店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
先日、ワタクシは「人間のアナログとデジタルの間を日本の技術で埋めて欲しい」と申しました。平井卓也デジタル担当大臣も、「誰にでも優しいデジタル化を目指す」と言っております。平井大臣の腹案がどんなものなのか、チョイト興味が湧くところでございます。
文化庁が文化芸術活動に対して支援金を支給しておりますが、その申し込みが「Excel書類のみ」となっていて、一部のミュージシャンから「Excel使えない人は貰えないのか!」とクレームが入っております。文化庁は、「小さな文字で」電話対応の説明文を付けていたそうでございますが、まぁ、お役所の「出来れば、電話で受けたくない」という心の声が見え見えでございます。
単に「質問に回答していくだけ」という方式なら、ガラケーの画面でも行うことが出来る。ガラケーも持ってないという人は、手書きで書いてもらったのを文字認識してデジタル書類を起こす。こういったシステムは、ひとつ作っておけば日本中で使い回しが出来るはずなのでございます。あぁ、日本の行政は極端な縦割りでございましたね。まず、そこから崩していかなければなりませんねぇ。
で、完全にデジタルに頼りきっていたシステムが、本日、ダウンいたしました。東証の例の事故でございます。バックアップにも切り替わらない。非常事態用に準備していた代替機も使えない。う~ん、なんか、福島第一原発の事故を想起してしまいますね。しかしこれも、事故を経験してひとつ安全になったと考えましょう。
東証のシステム、去年の暮れに刷新したとのことですので、もうそろそろ不具合も出る頃でしょう。パソコンだって、OSがバージョンアップした直後は、様々な不具合が出るものでございます。アップデートを繰り返していき、システムが安定・安全に「枯れてくる」のでございます。
日本の新幹線もそう。あれも、無数のアップデートを重ねた結果の枯れた技術。だから、安全。天候などで新幹線がすぐに遅れたり止まったりするのも、長年の経験則から「最適な対応」を選んでいるだけ。だから、朝一番に「終日停止」を決定した東証も、長年の経験則から苦渋の決断をしたのだと思いますよ。勇気がいったと思います。
とうとう、トランプさんがコロナに感染! いやぁ、ご本人にとっては、最悪のタイミングで感染しちゃいましたね。そら見たことかとWHOは「ホワイトハウスでクラスター」と揶揄してますし、中国は「ざまぁみろ」と言わんばかりの声明を出しております。中国、一服盛りやがったなぁ(笑)。
アメリカがクシャミをすると日本が風邪を引く、なんてぇことを申します。アメリカが風邪を引くと日本は肺炎になる、なんてぇことも言ったりいたします。おいおい、アメリカがコロナになると、いったい日本はどうなっちまうんだい? 大統領選を前にして、アメリカの体制が大きく変わる可能性がございます。チョイト日本も、身構えた方がよろしいかと存じます。
さて、お話はガラリと変わって、ホンダのF1(エフワン)撤退のお話。多くのF1ファンがこれを寂しがっております。まぁ、残念だとは思いますけど、日本人ドライバーはいないし、地上波で放送もされなければニュースにもならない。F1関係者の多くはアジア蔑視を持つヨーロッパ人(少し偏見有り、笑)。「やってらんない!」と思ったのか思わなかったのか。いい潮時ではないですか。
ホンダは、アメリカのインディーカーレースにもエンジンを供給してまして、そちらはホンダの勝ちまくり。佐藤琢磨という日本人ドライバーも大活躍。ルールやレギュレーション(仕様規則)も合理的に決められていて透明性が高い。気分でコロコロ規則が変わるF1とは大違い。願わくば、日本国内のメディアがもっとニュースにして欲しいところでございます。
一方、こんどは日本のお話。学術会議の任命で、菅首相が「反対勢力」を任命しないという非論理的な行動に! いや、そこで強権を使ったらアカンやろ、まだ何も始まっとらん。これ、菅首相は「任命しない理由」を説明出来ないはずですよね。キンタマの小せぇ首相だな。すでに「ツッコミ所」を提供してしまっている。あ~あ。
「ラジオメーター」と申します。光を当てるとずっと回り続けている。不思議ですねぇ。これの原理がウィキペディアに書いてあるのですが、それが真っ赤な嘘だったことを知ったのでございます。実験で有名な「米村でんじろう」さんがその事実を紹介しております。
永久風車・ラジオメーターの新事実!
https://youtu.be/EItFO3iP0Ig
科学的に何がどう違っていたのかは、動画を見ていただく事にいたしまして、チョイト気になるのは、英語版のウィキペディアではそれが正されていること。英語版ではご丁寧に、「○○の説は間違いで...」と日本語版に書かれてある説を完全否定。しかも、この正しい原理は100年以上も前に検証済みだということでございます。
100年以上も前に間違った説であることが証明されていたのに、日本にはまことしやかなウソの原理が蔓延(はびこ)ってしまった。誰も疑わず、誰も修正せぬまま、そのウソ原理を日本中の人が信じ切っていたのでございます。でんじろう先生も信じ込んでおりましたし、ワタクシも同様。あ~あ。
これはね、ネットが疑わしい、ウィキペディアが疑わしい、という以前のレベル。人が「真実」と思っていることがいかにあやふやなものであるかということを、突きつけられた感じがいたします。ガリレオが宗教裁判を受けた時代ならともかく、現代社会でも十分に起こり得るのでございます。「疑う心」の重要さでございますね。
「クリック代行」という仕事をしている人がございます。何百というツイッターやインスタグラムのアカウントを所得し、報酬を受け取って他人の書き込みの「いいね」ボタンなどを押す仕事でございます。なぜそれが「仕事」になるのか? それは、その他人の書き込みが何らかの商品の「宣伝」をしているからでございます。
「インフルエンサー」という仕事をしている人がございます。企業から報酬をもらって、自分のアカウントでその企業の商品を「なにげなく褒める」のでございます。するとその商品が売れる。無為を装った宣伝でございますね。インフルエンサーは自身の宣伝効果を高く見せたい。時として、対価を払って「クリックを購入」するのでございます。
この体型を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはりこの数年間をモグモグしたただの自分である。ただの自分が作った体型を気に入らないとて、体を取り換える方(ほう)もあるまい。あるとしたら脂肪吸引へ行くばかりだ。脂肪吸引で貯金を果たせばなおその後の生活は住みにくかろう。
取り替えかなわぬ体型で住みにくければ、住みにくい体型をどれほどか寛容(かんよう)し、ふかふかの体を、ふかふかでも住みよくせねばならぬ。ここに諦観という諦めが出来て、ここに豪放という横着が降(くだ)る。あらゆる開き直りは人の心を脳天気にし、人の体を肥やすが故に罪深い。
え~とですねぇ、若い頃は、実に自分の体重をコントロール出来ていたわけでございます。○㎏痩せようとか、簡単に出来た。思い通り、自由自在! それがですねぇ、この年になるとなかなか思うように行かない。いろいろ原因を考えるわけでございます。
医学的には、基礎代謝量が減ってカロリーを消費しにくくなる。体力が落ちて、自然に運動量が減少する。そんな事がございまして、どうしてもダイエットが難しくなる。ただ、これでもちゃんとダイエットしている人も大勢いらっしゃいます。そんな問を自分自身に問いかけますと、ある心情の変化に辿り着くわけでございます。
それは、「図太(ずぶと)さ」! そう、人というもの、年輪を重ねるほどに図太くなっていく。若い頃には心配でオドオドしながらやっていたことも、心配しなくなってしまう。心配せずとも上手くやれるようになったわけではございませんよ。「失敗しても平気」という図太さが生まれた結果なのでございます。
学術会議の任命問題、大騒ぎになってますねぇ。何かの計画を進める上で揉めるのならともかく、何も始まっていない段階で揉める要因をわざわざ作るとか、もうね、気が利かないというか、先見の明がないというか、空気読めないというか、ないないづくしでございます。
安倍政権も、こういった「わざわざツッコミ所を提供する」というおバカなことを繰り返しておりました。ほんと、脇が甘かった。そのせいでどれほど国会が思考停止に陥ったことか。安倍さんの息のかかった菅首相ということて、同じ轍(てつ)を踏むことになるのでしょうかねぇ?
