっつけてゴロンと昼寝をすることが、どれほどの至福か。その至福を想像できるのなら、きっと子供が欲しいと思えるのでしょうけどね。今からでも遅くはない。子供をお持ちの方々、親子で体をくっつけて、ゴロンと昼寝でもやりませんか?
毎日かあさん(http://mainichi.jp/life/riezo/)
『クローズアップ現代』(NHK総合) さまよう 兵士たちの“日の丸”
今、アメリカ国内で、日の丸の売買が行われているそうでございます。64年前、太平洋戦争で戦死した旧日本兵が身につけていた日の丸を、アメリカ兵が戦利品として持ち帰り、大事に保管していたものでございます。破れたり、血痕が付いていたりしますが、日本兵が出兵した時の寄せ書きがぎっしりと書き込まれており、アメリカ国内では“美術品”として扱われ、数百ドル〜数千ドルで売買されているそうでございます。
売りに出す人の多くは、それを持ち帰ったアメリカ兵。戦死した日本兵に心を痛め保管していたのですが、「もし自分が死んだら簡単に捨てられてしまうだろう」ということを心配し、日の丸の価値が分かる場所へ出品するとのこと。遺族に返そうと、直接日本の外務省に送られてくる日の丸も年間200枚ほどに上るそうですが、当時の出兵者の記録などがほとんど残されてなく、遺族に返される日の丸は非常に少ないそうでございます。
日本人が見れば、その日の丸が何であるか、そしてそこに秘められた「重たい意味」は一目瞭然でございます。そういったものが何万枚も美術品として流通し売買されているというのは、日本人の感情としては、非常に心苦しいものがございます。しかし、最初は“戦利品“としか思われなかった日の丸も、戦後、時を経るにつれ、徐々にその「重たい意味」が理解されてきたようで、64年を経た今でも、その多くが処分されずに残っているというのは、幸いなのでございます。
アメリカ国内を美術品として“さまよう”日の丸、また、日本国内で遺族の見つからぬまま“さまよう”日の丸、こういった貴重な戦争の資料を、管理し保管するような施設は、日本にはございません。いやむしろ、小さな記念館は日本中に散在いたしますが、戦争の記録を総合的に陳列するような博物館は日本にはございません。以前韓国へ旅行に行ったとき、ソウル市内にある立派な戦争博物館を訪れて、感動した覚えがございます。そして、日本にもそういった戦争博物館を作れないものかと、以前、自分のブログで申し上げたことがございます。
ところが何でしょうねぇ、日本では「戦争」を深く掘り下げることには、どこか“アンタッチャブル”な空気がございます。戦争どころか「日の丸」「君が代」といったものもきちんと“決着”を付けられず、相変わらず論争の種になっております。オリンピックなどの国際試合で堂々と日の丸も君が代も使っておいて、学校の始業式ではそれを使うかどうかで揉めたりする。その「チグハグさ」を、小さい子供たちが見てどう思うでしょうかねぇ。
もちろん、議論することは必要だと思いますよ。ただ、大人の議論を子供の教育の場に持ち込むのは、それこそ「場違い」だと思うのでございます。大人の理屈をとりあえず“飲み込んで”、子供たちにどういう“姿勢”を見せるか。「日の丸」や「君が代」が持つ社会的問題は、子供たちが理解できる年齢まで待ってから伝えるというような「余裕」は、教育の現場にはないような気がいたしますねぇ。
日本人自らが決着を付けられていない「日の丸」を、多くのアメリカ人が大切に保存してくれていたというのは、なんだが恥ずかしい思いがしたのでございます。そして、その日の丸が廃棄されるのを心配して美術品として出品するアメリカ人、遺族に返してくれと日本に送ってくるアメリカ人、そのようなアメリカの心に対して、日本人は本当に国家や国旗を大切に扱っているでしょうか。そんなことを考えさせられる番組でございました。
ちょいとご報告を。以前、11/25分のこの欄で、ワタクシの新しいブログを紹介いたしましたが、そのブログのトップページのデザインを変更いたしました。テンプレートに画像をはめ込んだだけなので、まだちょっと使いにくい部分はございますが、これ以上の事をやろうとすると「CSS」っちゅうのを勉強しなきゃいけないようで、とりあえずこの形で使っていこうと思うのでございます。
