店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
パクチー味のポテトチップスのお話をいたしましたら、読者の方からさっそく情報を頂きました。ありがとうございます。ワタクシが探している物とは違うかもしれないけど、Amazonで見かけたとのこと。さっそく、Amazonにアクセス!でございます。
見つけました、カルビー期間限定パクチー味ポテトチップス。いやぁ、Amazonが食品まで扱っていたとは、盲点でございました。さらに驚いたことに、プレミアが付いてる? 70gの通常サイズのものが、3袋で1,980円! ひとつ分が660円!! な、なんというプレミア価格!
Amazonが直接販売している商品では無いようですので、販売業者の「言い値」となるのは仕方がないこと。いや、しかし、この価格で堂々と出すということは、他に引き合いが来ているということか?! 右下がりの需要曲線が、思いっきり右にシフトしている状態でございます。
しかも、何でも即日配達するご時世に、お届け予定日は1週間後の土曜日。品薄なの? 引く手あまた? これは、右上がりの供給曲線が左にシフトしている状態。通常サイズのポテチが660円とは異常な高騰でございますが、まぁ、話のネタに、注文してみたのでございます。
普通の価格でございましたら、まぁ、見つけたときに買っとけとばかりにまとめ買いでもするのですが、この価格では、1単位3袋を購入するのが精一杯。これを購入した後に、コンビニで並んでいるのを見つけそうな予感もいたしますし、とりあえず、手探り状態でございます。
こういったものは、最初に食べたときに、すぐさまコンビニへ後追い購入に走れば良かったですよねぇ。しばらくコンビニに並んでいる物だと思っていましたからね。もっとも、ポテトチップスにこれだけ入れ込むというのも、ちょっと可笑しなお話。このプレミアポテチが届いたら、ちょっとクールダウンいたしましょう。
本日は、世にも珍しい「春が来た特典」を実施いたしました。まったくの、思い付きでございます。この特典、1年に1回しか使えませんからねぇ。使い回しがいのない特典でございます。折を見て、「夏が来た」「秋が~」「冬~」特典を実施するかどうかは、その時の気分次第ということで(笑)
では、歴代の思い付き特典を、ご紹介いたしましょう。最初は、すでにお馴染み、「1日特典!」。全てはここから始まったのでございます。「これを見た人だけ得をする」という、なんともな謳い文句。在籍人数の少ない時期に、選択肢の少なさを少しでもカバーしようとして、始めたのでございます。
お次は「台風割引」。台風が来てどうしようもない暴風雨の日に思いついた特典でございます。こんな悪天候の中、お店まで足を運んで頂くお客さまに申し訳ないなと思い、作ったのですよね。なんか、実際には、午後から台風一過の良い天気になっちゃって、ズルッって感じだったように記憶しております。
同じく天気がらみで出した特典が、「大雪特典」。これも、大雪が降った日に、台風と同様の理由でお出しいたしました。しかし、当店には、「大雪の日は忙しい」というジンクスがございます。大雪だから空いているだろうと皆さん思われるのか、あるいはニューハーフを想起させる何かしらの魔力が大雪に備わっているのか? 不思議でございます。
若い頃、演劇に携わっておりまして、ある台本と出会いました。『秋の歌』というもの。作者は「岸田國士」さんだったような気がするのですが、ちょいと自信がない。舞台は、とある劇団の稽古風景。稽古をしておりますと、なぜかそこへ1人の刑事が入ってくるというストーリーでございます。
時代設定は、昭和初期。劇中劇と現実が平行して進行して行くという面白い脚本なのでございますが、若さゆえと言うのでしょうか、その筋書きの中で、どうも理解不能な部分が出てきたのでございます。なぜ、唐突に、刑事が劇団の練習場所に入ってくるのか?、ということでございます。
それで、行き着いたのが「治安維持法」という法律。今でこそ、劇団がどんな過激な演目の練習をしていようが、刑事が勝手に練習場所に入ってきたりはいたしません。仮に犯罪が絡んでいたとしても、裁判所の出す礼状が必要でございます。しかし、その治安維持法の時代は、そうではなかった。『秋の歌』という脚本は、そういう時代のそういう空気を著(あらわ)していたのでございます。
さて、その思想・表現の自由の時代になってから、早70年あまり。もはや、刑事が劇団の練習風景をうかがったりはいたしません。その代わり、GPSを容疑者の車に偲ばせたりするが、これは裁判所から違法だと却下されたりしております。
あるいは、闇サイト殺人なんてことも起きております。闇サイトで知り合った見ず知らずの人達が集まって、犯罪に走ってしまう。凶悪犯罪でなくても、電話詐欺やひったくりなどでも、この闇サイトで共謀者を集ったりなんてこともある。
世界各地では、テロが起きている。本日も、ロシアの地下鉄で爆発事件がございました。テロ組織も、今やネットで同志を募る時代。もはや「共謀」の意味するものは、かつての治安維持法の時代とはかけ離れた別のものになっております。
そこで、今、国会で「共謀罪」に関して論議が進められております。与党は成立させたい。野党は廃案に持ち込みたい。与党を暴走させないのが野党の役目でございますが、しかし、こればかりは「廃案」というのは、ちょっと極論過ぎるかなと思うのでございます。
昨日の刑事つながりで、今日は刑事ドラマのお話。先日、ドラマ「人間の証明」が放送されておりました。この作品を見るのは、もう、何度目でしょうねぇ? 数度のリメイク作品、そして数々の再放送、何十年も愛されてきた作品でございます。
この作品が脚光を浴びたのは、角川書店の功績でございましょう。昭和50年代の「見てから読むか? 読んでから見るか?」というキャッチコピーは有名でございます。小説と映画のコラボ商法って、角川が初めてではないでしょうか? 当時、中学生のワタクシ、そりゃぁ、もうね、みんなでワイワイ言いながら、映画館に足を運んだものでございます。
映画を見て、小説を読んで、後から「シナリオ」つまり台本まで出版されて、それも読んで。でも、レコードまで買う金はなく。ほんと、お小遣いをつぎ込ませて頂きました。でも、その当時かなぁ、「新潮文庫の100冊」というシリーズを読破しようとか挑戦したのは。多感な時期に、いい刺激をいっぱい頂いたのでございます。
思春期のころの、母親と確執のある時期。その確執を持ち越したまま、自分が成人になった時期。そして、その確執が自分の中で昇華できた時期。さらに、母親を送り出した後の時期。同じ映画が、その見る時期に応じて、違うメッセージとなって伝わってくるのでございます。
こう考えると、このドラマの母親役を演じる女優さんは、難しいですよねぇ。単純に、愛とか憎しみとか利害とか、そんな割り切った感情ではない深遠な「絆」の世界を見せられるのでございます。古くは岡田茉莉子さん、そして今回のリメイクでは鈴木京香さん。いやぁ、実に見事だと思います。
