店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
本日はCity Heavenの広告原稿の入稿日になっておりまして、昨日の営業終了から深夜にかけて、広告データを作製しておりました。本日入校したデータが、今月末発売のCity Heavenに掲載されるわけでございます。印刷媒体の広告が、かなり早くから準備されるのを驚かれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。以前は、ニューハーフ専門誌が3誌もあった時期もございました。その時期も、自分の店の広告はほぼ全部、ワタクシが作っておりました。
ワタクシは、自分の店の広告を自分で作るというこだわりを持っております。広告代理店にも優秀なデザイナーがいらっしゃるでしょうが、ただ、ニューハーフを売り込む“ツボ”ってのは、ニューハーフしか分からないような気がするのですよね。あと、ニューハーフ未経験のお客様がニューハーフに対してどんな疑問や心配を抱いていらっしゃるか? そういうことも広告でご案内したいのですが、やはり、他人様に頼んだ広告ですと、今ひとつダイレクトに伝わらないような気がするのでございます。というような理由で、当店の広告はワタクシの「作品」でございます。今月末に掲載される当店の広告を、この欄の読者のみなさまに、一足先に特別にお見せすることにいたしましょう(以下のリンク先を参照して下さい)。
なんか、いろんな事件が起きていて、ビックリするのでございます。前原外相、もう少し粘るかなと思ったら、あっけなく退いてしまいましたね。ワタクシは、「さっさとドロ舟から下りたくて、前原外相が自分でリークした」なんて邪推したのでございますが、ジャーナリストの勝谷誠彦さんなんかは、「自分の後釜を潰して保身するために、菅総理がチクった」なんてスゴイことを言っておりました。何だか怪しいのは、“まず辞任有りき”でストーリーが進んでいるように見えること。「けしからん→辞任させろ」ではなく「ここは辞任だな→どんなストーリーにしようか?」みたいな流れに見えるということ。
もうひとつ変な事件。入学試験でのカンニングで警察に通報しますか。あの受験生、逮捕された時にはニュースも知らず、ポカ〜ンとしていたそうですが、ほんと、自殺させなくてよかったのでございます。あれも、“まず逮捕有りき”で事が進んでますよね。「こりゃ犯罪だよね→警察呼ぶしかないか」ではなく、「悔しぃ!訴えてやる→罪名は偽計業務妨害にでもしとくか」みたいな感じ。滞りなく完了している試験の、どこに“妨害”があるのか? カンニングが妨害ならば、他の旧式なカンニング(カンニングペーパーとか)も、みんな妨害になっちゃうでしょ。
ふたつの事件で共通しているのは、“まず結果ありき”で事が進み、理由が後付けだっていうこと。その後付け理由も、今ひとつ釈然としない。政治家なんて、叩けばみんな何らかのホコリが出るはず。受験生のカンニングだって、あの青年はネットで質問するなんてマヌケなことをやったからバレたけど、多分、氷山の一角。そう、つまり、本人にしてみれば「他にもやっているだろ」って言いたくなるようなことで追及されたのでございます。
老子の言葉に、「大道廃れて仁義あり」という言葉がございます。「世の中が正しい行いをしている時には、“人情”によって人間関係がほどよく調整されている。ところが、その正しい行いが廃れると、世の中に嘘偽が多くなり、ことさら“仁義”という道徳観が強調され、押しつけられるようになる」という意味でございます。この場合の「仁義」は、上下間のルールというような意味になりましょうか。
大変な災害が起きてしまいました。ここ数日、この災害に対してどのようなコメントを書こうか、ずっと考えておりました。地震直後の速報で犠牲者が100人未満のころには、「さすが日本の耐震構造!」と誇らしくも思い、(被害者の方には申し訳ないのですが)「この規模の地震で100人前後の犠牲者なら、日本の災害対策は世界中に誇れる」といった驕(おご)りもございました。
ところが、地震後30分ほど経ちまして、津波が東北地方各地を襲い始めると、事態は一変し、犠牲者の数字はどんどん上がってまいりました。でも、この時点でも、「日本の災害意識は世界一。2000人ぐらいで収まるだろう」と楽観的に思っておりました。地震+津波で犠牲者が2000人なら、世界的に見て奇跡的な数字でございます。ワタクシ、まだまだ、日本の備えを自負するあまり、事態を正確に把握しておりませんでした。
