店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
おやおや? どこかで聞いたようなお話ですねぇ。さっそく、解いてみましょうか。細くなったウエストサイズをw1、太っていた方のサイズをw2、ウエストの半径をr、求める薄くなった分をt、円周率をπと置きましょう。
という事で、求める値は5cmを円周率3.14で割って、ほぼ、1.6cm。皮下脂肪がたった1.6cm薄くなると、ウエストは10cm短くなるのでございます。さぁさぁ、お立ち会い、とくとご覧あれ。この方程式、半径のrが途中で消えてしまっております。と、いうことは、r つまり半径の大きさは関係ないということでございます。
ここで、固定観念を破る訓練でございます。rを極端に大きくしてみる。そう、地球のウエストで考えましょう。地球のウエストつまり赤道に、ピッタリの巨大なベルトを巡らしたと思いねぇ。このベルトを、地球から1m浮かせたい。さぁベルトは何メートル足せばいいでしょう?
ということで、足すベルトの長さは、約6.3m。えぇぇぇ! 地球規模のサイズのベルトを地面から1m浮かすのに、継ぎ足す長さは6.3mでいいの! 意外でございましょうが、数学的には間違いございません。と、まぁ、これは有名な問題でもありますから、ご存じの方もいらっしゃったでしょう。
固定観念を破ると言えば、こんな体験がございます。ワタクシが中学生の頃の理科だったか社会科だったかの授業でのお話。「日本から米国までの『断面図』を書き、富士山・日本海溝、アメリカ大陸を書き込め」という問題。先生は、富士山や日本海溝が地球規模ではほんの少しの出っ張りや窪みでしかないことを教えようとしていたのでございます。
多くの生徒が紙に横一線の直線を書き、富士山の出っ張りをちょっと大きめに書き込み、やはり日本海溝も大げさに書き込んだ横長の「断面図」を書いておりました。でもワタクシが書いた断面図だけ、教室の中で特異な形をしておりました。ワタクシは、半円状の断面図を書いたのでございます。
普通、地図帳に書いてある高低差を表す断面図は、横長の直線で書いてございます。地球の円弧を考慮しておりません。しかし、断面図って言われたら断面図でしょ。しかも、日本とアメリカと言われたら、そりゃほとんど地球の裏側。ワタクシには半円状の断面図しか思い浮かばなかったのでございます。
ただね、すごく残念だったのは、他の人の発表を見ていて、自分のだけが奇異で有ったことに気がつき、自分の番が回ってくるまでに消しゴムで消してしまって、「ありきたり」の断面図に書き換えてしまったこと。「断面図って言ったら、これだろ!」と自分ひとりが勇気を持って主張できなかったこと、今だに後悔しております。
まぁ、その奇異な断面図を書いているとき、先生もその奇異さに気づいておりました。そして、消してありきたりな断面図にしてしまったときの先生の残念そうな顔も、覚えております。「出る杭は打たれる」なんて語がございますが、他とは変わっている子、個性のある子、そういう子が肩身の狭い思いをするというのは、日本の教育の悪い一面だと思っております。
先日ね、こんなニュースがございました。小学校3年の算数の問題で、「3.9+5.1」を筆算で答えるという問題。その問題で、「9.0」という答えが減点になったというのがニュースとして取り上げられておりました。小学校的には「9」が正解だとのこと。でも、大人の世界では有効数字という概念が有りますので、実際には「9.0」とすべきシチュエーションも多いのは事実。
遠方から応募してくるコンパニオンもありますので、寮を用意してございます。その寮が入っているビルの管理会社から、朝一番にワタクシの携帯電話に着信が。お部屋の床を張り替えるので、その書類に印鑑が必要とのこと。慌てて着替えて、出て行ったのでございます。
詳しく聞くと、他の部屋から漏水が有り、廊下にあふれ出た水が他の部屋のドア下からもぐり込み、一帯のすべての部屋の床を張り替えることになったそうでございます。たまたま誰も入っていないお部屋でしたので、うちの被害は最小。新人さんが入店したときのことを考えてちょうど張り替えようと思っていたところでしたので、まさに渡りに船でございます。
ちょっと前のお話ですが「ヌーハラ」という語が、マスコミに登場いたしました。「ヌードルハラスメント」の略。日本人が麺類を食べるときの「ズズズ〜」という音が、外国人にとっては不快だということ。世間の動向を見るために、この話題はちょっと自分の中で熟成しておりました。
日本独特の「すする」という動作にはそれなりの理由がありまして、その必然性を説く人も少なくございませんでした。それに関しては言い尽くされた感が有りますので、あえて申しません。まぁひとつ言及するとすれば、日本の「ズズズ〜」を認めろと言うのなら、日本人は「すすらずにパスタを食べる技術」を身につけるべきでございます。パスタを蕎麦のようにズズズ〜と食べる人、多いでしょ。
さて、今日の本題は、このズズズ〜ではございません。もし「ヌーハラ」と言うのならば、「日本人がパスタを食べるときの音」に関して文句を言うべきでございます。でも、なぜ、「日本人が蕎麦・うどんを食べるときの音」に対して言及したのか? 先述のように、猛反対をされて自然消滅するのは目に見えていること。むむむ、これにはウラがあるぞ! 探偵名古屋薫の推理が光るのでございます。
日本人のパスタの食べ方に関して言及するのは、普通のこと。以前から言われております。だから、これを話題に出しても、大騒ぎにはなりません。でも、日本人の蕎麦やうどんに対してケチを付けたら? そう、日本中が顔を真っ赤にして反論してくるのは想定の内。「ヌーハラ」の仕掛け人は、この「大騒ぎ」が目当てだったのではないか、そう推理できるのでございます。
なぜ、反論されること前提で大騒ぎしたのか? そこで、つい最近発表された「流行語大賞」でございますよ。「ヌーハラ」で、みごと流行語大賞受賞! なんてのをもくろんだのではないでしょうかねぇ? う〜ん、もし真実だったら、実にあざとい、あざといのでございます。
日本の麺類に関しては、外国人でも日本式の「すすり」をマスターしようとする人、多いですよ。日本人は子供のときにいつの間にかマスターしてしまうから、特別難しいことをしているという感じはございません。しかし、外国人がこれをマスターしようとすると、かなり苦戦するらしいのでございます。
