最新 追記

薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2009-02-06 不自由という名の極楽

ごぶさたでございました。一週間ぶりの書き込みなのでございます。この時期になりますと、ワタクシ、アレルギー性の喘息に悩まされるのでございます。この病気とは、10代の頃からのおつきあい。時期が時期だけに、毎回受験シーズンには、この喘息に悩まされた嫌な思い出がございます。

最初は風邪薬や咳止めシロップなどいろいろ試したのでございますが、ほとんど効き目がない。10年ほど前、まだ東京にいた頃、とある薬局で調合してもらった薬を服用したところ、これがピタッと効いたのでございます。結局それ以後は、東京に出向いたときを利用して、シーズン前にひとシーズン分の薬を買い込んでおります。同じ薬が名古屋で手にはいるのかもしれませんが、ジンクスというか、げんかつぎというか、その薬局で買わないと効かないような気がするのでございます。

最近、インターネットで薬が買えないようにしようという働きがございます。ネットで薬が買えるというのは、便利な反面、落とし穴も多いのでございます。世の中には、簡単に手に入らない方が良いものもあるのでございます。また、バイアグラとか女性ホルモンのような薬には、ネット上に多くの希釈品や偽物も出回っており、それらで体を壊してしまう人もいたりいたします。

そういえば、10年くらい前の事件でしょうか、青酸カリをネット上で売りつけるという事件がございました。売る側は、その青酸カリを「お守り」と称して売っていたのでございます。買う人たちは、「毒薬」を持ち歩くことに「何かしらの高揚感」を得ていたのでございましょう。たまたま自殺願望の人がそれを手に入れて、服用し、問題が発覚したのでございます。

確かにネットで何でも買い物が出来るというのは便利ですけど、どこかで線引きというかルールは必要だと思いますよ。人の心というものは弱いものでございます。「自由」ということは便利な反面、「自制する強さ」を人の心に要求するのでございます。そう考えると、「不自由」というのは、何も考えなくても良い分、楽なのかもしれませんよ。なんてことを書いておりましたら、お店のすぐ近くにコンビニがあるというのは、これはダイエットにとっては非常に苦しいことなのだと気づいたのでございます。


2009-02-07 国会中継が楽しい経済学

中国は老子の言葉に「大道廃れて仁義あり(だいどうすたれてじんぎあり)」という言葉がございます。世の中の基本的なルールが守られないようになると、本来説く必要のない道徳心で人を諭さなければならないという意味でございます。今風な言い方をいたしますと、「モラルハザード」なんていうのでございましょうか。

「それは人としてやっちゃいけないよ」という基本的なルールには、細かい法律が作っていなかったり、チェックが甘かったりするものでございます。そういった法律の隙間を突いて、要領よく立ち振る舞う人たちがいたりいたします。国会で「天下り」が問題になっておりますが、その天下りも、細かく規定する法律がないために、野ざらし状態になってきた問題のひとつでございます。

そもそも法律を作っているのは「国会」でございまして、その国会を陰で牛耳っているのは官僚でございます。官僚の方々が、自らが損をするような法律に対して前向きに取り組むなんてことは、あり得ないのでございます。軍隊に憲兵があるように、官僚や国会議員を取り締まるのなら、ワンランク上層の組織でなければ、難しいと思うのでございます。

一方、ワタクシ、天下りが全く悪いとも思わないのでございます。もらっている給料が常識外れに高額というのは問題でございますが、人生というもの、何かしらの「ごほうび」がなければその仕事に尽力を注ぐという気持ちが失せてしまうのでございます。今風な言い方をすると「インセンティブ」とでもいうのでございましょうか。「年をとってからいい思いが出来る」という目標があってこそ、官僚という雑多で負担の大きい仕事にも我慢が出来ようというものでございます。

