店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
今から19年前、「ミハエル・シューマッハ」というF1ドライバーがデビューいたしました。F1初戦ながら予選で7位という新人らしからぬポジションで本戦を迎え、本戦がスタートするやいなや、前をふさぐベテラン勢を驚異的な勢いでごぼう抜きしたのでございます。派手な追い抜き劇を披露した後、その派手なドライビングが災いしたのか、一周する事もなくコースアウトしてしまい、「0周リタイア」というのが彼のデビュー戦公式記録でございます。
巷では、ちょっとしたワールドカップブームでございます。本来ならば、このブームに便乗して家電メーカーが矢継ぎ早にテレビやレコーダーを宣伝しそうなものでございますが、どうも家電メーカー的には、それほど盛り上がっているわけでは無いようでございます。テレビもレコーダーも十分各家庭に普及しているという判断か、あるいは日本チームがあっさり負けてくることを予想しているのか。なにやら3D立体映像の中継も予定されているとのことですが、う〜ん、盛り上がりませんねぇ。
すでに日本チームは、南アフリカ入りをしているとのこと。これまでの戦績を考えると、サムライジャパンは本当にワールドカップなんかに出場してもいいの? いや、失礼だとは思いますが、みんな、うすうす、そう思っているでしょ。ヘタしたら一勝も出来ずに帰ってくるなんて下馬評も上がっております。そこで、ワタクシ考えました。弱いチームには弱いなりに戦い方があるのでございます。あ、いや、弱いって決めつけておりますが、まぁ、聞いてみておくんなせぇ。
かつて日本のサッカーチームは、「フェアプレー賞」というのを受賞しております。で、ちょいと調べましたら、なんとメキシコオリンピックのときに受賞しているようでございます。そう、今回のワールドカップでは、この40年以上もまえに受賞した「フェアプレー賞」を、目標にするのでございます。反則すれすれのラフプレー、引っかけられればワザと派手に転ぶ、そして大げさに痛がる、こういった“あざとい”プレーを排除し、まるで少年サッカーのように、正々堂々と戦うのでございます。
もちろん、相手チームはいつも通りラフなプレーをしてくるでしょう。そこで乗せられてはいけないのでございます。サムライジャパンは、まさに文字通り、侍のように実直で誠実なプレーに徹するのでございます。もしかすると、大きな点数差でボロ負けをするかも知れません。でも、たとえ点数で負けても、相手チームに「あいつら、なんてすがすがしい奴らなんだ!」と思わせれば、サムライジャパンの勝ちなのでございます。かりそめにも“サムライ”を名乗るのであれば、勝ち負けにこだわらず、サムライの精神を世界中に見せつけようではございませんか。そう、「これが、日本のサムライか!」と世界中に思わせれば、日本のチームは、優勝杯以上のものを手に入れることが出来るのでございます。
「最小不幸社会」、多少なりとも政治経済や哲学をかじったことがある方ならば、この言葉を聞いて「ベンサム」という経済学者の名前を思い浮かべることでございましょう。ベンサムの「最大多数の最大幸福」という考え方でございます。菅首相はSF小説からヒントを得たと言っておりますが、もしこのベンサムの言葉をもじって「最小不幸社会」という概念を考えられたとしたら、菅首相、ちょっと期待できるかも、なのでございます。
「最大多数の最大幸福」というのは、「国民の“幸福のトータル”が最大になるような良い方法(妥協案)を考えましょう」という考え方でございます。この考えには、「全ての国民が最大の幸福を得られるような“理想”は有り得ない」という考えに基づいております。つまり、“幸福のトータル”というところがくせものでございまして、「ある少数の人たちがちょっと不幸を我慢することで他の大勢が大きく幸せになれるのなら、トータルの幸福は最大になる」ということも考えられるのでございます。この考えは怖い一面を持っておりまして、「普天間の人たちがちょっと我慢してくれれば、日本中が幸せになれるじゃん」という考え方も成立してしまうのでございます。
まぁ、菅首相がこのベンサムの言葉をもじっていたかどうかは定かではありませんが、こういった経済学的な考え方が出来るというのは、ある意味“実践的な”政治家だと思うのでございます。経済学というのは“妥協点”を求める学問でございます。必ずどこかで“損”は出るものだという前提で損得の差が最大になる点を求めますので、結果には必ず何らかの妥協を含んでおります。政治だって、この妥協というのは必要だと思いますよ。「これはそちらに譲るから、こっちのを通してくれないかなぁ」というような駆け引きみたいなものがあってこそ、円滑に政治が進行して行くってもんでさぁ。自分の党の考え方以外は何ものも受け入れないという考え方は、ある意味「宗教」でございます。正教徒(与党)と異教徒(野党)との宗教戦争、日本の政治って、なんかこんな風に見えては来ませんか?
