店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
ワタクシ、来年、還暦でございますよ。でね、母親を10年前に亡くしているわけですが、その母親が今の自分の年齢の時ってワタクシは何歳だったんだろうと思ったわけでございます。計算しますと、ワタクシが「ニューハーフになります!」って母親にカミングアウトした歳。今現在の自分を見直して、「あぁ、この年齢の時に、自分の息子に衝撃の告白をされたのかぁ」とまぁ、いろいろ思い出した日曜日の昼下がりでございます。
ちょっとコロナのお話を。日本での新規感染者の数が劇的に減少し続けております。これがね、欧米とは真逆になってる。欧米はここに来て、V字回復(たとえ悪いな、笑)の様に増加現象。日本と海外諸国、条件はそれほど変わらないはずだと思うのですけどねぇ。日本にも第6波が来るのか? あるいは、このまま終息に向かうのか?
ここで、ワタクシのほんと無責任な仮定をひとつ。今、世界中にまん延しているのはコロナの変異株でございます。で、この変異株、ひょっとしたら「空気感染はしない」のでは? という仮説でございます。変異株は感染力がやや低めという研究結果が出ております。この感染力の弱さは、空気感染の有無に依るのではないか? そしてそれが、日本人の生活習慣に有利に働いているのではないか? そういった仮説でございます。
和菓子屋の娘「安子」は、朝一番の汽車で大阪に向かった。文通相手の大学生「稔」に会うためであった。昨晩、父親から政略結婚の見合いを強いられた安子は稔とは結ばれない運命を覚悟し、稔とのたった一日だけの思い出を作るために大坂へ向かったのである。
大坂で稔と再会した安子は、その内心とは裏腹に気丈夫に振る舞った。午後いっぱいを二人っきりで楽しく過ごし、夕方、稔は駅まで見送ったのである。安子の肩には稔のマントが掛けられていた。返そうとする安子に、稔は「そのまま着ていき」と声をかける。安子の顔には、複雑な迷いが微かに垣間見えたのである。
今日(11/10)放送の朝ドラ『カムカムエヴリバディ』の演出が、ネット上で大騒ぎになっております。この駅での別れのシーンの直後に主題歌が流れるという、朝ドラ初の斬新な演出。ドラマの最後に主題歌を持ってくるという演出はよく有るのですが、ドラマの残り2分を残しての主題歌は初めての様でございます。その最後の2分間に何が有ったかは、ネタバレになるのでモゴモゴモゴ。
演出家へのインタビューを読みますと、この演出、まさに編集のその作業中に思いついたとのこと。急ぎ、朝ドラのフォーマットとして許されるものかをNHKに打診。で、あの(ネットいわく)「短編映画の様な演出」になったそうでございます。思いついた演出家もすごい! それを許したNHKも、器が大きい! 今回の『カムカムエヴリバディ』は、スタッフ一同がノビノビと自由に作り込んでいる感じがして、清々しいのでございます。
主役の「上白石萌音(かみしらいし もね)」さん、器用な女優さんでございますよね。複数の感情が混じったような微妙な難しい表現をさらりとこなしております。また、他の役者さんのセリフにも細かく反応して、自分の台詞の無い時もきちんと演技をしております。ワタクシ、役者の真骨頂は、セリフの無い時の演技、そして、後ろを向いている時の背中の演技だと思っております。
こういった方が主役だと、スタッフはやりやすいでしょうねぇ。と、ここからが本題。今日は、「スタッフがやり難かっただろうなぁ」と感じられた朝ドラ、つまり「このドラマ、なんかグダグダ感が有るよね」ってタイトルを、ワタクシの独断と偏見で並べ倒すのでございます。まずは、ずらっと並べてみましょうか。参考までに、放送時のヒロインの年齢も添えておくのでございます。
放送年 | タイトル | ヒロイン | 備考 |
---|---|---|---|
2015年 | まれ | 土屋太鳳(当時20) | |
2016年 | べっぴんさん | 芳根京子(当時19) | |
2017年 | わろてんか | 葵わかな(当時19) | 働改 |
2018年 | 半分青い | 永野芽郁(当時19) | 働改 |
2019年 | なつぞら | 広瀬すず(当時21) | 働改 |
2019年 | スカーレット | 戸田恵梨香(当時31) | 働改、コロナ、本編ス |
2020年 | エール | 二階堂ふみ(当時26) | 働改、週5話、コロナ、本編ス |
2021年 | おかえりモネ | 清原果耶(19) | 働改、週5話 |
と、こんな感じでございます。ま~ずワタクシが言いたいのは、以前にも申し上げましたが、事務所のゴリ押しか何か分かりませんが、演技経験の浅い若い人を朝ドラに大抜擢するのはゴタゴタの最大の原因でございます。民放の軽いドラマと朝ドラは、主役に要求される仕事量が段違い。老け役も必要。序盤は良くても、中盤から終盤にかけてゴタゴタしてくるのでございます。『まれ』『べっぴんさん』『わろてんか』『半分、青い。』とか。
『なつぞら』は広瀬すずと清原果耶のゴリ押しで、スタッフがさんざん振り回された感じがいたします(あくまでも想像ですが)。『半分、青い。』『なつぞら』あたりは、撮影を進めながら同時進行で脚本が書き上がっていくという感じで、「とってつけたエピソード」が多かったものでございます。こんなところにも、事務所の横やりが入ったのでしょうかねぇ?
