最新 追記

薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2009-01-01 年の初めのごあいさつ

あけましておめでとうなのでございます。元旦恒例の「かくし芸大会」などを見ておりました。中山秀征さんのシャボン玉のかくし芸が、なんだかいちばん気に入ったのでございます。シャボン玉を見ていると、自然と顔がほころんでくるのでございます。シャボン玉には、顔をほころばす不思議な力があるのでございます。

今年は頑張って年賀状を作ったのでございます。今年は早めに行動し、年末に雑用を溜めないようにしておりました。ちゃんと12/25までに投函いたしましたので、郵送したところへは、きちんと元旦に届いているはずでございます。郵送とは縁のない方々は、以下のリンクをクリックして下さいませ。ではでは、本年もよろしくお願いするのでございます。

2009年 年賀状


2009-01-02 ゼンセカイ無責任時代

昨年の暮れのことでございますが、当店の掲示板へ「プレイルーム内で撮影をしたい」という書き込みがございました。ただ今、ルーム内での一切の撮影はご遠慮いただいておりますので、その質問に対しては、その旨、回答させていただいたのでございます。

当店も8年前のオープン当初は、ルーム内での撮影に関してはかなり寛容でございました。ポラロイドカメラを貸し出してのハメ取りなども行っておりました。ところが、インターネットの普及に伴い、簡単に画像データをアップロード・ダウンロードできる時代になりますと、どうしてもある程度のリミッターを設けざるを得ないのでございます。

わざわざ撮影させて下さいと申し出ている方には、けっして悪意はないというのは分かっておりますよ。けれど、あらゆる可能性を考えますと、すべておしなべて一律にご遠慮いただくという形になっちゃうのでございますよね。「性善説を信じたいけれど、性悪説で対処しなければ立ち行かない」という、最近のネット事情そのものに影響されている状態でございます。

かつては、本を出版するとか自分の曲をCD・レコードで発売するといったことには、それなりのコストもかかりましたし、出されたものにはそれなりの「責任」が発生したものでございます。言論の自由と表裏一体に、発言者の責任も存在していたわけでございます。ところが、ネットでの「自由な投稿や配布」には、「責任」というものが発生しておりません。本来、裏表でバランスを取っているはずの「自由」と「責任」が、ネットという環境では、実にアンバランスな状態で稼働し続けているのでございます。

アンバランスなものというのは、いつか必ず破綻するのでございます。現在のネット環境というものは、近い将来に大きくその形を変えるかもしれません。だって、もはや人類は、自らが作り出したネット環境を「持て余している」のでございますから。そうそう、匿名巨大掲示板「2ちゃんねる」の管理人、西村博之氏が、「2ちゃんねる」を海外企業に譲渡したというニュースが、まことしやかに流されております。(もし事実だとしたら)かの西村氏も、ネット環境に訪れる「チェンジ」を予感した上での行動なのでしょうかねぇ...


2009-01-03 凧揚げやこま回しは、年に一度の楽しみだったのです

あっという間に正月の三日、明日の日曜日で正月休みも終わりという人が多いのではないでしょうか。年末年始を通常営業するのは当店の恒例でございますが、今年の年末年始は普通のウィークデーのような感じでございました。本来、年末年始というのは特定の日、特定の時間にお客様が集中しやすいのでございますが、今回は「ちょっと忙しい普通の日」という感じでございました。巷もあまり新年へのイベント感が無いようでございますし、世の中全体がイベント疲れ、イベント麻痺になっているのかもしれません。

「イベント麻痺」ということは、「ワクワク感」が無くなっているということでございます。ではなぜワクワク感が無くなっているか。それは、ワタクシ、現在のネット環境が影響していると思うのでございます。例えば、昔なら「仕事が終わったら家に帰ってあの番組を見よう」とか、「学校が終わったら、あのマンガの続きが読みたい」といった、「緊張と緩和」の区別がはっきりしていたのでございます。ところが最近では、仕事中でもメールで私語のやり取りやワンセグ受信とか出来てしまいますし、授業中にゲームで遊んだりなんてこともやろうと思えば出来てしまうのでございます。

あるいは、ネットショッピング・番組のネット配信といったものの普及で、「待つ」「我慢する」「諦める」といったことが少なくなってきております。これも緊張と緩和を曖昧にする要因になっております。緊張があるから緩和したときの喜びも大きいのでございます。便利さのぬるま湯の中で緊張の度合いが低くなるにつれ、人間の「喜びのしきい値」はどんどん高くなり、ワクワク感や獲得したときの喜びは減少しているのでございます。

ネットというものを「いつでも好きなときに自分の世界に没頭でき、(ゲームや画像によって)時には快楽的な刺激を得ることも出来る」と言いかえるならば、これはもはや「麻薬」と同じなのでございます。世の中はもっともっと、ネットの“麻薬性”に注目するべきでございます。だって、麻薬と同じものを、今や小学生でも持つことが出来るのでございますよ。

ネット接続がどんどんお手軽になり、緊張と緩和の曖昧な生活が浸透していくと、季節の移り変わりへのワクワク感というものが、ますます世の中から薄れていくのではないでしょうかねぇ。ゲーム機や携帯の画面に夢中になる巷の人たちを見ていると、「もういくつ寝るとお正月」と歌われた年末年始のワクワク感は、もはや小さな子供でさえ持っていないような気がいたします。


2009-01-04 優しくなければ生きていく資格がない

朝、テレビをつけましたら、いきなり美輪明宏さんの荘厳なお顔が映りまして、びっくりしたのでございます。その美輪さんが「色気」に関して言及しておりました。色気とは「やさしさ」だそうでございます。たとえば、グラス一杯の飲み物でさえ、そのグラスを作った人、飲み物を入れてくれた人、テーブルを作った人、そういった人々すべてに感謝し、そういった人に恥をかかせない「やさしさ」、それが色気につながるということだそうでございます。

新人のニューハーフが徐々に女っぽくなっていく過程では、この「色気」というのがなかなかの関門でございます。単なる「美しさ」というものは、お化粧や美容整形といった”力技”である程度は形が出来ていくものでございます。ところが「色気」というものは、出そうと思って出せるものではございませんし、逆に生まれつき意識せず色気を振りまきまくっているなんて恵まれた人も、この世の中には存在したりいたします。

鋭角的な動き、瞬発的な動きをすると、それが俗に言う「男性的な動き」になってしまうのでございます。新人のニューハーフには、この身についた男性的な動きがなかなか抜けなかったりいたします。ところが、美輪明宏さんの言われるような気配りをいたしますと、ひとつひとつの動きに微妙にブレーキがかかるのでございます。そのアクセルを踏みながらブレーキを踏むような動きが、「色気」につながるのでございましょう。