今の国会議員さんの多くが二世議員、三世議員ということで、幼少期から特別な境遇で育ってきている。だから、庶民感覚に疎いのでしょう。世間が見えていないのでございます。盲導犬ですら、子犬の間は人格ならぬ犬格形成のために一般家庭で育てられるのでございます。政治家の子供も、成人するまでは庶民の家庭で育てた方がよろしいかと思いますよ。
で、安倍政権があれほどゴタゴタしたのは、「ゴメン、やってもうた」のひと言が言えなかったから。トップがそれを言わないから、配下の官僚どもが書類の改ざんやウソ証言で忖度する。あ~あ、お隣の国を笑えないね。今回の学術会議の件も、「ゴメン、ちょっと嫌がらせしちゃった、撤回する」とさっさと言っちゃえば、あっさり幕引きだったのにねぇ。
もうひとつ別の話題を。頭の良いホリエモンこと堀江貴文さんが、餃子店を相手にひと悶着おこしております。あ~あ、この人も余裕がないねぇ。マスク着用でお店と揉めたらしいのですが、堀江さん、明らかにお店が特定出来るような書き方でネットでお店を叩きまくってしまった。
当店、4月に愛知県の休業要請に応じた件での休業支援金は受け取っております。しかし、国が支給している「持続化給付金」は申請しておりません。税理士さんに書類をひと通り揃えてもらったのですが、ウェブ受付の冒頭で性風俗店は門前払いをいただいたのでございます。
この件では国を訴える風俗店も出たようでございます。きちんとしているお店も多いのですが、しかし、風俗業界全体としてはあまりにも脱税をするお店が多い。そしてまた、風俗店の存在を歓迎しない方々も世の中には多い。「商売をさせてもらっている」という立場を考えますと、まぁこれはこれで仕方がないかなと思っております。
でね、その持続化給付金で「不正したかも」という相談が、愛知県警に相当数入っているそうでございます。先日、首謀者が逮捕され、その甘言に乗ってしまった人達が慌てて相談しているみたいでございます。経産省は「調査が開始される前に返還すれば、加算金は求めない」と言っておりますが、すでに首謀者に払ってしまった手数料は、戻って来ないでしょうねぇ。
ワタクシ、ネットでは「疑う心」が必要だと申し上げました。甘言に乗って犯罪の片棒を担いでしまった人達ってさ、冷静に考えれば犯罪だと分かるはずだよね。でも、首謀者の「犯罪ではない」「何十万人も申請している」「絶対ばれない」なんて言葉を信じてしまう。騙されたのは多分、普通の若者ですよ。普段、普通にツイッターやインスタグラムに熱中する若者のはずでございます。
もしかしたら、その首謀者のアカウントには何十万人という「フォロアー」がいたのかも知れません。あるいは、その首謀者の甘言には何万という「いいね」が付けられていたのかも知れません。そんな数字でつい、信用してしまったのか? あ~あ、今やそんな数字、安価で買えてしまうのですけどねぇ。
この「疑う心」というの、「ネットリテラシー(ネットを使う技術)」ともうします。今や、小学生ですらネットを使う時代でございます。出来得れば、小学校から、このネットリテラシーを教育して欲しいなぁ。不正請求の甘言に乗ってしまった人は、10代~20代の若い人が大半とのこと。若いからネットリテラシーが高いというわけでもないのです。やはり、早い段階で教育すべきでございます。
なんか、「GoToイート」なるキャンペーンが行われていたのですね。全然知らんかった。官房長官の慌てた様子の記者会見で、初めて知ったのでございます。設定を悪用するとかえって儲かってしまうという錬金術仕様(笑)。これ、初歩的ミス過ぎるだろ(笑)。
このミス、楽天とかが初期にやらかしましたよねぇ。初回登録時のサービスポイント制度を悪用するとネット操作だけでいくらでもお金を生み出せてしまう仕様になっていて、楽天が対応に追われるということがございました。同じ轍を踏むとはねぇ。さっさと民間に委託しちゃえばいいのに、ノウハウのない役人が考えたのでしょうか?
なんか、わざわざグルメサイトを経由している制度の様ですが、これも無駄ですよねぇ。そもそも、グルメサイトの口コミとかいい加減すぎて、キャンペーンの媒体とは言え政府がそういったグルメサイトの利用を推進させるってのは、どうかなぁ。担当の役人、グルメサイトから何か貰った?(ゲスの勘ぐり、笑)。結局、グルメサイトばかりが美味しい思いをしているだけなのでは?
やはり、マイナンバーカードをプリペイドカードにしておけば良かったのにと、せんないことを考えてしまうのでございます。飲食店で使ったときだけ、支払いの○パーセントを政府がキャッシュバックするなんてスマートなやり方も出来たはず。まぁ、今さらどうにもならないことですけどね。
さて、ワタクシ、こういったキャンペーンに全く興味がございません。さらに、コンビニのポイントとか、いろんなお店のスタンプカードとか、全然興味なし。いや、以前は、気にしてましたよ。コンビニのクーポンとか毎日チェックして、必ずそれを使って支払っておりました。
けどね、それやっているうちに、なんか「ポイントに振り回されている自分」に気が付いたのですよね。買い物の度に、様々なクーポンやポイントを確認する。時として、予定していなかったものまで買っていたりする。そのチェックする労力ももったいないし、うっかり買わされてしまった自分も操られているようで嫌!
ということで、ある日から、あらゆるポイントやスタンプカードとは決別! 一切持たない・気にしない。コンビニのレジで「ポイントカードは?」と聞かれても、「持ってません」とキッパリ! いつの間にか失っていた主導権を取り戻したような感覚でございます。
ノーベル文学賞は、またまた村上春樹さんは外されましたね。春樹さん、北欧から嫌われているのでしょうか? 『ノルウェーの森』なんて作品もあるのですけどねぇ。これだけ長く縁が無いと、いざ「受賞させよう」って時に逆に気まずくなったりしませんかねぇ。
ワタクシも、本は大好き! 先日、新しく移設された「丸善」へ行ってきたのでございます。どんなものか見学もしたかったのですが、ある最近のベストセラー本を探しに行ったというのもございます。それが、こんな本。画像の左側の本が本命、右側のはついでに衝動買いでございます。
「繊細さん」とは、専門用語で「HSP(Highly Sensitive Person)」ともうしまして、いろいろ敏感な人の総称でございます。この「敏感」というのが幅が広うございまして、関西弁で俗に言う「気にしい」というレベルから、蛍光灯の唸り音を騒音と感じてしまうレベルまでございます。
「察しが良い」とか「空気が読める」なんてのも、この「繊細」の尺度のひとつ。見過ごしてしまうような小さな表情の変化や場の雰囲気をもキャッチ出来たりする。仕事にも非常に細かい気配りが出来て完成度が高くなる。あら? いいことづくめじゃん。ではなぜ、その「繊細な人」の心を救うための本が売れまくっているのか?