食事のときに音を出す、この行為に対しての罪悪感が潜在意識の中に埋め込まれているのでございましょう。ですから、どうすればいいか理屈で分かっても、メンタルが邪魔してすすれない。外国人のすすり技術のマスターは、メンタルとの戦いなのでございます。
お気づきの方もいらっしゃるでしょうが、オフィシャルサイトの「スケジュール」のページの時間表記が、12月から変わっております。今までは「OPEN〜LAST」と表記していたところが「13:00〜0:00」という時間表記に変更しております。
これは、ニューハーフファンの「出勤情報」のページも同様で、少し前から新しい表記に変更しております。今まで、オフィシャル、ニューハーフファン、ヘブンネットと表記がバラバラでしたので、統一する意味で、変更することにいたしました。
この出勤時間の表記方法、スタート時間は一目瞭然ですのであまり問題は無いのでございます。問題があるのは、終了時間。示された時間が、「最終受付」の時間なのか「接客終了」の時間なのかが曖昧となってしまうことが多いのでございます。
そこで、当店のオフィシャルサイトでは、伝統的に「OPEN〜23:00(最終受付22:20)」なんていう長ったらしい表記をしておりました。「23時までの出勤だけど、その時間は接客終了の時間なので、受付は22:20で終わっちゃいますよ」という意味でございます。
それとは別に、「OPEN〜最終受付18:00」なんていう表記もございました。これは、「18時までは待機してるよ、18時超えたら帰っちゃうよ」という意味。まぁ、ちょっと似たような2種類の表記があるというのは、混乱の元でございました。
また、リニューアルした後の当店のオフィシャルサイトの仕様で、以前の伝統的な長い表記が文字数の関係で入力できなくなったという経緯もございました。そのようないろいろな事情がありまして、単純に時間表記を統一しちゃいましょうということになったのでございます。
新しい表記では、終了時間は全て「最終受付」の時間でございます。また、ヘブンネットは30分単位でしか設定が出来ませんので、「〜22:20」とかいう場合は、ヘブンネットだけは「〜22:30」という表記になっております。
安倍首相の真珠湾「アリゾナ記念館」への訪問が、決定いたしました。ワタクシは、2016/5/27のこの欄で、アリゾナ記念館のことをお話しいたしました(2016-05-27【発端の象徴、終結の象徴、その2つが和解しようとしております】)。その際、安倍首相の真珠湾訪問に関しても言及させていただきました。実現して、まことに嬉しいのでございます。
慌てて年内に予定を立てたのは、オバマ政権の間に「お返し」を贈りたかったのかもしれません。クリントン政権ならば真珠湾訪問を好意的に受け取ってくれるでしょう。しかし、トランプ政権ですと、間違ったメッセージをアメリカに送ってしまいそうですからね。オバマ政権の間にと慌てて予定を組んだという感じが、なんとなく伝わってまいります。
5/27のこの欄を読んでいらっしゃらない方は、ぜひ、ぜひ、その日の書き込みを読んでいただきたいと思います。かつて「Remember Pearl Harbor」の象徴だったアリゾナ記念館は、今や、「Pearl Harbor to Peace」というかけ声の元、平和を訴える施設に変わっております。
かつてのアリゾナ記念館は、日本人にとっては実に肩身の狭い思いをする施設でございました。しかし、2010年ころから、日米の開戦理由を平等に記した公平な施設になっております。また、広島で被爆して12才で亡くなられた佐々木禎子さんの折り鶴、その実物がこのアリゾナ記念館には展示されております。
広島平和記念資料館が世界平和を希求する場所であり、決して遺恨や憎しみを伝える場所ではないこと。そういった事実が、アリゾナ記念館をも動かしたのかもしれません。戦争の発端と終結のふたつの象徴が小さな折り鶴を縁として結ばれ、そのどちらもが平和を願う場所となっていることに、胸が熱くなるのでございます。
全国的に、12月に突入しております。12月と言えば、そう、クリスマス。街はさぞかしクリスマス気分かと申しますと、別段そんな雰囲気もない。百貨店が巨大なクリスマスツリーを飾ったりしておりますが、なんかそれくらい。子供の頃は、もっとワクワクしたのですけどねぇ〜。ワタクシが大人になってしまったのでしょうか?
ワタクシが若い頃、まだ学生だった頃のお話でございます。大学では文学系のゼミに入っておりましたので、頻繁に論文を書かされておりました。その時に、非常に厳しく注意されたのが「孫引き」という行為。ある書物で「○○という本にはこう書かれていた」といった引用部分を、そのまま自分の論文に引用する行為。引用をふたつ重ねますので「孫引き」と呼ばれます。
こういった場合は、その「引用元」つまり「原典」までさかのぼって引用するというのが、まさに論文を書くときの鉄の掟。学生時代のそのような教えもありまして、ワタクシは文章を書くとき、書物などから引用する場合は、出来る限りその書物を購入し、オリジナルに目を通してから引用するようにしております。
また、以前、『シーメール白書』という雑誌にコラムを書かせていただいておりました。ネットとは違い、こちらは恐い恐い紙媒体。印刷物ちゅうのは後から修正とか出来ませんし、何より恐いのは「活字の重さ」でございます。印刷物となったものは信憑性が高いというイメージが有る。「間違ったことは書けない」という怖さがあるのでございます。
で、本日のお題は、今、次々と閉鎖されている「まとめサイト」。このまとめサイトこそ、実に孫引きの塊。しかも極悪なのは、引用の過程で「加筆」をしてしまうということ。さらに悪魔的なのは、その加筆をする人が専門知識を持っていないということ。まとめサイトの暴走は、起こるべくして起きたのでございます。
なぜ、そのようないい加減なサイトが、ここまで増殖してしまったか? それは、まとめサイトに表示される広告収入が有ったからでございます。サイト運営側は、元ネタを取材する必要がない。ネットから記事を拾ってきて、加筆してコピーするだけ。一から取材して記事を作製するよりもはるかにコストがかからない。他人のふんどしで相撲を取っているわけでございます。
また、まとめサイトというのは、「一見」便利に見える。だから、そこを見に来る人が増える。閲覧者が増えれば、そこへ広告を載せたいという人が増える。運営会社にしてみれば、労せずして利益が膨らんでいく金のなる木であったわけでございます。