ということで、「色気」というものは男性にも存在いたします。細かい気配りをし、何事にも優しく接する人には、男性でも色気があるということなのでございます。この「色気」と「男っぽさ」を勘違いしているホストとか、ときどきいるのでございますよね。前述した鋭角的でトゲトゲした言動が男っぽいと思い込んでいるのでございます。ホストクラブへ遊びに行かれる方、ホストになろうとしている方、すでにホストの方、お気をつけ下さいませ。


2009-01-05 熱田神宮、初えびす、宮きしめんでお腹いっぱい

正月五日といえば、熱田神宮の「初えびす」なのでございます。ワタクシも行って参りました。四日の営業が終わった直後の開けて五日の深夜、夜の寒さに備えて十分に厚着をして出かけたのでございます。

お店をオープンしてからの八年間、毎年欠かさずこの初えびすには通っております。出かけるのは必ず四日の営業直後の深夜でございます。日中はお店に張りつき状態でございますし、午前中は急に何か用事が入るかもやしれません。結局、深夜に出向くということになるのでございます。

寒さ対策を十分にして出かけたのでございますが、いざ外に出てみると、今年はそれほど寒くない。これも、地球温暖化の影響でございましょうか。シィメイルとアネックス分、熊手が二本と「あきないえびす」のお札が二枚。小脇に抱えて、いざ熱田神宮なのでございます。

昨年の熊手とお札を”どんと焼き”の中に放り込み、身軽になったところで上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)と本宮を参拝いたします。その頃には体が冷えてまいりますので、ちょいと寄り道をして休憩所でアツアツの「宮きしめん」をいただくのがいつものパターンでございます。

お腹が膨らみましたら、最初の上知我麻神社へ戻りまして、どんと焼きの炎の温もりを十分堪能するのでございます。誤解を招くかもしれませんが、炎というのは実に心を落ち着かせる作用があるのでございます。いえ、決して放火魔の要素があるわけではございませんよ。きっとこれは、遙か原始時代に人類がたき火で暖を取っていた頃の記憶が、DNAの奥深くに刻まれているからではないでしょうかねぇ。

さて、炎の暖かみを十分に堪能いたしましたら、新しい熊手とお札を調達し、帰路につくのでございます。シィメイルとアネックスにそれぞれ熊手とお札を飾り、毎年恒例の行事は終わりでございます。昨年の熊手さん、お札さん、ありがとうございました。そして、新しい熊手とお札さん、本年もよろしくお願いするのでございます。


2009-01-06 Oh!, Goods!, Goodie!

今年の年末年始はお茶をお配りしております。粉末の梅昆布茶なのでございます。薄っぺらくてポケットに入れやすいということもありまして、ほとんどのお客様に持って帰っていただいております。また、中に入っている「おみくじ」が気になり、フロントですぐに開けておみくじを確認するというお客様もいらっしゃいます。

昨年はボディーソープ、その前の前は犬の形の固形石けん。やはり、ポケットに入りにくい大きさのものは、遠慮されるお客様が多いのでございます。また、石けん類のような当店の営業内容を連想してしまうようなものは、家庭持ちの方には何かと危険なのでございましょう。やはり、「気持だけ」と言って遠慮される方が多いのでございます。

今回用意したお茶も、その三分の二をお渡し終えたところでございます。たぶん今月いっぱいぐらいで終了するのではないでしょうか。次はどんなグッズにいたしましょうか。グッズを選ぶのって、楽しいのでございます。選んだグッズが好調に減っていくというのも、また楽しいのでございます。受け取っていただいたお客様も、事情があって持って帰られなかったお客様も、ありがとうございます。


2009-01-07 君は『惑星ソラリス』で首都高速の幻想を見たか

世界規模の不景気、なかなか深刻でございます。こういったことに楽観的な発言をすると様々な方面からお叱りを頂いたりするのでございますが、あえて申し上げようと思うのでございます。ワタクシ、この不景気は「幻想」だと思うのでございます。人の心が作り出した幻想。人々の心のベクトルが一斉に不景気の方角へ向き直ってしまったために、一時的に経済が停滞しているように見えるだけ、そんな気がするのでございます。

オイルショックの時のトイレットペーパー騒動をご存じでございますか。あれも、人の心が作り出した騒ぎでございます。トイレットペーパーなんてまったく不足していないのに、大衆の心のベクトルが一斉に向きをそろえてしまうと、あれほどの大騒ぎになるのでございます。かくして、トイレットペーパーの大幅な需要過剰を生み出し、トイレットペーパーごときが高騰したのでございます。

あるいは、半年前のガソリンの高騰を覚えていらっしゃいますか。今やガソリンの価格は十分に下がり、あのときの騒ぎのことなんかみんな忘れていますよね。あの半年前の時点でもし価格が数ヶ月後に正常に戻ると分かっていれば、あれほどの騒ぎにはならなかったはずでございます。また逆に、価格が永遠に高騰し続けるとしたら、そのときは一時の小さな損得を考えて騒ぐというのはあまり意味が無いことでございます。あらら、相場の動向に関わらず騒ぐべきではないという結果になってしまいました。

『惑星ソラリス』というSFでは、人間の妄想を実体化してしまう不思議な能力を持った惑星が登場いたします。今回の不景気も、人々の心が作り出した幻想がそのあまりのベクトル力の強さで実体経済にまで影響を及ぼしている、そんな幻の不景気だと思うのでございます。半年後には「あんなことあったね」と笑い話になっていると、いいのですけどね。ちょっと楽観的な考え方で不愉快に思える方がいらっしゃるかもしれませんが、こんなポジティブな考え方があってもいいと思います。


2009-01-08 演出しない演出というのは、役者に演技力が要求されます

昨年の暮れに緒形拳さんが亡くなられまして、その最後の出演となった『風のガーデン』(倉本聰脚本)というドラマがなかなかに良い感じでございました。そのドラマの後番組として『ありふれた奇跡』というドラマがスタートいたしました。「山田太一脚本」と、大々的に宣伝しております。まず「脚本ありき」というドラマの作り方、出演者には申しわけございませんが、好感が持てるのでございます。最近は、アイドル出演者の演技力不足を補うための原作レイプドラマが多いのでございます。

山田太一さんの脚本は、日常が淡々と進んでまいります。役者もあまり抑揚をつけず、静かに静かに演技をいたします。ひとつ間違うと“棒読み芝居”になりかねない、そのギリギリのところで「日常の自然さ」を演出しております。まさに、ありふれた他人の日常生活をのぞき見しているような感覚、そこに山田太一の真骨頂があるのでございます。

このような脚本主導のドラマというのは、やはりNHKのお家芸なのでございます。というか、民放の場合は、どうしても営業的な思惑や事務所との“しがらみ”など有るでしょうしね。また、そのような最近の民放のドラマ作りの体質を憂いて、倉本聰さんなどはテレビドラマの製作を敬遠したりしております。まぁ、『風のガーデン』『ありふれた奇跡』と、これらは両者ともフジテレビの周年記念制作のようでございます。そういったこともありまして、本格的なドラマを作ろうという意気込みが有るのでございましょう。

久しぶりに、山田太一さんの“しみこんでくるような臨場感”のあるドラマが見られそうでございます。もっとも、「フジテレビは倉本聰、山田太一を担ぎ上げて芸術祭参加?」といった下心を想像してしまうのは、ワタクシの見方が斜めすぎるのでしょうか?