実は、この生活にもお仕事にもプラスであるはずの「繊細さ」を、マイナスに使ってしまう人が増えているらしいのでございます。相手の心を慮(おもんぱか)りすぎてクタクタになってしまう。仕事の細かい部分を気にし過ぎてかえって失敗してしまう。物事に繊細に反応し過ぎて、ストレスを溜めてしまうのでございます。
水商売でも風俗でも、この「繊細な人」というのは人気が出ることが多いのでございます。お客様のちょっとした表情の変化を見逃さず、その表情の変化の裏にある心理を見透かし、先手を打ったおもてなしが出来るからでございます。ただ、繊細じゃない人に商才がないかと言うとそうでもない。なぜか? お客様の大多数はその他大勢の「繊細でない人」だからでございます(失礼)。
ただ、「繊細なキャスト」に対しては「繊細なお客様」「その他大勢のお客様(失礼)」の両方から人気を得られる。しかし「繊細でないキャスト」に対しては「その他大勢のお客様(重ねて失礼)」としか相性がよくならない。まぁ必然的に「繊細なキャスト」の方が、商機が増えるということにはなるのでございます。
さて、こんな素晴らしい能力「繊細さ」が、マイナスに働いてしまう人も少なくございません。この繊細さが自分の中で完結している分には問題ない。問題が発生するのは、「繊細な人」と「繊細でない人」との接点でございます。水と油、陽子と電子、電車の上りと下り、接すると大変なことになる組み合わせでございます。
世の中には、「繊細でない人」が圧倒的に多いのでございます。「繊細な人」は少数派。だから繊細な人は「繊細でないことへの同調圧力」を受け続けているのでございます。どんなことでも「折り合い」を付けさせられるのはいつも少数派。繊細な人がいかに世の中と折り合いを付けて上手に生きていくか、そんな本が売れているということでございますね。
ワタクシ、従業員の中でこの「繊細さ」に押しつぶされそうになる人がいますと、必ず同じアドバイスをしております。「バカの振りをしろ」と言っております。まぁ、これは極端な言い方。他には「ちょっとアクセルを戻して他の人の回転数に合わせたら」とか「あえて目線を下げた物言いで、共感を得つつ相手をコントロールするようにしたら」なんて言うこともございます。
ワタクシも経験がございますが、繊細な人には大きな「落とし穴」が待ち構えているのでございます。それは、「私が気づく事をどうして他の人が気づかないの?」という想いですね。この想いに落ちてしまうと、他の人に気づかせようとしてしまう。この不毛な努力が、自身のストレスとして溜まっていくのでございます。
「自分が気づいていること、見えていること、それが他に人には見えていないのだ、そんな見えていない人が世の中の多数派で、それで世の中うまく回っているのだ」と達観できると、この落とし穴から抜け出せるのですよね。ビジネスの貴重な才能である「繊細さ」ですが、ひと度これを他人に当てはめようとすると、自分が傷ついてしまう両刃の刃。繊細さでお悩みの方がいらっしゃいましたら、どうぞ参考にして下さいませ。では。では。
昨日のこの欄、自分で読み返しておりまして、どうも「がさつ」と記した部分が気になったのでございます。「繊細でない人」っていうのは、けっして「がさつ」ではなく、「繊細な人ほどに敏感ではない」ということ。ということで、「その他大勢」という表現に書き改めました。「繊細」の反対語の「がさつ」を不用意に使ってしまいましたね。
で、今日、あるクイズ番組を見ておりましたら、「『損(そこなう)』の送り仮名は?」という問題がございました。小学生の回答者は簡単に分かった様子。選択肢は「損う」「損なう」「損こなう」の三択。パソコンで文章を書いておりますと、こういうの、苦手になりますよねぇ。そこでワタクシは、大人の知恵をフル回転でございます。
まず、送り仮名には基本的なルールがございます。語幹、つまり動詞の「変化しない部分」を漢字に当て、活用語尾、つまり変化する部分を送り仮名に当てるという基本原則でございます。まずは、「損(そこなう)」を活用させてみましょう。
そこな_わない そこな_います そこな_う そこな_うとき そこな_えば そこな_え そこな_おう
ワ行五段活用でございますね。語幹は「そこな」。ですから回答は「損う」ですよね。どんなもんじゃぁ~、これが大人の知恵ってやつじゃぁ~、とドヤ顔でテレビの回答を待っておりましたら、正解は「損なう」でございました。もちろん、先の小学生は正解。大人の知恵の大敗北でございます。
と、ここで思い出したのが、送り仮名ルールの例外。読み方が紛らわしいときには送り仮名を増やすというルールがございます。「損」という漢字には、いったいどんな紛らわしい読み方が有るのだ?! 今度は漢和辞典の登場でございます。
そこね_ない そこね_ます そこね_る そこね_るとき そこね_れば そこね_れ そこね_よう
今度はナ行下一段活用でございます。「そこね」までが語幹ですが、送り仮名は「損ねる」となっております。原則通りに送り仮名を送ると「損ない」の読みが「そこなわない」なのか「そこねない」なのか紛らわしい。「損ます」も同様。この理由で、送り仮名が一文字多く送られているのでございますね。「害(そこな)う」は紛らわしい読みが他にないため、基本原則どおりの送り仮名ということに。
でね、今回、チョイト違う発見がございました。「損ねる」をネットで検索していて、見慣れないページを発見したのでございます。そのページでは、日本式の「未然・連用・終止・連体...」という並びではなく、「現在・過去・可能・受身...」といった並びで記載されていて、それぞれが「肯定・否定」に分けられ、さらに「平文・丁寧」に分けられている。多分、外国人向けなのでしょうね。
朝ドラ『エール』が、佳境に入っております。鳴かず飛ばずだった主人公の作曲家が、やっと日の目を見る時期に差し掛かったのですよね。まぁ、ドラマ内でのセリフにも有りますが、歌謡曲ではさんざん邪魔になった西洋音楽の知識が、戦意高揚の曲では役に立ち、戦争のおかげで身が立ったという皮肉でございます。
今週は、やたら「徴兵」に拘った1週間でございましたね。ちょっと徴兵でイジり過ぎな感じもいたしました。友人が徴兵されるも、身体検査で戻されてくる。その後、主人公も徴兵されるが、有名人ゆえの形式的なことで数日で戻されるとか。ギッコンバッタンとしたシナリオ。徴兵の重さとコミカルな演出に違和感が有る1週間でございました。
今のドラマは、「時代考証に忠実にドラマを作るのは難しいのでは」と感じる事が多くございます。戦中なのに出演者が綺麗すぎるのは、事務所の意向でしょうかねぇ。貴重な箱入りタレントをノーメイクで日本中に晒されたんじゃ、事務所としてはたまったもんじゃありませんからね。
昔のドラマは脇役に至るまですべてプロの役者。演劇畑にドップリ浸かっている人ばかりでございました。一方、今のドラマはタレントさんを多く起用。どうしても、事務所の意向に逆らえないことは多いでしょうね。朝ドラ『なつぞら』での、「広瀬すず」さんのファッションショーも、事務所の思惑だった様な気がいたします。
とは言え、『エール』の「窪田正孝」さん、「二階堂ふみ」さんは、ほんとよく演じていらっしゃると思います。お二人とも、場数を踏んでいらっしゃいますものね。そして、どちらも「役作り」ということにストイックな役者さん。いいキャスティングでしたね、今回は。
そのダブル主演二人の重圧に押しつぶされることなく頑張っているのが、元SKE48の「松井玲奈」さん。ドラマ・映画・舞台とよく活躍されてはいるのですが、シリアスな演技となると、どうも経験不足な感じでございました。主演二人のオーラに引っ張られて、このドラマで一皮むけると、いい感じに成長するのではないかなと期待しております。
お笑いグループ「ハナコ」の「岡部大」さんも、中盤に来て大活躍。この人、なんか「上手」ですよね。グループの中でもこの人だけ引き合いが多いのもうなずけます。ただ、岡部さんが上手なので、逆に奥さん役の「森七菜」さんの粗(あら)がついつい目立ってしまう。19才の子には、この役は荷が重たかったかなぁ。
自転車で料理を運ぶお仕事、増えてきてますよね。あれ、「料理宅配員」と呼ぶそうでございます。日本経済新聞によると、その料理宅配員が4万人を越したとか。しかも、ウーバーイーツとフードパンダは配達員数を非公開としているため、この4万人という数字はもっと大きくなるのでしょうね。