大震災後、やたら「絆」という語が使われますが、実は、あれ、ワタクシはあまり好きではございません。どうも、倉庫の中に眠っていたキャッチフレーズを当時の民主党が持ち出したら、意外とウケが良かったのでそのまま、って感じにも思えてまいります。
絆ってのはねぇ、ドロドロなんですよ。信頼することだけが絆ではない。時には「しがらみ」であったり、情に流されるということであったりもする。なまじっか、血が繋がっているから困る絆というものもございますし、血の繋がりが無いのに血縁以上の固い絆というものもございます。
NHKの「ねほりんはほりん」という番組で、「養子」がテーマの回がございました。ある子供が、何歳かの誕生日に、両親から「実は、あなたは養子なんです」と告げられ、そこからの苦渋混迷を吐露するという内容でございました。
その登場人物の青年、今ではご両親と仲むつまじくしていらっしゃるそうですが、打ち明けられた当時は「血が繋がっていない」ということで悩まれたそうでございます。ここで「親子の絆」って何だろう? という疑問が持ち上がるわけでございます。
人間関係において、「血縁」というのは非情にウェイトが高いのでございます。お部屋を借りるときなどの保証人、血縁者以外では審査が通りにくかったりいたします。あと、企業の共同経営なども、血縁者同士でないと、なかなか上手く行かなかったりいたします。にも関わらず、実の親子で骨肉の争いをした家具屋さんとかもございました。
では、親子の絆で血縁は必要なのか? ということも考えるのでございます。「育ての親」ということでございます。これで思い出すのが、中国の残留孤児の方々。生みの親と育ての親、どちらにも絆で繋がれた方々。ふたつの絆で挟まれた方々にとっての真の幸せを考えると、単純に「帰国がベスト」と考えるのをためらってしまうのでございます。
ワタクシが考えるに、「この子のためなら死ねる、犠牲になれる」と思えたら、それは十分に「親子の絆」ではないでしょうか。ワタクシは3歳の頃、重い腎臓病で十ヶ月も入院しておりました。その時、ワタクシの母親は何度も「何なら私の腎臓を使って下さい」と言い続けておりました。
エレベータに乗って、うっかり違うボタンを押しちゃうときって、ありません? 1人で乗っているときなら、間違って止まった階ですぐにドアを閉めればいいだけ。で・も・ね、他の人が乗っているときだと、もうドキドキ。
「誰か、間違って押した階で、降りてくれないかなぁ」と秘かに思いつつ、降りてくれればラッキー。でも、世の中、そんなに自分の都合良く働いてくれない。間違った階で、ドアが開く。ご丁寧に、ドア横に立っている人が「開」ボタンを押してくれている。そんな時は、「アチャ~」な気分でございます。
「すいません、間違えて押しちゃいました」と、言えば済むこと。でも、エレベータの中の雰囲気って、声を出すの、勇気がいりますよね。そんなシチュエーションに、朗報。ワタクシも、今日初めて知ったのでございますが、エレベータの間違って押したボタンを、キャンセルする方法があるそうでございます。
その方法が、なんか、あやふや。メーカーごとにやり方が違うそうでございます。間違えたボタンを「二度押し」とか「三度押し」とか「五度押し」とか「長押し」とか「長押しで点滅したら一度押し」とか「開くボタンを押しながら押す」とか、あ~、混沌状態。
さっそく、身近にあるエレベータに駆け込み、試してみることに。いろいろ試してみますが、試している間にエレベータが動いていきますから、これが試しにくい。やっているうちに、何かの拍子でキャンセルされたり、点滅し始めたりするのですが、法則性が見つからない。急いで押しまくっているので、何が反応したのかが分からないのでございます。
上下に乱高下するエレベータの中で、しばらくボタンを押しまくっておりました。諦めてエレベータを降りようとすると、ドアが開いたところにはこれから乗り込もうとエレベータを待っていた人達が。あぁ、気まずい、実に、気まずい。
エレベータの中には、ワタクシしかいないのでございますよ。そのワタクシが降りた後、エレベータ内のボタンは、様々な階が押されっぱなし。もうね、ワタクシ、単なる「嫌がらせ小僧」になってしまうのでございます。入れ違いざまに「あ、ちょっとボタンを押し間違えちゃいまして」と釈明いたしますが、とても「ちょっと間違えた」というレベルの押され方では無い。
エレベータを背にして、歩く。後ろを振り向く勇気は無い。今、エレベータの中は、どんな空気になっているのだろうか。あぁ、想像するに、おそろしい。鬼のような形相で、イタズラ小僧の後ろ姿をにらみつけているのではないだろうか。あぁ、まだドアが閉まる音がしない。早く閉まってぇ~。
自分の部屋の前で体の向きを変えることが出来ない。振り向くのが恐いですし、「あの部屋の人か」と発覚するのも怖ろしい。自室のドアを通り過ぎ、ただひたすら、エレベータのドアの閉まる音が聞こえるまで、廊下の突き当たりを目指して歩き続けるワタクシでございました。いやぁ、次は、深夜に試してみましょう。昼間に試すのは、危険すぎるのでございます。
余談ですが、多人数が乗っているエレベータの中が静かなのは、日本独特とのこと。欧米では、軽く挨拶っぽく声を交わすのが、当たり前らしい。欧米人の感覚では、「声を交わすことで、安心感が生まれる」ということだそうです。
また、始まった...大臣の失言事件。あぁ~あ、飽きた、飽きた、秋田名物ハチモリハタハタ。もうね、いい加減、大臣を引き受けるような人は、もっと「タヌキ」じゃなきゃいけませんよ。そして、野党は野党で、みみっちいゲスな追及をせず、政治の本質で戦えよ、と言いたい。
そこで、今村復興大臣がどんな受け答えをすべきだったか、まぁひとつのワタクシなりの模範解答を記してみましょう。ゲス記者が同じ質問を何度も繰り返し、大臣を怒らせようとしたあたりのシチュエーションを、ご想像下さい。
大臣「(おちついた口調で)なんだ? 君の口調は? 私から話を聞き出すのが君の仕事だろ? 私を怒らせるような言動をして、聞き出せるのか? 上から目線で正義の味方気取りで大臣を追い詰め、悦に入るのが君のジャーナリズムか? あるいは、大臣を怒らせて、失言のひとつでも拾えれば儲け物、そんなゲスな考えでこの場に来ているのか? だとしたら、ここに集まっている他の本物のジャーナリストに対して、こんな失礼な言動はないぞ! 恥を知れ!」
と、まぁ、逆にこのくらい噛みつき返せる狸親父であって欲しいですよね。ワタクシは世の中をナナメに見ておりますから、「このゲス記者は野党の息がかかっていて『怒らせて失言のひとつでも誘発させてくれ』なんて頼まれていたのかも」くらいの妄想をしてしまうのでございます。案の定、野党から、辞任や罷免を求める声が上がる。ここまでが筋書き通りだったのかな?