ワタクシは、まとめサイトというものを今までに1回も利用したことがございません。検索で引っかかって、たまたま見ることはございますよ。しかし、冒頭で述べましたように、必ず「原典」にさかのぼってオリジナルの記事を確認するようにしております。まとめサイトの責任感のかけらもない情報を盲信するほど、危険なことはないのでございます。
先日お話した「ヌーハラ」の話題でもそうでしたが、ワタクシはネットの話題を見ると、「へ〜、そうなんだ」とは思わずに、「この話題がなぜ持ち上がった? 意図は? 誰が得をする?」といった考え方をいたします。まぁ、素直じゃないと言えば素直じゃございませんね。ひねくれた見方でございます。
世の中の人づきあいであれば、あまりに猜疑心(さいぎしん)が強いのは運を取りこぼすことにつながります。しかしながら、ネットの情報というものは、まず疑ってかからなければならない。人づきあいというものには必ず「思いやり」という下地が有るのに対し、ネットの情報は必ずしも思いやりや愛情で支えられている情報ではないからでございます。
当店では、コンパニオンが自分のブログなどを開くとき、「多少の基本料金を払ってでも、広告が載らないようにすべきだ」と指導しております。大手のブログサイトであれば、有料会員になれば、関係の無い広告を排除したページを作ることが可能でございます。
これは、まずひとつに、スッキリしていて読みやすいから。若干のコストをかけてでも読みやすいページを提供するということ、これはお客様への思いやりでございます。まぁ、最近は、ブラウザに広告を消す機能があったり、ヘブンネットの「写メ日記」機能がブログの代用をしている感があったりとかで、コンパニオンの個人ブログには、あまり細かいことを申してはおりません。
また、スマートフォンや携帯電話の画面は比較的小さく、本文と広告との区別がつきにくいというのも、気にしておりました。広告業者は、この画面の小ささを逆に利用して、巧みな広告を挟み込む傾向がございます。そんな姑息な広告が気に入らないというのも、ひとつの理由でございますね。
あと、コンパニオンに「ネットのランキング競争に参加しない」という指導もしておりました。「クリックされた回数で、ランキングがつく」というサイトが、昔あったのでございます。そもそも、ワタクシはコンパニオンが「ランク付け」されるということが、気に入らない。ランキング結果で、コンパニオンが一喜一憂して余分なストレスを溜めるのも気に入らない。ということで、ランキング競争を反対しておりました。
また、ネットのクリックなんて、実に当てにならない。仕組みが分かっていれば、一台のPCでいくらでもクリック数を稼ぐことは出来る。そんな実のない不毛なランキングに労力を費やすのは、ばからしいのでございます。まぁ、これも、ネットそのものが混沌化していくにつれて、いい加減なランキングサイトが無くなっていったこともありまして、今はあまりうるさく言っておりません。
もうひとつ。コンパニオンには、「アクセス数を気にするな」と言っております。自分のブログ、あるいはヘブンネットの自分のページなど、どれくらいのアクセス数があるかが分かるようになっております。これも、いちいち気にするな。いちいち見に行くな、と指導しております。
アクセス数ってのも、あまり当てにならない。1日に何万アクセスも有るようなサイトならまだしも、いち風俗店のコンパニオンのページへのアクセス数は、それほど多くない。しかも、今どきのネット特有の「ノイズ」という誤差も混じっている。だから、不毛な物で一喜一憂するのは労力の無駄ということで、気にするなと指導しております。
「ノイズ」っていうのは、何でしょうかねぇ? 今では、検索すればあっという間に検索結果が表示されます。それは、各検索サイトが、事前に、すべてのページを見回って、「目次」を作っているからに他ならないのでございます。
もちろん、人間の手で行うには無理がある(ネット黎明期は、人力でございましたけどね)。そこで、それを自動的に行うプログラムがネット上を走り回っているのでございます。お客様がクリックしなくても、そのプログラムがチョイチョイ見に来て、内容を確認している。そして、こういうのも、特に対処がしてなければ、アクセスとしてカウントされてしまう。
また、メールアドレス収拾を目的とするプログラムも、勝手にアクセスしてきます。スパムメール(迷惑メール)を送りつけるためでございます。こんなのも、多分、カウントされているはず。数千とか数万とかアクセスがあるサイトなら、こういった「ノイズ」は誤差の範囲で済まされますが、アクセス数が比較的小さなページですと、黙認できない数字となるのでございます。
メルトダウンは起こらず、日本の原発は世界中から最高の信頼性を得、日本中の原発が自信満々で稼働していたことでしょう。除染や放射性物質の問題も無く、震災からの復興は、もっともっとスムーズに行われていたでしょう。たった十数メートルという設置場所の高さの違いが、その後の日本の姿を、大きく大きく変えてしまったのでございます。
Bさんがたまたま気づかなかっただけなのか、あるいは本当にAさんのことを嫌っているのか、その真相はCさんもDさんも分かりません。ただ、もしCさんみたいな人ばかりだと、真相はどうあれ、物事はトラブルを未然に防ぐ方向へ動きます。逆に、もしDさんみたいな人ばかりだと、真相に関係なく、やたらとトラブルが起きることになるのでございます。
弾劾にまで発展した、韓国大統領の問題。もし、最初の報道が「国政に介入し利権を貪る悪徳友人から、大統領を守れ」という報道だったとしたらどうでしょう? 事の成り行きは大きく変わっていたかも知れません。ほんのちょっとの表現の違い、そして、トラブルを収束に向かわせたいのか拡散したいのかという表現者の腹心。最初のほんの少しの違いが、その後の多くの人の生活や人生をも左右してしまう可能性はございます。
成宮寛貴さんを引退にまで追い込んだ『FRIDAY』の記事。もしあの記事が、本人にしか分からないような画像処理がされていたらどうでしょう。記事の内容が事実であれ潔白であれ、本人のその後の行動次第では、大ごとになるのを未然に避けることが出来たかも知れません。もめ事が拡散するような立場しかとれない記事の在り方に、ジャーナリズムの精神を大いに疑わざるを得ないのでございます。
成宮寛貴の引退騒ぎでは、賛否両論が混じっているというのが、せめてもの救い。いろいろな意見が言えるというのは、民主主義の原点でございます。一方、歌を歌ってお祭り騒ぎをしている韓国国民を見ていると、イライラしてしまう。あの人達は、自分たちの将来に大きく影響するかも知れない決断をしたという自覚はあるのでしょうか?
