店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
え〜、正月五日といいますと、「初えびす」の日なのでございます。関東地方ですと「酉の市」と称しまして、毎年11月の酉の日に鷲神社(おおとりじんじゃ)で盛大に熊手を売っていたりいたします。一方名古屋では、酉(とり)ではなく恵比寿様を祝うようでございまして、毎年1月5日に熱田神宮で行われる「初えびす」が有名でございます。
お店がオープンして以来かかさず行っている「初えびす」ですので、今回で10回目ということになりましょうか。昨日の営業終了後、広告原稿を作ったり、ホームページの更新などをしておりましたら、時間はあっと今に明け方の4時頃。ここで仮眠なんてことをすると寝過ごすのは必至、さっさと準備して行ってきたのでございます。
雨に降られる年もあれば、雪の年もございましたが、今年はかなり暖かいのでございます。いつもなら、古い熊手を焼く“たき火”がこの上なくありがたく、しばしあたっていたりするものでございますが、今年はむしろたき火の火が熱いぐらい。古い熊手を火の中に放り込み、新しい熊手とお札をいただき、お参りをしてさっさと帰ってきたのでございます。
ワタクシは母親を5年前に亡くしております。年を取ってくると、体の様々な部分が母親と似てくるのを、まじまじと感じたりいたします。まず、目もと。目は母親とそっくりになっちゃいましたねぇ。そして体型(笑)。まぁこれは、自己責任も半分ということで母親のせいばかりには出来ません。あと、母親はぜんそくの持病を持っており、ワタクシも同様にぜんそく持ちなのでございますが、気がつくと、晩年の母親とそっくりのせきをしているのに気がつくのでございます。親子でございますねぇ。
(西原の夫、鴨志田の葬式の日に、高須が西原に向かって) 高須:「いいですか、西原さん。人間は遺伝子の乗り物です」 「鴨志田さんは、もう新しい船に乗船しました」 「古い船の事は、忘れてしまいなさい」 (西原の息子を指して) 「ほら、あんな新品の船に乗船している鴨志田さんをごらんなさい」 「彼は、しあわせですよ」
本日は名古屋駅の近くに用事がございまして、それを済ませた後、ちょいとビックカメラに寄ってまいりました。まぁ、ああいったお店の中をブラブラするのは大好きなのでございまして、何も買う物がなくてもつい立ち寄ってしまう性分なのでございますが、本日は最初から購入したいものがございました。空気清浄機でございます。
実は、ここ数年、ときどき発生するVIPルームの“異臭”に悩まされておりました。どこからか忍び込んでくる下水の臭いなのですが、下水管関係を全部チェックしても異常なし。どうも壁のどこかの隙間から入ってきているようでございます。それで、隙間という隙間を全部コーキングで塞ぎまして、床も畳を取っ払ってビニールフロアに改装したけれど、まだ臭ってくる。
さらに、ちょっと高価な熱交換機付の換気扇を導入いたしましたが、24時間フル回転させても効果無し。下水の臭いというのはオナラの臭いと同じなのでございますよね。コンパニオンはそのVIPルームの事情を知っておりますが、お客様はご存じ有りません。「このコンパニオン、オナラした?」とあらぬ疑いをかけられてしまったコンパニオンも少なくなかったことでございましょう。
どうもお店が入っているビルの構造そのものに問題があるようで、臭いがひどい時にはビルの廊下まで臭いが立ちこめておりました。ビルの管理会社にも相談しましたが、地階があるビルの場合は、下水管が直接下水道に直結しておらず、一度、最下層に設置してある汚水タンクに溜まるそうでございます。そして、そのタンクがいっぱいになるとポンプが自動的に作動して、汚水を下水管に流し込むとのこと。ポンプが作動する時に、どこからか汚臭が漏れる“道”が出来てしまっていて、それでビルの中に入り込んでしまうのではないかとのこと。管理会社の人も、根本的な原因が分かっていないようでございます。
さて、前説明が長くなりましたが、その汚臭、入ってくるのは仕方がない。今までは換気をすることで臭いを消そうとしておりましたが、お客様が使用中に窓を開けっ放しにしておくわけにもいかない。そこで発想の転換(と言うほど大げさなものではございませんが)、臭いそのものを消してしまうことにしたのでございます。そう、空気清浄機でございます。最近はオゾンとかプラズマとか、何やら科学的な力で消臭する空気清浄機がブームだとのこと。どうせ買うのなら選択肢が多い方がいい。ということで量販店、「ビックカメラ」の登場でございます。