ジャーナリストってのは、話を聞き出すというプロセスにおいては、基本中立であるべきだと思っております。ジャーナリストが対立する両者のどちらかに肩入れしていたら、もはやその相手側は間口を閉じてしまうでしょ。結局、一方の側の話しか聞けなくなるのでございます。
どちらの側にも、親身になって接する。そして、どちらの側からも「本音」を引き出す。その本音と本音のジレンマを赤裸々に伝える。そこに、ジャーナリズムの醍醐味や使命があるのではないですか? 裁判官気取りで正義の味方みたいな気分になったゲス記者、ワタクシは大っ嫌いでございます。
送料・手数料なしで3個1980円。1個660円のポテトチップス。話のネタ代わりに注文しましたが、これ、いったい誰が買っているのだろう? この売値、どうやって決まったのか? 謎だらけのポテトチップスなのでございます。
この1週間ほど、コンビニへ行ったらすかさずポテチ売り場を確認しておりましたが、パクチーポテチが棚に並ぶ気配は全くございませんでした。期間限定商品、ワタクシがたまたまコンビニで見つけたとき、あれが「旬」だったのでしょうか。と、すると、今は「旬の名残(なごり)」。1個660円も致し方ないというところでしょうか?
「名残」という語を辞書で引くと、「名残の~」という複合語がズラズラ~と並んでおります。日本人の「名残」への思い入れが、深く感じられるのでございます。「名残」という語が、単に「残っている」という意味ではなく、「別離を惜しむ」という感傷的な意味合いで使われているのも、この「名残」という語の特徴でございます。
ワタクシはよく言いますが、日本人の文学性は「敗者の美学」にございます。勝者ではなく、負けた方を美化するのでございます。そして、去りゆく人や物、そういうものを愛(いと)おしむという気持ちに溢れております。「名残」を使った語の多さにも、そんな日本人独特の感性が表れております。
各種広告媒体ごとに「割引クーポン」はお出ししておりますが、その中でも「ヘブンネット」のクーポンの場所が分かりにくくて困っておりました。店頭でお客さまがスマートフォンや携帯電話を苦労して操作するような場面も、少なくございませんでした。これは、「割引チケット」を選択するボタンが、通常では折り畳まれていて見つけにくかったのが原因でございました。
実は、ヘブンネットには「クーポン」という機能もございます。こちらの機能はどのページを開いていても表示されますので、本当は格段に使い勝手が良いはずなのですが、長らく当店では使ってまいりませんでした。それは、旧割引チケットはかなり自由に内容を設定出来るのに対し、新しい「クーポン」は自由度が低かったから。コンパニオンやコースを限定しなければならず、当店が発行してきている「オールコース・オールコンパニオン」という設定が使えなかったからでございます。
ほんと、久しぶりに「桜田淳子」さんを画面で拝見いたしました。なんかね、柳原可奈子そっくりに(笑)。いろいろ所属団体のゴタゴタはありますが、まぁ、それは置いといて、あのフックラ容姿で、また違ったファン層が増えるかもですよ。
声楽的に言いますと、声を出すには理想的なフックラ体型。痩せてるより、あのくらいの方がいい。だけど、声帯は使っていないと衰えますからねぇ。音域が下がっているでしょうし、「今の声」がどうなっているか、興味津々でございます。
さて、フックラで思い出しましたが、ワタクシの体も、ここ最近、フックラとしてまいりました。一時期、低糖質ダイエットで体重が減り、みごと、まんまと、油断したようでございます。リバウンドまで行きませんが、プチリバウンド。いやぁ、食生活、見直さなければ。
さらに、余談。昔、「キャバレー」なんてものが有った頃(今のキャバクラとは別物ですよ)、当時水商売だったワタクシは、よくキャバレーにお客さまを迎えに行ったのでございます。キャバレーのナンバーワンホステスって、だいたい柳原可奈子体型の人が多かったのでございます。
伊藤みどりさんのスケーティングを「フィギュアにアスリートの風を持ち込んだ」と称したスポーツアナウンサーがおりました。カルガリーで銀メダルを受賞したときのことでございます。豪快にスピードを出し、力強くジャンプする様は、まるで陸上競技の走り幅跳びのようでございました。
ワタクシはかつて、浅田真央さんのスケーティングを、「胴体が固まっている」とか「ニューハーフではないか?」とか、ほんと、いろいろ勝手なことを申させていただきました。ワタクシのそんな感想も、やはり浅田真央さんに「アスリート的なストイックさ」が有ったからでございます。
そのアスリート精神で世界中を涙させたのは、ソチのフリープログラムでございます。世界中のアナウンサーが涙声で解説をし、その様子がYouTubeに各言語ごとにアップされておりました。メダルが絶望的な状況に置かれたとき、彼女が常日頃目指しているスケートが成就したのでございます。
運に恵まれない人でございました。僅差の年齢制限で、トリノの出場が叶いませんでした。その後、ジャンプを過小評価するようなルール変更に翻弄されもしました。隣国のあの人とライバル扱いされるのも、本望ではなかったでしょうね。浅田真央さんは、孤高のアスリートでございますから。
アスリート的な固い演技から、ここ数年前から柔らかい表現も醸し出せるようになったと感じておりましたが、それが出来る体型とジャンプとは両立が難しかったようでございます。天は二物を与えずとは、皮肉な言葉でございます。
って、箱に答えが書いてありますね。「SLIPPER」、そう、スリッパでございます。さらに「茶色」と書いてあります。茶色のスリッパが届いたのでございます。この大量発注、宅配の人にいつも申し訳ないと思うのですが、これだけまとめて発注すると、ちょっと安くなるのですよね。
「茶色」が漢字なのは、中国製だからでしょうか? スリッパを英語で書くのなら、茶色も英語で書けば良さそうなものですが、そこのところは意味不明。中国には中国の事情があるのでございましょう。そして、この茶色のスリッパ、しばらく品薄でございました。
当店は、使い捨てのスリッパを使っております。男性のお客さましかいらっしゃいませんので、白よりは茶色を使いたいのですが、これが時々「品切れ」状態が続くのでございます。品物が有っても、白よりもちょっと割高だったりとか。これもまた、中国には中国の事情があるのでしょう。
今回、たまたま茶色のものが有りましたので、いつものように大量発注! 写真では3つのダンボール箱になっておりますが、送料を節約するためでございましょう。この3つのダンボール箱がガチガチに縛られて、ひとつ口として送られてまいります。
毎回、巨大なダンボールの固まりとして、送られてくるのでございます。お店の前で待ち構える巨大な固まりにビックリ、エレベータの中ギリギリ、ドアを通すときグリグリ、持ち上げるのムリムリ。ムチャするなぁなのでございます。まぁ、発送元には発送元の事情があるのでございましょう。
新旧のスリッパを比較したのがコレ。作ってるところが違うのかなぁ? 同じような作りですが、微妙に出来が違う。入れてある袋、白い方は薄くて溶着部分が適当でよく剥がれていたりしました。茶色の方は、厚めの素材で、フタの部分は粘着テープ。どちらが開けやすいかというと、これは微妙。破って開けるか、めくって開けるかの違いでございます。