となりますと、これは法律による「縛り」と官僚本人の「自覚」とのバランスが重要になってくるのでございます。法律による縛りにも限界がありますし、制定したところでまた法の隙間を突いてくるヤカラが出てくるのは必至でございます。それに、法で縛りすぎますと、今度、本当に能力のある人が第二・第三の人生を有効に活用するということが難しくなってまいります。杓子定規に規則で縛るというのは、あまり現実的ではございません。

そこで、官僚本人の「自覚」も必要なのでございます。「これくらいはもらってもバチがあたらないよな。まぁ、これ以上もらうとマズイだろうけどね」といった本人の自重心に頼るしかないのでございます。世の中が完璧に法律で規制できないとなると、頼るところは本人の道徳心なのでございます。天下り問題は、法律の制定も重要だとは思いますが、まず必要なのは、官僚・国会議員すべての人たちの「意識改革」だと思いますよ。そして、金額をある程度定めた上で、「生ぬるく天下りを許す」といったさじ加減はいかがなものでございましょうかねぇ。


2009-02-08 アリアリの新人、チェリーさん入店です

明日から、玉アリ竿アリの「チェリー」さんが入店いたします。公休日は日曜日でございます。月曜日から木曜日まではフルタイム出勤でございますが、金曜日と土曜日は夜10時までの出勤でございますので、お気をつけくださいませ。ホームページの写真は、急ぎポラロイドカメラで撮影したものなので、あまり綺麗に撮れていないかもしれませんね。そのうち、きちんとしたスタジオ撮影をした写真に更新するつもりでございます。

では、新人の「チェリー」さん、みなさん、よろしくお願いします。


2009-02-09 かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし

10代の頃は、今の若さが永遠に続くものだと信じていた。けれど20代になると、時間の流れを逆に泳ごうとすることがまったく無意味なことだと、思い知らされるようになる。

その後、20代から30代になり、その度に自分の人生を振り返るときが何度もある。そしてその度ごとに、それまでの人生がほんの一瞬の出来事のように思えてくる。このまま死ぬまでに何度も人生を振り返り、その度に、それまでの何十年という過去が一瞬の出来事のように感じられ、そしてさらに、一生を全(まっと)うするときにも、同じように自分の一生をまるで一瞬の出来事のように感じるのであろう。

 人生は、楽しんだり、悲しんだり、恨んだり、悩んだりする
 けれど、これはすべて、一瞬の出来事の中のひとこま
 
 富や名声を持ち続けたいと願う
 けれど、持っていられるのは一瞬の間
 
 やってしまったことを悔やみ、何もやらなかったことも悔やむ
 何もかも、一瞬の出来事
 
 愛することの意味を考え、愛されることの喜びを知る
 その一瞬の間に
 
 出逢いがあり、結ばれ、そして別れの消失感を味わう
 でも、別れはお互いさま、すべてが一瞬どうしの交わりなのだから
 
 裸で生まれ、一瞬の時を過ごし、裸で死んでいく、これはみな同じ 
 人生というものは、本当はすごく単純なものなのかもしれない

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映画『ベンジャミン・バトン〜数奇な人生』を観てまいりました。2時間47分という超大作。でも、見終わったときにはあっという間に感じられるような、実におもしろい映画でございました。年をとればとるほど、人生というものの短さを実感するようになるものでございます。人間の人生は、川面に浮かぶ泡沫(うたかた)のようなものでございます。プクッと現れ、少し流され、パチンとはじける。人生とは、そんな一瞬の儚(はかな)い出来事でございますが、その一瞬の間に作り出された文学や音楽や絵画といったものは、永遠に残されて醜態をさらすのでございます。まぁ、何とも残酷なことでございます。


2009-02-10 VIPルームの防水工事のお知らせ

はぁ、明日は祭日だったのでございますね。バタバタした日々を過ごしておりますと、祭日とか忘れちゃうのでございます。

さて、以前VIPルームの水漏れのお話をしたことがございましたが、その後、応急承知で使っていたVIPルームのバスルームを、本格的に防水処理をすることにいたしました。明日(2/11)の夕方からあさって(2/12)の終日の間、VIPルームは工事のためご利用できません。ご迷惑をおかけいたしますが、ご了承くださいませ。VIPルームがご利用いただけないだけであって、お店は通常営業しておりますので、よろしくお願いします。ということで、告知なのでございます。