『スカーレット』はベテラン「戸田恵梨香」さんの好演でしたが、運悪く、コロナが始まった。後半は一人息子の死へ立ち向かう過激な闘病ドラマになるはずでしたが、コロナの死亡者も出始めてしまい、視聴者感情を考慮してか、ややゆるい闘病ドラマにするしか無かったと思えます。つじつまの合わないセリフなどもありましたし、後半は大幅にシナリオが書き換えられたのでしょう。不運のドラマでございました。
その『スカーレット』、相当に撮影現場が逼迫していたのでしょう。本編中にスピンオフ回を挿入するという奇策に出るのでございます。その逼迫感は次の作品にも現れてまして、それまで週6話だった朝ドラは、『エール』から週5話に放送回が削減。ただ、坪田政孝も二階堂ふみも経験豊かな器用な役者さん。コロナによるゴタゴタさえなければ、非常に出来の良い作品でございました。
ニュースから「ミヤギケントメシ」と聞こえてきたのでございます。「おや、朝ドラで一躍脚光を浴びた街で、どんなニュースが?」と思って見ますと、これまた胸くそ悪いニュースでございました。30代の引きこもり男性が刃物を持って保育園へ侵入しましたが、犠牲者が出る前に、男性保育士に取り押さえられるという事件が起きたのでございます。その犯人いわく「子供を2人殺せば死刑になれると思った」とのこと。
先日、京王線で似たような事件が有り、その直後、新幹線で模倣犯が発生。そしてこれでございますよ。かつては、小学校の児童が犠牲になったり、道路を清掃していたボランティアが轢き殺されたり、秋葉原のアイツとか。み~んな、自分ひとりで死ぬ勇気も無く(という逃げ口上でしょうけどね)、必ず、自分よりも「弱い者」を標的として、死刑という他力本願に頼ろうとする。野球に申告敬遠が有るように、こういった連中にも「申告死刑」なんてのを認めてやれば良いんじゃないですか、プン、プン!
これが自殺のニュースの場合は、その方法や手段を細かく報道するのは、今は全てのメディアが自主規制しております。その報道を見た人が、真似をするからでございますね。上述の死刑願望他力本願野郎達のニュースも、事細かい報道は自主規制すれば良いのにね。単純に「不審者がいました、取り押さえられました」でよろしいのでは? 「死刑になりたくてナンタラ」という報道をした途端、「あぁ、俺と同じヤツがいた」と同調・共感してしまうバカを生みだしてしまうのでございます。
交通事故のニュースなども、凄惨な事故の現場や荒っぽい事故寸前の映像などが、マスコミにもネットにも溢れかえっております。そんな荒っぽい運転の映像が報道される度に、「あぁ、俺以外にも荒っぽいヤツが大勢いるんだ、安心、安心」というある種の共感を一部の人に与えてはいないでしょうか? ここはひとつ、安全運転をしている映像、ルールをきちんと守っている人たちの映像を限りなく多く流して、「安全運転が“普通”なんだよ」というサブリミナル効果を世の中に与えるべきでございます。
ここ一世紀の間に人類は、新聞→ラジオ→テレビ→ネットと世の中の情報量とそのスピードを二桁倍・三桁倍に革新させております。衝撃的なニュースの方が数字が取れるのでしょうね。各メディアが、より購読して貰おう、より視聴して貰おうと競い合う中で、我々は常に、より悲惨・不法・不安といった物ばかりを見せつけられている! このマイナスのバイアスは、いずれ人類を滅亡させるかもしれない! そう、ワタクシは今、断言するのでございます!