2009-01-09 左側は、ご先祖からのメッセージ

本日は非常に体調が悪かったのでございます。左の肩から肘にかけて、ドーンとした重い痛みが夕方から続いておりました。クシャミや鼻水も多少出ますし、「風邪を引いての関節痛かな」などとも思いましたが、体の左側だけというのも不思議なのでございます。ひょっとしたら水子の霊?、アハハ、ワタクシ、自分で産んだことも産ませたこともございません。

「こりゃ、関節痛ではなく重度の肩こり?」。そう思いまして、お風呂に入ることにいたしました。かなり熱めのお湯をたっぷりと張りまして、バスクリンをいつもの三倍くらいの量を入れたのでございます。バスクリンというのは濃いめに使いますと、薬草の匂いがプ〜ンと漂ってまいります。ジャンボ銭湯の薬湯のようでございます。バスクリンというのは単なる「色つき粉」ではなく、ちゃんと成分が入れてあるのでございますね。いや、当たり前だとは思いますが、あらためて実感したのでございます。

湯船に浸かっているうちは左肩の痛みも治まっております。あぁ、血行が良くなって治ったかなと思い、お風呂を出て体を拭いていると、また左肩が痛み出してまいります。とにもかくにも、暖かくしてそのままベッドへ直行でございます。この痛み、一晩ぐっすり寝て治るのでございますが、痛むのが左側だけというのが、妙に気持ち悪いのでございます。風水に詳しい方に言わせると、体の左側の調子が悪くなるのは、目上の人の霊への供養が薄いからだそうでございます。あぁそういえば、もうすぐ母親の命日でございます。「たまには思い出せ!」と母親が天国から叱っているのでございましょうかねぇ?


2009-01-10 急須のあの部分を、鶴首っていうの知ってました?

一年ほど前から、ペットボトルのお茶をやめて急須で熱いお茶を入れて飲んでおります。以前は昔ながらの瀬戸物の急須を使っておりましたが、その急須を割ってしまってからは、ガラス製の急須を買い求めて使っております。この瀬戸物とガラスの素材の違いが、お茶の味わいに、これまた影響するようでございます。

まず、お茶というものはあまり熱いお湯を使っても美味しくないのでございます。急須と湯飲みを温めた後のすこし温度が下がったお湯の方が、お茶の甘みがよく出るのでございます。これが瀬戸物の急須ですと、急須がほどほどにお湯の温度を下げてくれるのでございますが、ガラス製のものですとあまり温度が下がりません。甘みの少ないトゲトゲしいお茶になるのでございます。

いろいろ工夫した結果、ガラス急須でお茶を入れるときには、急須の中に最初から冷凍庫の角氷をひとつ入れておくという方法に、落ち着いたのでございます。さてこれで、お湯の温度の問題が解決し、ガラス急須で美味しいお茶が飲めるかと思いきや、いや、どうもお茶が薄い。なかなか濃いお茶が出にくいのでございます。

実は、このお茶の薄さは、急須の形状に原因があるようでございます。瀬戸物の急須は細い鶴首からお茶が出るようになっていて、しかも鶴首と本体のつなぎ目は、お茶っ葉をこすために網目状になっております。細い鶴首からゆっくり流れ出るお茶は、その網目状のところで溜まったお茶っ葉をくぐり抜ける形になるのでございます。ところが、ガラス急須は鶴首のないポット型で、本体とフタとの隙間の注ぎ口から、勢いよく出てしまうのでございます。

勢いよく注ぎたくてもゆっくりとしか注げない構造、その細い鶴首の形状に、お茶を美味しく入れる急須の秘密があるようでございます。例えるなら、産道を苦しい思いをして生まれ出た赤ん坊が、たくましく育つようなものでございましょうか。美味しいもの、たくましいもの、楽しいもの、そういったポジティブなものには、その前に苦しい段階があるようでございます。今、何かと苦しい時期でございますが、細い鶴首を抜け出した後、きっと素晴らしく美味しいお茶が飲めるはずでございます。急須の鶴首のことに思いを馳せながら、そんなことを考えておりました。


2009-01-11 お餅を切るときの重たい感覚、いまだに覚えております

今日は「鏡開き」ということで、さっそくお店に飾っておりました鏡餅を「開いた」のでございます。本来、お持ちを「割る」という表現が適切なのでございますが、正月早々「割る」という表現はどんなものかということで、「開く」という後を使って「鏡開き」となったそうでございます。

ところが最近の鏡餅は、プラスチックの張りぼての中に個別包装された小さなお持ちがいっぱい入っているものが多いのでございます。張りぼての裏側のシールをペリペリペリと「開けて」、中の小餅を取り出すわけでございます。まさにその名前の通りの鏡開きになってしまったのでございます。個別包装からお餅を取り出しますと、堅くはあるけど歯でかじられる程度の半生の堅さ。技術の進歩はすごいのでございます。

ワタクシが子供のころの正月のお餅といえば、お米屋から届く座布団のような大きな板餅でございます。それと、段ボール一箱分のみかん。お餅は“出来たて”でまだ柔らかいですから、それを包丁で切り分けるのがワタクシの担当。その箱一杯のミカンと、これまた箱一杯のお餅を、年末から年始にかけて食べるのでございます。

最初はパクパク食べるのでございますが、正月休みが終わるころには飽きてまいります。そうしますと、母親が堅くなったお餅で「あられ」を作ってくれたりするのでございます。また、裸のお餅でございますから、カビが生えます。そうしますと、そのカビの部分を削り落として、食べたりいたします。子供心に気持ち悪かったのでございますが、焼いて焦げ目がついてしまえば普通のお餅でございます。そんなような工夫をいたしながら、親子二人で大量のお餅とミカンをたいらげたものでございました。

包装や防腐剤などが発達していなかった昔の食べ物は、よく腐ったりカビが生えたりしたものでございます。「食べるものは必ず腐る」という大前提があるはずですが、最近の食べ物は本当に腐りにくくなったのでございます。その腐りやすかった昔の食べ物の方が、食べ物と人間との距離感が近かったかもしれませんね。逆に、衛生的で保存のきく最近の食べ物は、まるで「宇宙食」のようでございます。便利ではございますが、食べ物への距離感は遠くなった気がいたします。