●VIPルームの防水工事のため、二日ほどVIPルームがご利用いただけません。

期間:2/11(水)の夕方〜2/12(木)の終日


2009-02-11 全国規模チェーン店、ゲッキョクニューハーフヘルスなんてのも

毎日電話を取っておりますと、ときどき面白い電話を頂いたりいたします。本日も「○○のお店の場所を教えてください」なんて電話を頂きました。今回、この○○には名古屋の他のお店の名前が入っていたわけでございますが、この○○に東京や大阪のお店の名前が入ったりして、このような質問の電話はときどきかかってまいります。

まぁ、お客様は他意なく気軽に質問されているのでございましょう。他のお店のことは営業的に答えられないという理由も有るのですが、それ以前に本当に他店の場所ってのは知りません。ということで、低調に「分かりません」とお答えしたりいたします。

また、このような質問を頂く理由は、当店の店名にも関係がございます。『名古屋シィメイル』のシィメイルは、ニューハーフを表す「シーメール」という語を変化させたものでございます。当然、「シーメール」という語は全国の多くのお店がその店名の一部に使ったりしております。ところが、この語がニューハーフを意味するというのを知らないお客様の中には、同じシーメールという語が使われている他店を、当店の系列店か何かと思いこんでいる方もいらっしゃいます。

これは、「月極駐車場」を「げっきょくちゅうしゃじょう」と読んでしまい、全国規模チェーン店の駐車場と思いこんでしまう笑い話のようなものでございます。「ニューハーフ」や「ミスターレディー」という語はあまりにも有名ですが、「シーメール」という語は、まだ十分に浸透していないのかもね。


2009-02-12 ぶらりショッピングのススメ

先日は、「シーメール」という語にまつわるお話でございましたが、当店の名前が、わざわざ「シィメイル」となっているのには、それなりに理由がございます。

まず、店名を決めるときに画数を気にしたというのもあるのでございますが、さらにもうひとつ大きな理由がございます。それは、先日も申し上げましたように、「シーメール」という語がそのまま「ニューハーフ」を意味しますので、他の多くのお店が「シーメール」という語を店名の一部に使ったりしております。

最近はお店の情報をインターネットの検索で調べたりいたしますが、その際、この店名の微妙な違いが大きく影響してくるのでございます。つまり、「シーメール」という一般の語を使いますと、「シーメール」で検索されたときに、何十件も検索に引っかかってしまうのでございます。一方、「シィメイル」という一般には存在しない語で検索していただければ、当店が検索結果のトップに引っかかってまいります。当店の名前は、インターネットの検索まで考慮したネーミングになっております。

かつてインターネットの黎明期には、いかにヤフーなどの検索結果の上位に表示させるかというような熾烈(しれつ)な競争がございました。ところが最近は、検索エンジンの性能が上がってきたのでしょう。ちょっと長めの単語で検索をかけると、ジャストヒットで目的のページを見つけてくれたりいたします。テレビのコマーシャルなどでも、わざわざ長々としたアドレスを言うこともなく、「○○で検索を」のような書き方をするものも多くなってまいりました。

目的のものがピンポイントで見つかるというのは、見つけてもらう方には都合が良いのでございますが、市場全体の経済効果を考えますと、あまりよくないのでございます。百貨店やスーパーマーケットのように、グルグルと探し回ってついつい余分なものを買ってしまうという方式は、余剰の経済効果を生み出すのでございます。といったことを考えておりましたら、そういえば検索エンジンの結果を表示するページには、検索結果に関係するような実に巧妙な別のリンクがいっぱい張られているのでございます。

