店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
「名古屋のみのもんた」、この様に言われていたとは、初めて知りました(笑)。東海地区限定のビッグスター「宮地佑紀生」さん、暴行事件で、一躍、全国的有名人になったのでございます。ワタクシが受験生の頃は、深夜のラジオ番組では大変お世話になったのでございますけどねぇ。ラジオの生放送中に共演者に暴行って、もうね、自制心ゼロ。まぁかなり以前からイライラしていたとのこと。ということで、今日は「イライラ」を科学するのでございます。
ちょっと想像してみて下さいませ。ここに「縦のものを横にもしない」とイライラしている人がございます。この人は「横であるべき」と思っているわけでございますよね。さてもう一人「横の物はきちんと立てておきなさい」と考える人がいる。この人は「縦であるべき」と考えるわけでございます。こんな両者が出会ったら、さぞもめるでしょうねぇ(笑)。さらにもう一人想像してみて下さいませ。その人は「別に縦でも横でもいいじゃん」と考える人。
さあ、三人の登場人物が出そろいましたよ。最初の二人はイライラしております。縦にしたり横にしたり、もう大変。それを尻目に、われ関せずの3人目、「なんで二人はイライラしているの?」と訳の分からない様子。イライラ2人組と3人目、何が違うのでございましょう。そう、これは「拘(こだわ)り」。拘りがあるかどうかの違いなのでございます。
イライラのほぼ全ての原因は「拘り」。「これはこうあるべき」という思いが、イライラを生み出すのでございます。一方、拘りの無い人から見ると、そのイライラは意味不明。同じ人間なのに、イライラする人としない人が発生する。そう、そうなんです。人は「○○にイライラさせられた」とは言いますが、実は、イライラは自分の中の「拘り」が作り出しているだけなのでございます。
でも、その「拘りの呪縛」から抜け出せないのは、「自分が正しい、相手が間違っている」との思いが有るからでございます。でもね、ここで気づいて頂きたいのは、「拘りの無い3人目」の存在でございますよね。どちらが正しいとも思っていない人も存在するのでございます。実は、正しいとか間違いというのは「幻想」。理想郷を求めるが故の幻想なのですが、万人の理想に適(かな)う理想郷なんて、そもそも存在しないのでございます。
イライラからは抜け出したい。でも、自分の理想は捨てられない。ここで、ジレンマに陥るわけでございます。選択肢は2つ。「理想を追求してイライラし続ける」か「理想を棄ててイライラから脱却する」かでございます。この「理想」が志高いものであるのなら、イライラする価値もございましょう。しかし、多くのイライラは、どうでもいい単なる拘りから発する物。そこで結論、ほんの少しの「こだわりを捨てる勇気」を持てば、イライラから解放されるのでございます。
そこで、実践編。もしイライラしたら、まず、数秒間かけてゆっくり唾を飲む。この数秒間で、「イライラする程の問題なのか? 単なる拘りではないのか?」と自問自答するのでございます。ここで結果を出す必要は必ずしもございません。この「数秒間」に意味があるのでございます。実は、イライラというのは、最初の数秒間をやり過ごせれば大きなイライラに発展しにくいという実験結果が出ております。どうやら、初期の小さなイライラに油を注いでいるのは、自分自身のようでございますね。
さて、ワタクシ自身はと申しますと、子供の時は「癇癪(かんしゃく)持ち」でございました。20代前半くらいの時に、「この癇癪を放置しておくと大変なことになる」と気がつきまして、ちょっと自制心が強くなった時期もございました。しかし、この自制心を弱くしたのが中年時期の更年期障害。まぁ、ワタクシのかかりつけ医は「自律神経失調症だったかもなぁ」と申しておりましたが、この生理現象によって、7〜8年、イライラが強い時期がございました。
世の中には、イライラを強くする生理現象や疾患もございます。この様な要因を疑うことでも、イライラを解消する糸口が見えてきたりいたします。イライラは、拘りという「理想」を見続けているうちは、なかなか抜け出せないものでございます。クールになり、「原因」を理路整然と突き詰めていくと、少しずつ抜け出せたりいたします。そして、その原因は殆ど、自分自身にあったりするのでございます。
少し前、ある企画の原稿にかかりっきりになっていると申しました。その企画が、アップロードされましたので、お知らせいたしますね。と言っても、ニューハーフ専門の求人サイトですので、まぁ、お客様にはあまり関係ないって言えば関係ないのですけどね。
「ニューハーファン」という会社の「newmo(にゅーも)」という求人サイトでございます。お店紹介、そしてコンパニオン「春咲なずな」さんへのインタビューを交えまして、ワタクシが文字起こしをいたしました。待機室の写真とかも自分で撮りまして、短い入稿期間でバタバタと作製した覚えがございます。
ワタクシが現役でバリバリやっていたのは、もう20年くらい前のこと。その頃この業界は、ガッチガチのプロフェッショナルの世界でございました。コンパニオンは、ほぼ100%水商売経験者。ですので、やはりガッチガチの先輩後輩の世界でございました。プロの世界ですので、罰金や規則もそれなりに厳しく、体育会系の人間関係に馴染めるかどうかも、お仕事をする上で重要でございました。
そして、このお店をオープンしたのが16年前。オープン当初は、そのガッチガチのプロフェッショナルな雰囲気のままのお店でございました。しかし時は流れ、次第にこの業界全体から、「ガチガチ感」がどんどん薄れていっておりますのでねぇ。当店もその流れに乗りまして、ここ数年は、そのガチガチ感の払拭に努力して来たのでございます。
さて、本題。2日ほど前、「イライラ」のテーマで「拘りを棄てる」と申しました。実はですね、若い頃は逆で、「拘りこそ美学」と思っておりました。そこで、広辞苑の登場! 「拘る」の項目には、「さしさわる」「難癖をつける」といった意味に並んで、「些細な事に捉われる」「些細な点にまで気を配る」といった意味が並んでおります。
いやぁ、実に面白い。「些細な〜」という書き出しで、プラスとマイナス、両方の意味が書いてございます。この言葉は日常的に良くも悪くも両方の意味で使っておりますので、まぁ、道理至極なことではございますよね。ただ、ひとつの言葉に2つの意味があると言うよりは、正反対の2つの意味が、表裏一体でひとつの言葉に張りついていると考えた方がよろしいでしょう。
あるひとつの拘りが、プラスにも働けばマイナスにも働くということでございます。これは感覚的にすぐ分かりますよね。拘りというのは、時として「美学」になり、「哲学」になります。しかし、それは同時に「泥(なず)む」ということでもございます。聞き慣れない言葉でしょうが、文字通り、泥に足を取られて停滞してしまうという意味でございます。
自分がより美しく生きようとする美学としての拘りが、同時に自分を停滞させてしまう足かせになってしまう。これが「拘り」の奥深いところでございましょう。両刃の剣なのでございます。若い頃には、拘りの良い面が出やすい。若い頃の拘りは「自らの改変」を要求しますからね。でも、歳を取ってからの拘りは、悪い面が出やすい。それは、歳を取っての拘りは「確執」や「執着」だからでございます。
そこで、歳を取ると、「拘りを棄てる」ことが重要になってくる。拘りを棄てて「あるがままを受け入れる」のが肝要になるのでございます。これはもはや「宗教」でございます。そう、「哲学」から「宗教」への変化でございます。哲学も宗教も似て非なる物。どちらも「どう生きるか」ということを追及してはおりますが、その内容は真逆だったりいたします。