ほんの些細な表現の違い、ほんのちょっとした表現者の腹心、そういうものによって、生活や、人生や、国の動向を大きく変えてしまう、あるいは変えられてしまうこともございます。だからこそ、世の中にはいろいろな意見が有った方がいい。もめ事を拡散したがる意見があり、それの収束を求める意見があり、語り合い、落としどころを見つけていく。
画面奥に見えているマンションは、今、建設中で、ほぼ完成間近。手前は、コインパーキング。え? 何がワクワクするかって? それはですねぇ、そのマンションとコインパーキングを隔てている金網でございます。ワクワク。
見ての通り、透けて見える「金網」で隔てております。色は、マンションの色に合わせて、黒。いやぁ、もうね、ワタクシ、嫌な予感しかいたしません。夜間とか、「お、ここから抜けられるぞ」と、この黒い金網に突撃するドライバーがいつぞや現れるのではないか、そんな気分で、不安半分、ワクワク半分なのでございます。
実際にこの駐車場では、アクセル操作を間違えて塀に激突した事故が起きております。その事故の際も、ドライバーは高齢者でございました。いや、高齢ドライバーを闇雲に侮辱するつもりはございませんよ。ただね、形が複雑で切り返しの面倒な駐車場、黒い塀、しかも金網、う〜ん、もうね、条件が整いすぎているのでございます(笑)。
「機能的デザイン」とか「機能美」という仰々しい言い方も出来ますが、それほど大げさでなく「ちょっとした工夫」的な配慮、そういった心づくしに楽しくなってくるのでございますね。そして、その工夫を行った人の心に思いを寄せることで、何かしらのコミュニケーションを取ったような喜びになるのでございます。
こういった「心づくし」は、日常に溢れかえっております。そして、いつの間にか気づかずにその恩恵を受けている場合もございます。いや、むしろ、「気づかれないという事が、心づくしの本望」であるとも言えるのでございます。
「いやぁ、この仕組みは良く出来ているねぇ」と思わせるよりも、その仕組みが人の動きにピッタリと寄り添い、何も考えずにただただ使いやすい、そんな衒(てら)いのない奥ゆかしい心づくし、それこそが至高の機能的デザインだと思っております。
接客も似たようなことが有りましてね、至れり尽くせりで「この子は良くしてくれるなぁ」と思わせる接客も、もちろんございます。それとは別に、「この子といると、何の気遣いも必要なく、落ち着くなぁ」という接客も有るのでございます。
さて、ここからが本題。10年以上前に亡くなったワタクシの母親は、昭和5年生まれ。第2次世界大戦の終戦を15才で迎えております。その母親、戦争の話になると必ず「東條が悪い、あいつのせいだ」と言うのが口癖でございました。東條とはそう、東條英機のことでございます。
重たい、重たいドラマが始まりました。NHKの「東京裁判」。恐る恐る、第1回を観てみました。ところどころ挿入される実際の映像が、全く違和感がない。あれ〜、こんな映像、残っていたんだ。アメリカが撮影していたのかなと思っておりましたら、何と、白黒のニュース映像に着色したとのこと。気合いが入っております、NHK。
ドラマに、実際の人物、しかも後に死刑判決を執行される人物その本人が映っているというのは、ドキドキいたしますね。アメリカなどでは注目裁判の生中継とかあるらしいですが、日本では絶対に有り得ませんからね。しかも、ドラマと当時の映像がシームレスに繋がっている。これは、恐い、ドキドキするドラマでございます。
東京裁判に関しては「私は貝になりたい」という有名作品がございますが、ワタクシはあの作品が大っ嫌い。ずっと、避けておりました。なんかね、不条理な裁判で苦悩するフランキー堺さんの映像がトラウマになっていたのでしょうか。リメイクされた所ジョージ版や中居正広版など、ことごとく遠ざかっておりました。今回も観るのが恐かったですが、とりあえず落ち着いて観ておれます。ワタクシの方が、枯れてきたのかも知れませんね。
ひとつご報告を。VIPルームのバスルーム、シャワーホースが長くなりました! 今まではノーマルサイズの1.6m のもの。この度、ロングバージョンの2.0m のものに交換いたしました。その差、0.4m。たかが0.4m、されど0.4m、侮るなかれ!
実は、以前からVIPのシャワーホースを長くしたいと思っておりました。昔、とあるラブホテルで、異常に長いシャワーホースを目撃したことがございます。その丈、3m は有ったでしょうか。まぁ、そんなに長いものは必要ではございませんが、その時の記憶もあり、ちょっと長めのシャワーホースを探しておりました。
見つかるのは長さ2m のものばかり。「もう少し長いのは?」と思っているうちに、時間だけが経っておりました。根っから気の多い性格でして、アソコも直したい、ここも変えたいといろいろ思っているうちに、放置プレイに走ってしまうわけでございます。
今回、シャワーホースを新調したのは、ほんのたまたま。お掃除をしておりまして、「あ〜、ここ、ここの汚れ、あと10cm ホースが長かったら」と思うことがありまして、購入に至りました。長さ2m、シルバータイプのゴージャス版でございます。
もっとも、コンパニオンに聞いてみたら、「そんなに不便でもなかったよ」という返事ばかり。ワタクシの勇み足だったのでしょうか(笑)。よくよく考えれば、ワタクシがラブホで目撃した極長のホースも、あれはお掃除の手間を考えての事だったように思えます。みんな、考えることは同じか。
若かりし頃は、他にも色々なものを目撃しましたねぇ。シャワーヘッドの無い、ホースだけが設置してあったり。ご丁寧に、ホースの先っぽには、オチ○チ○似の口金が。ビデなのでしょう。蛇口をひねると、小さな先端の穴からレーザービームのように強烈にお湯が噴き出して、バスルームで大笑いした覚えがございます。
先日、VIPルームのシャワーホースのことを書きましたら、お店の掲示板の方に、「VIPルームのバスルームの排気口のホコリをなんとかしてくれ」というご指摘をいただきました。掲示板を確認したのが、営業終了後の深夜1時過ぎ。慌ててVIPルームへ行ってバスルームをのぞきますと、まぁ、なんともひどいホコリ。深夜ではございますが、すぐに掃除機で掃除を始めたのでございます。
掃除機で、吸う、吸う、吸う、吸いまくる。何やら天井全体がホコリっぽいので、天井全体も掃除機で、吸う。剥がれかけたペンキのかけらが、ボロ、ボロ、ボロ、と落ちてくる。顔にかかる、頭につく。真夜中に、バスルームの天井と格闘をしておりました。
8cm四方くらいの四角い排気口。ファンは付いておりません。屋上の共同煙突の先端に大きな排気ファンが付いておりまして、強制排気をしております。その四角い穴から奥をのぞきますと、奥にもホコリが見える。ネジ止めされているスリットを外して、奥のホコリも掃除してみようと思ったのでございました。
ネジは4つ。順番に外そうといたしましたが、ひとつ目のネジは、やたら新しくて長い。ふたつ目のネジ、これは「効いてない」。穴がバカになっている。しかも、ちょっと短め。このあたりで、少しいやな予感。みっつ目のネジに取り掛かります。ネジの頭の上にペンキが塗られている。つまり、建築当初から多分一度も緩められていないネジ。
あるネジはピカピカの長くて近代的なネジ。一方、建築当初から一度も触られていないネジもある。飾りだけでバカになっているネジ。ここらあたりで、嫌な予感、最高潮。過去の誰かが、このスリットに苦戦した形跡でございます。ペンキ付のネジを恐る恐る外してみる。取りあえず、このネジは効いている。ペンキの粉がハラハラと落ちていくのでございます。
最後のネジ、これが問題。ゆっくりと緩めていく。ネジが浮いてくるに従い、天井裏で何か固定されていない金属物が動く気配。これは、ヤバイ。このネジは、スリットと天井を貫通した後、何かしらの金属物に接続されている。しかも、手の感触から、その金属物は固定されていないのは明らか。
70年という月日は、長すぎましたよね。北方領土へ墓参りに行かれた方々のお話では、昔の面影はなく、自分たちが住んでいた家も跡形もなく消えているとのこと。逆に、既に何十年もその島々で暮らしているロシア人の方々にしてみれば、あずかり知らない70年も前の出来事で自分たちの生活の場が失われるかもしれないというのは、死活問題でありましょう。
かねてより、領土問題での日本の立場に少し疑問を持っております。領土問題になると、日本政府は「領土問題はありません」と言い切ってしまう。つまり、「もともと日本の領土であり、『不法占拠』されているに過ぎない」という立場を取り続ける言い方でございます。この日本的な「たてまえ論」は、海外には通用しないんじゃないでしょうか?
