店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
本日は休養日。午前中かけてバタバタとATMで支払いを片付けてまいりました。このATMのバカさかげんにもひとこと言いたいのでございますが、それは後日ということで。夕方までにいろいろと用事を済ませまして、夕方から夜にかけて、映画を二本観てまいりました。ストーリーのネタバレはございませんので、安心して最後までお読みくださいませませ。
まず『チェンジリング』。主役の「アンジェリーナ・ジョリー」、なかなか熱演しておりますが、この役を演じるにはちょっと荷が重すぎたかも、と思ったりいたしました。まあ、そこはイーストウッド監督、緻密な作りで、良い映画に仕上げております。「硫黄島二部作」でもそうでしたが、この監督の真骨頂は恥部も美点もありのままに素直に描くことでございます。味付けよりもネタの新鮮さで勝負する、すし職人のような映画作りでございます。ですから、今回のような事実に基づくストーリーの場合、なおさらこの監督の良さが浮き彫りになるのでございます。
時代考証には力を入れている映画でございましたが、いかんせん、最近のデジタル撮影の映画は解像度が“高すぎる”。女優のシワのひとつひとつまではっきりと見えてしまうのでございます。その精細感が最新技術の真骨頂なのでございますが、大きなスクリーンで何もかも見えてしまうのは、やはりやや興ざめな感がございます。カメラ用語で「紗(しゃ)をかける」という語がございます。映像をソフトフォーカスにするということで、ひと昔前のテレビ番組では、女優さんが出演する場面にだけ、あからさまに使用されたりしておりました。もちろん、そんな“あからさまな”演出は過去の技術であって、最近の精細感をモットーとする映像技術の前では、女優さんたちは苦労するのでございます。
あるいは、「フィルムグレイン」という技術がございます。デジタル撮影されたカチカチの映像に、意図的にフィルム独特の粒子状のノイズを乗せる技術でございます。デジタル技術の台頭で、「ありのまま」の姿を鮮明に録画することが、最近のカメラでは可能になってきております。ところが、ありのままに写せば写すほど、何かしらの違和感も生まれる。見えすぎるのでございます。そこで商業作品などは、デジタルで撮影してもわざとフィルム状のノイズを加味して、アナログっぽさを出しているのでございます。ノイズレスを目指してきた技術革新が、その人間との接点の部分でノイズを加味する要求に迫られるとは、皮肉なものでございます。
記録映像ならば、出来る限り鮮明に録画できる方がいいでしょうが、こと「映像作品」となりますと、そこには「味わい」というものが重要になってくるのでございます。そして、今まで何十年も「フィルムによる映像」を見続けてきた人にとっては、フィルムの持つアナログっぽさをその「味わい」としてすり込まれております。ところが、デジタルの精細な映像ばかりで育ってきた世代の人は、逆にそのカチカチの映像を「味わい」としてすり込むのかもしれません。ここで、世代によって「映像作品」に対する味わいの要求が変わってくる可能性がございます。逆に作品を供給する側には、作品の味わいをデジタルとアナログの両極端のどの位置に調整するかという選択を迫られるのでございます。