原子力発電所がすごいことになっております。決して不安を煽るわけではございませんが、最初はかなり大変だったみたいですね。電源が落ち、中央制御室が使えなくなった時点で、「計器が読めない」「遠隔操作ができない」という日航123便(御巣鷹山のあの旅客機です)に近い状態だったようでございます。「気がついたら水が無くなっていた」とか「放射能が強くてバルブ操作が出来ない」なんて発表から、そんな事がうかがえるのでございます。そのような状態で、現場の方々は非常に良くやってくれていると思います。ご苦労さまでございます。
この「制御室が落ちている」という情報、初期段階でマスコミに報道されてはいないような気がします。というか、今現在でも、明示的な報道は無いはずです。この不安を煽りかねない事実は、報道するのが怖かったでしょうねぇ。初期段階での関係者の奥歯に物が挟まったような物言いも、これが原因だったのでしょうか。しかし、もう少し勇気を持ってこの事実を公表していたら、事態は大きく変わっていたかも知れないのでございます。
今回の原発事故は、原子炉を停止した後の「余熱」との戦いだったようでございます。誰もが原子炉の炉心に注目する中で、伏兵が潜んでおりました。使用済みの燃料がそのわずかな余熱を蓄積していって、発火あるいは爆発という事態に陥ったようでございます。本来、使用済みの燃料なんてのは制御室のコンピュータが勝手に管理して、異常があればアラームで知らせてくれていたものでございましょう。今回の事故に対処した専門関係者は、炉心に注目するあまり、普段あまり注視していなかったものに対する気配りが、盲点になってしまったと思われるのでございます。“現場を知りすぎていたゆえの盲点”と言えるかも知れません。
ここで、もし制御室が落ちているという事実が最初に報道されていたら、もっと一般の人の知恵を借りられたと思うのですが、どうも身内だけでなんとか解決しようとして、決断を甘くし、必要な手配が遅れ、廃炉にする判断を躊躇させたのではないでしょうか。このような緊急事態には、さっさと利害関係のない外部の人間を呼び、より客観的な判断を求めた方がいいという教訓でしょうか。とりあえず、電源回復にめどが付いたようなので、峠は越えたような気がいたしますが、予断は出来ませんよね。
昨日は、知に働いて欲しいと申しました。ちょうど本日、あの池上彰氏がこの震災を解説する特別番組をやっておりました。この池上氏、「人を安心させる話し方」というものに長けておりますよね。言葉を選びながら、必要な情報だけにポイントを置き、感情を交えず淡々と解説しておりました。ともすれば、専門家の方の説明は、なまじっか豊富な知識を持ち合わせているために、説明口調になりがちでございます。話す目的が「説明すること」になってしまうのでございます。ところが池上氏にはどこか“表現者”の素質がございまして、「話すことによって相手がどんな気持ちになるか」ということまで考えて、話を進めている。話をする目的を説明することだけにとどまらせず、「相手の気持ちを動かす」ということにまで、意識がや注意が及んでいる。ここに、池上彰氏の人気の秘密があるのでございましょう。
さて今日は、「情」に関してのお話しをいたします。情報の“情”ではなく「なさけ」の“情”でございます。“不謹慎”という風潮の元、いくつかの映画がその内容を考慮して上映延期になっております。また、中止になったイベントもかなりございます。被災者を考慮しての自粛なのですが、ワタクシに言わせれば、何ともナンセンス! 逆効果なのでございます。「災害時に享楽的な行事は不謹慎」という批判や風潮は、まず捨てましょう。今の日本は片肺状態。片方の肺だけで、全身に送る酸素を取り込まなければならないのでございます。もし残された西側が、「東側が苦しんでいるから自粛しようね」なんて考えて景気後退させたら、日本は窒息死してしまうのでございます。