食いしん坊の名古屋薫、ですのでワタクシのコラムでは食べ物の話題が多いのでございます。今日は、カップ麺のお話から。まずはこれ、
「お召し上がりの“直前”に」というやつ。もうね、この「直前」ってのが曖昧で、嫌んなっちゃう。カップ麺では、スープ類を「前」に入れるか「後」に入れるかは生死にも関わる最重要な項目。そのような重要なことを、「食べる直前」なんていうシュレーディンガーの猫レベルの不確定な言葉でお茶を濁していることに対し、カップ麺およびカップ焼きそば業界全般に、猛省を促すのでございます。
お腹を空かしている人にとっては、「お湯を沸かしているときから既に“直前”」なのでございます。つまり、お湯の前であるか後であるかが重要なのに、この「直前」という語は、そのお湯を基準点にしていない。これが、指示書としての致命的な欠点なのでございます。ですので、正確には「○分待った後にお入れ下さい」というのが正解。これならば、解釈の個人差を完全に吸収できるのでございます。
ここで、ゲスの勘ぐり。この表記を「○分待ってから〜」という表記にしていないのは、この時間が商品によって違うからではないでしょうかねぇ。3分の商品もあれば5分の商品もある。どの商品でも「同じ小袋」を使い回せるように、汎用的な「召し上がる直前」という表記にしているのでは、と勘ぐるわけでございます。あ〜あ、みみっちいたらありゃしない。
東京オリンピックを控えているというのに、こんな曖昧な表記を残しておいてはいけないのでございます。日本のカップ麺は、世界的に人気のある商品。そんな世界的ヒット商品に、日本語の曖昧な説明しか表記してないというのは、これは「傲慢」と言わざるを得ない! しかも、作り方の説明が、これまたすごく小さな文字である事も多い。これも「傲慢」! カップ麺メーカーの、この様な傲慢を許していてはいけないのでございます。
そこで、「日清」、アンタがやんなさい。かつてインスタントラーメンの業界品質向上のため、製造ノウハウをオープンにしたという功績のある日清さん。アンタが「誰にでも分かるマーク」を作んなさい。そして、それを業界標準にするのでございます。誰にでも分かるマーク、そう「ピクトグラム」というやつでございます。トイレや非常口のマークでお馴染みのやつでございます。字の読めない外国人、視力の悪い人、そんな人が作り方を間違えるという悲しい事件を、ピクトグラムで防ぐのでございます。
ピクトグラムが目指すのは、「グローバル」でございます。文字を排除することで、言語に関係なくメッセージを伝えられるのでございます。このピクトグラムで今や世界的に有名になったのが、先ほど申しました「非常口」のマーク。このマークは日本発祥でございますが、分かりやすいということで、今や世界中で採用されております。これこそ、ピクトグラムの成功例でございますね。
一方、既存のピクトグラムを改めようという流れもございます。経済産業省が、温泉マークなどを外国人にも分かりやすくしようという改革案を発表しております。この温泉マークが、ワタクシ的にはどうもいただけない。なんか、親子三人でお湯に浸かっている姿。もうね、経済産業省のセンスを疑っちゃう。ピクトグラムというのは、こんな写実的じゃダメだと思いますよ。もっと、エッセンスを抽出しダイレクトに表現する、そんな単刀直入さが感じられないのでございます。
そこで、逆の発想。非常口のマークが世界中に受け入れられたように、温泉マークも既存のものを世界中に「売り込む」のでございます。かつては「英語が世界標準語」と言われておりましたが、来日する外国人の中には、わざわざ日本語を勉強して訪れる人も多い。それは、日本語そのものを気に入り、日本語でコミュニケーションすることを喜びとする外国人が増えているからでございます。同様に、温泉マークもあのまま売り込む。そして「ONSEN」という語そのままで、外国人旅行者に発信し、定着させるのでございます。日本の文化ですからね、強気で行かなきゃ。
グローバルで感心したのは、レゴブロックの組立説明書。多分、世界中の商品に同じ説明書が付けられているのでしょう。組立時の注意、そして組立の手順、その全てに文字が全く使われておりません。すべて「絵」で表現されております。これは秀逸。もちろん小さな子供にも分かるような表記を目指しての結果なのでしょうが、その徹底ぶりには感心するのでございます。
ひらがな、カタカナ、漢字を駆使し、最近では「絵文字」まで発明した日本人には、ピクトグラムはお得意なはずなのでございます。どうか、カップ麺のピクトグラム、よろしくお願いするのでございます。日清さん、よろしく! では、では。
大変衝撃的なニュースが、舞い込んでまいりました。なんと、この度、名古屋が、「魅力に欠ける街」アンケートで、堂々の第1位を獲得したとのこと。しかも、東京、大阪、福岡といった主要8都市の中で、ぶっちぎりの首位獲得とのこと。ここでご注意。「魅力的な」ではなく、「魅力に欠ける街」でございますからね。お間違えのないように。
こういうのは「統計のマジック」が入り込みますから、調査方法が気になるところでございます。主要8都市に「在住している人」3300人に対し、「自分の住んでいる街に対して」、「愛着度」「誇り度」「知人への推奨度」をアンケートしたようでございます。つまりこの順位は、「世間一般の評価」ではなく、「その街に住んでいる人が、自分の街をどう評価しているか」なのでございます。
ほ〜らね、やっぱり「統計のマジック」が入り込んでいる。ですのでこのアンケート結果は、「名古屋人の奥ゆかしさ」を表しているに過ぎないのでございます。「他の街を差し置いて自分の街をことさら自慢するなんて、そんな下品な事は出来ませんよ」という、名古屋の素晴らしき「気品」が現れている、実にいいアンケート結果なのでございます。
まぁ、ちょっと統計の取り方と結果の発表に「意図」を感じはいたしますが、おおむね、間違ってはいないと思います。他の都市に比べると、名古屋は圧倒的に魅力に欠けるのは事実だと思っております。これには、まず、歴史的な原因もあるでしょうねぇ。東京、大阪、京都のように「都」を経験してきた都市は、その時期に文化が飛躍的に変革し垢抜けいたします。それを経験していない名古屋は、垢抜けせず、田舎くさいままで現在を迎えてしまっているのでございます。
ワタクシはこれを、「名古屋のガラパゴス化」と呼びたいですよねぇ。最近はガラケーが再人気の様子。ガラパゴス化、いいじゃないですか。このガラパゴス化の影響でしょうか、名古屋の商売には独特の因襲がございます。「よそ者を警戒し、仲間内の結束を重要視する」といった風潮があるのでございます。このため、新規参入が難しく、逆に仲間内に入ることができると、今度は固い結束で安泰という、そんな商売の仕方で地域産業を守ってきた経緯がございます。
名古屋では「無借金経営」が多いのも、それが一因でしょうか。リーマン・ショックなどでも、名古屋は影響が軽微でございました。その様な経済的な安定性もあって、名古屋の人は、あまり外へ出て行きません。ず〜と名古屋に住んでいる人が多い。これが、名古屋人を「井の中の蛙」にしている要因のひとつかも知れませんね。井の中の蛙、ちょっと悪いイメージに取られかねませんが、ガラパゴス化を賞賛しているワタクシといたしましては、むしろ大事にして頂きたい名古屋の特徴だと思っております。
さて、ワタクシは東京でもお仕事をしておりましたので、こと飲食店・風俗店に関してですが、東京と名古屋を比較してみましょうか。東京は、圧倒的に地方から来た「一見(いちげん)客」の割合が多い。ですので、リピーターにすると言うよりは、奇抜さや目新しさで目を引き、いかに広く浅く集客するかというのがポイントになったりいたします。