ただ今、ワタクシの過去配信分のメールマガジンを、順次ブログの方に書き写す作業をしております。それが終了いたしましたら、この「ひとりごと」欄の書き込みでブログに掲載可能なものを、ブログに写すつもりでございます。まぁ、ボチボチ、覗いてみてくださいませ。
移動作業をやりながら、過去の自分の文章を読んだりしておりますが、赤面するような恥ずかしい文章やら、改めて納得させられるような(自分の文章に自分が納得してどうする!)文章があったりで、面白いのでございます。10年ぐらい前の自分の文章を読むと、その頃の方がなんだか文章がハジけておりましたね。多少、“飛んじゃってる感”があって、楽しいのでございます。どうも最近の文章は理屈っぽくなりすぎているかなぁと思いながら、移行作業をやっております。
そうそう、当店の名前は「She-mail」という綴りを使っておりますが、ワタクシのブログおよびメールマガジンでは、「She-Mail」という綴りを使っております。「mail」の綴りの大文字と小文字で区別しております。「she-mail」という単語が気に入っておりまして、いろんなところへ使い回しているうちに、ややこしいことになっちゃっております。どうも、スイマセン。
本日は久しぶりにお休みをいただきまして、映画などを見てまいりました。『カールじいさんの空飛ぶ家』『2012』の二本でございます。いつもながら、映画の内容は書きませんので、まだ見ていない人も安心してお読みください。
「カールじいさん〜」は、最近増えてきた3D(立体)映画でございます。客席の入り口で専用めがねを渡されまして、それをかけて映画を見ると、立体に見えるのでございます。このめがね、液晶シャッター式のようで、めがねを使って画面を見ると少し暗くなってしまう。それでなくても、ワタクシの目は夜盲症の傾向がございまして、映画の薄暗いシーンは非常に苦手。結局、画面の明るさに応じて、専用めがねをはめたり、はずしたり、はめたり、はずしたり、はめたり、と忙しかったのでございます。
立体の度合いはそれほど強くなく、ほぼ自然に見える感じ。小さな子供が怖がったり、気分が悪くなる人が出ないようにとの配慮でしょうか。多分、テーマパークなどのアトラクションの立体映像の方が、もっとド派手な設定にされているはずでございます。ああいったものは視聴時間が短いですからね。そういえば、最近はデジタル処理だからこういった立体映画も簡単なんでしょうが、ワタクシが子供の頃、東映まんが祭りとかの「赤青セロハンめがね」で観た立体映画は、大変だったんでしょうねぇ。仮面の忍者赤影の適役の金棒がワタクシの頭の上をかすめ、オシッコをちびりそうなくらいに怖かった覚えがございます。
さて、前作の『ウォーリー』の出来があまりにも良かっただけに、この『カールじいさん〜』にも期待されるところでございますが、う〜ん、非常によく出来てはいるものの、残念ながら『ウォーリー』を超えてはいないかも。『カールじいさん〜』は、映画のいちばん感動的な部分を予告編としてバンバン流しちゃっていたのがいけないと思いますよ。ただディズニーの映画には、「絶対に不愉快にならない」という安心感があるのでございます。これは、ディズニーの映画ポリシーが作り上げた良き伝統でございますよね。
では、『2012』のお話でもしましょうか。こういうのは「一種のパニック映画」と扱えばいいのでございましょうか。人類滅亡型のパニック映画というのは、昔からいろいろあるのでございます。その他、風災害型パニック映画、人災型パニック映画も含めれば、映画というのはパニック映画の宝庫なのでございます。昔のパニック映画というのは、特撮にそれほどの時間を割けませんので、必然的に「人間模様」のゴタゴタが話のメインになっていくわけでございますよね。
ところが、この『2012』のように、驚異的なCG画像がてんこ盛りになっちゃいますと、ストーリーの人間模様が“どうでもよく”なってくるのでございます。映画館だから駄目だけど、もし自分の部屋でDVDを観ているのだったら、多分、CG以外のシーンを全部早送りで進めていたかも。と書いて、ふと思ったのでございます。この「どうでもいいシーンを早送りで送る」って、これって、「エロ映画」を見るときのノウハウではございませんか。結論! パニック映画のCG技術が進めば進むほど、映画はエロに帰結する!