売り場でいろいろ眺めておりましても、いったいどれが効果あるのかとんと分からない。まぁ、そこそこ高価なものであれば性能もいいだろうという単純な発想で、ちょっと大きめの機種を物色しておりました。そして決めたのが、SHARPの「プラズマクラスター」という方式の空気清浄機。いや、このプラズマナントカにどれほどの効果があるかは分かりませんが、決め手となったのは、VIPルームに置いてあるSHARP製のテレビと同じ色だったということ。ただ、それだけでございます。ね、色がそろっているって、なんだかカッコイイじゃん。
「成人の日」でございますね。自分の成人式の日って、何やってたかなぁって思い出すと、2浪のボロボロの受験生。しかも目標は「音大」。午前中はあんこ工場(和菓子に入れる「餡」をいっぱい作っている工場)でアルバイトをし、午後から夜にかけて毎日8時間ぐらい練習をしている日々でございました。成人式って言ったって、なんか着ていく服もないし、というか本当は振り袖を着ていきたかったけど、そんなもの買うお金も、着て行く勇気もなかったし...ということで、成人式はバックレ(しらばっくれるとかサボるという意味)て、自分の部屋で悶々としていたような気がいたします。
音大っつっても、お金がないので公立のピンポイント受験。そして、その公立の音大っていうのは「東京音大」と「京都市芸」のふたつしかない。どちらも競争率30〜40倍。受験勉強を2浪もしていると、自分の可能性っていうのが見極められてくるものでございます。ここは妥協して「愛教大の音楽科」なんていう選択肢もあるのでございますが、当時は血気盛んな若者であったワタクシ、「ケッ、先コウなんかになれるかよ」なんて思っております(教職の激務に従事されていらっしゃる方々、ごめんなさい、若気の至りです)。きっと「目標を下げたら負け」なんて思っていたのでございましょうね。現実を直視する勇気を持てず、目標が定まらないままに、ただただ黙々と練習だけを続けている日々でございました。
午前中は蒸気釜の大鍋を前にして、ズタボロになってアルバイトをし、午後はひたすら練習をする。ソルフェージュ、ピアノ、専門楽器と、やるべきことは山ほどあり、8時間でも足らないと思っておりました。でも、そんなアルバイトと練習の日々が、まったく辛くはなかったし、それを軽くやってしまう体力もあった。年を取ると脳細胞は賢くなるが体力が無くなる。若い時は体力はあるけど頭の中が単細胞。世の中、うまく出来ているものでございます。目標が定まらないまま、血気だけは熱く、パワーは余りまくっておりました。軍隊の一個中隊でも与えられたらクーデターでさえやりかねない、そんな若者だったのでございましょう。
さて、ちょっと話が変わりますが、最近見たふたつのテレビ番組のお話をいたします。ひとつは1/4にNHKで放送された『7サミット』という番組。これはニートであった若者が山に魅せられ、7大陸のそれぞれの最高峰に挑戦するドキュメンタリーでございます。もうひとつは1/8にテレビ東京系で放送の『たけしのニッポンのミカタ』という番組で、やはりニートが話題になっておりました。何でも最近は、ニート同士がネットでコミュニケーションを取り、お金を恵んだり恵んでもらったりするサイトがあるとのこと。同じニートを扱ったふたつの番組でございますが、妙に対照的な内容であったため、印象に残っております。
両者は同じように、生きる目的が見つからない青年たちの姿でございますが、一方は有り余ったパワーを大きな目標にぶつけるドン・キホーテのような生き方をし、かたや一方は、惰性で生きる者同士が傷をなめ合って現実を直視しないようにしている。この両極端に見えるふたつの生き方に共通するのは、「傷つきたくない」という衝動。そう、若者は傷つくのを恐れるものなのでございます。パワーを出し続けていないと心が壊れてしまったり、傷をなめ合うことで孤独感を紛らわしたり、大人になるのが怖くて成人式で暴れてしまったり...そう、若者のガラス細工のような心は傷つきやすいのです。だから、若者は気取ってばかりいるのでございます。
閑話休題。ガムシャラに山に登っている若者を見ると、「目標を達成しても空虚感が待っているだけだよ。だって、君はただパワーを山にぶつけているだけだから。ぶつけるものが無くなったら寂しくなるだろ」と思ってしまう。それは、自分も通ってきた道だからよく分かる。そして傷をなめ合っている若者たちには、「君たちの中には核融合でも作り出せないような巨大なパワーが秘めているのに、どうして使わないんだい。使っても使わなくても、そのパワーは年を取ると無くなってしまうんだよ」と思ってしまう。それは、ワタクシも若い頃は「この若さが永遠に続く」なんてアマッチョロイことを考えていたから。