この料理宅配員の自転車の運転が荒っぽいというのが、ニュース等でさんざん報道されました。そのせいか、最近の配達員の方々はちょっと丁寧な運転になったようにも感じられます。これだけ急激に増えたのは、「個人経営」という形で募集したから。「配送業」の法律の縛りを受けていないからでございます。
配送業を規定する法律の文言に自転車・原付が含まれていないのでございます。法律が制定されたときには、そこまで想像しなかったのでしょうね。その法律のグレーゾーンを利用したのが、ウーバーイーツに代表される「料理宅配ビジネス」でございますね。
「配送業」として扱われると何が変わってくるか。トラックドライバーには「拘束時間」「休憩時間」「休日」の基準が法律で定められていて、無理に何往復もして稼ぐ(稼がせる)ということは、雇用主側からもドライバー側からも出来ない様になっております。これは、かつてトラック業界が異常にブラックだった頃の反省として設けられた法律でございます。
しかし、料理宅配ビジネスは、その配送業の縛りを受けない。それで、料理宅配員たちは、1本でも多くの配送をやろうとして、急ぎまくって無茶な運転をするわけでございます。さらに、雇用側は、配送数の多さに対してボーナス金を出したりして宅配員を煽っている。もうね、ウーバー○ーツとか出○館とか、確信犯としか思えないのでございます。
そこでね、ワタクシが心配するのは、もし事故を起こしたときの補償。雇用側は「保険に入っている」とは謳っておりますが、もしもの時にどこまで補償してくれるかは不透明。そこでね、国が早急に法整備を行えないというのならば、地方自治体の条例のレベルで、やって欲しいことが有るのですよねぇ。
まず、自転車で料理宅配員をやる人は、登録制にしてナンバープレートを発行する。業務中は、そのプレートを自転車または背中のバッグへの設置義務化。ナンバープレートが付いていたら、横着な運転の抑制になるんじゃないですか? そして、この登録の際に強制保険に入らせるのでございます。
コロナの影響も有って、今、日本中が「ハンコ」を無くそうという方向に大きく動いております。もうね、ハンコ業界が戦々恐々。そんな中で、ワタクシが思い出すのは、昨年末に日本経済新聞などで大きく報道された「自動ハンコロボット」でございます。
書類をスキャンし、何の書類でどこに押印するかを自動判別し、ハンコを持ち替え、朱肉を付け、書類の所定の位置に押印、書類をめくる、書類を種類ごとに分類する、そこまで自動でございます。ご丁寧な事に、朱肉や押印の際の「グリグリ動作」まで再現しているというから驚き。この機械を、何と、日立、デンソーといった最先端メーカーが本気で作っているのでございます。
こんな機械、絶対、日本人で無ければ考えつかない(笑)。押印という因襲を別のシステムに置き換えるのではなく、その人間的な作業を最先端の技術で肩代わりしてしまおうという強引な手法。で、それを実現させてしまうのだから、更に驚く。さぁサービスを開始しようとした矢先に政府に「ハンコを無くす」と言われるとは、露ほどにも思わなかったでしょうねぇ。
見方によっては、「この世の中で一番無駄で高性能な機械」とも言える。ただ、あながち否定も出来ない。日本の技術革新って、「合理性よりも哲学が優先する」場合が、多々あるからでございます。ロボット開発なんてのも、そんな感じがいたしますねぇ。
日本のロボット開発は、やたら「二足歩行」に拘っております。もう半世紀くらい前から研究を重ね、それがASIMO君(HONDA)のいかにも人間的な歩みに結びついたりしてる。ところが、欧米のロボット開発ってのは、あっさり二足歩行を切り捨てて車輪にしたり、バッサリ上半身だけにしたりとか(笑)。確かに、二足歩行に膨大な研究リソースを割(さ)くよりも、車輪で事足りるならその方が合理的でございます。
日本のロボット開発は、どこまでも「鉄腕アトム」を追いかけているのだと思いますよ。実用的である前に「夢」を実現させようとしてしまうのでしょうね。冒頭で紹介した自動ハンコロボットも、どこか技術者の「夢」を感じてしまう。夢を追いかけたばっかりに、本来しなくて良かった紆余曲折もあったと思いますよ。
本日の深夜2時、というか26時ですが、ネット配信されたアップルのイベントに見入っておりました。iPhone12の発表でございます。このアップルのイベントというの、以前は会場からの生放送だったのですが、コロナ禍に入ってからは録画の配信という形に変わっております。録画ですので、初配信時に既に日本語字幕が付けられてる。かなり見やすくなりました。
iPhoneが「5G」に対応した以外には、ちょこちょととカメラなどの性能が上がった程度。Androidからは折りたためるスマホなども出ておりますが、iPhoneは同じデザインを固執。堅牢で防水という現状デザインの完成度が高いですから、あえて冒険的なデザインにすることもないでしょう。ただ、ホームボタンの復活は、ちょっと期待しましたけどね。
それで、世界的に「5G」に突入しております。が、しかし、アップルのホームページを見ますと、アメリカ向けの英語ページでは「5G (sub‑6 GHz and mmWave)となってますが、日本向けのページでは「5G(sub‑6 GHz)」としか記載されていない。「ミリ波」と呼ばれるより高性能が期待される周波数は、日本ではまだ使えない様子でございます(後述)。
「sub-6」ってのは、今使っている周波数よりもちょっと高い周波数帯を使っているだけ。だから、速度アップは今より少し早くなるだけ。「ミリ波」ってのはsub-6の10倍高い周波数帯なので、速度や接続数が今より劇的に向上する。しかし、電波が届きにくいという性質があって、基地局など環境整備が大変ときてる。
ジワジワと5Gが使える地域は増えているのですが、日本で全国的に普及するのは2023年~25年と言われております。まぁ、都市部ではあっと言う間に整備されるでしょうけどね。で、高性能が期待されるミリ波に関しては、日本ではまったく不透明となっております。
ドコモのサイトから5Gが使える施設などを検索すると、商業施設やスポーツ施設などでは、「ミリ波対応」という場所がそこそこ有るのですよね。ここで疑問が。アップルの日本向けサイトではミリ波の記載が無い。しかし、ミリ波に対応している施設は既に有る。日本国内で、iPhoneでのミリ波での接続は出来るのか否か? ちょっと追加情報の欲しいところですよね。
でね、ワタクシ、以前、こんな提案をした事がございます。オリンピック、何も巨大な観客数の施設を作らなくても、会場内にカメラを置きまくり、それをリモートで見てもらうという方法でございます。バーチャル技術を使えば、まるで会場に居るかのような錯覚に陥る映像や音声を、地球の裏側から体感することも出来るのでございます。
しかも、カメラを切り替えて、会場内の様々な場所からの俯瞰を楽しむことも出来る。トラックやコートのすぐ横で体感することも出来るし、競技によっては選手にカメラを付けて選手目線の映像を楽しむ事も出来る。5Gの速度なら、それが可能。巨大化・巨額化するオリンピックを縮小しようという流れにも沿うのでございます。
で、この「5Gでの配信」を「販売」するのでございます。これは大きいですよ。会場のチケット収入ってのは、最大でも椅子の数しか売ることが出来ない。しかし、ネット配信は世界中が顧客。ちょいとお安めの価格設定にしておけば、ほぼ世界中の人が観戦すると思いますよ。しかも、時間に左右されない。オリンピックが延期されて5G整備への時間的な余裕が出来たというのも、大きく幸いしてますねぇ。
「アルバイト・非正規には、ボーナス、退職金なし」、という最高裁の判決が出て、いろんな声が上がっております。「不当判決だ!」「働き方改革に裁判所がブレーキ!」とか言われてますが、「そりゃそうだろ」という声もございます。まぁ、賛否両論あるのはよろしいことではないですか。
ここで、日本中がしっかり注意しておかなければならないのは、この判決は「大阪医科薬科大学の事例」に限って判断しただけであって、一般的なアルバイト・非正規の待遇には言及していないことでございます。同じような訴訟が別の企業などで出た場合には、正反対の判決が下ることも有り得るということ。これ、多くの人、誤解してないかなぁ。
この訴えた人、1日8時間労働で週に5~6日働いていたとか。もう、これは正社員と同じレベルか正社員以上の労働時間ですよね。だったら正社員になればいいのに、とは思いますが、まぁいろんな事情があるのでしょうね。それだけの労働時間で給料は正社員の60%とか。これ、病院じゃなくて派遣会社を訴えるべきでは?