真央さんの会見時のファッションがね、これまた潔い。白と黒のツートンカラー。特徴的なのは、アクセサリーが皆無なこと。あの胸が開いたブラウスなら、細いネックレスを付けるだけで強烈にフェミニンの芳香を醸し出せるはずなのですが、付けないですねぇ。
シンプルな服、アクセサリーで飾らない、力強い眉、こういったお姿を見るに、「気力も体力も尽きた」という本人の言葉とは裏腹に、大きな自信を感じるのでございます。決して迷ってはいないし、心折れているわけでもない。浅田真央さんの心の中では、もうすでに次の一歩に向けて、力強く前を見据えている感じでございます。
さて、お話変わって、ワタクシがお店の新人さんに指導する際、やはりファッションに関しても指導をしたりいたします。ファッションに自信のない新人さんは、「黒」に走ることが多い。黒という色は、ラクチンなのでございます。で、黒に逃げることになるのでしょうが、実は、黒は難しい色なのでございます。
黒を着ると細く見えるかな? そんな気分で黒を選ぶのかもしれませんが、黒は小さく見せると同時に、重たく見せてしまうのでございます。その重たさは、着る人の輝きまでも吸い込んでしまう。ですから、黒を着るときはアクセサリーで輝きを足すのでございます。すると、主役はアクセサリーに移り、黒は下地として効果的に働くのでございます。
ファッションの色に関係なく、ほんの小さなアクセサリーは、強烈にフェミニンの香りを発散させるのでございます。これも、普通の女の子では当たり前ですが、この業界に入ったばかりの新人さんですと、そういったことには気が回らない。
お化粧も含め、ファッションとは目の錯覚でございます。メイクアップというのは、顔に陰影を意図的に描き、違った顔立ちに錯覚させる技でございます。服飾も、他人の目をどこへどんな流れで誘導させるかという技。そう、錯覚、つまりゴマカシの技術なのでございます。
そこへ持ってきて、ファッションを見るときの、男の目、女の目というものがございます。女の目は、全体をトータルに眺める。しかし、男の目は、見方がピンポイントなのでございます。目・髪型・胸・服の柄・おしり...部分部分に注目はしますけど、なかなか全体像をボンヤリと見るというしかたはしない。
ですので、新人さんには、「できるだけ大きな鏡で自分を見ろ」と指導しております。お化粧も、出来れば顔全体が写る大きめの鏡を勧めております。けど、小さな鏡でチマチマとお化粧をしてしまう新人さんが多いのですよね。これは、まだ「男の目」が強いから、全体像にあまり興味を持てないからでございます。
こういったことを踏まえて、浅田真央さんの引退記者会見のファッションを再考してみましょう。本来「ゴマカシ」であるはずのファッションの技は、ほとんど見受けられない。それこそ、「ありのまま」の自分をさらけ出していると言える。野球で言えば、剛速球ストレートでございます。
このスポンジも、紆余曲折ございました。オープン当初の17年前は、使い捨てではない大きめのスポンジを置いておりました。1回ごとにコンパニオンが軽く洗ってお客さまに準備しておりましたが、それが、なかなかに大変。それと、大問題なのが、スポンジですと毛髪が付いてしまう。これも、なかなかに厄介者。
そんなことも有りまして、使い捨てスポンジの導入でございます。これも、いろいろな種類がございまして、試行錯誤の繰り返し。ペッタンコに真空パックされているものも試しましたが、これは、袋から出してから膨らむまでにちょっと時間がかかる。スピーディーにシャワーを済ませたいお客さまにとって、イライラの原因でございました。
今日は、この絵に関するお話。これは、ピカソの「泣く女」というタイトルの絵でございます。あの北野武さんが、なんと、Eテレの「日曜美術館」に出演しておりました。そして、「好きな絵は?」と聞かれて答えたのが、この絵だったのでございます。
北野武さんいわく、この悲しみの表現の向こう側に、ほとばしるような愛情があるとのこと。そうなんですよね。「泣く女」というタイトルについ”悲しみの表現”なんだと思い込みがちでございますが、たとえば、もしこの絵が「恋人や子供を失った直後の女性の泣き顔」だったと(勝手な)想像をすると、ほら、この泣き顔の向こう側に、爆発するような愛情が見えてくるのでございます。
武さんは、これに続いて、長年主張している「振り子の論理」を説き始めます。善人役を演じられる役者は、悪人を演じるのも上手いというあの論理でございます。武さんは、単なる演出や演技の技法としてお話しているのに過ぎないのですが、この人も言葉足らずが多く、誤解しそうな展開でございました。
と言うのも、武さん、「アウトレイジ」という暴力がテーマの映画を撮影しております。この暴力の裏側に愛情が張りついているという内容にも取れるのですが、これはきわめて危険な論理展開。なぜならば、「愛」が裏返ったものは「憎」であり、暴力ではないからでございます。
「愛憎」って言うくらいで、愛情と憎しみが同じ物の裏表というのは、今までに何回もお話しております。これに対して、「暴力」ってのは必ずしも愛情の裏打ちを持っているわけではございませんからねぇ。「必ずしも」と言うことは、「愛情の裏打ちが有る暴力があるとでも?」と聞かれそうですね。それに対するヒントが、ある別の番組にございました。
「アナザーストーリーズ」というNHKのドキュメンタリー番組がございます。先日の回で、山口組と一和会の暴力団抗争を扱っておりました。その暴力団専属の弁護士の談が、実に興味深い。「子供の時、親の愛情に恵まれた子は、絶対にヤクザにはならない」とのこと。
愛情に飢えたまま成長した人が、幼少期に埋められなかった心の隙間を埋めるものが、「組織」で見つかってしまうのでございましょう。「組織愛」というものでございます。親と子の「絆」を得られなかった人が、「組織との絆」で自らの心のよりどころを見つけてしまうのでございます。
先日、親子の絆は「子のために自分が犠牲になれるか?」ということだと申しました。このワタクシの言葉が、組織に対しても当てはまってしまうのでございます。「組織のために犠牲になれるか?」と...極論になるかも知れませんが、こう考えると、親子の愛情も、組織愛も、根は同じなのかもしれません。
さぁ、おっかない話になってまいりました。ただ、仮に愛情の裏打ちのある暴力があったとしても、じゃぁ「暴力には必ず裏に愛情が張りついている」という訳にはなりませんから、要注意でございます。愛情の無い暴力も、もちろんございます。
武さんの映画は、こんな複雑な暴力は描いておりません。あくまでも暴力を表面的に描いている。まぁそれが「アウトレイジ」という映画の魅力なのでしょうし、そんな哲学的なことを描き始めたら、別物の映画になってしまいますよね。
お客さまに「見られる」という仕事では、笑顔で接するというのは、基本中の基本。ただこれは、想像以上に重労働なのでございます。いつお客さまが見ているか分からない。ですので、お客さまと同じ場所にいる間は、ずっと笑顔をキープすることになるのでございます。
ワタクシが水商売を始めた頃、もうね、この笑顔をキープするのが大変。閉店時間まぎわになると、顔の筋肉が引きつる毎日でございました。ただね、訓練とは恐ろしいもので、次第に顔の筋肉が発達してくるわけでございます。筋肉が付いてくると、次第に力が必要なくなる。楽になってくるのでございます。