2009-01-12 肉を切らせて骨を断つ

麻生さんの支持率が、すごい勢いで下降しているそうでございます。定額給付金に対するノラリクラリとした発言も、その一因でございましょうか。ワタクシ思いますに、あの定額給付金の二兆円、もし給付された国民が本当に一斉にその二兆円を使ったら、これは間違いなく効果有ると思いますよ。麻生さんお得意の“後付け理由”も、まんざら間違ってはいないと思います。

ただ、麻生さんの言葉はどこまで行っても「他人ごと」なんですよね。言葉に「心」が無い。給付金の真の目的は、「配ること」ではなく「使ってもらうこと」なのでございます。ですから、「この給付金で活性化させる確信を持っている。だから、私を信じなさい!」と国民の心情に訴えればいいものを、自己の方法論の正当性ばかりを主張している。あれでは、支持率が下がるのは当たり前なのでございます。

結局、“ねじれ国会”になったことで、「話し合いで調整する能力が日本の政治家には皆無である」ことが、露呈しちゃいましたよね。ねじれた状態で政治を押し進めるのなんて、簡単でございます。与党が自らの政策を捨てればいいのでございます。野党の政策を大きく受け入れ、国政はドンドン進み、すごい勢いで問題解決でございます。で、その手柄は誰のもの? もちろんその手柄は過半数をしめる与党のものでございます。ではなぜこういった「歩み寄り」が出来ないのか。それは、本来「手段」で有るはずの政策が、「目的」になっているからでございます。

たとえば、芸術作品での「目的」は「お客を感動させること」でございます。その目的への「手段」として、様々な演出方法をとるわけでございます。演出方法の違いで、音楽とか美術とか舞台とか、種々多様な芸術作品が生み出されるわけでございますが、その最終目的である「感動」という終点は、どんな芸術でも同じなのでございます。

またあるいは、当店の場合、最終目的は「お客様に喜んでいただく」ことでございます。その手段として、コンパニオンのレベルアップであるとかホームページの充実。お部屋や備品への気配り、値段設定など、様々な「手段」が有るわけでございます。共存できる手段もあれば、排他的な手段もございます。どの手段にウェイトを置き、どの手段を切り捨てていくか、それがお店運営の「色」を決めることになるのでございますが、目的である「お客様の喜び」は、たとえどんな手段を採用しようと変わらないのでございます。

さぁ、この目的と手段を政治にあてはめますと、「目的」は「国民の生活安泰」でございます。そして「手段」が「各政党の政策」でございます。政治家全体がその目的をはっきり見定めていれば、あとは各政策を調整するだけでございます。みんなが同じ目的のために行動しているのでございますから、多少の譲歩・すり合わせなどは必要でございますが、とりあえず進んでいくはずでございます。それがまったく進まないということは、目標が定まらず、それぞれがバラバラな方向に歩み出そうとしているからでございます。

ワタクシ思うに、日本が平和すぎるから目的が定まらないのですよ。もし宇宙からガミラスとかバルタン星人とか謎の円盤UFOとかエイリアンとかが攻めてきたら、それこそ日本中が一致団結するはずでしょ。いや、日本中どころが、世界中がその侵略者と戦うという目的で団結するはずでございます。中東で戦争なんかやっている場合ではございません。なんてったって、ガミラスやバルタン星人と戦わなければいけないのでございますから。

あ〜あ、なんか話が脱線してきましたね。肉(手段)を切らせて骨(目的)を断つ「漢(おとこ)」の政治家。カッコイイと思いますけどねぇ〜〜


2009-01-13 お休みはシネマでパラダイス

本日はワタクシの完全休養日でございます。午前中からお部屋の片づけや買い出しなどをバタバタとこなしておりまして、気がつくと夕方でございます。このまま一日を過ごしてしまうのももったいないと思い、久しぶりに映画館に行くことにいたしました。とりあえず、上映中の映画の“あらすじ”をザッと確認し、映画館へと向かったのでございます。

最初に飛び込んだのは『ワールド・オブ・ライズ』。CIAの諜報員がテロリストを追い詰めるというストーリーでございます。レオナルド・デュカプリオ、貫禄出ちゃいましたねぇ。髭とか生やして恰幅(かっぷく)が良くなっているので、最初、誰だか分からなかったのでございます。そして、映画全編に漂う『ブラック・フォーク・ダウン』の雰囲気、エンドクレジットで確認すると、監督はリドリー・スコットとのこと。納得したのでございます。

最近は、平日でもレイトショーをやっているのでございますね。一本見終わって、まだ間に合う映画がございました。2本目に飛び込んだのは、キアヌ・リーブスの『地球が静止する日』でございます。人類を襲う宇宙人の大群にアメリカが一国で立ち向かうという、「宇宙人vsアメリカ」という、アメリカ映画のよく好むストーリーでございます。

まだ見ていない方のために、細かいストーリーは申し上げませんが、どちらの映画のエンディングも、いたって“アメリカ的”でございます。ただ、今までのアメリカ映画にはなかった傾向として、アメリカ映画が“アメリカの恥部”をさらけ出しております。『ワールド〜』ではアメリカのアラブ人への見下した感覚を、『地球が〜』では“アメリカさえよければ”というアメリカのエゴでございます。

そもそもアメリカ映画には、「インディアン」に対する背徳と免罪の歴史がございます。かつて「みさかいなく白人を襲う殺人集団」として描かれた古き西部劇でのインディアンは、今では正当なアメリカ大陸先住民として描かれ、アメリカ映画はその差別的表現には非常に神経質になっているのでございます。

同じようなことが、宇宙人の表現でも見られるのでございます。「侵略者」としてしか表現されなかった宇宙人が、『未知との遭遇』という映画で初めて「人類と同じ生命体」として表現されたのでございます。SF映画的には画期的なことでございまして、この映画を機に、『ET』などに見られるように、宇宙人の扱いは大きく変わったのでございます。

そして、今回見た『地球が〜』では、人類は地球を破壊し続ける下等動物であり、高度な文明を持つ宇宙人が人類を成敗するという設定になっております。もはや対等な生命体どころか、人類は殺虫剤でころされる害虫扱いでございます。宇宙人と人類が戦うという設定はかつてのSF映画と変わりませんが、人類は地球に住む正当性さえ与えられない悲しい存在になっております。

『スーパーマン』のころに顕著だった「アメリカ万歳」的風潮は息をひそめ、もはやアメリカ映画は自らの恥部をさらけ出しております。こういった映画が現れ始めているのも、今のアメリカに自信や誇りが無くなっているからでございましょうか。


2009-01-14 上原のぞみ出演AVのご案内です

 いつぞや、当店の上原のぞみがAVの撮影をしたことをご報告いたしましたが、そのAVの発売日が決まりました。1/24(土)に発売だそうでございます。
『超嬢≪ニューハーフ≫える&のぞみ』 [GUN-454]
 発売元:RADIX(レイディックス) (http://up-tight.com/)
パッケージの写真を見ると、なかなか綺麗な出来上がりでございます。お店にも在庫を置くつもり(発売日には間に合いません)ですので、希望の方は来店時にフロントでお求め下さい。