このたてまえが有るために、日本人がその場所を訪れる際に、問題になる。当然、実効支配されているわけですから、パスポートが必要になる。ところが、パスポートを使って訪れると、そこが相手国の領土だと認めてしまうことになる。この矛盾が発生するために、日本側が渡航を認めないわけでございます。
でも、このたてまえは、相手国には伝わらない。何かしらのアクションが無ければ、相手国は「諦めたんだ、認めたんだ」というメッセージが伝わるだけ。欧米人の感覚は、日本独自のたてまえなんか理解しない。現実主義なのでございます。日本も、現実を受け入れていかなければいけないのでございます。
北方四島から追い出された方々には気の毒ですが、もはやあの島々が日本の領土として戻ることは、現実的に有り得ないと思うのでございます。それほど、70年という月日が、長すぎました。日本が交渉出来るとすれば、共同開発とか漁業権の交渉くらいでございましょう。
「負けるが勝ち」なんて言葉もございます。この件では相手の顔を立て、花を持たせることになっても、それを将来につなげましょうよ。この交渉をゴールとするのではなく、これを「スタート」とするのでございます。そう、「平和条約」という新しい目標もございますしね。安倍首相がそこまで見越して北方領土の交渉をしているかどうかは分かりませんけど、未来を見据えた交渉をして欲しいですよね。
トランプが選挙活動で巧みに利用したのが、アメリカの格差社会への不満。日本にも格差はありますけど、「アメリカほどではない」とワタクシは思っております。また、「格差は世の中の『必要悪』だ」と言ったこともございます。格差があり、善人がいて悪人がいて、働き者がいて怠け者がいて、様々な人達で構成されていることが、逆に組織を強固にしているという理屈もあります。
こんな蟻の研究がございます。蟻の群れの中には、必ず2割ほどの怠け蟻が混じっているそうでございます。その怠け蟻を取り除き、働き蟻だけの群れにいたします。すると、どうでしょう、その働き蟻の中から、やはり2割ほどの怠け蟻が発生するのでございます。
この実験は次の様に結論づけております。全てが働き蟻だと、環境の変化などがあったとき、全ての蟻が同じ影響を受けてしまい、その影響の受け方によっては全滅の危機があるとのこと。つまり、働き方の違う怠け蟻が混在していることで、環境の変化の影響に強くなるそうでございます。
国家などでも同じ。色々な考え方、境遇の人が混じっていた方がいい。その方が、その国を取り巻く環境や時代の変遷に対応しやすくなる。さぁ、そこで最初のお話に戻りますよ。様々な人が集まると、必ずそこには「格差」が生まれる、ということでございます。
いろいろな人がいた方が、組織は強固になる。しかし、その結果格差が生まれると、その格差への不満が、組織を内側から壊していく。う〜ん、矛盾ですねぇ。資本主義社会には、必ずこの矛盾が発生してしまうのでございます。
格差の上部にいる人は、「世の中にいろいろな人がいるおかげで、私がこれだけの収入を得させてもらっている」という謙虚な心。格差の下部にいる人は、「上部の人が大もうけしているおかげで、この国に安泰と平和がもたらされ、その恩恵を受けている」という感謝。
先日、VIPルームの排気口のお話をいたしました。で、その天井を眺めるに、ところどころペンキが剥がれている。それも何だか気になりまして、VIPルームの天井を直すことにいたしました。ついでに、あの古くさい排気口も、新しくきれいな物に変えちゃいましょう。さっそく工務店の方を呼びまして、見積もりを立てていただくことにいたしました。
当店のプレイルームは、天井にも趣向を凝らしております。派手な柄だったりブラックライトで反応したりいたします。バスルームもそうしたかったのですが、工務店の方から全面的に却下! バスルームの天井には「バスリブ」という建材しか選択肢がなく、柄の入ったものは無いそうでございます。う〜ん、仕方が無い。出来上がってから、シールを貼りまくりましょう。
「排気口が、ちょっと面倒かも」とは、工務店の談。綺麗にやろうとすると、排気口の回りをぶっ壊すことになる。結局、あまり触らずに、上から新しいカバーを付けようとのこと。「あの排気口は、触らない方がいい」と直感的に感じ取ったのは、やはりプロフェッショナルの成せる技なのでしょうか? あるいは、単に面倒くさかっただけなのか? まぁ、いいのでございます。
自分のお部屋の大掃除をしておりましたら、なんと、昨年末にいただいたお歳暮発見! 平積みにしておけば気づいたのでしょうが、縦にして他の荷物の隙間に入れてしまっていた模様。う〜ん、食べ物には卑しいこのワタクシとしたごとが、大失態なのでございます。
味は、なんともない。普通。気分的なものか、ちょっとお腹がもたれるような感触。そのまま3時間ほど様子を見る。なんともない。むしろ快調。ワタクシ的には「大丈夫」と判断。ありがたく、残りをいただくことにするのでございます。
お歳暮が何であったかは、あえて書きません。ただ、このパッキング技術は、スゴイですね。製造から1年以上を経過しても普通に食べられる。まぁ、賞味期限というのは「美味しく食べられる期限」であって、腐り始める時期を指しているわけじゃありませんからね。
さて、賞味期限のお話ついでに、お店でお配りしている「マウス・ストリップス」というお口の清涼剤がございます。オブラート状のアレでございますよね。鋭い何人かのお客様は気づかれておりますが、そのマウス・ストリップスの賞味期限が、この12月いっぱいに迫っております。でも、まだちょっとたくさん残っている。その残っている量が、ハンパない。
で、名古屋薫、考えた。「そうだ! つかみ取りだ!」。残っている不良在庫を、一気につかみ取りとしてお配りすることを、思いつきました! 期間はいつからにいたしましょう。まったくの思い付きですので、そんな細かいことを詰めておりません。思い立ったら吉祥寺じゃなかった、思い立ったら吉日ということで、明日(12/20火)から始めちゃいます。不良在庫が無くなり次第、通常に戻るということで、ご了承下さいませ。