一方名古屋は、地元の常連客の割合が高い。一見のお客様は、割合的には少ないのでございます。徹底的に比較検討してからの来店ですので、注文が厳しい。ここに「名古屋は商売が難しい」と言われるゆえんがございます。また、店舗側から見れば、絶対数の限られたお客様を取り合う状態ですので、競争が非常にシビアになるのでございます。
名古屋で一見さんが少ないのは、出張で来られた方が名古屋で泊まることが少ないからでございましょう。これは、東京や大阪からの交通の便が良すぎるというのも影響しております。名古屋で用事を片づけて、その日のうちに帰る。あるいは、用事を片づけて、次の目的地に移動してから泊まる。そんなパターンが多いようでございます。コンサートなども、以前は「名古屋飛ばし」が多かったですからね。「東京・大阪・福岡」というのが定番。これも、交通の便の良さが、影響していたのでしょう。
いろいろ言われる名古屋ですけど、名古屋を語るときには、岐阜・三重を合わせて語らなければ片手落ちなのでございます。それは、昔から、この東海三県が三位一体で発展してきたからでございますね。飛騨高山、伊勢といった観光地が、名古屋を「ハブ」として成長してきたことは間違いございません。名古屋という交通の要所が、観光地には必要不可欠だったのでございます。
逆に、名所に欠ける名古屋は、そのような観光地のイメージに相乗りして発展してきた経緯がございます。名古屋飯のいくつかは、岐阜や三重が発祥だったりするのですよね。「ちゃっかり名古屋」の本領発揮とでも申しましょうか。岐阜・三重と愛知名古屋のそれぞれの良さが相まって発展してきたのが、東海三県なのでございます。
昨日の夜から体調を崩しておりましたが、何とか復活でございます。体調が悪い時というのは何でも試すものでございまして、太田胃散、頭痛薬を手始めに、粗塩を頭から被ったり、お経を唱えたり、神社へ参拝したりとか、神仏ごっちゃ混ぜの、藁をも掴む、鰯の頭も信心からなのでございます(笑)。
近所の神社への参拝は、ほぼ毎日の日課としているのでございますが、こういう体調の悪いときに限って、お参り中に耳の横で悪魔がささやくわけでございますね。「こんなのはインチキである、信じるでない、御利益(ごりやく)なんかないぞ、ファッ〜ハッハッハッ」とデーモン小暮調の声がどこからともなく聞こえてくるのでございます。
さぁ、ここから悪魔と神様の戦いでございます。耳元でささやく悪魔、そして「清めたまえ、祓えたまえ、悪霊退散!」と呟くワタクシ。体調の悪さは悪霊の仕業か? あるいは体調が悪いから悪霊が取り憑いたか? そもそも「気のせい」で悪霊など存在しないのか? 神社に御利益は有るのか、無いのか?
と、こんな感じでお参りを済ませるわけでございます。う〜ん、ちょっと雑念の多いお参りで、あまりいい例ではございません。ここで、有る疑問が? え〜と、いろいろ不謹慎ではございますが、「この神社には御利益が有るのか、ないのか?」という問題。悪魔のささやきは本当なのか? 御利益のない神社を信心しても無駄では無いか? そんな疑問を検証するのでございます。
1.御利益が有る+信じる・・・御利益を受けられる
2.御利益が無い+信じる・・・御利益を受けられない
3.御利益が有る+信じない・・・御利益を受けられない
4.御利益が無い+信じない・・・御利益を受けられない
4つの事象の中で、結局、御利益を受けられるのは「神社に御利益が有る+ワタクシが信じる」という事象だけ。それ以外では、御利益は受けられないという結果でございます。つまり、たった4分の1の割合。確率25%。アチャー、御利益ってこんな確率低いの、と、思うのは早計。この確率には不確定要素と確定要素が混じっております。
という事ですね。おぉう、25%の確率が、倍の50%に跳ね上がったのでございます。これは、確率としては相当高い数字でございますよ。「当たるも八卦当たらぬも八卦」なんていう言葉もございますが、まさにこの計算結果通りなのでございます。逆に、信じないと確率は0%。「信じない」という行為は、全ての将来性を放棄してしまうということでございますね。
冒頭で「鰯の頭も信心から」と申しましたが、経済学的にも証明されたようですね。「どうせ御利益なんか無いから」と思った瞬間に未来は0%、「ひょっとしたら御利益有るかな?」と思えば、少なくとも50%は御利益が有るのでございます。何事も「信じる」ということが重要なのでございます。
この「信じる」という感覚、心理学者のバンデューラという人が「自己効力(Self-Efficacy)」という名称を付けて研究しております。自己効力感とは「自分が目標を達成する能力があるとする『確信』」でございます。分かりやすく言い換えると、「私、失敗しないので」と思える感覚でございますね。この自己効力感がない人は、最初から「どうせやっても無駄だから」と思い込んでしまう。
投票、行って参りました。投票すると、投票済証として栞の様なものがもらえるのですが、あれって全国同じ物なのでしょうか? あれが、もうちょっと収集意欲を煽るようなものでしたら、もう少し投票率が上がるのではないでしょうか。例えば、何種か用意して置いて、漫画『ONE PIECE』、アイドルの絵柄、なんてのを混ぜておけば、若い人の投票率が圧倒的に増えるような気がいたします。
「初めての投票」って人も多いはずで、そういう人には何か記念になるような物を上げれば、選挙への関心が少しでも高まるのではないでしょうか。あるいは、病院で出す「お薬手帳」よろしく「投票手帳」を投票権を得た人に渡していくというのはどうでしょう。投票の度に、毎回違うスタンプを押すわけですね。投票スタンプラリー。これは投票意欲を煽ると思いますけどねぇ。各ページに自分でコメントを書ける欄を作って置いたりすると、何十年後かに見直して、良い思い出になると思うのでございます。
「具材の三種盛り」、ゆで卵丸1個、チャーシュー2枚、シナチク少々、これが真空パックに入って、¥198。おお、待ってました。実はワタクシ、過去にこういった商品を望む声を、この欄に書き込んでおります。2013/2/16分の書き込み【インスタントも本物志向で】でございます。その声が届いたのかどうかは分かりませんが、やっと念願叶ったのでございます。
袋麺、そしてカップ麺でなんとも寂しいのは、パッケージの写真と実物が違いすぎること。袋麺では「調理例」と書いてあり、明らかに自分で具材を追加すること前提で売られております。一方、カップ麺は新たな具を追加せずに撮影しているようでございますが、具は別に作り全部上に乗せるというような、涙ぐましい工夫をして撮影しているようでございます。
最近のカップ麺、袋麺、格段に進化しております。ただ、「お湯で戻す」という調理方法の限界のため、そしてカップ麺そのものの賞味期限の長さゆえ、生々しい具を商品に含ませるというのは難しかったのでございます。その弱点を埋めるべく登場したこの商品ではございますが、難点もいくつかございます。
ワタクシが購入した時点で、賞味期限があと10日ほど。やはり、ゆで卵がネックなのでしょう。カップ麺・袋麺は買い置きできますが、この商品の買い置きは出来ないのでございます。また、シナチクの量が、ショボイ。これで¥198ですと、この商品の存続は、厳しいかなぁ。ゆで卵が丸1個というのも、多すぎる。カップ麺一杯分ですと、半個が妥当な量なのですよね。
こう考えると、ワタクシとしては待ちに待った商品なのでございますが、いざ現物を目の当たりにしてしまうと、その理想と現実とのギャップに戸惑うのでございます。結局、乗せたい具を個別に自分で買ってきて、何度かに分けて食べてしまう方が結果的には安上がりだったりいたします。