アニメでもそうですが、CGで作製されたシーンというのは、情報量が多すぎるのでございますよね。観ている方がその情報量に追いつかなくて、何が起きているかを十分に読み取る前にシーンが進んで行ってしまう。そういった点では、CGに制約の多かった昔の方が、「適度なディテールの省略」があって、見やすかったような気がいたします。すると、今後はCGの乱用が見直される流れになるのでしょうか? 実際、ちょっと前にかけられていた『剣岳 点の記』という映画はCGを全く使っておらず、それゆえの安心感や臨場感、現実味が感じられたのでございます。当店が「完全年中無休」をうたっているように、「完全CG無使用」というのも、CG技術が発達した今だからこそ、映画のうたい文句のひとつとして有効になり得ると思っております。
おひさでございます。ちょっとバタバタと無理をしているうちに、風邪などを引いておりました。常日頃、従業員に体調管理を厳しく言っているワタクシが風邪を引いたとあっては、まったく面目ないのでございます。今回は、この数日間のワタクシと風邪のウイルスとの戦いを、レポートするのでございます。では、はじまり、はじまり〜〜。
水曜日の営業終了後に雑誌広告の原稿を作製。そのため、ほとんど徹夜状態。深夜にちょっとブルッと寒気。今思えば、その「ブルッ」から、この数日間の戦いの前哨戦が始まっていた模様。昼を過ぎた頃から、ブルブルブルブルと寒くてしょうがない。熱を測ると37度を超えている。咳なども出てくるので、慌ててマスクをはめる。スッピンにヒキツメ髪にマスク。怪しさ全開。夜も更けてくると、熱はウナギ登り。38.5度ぐらいまで上がる。普段なら、お店を店長に任せてさっさと引きこもるのだが、あいにく今日は木曜日、店長がお休み。こういったところにも、運の巡り合わせの悪さがあったような気が。
一日中、ほとんど気絶状態で、あまり記憶がない。たまに起きて、水を一口飲む。そして寝る。また起きて、トイレへ。そして寝る。水、寝る、トイレ、寝る...延々とこの繰り返し。そして気がつくと日付が変わっている。店長が営業終了の報告を電話してくる。「ご苦労さま、助かります」と返事。そしてまた寝る。この日は2リットルぐらいの水を飲み、たぶん2リットルぐらいのオシッコを出している。熱は37度と38度を行ったり来たり。咳が激しく出るが、ここまで服薬、何もせず。ただひたすら、風邪のウイルスをパックマンが食べ尽くす姿をイメージし続ける。夜半から、下痢が始まる。上と下とで勢いよくウイルスが排出されるのをイメージし、順調を確信。
早朝、ウトウトしていたら、長谷川あゆから電話。「雪が積もっていて、お店に出勤できない」と、パニック状態。まだ時間は十分にある。穏やかに「アワテナクテモイイ」と答えて電話を切る。熱を測ると37度前半。なぜか頭痛がひどい。ここへ来て初めて服薬。頭痛薬を飲む。フラフラと窓際へ。雪景色。毛布にくるまりながら眺めていると、徐々に頭痛が楽に。今日は土曜日。病院へ行くのなら午前中。無理をして病院へ行くか風呂に入るかを迷い、結局、バスタブに熱いお湯を張ることに。ゆっくりと朝風呂。風呂上がり、体が冷えないうちにコンビニへ兵糧の確保に。病気の際の定番「アオハタの白がゆ」をゲット! 風邪に効きそうな「豚汁生姜汁」なるものもゲット! その他、冷蔵庫の中のあまりもの、りんご、ラッキョ、梅干しなど、いっぺんに食す。非常に不思議なゲップが出る。時計を見ると11時半。動いたせいか、熱が38度までぶり返してしまった。布団へ直行。二度寝に入る。そして、目が覚めて夕方。体が楽になっている。熱は36度まで下がり、ウイルスを根絶したと(勝手に)断定。ここから限度額いっぱいで服薬開始。頭痛薬、咳止めを飲みまくる。明日の日曜日には復帰の予定で行動する。
当店が契約しているニューハーフ専門サイト(ホームページ)で、『ニューハーフ・ファン』というものがございます。そのニューハーフ・ファンを運営している会社が、新たに『シーメール・スタイル』というサイトを開設いたしました。本日は、その『シーメール・スタイル』の紹介なのでございます。