もし不謹慎だと思われかねない内容のイベントや映画なら、“収益の一部を義援金にする”ということで開催すればいい。商品もドンドン購入いたしましょう。特に、義援金を救助物資を送っている企業の商品は、進んで買いましょう。そうやって、間接的に被災者を応援することも出来るのでございます。とにかく、残った西側が日本の経済を盛り上げていかなければならない。ですから、不謹慎という感情は景気後退させるだけで、これからの日本には何らプラスにはならないのでございます。この有るべき経済の流れを、政府はきちんと誘導するべきでございます。企業やイベントは、「不謹慎」という大衆感情の暴力を恐れて、つい自粛ムードに入ってしまいます。しかし、政府の鶴のひと声があれば、その呪縛から逃れ、大手を振って経済活動を進めることが出来るのでございます。
原発問題が、なかなか収束いたしませんね。電源がかなり復旧してきましたので、かなりメドが付いてきていると思うのですが、周囲で検知される放射能がちょっと高めなのが気になるのでございます。この放射能被害さえなければ、「日本は世界中から同情され、今後、日本の農産物や家電製品がバカ売れし経済復活」なんてことも考えたのですが、今や逆に、日本から輸出された製品が輸出先で荷下ろしできず、泣く泣く国内に戻すなんて事件も起きているようでございます。
どうしてこのような事態になってしまったかは後々からの検証を待つことにして、今日は放射能に関するお話しを。というのも、会見などの説明が分かりにくく、不必要に不安を煽っているような気がするのでございます。よく、「直ちに人体に影響が出る数値ではない」なんて言ってますが、その曖昧な言い方が良くないのでございます。ここは、ハッキリと数量的な表現をした方が過剰反応を防げると思うのですが、放射能(放射線)の単位の表し方が、ちょっとややこしいのでございますよね。で、ワタクシなりに、分かりやすく説明してみるのでございます。
まず、「マイクロ」と「ミリ」のふたつの単位があって、これが分かりにくくしている。ですから、ここでは「マイクロ」に統一するのでございます。また、被曝量を表す時の数字の分母が、「1年」だったり「1時間」だったりして、これまた比較を難しくしている。そこで、ワタクシはこの放射能(放射線)を、お店などのポイントカードに例えるのでございます。
ここにポイントカードが1枚有ると思ってくんなまし。そのカードに溜まるポイントを、受けた放射能に例えるのでございます。このカードに10万ポイント溜まると、チョット健康に影響が出てくる。数百万ポイントから一千万ポイントが溜まってしまうと、生存が危ういほどのダメージを受ける、まず、この大前提を覚えておいて下さいませ。
それで、自然界には自然に存在する放射能というのがございまして、この自然放射能をポイントに換算すると、一日分が約6.6ポイント。このカードは、何もしなくても毎日6.6ポイント増えていくわけでございますね。すると、40歳を超えたあたりで、10万ポイント達成。ちょうど体にガタが出てくる年齢でございますね。この10万という数字、一度に浴びると何らかの影響が出る数字ですが、ところが人間の細胞には修復・再生する能力がございまして、ゆっくり浴びる分には、この修復機能がかなり有効に働くのでございます。もっともこの自然放射能、100歳まで生きたとしても24万ポイント。大きなダメージを得る数字には、まだまだ余裕があるのでございます。
さて、会見などでよく引き合いに出される「東京・ニューヨーク間の航空機往復」でございますが、これが200ポイント。1回往復すると、カードに200ポイント加算されるわけでございますね。また、胸部CTスキャンが1回6900ポイント。これはかなり大きいが、複数回行わなければ十分に余裕のある数字でございます。
さてさて、ほうれん草などでは「ベクレル」なんて単位が出ております。このもうひとつの単位が出てくるために、放射能が分かりにくくなっております。このベクレルは、電球のワット数に例えるのでございます。そこで、まず大きな大前提。人間はみんな、その体重に応じて、6000〜7000ワット(ベクレル)の輝きで光り続けているものだと思って下さいませ。恋人と抱き合っているときは、お互いに6000ワットの電球(放射性物質)を抱いているのと同じなのでございます。この電球も、その光を浴びるとポイントが加算されていくのでございますが、電球というのは離れてしまうと暗くなりますよね。つまり、電球に近づくとたくさん加算され、離れれば加算されなくなるのでございます。