熱血漢でございますね。熱い人ではありますが、冷静さに欠けるので、暴走します。そして、暴走したら止まりません。一見、情熱的な良い人に見えますが、愛と憎、善と悪はいつも表裏一体である事をお忘れなく。頭に血が上っているので、愛や善が憎や悪にひっくり返るのは簡単です。ストーカーのような人を想像すると、分かりやすいでしょう。
冷静で論理的で、暴走もしません。計算高く行動出来ます。ある意味、政治家向きです。ただ、人の心が分かりにくいので、本人も周りの人も苦しみます。時として、周りの人が全てバカに見えてしまい、独善に走って犯罪を犯してしまうことも。そんな場合でも、本人は良かれと思ってやっています。
これは、危険。時として狂気に走ります。世界を震撼させるような独裁者に多いタイプです。ただ、これはサイコパス傾向とも申しまして、ある程度は経営者などには必須の要素であるとも言えます。でも、敏腕経営能力と狂気は、やはり紙一重。カミソリの刃の上で生きているような人生を送るタイプの人です。
人間的には、これがベスト。熱い情熱を持っていますが、頭の冷静さが暴走を防ぎます。非常に良い人柄ではあるのですが、政治家や経営者で大成するかというと、話は別。人を導くには人柄の良さが必要ですが、それでは人の上に立つポジションには行きにくい。ジレンマでございますね。
明日(7/13)発売の『週間実話』に、当店の広告が掲載されます。雑誌のちょうどまん中、「センターカラー」と呼ばれるカラーの広告ページでございます。この週間実話の広告も持参して頂ければ「¥1,000割引」になるのでございますが、実は、この割引を使われる人は、非常に少ないのでございます。
一昨日のお話、頭が熱い、心が熱いといったくだりのお話、四種それぞれに特徴が有り、メリット・デメリットがあるようなかき方をしております。ところが、ワタクシは20年くらい前にも自分のメールマガジンでほぼ同じような事を書いておりまして、その時は「頭が冷たく、心が熱い人」のみを認め、それ以外は全否定しております。「頭冷たく心熱い」人こそ究極の理想像、それ以外はダメ人間といった考えに固執していたようでございます。
いやぁ、はずかしい。若いですなぁ、青いですなぁ。若気の至りと言うのでしょうか、今から思えば、実に器量の狭い考え方でございましたね。若い頃は、自分が自分の理想像を追い求めることしか考えておりません。そして、世の中の人すべてに、その自分の理想像を押しつけるような感もございました。まぁ、思い上がりと言うのでしょうか。
普通、「焼きが回る」ってのは悪い意味で使いますよね。焼き入れで熱を入れ過ぎて刃先が鈍(なま)ることから、年を取って能力が落ちるという意味で使われます。まぁ、ワタクシの場合は、いい意味で「焼きが回っている」のでございましょう。若い頃の熱が少し冷め、達観した考えに変わっております。人間、「鈍る」ってのも、なかなか悪くないものでございます。
年を経て、時代の変化を受け、人の心も変わっていくものでございます。世の中の仕組みも変わり、周りを取り巻く諸外国の状況も変わり、置かれている環境も、刻々と変化していきます。ワタクシ個人でさえ、この20年で考え方が変わっちゃったりするのでございますから。
よく「ブレない」ことが美徳のように言われますが、こと政治家に関しては、ブレることは必要だと思っております。政治とは、その時々の状況や世論に対応して「出来るだけ多くの人が幸せになるように取りはからう」ことでございます。状況や世論といった不確定要素を含んでいれば、それへの対応がブレることは有り得ることでございます。
「政治」が「落としどころを見つける行為」であるのに対し、「宗教」は「理想を追求する行為」でございます。時々、この「宗教」で活動している政治家がいるのは困りものでございます。自分とは違った考えを受け入れる器量が全く無い。話し合いをするのではなく、相手を論破することしか考えてない。このような悪い意味でブレない政治家は、政治という行為を思い違いしていると言わざるを得ないのでございます。
でも逆に、ブレれば良いのかと言えば、そのブレが「思い付き」や「その場しのぎ」ではダメダメ。ワタクシたちは、政治家のブレる部分、ブレない部分を、単に表面的にとらえるのではなく、大きな目標を見据えた上でブレるのか、その場しのぎにならないためにブレないのか、ちょっと深く見極める必要があると思うのでございます。
何かと食べ物とテレビの話題が多いこの欄、今日は真面目(笑)に、お店の情報でございます。メールマガジンでは「各種割引クーポン」と十把一絡げにしているクーポンを、ひとつひとつご案内いたしましょう。まずは、ネットに押され、最近はご利用が少なくなってきた雑誌媒体の割引から。
東京では「トウスポ、東京スポーツ」、大阪では「大スポ、大阪スポーツ」と呼ばれている新聞。その中京版でございます。当店の広告が載っているのは「中京スポーツ」だけですので、お気を付け下さいね。中京スポーツの「情報コーナー」という欄に、こんな広告が掲載されております。この「情報コーナー」にこんな割引券が付いております。これを切り取って持参して頂くということになります。
雑誌『CityHeaven』のネット版でございます。このサイトの中の「割引チケット」のページを店頭で見せて頂くということですね。この割引チケットのページ、「その他メニューを開く」という項目の中に隠されているので、見つけにくかったりいたしますので、ご注意を。
このニューハーフ情報サイトのこのクーポンを店頭で見せて下さい。
さらに、最近始めました「マンゾクネット」にも、割引クーポンがございます。これを店頭で見せて下さい。これも「割引クーポン」という項目の中に隠れていたりするのでご注意を。
お店の近所で物騒な事件が起きまして、連日、報道のヘリコプターが低空飛行を続けております。下から見上げると、フレックスの西館にぶつかるのではないかと思うくらいの低空飛行。ヘリの音ってのは、なかなかにうるさいのでございます。
リドリー・スコット監督『ブラックホーク・ダウン』という映画の大ファンであるワタクシは、ソ連製対戦車ロケット砲 RPG-7 を肩に担ぎ、フレックス西館の階段を駆け上がり、屋上から報道ヘリめがけてロケット砲を発射。報道ヘリ、慌てて回避行動を取るも、間一髪テールローターに命中。「報道ヘリ、ダウン、報道ヘリ、ダウン」と叫びたい衝動に駆られるワタクシでございますが、あいにく、RPG-7 も持ち合わせておりませんし、西館には屋上もございませんので、実現しないのでございます。
報道ヘリと言えば、東北だったか熊本だったか災害の際、かの高須医院長がヘリコプターをチャーターして物資を運ぼうとしたら、軒並み、報道関係がヘリコプターを押さえておりまして、それで高須さんが大激怒したという話がございます。最近は、えっと何だっけ、あのプロペラがいっぱい付いててカメラで上空から映せるやつ、そうそう、ドローン。最近は、高性能のドローンの登場で、そんなヘリコプターの奪い合いも無くなるのではないでしょうか。中日新聞も、ドローン使えよ。
災害と言えば、自民党の憲法改正の草案、あれは「有事」を想定しているとしか思えないのございます。まぁ、アメリカさんが本機で日本を守ってくれるとは思えませんので、何かあったときには、自分の国は自分で守るための準備は必要だと思います。ただ、「有事」と言えば国際紛争ばかりとは限りませんからね。大災害という「有事」に対しても、何かしらの対処が欲しいです。報道がヘリコプターを買い占めるとか、おかしいのでございます。(最初に戻り、ループ)
報道と言えば、元報道キャスターで都知事に立候補した誰かさん。いや、あの人、ヤバクね? まともそうに見えるけど、中身スカスカじゃん。あの人に東京都、そして「日本の顔」を任せていいの? 心配だなぁ、東京は人口流動が激しいから、あんな人が勢いで当選しちゃったりすることが有るからねぇ。と、愛知県民のワタクシが心配してもしょうがないか。しょうがない、しょうがない。