ゆとり教育というものが、“我慢の出来ない若者”を大量生産しているような気がしてなりません。でもその教育のシステムを作っているのは大人たち。大人の「いつまでも可愛い子供のままでいてね」という子供をペット化する思いが、そのようなシステムを作ってしまったのかもしれません。その最大の被害者は当の若者たち。世の大人たちは、最近の若者の弱体ぶりを嘆く前に、子供たちを崖下に突き落とす勇気を持てなかった自らの心の甘えに、気づくべきでございます。そして若者たちよ、大人に責任転嫁したところで、自分の人生はすべて自分にツケが回ってくるんだよ。大人を反面教師にして、生きろ!、そう言いたい。
さらに話は変わって、ずっと前に、かぐや姫の『神田川』という歌の歌詞について書いたことがございました。最後の「ただ、あなたの優しさが、怖かった」という歌詞の深い意味に関してでございます。これに関して、テレビのあるバラエティー番組で言及しておりましたので、改めて補足いたします。この歌の歌詞、前半の石けんカタカタとか二四色のクレパスとかのくだりは、女性目線の歌詞だそうでございます。そして、最後の「若かったあの頃、何も怖くなかった、ただ、あなたの優しさが怖かった」という部分だけは、男性目線の歌詞だそうです。女性のひたむきで平凡を求める愛情に溺れそうになる心と、秘めたパワーのやり所に困る心、このふたつの心の間で葛藤する若者の心の歌だったのでございます。
「夜中に急にいなり寿司が食べたくなる…」というコンビニのCMがございましたが、昨日の晩は夜中に急に『タイタニック』が観たくなり、朝方までかかって鑑賞したあげく寝過ごしてしまい、「ママ、お店の鍵を開けてください」という従業員からの電話で起こされてしまいました。従業員には普段から早起きを推奨しているワタクシとしたことが、大失態なのでございます。
なぜ『タイタニック』なのか? そう、ちょいと前にジェームス・キャメロンの『アバター』を観てきたからでございます。絶大なるCG技術を駆使した最新映画を目の当たりにして、そのCG技術黎明(れいめい)期の作品を懐かしくなりまして、まぁ、ちょっとさわりだけみようと思ったらいつしか全編観ちゃっていたのでございます。で、その『アバター』でございますが、超おすすめでございます。ストーリーは単純でございますが、とにかく楽しませる事に徹した映画でございます。ある意味『スターウォーズ』のあの娯楽性に通ずるものがございます。
映画の内容を言ってしまうのはヤボですので、ちょっと違う視点で説明してみましょう。この『アバター』に登場する異星人、肌の色を除けば全くもってアメリカインディアンにそっくりでございます。キャメロン監督も、意図的にそのようなデザインにしたようでございます。「『アバター』は『ダンス・ウィッズ・ウルブス』のリメイクだ」とも言われているように、このアメリカインディアンとの相似には、キャメロン監督の“わざとらしい”意図が垣間見られるのでございます。観ていない人には意味不明でしょうけどね、まぁ、観てみればすぐに分かります。
ワタクシはこういった意図が盛り込まれている映画を個人的に、「アメリカの免罪符映画」と呼んでおります。「人類の存亡をアメリカが救う」といった「アメリカ・アズ・ナンバー・ワン映画」がもてはやされた時期もございましたが、その一方でアメリカ人の心の古傷をほじくり返すような映画が作られるのも、最近のアメリカ映画の傾向でございます。どこの国の歴史にも明部と暗部があるわけで、クリント・イーストウッドなんて監督も、その暗部をチクチク掘り出すのが好きな監督でございます。かつて猪突猛進だったアメリカも、今その方向性に迷いを感じている時期なのかもしれませんね。と言うと日本にも暗部があるのでございますが、な〜んかなぁ、日本ではその“暗部”がアンタッチャブルになっちゃっていて、なかなか取り上げられなかったりするのでございます。「出る杭は打たれる」なんていう実に日本的なことわざが、そういった体質を象徴していますよね。
さて、先ほど『ダンス・ウィッズ・ウルブス』が出てきましたが、ワタクシが思い出したのは、ロバート・レッドフォード主演の『大いなる勇者』という映画でございます。これも、白人とアメリカインディアンとの悲しい歴史に翻弄(ほんろう)された、ある白人男性の物語でございます。小さい頃にこの映画を観て、なんだかひどく悲しい気分になって、ストーリーはあやふやなのに、その悲しい感覚だけは鮮明に小さなトラウマになっております。小さいときに触れる芸術作品というのは重要でございますね。と同時に、「三つ子の魂百まで」とは、よく言ったものでございます。