数年前から右ひざの調子があまりよくございません。いつもしびれたような感じがして、特にひどい痛みがあるわけではないのですが、なにげに気にしておりました。そこへ持ってきて、2週間ほど前から右ひじが最悪の状態。物をつかもうとすると肘の下あたりの筋肉に激痛が走り、力が入れられないのでございます。温湿布を貼ったりサポーターを巻いて暖めたりと、大変なのでございます。
そういえば、5年前に亡くなった母親も、やはり同じ膝と肘を痛めておりまして、立ち座りや物を掴んだりするのに苦労しておりました。やはり親子といいましょうか、似たような遺伝子を持っている故と申しましょうか、痛めている場所が全く同じというのは興味深い事でございます。実は、右ひざの調子が悪くなったとき、「母親の祟りか」なんてバカな事を考えたりしておりました。まぁ、さんざん親不孝しましたから、こんな考えにも至ったわけでございます。
すると、ここからがおとぎ話のようなちょっと不思議な出来事。死んだ母親が泣きながらワタクシの夢に出てまいりまして、「親が子供に祟ったりするわけないだろ」と叱られてしまいました。まぁ、もっともなお話でございます。見せ物小屋の「親の因果が子に報い〜」なんておきまりの客寄せ口上が有ったりはいたしますが、親が子に祟るなんてことを軽々しく考えるものではございませんね。
騙されます。映画的な気持ちいい騙され方ならいいのですが、ちょっと納得できない騙され方。まぁ、デュカプリオの麗姿が見られればそれでいいという人にはオススメ。多分、2〜3回見るとストーリーの深淵に触れられるのかもしれないけど、そこまでエネルギーを注げないなぁ。忘れたころにもう1回見るかも。
低予算B級SF映画。だがこれが、非常に面白かった。B級映画によくあるドキュメンタリータッチの映画だけど、この映画の場合もそのタッチが見事にハマっている。舞台が南アフリカ共和国ということもあって、この映画はアパルトヘイトに対する免罪符映画でもある。アバターといい、この映画といい、病んでいるね、最近のアメリカ。
撮影地がモロッコということもあって、撮影地が同じ『ワールド・オブ・ライズ』や『ブラックホーク・ダウン』と雰囲気が似ている。アメリカの大量破壊兵器の嘘に対する免罪符映画ともとれるけど、今ひとつ、自虐性が足りないよね。この描き方じゃ、ワタクシの「免罪符映画」のレッテルは与えられないのでございます。SFの『第9地区』の方が真実っぽくて、事実を元にした『グリーンゾーン』の方が真実味が少ないってのは皮肉だね。
西原理恵子さんの漫画の映画化。西原さんの漫画は読者に想像させる部分が多く、映画化したときに極端な説明不足にならないかと心配したけど、漫画のテイストを残しつつ、説明を最小限にした良い作品になっていると思う。菅野美穂が難しい役をこなしていたのに加え、小池栄子が怪演とも言えるほどにハマっていた。地味でいい映画だけど、日本では評価されにくいタイプの映画だよね。海外の賞にノミネートされるかも。
ヒエェェ〜〜、暑い、ムチャクチャ暑いのでございます。本日の午前中は、自分の部屋の掃除をしたのでございます。まず掃除機をかけ、そして雑巾がけでございました。もうね、手に持っているのが雑巾なのか、自分自身が雑巾なのか、それが分からないくらい汗が出て、体中グッチャグッチャなのでございます。まぁ、でも、お掃除をした後っていうのは何かしら霧が晴れたような感じがして、清々しいのでございます。
さて、ワールドカップのサムライジャパン、ベスト16まで行きましたが、ペナルティーキックで負けるとは惜しかったですねぇ。いや、このサムライジャパンの活躍には、日本中のいろいろな人が謝っておりますよね。ワタクシも「弱いなら弱いなりの戦い方がある」なんて申しまして、ゴメンナチャイなのでございます。
同じスポーツでも、大相撲の方はゴタゴタなのでございます。そういえば昨年の名古屋場所のテレビ中継のとき、なんだか“その筋”っぽい人が画面に映り込んでいて、「いいのかなぁ」なんて思っておりました。カメラアングルの関係で、その“その筋”の方が時々超アップになったりしておりましたから、そりゃぁ問題にもなりますわな。