派遣で働いている人は「正社員と同じ仕事なのに」とついつい思うのでしょうが、実際には「同一労働ではなかったよ」というのが、裁判所の判断。この裁判、訴訟になる前に「話し合い」で解決したんちゃう? お互いの理解不足、コミュニケーション不足が、ここまでこじれさせた要因かと思いますです。
ワタクシは、ここまでの人生で、正社員というのは全く経験なし。20代なかごろまで、アルバイトを転々としておりました。当時は、「アルバイト最高!」「一生、アルバイトで結構!」なんて思ってましたよ。まぁ、20代中盤になって、18才くらいの高校生と一緒に働くなんてシチュエーションが増えてくると、いろいろ考えましたけどね。
ただね、ワタクシ、「正社員が羨ましい」とは一回も思ったことがない。グランドピアノを買うために中央卸売市場の荷物運びのバイトをしたときには、正社員より手取りが多かったですからね。で、時間になったらさっさと帰れる。「しがらみ」を嫌う自由な風だったワタクシ、バイトというポジションが実に心地よかった覚えがございます。
で、お話を冒頭の裁判に戻しますけど、そもそも、「同一賃金同一労働」ってのは、かつて一般的だった「終身雇用制」と相反するでしょ。終身雇用制ってのは、下層の若い人ほど安い賃金で奴隷の様に動き回り、肩書きの付いた上級社員ほど妖精となり、大した仕事も無く高給を持って行く(かなり偏見あり、笑)、という図式。それが成立したのは、終身雇用が大前提だったから。
その図式のまま、アルバイト・非正規を「都合のいい正社員」として使おうとするところに、問題が有るような気がするなぁ。同一労働同一賃金を目指すのなら、企業・組織・団体の構造から変えなきゃダメなような気がする。でも、これを突き詰めると、「社員全員、非正規でOK」ということになってしまう。正社員が必要なくなる。あらら、なんか、目標が見えてきたような...
3月頃からずっと言われていたマスク着用、ワタクシもきちんと着用してましたよ。と、言いたいところですが、7~8月のあの猛暑の中では、ちょいとマスク着用をサボっておりました。しか~し、秋風が吹き始めてからは、外出時は必ずマスクを着用しております。
街中を見ても、マスクをしていない人が増えてきましたよね。若い人や健康な人にとっては、「現状では」コロナは死に至るようなウィルスではございませんからね。むしろこれからは、インフルエンザの方を気にしなければならないのですが、マスク・手洗い・消毒の習慣が広く根付いておりますから、インフルエンザもそれほど蔓延しないような気がいたします。
横浜スタジアムが、実験的にスタンドを満席の状態で試合を行い、球場内の人の動きを高精度カメラで撮影し、スーパーコンピューター「富岳」で分析、人の動きや唾液などの飛沫の広がり具合、そんなことを分析するそうでございます。場内アナウンスのマスク着用の呼び掛けに、観客がどのくらい応じるか、そんなのも高精度カメラで一目瞭然とか。
いや、こういうの、もっと早く実行していてもよろしかったのではないかなぁ。クラシックのコンサートとか、大打撃だったでしょ。検証もされぬまま、ただ「感染の危険がありそう」ってことだけで、全面的に禁止されてましたからね。満員電車でクラスターが発生していないことを考えると、もっと早く検証をして欲しかったです。
また朝ドラ『エール』のお話になっちゃいますが、今週は、重たかった。戦争が泥沼化し敗戦にいたる時期でございます。演出もBGMを極力排し、あまり説明せず、静かな叙事的な描き方になっておりました。朝ドラでは珍しい演出でございました。
敗戦の後、復興の流れの中で、主人公の歌が大きな役割を果たすのですが、今後、それをどこまで描いてくれるのかなぁ? コロナの影響で脚本が数話削られておりますので、泣く泣くお蔵入りになったエピソードも有るのかも知れません。出演者のスケジュール確保などもありますので、まぁ仕方がないことなのでしょうけどね。
ここに来て、NHKの本気度を感じております。だいたい、朝ドラってのは中盤になると、セットが雑になる。撮影スケジュールが押してきたりとか予算の都合とかで、そのシワ寄せが一番来るのが中盤なのですよね。撮影の順番とシナリオの時間軸が大きく乖離しますので、出演者も混乱が出てくる時期。にも関わらず、ここに来て、更に力が入っているのでございます。
終戦後のセット、頑張ってますよねぇ。人も多く使っている。人が多い場面というのは撮影に時間が掛かるので、現場に余裕が無かったりすると少ない人数での省エネ撮影になっちゃったりしますが、まだまだ現場には余力が有るようでございます。コロナ騒ぎで一度リセットされているのが、むしろ良かったとも言えるのかも。
このドラマを魅力的にしている要素のひとつとして、ドラマ内の歌曲が「本物」であること。音楽ってのは権利関係がややこしいので、ドラマなどでは「似たような別の曲」で誤魔化すことが多いのですが、このドラマはモデルとなった「古関裕而」さんを大いにリスペクトし、頑張って権利交渉をして実際の曲を使っている。これは大いに評価したいと思います。
これはさ、また『なつぞら』の悪口になっちゃうけど、あのドラマには「宮崎駿」や「高畑勲」を彷彿とさせる登場人物がせっかく登場しているのに、実際の作品と関連づけてドラマを描くことが出来ず、「~のようなもの」がいっぱい出てきちゃった。もし日本人に馴染みのあるアニメ作品がそのまま出てきていれば、老若男女をワクワクさせるドラマになったはずなのですけどねぇ。
本来ネットというのは、ごく無機質なものでございます。つまり、本来ネットには生命的な息吹は全く存在しない世界のはずでございます。ところが最近のネットはウィルスが蔓延したり、株のトレーディングが暴走したりと、ときおり有機的な息吹を感じさせる瞬間がございます。
これは、ネットが非常に小さな規模で完結していた時には無機質だったのですが、世界中の何億というコンピュータが結びついたことにより、その相互作用によって有機的な動作をするようになったのですよね。これは、単体では単純な構造の脳細胞のニューロンが、数千億個が集まって「脳」として機能し始めると、途端に有機的な思想や感情を持つことにも似ています。
日々更新されるウィキペディアなんてのも、実に有機的な変化をしている。様々な思惑を持った人が、恣意的に編集を進める。世界中の何億という人が編集をせめぎあう中で、ウィキペディアの内容は有機的に変化しております。同様に、地図の情報などもそう。日進月歩ならぬ秒進分歩で内容が進化していっているのでございます。
かつて、ネットの内容を更新するのは、全て人間の手作業でございました。ところが、ところが、今や、ネットがネットを更新するようになっている。地図情報などは、タクシーやトラックに搭載されたドライブレコーダーの映像を自動的に吸い上げ解析して、地図情報の更新に役立てたりしているのでございます。
今日は午前中に、いそいそと栄まで出ておりました。いやぁ、人でごった返しておりました。にぎわいが戻って良かったですねぇ。一時は閑散としておりましたから。で、用事が有ったのはアップルストア。お店で使うiPad Proを購入するためでございます。
到着してみると、何やらお店の前に長蛇の列。ガードマンが何人も出て行列をさばいておりました。iPhoneの発売直後ではありますが、発売からは数日が経っている。朝一番の長蛇の列は不思議だなと思いながら、列に並んだワタクシでございました。
もうね、さすがアップル。行列に並んでいる状態から、店員がタブレットを持って「御用聞き」に回っている。今日は何を買いに来たのかを聞き、お店に在庫があるかをその場で確認し、お渡しが何時になるかまで行列に並んでいる状態で分かってしまう。人気ラーメン店並みの合理的客さばきでございます(笑)。
在庫は有るが、引き渡しは午後になってしまうとのこと。午後まで居るわけにもいかず、行列から離れ、手ぶらで帰ってまいりました。ただ行列に並ぶために、栄くんだりまで出かけていった日曜日の昼前でしたね。後から知ったのですが、昨晩、発売日が保留されていたiPad Airの新機種が、急きょ、発売開始されたとのこと。それを受けての、朝一番の行列だった様でございます。