2009-01-15 『シーメール白書』最新号は、愛咲うるみが表紙で〜す

昨日は「上原のぞみ」さんのAVのご報告でしたが、本日発売の『シーメール白書』Vol.95で、当店の「愛咲うるみ」さんが、表紙&巻頭グラビアを飾っております。また、付録DVDには、「菊川愛香」さんの「シーメール白書・オリジナルビデオ」が収録されております。お店のフロントに見本誌も置いておりますので、よろしければお買い求め下さいませ。


2009-01-16 騙されたと思って買ってみな、と言われて買いました

ネットで通販とかしていると、「あなたにおすすめの商品」とかいう名目でセールスメールが届いたりいたしますよね。そのセールスメールでたまたますばらしい音楽に巡り会えたのでございます。「saya」という芸名の日本人女性のCDでございます。『花』というワタクシの好きな歌が入っていたので、まぁ騙されたと思って買ってみたのでございますが、これが大当たり。みなさま方にも紹介するのでございます。

 『こもれび』saya (AQUARELLE RECORDS AQCD-0010 ¥1,200)
  M1:ウタキの丘で
  M2:木もれび
  M3:花〜すべての人の心に花を〜
  M4:月香夜

透き通った女声ですが、そのやや凛々しい歌い方のせいでしょうか、どこかボーイソプラノを思わせるような中性的な響きのある声でございます。聴いていて心に引っかかる声というのでしょうか、純粋物にほんの少し不純物が混じっているような、あるいは目映(まばゆ)い光の中のわずかな影を見てしまったような、そんな「気にさせる」声の持ち主でございます。

完璧すぎる芸術作品というものは、あまり感動を引き出せなかったりいたします。むしろ、ちょっとした「不純さ」や「あそび」のあるとき、思いも寄らないような感動を享受者に与えたりいたします。けれど、その不純さやあそびを「狙って」表現したりすると、こんどは逆効果になったりいたします。そこに、芸術作品を表現することの難しさや奥深さがあるのでございます。

もし、縁がありましたら、このsayaさんの曲を聴いてみて下さいませ。あと、この同じ「saya」という芸名のジャズピアニストの方もいらっしゃるようでございます。いろいろ検索して確認したのでございますが、今回ご紹介したCDのsayaさんと、そのピアニストの方は別人のような気がいたします。もしCDを探される場合は、お気をつけ下さいませ。


2009-01-17 メルトモになるって、憧れますよね。でもね...

受付をしておりますと、いろいろ変わったことに遭遇いたします。先日もフロントで、お客様は確かに予約を入れたと言われるのですが、そのような予約を受けた記録も覚えも全くないのでございます。よくよくお客様に事情を聞いてみると、コンパニオンに直接予約を入れたとのこと。なるほど、それではフロントに記録が残っているはずはございません。あいにく、お客様が予約を入れたというコンパニオンは接客中で、しかたなく、そのお客様は他のコンパニオンで遊んでいかれたのでございます。

お客様とコンパニオンが何らかの連絡方法を持つというのは、本来、この風俗というお仕事ではタブーでございました。ところが、コンパニオンが自身のホームページやブログを持つようになりますと、もはやメールアドレスなどをオープンにするということが普通になってきております。といったことで、コンパニオンとのやり取りで、お客様はすでに予約を入れたと思い込んでいたのでございましょう。

コンパニオンとお客様が連絡を取り合わないという考えは、一般的に関東的な営業方針のような気がいたします。逆に関西のお店では、お店が営業電話を奨励したりなんてことも有るようでございます。ですから、コンパニオンの出身地で営業電話に対する感覚が違っていたりもいたします。また、ストレスを溜めやすいコンパニオンの中には、接客時以外はゆっくり休みたいという思いから、メールアドレスや電話番号に対して口が重かったりいたします。

コンパニオンにもいろいろな思いや事情があったりいたします。理解してあげて下さいませ。


2009-01-18 お茶の香りでお疲れさま

寒いし、雨は降っているし、こんな日はお店は暇なのでございます。年末年始にバタバタしたのとは裏腹に、1月の中旬から2月にかけては、比較的暇になる時期でございます。コンパニオンの中には、こののんびりしている時期に美容整形などの計画を立てる人もいたりいたします。

サービス業の宿命なのでございますが、他人様が遊んでいるときが当店の忙しいときなのでございます。逆に、一般の方が忙しく仕事に追われるような時期というものは、お店ものんびりいたします。みなさま方、忙しい日々を送られているのでございましょうか。そして、正月休みに家庭サービスをして、疲れが出ている時期でございましょうか。

忙しい日も暇な日も、仕事が終わってお店の電源を落としていくときに、ホッといたします。人間も動くと疲れるように、お店のお部屋も一日使い終わると疲れます。「お部屋が疲れる」というのは変な表現でございますね。何となくこのお部屋疲れているな、ただ単にそう感じるだけでございます。

疲れたお部屋には、茶香炉を炊いたりしております。茶香炉というのはエッセンシャルオイルの代わりにお茶の葉を使うアロマテラピーでございます。薄暗くしたお部屋で茶香炉を炊くと、香炉の中のろうそくの炎がゆらゆらとお部屋の壁に影を落としまして、ちょっと不思議な雰囲気でございます。従業員に「お疲れさま」と言うように、営業後のお部屋にもこんな形で「お疲れさま」と言ったりしております。


2009-01-19 人類存続の可能性は、この地球の胸先三寸

今日は、映画を見てまいりました。『感染列島』という映画でございます。一部地域ではインフルエンザで死人まで出ているとのこと。タイミングが良いのか悪いのか、とにかく観てきたのでございます。

日本映画とは思えないほど(と言っては失礼かな)、脚本の出来が良いです。2時間20分という上映時間を見てチョット二の足を踏みそうになりましたが、見終わるとその2時間20分では足りないという感じ。「あぁ、3時間ぐらいの長編でもいいな」と思ったのでございます。映画関係者の方、もし読んでいたら、DVD発売の際には「ディレクターズカット3時間版」みたいなのを出していただけたらなんて、勝手なお願いをしちゃうのでございます。

主演の「妻夫木聡」さん、すごい熱演でございます。『どろろ』でのあの投げやりな演技(失礼)とは打って変わって、力の入った演技でございます(百鬼丸の役、嫌だったんだろうな)。いや、妻夫木さんだけでなく、出演者がみな、頑張っております。医療関係の脚本は、専門用語がらみ、医療器具がらみで大変だということが想像できるのでございます。近頃の医療ドラマに臨場感が薄いものが多いのでございますが、この映画は本物でございます。