さらに、笑顔をキープしている時間が長いと、筋肉を含め顔全体の構造が、その笑顔に合わせて発達していくのでございます。その結果、何もせずに普通にしている状態で笑顔になってしまうという、「素の笑顔」が作り出されるのでございます。こうなると、接客業はうんと楽になる。好感度が抜群に上がりますからね。
お店を始めて17年、何十人という新人さんを迎えてまいりましたが、最近の新人さんにはある傾向がございます。口角が自然に下がっている新人さんの割合が多いのでございます。普通にしていて口角が下がっていると、それだけで無愛想に見える。こういう人は、努めて笑顔をキープしないと、接客業では苦労するのでございます。
若いのに口角が下がっているという現象、原因をいろいろ考えますに、まず固いものをあまり食べなくなったということが有るかもです。固いものをよく咀嚼(そしゃく)することが少ないと、当然、顔の筋肉が退化していきます。食生活の変化が、顔の筋肉に影響を与えている可能性でございます。
さらに、愛想笑いを嫌う風潮。これは影響ないでしょうか? 最近の風潮として、社交辞令というか挨拶代わりの愛想笑いが面倒くさいという人が増えております。「伊達マスク」なんてものも一部で流行っております。表情を変えなくてもいい生活に甘えている内に、やはり顔の筋肉を退化させているのかも知れません。
その風潮のせいでしょうか、リアルな人づきあいを嫌う人も増えております。顔の見えないネットでの人づきあいなら、愛想笑いも必要ない。ネットによるコミュニケーションは、確かに手軽で便利ではございます。しかし、人と顔を合わせたときの「ときめき」のようなものは皆無。ときめきの無いコミュニケーションを続けていく内に、心を動かさずに人と接する癖が付いているかも知れません。
まぁ、理由はともあれ、普通にしていて口角が下がる顔の人というのは、何かと損をするのでございます。お仕事上でもそうですが、日常生活でも、自然と貧乏くじを引きやすくなる。それで、ますます心を痛め、顔が曇っていくという人がいるかもしれません。
以前は、会員カードを発行しておりました。電話予約するには、その「会員番号」が必要なシステムでございました。ただ、当店は会員だけの割引サービスというのが有りませんので、カードを持っていてもそのカードで割引出来るわけじゃないんですよね。
そんなこんなで、5~6年程前から、会員カードは「非通知・公衆電話」で予約をされる方のみの発行になっております。もちろん、番号通知で予約をされる方でも「カードが欲しい」と言われるお客さまには発行しております。
「会員割引は無いの?」と聞かれることも、ときどきございます。普通の営業戦略ですと、会員を優遇して「常連客を取り込む」というのが定石なのですが、その代わり当店では、広く、簡単に割引クーポンをご利用頂けるように誘導しております。
まず、「水沢さくら」限定の割引キャンペーンが始まっております。割引額は、前回と同じ。40・60分コースは¥1,000割引、90分コースは¥2,000割引でございます。フリー・予約、どちらも割引でございます。
お店のフロントでクーポン券を使われる際、スマートフォンや携帯電話でそのクーポン画面を見せて頂いております。それで、チョイト気になったことがございます。スマホ等の操作を言葉をかけて誘導するのでございますが、「画面を上に/下に」という指示が、なかなか上手く伝わらないのでございます。
お客さまが操作するスマートフォンを上から覗き込みまして、画面のもっと下の方を見ていただきたくて「もう少し下です」と言うと、画面を下にグイッと下げてしまい、見えてくるのは逆の上の方。ワタクシが意図した方向とは逆に動かす方が、少なくないのでございます。
これに関しては、言い方をいろいろ変えて試しているのですが、なかなか決定打が見つからない。想像するに、これにはパソコンからスマートフォンへの進化の過程で、その操作の仕方が変わっていく中で、仕様変更に人間様が振り回されているからでございます。
画面を「上」にズリズリ動かしたいとき、トラックパッドを2本指で「下」に動かします。これはWindowsの標準仕様。Macintoshも当初はWindowsと同じ方向でしたが、6年前からこれを逆にしております。つまり、画面を上にズリズリしたいときは、トラックパッドの手も上に動かすという仕様。もっとも、Macintoshでは、設定を変えることによって、この向きを逆にすることも出来ます。
さて、この指をどちらに動かすかということに世界2大パソコンメーカーが紆余曲折しているのには、パソコンやスマートフォンを使わせるときの「哲学」が違うからでございます。難しい話をヤンワリとお話しますので、付いて来て下さいね。
まず、小窓から見える画面の、「もっと上の方」を見たいとしますよね。その場合、やりかたは2通り。小窓を「上」にずらしていって上の方を見るか、あるいは小窓を固定して奥の画面の方を「下」にずらしていって上の方を見るか、この2通りでございます。
さぁ、勘のいい人は分かってきましたよね。「小窓を上に動かす」やり方は、小窓から見える画面は実際には「下」方向へ動いていきます。一方、「画面の方を動かす」やり方は、動かす方向と実際の見え方は同じ方向でございます。
小窓を動かすやり方、これはWindows標準の仕様。動きと画面の動きが逆なのでございます。一方、画面の方を動かすやり方は、現在のMacintoshの工場出荷状態。これが、なぜ「哲学的」かと申しますと、「主体」が真逆だからでございます。
小窓を動かすということは、動かない画面の表面を、小窓と共に「自分」が動いていくということでございます。動くのは「自分」。一方、画面を動かすやり方は、自分は動かない。不動の自分がいて、小窓から見える小世界をタテヨコに自由に動かすというイメージでございます。
ほら、「主体」が違うでしょう。自分が動くというやり方は、これはパソコンにポインター(カーソル)が有った故の仕様でございます。「ポインター=自分の位置」という概念であり、自分が上に行こうとすれば、当然画面は下に流れていくのでございます。
では、Macintoshが6年前に仕様を逆にしたというの、気になりますよねぇ。これは、iPhoneやiPadのような「ポインターの無い操作」では、小窓を動かすという仕様は馴染みません。当然、画面を動かすという仕様を採用する訳ですが、すると、パソコンとスマートフォンで操作が逆になってしまう。操作性を統一させたのでしょうねぇ。
浅田真央さん、引退してアマチュアからプロへ転向するのではなんていう話もありますが、今日はそんな「プロ」と「アマチュア」のお話。と、ニューハーフのワタクシがこういうことを言い出しますと、プロニューハーフとアマチュア女装さんのお話かと思われるでしょうが、今日のお話はもっともっと範囲の大きなお話。全ての芸術やスポーツに通ずる普遍的なお話でございます。
プロとアマで、何が違うか? お金を貰っているかどうか? でもアマチュアの浅田真央さんには、多くのスポンサーがついておりましたよ。そういった、お金の話ではございません。今からワタクシがお話しするのは、「精神」の話。プロ精神とアマチュア精神の違いなのでございます。
音楽でもスポーツでも、練習をしていると、必ず自分の「得手不得手」というのが見えてまいります。得意なことと不得意なことでございますね。そして、その得手不得手というもの、人によってバラバラ。ある人にとって得意なことが、別の人にとってはひどく不得意だったりいたします。