ちょっと、来年発売されるDVDのご案内を。「TRANS CLUB」というレーベルから、『本当にあった射精するニューハーフキャバクラへようこそ』というDVDが、2010年の1/25に発売されます。当店の「菊川愛香」と東京店の「宮里裕香」が共演しております。よろしければ、ご覧下さいませ。
やっと、本日、年賀状を出しました。「年賀状は25日までに出して!」とCMなどでやってましたから、2日遅れの投函でございます。郵便配達の人、申し訳ございません。いや、ほんと、無事に届けていただければ、元旦じゃなくてもいいですから。その年賀状の絵柄は、元旦の日のこの欄でご紹介しますね。
本日は、テレビで見た映画の話をふたつほど。ひとつは『武士の一分』。先日放送されたものを、何気に見ておりました。実は、この映画は映画館にかかったとき、まったく興味を持たなかったのでございます。というのも、主役が「木村拓哉」ということ。ワタクシ、この映画を観るまでは、木村拓哉の演技力を全く認めておりませんでした。何のドラマに出演しても、いつもそこには劇中の人物ではなく「木村拓哉」がいるだけ。というか、木村拓哉のキャラクターに合わせて、脚本が書かれていると言うべきか。結果、何を演じても同じようなキャラクターになる。そんなネームバリューだけを使用するようなドラマ起用に、ウンザリしておりました。
ところが、この映画の山田洋次監督、見事に木村拓哉を使い切っている感がございます。木村拓哉本人も、この映画はキツかったでしょうね。監督がまったく妥協していないのがよく分かるのでございます。でもその結果、この映画での木村拓哉は、実にいい演技をしております。そして、こういった役者を甘やかさない監督に触れたとき、役者は大きく成長するキッカケを見つけたりいたします。逆に、ネームバリューだけ借りて役者を甘やかすような「よくあるドラマ」は、役者の成長の芽を潰しかねません。木村拓哉さん、この映画でいい経験をしましたよね。そして、この映画を映画館に観に行かなかったことを、非常に後悔しております。
さて、次は、昨晩の深夜に放送されていた『夕凪の街 桜の国』という映画でございます。これは、2009/8/6のこの欄でワタクシが紹介した漫画を、映画化したものでございます。この作品は、原爆、そしてその被爆の後遺症で苦しむ人たちが主人公。ほのぼのとしたストーリーの中に、実に巧みに被爆者の苦しみを盛り込んだ、考えさせられる作品になっております。この作品の主人公の、ある印象深い言葉をご紹介いたします。
分かっているのは「死ねばいい」と誰かに思われたこと
「死ねばいい」と思っただけでは、人は死なない。「死ねばいい」と思い、それを実行に移す人がいると、ナイフを振り回す人がいたり、女性の首を絞めてしまう人がいたり、あるいは、ビルに旅客機が飛び込んだり、ユダヤ人が虐殺されたり、原爆が落とされたりする...そしてこの漫画は、主人公が死ぬ場面で、さらにこのようにも書いております。
原爆を落とした人は私を見て、 「やった! また一人殺せた」 と、ちゃんと思うてくれとる?
ただ「死ねばいい」と思われ、理由も分からずに殺されていく無念さ、そんな思いがこの言葉には込められております。そして、戦争という殺戮(さつりく)のシステムが、「死ねばいい」という言葉の重さをどんどん希薄にしていく。例えば、我々が原爆の被害者に対する思いを深くするのであれば、私たちは同時に、真珠湾で死んでいったアメリカ兵にも思いを寄せることが必要でございます。なぜなら、そのとき我々日本人もアメリカ兵のことを「死ねばいい」と思っただろうから。そう、お互いに相手を「死ねばいい」と思ったとき、戦争が始まる。けれど、「死ねばいい」と思った人と、それを実行する人は別の人。それが戦争の殺戮システム。だから、死んでいった人たちには、無念さばかりが残る。
当店は大晦日も平常営業しております。それで、毎年、何人かのお客様が、お店で新年を迎えたりするものでございます。ただ本日は夕方から雪が降り始め、夜になるとパタッと客足が止まりましたので、「今年の大晦日は、年越しのお客様はいらっしゃらないかな」と思っておりましたら、営業終了直前にパタパタとお客様に来ていただきました。雪の中、ご来店、ありがとうございました。