まぁ、ワタクシも迂闊だった。今はコロナ関係で、どこの店舗も「予約」を必要としております。携帯キャリアショップ三社、銀行、旅行代理店、その他多くの店舗が、事前予約を推奨し、密を防いでおります。アップルストアも、入場制限している状態での新製品発売日と来れば、そりゃぁ長蛇の列も出来ますよね。
アップルの店員から勧められたのが、ネットで購入して「店舗受け取り」にするという方法。その方法ですと、最速、ネット購入したその当日に商品が受け取れるとのこと。受け取る時間指定も出来、もし店頭に行列が出来ていたとしても優先的に入店出来るとか。フムフム、次回からはさっさとそうしちゃいましょう。
アップルストアのそんな便利な仕組みも、クレジットカードとスマートフォンが最低限必要。ネット購入はクレジットカード必須ですし、店頭で商品を受け取る際には予約時のQRコードを店員に見せる必要がございます。どうも、世の中のキャッシュレス、IT化を進めるには、クレジットカードとスマートフォンがキーアイテムとなる感じがいたします。
国民皆保険制度という素晴らしい制度が日本にはございますが、これからは、国民皆クレカ、国民皆スマホ、なんてことを推し進めなければならないかも知れませんよ。でも、必ず、「俺にはそんな物、必要ない」って言ってくるヤカラが出てくる。そういった人に制度を合わせていると、いつまで経っても制度の底上げが出来ず停滞する。レガシーはバッサリ切り捨てるというアップル的な革新が必要かな。
アップルという企業は、古い仕様をバッサリ切り捨てる事が、時々ございます。技術や仕様が改新される流れの中で、「古い○○を使っている人の為に...」という配慮が、改新の足を引っ張ることもございます。前に進むために、あえてレガシー(遺産=旧態)を切り捨てるというのは、アップルの常套手段でございます。
また日本人が「イグ・ノーベル賞」を受賞したとか。イグ・ノーベル賞ってのは、ノーベル賞のパロディ。「人々を笑わせ考えさせた業績」に与えられる賞という定義こそ遊興的ですが、1991年の創設以来、毎年授賞式をやっている至極まじめな賞でございます。
そのイグ・ノーベル賞、日本とイギリスが受賞者の常連だとか。創設者いわく、「奇人・変人を蔑視する国が多い中、日本とイギリスは『変わった隣人』を誇りにする風潮があるから」だとか。う~ん、イギリスはともかく、日本はちょっと違う気がするなぁ。
で、その主催者に、「日本は同調圧力も強いのでは?」と質問した日本の記者がございました。すると主催者、「素晴らしい文学は軋轢(あつれき)の中で生まれる」と答えたとか。なんか、はぐらされた感じでございます。結局、日本人に受賞者が多い理由は、謎のままですねぇ。
先日、新製品iPad Air発売開始のまさにその日に、半年前発売のiPad Proを購入したというお話をいたしました。ちょいと間が悪い行いをしたようにも見えますが、ワタクシ的には、ちゃんとスペックをあらかじめ比較し、確信してのiPad Pro購入なのですよね。決め手は画面サイズ。大きな画面でしか出来ない作業ですので、Pro一択でございました。
「iPad」と「iPad Pro」のどちらを選ぶか? これは悩ましい人も多いのではないでしょうかねぇ。画面の大きさで選ぶというのも、あり。ただ、少し大きめの画面に2倍近くの金額を払えるかどうかというところが、悩み所でしょうね。結局、Proってのは、「業務でどうしても必要」って人でなければなかなか購入に踏み込めないのではないでしょうか。
画面の構造に関しては、「iPad」と「iPad Pro」は決定的な違いがございます(ございました、後述)。iPadはガラスと液晶の間に隙間が有って、指やペンが液晶から少し浮いてタッチしている感がございます。Proはガラスの裏面に液晶が隙間なく貼り付けてあるので、液晶に直に触っている感じが強い。微妙な違いなのですが、グラフィック関係で使う人にとっては、重要なスペックの差でございます。
これがですね、先日発売された「iPad Air」では、Proと同じく隙間のない仕様になっております。Proと無印を隔てる大きなスペックの差だったのですが、Airに導入されたことで、わざわざ高価なProを購入するという意味が薄まりつつ有るのでございます。となると、少し大きいだけで2倍の価格差というProは、生き残るのが難しいのではと思ってしまうのでございます。
さて、ここからは、ワタクシの独断的考察と妄想でございますよ! こうなったら、「iPad Pro」はプロフェッショナルに特化いたしましょう! まずは、カメラはいらない! iPad Proをプロフェッショナルに使いこなす人は、写真はiPadで撮らないでしょ。大きなカメラで撮影してiPadに転送すれば済むこと。そう、Pro仕様なのですから、カメラは外しましょう!
さらに、スピーカーもいらない。そもそも、あの薄っぺらい筐体に無理矢理押し込んだスピーカー、それなりに頑張っているとは言え、やはり少し無理がある。プロフェッショナルに使いこなす人は、当然、ワイヤレスのスマートスピーカかイヤフォンを使うことでしょう。中途半端なスピーカーも、外してしまいましょう!
シンプルイズベスト! やはりね、プロが使う道具ってのは、シンプルが一番なのでございます。余分な機能、一切なし! スペック的には、もはやiPadとiPad Proとはほとんど差がない。としたら、趣味で使うのでカメラやスピーカーが欲しいという人は無印を選び、シンプルかつ高画質・高速・高容量が必要という人はProを購入すればいい。こんな棲み分けはどうでしょうか?
何十年もニューハーフ業界におりますと、いろんなニューハーフ・女装子さんを見てきております。こと風俗に限って言いますと、看護師あるいは介護の経験のある方が成功する例を多く見てきております。そんなことが有りまして、看護・介護のお仕事と風俗との共通点なんてのも感じております。
看護・介護の仕事では患者さんの下の世話などもやりますから、そういう事への抵抗感の無さなんてのも有るのでしょうね。でも決定的なのは、「優しさ」だと思っております。さらに看護師・介護士の経験者はその「優しさ」を感情ではなく、「やり方」「距離感」といった「方法論」で極めていらっしゃるからだと思うのでございます。
優しいというのは、ただ相手を甘やかすことではございません。相手をより静安なポジションに誘(いざな)う、その「誘導」を行うこと、それが真の優しさだったりいたします。この「ゴール地点が見えている」というの、大きなポイントなのですよね。看護や介護という仕事をすると、優しさを方法論して実践するという感覚が身についているのだと思います。ある意味、「優しさのプロ」でございますね。
よく看護師のことを「白衣の天使」なんて申します。これ、ワタクシは風俗業においても同じ事を思っております。風俗嬢は「天使」でなきゃいけないなぁと。そしてお客様は、天使からの「寵愛(ちょうあい)」を求めている。寵愛と言うと、何やらお客様を上から見下ろしている感じにも取れちゃいますね。でも、天使からの寵愛、なんかいい響きじゃございません?
温暖化ガスを実質ゼロに! と、菅首相が宣言いたしました。このニュースを見ると、ついつい思い出しちゃうのは、名前に鳩がついてる首相が「25%削減」などという大風呂敷を広げてしまったこと。それに比べると、菅首相の表明は2050年が目標とのこと。30年後ですので、まぁまぁ現実的なのかな。
これはさぁ、今もガンガン稼働中の日本の火力発電所がさんざん欧米から叩かれてるんですよね。つうか、大震災で一斉に火力発電に舵を切っておりますからねぇ。それで、今度はどうしろと? 原発の再稼働は無茶苦茶ハードルが高い。再生可能エネルギーが有るとは言うものの、日本の電力需要をお天気任せに出来るのかなぁ?