ということで、フロントで、「ブレス・ストリップス」のつかみ取りサービスを始めます。細かいことは何も詰めておりませんし、ポップ案内もこれから作るところ。さぁ、どうなることやら。とりあえず、よろしくお願いするのでございます。
マツコ・デラックスさんが街の中をブラブラ歩く番組がございます。往来の際、いつもマツコさんの口からこぼれる言葉が、「ゴメンネ、ゴメンネ」でございます。ご自身の体の大きさは元より、カメラや照明やマイクがゾロゾロと街中を通り抜けていく迷惑さを気づかって、思わず出てしまう言葉なのでございましょう。
マツコ・デラックスさんの人気は、この「謙虚さ」が要因のひとつでございましょう。体の大きさ、女装というポジション、歯に衣着せない物言い、そういったある意味「ワガママ」な生き方を、ご自身も自覚していらっしゃる雰囲気。それがあって、「画面の中ではワガママさせてもらっているので、せめて一般社会を歩くときは、遠慮気味に歩かせてもらいます」という意思表示にも感じられるのでございます。
以前、「利他主義・利己主義、どちらも必要、いろんな人がいていい、いろんな人がいて強くなる」と申し上げました。今、アメリカは「世界の警察」を捨て、柔らかな利他主義から、純粋な利己主義に転換しようとしております。この考え方、国家という巨大な組織だけでなく、コミュニティとか企業とか店舗とか、そういった小さな枠組みの中でも言えたりいたします。
水商売で例えましょう。ただひたすら自分の利益を追求する利己主義な人を、ワタクシは「ホステスタイプ」と呼んでおります。競争意識が強いので、先頭を切って集客に努めます。一方、自分のことは置いておいて、人手の足りない所を率先して引き受けようとする人もございます。そういう人をワタクシは「マネージャータイプ」と呼んでおります。
ホステスタイプはサイコパス傾向が強い場合も多く、そういう人は独立して起業する人も少なくございません。ただ、「お店の運営」となるとマネージャータイプの人が必ず必要となってまいります。マネージャータイプは俯瞰で見ることが出来るのに対し、ホステスタイプは自分の目先しか見えないのと、あと意外ですが、ホステスタイプはお金の計算が苦手な人が多いのでございます。
ホステスタイプとマネージャータイプ。どちらかのタイプに極端に寄っている人が多いのですが、両者をバランス良く合わせ持っているマルチタイプの人もございます。最初はどちらかのタイプに寄っていたのですが、必要に迫られてもうひとつのタイプも会得したのでございましょう。生まれつきマルチで考えられる人がいたら、その人は天才かもです。
小さな小さなお店でも、こんな感じでいろんなタイプの人がいる。タイプが違えば、価値観も違う。人と人との軋轢が生まれそうですよねぇ。そこで、以前の書き込みを思い出して下さいませ。いろんな人が上手くやって行くときの魔法の言葉、「思いやり」。
「どうしてあの人は普通じゃないの!」とイライラするよりも、「みんな違っていて当たり前」と考える。「違っている人同士が一緒になるから上手く行く」と考える。そうやって、箱庭を上から見下ろすような考え方をすると、「他人が(自分から見て)普通じゃない(と思える)こと」がメリットと思えるようになるのでございます(ここまで達観するのは、難しいかなぁ)。
前々回に、お歳暮のお話をいたしました。と同時に、ワタクシが食べ物に対して卑しい件も、ご報告いたしました。それで思い出しましたが、若い頃、ワタクシが18才くらいの頃でしょうか、ある人からこんなことを言われました。
と、何やら意味深なお言葉。遠回しに、ワタクシは自分の口の卑しさを揶揄されていたのでしょうか? あるいは、兄弟の多い人からワタクシは羨ましがられていたのでしょうか? 今となっては闇の中なのでございます。確かに、一人っ子ですと、届いた物は、ほぼ確実に、自分の手中になる可能性が高い。また、「開封する権利」というのも、確実に自分に回ってくる。これがまた、楽しい(笑)
よくせき考えますに、兄弟の多い人は大変なのでしょうね。贈り物が届いたときには、必ず争奪戦が発生する。もちろん、年功序列もございましょう。兄や姉の横暴に悔しい思いをした人もいらっしゃるでしょう。一人っ子ですと、そういった骨肉の争いを味わうということが無いのでございます。一人っ子の特典と申しましょうか。まぁ、それでワタクシの口が卑しくなったのだとしたら、一人っ子の特典も、考え物でございます。
贈り物などでも実体感大好きな名古屋人は、とにかく「重たい物」を贈りたがる傾向がございます。ワタクシが子供の頃、よくいただいたのが、ういろう。あれは箱がズッシリとくる。今でこそ一口サイズのものも売られておりますが、ワタクシが子供の頃は長い一本のものしかない。あれが一箱にギッシリ詰められている。ズッシリ・ギッシリの波状攻撃で、もらった人はメロメロなのでございます。
ここで、一人っ子の特典が発動。あのういろう一本を、まるで恵方巻よろしくイッキ食いするわけでございます。名古屋名物のういろうでございますが、幼少時のムチャ食いで食べ飽きちゃったのでしょうか、今のワタクシはチョット拒絶反応。子供の頃は美味しく食べていたのですけどね。最近は新しい趣向のういろうも出ているようですので、出かけたときにでも買ってみましょうか。
あと、よく頂いたのが、カルピス。昔は瓶入りしか有りませんでしたから、これもズッシリ・ギッシリでメロメロになる。これをいただくと、しばらくの間ワタクシの1日の水分摂取は全てカルピスになる(笑)。もうね、糖分取り過ぎ! 糖分と言えば、「お砂糖」の贈り物も時々ございました。ズッシリ・ギッシリ攻撃で言えば最高ランク。まるで土嚢のようなズッシリ感がございますからね。でも子供のワタクシには関係ない贈り物。ズッシリ・ギッシリの後に、ガックリときて、ワタクシ撃沈でございます。
これは、携帯電話用の小さい画面。PC、スマートフォンの方は、オフィシャルサイトの「イベント」のページで、やや大きめの画像を見ることが出来ます。