水道水から見つかった数字が300ベクレル(/1kg)ほど。これは、人間本来の輝きからすればそれほど影響は少ない。ほうれん草から検出された数字が54000ベクレル(/1kg)。このほうれん草を食べた場合のポイントを簡易的に計算した人がいらっしゃいます。その人の数字を信用すれば、ほうれん草1株分が24ポイント。やや大きいけれど、航空機に乗ったと思えば、まだ許容できる数字。こう考えると、はっきり数字で表すと、その危険性が分かりやすいのでございます。
プロ野球のナイターをどうするか、もめてますねぇ。どうもみなさん、感情論で議論していてはいけないのでございます。ここは理路整然と、ワタクシがどっちが得か、計算してみたのでございます。概算ですので正確ではないかもしれませんが、まぁ読んでみて下さいませ。
かなり電気使用量の多い東京ドームで計算してみましょう。東京ドームでナイターを開催すると、5万〜6万キロワットの電力を消費するそうでございます。で、この東京ドームが満員御礼になると5万5千人の入場者数になるそうでございます。そこで、ふと考えた。この5万5千人は、ドームに来ている間、自宅の電気を使っていないわけですよね。それで、その入場者数がどれくらいの電気を節約しているかを計算してみるのでございます。
まず、何世帯あるかを考えてみるのでございます。3〜4人連れのファミリーもあれば、それぞれ別世帯のカップルもいらっしゃるかも。大まかに3万世帯と見積もってみましょうか。で、一般家庭の電気使用量が、1日あたり10キロワットとのこと。ナイターに出かけて戻ってくるまでを3時間として、その間にお家のブレーカーを落として全く電気を使わないとすると、3時間分の節約分が1.25キロワット。3万世帯分だと、3万7千500キロワット。
本日も震災に関するテーマでございます。北関東の農家の方々が、大変な苦労をしていらっしゃいます。出荷制限や摂取制限の対象外の野菜まで、門前払いの返品をされているとのこと。あえて辛辣なことを言わせていただければ、やれ義援金だ、やれ被災者救済だと、手触りのいい人助けが声高に叫ばれている影で、無関係な農家を窮地に追いやる冷酷な利己心がまかり通っている。被災者には思いやりを持てるのに、どうして北関東の農家には思いやりで接することは出来ないのでしょう。タイガーマスク現象のときもそうですが、「リスクを負わずに、カッコイイことをしたい」という自己中な愛情を見たようで、ちょっと嫌な思いでございました。せめて、安く買い叩くぐらいなら、何とか納得も出来るのですけどね。
さて、最近の新聞が、やや薄くなっているのを気づかれているでしょうか? 新聞紙面から、大口の広告が姿を消しているように感じられます。その影響で、ページ数が減っているのでございましょう。また、テレビでは、連日「AC JAPAN」(公共広告機構)のCMが流されております。ワタクシはこのような現象にも、「間違った愛情による暴力」を感じるのでございます。この暴力とは、「不謹慎」という語の暴力でございます。
企業がこの時期に大きな出費を出すというのは、非常に苦しいはずでございます。余裕が無く、かなり無理をして義援金などを出している企業があるかも知れません。企業がどうしてそこまでやるか? それは、企業が自社の社会的な責任を考えるということもあるでしょうが、「不謹慎」というクレームの暴力を恐れている面もあるはずでございます。つまり、企業側の都合に関わらず、“出さざるを得ない流れ”の中で義援金などを出している企業も有る様に思えるのでございます。
では、その企業は大っぴらに「これだけ義援金を出しました」と公言できるかというと、そんなことをすれば、今度は「売名行為だ」とのそしりを受ける。しかも、節電だ、節約だと叫ばれて、世の中は自粛ムードになりつつある。まったく、どこに企業の立つ瀬があるでしょうか? こんな悪循環を放置しておくと、そのうち「義援金倒れ倒産」なんて企業も出てくる恐れもございます。これは、「不謹慎だ!」「売名行為だ!」という、間違った愛情による暴力がはびこっているからでございます。
本日は、まず訂正から。先日、新聞各紙のページ数が少なくなった原因を「大手広告が載っていないから」と申しました。そういった原因も当然あるのでしょうが、どうやら、福島に「大王製紙」という製紙会社がございまして、そこが大打撃を受けたようでございます。その結果、新聞や雑誌などは急きょ代替品を調達することになりまして、ある期間、新聞が薄くなったようでございます。