で、この自分の得手不得手にどの様に取り組むか? その取り組み方で、プロとアマチュアの違いが出てくるのでございます。アマチュアの場合は、「得手」つまり得意な部分に力を注ぐ。得意なことをやるのは、単純に楽しいですからね。「得意な部分を延ばすことで、不得意な部分をカバーできる」と考えるのでございます。
一方、プロはどう考えるか? 得意なことは出来ているのだから、練習する必要はない。ということで、不得意な部分に力を注ぐことになるのでございます。自分の不得意を「潰していく」という作業でございますね。全体のバランスを重視しているのでございます。
試合とか舞台に臨む場合にも、プロとアマの違いは出てまいります。アマチュアは、常に全力。自分の限界に挑戦します。プロの場合は、全力を出しません。7~8割の力しか出さない。余力は、不測の事態が起きた時のための保険のようなものでございます。
何となく、イメージできたでしょうか? 自分の尖った部分で限界に挑戦するのがアマチュア。バランス良くまとめて、常に同じレベルをキープすることに注力するのがプロ。そう、プロとは「常に同じ事が出来ることを要求される」のでございます。
ま~た、テレビのインチキ統計学を発見し、プンプンしております。先日の占いをテーマにしたある番組で、「水瓶座、魚座、山羊座の社長は倒産しやすい」なんてことを言っておりました。きちんとしたデータを基にはしているのですが、結論の導き方にテレビ的インチキを発見。ア~ア、って感じなのでございます。
東京商工リサーチという会社のデータを基にしているとのことで、早速、その元データを参照いたしました。確かに、この3つの星座の社長さんは、わずかではありますが、数字が大きい。しかし、東京商工リサーチのデータには、「倒産しやすい」という結論はどこにも無い。テレビ局が、「盛った」のでございます。
他のデータを見ると、この3つの星座の社長さんは、「倒産までの期間」も長いのでございます。「水瓶座、魚座、山羊座」というのは1~3月生まれ。その番組では、「寒い時期に生まれて、粘り強く、我慢強い傾向が有り、倒産件数は多いけど、社長さん自体は我慢強い」と”フォロー”しておりました。
ここにも、テレビ局の「盛り」がございますよね。寒い時期に生まれると我慢強いというのが、全く意味不明。ほんと、テレビ局ってのは「女子供だまし」なのでございます。百歩譲って、「寒い地方で生まれた」というのなら、納得。きっと、限られた打ち合わせ時間の中で、適当に結論をこじつけたのでしょう。
さぁ、ここからは、ワタクシの妄想劇場。1~3月生まれの社長さんの倒産件数が多いというのは事実。これは単に、「1~3月生まれの社長さんが”多い”」というだけのことではないでしょうかねぇ? 社長さんの絶対数が多ければ、当然、その中で倒産した数も大きいのは当たり前。倒産の数だけ注目して、分母である総数は出てこない。テレビ局の統計マ~ジックでございます。
ただ、倒産までの期間が長いというのは、東京商工リサーチの結果からも出ております。粘り強い、我慢強いのは、間違いない様でございます。これを、どう考えるか? ワタクシは、「早生まれ」が原因ではないかと、考えるのでございます。
1~3月生まれの人は、その前年の学年に組み込まれます。3月生まれと4月生まれ(正確には4/2以降の生まれ)では、ほぼ1年の差がございます。幼少期で1年の違いは大きいですよね。早生まれの人は、常に体力的・経験的なハンデを背負って、幼少期を過ごすことになるのでございます。
自分より大きな人に囲まれ、自分よりもより多くの経験をしている人と競争をする、そういった環境で育つことで、早生まれの人には、粘り強さや我慢強さが身につくのではないでしょうか? その結果、社長さんになる人も多い。なる人が多ければ、倒産する社長さんの数も、当然大きくなる。
と、まぁ、これがワタクシの推論。推論ですから、間違っているかもしれない。「かもしれない」を前提で番組を作るのならいいのですが、たまたま思いついた「目を引くキャッチコピー」ありきで話を盛る番組作りには、見ていてイライラするのでございます。
そろそろバスタオルの新調を考えておりまして、その準備としてお店中のバスタオルの総数を数えてみたのでございます。お店全体で、約200枚のバスタオルが循環しているのでございますが、本日数えたところ、2割ほど枚数が減っております。穴が開いたり破れたりして処分して減るのでございます。
前回のバスタオルの交換時期を調べますと、2012年の7/25。この「ひとりごと」欄のその日の書き込みを見ると、ちゃんと記述してございます。前々回から前回への入れ替え期間が、3年とのこと。今回は5年弱ぶりの入れ替えですので、頑張りましたよねぇ、そりゃ、バスタオルも傷むはずでございます。
さ~て、どうやって入れ替えるか? 入れ替え方には、ふた通りございます。総入れ替えするか、部分入れ替えするか? 総入れ替えは、ひとつ残らず全部のバスタオルを新しいものに交換するやり方。部分入れ替えは、痛んだものだけチョイスして交換するやり方。
当店のオープン当初は、部分入れ替えでやっておりました。痛んだものからポイポイ捨てていき、枚数が減ってくると、時々まとまった数のバスタオルを補充するというやりかた。これは、無駄が少ないというメリットがある一方、新旧のバスタオルが混在しますので、管理が難しい、デザインや色のリニューアルがやりにくいというデメリットがございます。そこで、ロゴマークの入った今のバスタオルにしてからは、ずっと総入れ替え方式でやっておりました。
総入れ替え方式は、これは、「気持ちが良い」というメリットがございます。とにかく、バスタオルが全部新品になるということ、清々しい気分になれます。総入れ替えを機に、デザインや色のリニューアルをするというのも可能でございます。デメリットは、無駄が多いということ。それほど痛んでいない新品同様のタオルも、処分することになりますからね。
実は、それなりにまんべんなく使おうと気をつけてはいるのですが、なぜか、タオルの使用頻度というのは、かなり偏るのでございます。頻繁に使われて痛みの早いバスタオルもあれば、何年も新品同様で残っているものもございます。
お部屋にバスタオルを補充する際には、新しいものを下に滑り込ませる様にしております。タオル置き場でも、長く置かれているものから出す様にして、古いものが溜まらない様にしております。プログラミング用語でいうところの「FIFO(ファースト・イン・ファースト・アウト、先入れ先出し)」でございます。
これは、お部屋の使用頻度が関係しているかもしれません。頻繁に使うお部屋と、滅多に使われない予備用のお部屋がございます。その予備用のお部屋に準備されたバスタオルは、比較的長い時間、使われずに置かれたままになる可能性が高いのでございます。
さて、今回は、どうするか? 景気のいい時期は、どんどん総入れ替えをしておりました。管理はやりやすいし、とにかく気持ちがいいからでございます。しかし、昨今、そんなに景気は良くありませんからねぇ。総入れ替えにするか、部分入れ替えにするか、チョイト悩んでおります。
FIFOの対となる言葉は「FILO(ファースト・イン・ラスト・アウト)」。最初に入れた物を最後に出すという意味で、積み重ねるという意味の「スタック」と言ったりいたします。処理に優先順位や階層構造がある場合は、このスタック方式の処理が当たり前なのですが、それはコンピュータのプログラミンのお話。一般社会では、このスタック式に見当たるものが、なかなかございません。溜まった仕事、後から来たのを優先してたら、最初の人が怒りだしてしまいますからね(笑)。