祝日ということで「祝う」日でございますよね。ある意味「記念日」であって、当事者にとっては特別な日。一方、ハッピーマンデーは「休む」ことに主眼を置いた制度。「祝う」ことよりも「休む」ことを優先するってのも、どうかなぁと思う次第でございます。
天皇誕生日の後にイブ、クリスマスと続くというのも、何か微妙な雰囲気。まぁ、天皇陛下がクリスマスにお生まれになっていたりしたら、こりゃまたもっと微妙な日になっていたわけで、ギリギリセーフって感じでしょうか。
アメリカでは、宗教的な問題から、「メリークリスマス」の代わりに「ハッピーホリデー」を使うように変わってきているそうでございます。もちろん、相手がキリスト教徒と分かっている場合は、メリークリスマス。分からない相手とか不特定多数に言う場合は「ハッピーホリデー」を使うのでございます。
表向きは「相手に宗教観を強要しない」ために使われ始めた「ハッピーホリデー」という語、まぁまぁ以前から使われていたようでございます。しかし、同時多発テロ以降、宗教がらみで非イスラム教徒が狙い撃ちされることが増え、神経質になっているのでございましょう。思いやりの言葉というよりは、自衛のための言葉の様に感じられるのでございます。
さて、一方日本では、宝船に七福神が乗っているというのが、古来伝統の神様の姿。7人どころか「八百万神(やおよろずのかみ)」と言うくらいで、800万、つまり無数の神様がいる。トイレにまで神様がいる国でございます。「神様は1人」って考えるキリスト教の人が聞いたら、ひっくり返るような考え方でございます。
日本の宗教観は、大らかですよねぇ。日本人は、けっして信心していないわけじゃない。伊勢神宮を初め日本中の有名所の神社仏閣は、大勢が訪れる観光スポットとなっております。そして、神や仏をありがたく思いながら、クリスマスも祝う。祝うというか、「受け入れて」しまう。この受け入れるというのが、日本人の気質なのでしょうねぇ。
そもそも、「神」と「仏」がケンカしていないですからね。神社とお寺が一緒になった神仏混淆・神仏習合の神社仏閣も多いのでございます。神と仏がケンカしていないので、当然、そこにイエスキリストが入ってきても「どうぞ、どうぞ」ということになる。
文字や言語でも、同様。世界中の言葉が、カタカナ語、和製英語、和声熟語として日本語の中に融合されていく。建築物もそう。街中には様々な様式が混在し、何百年も前に建築された寺社仏閣と高層ビルがお隣さんになっていても、違和感なく街の風景に溶け込んでる。う〜ん、実に大らかでいい。
「SMAP×SMAP」の最終回、視聴いたしました。5時間弱、見応えがあったのでございます。「なんだ、仲良いじゃん」と思わせるような映像ばかりでしたが、いつ頃から不協和音が響き始めていたのでしょうかねぇ?
音楽グループでもお笑いコンビでも、実際には仲が悪いということはよくあるそうでございます。それでも、それぞれ個人の仕事が増えていって程々に距離が空き、仲が悪いなりにも上手く行っているグループも多いはずでございます。番組SMAP×SMAPやコンサートといった、5人揃った活動が多かった分、ガス抜きが出来なかったのかもしれません。
ワタクシ個人の印象でございますが、5人とも歌やダンスはそれなりにこなれている。上手・下手は有りますが、グループとしてよく統制が取れている感じがいたします。これはやはり、数をこなしているからでございましょう。使い込んだ革製品が手に馴染んでくるように、歌やダンスも、何十回、何百回と繰り返しているうちに、グループ全体に馴染んでくるのでございます。
評価が難しいのは、ドラマ。これは個人技でございますからね。しかも、何となく、「忙しいスケジュールの中で、慌ただしく撮影したのだろうな」と感じさせるドラマが多い。その結果、あまり演技力を必要としないキャラ設定にされることも多かった。ただ、本人達には責任はないと思いますよ。事務所がドラマをサイドビジネスと考え、あまりウェイトを置いていなかったようでございますからね。
ここで、ひとつの希望がございます。今後バラバラになった後、それぞれ、ドラマやナレーションや司会といったお仕事にウェイトが移るはずでございます。すると、いままで忙しいスケジュールの中で「やっつけ」でやっていた仕事が、「本気モード」に成らざるを得ない。今まで摘まれていた芽が、これを機会に芽吹く可能性もあるのでございます。5人全員に。
そしてさらに、今までは事務所の横やりなどもあって、ドラマの脚本に注文が付くことも多かったはずでございます。バッドエンドはダメとか、悪人の役はダメとか。その事務所のイメージ戦略が、5人の演技に足かせ手かせをしていたのは間違いございません。これからは事務所の横やりが無くなり、脚本家や撮影現場は好きなように扱えるようになる。
解散しちゃったのは残念ですが、こういったことを考えると、むしろ解散したことによって彼らは新しい可能性を発掘出来るかも知れない。それぞれが、大きく化けるかも知れない。何年か後に、「あの解散がいい転機になって、生まれ変われた」と、5人それぞれにプラスの結果が出ればいいななんて、考えております。
5人が独立するという話が持ち上がって、問題となるのが「SMAP」という名称。多分、元の事務所はこの名称を使わせないでしょうねぇ。ここで思い出されるのが「加勢大周」。移籍後に名前を使う・使わせないで裁判になったのでございます。新加勢大周とかも出ちゃって、ドロドロ。5人がそろって独立したら、多分、SMAPという名称は二度と日の目を見なくなるのは明らかなのでございます。
世間の下馬評は、木村と中居以外は非常に評価が低い。独立したものの空中分解して、木村と中居以外は消えてしまうのではないか、そんな評価も見受けられるのでございます。そこで、木村登場! 将来、5人が再び結束するときに、「戻る場所」「戻る名前」を残しておきたい。そのためには、俺1人が残留しよう。と、意を決したわけでございます(ワタクシの妄想ですからね〜)。