あらすじは、まぁタイトルのそのままでございますのであえて申しませんが、ある博士の「人間とウィルスは共存できないのかなぁ」といった台詞が、なにげに気になったので、ひと講釈、申し上げるのでございます。

ワタクシ思うに、「この地球上で、人間は永遠に存続する確証も権利も有してない」と思うのでございます。「その時その場の環境に適した生物が生き残る」、これが自然の摂理でございます。ということは、環境が変われば人類が“絶滅”し、他の種が人類の代わりに台頭するということも自然の摂理にかなっているわけでございます。「人類の進んだ科学が、自然の摂理をも凌駕する」という考え方もあるでしょうが、例えば、タミフルが効かない新種のウィルスが出始めているなんて話も聞かれます。科学技術の進歩を追い抜く勢いで、自然の摂理も変化しているようでございます。

人類はここ50年位前から、爆発的な勢いで化学物質や電磁波を使用するようになってきました。今現在安全であると宣言されているものの中にも、ある日突然「実は○○は有害な物質だった」なんて発見が有るやも知れません。昨今の研究から、人間の免疫能力は昔に比べて低下しているという報告もございます。花粉症なんていう現代人しかかからない病気も発生したりしておりますしね。

孫悟空がお釈迦様の手のひらから出られなかったように、人類も自然の摂理から出られない小さな小さな生き物なのかも知れませんよ。この地球がちょっとクシャミをしたら、人類は簡単に絶滅してしまうのかも。そう、かつての恐竜がそうだったように...


2009-01-20 若いときの苦労は買ってでもせよとは言いますが...

みのもんたさんが自身の番組で、大いに怒ったそうでございます。なんでも、職を失った人たちを救済するために公的機関が求人を出したところ、応募がサッパリだったそうでございます。その理由が「理想の職種がないから」ということで、そのニュースにみのもんたさん、「働かざる者食うべからず」と言わんばかりに、口角泡を飛ばして激怒したそうでございます。

ワタクシ以前、この派遣切りで路頭に迷った人たちのことに言及したとき、「思慮の浅いやさしさは、『やさしさ』という落とし穴に入れてしまいかねない」と申し上げました。また、「夜露や空腹をしのげる環境を提供する代わりに、街の掃除ぐらいのお仕事をやらせるべきだ」とも申し上げました。あの「年越し村」に集まった人たちには、強制的に何かお仕事をさせても良かったと思いますよ。ひょっとしたら、あの見返りを要求しない善意が、当事者の復活への意欲を削いでしまったかも知れません。

「情けは人のためならず」という格言がございます。本来の意味は「他人に情けをかけておけば、回り回って自分のためにもなる」という意味でございます。ところが最近では、「他人に情けをかけるのは、必ずしも本人のためにならない」という誤解釈も増えてきております。ただ、ちょっと違った視点でこの格言を見ると、先に述べました本来の意味は「結局、自分の利益のことしか考えてないじゃん」と取ることも出来ますし、一方、誤解釈の方は「本人の意欲を削がないために、あえて手を差しのべない」とも取れるのでございます。

とまぁ、偉そうなことを書いておりますが、ワタクシも若い頃は「自分探し」と称してアルバイトを転々としたことがございます。今思うと、結構生意気な言動もございました。そんなワタクシが会得した格言は、「死なない程度の苦しみは、人生の良い肥やしになる」ということでございます。


2009-01-21 ♪朝いちばん早いのは、魚屋のおじさん〜

何やら、東京の築地市場では、マグロの競(せ)りを外国人が見学に来るとのこと。見学者のマナーが悪くしばらく禁止していたのを、つい先日復活させたそうでございます。そんなニュースを見ておりまして、ワタクシ、若い頃に日比野(名古屋)の中央卸売市場でアルバイトしていたのを、思い出したのでございます。

朝というか深夜一番早いのは鮮魚市場でございます。陽が昇るころになりますと、塩干と呼ばれる加工品の部門がバタバタとし初め、すっかり明るくなり鮮魚市場が清掃を行っている頃には、青果市場が賑やかになってまいります。魚屋さんは気さくだが短期な人が多く、よく怒られたものでございます。塩干の人は口数少なく、ギロッとした目力(めぢから)の強い人が多かったですよね。やはり恐かったですよ。それに比べて、青果市場の八百屋さんは、実に朗らかでまったりとした人が多かったです。

ワタクシは、なぜか場内の人気者で、よくいろんな物をいただいたのでございます。鮮魚では鮭のカマ(あごの下の部分)ばかりを袋にいっぱいもらったり、練り製品では出来たてのアツアツの薩摩揚げをいただいたり(これがメッチャ美味い)、青果ではよく桃をもらいましたね。桃はちょっとでもぶつけると商品価値を大きく失いますので、そんな事故品をくれたりしてくれたのでございます。あと、デリカ売場でポテトサラダの1Kgパックとか買っていきまして、数日間ポテサラばかり食べていたりなんてこともございました。

競りを見学って言いますけど、市場の中って、ムッチャ危険ですよ。特に鮮魚の競りは深夜に行われますから、まだ外はまっ暗。そこをいろんな人やいろんな乗り物が、すごい剣幕で走り回っております。ボーッと立ち止まったりしておりますと、気の短い魚屋さんに怒鳴りつけられたりいたします。名古屋の市場も見学を受け付けているようでございますが、もし行かれる方はお気をつけ下さいませ。


2009-01-22 サープライズってのは「感動」と訳すべきですよね

この「ひとりごと」の欄を読んでくださっているお客様から、「読んでますよ」とか「いつも楽しみにしてます」といったお言葉を、ときどき頂きます。本当にありがとうございます。そういったお言葉のひとつひとつが、この「ひとりごと」の欄を書き続ける原動力になっております。

たとえば、芸術活動に従事する人は、聴衆の喝采を浴びることで、それまでのすべての苦労が報われたりいたします。他人に与えた感動によって、自分も感動できるからでございます。この「感動のやり取り」、別に芸術活動に限ったわけではございません。世の中に存在するありとあらゆる職業は、この感動のやり取りをしているのでございます。

農業や漁業に従事する人は、その生産物が一家団欒の食卓に並ぶ様子を想像するでしょう。工場で働く人ならば、自分の作った製品を末永く愛用してくれる人のことを想像するでしょう。教壇に立つ人ならば、未来に向かって目を輝かせる教え子の将来を想像するでしょう。大工さんなら、ひとつ屋根の下で幸せに暮らす家族のことを想像するでしょう。

仕事というものは、一見、物やサービスを売っているだけのように思えますが、実はその物やサービスの裏側に張りつく「感動」を売っているのでございます。自分の送り出した「感動」で相手が感動し、その相手の感動で自分も感動できる。その「感動のやり取り」が、明日への糧(かて)となるのでございます。

ということで、世の中に働くすべての人々が、この「感動のやりとり」を忘れて欲しくないな、そう思ったりしております。


2009-01-23 妥結点には落ち着いたけれど...