よい商品に偶然に遭遇するというのがブラブラ歩きショッピングの醍醐味でございますが、ネットでのショッピングは、偶然のように張られているリンクが、実は巧妙に計算された誘導なのでございます。そんなネットの「無邪気を装ったしたたかさ」に囲まれていると、買うものも決めずにぶらりとショッピングに出かけたくなるものでございます。みなさま方、ネットショッピングは確かに便利でございますが、目的を定めずブラブラとショッピングをするのも、なかなか良いものでございますよ。


2009-02-17 全体主義で庇(かば)い合うのが、日本人の美徳だったはずなのにね

中川大臣、時の人となってしまいましたね。中川“前”大臣と呼ぶべきでしょうか。この人、扱い方によっては世界中の人気者にすることも出来たのに、辞めちゃうなんて惜しいですよねぇ。

世界中に映像が配信されているあの場であれだけ可愛く酔っぱらえるなんてのは、かなりの「豪傑」でございますよ。ただ、まわりの人たちが中川さんを「見殺し」にしちゃいましたよね。あれだけのパフォーマンスをしているのだから、もうちょっと絡んであげなさいよって感じ。せめて、横に座っていた日銀総裁が多少なりとも笑うとか声をかけるとかしていれば、「ハプニング」の域で片付けられていたかもしれないのにね。

いや、大事な会議の最中にあの泥酔状態では困りますが、すべてが終わった後の記者会見ですからねぇ。それに、昼食にもお酒が出るようなお国柄ですから、現地の記者はお酒に関してはそれなりに寛大だと思いますよ。中川さんのまわりの人たちが、もう少しユーモアを持ってフォローしてあげてたら、笑い話ですんだような気がいたします。

アメリカのブッシュ大統領は、靴を投げられて「サイズは○○だったよ」なんてユーモアで返しましたが、それを考える日本の閣僚とかは今回のような「大舞台」に慣れていないですよね。舞台慣れしていない緊張感が、中川さんを見殺しにしちゃったのではないでしょうか。それとも、「いい気味」と思ってあえて無視したのでしょうか。いや、ワタクシ、妙に中川さんをかばっておりますが、あの人、可愛いじゃない。決して悪い人じゃないと思うのでございます。

今回、その中川さんは辞任することになっちゃいましたが、なんでもかんでも辞めさせたりしていると、そのうち大臣をやりたいっていう人がいなくなっちゃいますよ。それこそ、訴訟ラッシュが続いて産婦人科医が大幅に減っちゃったように、日本から大臣がいなくなっちゃいますから。もっとも、今回の辞任で与謝野さんが三つの大臣を兼任することになるということですが、三つもの兼任が簡単に出来ちゃうということは、大臣の仕事ってもともとたいしたことなかったのでは...アハハ。


2009-02-18 ♪愛しくって、愛しくって、狂いそう〜、ドキューン!

「敏いとうとハッピー&ブルー」というグループをご存じでしょうか。そのグループのメンバーの一人が長らく「行方不明」ということになっていたのですが、実はその行方不明の人がニューハーフになっていたのでございます。このニュースは、昨年末にスポーツ新聞やテレビのワイドショーで取り上げられておりましたので、ご存じの方もいらっしゃるかもしれません。

そのニューハーフとして見つかった元メンバーが古巣のグループに合流いたしまして、この度、CDを出すことになったのでございます。そのいわく付きのCDの発売日が本日なのでございます。ワタクシ、そのニューハーフの方とは若干面識がございまして、何とか応援したいと思っておりますが、いかんせん、地味でどうなのかなぁという感じでございます。

昨年の暮れには、今大進撃中の「はるな愛」さんがCDを出しておりますので、どうやってもはるな愛さんと比較されちゃいますよね。ということで、比較しちゃうのでございます。

はるな愛さんのCDの曲はオリジナルでございます。作詞・作曲・編曲含めての全くの「新作」なのでございます。しかも、PV(プロモーションビデオ)を収録したDVD付き。ジャケットの写真はホログラム仕様で虹色に光っております。レコード会社はエイベックスということで、豪華なCDでございます。

