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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2017-04-26 【嘘を見抜ける人でないと、ネットを使うのは難しい時代】

以前、あるコンパニオンが目の手術をすることになりました。美容整形ではなく、目の上の筋肉が緩んでいるという生まれつきの病気で、それを治す手術でございます。でもなぜか、そのコンパニオン、美容外科の病院でやりたいと言って固執する。その理由を問いただしたところから、本日のお話は始まります。はじまり、はじまり~~。

そのコンパニオン、病院をネットで調べたそうでございます。検索結果の上の方にズラズラと並ぶ美容外科のひとつを選び、診療内容を確認したそうです。すると、自分の目の症状は、”美容外科でしか治せない、普通の眼科に行ってはいけない”と書かれていたとのこと。それで、美容外科に固執していたようでございます。

ワタクシ、その話を聞いて、「”宣伝文句”かもしれないよ、取りあえず、普通の眼科にも行ってきたら?」と促し、結局そのコンパニオンは、普通の眼科で治療を受けることになったのでございます。美容外科が悪いとは申しませんが、宣伝文句を固く信じ込むそのコンパニオンの姿を見て、今の若い人たちの過剰な「ネット信望」に気がついたのでございます。

まとめサイトが問題になった時期もございます。正しいことだけ書いてあればいいのですが、やたらに話を盛るサイトばかりで、中には間違ったことまで書いてあり、大問題になりました。そして、今日の「クローズアップ現代」のテーマが、「フェイクニュース」でございました。フェイクニュースとは、まことしやかに作り込まれた嘘のニュースのことでございます。

特に、選挙活動の期間などは、このフェイクニュースは多く湧いて出てきます。例えば、移民が暴動を起こしたという嘘ニュースを流しますと、移民に反対している立候補者の支持率が上がったりいたします。後から、それが嘘ニュースだと分かっても、一度上がった支持率はそれほど下がらない。実に効果的なプロパガンダとなり得るのでございます。

第二次世界大戦直後に亡くなられた日本の哲学者の「三木清」さんの、『人生論ノート』という作品がございます。その中に、こんな印象的な一節がございます。

「感情は主観的で知性は客観的であるといふ普通の見解には誤謬(ごびゅう)がある。むしろその逆が一層真理に近い。感情は多くの場合客観的なもの、社会化されたものであり、知性こそ主観的なもの、人格的なものである。真に主観的な感情は知性的である。孤独は感情でなく知性に属するのでなければならぬ。」(旧字体を新字体に変えてあります)

感情は自分の中にだけあるもので主観的、知性は広く普遍に存在し客観的なもの、こう考えるのが普通でございます。しかし、三木清は、これを逆だと言ったわけでございます。政府の扇動のもと、ほぼ全ての日本国民が「鬼畜米英」という”感情”を持たされた時代に生きた三木清だからこそ、出た言葉でございましょう。

さて、時代はめぐり、戦後70年あまり、今や選挙活動において、嘘ニュースは当たり前。そんな嘘ニュースを見て、一般大衆は「感情」を植えつけられ、それが選挙の結果にも反映したりしております。日本が軍国主義に走った70年前と、いったい何が違うのでしょう。大本営がネットに変わっただけでございます。

こんな時代には、溢れる情報から嘘を見破り、選択し、その選択したものから自分の知性を磨き上げていくことが重要でございます。さぁ、どうでしょう? 大勢の大衆がネットによって扇動される「感情」は実に社会的・客観的で、選択した情報から構築した自分の知性は実に主観的と言わざるを得ないのでございます。

その様な磨き上げられた知性の中から生まれる「真の感情」こそ、また知性的であるとも言っております。三木清はさらに、こんな事も書いております。

「感情は扇動出来るが、知性は扇動出来ない」

先ほどの「孤独は知性に属する」という言葉と合わせますと、扇動されない「知性」を持ったとき始めて、人は孤独になれるということでしょうか。多くの人がSNSなどで繋がり、ことさら孤独を恐怖する時代になっては、真の知性は生まれるのでしょうか?

ネットなど片鱗もなかった70年前の三木清の言葉が、現代社会でも重たく重たく感じられます。表現の自由が守られるのが、現代社会。しかし、今、その表現の自由が自分たちの首を締めかけているのも確かでございます。まとめサイトや嘘ニュースへの規制が話題になる中、ネットとの接し方の変革期に来ているのかも知れませんね。では、では。


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