なんか、消費税を上げるとか上げないとか、喧々囂々(けんけんごうごう)と言いますか、紆余曲折(うよきょくせつ)と言いますか、なんでしょうねぇ。別に上げるなら上げるでいいんですけどねぇ、どっかから財源を生み出さなきゃいけないんですから。いっそ、与野党含めて議員先生全員で、土下座でもしながら「消費税上げます。ごめんなさい」って謝りでもすれば、ちょっと気持ち良いのですけど。いやね、先生方が国民不在のところでディベートしていらっしゃるからね、ちょっとそんなことを思いました。


2009-01-24 VIPルームだけを予約することも可能です

はぁ〜、本日はちょっとバタバタいたしまして、大変でございました。予約が多く入る日は、時間のやりくりなど、パズルをしているようでございます。最近はVIPルームの知名度が上がってきたようで、VIPルームをご利用されるお客様が非常に増えてきております。しかし、今日のように立て込んでおりますと、飛び込みでいらっしゃったフリーのお客様が受付でVIPルームを希望されても、使用中でご利用いただけない、あるいはお待ちいただくことも、しばしばございます。

電話予約をいただく際、VIPルームのお部屋指定も含めて承ることが可能でございます。また、VIPルームだけを予約し、コンパニオンはフロントで決めるということも可能でございます。会員番号をお持ちのお客様は、VIPルームの予約、ご利用下さいませ。


2009-01-25 他人の不幸は蜜の味、とは言いますが

朝青龍、優勝しましたね。いい顔してました。立派だと思います。下馬評であれだけひどいことを言われておきながら、スパッと優勝しましたからねぇ。土俵でのガッツポーズが物議を醸し出しておりますが、もうね、世の中ってのはちょっとしたアラでも見つけては、突っつきたくなるんですねぇ、意地が悪いですねぇ。

朝青龍のことをヒール(悪役)とか言いますが、朝青龍はヒールでも何でもないと思いますよ。ただ喜怒哀楽がはっきりしていて、“やんちゃ”なだけでございます。でも、マスコミとかは「ヒール」として扱った方が、何かと記事にしやすいのでしょう。

芸能人のイメージってのは、意外とマスコミが作り上げている要素が多いのでございます。その人の悪役っぽい部分だけを編集すれば、いかにも悪役のようなイメージが視聴者に伝わるのでございます。ひとたび「悪役」というレッテルが貼られると、以後は“そのイメージありき”で編集されますので、ますます、そのイメージは固まっていくのでございます。

ただね、昔のマスコミは、たとえ芸能人のあられもない姿を撮ってしまっても、「こりゃ使えねぇな」と編集の段階で捨てていたような気がいたします。ところが最近のマスコミは、あえてそのようなハメを外した部分を喜んで報道しているような気がしてならないのでございます。そして、昨今の匿名性の高いネットで炎上するということがありまして、小さな出来事が大問題に発展するということも少なくないのでございます。

世の中全体が、不用意にハプニングを求めていますよね。マスコミはそのハプニングで安易に視聴率や部数を稼ごうといたしますし、炎上するのが楽しくてしょうがない愉快犯が、ネットにはたくさんいらっしゃいます。そんなことを繰り返していると、そのうちに有能な芸能人が日本からすっかり出て行ってしまいますよ。まぁ、とにもかくにも、朝青龍さんの優勝、おめでとうなのでございます。あ、それから、沢尻エリカさんのご結婚、おめでとうなのでございます。


2009-01-26 自然災害で殺されたなら、神様を中傷しますか?

東京のマンションで隣室の女性が殺害されたニュースは、まだ記憶に新しい所でございますが、本日のテレビは、その事件の公判のニュースで持ちきりでございました。犯人は「もう死刑しかありませんね。早く死刑にして下さい」と、言っているようでございます。一方、つい先日には、闇サイトで出会った三人が、帰宅途中の女性を殺害するという名古屋の事件の犯人全員に、死刑判決が出ております。「犯人にまったく反省の色が見えない」という裁判官の言葉が印象的でございました。

「盗んだ」とか「壊した」という犯罪ならば、金銭で償うということも可能でございます。ところが、「殺した」という犯罪には、償う方法がないのでございます。「死をもって償う」とは言いますが、それが根本的解決に至るわけではございません。遺族の悲憤(ひふん)を多少沈め、社会に対する戒めを与える、そういった社会的な影響力を期待するだけの処置でございます。そもそも、「死刑になりたい」と言っている犯人にとっては、死刑は「処罰」としての意味合いも持たないのでございます。

死刑に値するような犯罪が起きたとき、死にたくなるのは犯罪者だけではございません。被害者の遺族はもとより、加害者の家族もその社会的な非難のために死にたいという衝動に追い込まれるようでございます。殺人事件というのは、関係者すべてを不幸にさせる、悲しい犯罪でございます。

そんなニュース報道に起因されたわけではございませんが、映画『誰も守ってくれない』を見てまいりました。殺人事件の犯人側の家族を、その社会的な中傷や攻撃から守るという刑事の物語でございます。事件への中傷は、ある新聞記事をきっかけに犯人の個人情報だけではなく刑事の個人情報までもさらされながら、ネットで炎上してまいります。犯人側の家族を描いた、非常に数少ない映画のひとつでございます。

「オウムで、何かが『タブー』を超えてしまった。戦争でも使わなかったサリンが使われた」(映画パンフレットより)という言葉を借りるならば、「ネットがタブーを超えてしまった。出版・報道などで忌避される『匿名での中傷』が、当たり前のように行われている」と、ワタクシ、申し上げるのでございます。

誰でも「殺人はいけないこと」というのは、“理屈では”分かっております。にもかかわらず人間は時として、殺人事件を起こしてしまいます。精神的に追い込まれたり、幼児体験に問題があったりなど、様々な諸条件が重なり合い、理性の壁を感情が越え、最悪の場合には殺人事件という結果になってしまいます。後から「大変なことをしてしまった」と気付くのではございますが、それは理性の力。人間が理性と感情のバランスを取りながら生きている生き物である限り、殺人事件というものは、可能性としては誰でも起こしうるものなのでございます。

一方、ネットでの中傷を考えますと、匿名で他人を攻撃するというのは、やはりみんな“理屈では”分かっているのでございます。ところが、匿名で何でも書き込める環境が存在いたしますと、時として、“書きたいという感情が理屈を凌駕”してしまうのでございます。このメカニズムは、殺人事件の犯人が殺人を犯してしまうメカニズムとなんら変わらないのでございます。そして、中傷された人の自殺などにも発展する可能性を考えますと、間接的な殺人事件とも言えるのでございます。