一方、「敏いとうとハッピー&ブルー + ニューハーフ」の方はと申しますと、これが、「う〜ん」という感じ。曲は『射手座の女』。20年前のヒット曲の焼き直しでございます。では、編曲が斬新なのかと申しますと、編曲も昔のまんま。ほんとに「う〜ん」なのでございます。CDジャケットも薄っぺらくて簡単なもの。もちろん、DVDなんか付いておりません。レコード会社はコロムビア。しかたないって言えばしかたないのでございますが、「もうちょっと力を入れてやれよ」って感じでございます。

両者のジャケットの写真を載せておきます。みなさまがた、CD売り場とかで見つけたら、ワタクシの友人の『射手座の女』の方を、よろしくお願いするのでございます。いや、はるな愛さんにも頑張って欲しいですけどね、地味なレコード会社、地味な曲で頑張っているワタクシの友人にも、愛の手をお願いするのでございます。

ジャケットの写真


2009-02-23 古いやつほど、新しいものを欲しがると言った人もおりましたが

月末の各種原稿や支払いに追われながら、喘息と闘いながら、ついでに腰を痛めちゃったりしておりますが、名古屋薫、頑張っております。

本日は休養日。午前中かけてバタバタとATMで支払いを片付けてまいりました。このATMのバカさかげんにもひとこと言いたいのでございますが、それは後日ということで。夕方までにいろいろと用事を済ませまして、夕方から夜にかけて、映画を二本観てまいりました。ストーリーのネタバレはございませんので、安心して最後までお読みくださいませませ。

まず『チェンジリング』。主役の「アンジェリーナ・ジョリー」、なかなか熱演しておりますが、この役を演じるにはちょっと荷が重すぎたかも、と思ったりいたしました。まあ、そこはイーストウッド監督、緻密な作りで、良い映画に仕上げております。「硫黄島二部作」でもそうでしたが、この監督の真骨頂は恥部も美点もありのままに素直に描くことでございます。味付けよりもネタの新鮮さで勝負する、すし職人のような映画作りでございます。ですから、今回のような事実に基づくストーリーの場合、なおさらこの監督の良さが浮き彫りになるのでございます。

時代考証には力を入れている映画でございましたが、いかんせん、最近のデジタル撮影の映画は解像度が“高すぎる”。女優のシワのひとつひとつまではっきりと見えてしまうのでございます。その精細感が最新技術の真骨頂なのでございますが、大きなスクリーンで何もかも見えてしまうのは、やはりやや興ざめな感がございます。カメラ用語で「紗(しゃ)をかける」という語がございます。映像をソフトフォーカスにするということで、ひと昔前のテレビ番組では、女優さんが出演する場面にだけ、あからさまに使用されたりしておりました。もちろん、そんな“あからさまな”演出は過去の技術であって、最近の精細感をモットーとする映像技術の前では、女優さんたちは苦労するのでございます。

あるいは、「フィルムグレイン」という技術がございます。デジタル撮影されたカチカチの映像に、意図的にフィルム独特の粒子状のノイズを乗せる技術でございます。デジタル技術の台頭で、「ありのまま」の姿を鮮明に録画することが、最近のカメラでは可能になってきております。ところが、ありのままに写せば写すほど、何かしらの違和感も生まれる。見えすぎるのでございます。そこで商業作品などは、デジタルで撮影してもわざとフィルム状のノイズを加味して、アナログっぽさを出しているのでございます。ノイズレスを目指してきた技術革新が、その人間との接点の部分でノイズを加味する要求に迫られるとは、皮肉なものでございます。