さて、今日は3連休の中日(なかび)。そう言えば、大相撲も中日。お休みばっかっで、つまんない。「興行」でもあるわけで、横綱とか大関を楽しみにしていた人も多いはず。負けが続いてあっさり休むくらいなら、出てきて「堂々と負けて欲しい」と思うわけでございます。怪我を押して出場し、あっさり8連敗した遠藤関、まぁこれはこれで、「少し休んだら」と言ってあげたくなりますけどね。
かつては、新聞・雑誌という紙媒体が、風俗での営業活動の全てであった時期がございました。そして、ネットの台頭により、その比重はネットに移り、ホームページや情報サイトが営業活動の主流になるという時代に突入したのが、ほんの十年前くらい。
さらに時代は進み、ブログやツイッターが普及いたします。すると、コンパニオン自身がメッセージを発せられるようになりまして、営業活動の発信元は「店舗」から「コンパニオン個人」へとどんどん裾野を広げて来ております。
そう、今や風俗業界は、写メ日記を中心に動いていると言っても過言ではございません。お店のオフィシャルの写真よりも、写メ日記の自撮り写真の方が信頼される時代でございます。お店の伝統的な売り込み方よりも、本人が書き込むコメントの方がお客様の反応が強い時代でございます。
そんな時代の流れを受け、当店のオフィシャル・ホームページの数カ所に、コンパニオンの写メ日記を掲載するようにいたしました。パソコンやタブレットで見ていらっしゃる方は、「スケジュール」ページと各コンパニオンの「プロフィール」ページで見ることが出来ます。スマートフォンの方は、各コンパニオンの「プロフィール」のページで見られます。
あと、もう一つ、オフィシャル・ホームページの中で改善した部分がございます。各コンパニオンの「プロフィール」ページの「出勤シフト」の項目。これは今まで、出勤日と公休日の「曜日」を表示しておりました。しかし、自由出勤が時代の主流となり、この固定された表示があまり有用に機能しなくなったのでございます。
本日は、「藍井みか」の初出勤日でございました。このお仕事は初めてということで、出勤早々、お仕事の手順を教えるわけでございます。と、これが、結構大変。教える方も、教えられる方も、大変。長年やっていれば流れ作業のように出来ることも、初めて覚える時というのは「丸覚え」の状態ですので、すぐ頭の短期記憶領域がオーバーフローしてしまう(笑)。
また、お部屋でお客様と二人っきりになるというプレッシャーもございます。特に本日は、接客の合間に写真撮影もこなしました。本人にとっては忙しい一日だったことでございましょう。いや、ワタクシも忙しかったのでございますけどね。未経験の方の初出勤というのは、バタバタなのでございます。
まず、どうしてもVIPルームを使いたいという希望のお客様を、泣く泣くお断りいたしました。初出勤後の数日間は、不測の事態が起きやすいもの。そんなとき、フロントから離れているVIPルームは、対処が難しいのでございます。
間違えたったら間違えた。造花を生花と間違えた。14日の「ひとりごと」、お花をもらって大喜び。せっせと水やり、おかしいな。このクソ暑いのに、水減らない。一週間後に気がついた。可愛い花瓶のアレンジメント。実は上手なつくり花。造花の花瓶でございました。贈った人も、気がつかない。貰った私も気がつかない。アッハッハーの、アハハのハ。それほど見事なアレンジメント。枯れぬお花の生彩さ、眺めて心、なごませる。
間違えたったら間違えた。7月10日の「ひとりごと」、褒めた「具材の三種盛り」。ラーメン作って、食べてみた。チャーシュー薄くて、ペラペラだ。シナチク少なく、ショボショボだ。玉子ばかりが、存在感。ちょっとバランス、悪すぎる。三年前の念願が、叶った叶ったと大騒ぎ。ベタ褒めしたのは、大間違い。具材を個別に買ってきて、自分で盛り付けいたしましょう。食べて胃袋、なごませる。
間違えたったら間違えた。ホームページの更新で、新人の名前を間違える。有ってはならない大間違い。指摘してくれた人、ありがとう。新人さんには、ごめんなさい。新人さんを加える際、何かで中断したのだろう。そのまま忘れて、アップロード。指摘で間違え修正する。ホームページなら簡単だ。雑誌だったら、大問題。再確認は、重要だ。今一度見直そう、これからは。自分に言い聞かせ、なごませる。
7/14(木)のこの欄で紹介したお花。造花だったことに気がつきました。でも、贈った人も生花だと思い込んでいたようでございます。思い込みってのは、恐いですね。造花にせっせと水やり、う〜ん、ワタクシも焼きが回ったかなぁ。
7/10(日)で紹介した「具材の三種盛り」、実際に使ってみましたが、実に中途半端。あの具材をラーメンに乗せると、あとどうしても「ねぎ」が欲しくなる。結局、自分で具材を買ってきて乗せる、それに勝る調理法は無いようでございます。
さて、オフィシャル・ホームページに新人さんを追加する際、名前を間違えておりました。他の人の名前をコピー・ペーストした直後、ドアホンか電話が鳴ったのでしょう。名前の書き換えを忘れたまま、そのままアップロードしてしまったようでございます。いやぁ、お恥ずかしい。
本日の『たけしの日本のミカタ』というテレビ番組で、万年筆の修理職人を紹介しておりました。ワタクシも、万年筆は大好きでございます。ただ、普段使っているのは、ボールペンやシャープペンシルでございます。万年筆を使うのは、ある場合だけ。そのある場合とは、「ネタ」が天から降ってきたときでございます。
「ネタ」とは何ぞや? それは、頭の中に突然浮かぶアイデアでございますね。この「ひとりごと」欄の題材であったり、お店の企画であったり、ニュースを見た感想であったり、そのようなものが、それこそ、「突然」、頭の中に浮かぶわけでございます。
その浮かび方が、独特。いきなり全体像が「ポンッ」と浮かび上がる。言葉ならセンテンスや文章全体が、情景ならばイメージ全体が、そういったものが完成型の形で頭の中に現れる。よく「アイデアが空から降ってくる」と申しますが、まさにそんな感じでございます。
しかし、この「ポンッ」が困りもの。すぐに蒸発してしまうのでございます。そこで、慌ててメモ用紙なり、チラシの裏なり取り出して、書き留めるわけでございますね。ここで、万年筆登場! ボールペンやシャープペンシルではなく、わざわざ万年筆を取り出す理由が有るのでございます。
万年筆の特徴は、圧倒的に筆圧が少なくてすむこと。これ、重要。ポンッが消えないうちに慌てて書き留めようとしますから、とんでもない走り書きでございます。後から読み直した時、書いた本人でさえ判読難解な場合もございますが、それくらいの走り書き。高い筆圧が必要な筆記具ですと、筆と紙の引っかかりに気を取られて、ポンッのダウンロードが緩慢になってしまうのでございます。
感性のままに行動しようとするとき、「必要最小限の力しか入っていない」ということ、これ重要でございます。これは筆記に限らず、歌唱やダンス、楽器演奏、演技、あと職人さんの細かい作業など、感情や感性をダイレクトに表現しようとする場合の普遍的な感覚でございます。
しかし、最初から力が抜けた動作が出来るわけではございません。練習中、修得中は、力が入りまくります。力が入っているということは、それはまだ「意識下」にあるということでございます。練習をくり返し、動作が体に染みこんでいき、徐々に力が抜けてくると、次第に「無意識」の領域に入ってくるわけでございます。その時、感性と表現が融合いたします。
分かりやすい例を申し上げましょう。みなさん、ご自分の住所や生年月日は、何も考えずにすらすら言えますよね。自分の住所や生年月日なんてものは、完全に無意識の領域に押しやられています。ところが、引っ越しした直後に住所を言おうとしたら、ちょっと考えますよね。これは、まだその住所が「意識下」にあるから。意識下と無意識の領域とはそういう関係でございます。