ワタクシは3D(立体)版の『アバター』を観てきましたが、う〜ん、まだまだ過渡期の技術なんでしょうねぇ。ワタクシが観た方式の3Dでは、ちょっと疲れてしまったのでございます。いろいろな情報を読むと、どうもIMAXという方式が一番評判が良いようでございます。そういえば、昔、新宿高島屋にあったIMAXで観た立体映画は、非常に鮮明でスクリーンも巨大、とても迫力があったのを覚えております。ところが、今現在日本で稼働しているIMAXの映画館は、その本来の巨大なスクリーンよりは少し小さめのスクリーンだとか。まぁ、この不景気では、しょうがないですよね。それを考えると、新宿高島屋のIMAXが潰れちゃったのは、もったいなかったですねぇ。もう少し3Dブームが早く来ていれば、今頃ウハウハでボロもうけしていたでしょうに。
ちょいと業務連絡を。当店の掲示板にもお問い合わせをいただきましたが、東京店とコンパニオンをやり取りする「スポットメンバー」のイベントが、ここしばらくの間“凍結”状態になっております。東京店と話の折り合いがなかなかつかず、ゆっくり時間をかけて調整していくつもりでございます。期待していらっしゃるお客様にはご迷惑をおかけいたしますが、今しばらくお待ちくださいませ。
あともうひとつ、ご報告を。以前、ビデオメーカー「アルファーインターナショナル」社のタイアップを受けまして、当店のコンパニオン出演のAVビデオをプレゼントするという企画がございました。今回、再び同社からタイアップをしていただきまして、同じような企画を行う事になりました。期日は、2月を予定しております。
ちょうど1週間前はワタクシの母親の命日でございました。ワタクシ、ちょっと考えがありまして、お墓も作っておりませんし、遺骨も拾っておりません(よい子は真似をしないように!)。ただ、母親の命日には、デパートでちょっと高級なお弁当を買ってきて仏前にお供えするのが、毎年の常となっております。本日もその恒例の行事を実行すべく、ちょいと時間をいただいて外出してまいりました。
天気も良かったのでテクテクと歩いて外へ。アネックス(2号店)に顔を出して様子を見、そのまま東新町のATMで支払いを済ませ、さぁ三越まで足を伸ばそうかなと思ったときでございます。あの付近を歩くとすぐ分かるのですが、うなぎ屋さんが実に美味しそうな香りを漂わせているのでございます。そこで、ワタクシ、ふと思ったのでございますよね。
三越で何千円もするお弁当を毎年買っているけど、あれって、確かに食材はいいけど、味が地味だし、大して量もないし...なんて考えておりましたら、かつて母親と一緒に大須のうなぎ屋へ行ったときの光景が思い出されたのでございます。きびすを返しまして、いざうなぎ屋へ。ひつまぶし弁当とおだしのパックと、あと母親が好きだった“う巻き”を買って、いそいそと自分の部屋へ向かったのでございます。
なんでしょうねぇ。三越の高級弁当をお供えしていたときには感じなかった、妙にワクワクした想いがわき上がってくるのでございます。もうね、気分は新婚直後の帰宅を急ぐサラリーマンのようなものでございます(いやワタクシ、“新婚”も“サラリーマン”も経験ないですけどね)。きっと、母親とうなぎを食べた思い出がそうさせたのでしょうか、イソイソと家路を急ぎ、お供えしてお線香を上げ、お経を読んで、一段落でございます。
これは、ワタクシのちょっとしたエピソードでございますが、人を愛するってことは、この「ワクワク」、この「ワクワク」だけでもう必要十分条件ではないかと思うのでございます。家で待っている人に早く会いたい。このお土産を早くあの人に渡してあげたい。たった、それだけの気持ちで必要十分なんじゃないでしょうか。そういえば、小さな子供の頃ってのは、家に帰るのが楽しみでしょうがなかったですよね。家というものが、自分を温かく迎えてくれるすばらしい場所だった。みなさんも、そんな自然と家路を急ぐような体験って、なかったでしょうか。
さて、本日見たテレビ番組で(テレビの話題が多くて申し訳ないです)、30代から60代の社会人のストレスの原因は、男性の1位から3位が「仕事」「上司」「同僚」、女性の場合が1位から「配偶者」「子供」「仕事」ということだそうでございます。男性の場合は一日の多くを職場で過ごしますので、まぁ妥当な結果なのでしょうが、女性のストレスの大きな原因が配偶者と子供というのは、なんだか悲しいですよねぇ。新婚当初はホンワカホンワカだった家庭が、いつのまにかストレスの元凶になっちゃってるということは。