記録映像ならば、出来る限り鮮明に録画できる方がいいでしょうが、こと「映像作品」となりますと、そこには「味わい」というものが重要になってくるのでございます。そして、今まで何十年も「フィルムによる映像」を見続けてきた人にとっては、フィルムの持つアナログっぽさをその「味わい」としてすり込まれております。ところが、デジタルの精細な映像ばかりで育ってきた世代の人は、逆にそのカチカチの映像を「味わい」としてすり込むのかもしれません。ここで、世代によって「映像作品」に対する味わいの要求が変わってくる可能性がございます。逆に作品を供給する側には、作品の味わいをデジタルとアナログの両極端のどの位置に調整するかという選択を迫られるのでございます。

つまり、映像技術がアナログからデジタルに移行するに従って、変わったのは技術面だけではなく、それを享受する人間の感覚も、世代によって変化してきているのでございます。ちょうど今は、アナログ感覚の人とデジタル感覚の人が混在する時代なのかもしれません。『チェンジリング』の映画で、アップで写される女優さんの顔を見ながら、そんなことを考えたりしておりました。『チェンジリング』、いい映画でございますよ。是非とも、全く予備知識なしでごらんになることをお勧めいたします。ということで、もうひとつ、『七つの贈り物』も観てきたのでございますが、それは、また明日の分で書くことにいたしましょう。


2009-02-24 恐怖と畏敬と感動の混じった感覚って、分かりますか?

え〜と、昨日の分で書けなかった、映画『七つの贈り物』の感想でございます。今回もストーリーのネタバレはございませんので、安心してお読みください。

最初に申し上げますが、この映画は、全く予備知識なしで見に行くべきでございます。映画の広告文ぐらいは読んでも構いませんが、もし映画館でパンフレットを買ったら、映画を観る前にそのパンフレットを開いてはいけません。予備知識がなければないほど、この映画は楽しめます。

最初、この作品の原題を見たとき(あえて原題は記しません)、ちょっとドキっといたしました(邦題の『七つの贈り物』は、非常に意訳的に訳されております)。原題に使われている単語に、ある非常に恐ろしい訳を思い出してしまったのでございます。そして、その推測は、映画のストーリーが進むに従って、より確かなものへと変わってまいります。この映画の原題から、ある文豪を思い浮かべた方は、たぶんワタクシと同じようにドキッとするはずでございます。

そして、この映画はあまり説明的ではありません。小さなシーンのひとコマずつが、ラストシーンに向けて非常に重要なヒントになってまいります。ストーリーが進むにつれて、その小さなジグソーパズルのパーツが少しずつ組み上がり、ある程度組み上がってきた瞬間に、ラストシーンがはっきりと予想できるようになります。その瞬間からが、この映画の醍醐味でございます。その信じられないラストシーンに気がついたとき、恐怖と畏敬と感動の混じったような不思議な感覚がじわじわとわき上がってまいります。

ストーリーの進行につれて、その不思議な感覚は確実に濃度を増し、観客はブラックホールのようなラストシーンに吸い込まれていくのでございます。見るのは恐いけれどスクリーンから目を離すことが出来ない。そのような緊張感を持続したまま、たたみ込まれるようにラストシーンに引き込まれていきます。この少しずつ組み上がるパズルの謎解きと、それに伴う緊張感の連続、そしてラストシーンへと“落とされていく”感覚。もし映画でしか表現できないものがあるとすれば、まさしくこの映画は、そんな映画独特のおもしろさを具現した作品でございます。

この映画を観た人の多くは、この主人公の男性の行った行為に、何かしらの意味を見つけようといたします。ところが、この作品でそのような意味を考えるのは、全くの無意味でございます。なぜならば、この作品は古い文学作品へのオマージュ(賛辞)だからでございます。ですから、注目すべきはストーリーの意味ではなく、その題材の高尚さにございます。そして、そのアレンジの妙にございます。さあ、どの作家のどの作品へのオマージュなのでしょうかねぇ。それは、見てのお楽しみ。ヒントは映画の原題にございます。あと、映画のパンフレットにも、ヒントが書いてありますよ。

ではでは、『七つの贈り物』、よろしかったらご覧くださいませ。


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