練習や訓練で力が抜けていくということを、「枯れる」と比喩します。「枯れた演技」とか言いますよね。枯れていくというと、すべてにおいて力が抜けているようなイメージがございますが、そうではございません。本当に必要な部分だけに、必要な力だけが入っている、それが「枯れた」状態でございます。あのイチロー選手のバッティングフォームも、実に枯れておりますよね。
本日は、久々の夜遊び。ちょっとしたお祝い事がありまして、お店の営業が終わった後、女子大小路(名古屋中心部にある繁華街のひとつ)へ出かけたのでございます。知り合いのスナックのママさんが還暦のお祝いとのこと。で、深夜3時過ぎまで飲めや歌えの大騒ぎ。ノンアルコールビールとウイスキーの水割りを少しいただき、久しぶりにカラオケで歌ったのでございます。
カラオケで歌うのは何年ぶりでしょうねぇ。いやぁ、実に楽しい。カラオケってのは、独特の「没入感」があるのでございます。そのひとつに、あのマイクの性能。いや、マイクは多分普通のものでしょう。そのマイクが繋がっているカラオケの機械に、きっと秘密があるのだと思います。とにかく歌いやすいように、そして声が綺麗に聞こえるように完璧なチューニングが施してあるのでございましょう。カラオケで歌うときには、いつも実感することでございます。
ダイナミックレンジという語がありまして、小さな音から大音響までの幅の広さを意味します。マイクが拾うダイナミックレンジは非常に幅が広く、そのままアンプに入力すると簡単に音が歪んでしまうのでございます。ですので、その幅を圧縮する回路がカラオケの機械などには必ず付いております。そしてさらに、音質を調整する回路で、誰にでも聞き心地の良い音質に調整するのでございましょう。その結果、誰が、どんな声量で、どんなマイクの持ち方をしても気持ち良く歌える、そういったチューニングの仕方が、カラオケ機器のキモなのでございましょう。
伴奏も、一時期の通信カラオケの時代に比べると、雲泥の差でございます。昔のは電子音感がハンパなかった。というか、普段からカラオケで歌っていらっしゃる方には自明のことでございましょう。ワタクシがカラオケから離れすぎているだけのことですよね。原曲から耳コピーでスコアを立ち上げる職人さんがいるとのことですが、その技術のたまものでございましょう。あ〜、キーチェンジを試せば良かったなぁ。多分、キーを変えても音質が損なわれないのでしょうねぇ、今のは。つうか、ワタクシ、どんだけカラオケから離れていたんだって話ですよね。
そういえぼ、ワタクシが小学生の頃、同級生に「流し」の子供がおりました。流しってのは「流しのギター弾き」のことでございます。ギターを持って飲食店に赴き、客の伴奏をしてお代を頂く、そんなお仕事でございます。と書いても、これで理解できる人がどれだけいるかなぁ。まだまだカラオケなんて無かった時代のお話でございます。その子の家に遊びに行くと、当時では高額のオープントラックのテープレコーダーと、大量の楽譜が置いてございました。多分、録音したものを耳コピーし、もちろん暗譜して、夜な夜な出かけるのでございましょう。それはそれで、非常に高度な職人さんのお仕事でございました。
昨日のエコーを切るというお話、実は、ワタクシがショーパブで働いていた頃、ショータイムで実際にワタクシがやっていたことでございます。この裏技、音響設備が完備した大きな箱ではあまり関係ございません。カラオケが置いてあるような小さな箱で、有効なのでございます。
お客様は、カラオケのあの独特なエコーが耳に付き過ぎております。ですので、ショータイムで同じ音響が響いても、カラオケの延長線上にしか見て頂けず、今ひとつ興味が湧かない感じ。ところが、エコーの付いていない歌声が響き渡るやいなや、「お、何だ、この声は?」とお客様の顔が俄然変わります。逆に言うと、いかにカラオケのエコーが一般の方々の耳に蔓延し、感性を鈍感にさせているかということでもあるのでございます。
さらに、ショーでカラオケを使うときというのは、伴奏のリズムが固定されておりますので、やはりお客様の注目を高めるために「あえてリズムを外して歌う」なんてことをいたします。早めに突っ込んだり、ちょっともたらせたり、わざと早く歌ったりゆっくり歌ったりとか。まったく同じ伴奏で何十回も歌っていると、こういう「姑息」な裏技を使いたくなるのでございます。もっとも、自分で「姑息」と書いているように、ひとつ間違うと、この技は小手先のみみっちい技にしかならないのでございます。
姑息になるか本当の表現になるか、その境目は「コントロールされているかどうか」ということでございます。コントロールされているという事は、「意識下」に有るという事。意識下にあることは「技術」。逆に無意識にやっていることは「癖」なのでございます。コントロールして技術として使っている内は有効なのですが、それがいつの間にか癖になってしまうと、ただ歌をこねくり回すだけになってしまうのでございます。
おやおや〜? おかしぃなぁ? ワタクシは数日前、動作を「無意識の領域」に持って行くことこそ肝要と申し上げました。でも今回は、意識下に置けとまったく反対のことを申しております。いったいどういう事なのでございましょう。これはですねぇ、実は無意識の領域に押し込んだものというのは、ちょっと気を許していると「腐る」ことがあるのでございます。
腐るとは、どういうことか? 本来、自分の感性の赴くままに作り込んだものが、無意識の領域に押しやられ、何十回も無意識に使っているうちに、いつの間にか微妙に変化してしまうのでございます。この「無意識」というのに落とし穴がある。無意識ですので、なかなか気づけないのでございますね。言い換えますと、「慣れ」というヤツでございます。あ〜、慣れってのは怖ろしいのでございます。
スポーツ選手などが突然スランプに陥るなんてのも、この慣れから技術を腐らせてしまうということなのかもしれません。いつも無意識に使っている技術が、いつの間にか、ほんのちょっとずれてしまうのでしょう。そして、そのズレが修正されたとき、いきなりスランプから抜けるなんてこともございます。無意識のうちに、このスランプに入ったり出たりしているプロ選手も多いのではないでしょうか。
では、腐らせないためには、何が必要なのでしょう。それは、自分のやっていることを客観的に見る能力でございましょう。メタ認知と言われる能力でございますね。無意識にやっていることを、もう一人の自分が一歩下がって冷めた目で見つめている。そういう感覚でございます。いや、見るのは自分だけではございません。一歩下がれば、自分を取り巻く環境や周りの人々も見えてまいります。
オリンピックが、ドーピングがらみでグダグダになっております。この土壇場に来て、「もう、わしゃ知らんけんね。各競技で勝手に決めてくれ(IOC談)」なんて元請けが下請けに丸投げ(笑)。丸投げされた方は、慌てて対応しております。
そもそも、「ロシア選手全部ダメ」と言った IOC の最初の物言いは、個人主義の西洋人らしからぬ発言。なんだか「部員の1人が飲酒したから、チーム全体が出場辞退する」なんて言い出す高校野球を彷彿とさせるのでございます。参加国がオリンピックをボイコットするというのは前例がありますが、IOC 側が参加国を門前払いとは、まぁ、よほど組織的ドーピングが癇(かん)に触ったのでございましょう。
この IOC の措置でちょっと問題になるかなと思うのは、各国際競技連盟ごとに基準が変わってしまう可能性が有ること。この問題を緩く考える競技団体と、厳しく受け止める団体との差が気になるのでございます。で、思い出したのが、大相撲。え〜と、話がポンポン飛びますよ。付いて来て下さいね。