その文字入力をしている途中で、マウスとか動かされたら、そのマウスへの対応を優先させなければならない。それは、FILOで処理される。つまり、文字入力への対応をちょいと「後回しにして」、ポインターの動き処理を片づけ、そして文字入力へ戻ってくるということ。その間に溜まっていた入力文字を、先に入力されたものから順次コンピュータに送っていく(FIFO)ことになるのでございます。
なんか、投票に来た人と受付の人が世間話とかしていて、至極アットホームな雰囲気。厳粛さなど一切無し。う~ん、投票所ってところは、もっと殺伐としているものと思い込んでおりましたが、今日の投票はちょっとしたカルチャーチョック! まぁ、たまたまそういうタイミングで行っちゃったのでしょう。
外で、NHKの人が出口調査をしておりました。ワタクシ、実はあれに答えたいと思っているタイプ。そんなに滅多にお目にかかれるものではございませんので、見つけたときが千載一遇のチャンス。でも、ワタクシが出て行ったときには、他の人が長々と回答をしておりました。出口調査に「並ぶ」のもナンダカナァ~ですので、通り過ぎて帰っちゃいました。
バスタオルを乾燥するために、大きな乾燥機を使っております。すぐにフィルターがモッサモサになりますので、紙製のフィルターを定期的に交換いたします。そのついでに、フィルターを押さえているプラ製の網もお掃除いたします。
お店の窓はビルの9階。窓の外へ向かって、その網をフッと拭いてやりますと、フワフワの毛玉たちがフワッと飛び出していいきます。ほんのわずかな陽の光の上昇気流を受けて、その毛玉たちは目の前にしばらく浮かんでとどまってくれます。空中で静止する毛玉たちは、まるでマジックショーの演出の様。
そして、次第に、ゆるやかな風に乗って、ばらばらな方向へ漂っていきます。ほぼ真下にグルグル回りながらゆっくり落ちていくもの。軽いものは、激しく上昇して、あっという間に消えていく。また、風に乗って、大きく旋回しながら、ゆっくりと遠ざかって行く毛玉もございます。
小さな毛玉ですが、漂っていくのを目で追っていくと、意外に遠くの方まで目で追えることに驚かされます。どこかの家の庭に漂着するもの。遠くのマンションのベランダに飛び込んでしまうもの。グルッと大きく回って、戻ってきてしまうもの。毛玉をフッと吹く度に、その毛玉がどんな旅をするかでいつもワクワクさせられます。
久方の光りのどけき春の日に しず心なく花の散るらむ
のどかな春の日に、慌ただしく散っていく桜の花を惜しんだ歌でございます。「しず心(ごころ)」、「静心」と漢字で書けば、意味は明白ですね。「落ち着いた心」という意味。「しず心なく」と否定の語をつけて、落ち着かないとか慌ただしいという意味になります。
予約の電話を受けましたら、まず「女の子は決まってますか?」と切り出すことにしております。これは、やり取り上のある行き違いを防ぐのが目的でございます。以前は「本日のご予約ですか?」と切り出していた時期も有ったのですが、この切り出し方が行き違いを生んでいたのでございます。こんな風に。
私:本日のご予約ですか? 客:いや、まだ予約してません 私:あ...いや...では、何時ごろのご予約ですか? 客;ええ、ですから、まだ予約はしてません
この様なやり取りになることが、結構ございます。これには理由がございまして、当店はオープン当初から長い間、「当日予約のみ」でございました。ですので、その時期からご利用のお客さまは「予約と言えば当日予約が前提」という感がございます。また、最初から当日予約しか考えていないお客さまも多い。その先入観がありますから、「本日のご予約ですか?」と聞かれて、上のような反応になってしまうのでございましょう。
以前、当日予約しか受け付けていない時期は、ワタクシの方も「本日のご予約ですか?」という受け答えはいたしておりませんでした。当然ですよね、当日に決まっているのでございますから。で、予約が1週間前から可能になった数年前から、ワタクシがこの受け答え方を始めたということもございます。ワタクシの「尋ね方」も、板についていなかったのでしょう。
こんなことがありまして、予約の電話を受けましたら、まず、「女の子は決まってますか?」と聞くようにしております。この質問は、明らかに「これから予約を受け付けますよ」ということが明示的であり、誤解の生まれる余地がございません。この言い方にしてからは、行き違いは皆無でございます。
しかし、今日、やっちまったんですよね。この行き違い。電話がふたつ重なっておりまして、両方の電話をカワリベンタンしているうちに、慌てて「本日のご予約ですか?」と切り出してしまった。案の定、先ほどのような行き違ったやり取りに...う~ん、無念でございます。慌てると、ダメだなぁ。
あと、女の子の名前を聞いたときには、必ず女の子の名前を「フルネーム」で復唱いたします。これも、聞き間違いの防止とともに、お客さまが間違って名前を覚えていることもあったりしますので、それを確認することが出来るのでございます。
この復唱、お客さまの中には煩わしく感じられる方もいらっしゃいますが、それでも必ずするようにしております。結構、復唱で聞き間違いや行き違いを発見することが多いのですよね。ファーストフード店やファミレスが、オーダーでくどいくらいに復唱いたしますが、あの必要性、電話を取っているとよく理解出来るのでございます。
以前、あるコンパニオンが目の手術をすることになりました。美容整形ではなく、目の上の筋肉が緩んでいるという生まれつきの病気で、それを治す手術でございます。でもなぜか、そのコンパニオン、美容外科の病院でやりたいと言って固執する。その理由を問いただしたところから、本日のお話は始まります。はじまり、はじまり~~。
そのコンパニオン、病院をネットで調べたそうでございます。検索結果の上の方にズラズラと並ぶ美容外科のひとつを選び、診療内容を確認したそうです。すると、自分の目の症状は、”美容外科でしか治せない、普通の眼科に行ってはいけない”と書かれていたとのこと。それで、美容外科に固執していたようでございます。
ワタクシ、その話を聞いて、「”宣伝文句”かもしれないよ、取りあえず、普通の眼科にも行ってきたら?」と促し、結局そのコンパニオンは、普通の眼科で治療を受けることになったのでございます。美容外科が悪いとは申しませんが、宣伝文句を固く信じ込むそのコンパニオンの姿を見て、今の若い人たちの過剰な「ネット信望」に気がついたのでございます。
まとめサイトが問題になった時期もございます。正しいことだけ書いてあればいいのですが、やたらに話を盛るサイトばかりで、中には間違ったことまで書いてあり、大問題になりました。そして、今日の「クローズアップ現代」のテーマが、「フェイクニュース」でございました。フェイクニュースとは、まことしやかに作り込まれた嘘のニュースのことでございます。
特に、選挙活動の期間などは、このフェイクニュースは多く湧いて出てきます。例えば、移民が暴動を起こしたという嘘ニュースを流しますと、移民に反対している立候補者の支持率が上がったりいたします。後から、それが嘘ニュースだと分かっても、一度上がった支持率はそれほど下がらない。実に効果的なプロパガンダとなり得るのでございます。