先日、映画『アバター』に関する記述で、「CG画像は画面全体にピントが合っている」と書きましたが(1/20付の欄)、これは大きく間違っておりました。というのも、『アバター』をあらためてIMAXの映画館で見直してまいりました。この映画、フル3Dの場面でもちゃんとカメラの光学レンズのピントが合う範囲の効果(被写界深度)をシミュレーションしております。前回の映画館の方式では画面が暗かったので、頻繁に3D用の眼鏡を外すことになり、気がつかなかったようです。IMAXの明るい画面では3D用の眼鏡を外すようなこともなく、しっかりと確認出来たのでございます。
さて、同じく最近見た映画がございます。『オーシャンズ』でございます。今回は、この映画の確信のようなものをしっかり書いちゃいますので、まだ観ていないので予備知識を得たくないという方は、この先を読むのはご遠慮ください。
---------- Intermission ----------
ワタクシ、映画の嵐のシーンが大好きでございます。小さい頃に観た『ジャワの東』という映画に感化されたのでしょうか。その他にも『白い嵐』であるとか『パーフェクト・ストーム』なんて映画は大好きでございます。今回、この『オーシャンズ』を観に行ったのも、本物の嵐のシーンがあるからとのこと。もうね、ほんの数分の嵐のシーンのために、お魚のシーンをず〜と我慢して観ておりました。いや、失礼、お魚たちも面白かったですよ。で、その嵐のシーン、CGではない実写の迫力は、大変なものでございます。たった数分の映像を撮りためるために、なんと3年間も理想的な嵐を待ち続けたとのこと。もうね、すっかりその嵐のシーンで堪能させていただいたのでございます。『剣岳 点の記』の解説でも申し上げましたが、CGを使わないという大前提は、製作側と観客側とに、ある種の信頼関係を生み出すのでございます...と言いたいところでございますが、ところが、ところが、この信頼関係、映画の最後であっさりと裏切られるはめになるのでございます。
映画の中盤にとても残酷なシーンがございます。フカヒレ漁のシーンでございます。網で捕獲されたフカが船の上に引き上げられ、胸ビレ・背ビレ・尾ヒレ全てを無残にも切り取られ、また海に捨てられるのでございます。口をパクパクと動かすただの肉の塊にされたそのフカは、ゆっくりと海底に沈んでいき、動かなくなります。この一部始終の全てを、海中から上を見上げた「サカナ目線」で撮影しております。まるで漁の風景を盗撮しているかのような映像でございます。この何ともショッキングな映像を目の当たりにして、観客はこの映画のふたつ目のメッセージを受け取ることになるのでございます。ひとつ目のメッセージは大自然が自明的に持つ調和の力。そしてこのふたつ目は、その調和を乱すように働く人間の力でございます。
で、先ほど、製作側と観客側との信頼関係があっさり裏切られると申しましたが、それは、映画のいちばん最後に添えられた言葉に由来いたします。映画の最後には、「撮影に当たって魚を一切傷つけていません。一部の残酷なシーンは、映像的な処理によるものです」と添えられるのでございます。確かにパンフレットを見ると、フカヒレ漁のシーンはアニマトロニクス(精巧な動物型ロボット)を使用していると書いてございます。む〜ん、確かに最近の風潮を考えますと、あの残虐シーンを本物で撮影するというのは問題が残るでしょうねぇ。しかし、現に残虐なフカヒレ漁は密かに行われているわけで、映画は間違ったな情報を提供しているわけではないでしょう。でも、この映画のメッセージの重厚さは、かなり薄らいでいるような気がいたします。
『オーシャンズ』という映画、何も考えずにノンビリと映像を眺めていたいというのには、ピッタリでございます。種の絶滅に対するメッセージは込められておりますが、そういった理屈臭い映像は、最後の方の最小限にとどめられております。単純に自然の醍醐味を堪能出来る映画でございます。そして、すべての映像を通して、魚たちとの距離感が実に近い。魚に接近しての撮影には、相当な苦労があったはずでございます。また、音声も非常にクリアなのは、ワタクシ的に高得点なのでございます。若干、効果音的なものが入れられている部分もあるようですが、基本的に海の中の音をそのまま録音している。ノイズが入りやすい海中撮影で、クリアな音声を録音するというのにも、苦労が多かったはずでございます。