つい先日行われた大相撲名古屋場所。この場所では、手つき不十分で取り直しという取り組みが非常に多かったのでございます。この欄でも書きましたが、もうね、あれで取り直されると、みごとに興ざめ。力士の方も集中力を欠いてしまい、なにやらあっけない取り組みに終わることもしばしば。相撲協会は相撲を面白くしようとやっていることなのでしょうが、なんか裏目に出ているような気がするのでございます。
そこで問題になるのは、行司ごとに基準がバラバラなこと。そこに輪を掛けて、審判部の基準もバラバラ。力士からして見れば、「昨日はこれで大丈夫だったじゃないか、なんで今日はダメ?」と思えることもあったのではないでしょうか。さらに、二回くらい取り直しになると、三回目は判定が甘くなるという現象も。場内興ざめの空気を行司や審判員が感じ取り、甘くなるのでしょうねぇ。
そこで、NHKのアナウンサー、意を決してこんなことを発しました。「私個人の意見を言うというのは恐縮ですが、息が合えば手をつかなくてもいいのじゃないかと思うわけで...」。おぉう、公正厳粛NHKアナウンサーの、恐れを知らぬこの発言。しかも、生中継。アナウンサー、言いながらドキドキしたでしょうねぇ。
それを受けて、解説の北の富士親方。「私の頃は、手つきなんて一切言われませんでしたねぇ。そのかわり、腰を落とせとはいわれました。」との発言。もうね、この千秋楽の大相撲中継、アナウンサーも解説も反体制、この柔らかい批判ぶりがちょっと小気味よかったのでございます。お洒落な北の富士親方、洋服だけでなく発言もマイペースなのでございます。
ワタクシ的には、立ち合いの瞬間は力士両者の駆け引きが出るところであり、重要なのは「息を合わせること」だと思うのでございます。不成立で取り直しになると、その手の内の一端が見えてしまって、興ざめなのでございます。
また、競技開始の合図が「息を合わせること」なんて競技は、世界でも珍しいのでございます。ワタクシは、その何かしらの基準では取り決めできない「精神」とか「空気感」といったものを大事にして欲しいのでございます。手つきを厳格にするというのは、踏み切りを監視しファールを出すという陸上競技みたいで、味気ないのでございます。「手をつかないとだらしない」という思いから厳格化に走った手つき問題でしょうが、逆に、世界には希な大相撲独特の空気感を失っているのでございます。
そうそう、ワタクシ、先週の金曜日に髪を切っております。美容院の先生に、「前回は、1月でしたね」と言われてしまいました。「お盆と正月にしか来ないって、昔の奉公人のお休みみたいですねぇ」と言われたとか言われないとか(笑)。で、現在はこんな感じ。
う〜ん、化粧してなかったら少年だな、いや年齢的に少年はずうずうしいか。でも、おじさんって感じじゃないし。じゃぁ「おばさん」?
と、まぁ、ショートヘアーの時には、なるべくメイクを欠かさないようにしているのでございます。ショートで何が楽って、とにかくシャンプーが楽。洗うのも乾かすのもあっという間。ロングヘアーのころは、長時間腰をかがめてシャンプーしてましたので、風呂に入って腰を痛めるなんてことがよく有ったのでございます。
若い頃のように体が頑丈ではありませんので、いろいろ故障しないように気をつけるわけでございます。そして、今年、ちょっとした変化に気がついたのは、汗をかく量が減りましたね。例年ですと、この時期は水を被ったように汗をかいておりました。が、今年は、そんなシャツが絞れるほどの汗というのはかいておりません。
よく高齢者は汗を書きにくいので熱中症になりやすいって言われますが、そろそろ高齢者の仲間入りかな。何てことを気にしながら、毎日、お茶2リットルを目標にして、出来るだけ水分を取るようにしております。
それでは、梅雨も明けて、これからさらに暑くなりますねぇ。がんばりましょうか。では、では。
明日、というか、これを読んでいらっしゃる多くの人にとっては「今日」でございますが、7/28(木)発売の『週間実話』に当店の広告が掲載されております。いつも通り、ちょうどまん中、「センターカラー」と呼ばれる場所でございます。以前も申し上げましたが、週間実話本体の金額が高めなので、この週間実話の割引を利用される方は非常に少ないのでございます。
余談ですが、このセンターカラーと呼ばれる場所、10年程前は、ニューハーフ関係のお店でひしめき合っておりました。東京・大阪・そして名古屋のニューハーフのお店で、見開き2ページのおおかたが埋まっているという時期が有ったのでございます。情報というのは同じ傾倒のものが集中していると効果が飛躍的に高まりまして、その当時のそのセンターカラーの広告は、非常に効果がございました。
さ〜てさて、その予約の時間になっても、いっこうにお客様が現れません。予約時間を20分ほど過ぎたところで、電話連絡が。「どうされました?」と伺いますと、「今、○○を走っているところ」とのこと。いやぁ、その場所からだと、まだ10〜15分はかかる距離。そこで、
「後に予約が埋まっているので、来て頂いても40分のコースしかお取りできませんよ」と電話で申し上げましたが、どうも伝わっていない様子。とりあえず、ちょっと急いで頂くように促して、お待ちすることにいたしました。
結局、来店されたのは、予約時間を40分ほど過ぎてから。フロントで「今からですと、40分のコースしかお取りできません」と申し上げましたが、それがお客様に伝わらない。そこで、後の時間が予約が埋まっているので、終了時間はずらせない旨。その結果、今からスタートですと、ギリギリ40分しか入れられない旨。分かりやすく説明いたしました。
すると、まぁ、どうしたことでしょう。そのお客様の談。「じゃぁ、別の女の子にしようかなぁ(ルンルン)」といった感じ。いやぁ、これはキツイ。ワタクシもキツイけど、コンパニオンもキツイ。当店は予約が入った時点で、コンパニオンに連絡を入れております。その時間に合わせてコンパニオンは準備をするわけでございますね。
準備をして待っていたあげく別の子に差し替えでは、コンパニオンの立つ瀬がない。お客様も90分でないと納得できない様子。そこで、ワタクシから提案。「では、また日を改めて出直されてはどうでしょうか?」と申し上げたのでございます。
その提案に、お客様も同意。結局、また来店していただくことになったのでございます。まぁ、驚きはいたしません。風俗店の受付をしておりますと、時々、こういったやり取りに出くわします。コンパニオンに連絡を入れていなければフロントで差し替えとかやれそうですが、当店はコンパニオンの準備の方を優先しておりますので、こういったやり取りになるわけでございます。
ここまで傍若無人ですと、むしろ清々しいのでございます。こういったお客様は「他のお客様の存在」に全く意識が向いてない感じでございます。多分、そういう性格なのでございましょう。「全ての女の子が、いつでも、自分1人のために待機していてくれる」とイメージしちゃってるのかも知れません。
もちろん、このようなお客様は、ほんの一部でございますよ。ただ、長年、受付をしておりますと、時々、出くわします。まぁ、勝手な推測ですが、ワタクシたちはコンビニなどで商品がいつも欠品なく完璧に陳列されている生活に慣れきっておりますので、そういったものと混同される方はいらっしゃるかもですね。ご本人にまったく悪気がございませんので、まぁ、責められないのでございます。
イチローの3000本が迫っておりまして、メジャーリーグのマリナーズ戦をNHKが本気モードで放送し続けております。チラリチラリと見ておりますが、本場米国でも、野球の試合はなかなかスタンドが満員というところまで行かないようでございます。やはり、サッカー人気に押されているのでしょうか?