これには伏線がございました。木村拓哉の非常に親しい友人に「明石家さんま」さんがいらっしゃいます。さんまさんが自分の番組「さんまのまんま」に関して、こんなことを発言しております。「紳助が復帰したときに、戻ってくる番組を残しておきたくて、この番組の終了を2年延期した」と。
宅配便の会社が謝罪したりして、ちょっとした騒動になっております。配達員の方が、腹立ち紛れに荷物や荷台を投げている画像が、YouTubeに投稿されてしまったからでございます。フェイクではない本物の配達員と確認が取れたのでしょう、会社が正式に謝罪を行いました。
いやぁ、これは、あまり配達員を責められない。年末は忙しいでしょうからねぇ。しかも、今は宅配業者のドライバー不足で、かなりドライバーへの負担が大きくなってきているとのこと。我慢の限界を超えちゃったのでしょうねぇ。同情できる点は多いのですが、ウップンの晴らし方が、悪かったのでございます。
当店も、宅配便は本当によく利用いたします。特に、お中元・お歳暮の時期は、ねぎらいの言葉を必ず添えます。また、代引きは、必ずきっちりの料金を用意しておくようにしております。時間通りに来られなくて恐縮される配達員もいらっしゃいますが、どうせこちらは年中無休で深夜まで営業しているお店ですから、大らかに、大らかに、対応いたしております。
一時期、Amazonが「配送料無料」なんて無茶苦茶なことをやりました。これで、配送業者は、大混乱。小さな荷物が異常に多くなったそうでございます。また、小さな商店とかは、「今どき、配送料を取るのか!」とクレームを言われて困るということも、有ったそうでございます。
先日、ドミノピザでクリスマスに予約・発注が集中し、システムがダウン。その結果、店舗が阿鼻叫喚の大混乱に落ち入るという騒ぎがございました。普通は、繁忙期は価格を上げて需要と供給のバランスを取るのが常識。見通しが甘かったのと、新しいシステムに店員も本部も慣れていなかったというのが、原因のようでございます。
そう、つまり、繁忙期は特別価格を設けるべき。流通は、体で言えば「血管」のようなもの。今の日本経済は、この血管である流通に多くを依存しております。大雪でトラックが遅れたりすると、コンビニの棚がごっそり隙間だらけになるでしょ。それくらい依存している。流通がダウンすると、日本経済そのものが貧血を起こしてしまうのでございます。
あと、時間指定。これも、ドライバーの仕事を圧迫している。当店なんか、午後は深夜まで受け取り可能なので、時間指定は「午後〜深夜」で指定したいのですが、そういうのは出来ない。どの業者も時間指定が、「どれか1つ選択」という形になっている。
あの時間指定の選択欄を、「トグル」つまりどれか1つという形ではなく「チェックボックス」つまり複数選択可能な形にするというのは、どうでしょうか? そして、その時間指定が緩いほど料金を安くするのでございます。これも、価格設定による需要と供給のバランスでございます。
時間指定をすると送料が高くなるという店舗は、時々見受けられます。ただ、何かしらのガイドラインを設けなければ、多くの店舗がその料金設定を利用するというのは難しいですよね。同じ商品で、送料の高い店と安い店があれば、当然、安い店に客は流れてしまいますからね。
12月というのは、他の月とはちょっと違ったお客様の流れがございます。基本的に、のんびりした日が多い。しかし、特定の日に突然お客様が集中していらっしゃるということが有る。だから、気が抜けない。その特定の日がいつになるか、これがまた予想がつかない。そして、みなさま方が仕事納めを迎える頃から、バタバタと忙しくなるのでございます。
お客様が集中しやすい時期ですので、コンパニオンが決まっているお客様は、出来るだけ予約を入れられた方がよろしいですね。また、PM1:00からのVIPルームという枠は、非常に人気がございます。1週間前から予約を入れられるお客様もいらっしゃいます。この枠をご希望の方は、やはり早めに予約を入れられることをお勧めいたします。
年末ということで、日々のお掃除、いつもはやらないような場所まで掃除をしたりしております。相当汚れているだろうなと思っている場所が意外と綺麗だったり、「え? 何でこんな所にこんな物がくっついてるの?」ということもございます。発見や驚きを交えながら、拭いたり磨いたりしております。
ここ数日、非常にバタバタとしておりまして、年賀状の作製が、全然進んでおりません。「急いで作れば、大晦日には投函出来るかな」と思っていたのですが、年明けの投函になるのは決定でございます。まぁ、デザインはほぼ決まっておりますので、あとは仕上げとプリントでございます。
さあ、明日は大晦日。今年の大晦日は、どうなるのでしょうか? 大晦日も通常営業ですので、お店の中で年を越すということも可能でございます。日本中で、こんな店、うちくらいではないかと思ったりしております。「風俗店で年越し?」と思われるかも知れませんが、まぁまぁいらっしゃいますよ、そういう方。
紅白歌合戦は、何か「総合バラエティ」って感じになりましたね。慌ただしさに拍車がかかりましたが、まぁ大晦日に気合いも入れずにボ〜と見る番組ですから、それでいいのかな。でも、あの2階席のサブステージはどうかなぁ? 会場にいる人、どんな感じで見えていたのだろう? 石川さゆりがそのサブステージで歌ったのは、非常に残念。
演歌と言えば、坂本冬美。あのダンスは、あれでいいのか? 歌の内容と合ってるのかなぁ? ダンスと言えば、香西かおり。真田丸とコラボしたのはいいけど、ムリクリ過ぎて違和感が。いや、それよりも、一番違和感が有ったのは勝者発表。視聴者投票も会場一般審査員も、白組が圧勝。ダブルスコアに近い勝利。しかし、芸能人審査員の投票は、紅組がボール2つだけ多かった。ボール2つの差とは言うけれど、実際にはイーブンの状態からたった1人が紅組に流れただけの状態。
で、結果発表に日本中が、いや、多分、世界中が、そして司会者までもが、「えッ???」の状態。紅組の優勝なのでございます。もうね、システムが全然分からない。まるでトランプ勝利のアメリカの大統領選挙を見るようでございました(笑)。