ここで、「実質ゼロ」なんてキーワードが、何やら官僚っぽい表現で怪しいよねぇ。要するに、排出量から森林などで吸収される分を差し引いた残りをゼロにしようって事でしょ。これ、領土が膨大な中国・ロシア・アメリカ・カナダとかが絶対有利じゃね? な~んか、フェアーじゃない気がするんですけど。
これ、中国やロシアがちゃんと従うのかなぁ? 抜け駆けをした国が一番得をすることになるでしょ。あるいは、先進国が目標達成のために経済が落ち込んだところで、発展途上国が何食わぬ顔でCO2をガンガン出しながら先進国をごぼう抜きに発展していくなんてことも想像しちゃう訳ですよ。正直者がバカを見る、ということにもなりかねない。
とは言え、目標としている2050年まで、あと30年もある。ハンフリー・ボガートは今夜のことでさえ、「そんな先の事は分からねぇ」と答えたくらいですよ。このまま順当に30年が経過するとは絶対に思えない。突然氷河期が始まって、逆に暖めろという話になるかもしれない。あるいは、CO2を吸収して酸素を吐き出すような機械が発明されるかもしれない。30年ですからねぇ、何が起きても不思議じゃない。
冬季限定のチョコレートでございますね。この四つのチョコレートの共通点は、洋酒が入っている「大人のチョコ」でございます。パッケージには、アルコール分3.1~3.8%を含むとある。数字だけ見ると、結構なアルコール度数でございますよ! 確かに、食べるとかすかに顔がホンワカするのでございます。
昨年は「冬季限定」の文字に煽られて買いあさったりしてたのですが、大量に有ると、さすがに飽きた。今年は、ノンビリ購入しております。店頭から姿を消せば、また来年まで待てばいい。どうやら、「毎年発売される」というのが分かりましたからね。
普段、チョコレートはあまり食べないのですが、この洋酒系のものは、目ざとく見つけて購入しております。思えば、子供の頃からウィスキーボンボンとか大好きでしたからね。駄菓子屋にも、ボーリングのピンの形をしたウィスキーボンボンが有ったような無かったような、うろ覚えでございます。
よく、チョコレートをつまみにお酒を飲むなんて申します。お酒とチョコレートは相性が良いという研究結果も有るようですね。ポリフェノールが胃や肝臓への負担を軽減するそうでございます。若い頃は「お酒のつまみに甘い物?」なんて思ってましたが、いやいや、若気の至りでしたねぇ。チョコとお酒、最高!
ま~だ、学術会議でグズグズ揉めてますねぇ。もうね、こうやって度々日本中が思考停止するの、よくないですよ。池乃めだかも「今日はこれぐらいにしといたるわ」と言ってさっさと引き上げるでしょ。な~んか、「学術」とは程遠いヒステリックなものを感じるのですよね。
任命されなかった学者が、「菅首相はヒトラーか?」と発言したとか。あ~、何という「学術的でない」発言であることか! 強権・独裁と言えばヒトラーに直結する発想の乏しさ、知識の無さ。いいですか、ヒトラーは独国民に圧倒的な支持を受けていたのでございます。まぁ、詳しく説明いたしやしょう。
ヒトラーの行った経済政策は秀逸。第一次大戦後、失業者で溢れかえるボロボロのヨーロッパの中で、ナチス・ドイツは早々と経済的にV字回復させたのでございます。8時間労働・有給休暇という制度も作った。こういう言い方をすると一部お叱りを受けるかも知れませんが、ヒトラーは「ホロコーストさえやらなければ、実に優秀な政治家だった」のでございます。
ワタクシが何を言いたいかと申しますと、少なくとも「学者」と呼ばれる立場の人ならば、物事をもう少し「多面的」に捉える能力を持っていて欲しいということ。ヒトラーを独裁者としか語れない発想は、実に貧弱で一面的でございます。さらに、この学術会議の問題を多面的に捉えていきましょうか?
「誰が、何の目的でやった」というのが、なかなか見えてこない。「菅首相の嫌がらせ?」「反菅派の官僚が爆弾を仕込んだ?」「学術会議内での派閥とか人間関係が任命に影響した?」「日本を思考停止させるために、隣国のスパイがやりやがった?」...ほ~ら、いろんな可能性が見えてくる。そこまで深読みして初めて、「学術」ではないですか?
さらに、この問題で「表現の自由への攻撃」とか物騒な事を言っている人もいる。あ~、アホらし。任命・非任命に関わらず、誹謗中傷でさえなければ、日本では何を書いても逮捕なんかされないでしょ。表現の自由への攻撃ってのは、香港みたいなのを言うのですよ。これなんかも、短絡的なイメージ的発想。学術的じゃないねぇ。
そもそも、今までに「学術会議」って活躍してたの? このコロナ騒ぎの時に、何かやった? 大震災やサリン騒ぎの時にも、何かの役に立った? 会合を開くだけのサロン的存在ならば、貴重な税金を使ってまで存続させる必要はないですよ! ということをマスコミが採り上げてもらいたいのですが、残念ながら日本のマスコミもいたって、「学術的ではない」のでございますよね。残念!
ワタクシ、人にダイエットを進める時には、「いろんなことに手を出さず、まず最大の元凶をひとつ、潰しなさい」とアドバイスいたします。ダイエットがうまくいかない人ってのは、だいたい、最大の元凶を残したまま微細な原因だけに手を付け、「ダイエットをした気分」になっているものでございます。
さて、本題。ちょっと、また、小難しいお話で申しわけないのですが、新聞・ニュースで「核禁止条約」という文字が躍りまくっております。単刀直入に申しまして、「面倒くせぇ条約だなぁ」というのが正直な感想。「倫理」とが「人道」といった情で押し切ってくるところ、う~ん、学術的じゃぁないですなぁ。
不参加の日本がやたら叩かれております。まぁ、日本以外にも「核を保有していないけど不参加」という国は多くございます。これは、アメリカなどの「核の傘」に入っている国々ですね。安保条約や軍事同盟と核禁止条約とが、矛盾するからでございます。
最近、「安保条約と核禁止条約は矛盾しないのでは?」という議論が始まっております。かつては、倫理・人道という語ばかりが飛び交う非学術的な言い合いが続いておりましたが、ここに来てやっと、学術的な論争に至りました。ちょいと遅い感じはいたしますけどね。本来は、2017年の採択直後から議論されるべきことでしょ。
で、唯一の被爆国であり核の傘下の日本が、もし「参加」に傾いたら、他の核の傘下の国々も一斉に参加に傾くのでは?(早口言葉? 笑)。そんな思惑で日本がやたら集中砲火されてるんですよ。あぁ、やだ、やだ。日本政府の曖昧な態度が、火に油を注いでますよねぇ。キッパリと、「無理!」って言うべきでしょ。
鉄道各社がね、乗客のイヤホンで困っているそうでございます。イヤホンで困ると言えば、例のシャカシャカ音。でも、今回の「困る」は、イヤホンの落とし物だそうでございます。ワイヤレスのイヤホンが主流になって、イヤホンの落とし物が増えているとのこと。
それがね、乗り降りの際に線路に落としてしまう例が多いとのこと。帽子とか靴ならば、それを拾い上げる専用のマジックハンド(死語?)が用意してあるそうなのですが、イヤホンは小さすぎてマジックハンドで拾えない。それで、鉄道各社が困っているのでございます。
各社、いろいろアイデアを駆使しているみたいですよ。棒の先の粘着テープでくっ付けて拾う方法とか、掃除機を改造して吸い付けて拾い上げる方法とか、苦労してますよねぇ。でもさ、イヤホンって、必ず、磁石にくっ付くはずですよ。中に小さなスピーカーが入ってますからね。鉄道各社、気が付かないのかなぁ?