サッカーなんかに比べると、野球は選手の動きが少なく、やたら時間がかかってダラダラ進行に感じられるのでございます。そこで、野球人気を取り戻すべく、野球のこんなルール変更を思いついたのでございます。まぁ、くだらないお話ですが、おつきあいあれ。
合理的精神からラグビーをアメフトに改造したアメリカ人が、どうして野球にもその合理性を適用しないのか不思議なのでございます。そこで、提案。攻撃と守備を、アメフトの様に「別立て」にするのでございます。攻撃の9人と、守備の9人、それぞれを別にラインアップを作り、両方で重複する選手がいてもOK。ですので、守備専門の選手、攻撃専門の選手というのが増えるのでございます。
当然、試合に参加する選手が倍増しますので、ベンチ入り出来る選手の数を、大幅に増やす必要がございます。2倍じゃ少ない。現状の3倍くらいかな。球場のベンチに全員が座って並ぶというのも壮観でございますが、まぁ、ベンチ裏でゴロゴロしていればいいでしょう。このベンチ入り人数を大幅に増やすのは、次の提案も関係しております。
もうね、どんどん入れ替わり自由。バレーボールかアイスホッケーかというくらいに、ころころ入れ替え自由にするのでございます。ラインアップを別立てにして打撃順を気にする必要ないからこそ、出来ることでございます。特にピッチャーに関しては、選手運用が楽になるはずでございます。
そんかわり、ピッチャーのマウンドでの投球練習はなし。サッと入れ替わり、さっさと投げる。入れ替わりはテキパキと。不調だったら1球で交代させればいい。バッターごとにピッチャーを代えるとか、もう何でも出来る。ピッチャーの疲弊も少なくなるのでございます。
野球で一番時間を喰っているのは、選手交代の時間でございます。監督がアンパイアに申し出るという「儀式」、あれ、無駄。まったく無駄。打順を気にせず自由に交代できるのですから、サッカーみたいに数字が表示された掲示板を掲げ、交代する選手はそれを見て走って交代。これでOK。
とにかく、野球というスポーツは、無駄に時間を食う「儀式」が多すぎる。先ほど申しましたピッチャーの投球練習もそうですが、野手がボールを回すとかいうのもやめる。プロなら、サッと登場して、出たとこ勝負でプレー。ダメならさっさと交代。これでいいのでございます。
勝利投手・敗戦投手の規定が、理不尽でございますねぇ。チームで戦っていて、誰か1人が「勝利投手」になるって、変でしょ。たった数球で勝利投手になっちゃう場合もあって、理不尽この上ない規定。あれを含め、野球全般の成績をもっと明細化する。
自分の部屋に戻りまして、お中元でいただいた蕎麦を湯がいて、ざる蕎麦を食す。歯を磨き、シャワーを浴び、ドライヤーで乾かしたりしておりますと、なにやら錦織選手が戦っている。ここで気になったのが運の尽き。気になって観ておりますと、別チャンネルではサッカーの試合まで始まっている様子。そちらはとりあえず録画することにいたしまして、テニスに集中、集中。
第1セットは危なげでしたが、第2セットは盤石な感じ。第2セットの途中まで観て、睡魔に勝てずウトウト。この時間に寝ると、明日は絶対に寝過ごすでしょうから、朝8時からのイチロー選手の野球は、録画しておくことに。なにしろ3000本が迫っておりますからね。と、こんな感じで、一日を終えて、眠りにつくわけでございます。
もうね、自分の生活がテレビ中心に動いているのもおかしいですよね(笑)。ホント、スポーツ中継てんこ盛りの夜でございました。これで、オリンピックが始まりますと、どうなるのか? 今から寝不足になる17日間を心配しております。
歴代まれに見る誹謗中傷合戦、そう揶揄してもよろしいのはないでしょうか。都知事選のことでございます。結果は小池さんの圧勝。組織票がガッツリ入ったであろう増田氏、鳥越氏に大差を付けた大勝利。東京都民は、与党・野党、両方に愛想を尽かし、一匹狼を選択したということですね。
「厚化粧」「病み上がり」そういった低レベルな言葉の応酬。果ては、選挙期間中に雑誌がスキャンダルを暴露するという大胆な行動。まるで子供の喧嘩でございます。小池氏が増田氏・鳥越氏と一線を画していたのは、この言葉合戦に踊らされなかったこと。逆に落選したお二人は、政策そっちのけで、この言葉合戦に顔を真っ赤にして応酬している始末。「選挙の技術」という点で、瞭然たる差が有ったのでございます。
この選挙の技術というもの、相手に何を伝えるかということでは、音楽や舞台、文芸などの表現の技術に通じるものがございます。つまり、選挙演説も「ひとつの舞台」で有るわけですよね。そこで重要なのが、やはり「客観視」。自分がこう発言したら、聞いた人はどう思うだろうか。そういった、俯瞰で自分の発言を見てフィードバック出来る能力、それが客観視でございます。
増田氏、鳥越氏が言葉合戦に踊らされている中、小池氏はひたすら「孤軍奮闘」をアピール。孤軍であることは重要ではございませんよ。重要なのは、孤軍というポジションにおいて、どんな「息づかい」で臨んでいるか、それが重要。その「息づかい」こそが選挙を勝たせるのだということを、小池氏はよく分かっております。そこは、選挙経験の豊富さが、ものを言っておりますよね。
でもこれは、小池氏のキャリアなら当然なこと。呆れるのは、増田陣営と鳥越陣営。与党、野党がしっかりバックに付いていながら、どうしてあんな低レベルな言葉の戦いに終始した? そこに、与野党全体の、現状の政治家の低レベル化を見るのでございます。策に溺れるというか、覇気が無い。選挙も舞台も同じ。小さな言葉遊びでお客の心を掴んだ後、お客を感動させるのは演者の「息づかい」なのでございます。
さて、当選した小池氏、都議会と対立することが予想されておりますが、これは現名古屋市長の河村たかし氏と名古屋市議会との関係と同じようなもの。大きな問題ではないのでございます。客観視が出来、適切な落としどころを見抜いている小池氏なら、上手にやり抜けるのではないでしょうか(その点、河村氏はそこまでクールじゃないので、ちょっと揉めることが多い)。