さて、モータースポーツの最高峰、今シーズンのF1グランプリが始まりました。全てのF1マシンが、数億円とも言われるその広告スペースに日本を応援するステッカーを貼り、ヘルメットに応援メッセージをプリントしているドライバーも何人かおりました。いやぁ、以前からF1の組織は、日本人ドライバーや日本製エンジンに風当たりが強かったのですが、このような応援、嬉しいのでございます。けれど勝負は勝負、日本人ドライバーの小林可夢偉は8位という素晴らしい順位で終えるも、車両規定違反ということで失格となってしまったようでございます。
このように、日本を応援するメッセージは世界中から届いておりますが、その反面、なかなか収束しない原発の放射能には、各国が非常に敏感に反応しております。もっとも、日本国内にも風評被害のような過剰反応がないわけではないのですが、慌てて国外へ退去した多くの外国人の対応を見ておりますと、黙々とペットボトルを買いだめする日本人が、実に冷静に見えてまいります。
そういった日本人の行動を見ておりますと、日本人には放射能に対する「精神的な免疫」が、もともとある程度備わっているのではないかと思うのでございます。と書くと、誤解を受けそうですが、日本が体験したヒロシマ・ナガサキという事実ゆえに、日本人は小さなころから原爆・放射能といったものの話題が身近にあるような気がいたします。小説や舞台・漫画などにも多く取り上げられ、放射能というものがかなり正確に描かれていると思うのでございます。また、何十年も草木が生えないだろうと言われていた広島や長崎を見事に復興させたという経緯もございます。原爆投下から今日までの半世紀以上の年月、まるでキリストの十字架のごとく、日本は放射能・被曝といった問題を背中に背負ってきたのでございます。その長い日々が、日本人に冷静な目を持たせたのではないでしょうか。
一方、ハリウッド映画の原爆表現というと、ピカッと光って衝撃波が走り、全ての物質が蒸発してしまう、そんなステレオタイプの表現ばかりでございます。あるいは、インディージョーンズが冷蔵庫の中に隠れて核実験の熱を逃れたり、核シェルターで爆風さえ避ければ全て解決とか、あまり納得できない表現もございます。確かに、アメリカはスリーマイル島の事故を経験しておりますが、あの事故は放射性物質の漏洩はほとんど無く、一般住民への被害は皆無でございました。実感の持てる被曝経験が無いゆえに、放射能に対するイメージがより映画的に誇張されてしまうのかも知れません。
では、ヨーロッパはどうでしょうか? ヨーロッパ諸国はチェルノブイリの事故を実体験として生々しく記憶しております。それゆえに、放射能に関してはどこよりも研究され対策がなされているはずでございます。フランスなどは、原発に関しては大先進国でございます。ただ、唯一の被曝事故がそのチェルノブイリであったために、想定のMax値がかなり高めに設定されているようでございます。そういう意味では、欧米諸国も原発事故をステレオタイプでとらえているかも知れません。チェルノブイリは、その特殊な原子炉の構造などもあり、かなり希なケースで、福島の事故と同等には扱えないのでございますが、チェルノブイリのトラウマもあるでしょうし、過敏に反応するフランス人などを責められないのでございます。
欧米諸国は、「まず引く。そして安全を確かめながら近づく」という感覚のようでございます。アメリカの80km(50マイル)内の一斉退去も、原発事故では規模にかかわらず、アメリカ国内ではそのように決められているそうでございます。それに対し日本政府の対処は「まず最小限の範囲を設定し、必要であれば徐々に広げていく」という形を取っております。このやり方にはいろいろ意見が言われておりますし、諸外国との距離の違いから政府に対する不信感などもささやかれております。にも関わらず、日本人は政府の決定を粛々と受け止め、我慢強く冷静に行動しております。そんな日本人を見て、欧米諸国は「クール」を通り越して「クレイジー」なんて思っているかもしれません。しかし、ワタクシといたしましては、日本の政府は過敏になりすぎず、適切な範囲を避難地域と指定しているように感じられます。ただ、家畜やペットを残してきている人も多く、エサをやりに帰るぐらいは、認めて欲しいとは思ったのでございます。