自慢じゃないですが、ワタクシ、自分の耳にピッタリ合ったイヤホンというのに、出会ったことがない(エッヘン)。落ち着きの悪いイヤホンばかりで、しっかり押し込んでもいつの間にか緩んで落ちそうになる。そんな耳の持ち主ですから、ワイヤレスのイヤホンなんて、とても恐くて使えませんよ。ということで、ワタクシには縁の無いお話でございますね。
でもね、小学生の頃、始めてヘッドホンで音楽を聴いた時のその感動、今でもよ~く覚えております。音楽用のヘッドホンと言えば、大きく耳を覆う無線技士が使うようなヘッドホンしかなかった頃のお話でございます。周りの音が完全に遮断され、頭の中いっぱいに音楽が定位する感覚、新鮮でございましたねぇ。
昔は、「モノラル」と「ステレオ」の間には、深くて大きな川が流れておりました。「廉価品・小型機=モノラル」「高級品・大型機=ステレオ」という風に、完全に区別化がされておりました。そこに大きく切り込んだのは、SONYの「ウォークマン」でございますね。
ウォークマンが初めて、「小型機でステレオ」というのを採用したのでございます。そして更に斬新だったのは、「再生専用機」ということ。当時の固定観念では有り得なかった組み合わせ。社内の反対を押し切って発売したところ、これが世界的なヒット商品に! ウォークマン発売以後は、ステレオ再生、再生専用機というのが、音楽プレーヤーの主流となるわけでございます。
その後、「音楽を聴くのなら、当然ステレオでなければね」という時代が長く続くのでございますが、ここに来て、また違う流れが出ている感じがいたします。iPhoneなどはスピーカーを二つ付けてはおりますが、ことさら「ステレオ感」には拘っていない。スマートスピーカーと呼ばれる物は、最初からモノラルで使うことを初期設定としております。
元SKEの「松井玲奈」さんが、いい感じで成長しておりますね。朝ドラ『エール』で相当苦労しているのでしょう。元アイドルとは言え、良い役者の良い息づかいの中で共演すると自然に成長して行くものでございます。妥協しない現場ほど、役者は成長せざるを得ないのでございます。
一方、その末の妹役を演じている「森七菜」さん、インタビューに答えて、「一日に女学生と30歳を行き来したりするの、演じ分けるのが難しかった」と答えております。キッチリ時間をかければそれなりの演じ分けも出来るのでしょうが、いかんせん、朝ドラの現場は時間が無い! 良い体験をしましたね。
その朝ドラ『エール』、今、終戦の2~3年後といったあたりを描いております。ずっとこの作品を見ておりまして感じるのは、演出家が「好きなように演出している」ということでしょうか。演出家が「こうやりたい」というのを持っていて、役者がそれを精一杯拾い上げて描こうとしている。演出と演者の良い関係を感じております。
演技の出来る人、歌の歌える人が主要な役を押さえていればこそ、演出家の自由度は大きくなる。逆に、演出家が不自由になる要素としては、役者の技量不足、事務所の思惑、著作物の権利、モデルとなった人への配慮、そんなものが有るのでしょう。演出家が不自由そうに四苦八苦している朝ドラも、あえてタイトルは申しませんが、いろいろ有りましたよね。
今日はね、昨日と似たような内容になっちゃいますが、どうかご容赦を。火曜日に録画したNHKの『プロフェッショナル』を、今日、観てみました。テーマが「田中みな実」ということで、「タレントがテーマ? プロフェッショナルもネタ切れか?」と、丸一日放置しての録画視聴でございました。
これがね、田中みな実さんには謝らなくてはいけませんね。なかなかに見応えが有った。NHKの担当者は、年末に放送される田中みな実さん出演ドラマの番宣くらいの気持ちでだったでしょうが、番宣なんていううわついた動機を吹っ飛ばすほどに、田中みな実さんの内面がエグかったのでございます。
まずね、田中みな実さんのアスリート並みのストイックさがエグい。ただね、残念なのは、田中みな実さんがストイックに追い求めているものと、テレビ局や大衆が求めているものとが大きく乖離していることでございますね。
アナウンサー時代の田中みな実さん、「朝の顔」になるべく必死に努力しますが、テレビ局が与えるのは「ぶりっこ」というキャラクターばかり。独立してフリーになってからも、その乖離は続くわけでございます。その乖離を埋め続けている間に、田中さん自身は「飽きられること」への恐怖を持ち続けているのですよね。
『プロフェッショナル』で、こんなシーンがございました。あるドラマの収録現場、撮影後に監督やプロデューサー、ベテラン俳優が田中みな実さんを「完璧!」「最高!」と褒めまくる。ただね、何十年もドラマの制作現場にいる人達が、たまたま4~5本のドラマに出ているだけのシロウト同然の人をそこまで褒めるなんて有り得ない。ワタクシはこのシーンで、実に嫌な気分になったのでございます。
それは、なぜか? こと芸能の現場においては、人を「育てよう」という場では、けっして人を褒めない。人を褒めるのは、はなから「育てる」という関係ではないから。言い換えれば、「使い捨て」扱いの人だからこそ、褒めることが出来る。ドキッとするでしょ、こんな言い方をすると。ストイックにドラマに相対している田中みな実さんに対する、現場の反応がこれでございます。あぁ、乖離してますねぇ。
ところが、驚くことに、そのシーンの直後に田中みな実さんのこんな発言が挟み込まれる。「客寄せパンダとしてキャスティングされていることを理解してますから」とのこと。理解した上で、最善を尽くしているとのこと。これは、エグいですよ。エグ過ぎる。33才というのは人生の頂点あたり。そろそろ自分の人生の下り坂がチラチラ見えてくる時期。よく、持ちこたえているなぁと思ったのでございます。
伊藤健太郎さんのニュースは、驚きましたねぇ。女性を同乗させていたなんていう未確定の情報もございます。もしかしたら、その女性をどこかで降ろすために逃げた? なんていう邪推も出来ちゃいます。だとしても、何で逃げちゃったかなぁ。
このニュースを見てから、ワタクシ、「もし伊藤健太郎さんが最善の行動を取っていたら?」というシミュレーションを頭の中で何度もやっております。出演番組はどうなったか? 映画の公開はどうなったか? もし最善の行動をしていれば、逆にそれで評価が上がった可能性も高いのですよね。
そんなシミュレーションを、事前に本人がやっていたら? あるいは、危険を予測して事務所がそんなシミュレーションを教え込んでいたら? たらればで話をしてはいけませんが、4月にも同じような接触事故を起こしていたみたいですので、その時にシミュレーションを行うことは出来たのにねぇ。
不幸中の幸いと言えば、バイクに乗っていたお二人の命に別状なかったこと。ほとぼりが冷めたら復帰して欲しいなぁとは思っております。23才ですからね、そろそろ「ヤンチャ」から卒業しても良い頃では? この経験を演技に活かして復帰しようと考えるか、あるいは「そろそろ面倒くさくなって来ていたので、これを機にいっそ引退するか」と考えるか、本人次第でございますね。
冷蔵庫の牛乳の賞味期限が3日前になってる! でも平気、グイグイ飲んじゃう。同じく冷蔵庫内の真空パックの燻製半熟卵、賞味期限が2週間前! これはちょっと恐る恐るで食べてみる。でも、ぜ~んぜん、平気、美味しい。元より賞味期限がかなり短く設定されているのに加えてパッキング技術の向上で、最近の食品は、ほんと傷みにくくなってる。
朝日新聞デジタルが、賞味期限の切れそう(切れた)製品を専門に扱うスーパーを記事として取り上げておりました。非常に安く仕入れられますから、売値も只同然の値段だったりする。店主いわく、半信半疑で始めたけれど予想以上の売れ行きとのこと。ただ賞味期限切れ商品の販売は、これまた法律のグレーゾーンなのでございますよね。
「食品衛生法」では、「健康に危害を及ぼす危険性のある食品を販売することは禁止」となっております。ここでポイントとなるのは、「賞味期限」の意味合い。この賞味期限というやつは、かな~り短く設定されていて、期限が切れたからと言って安全性が損なわれるわけでは無い。この賞味期限の意味合いと食品衛生法の文言とを付き合わせると、現在の法律ではグレーな商売となってしまうのですよね。
でね、政府は食品ロスを減らそうと訴えているわけですよね。でしたら、この賞味期限切れの商品をきちんと二次販売として流通に乗せるべく、その道筋を作ったらよろしいのでは? グレーゾーンのまま放置せず、法整備をし、商品ごとに安全性を確認し、二次販売のある程度のガイドラインを指し示すのでございます。当然、罰則も設けることになる。
アパレルでは、この二次販売はかなり当たり前。ブランド品で売れ残ったものは、専門の業者に安く買い取られ、タグが違う物に取り換えられ、破格の値段設定で巷の洋品店に並ぶわけでございます。アパレルには、流行遅れこそ有っても賞味期限はございません。そこがチョイト、食品と違うところでございますね。
これね、きちんと法整備をしたら、おそらく、日本中のスーパーマーケットが始めると思いますよ。スーパーでも個人店なら始めやすいですからね。ひとつの店舗内に二次販売のコーナーを作るも良し。支店のいくつかを二次販売専門店にするも良し。二次販売専門で起業する人も現れますよ!
政府の「食品ロスを無くそう」という呼びかけは、「家庭での取り組み」「外食時の心構え」にしか言及しておりません。なんという精神論なことか! 是非とも、「流通の構造そのものを変える」「法整備をする」といった政府にしか出来ないことをやって欲しいものですよね。