「感情は主観的で知性は客観的であるといふ普通の見解には誤謬(ごびゅう)がある。むしろその逆が一層真理に近い。感情は多くの場合客観的なもの、社会化されたものであり、知性こそ主観的なもの、人格的なものである。真に主観的な感情は知性的である。孤独は感情でなく知性に属するのでなければならぬ。」(旧字体を新字体に変えてあります)
感情は自分の中にだけあるもので主観的、知性は広く普遍に存在し客観的なもの、こう考えるのが普通でございます。しかし、三木清は、これを逆だと言ったわけでございます。政府の扇動のもと、ほぼ全ての日本国民が「鬼畜米英」という”感情”を持たされた時代に生きた三木清だからこそ、出た言葉でございましょう。
さて、時代はめぐり、戦後70年あまり、今や選挙活動において、嘘ニュースは当たり前。そんな嘘ニュースを見て、一般大衆は「感情」を植えつけられ、それが選挙の結果にも反映したりしております。日本が軍国主義に走った70年前と、いったい何が違うのでしょう。大本営がネットに変わっただけでございます。
こんな時代には、溢れる情報から嘘を見破り、選択し、その選択したものから自分の知性を磨き上げていくことが重要でございます。さぁ、どうでしょう? 大勢の大衆がネットによって扇動される「感情」は実に社会的・客観的で、選択した情報から構築した自分の知性は実に主観的と言わざるを得ないのでございます。
「感情は扇動出来るが、知性は扇動出来ない」
当店は新聞・雑誌などにも広告を出しておりますが、ちょうど本日発売の『CityHeaven 東海版』にも広告を掲載しております。こんな広告ですよ~。雑誌の『CityHeaven』に付いている割引クーポンも使えますからね。
ヤマト運輸が、とうとう値上げに踏み切った様でございます。さらに、採算が合ってない大口取引先は、問答無用で取引停止にしているとのこと。ちょっと横暴なようにも見えますが、宅配業界トップの勇断に、同業他社も流れにのるかもですよね。
これは、宅配業界が「買手市場」から「売手市場」に変わった瞬間かもしれません。今まで、宅配業界は競争が激しかったのでございます。どの会社も料金を下げたりサービスを良くして顧客獲得に努めてまいりました。その結果、日本の宅配業界は世界でも希な過剰サービス業種となっているのでございます。
さらに、規模の大きい通販会社と契約を結ぶことが宅配各社の利益に結びついておりましたが、ここに来て、それがネックになってきております。扱い量の膨大さを理由に格安料金で大口契約を結んでも、再配達のコストなどがかさむと結果としては利益が出ないところもある。顧客に対して「お願い」しか出来ない宅配業界側が、一方的に逼迫(ひっぱく)してきたのでございましょう。
で、今回の値上げ、そして採算の合わない取引の切り捨て。これは、宅配業者側が「お客を選ぶ」時代に入ったということでございます。まぁ、お客を選ぶと聞くと横柄にも感じられますが、宅配業界は、そこまで追い詰められているのでございましょう。トップが動いたことで、同業の他社も追随してくるでしょう。
世の中、「送料無料が当たり前、送料を取るような店からは買わない」なんて風潮がございますが、これ、危険ですよ。ほんと、危険。送料は、必ず取った方がいい。もちろん、少量なら割高、高額注文なら割安という優遇措置は必要。郵便の料金が法律で決まっているように、宅配の金額も、ある程度、法律で縛った方がいいと思うのでございます。
「送料無料」というのは強力な集客能力がありますから、店舗は使いたいですよねぇ。でも、そのコストは、どこかにシワ寄せが来るはず。シワは歪みを引き起こし、歪みというのはその限界が来たときに全体が崩壊いたします。崩壊の危機を迫られての、今回のヤマトの勇断なのでございましょう。
時間指定とか、よくよく考えれば、ムチャクチャ便利なサービス。これは今よりもっと追加料金を取っていい。当日配送なんて、これはさらに追加料金を取ってもいいほどの便利なサービス。決して、こういった過剰サービスを「当たり前」にしてはいけないのでございます。
先日、というか、ほんの数日前、ひとつ面接がありまして。真面目な人ですし可能性も大いに有るということで、取りあえず採用という形になりました。で、本日、ホームページ用の写真撮影、およびプロフィール書き込みのために来店いたしました。
年齢が、18歳。正真正銘の18歳。いや、正真正銘とか言うと、じゃぁ正真正銘じゃない場合があるのかとかいう話になりますが、まぁ、それは、横に置いといて (/^^)/ 18歳ですの、なにもかもが”ほぼ未経験”の状態。お化粧から手取り足取りやってあげている状態でございます。
ホームページへのアップロードは、日曜日の夕方くらいには出来ると思います。まだ「見習い」状態ですので、写真の顔部分は盛大にボカシが入りますよ。プロフィール欄も、まだまだ未知数ですので、空欄ばかりになりま~す。
問題は、性体験の方もそれほど多くないということ。まぁ、それが「願ったり叶ったり」なんてお客さまもいらっしゃるのですが、お店としては全ての方にはオススメ出来るわけではない。と、いうことで、本当に「ド素人」ですので、それを了解された上で、お客さまの方からリード出来る方のみ、ヘルスコース限定で選んでいただくということになります。
「見習い」状態ですので、金額の方も大きく割引料金を設定したいと思っております。このお仕事は、接客を重なる程にどんどん変わっていきます。若い人ですので、上達も速いことと思われます。まぁ、どんなことになりますか? 温かい目で見守っていただきたく存じます。
ミサイルが発射されて、東京の地下鉄が止まるって、ちょっとやり過ぎだなぁ。「ミサイルが発射されたため、運転を見合わせ・・・」ってアナウンスも、不気味すぎるでしょ。すぐお隣の、ソウルの地下鉄だって、いちいち止まってないというのに。
電柱とかに登っちゃって降りてこない人に対して、下から「降りてこ~い」って言うとかえって頑なにしがみついちゃう。「降りてくるな!」って下ろさなければ、「すいません、降ろさせてください」って折れてくる、そんなコントがございました。
ここに来て、トランプさんの人気がチョイト上昇中。ミサイル・核実験の乱暴な国に対して強硬な態度を取っているのが、その理由のようでございます。まぁ、その強硬策が良いのか悪いのかは、もう少し経ってからでないと分からないですけどね。
でもね、トランプさんの言葉には、いつも「ハッタリ」が盛られておりますから、強硬策も「どこまで本気かな?」って常に疑っていないと、後から足をすくわれる。彼はビジネスマンですからね。そんなアメリカとミサイルの国との「お互いに腰の引けた丁々発止」に、日本はあまり振り回されたくないですねぇ。
3月に国連で行われた核兵器禁止条約の会議には、核保有国は参加しませんでした。被爆国である日本も、不参加。今は、バカ正直に「じゃぁ核は、なくしましょう」って言って自国の核兵器を封印した国が、貧乏くじを引いてしまうというのは明らか。「三すくみ」ならぬ、核保有国同士がお互いにすくんでいてバランスが取れている状態。
ミサイルの国にしてみれば、「おまえらは保有しておいて、新たな参入者は阻害するって、おかしいだろ」というところでしょう。自分たちの核は捨てずに、新たな参入者が持とうとする核は捨てろというのは、参入者にしてみれば納得いかないでしょうねぇ。