人が感情を持つ生き物である限り、誰でも犯罪者になる可能性は秘めているのでございます。そういったことを大前提に考えますと、犯罪者やその家族もまた「哀れ」と思えてくるはずでございます。では、もし自分が被害者だったら? その時は、犯人を哀れと思う前に、「犯人を許す」という苦しい感情が必要になってまいります。でもね、もし被害者が事件の苦しみから抜け出す方法があるとすれば、それは犯人を許し、自分の運命を受け入れる、そういった道に落ち着くのではないでしょうか。

隣室女性殺人事件の報道、そして、映画『誰も守ってくれない』などを見て、こんなことを考えました。


2009-01-27 用件を聞こうか...トイレ?!...この依頼、何かが匂うな

本日はトイレのお話。

漫画家「西原理江子」さんに言わせれば、「ふきそこねた尿汚れは石化し、永遠に匂い続ける芳香剤になる」とのこと。(『毎日かあさん』第五巻より)

当店のトイレもその状態。いえ、ちゃんと毎日掃除してますよ。それでも、どうしても匂いが残る。これはきっと、隙間の奥深くに入り込んだ汚れが鍾乳洞の石灰岩のように結晶化し、空気中の水分を取り込みながら毒素をはき続けているに違いない、そう思ったのでございます。

そこで、本日は意を決して新兵器の投入でございます。その新兵器の名は「カビキラー」。いままでその強力な威力のためバスルームにしか使われなかった最終兵器、その最終兵器をトイレにつかうことにしたのでございます。

狙う標的は便器と床との隙間、そして壁と床の角でございます。ダテに毎日掃除をしておりません。狙った標的にピンポイントでカビキラーの泡を命中させていくさまは、まるでゴルゴ13のようでございます。「俺の後ろに立つんじゃねぇ」と言わんばかりにカビキラー放射を続けておりますと、何やら異臭が...そして目がチカチカと...

そう、明らかに健康を害する化学反応が起こっております。あの「まぜるな危険」という名文句の、その危険な状態でございます。匂いはどんどん強烈になってまいります。バスルームならば水をかけて流すことも出来ましょう。ところがトイレの床でございます。どうしようもございません。

その後のワタクシは、まるでスクランブル発進の自衛官のような機敏さで動き回っておりました。玄関そしてすべての窓を開放し、扇風機を持ち出してトイレ内へ新鮮な空気を強制流入、ぞうきん用タオルを数枚ほど濡らしまして、息を殺し目を細め、電光石火のごとくにトイレの床を拭きまくったのでございます。

きっと、普段の掃除に使っている洗剤が床の上に皮膜となって残っており、今回のカビキラーと反応したのでございましょう。いやはや、死ぬかと思ったのでございます。というか、こんなんで死人とか出たら、本当にシャレにならないのでございます。

おかげさまでトイレの床、かなりきれいになり匂いもなくなりましたが、みなさま方、洗剤等は、使用上の注意をよく読んでつかって下さいませなのでございます。けっしてよい子はマネをしないように。いや悪い子もマネしちゃいけませんよ。ホント、危険ですから。


2009-01-28 ♪ワガママは〜、オトコの罪〜

朝青龍のガッツポーズが、何やら物議を醸し出しております。もうね、いいじゃん。ほっといてあげれば。うれしけりゃガッツポーズぐらいするでしょ。朝青龍に何かと注文をつけたくなるのは分かりますが、その朝青龍の復帰で今回の初場所がひときわ盛り上がったのはまぎれもない事実なのでございます。相撲といえども興業でございます。お客が入ってなんぼ。朝青龍は集客という面で大いに貢献しているわけで、「ガッツポーズぐらいさせてやれよ」と思うわけでございます。

あ〜、同じようなことがボクシングの亀田兄弟にも言えるわけで、当時なかなか集客に苦労していたボクシングの試合で、あれだけのお客を入れることが出来た亀田兄弟の集客力は立派でございます。もっとも、内藤大助と一戦交えた後は、人気のお株を内藤選手の方に持って行かれてしまった感がございますけどね。

なんてぇことを書いておりましたら、言っていることすべてが全部自分にはね返ってきていることに気付いたのでございます。そうそう。当店だってコンパニオンの集客力が命。お客様を呼んでいるのだから、コンパニオンの多少のワガママは聞いてあげなきゃね、と。う〜ん、そうかぁ、コンパニオンが朝青龍に見えてきたぁ...


2009-01-29 たしかお台場にも、真実の口って有りましたよね

ブラッドピットが来日しております。奥さんや子供さん同伴で、実に家庭的なのでございます。そのブラッドピットが記者会見で、「日本で見物に行くとしたらどこ? 食事に行くとしたらどこ?」と、記者団に逆質問したそうでございます。

記者団の一人が、なんか「京都のお寺」とか「明治神宮」とか、むりやり日本的なところを紹介しておりましたが、ブラッドピット本人は今ひとつシックリ来なかったご様子。もっと意外性のある場所を知りたかったんじゃないでしょうかねぇ。

「もしワタクシがブラッドピットを接待するとしたら」なんてぇことを考えたわけでございます。パチンコ屋とか喜ばないかなぁ? あ〜、でも、子供さんたちにはあまり教育上良くないかも。子供さん達が絶対喜ぶのは、矢島美容室のコンサートかな。矢島美容室のあのキョーレツなオーラは、言葉が分からなくても子供さん達が直感的に喜んでもらえる気がするのでございます。

あと、日本的な娯楽といえば、スーパー銭湯。裸になるのは抵抗があるだろうし、男湯と女湯で別れてしまうのは嫌でしょうから、水着で入れる混浴のところ。大勢でガチャガチャいっしょにお風呂に入るのって、外国の人には新鮮な喜びがあると思うのでございます。

食事に招待するとしたら、回転寿司か焼き肉。お寿司ぐらいは食べたことあるでしょうが、回転寿司は、あまり馴染みがないはず。生魚はダメかもしれないので、その時は焼き肉屋。お肉を自分たちで焼いて食べるという食事、やはり外国人ってあまり縁がないと思うのでございます。

どこへ行くにしろ、ブラッドピット一家が入っていったら大変な大騒ぎになりますよね。そこで、もしワタクシが接待するとしたら、お店を全部貸し切りするのでございます。そして、エキストラを雇い入れる。エキストラの人たちには、ごく普通に他のお客としてふるまってもらうのでございます。そこへ、ブラッドピット一家が入っていく。店内はすべてエキストラでございますので、特に大騒ぎになることもなく、ブラッドピット一家はあたかも一般人のように気楽に休日を楽しむのでございます。

これは、オードリーヘップバーンの『ローマの休日』からのアイデアでございます。アン王女がのびのびとローマ見物を出来たように、ブラッドピット一家にも、のんびりと日本見物をさせてあげたいなぁなんて思ったのでございます。歓迎されるのはありがたいけれど、一般人のように気楽な休日にも憧れているんじゃないでしょうか。ブラッドピットのそんな思いから、あの逆質問になったような気もするのでございます。


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