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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2016-07-24 【世の中には、腐ってからが美味しいなんて食べ物もあるわけで(笑)】

昨日のエコーを切るというお話、実は、ワタクシがショーパブで働いていた頃、ショータイムで実際にワタクシがやっていたことでございます。この裏技、音響設備が完備した大きな箱ではあまり関係ございません。カラオケが置いてあるような小さな箱で、有効なのでございます。

お客様は、カラオケのあの独特なエコーが耳に付き過ぎております。ですので、ショータイムで同じ音響が響いても、カラオケの延長線上にしか見て頂けず、今ひとつ興味が湧かない感じ。ところが、エコーの付いていない歌声が響き渡るやいなや、「お、何だ、この声は?」とお客様の顔が俄然変わります。逆に言うと、いかにカラオケのエコーが一般の方々の耳に蔓延し、感性を鈍感にさせているかということでもあるのでございます。

さらに、ショーでカラオケを使うときというのは、伴奏のリズムが固定されておりますので、やはりお客様の注目を高めるために「あえてリズムを外して歌う」なんてことをいたします。早めに突っ込んだり、ちょっともたらせたり、わざと早く歌ったりゆっくり歌ったりとか。まったく同じ伴奏で何十回も歌っていると、こういう「姑息」な裏技を使いたくなるのでございます。もっとも、自分で「姑息」と書いているように、ひとつ間違うと、この技は小手先のみみっちい技にしかならないのでございます。

姑息になるか本当の表現になるか、その境目は「コントロールされているかどうか」ということでございます。コントロールされているという事は、「意識下」に有るという事。意識下にあることは「技術」。逆に無意識にやっていることは「癖」なのでございます。コントロールして技術として使っている内は有効なのですが、それがいつの間にか癖になってしまうと、ただ歌をこねくり回すだけになってしまうのでございます。

おやおや〜? おかしぃなぁ? ワタクシは数日前、動作を「無意識の領域」に持って行くことこそ肝要と申し上げました。でも今回は、意識下に置けとまったく反対のことを申しております。いったいどういう事なのでございましょう。これはですねぇ、実は無意識の領域に押し込んだものというのは、ちょっと気を許していると「腐る」ことがあるのでございます。

腐るとは、どういうことか? 本来、自分の感性の赴くままに作り込んだものが、無意識の領域に押しやられ、何十回も無意識に使っているうちに、いつの間にか微妙に変化してしまうのでございます。この「無意識」というのに落とし穴がある。無意識ですので、なかなか気づけないのでございますね。言い換えますと、「慣れ」というヤツでございます。あ〜、慣れってのは怖ろしいのでございます。

スポーツ選手などが突然スランプに陥るなんてのも、この慣れから技術を腐らせてしまうということなのかもしれません。いつも無意識に使っている技術が、いつの間にか、ほんのちょっとずれてしまうのでしょう。そして、そのズレが修正されたとき、いきなりスランプから抜けるなんてこともございます。無意識のうちに、このスランプに入ったり出たりしているプロ選手も多いのではないでしょうか。

では、腐らせないためには、何が必要なのでしょう。それは、自分のやっていることを客観的に見る能力でございましょう。メタ認知と言われる能力でございますね。無意識にやっていることを、もう一人の自分が一歩下がって冷めた目で見つめている。そういう感覚でございます。いや、見るのは自分だけではございません。一歩下がれば、自分を取り巻く環境や周りの人々も見えてまいります。

無意識でやっている技術をメタ認知的に再確認するというのは、その技術を「意識下」に持ってくることに他なりません。そう、無意識と意識下の間を行ったり来たりさせることで、技術というのは熟成されていくのでございます。先ほど「慣(な)れ」の怖さを申し上げましたが、別の漢字を使った「熟(な)れ」という言葉もございます。音の響きは同じでございますが、こちらは文字通り、物事が熟練されるという意味でございます。

自分の技術を腐らせてしまうのか、あるいは熟成させるのか、それは自分次第。でも、熟成ってのは「腐る寸前が一番美味しい」なんて申しますよね。そう、「慣れ」も「熟れ」も、どちらも同一線上に存在し、ほんの紙一重の違いなのかも知れません。善と悪、愛と憎、ワタクシはこういったものを、表裏一体の紙一重といつも申しております。「熟」と「慣」も同様に、同じものの表と裏かもしれませんねぇ。といったところで、失礼いたしましょうか。みなさま、修練を重ねて下さいませ。では、では。


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