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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2016-07-25 【モスクワをボイコットしたときの山下選手の涙を、今だに思い出します】

オリンピックが、ドーピングがらみでグダグダになっております。この土壇場に来て、「もう、わしゃ知らんけんね。各競技で勝手に決めてくれ(IOC談)」なんて元請けが下請けに丸投げ(笑)。丸投げされた方は、慌てて対応しております。

そもそも、「ロシア選手全部ダメ」と言った IOC の最初の物言いは、個人主義の西洋人らしからぬ発言。なんだか「部員の1人が飲酒したから、チーム全体が出場辞退する」なんて言い出す高校野球を彷彿とさせるのでございます。参加国がオリンピックをボイコットするというのは前例がありますが、IOC 側が参加国を門前払いとは、まぁ、よほど組織的ドーピングが癇(かん)に触ったのでございましょう。

この IOC の措置でちょっと問題になるかなと思うのは、各国際競技連盟ごとに基準が変わってしまう可能性が有ること。この問題を緩く考える競技団体と、厳しく受け止める団体との差が気になるのでございます。で、思い出したのが、大相撲。え〜と、話がポンポン飛びますよ。付いて来て下さいね。

つい先日行われた大相撲名古屋場所。この場所では、手つき不十分で取り直しという取り組みが非常に多かったのでございます。この欄でも書きましたが、もうね、あれで取り直されると、みごとに興ざめ。力士の方も集中力を欠いてしまい、なにやらあっけない取り組みに終わることもしばしば。相撲協会は相撲を面白くしようとやっていることなのでしょうが、なんか裏目に出ているような気がするのでございます。

そこで問題になるのは、行司ごとに基準がバラバラなこと。そこに輪を掛けて、審判部の基準もバラバラ。力士からして見れば、「昨日はこれで大丈夫だったじゃないか、なんで今日はダメ?」と思えることもあったのではないでしょうか。さらに、二回くらい取り直しになると、三回目は判定が甘くなるという現象も。場内興ざめの空気を行司や審判員が感じ取り、甘くなるのでしょうねぇ。

そこで、NHKのアナウンサー、意を決してこんなことを発しました。「私個人の意見を言うというのは恐縮ですが、息が合えば手をつかなくてもいいのじゃないかと思うわけで...」。おぉう、公正厳粛NHKアナウンサーの、恐れを知らぬこの発言。しかも、生中継。アナウンサー、言いながらドキドキしたでしょうねぇ。

それを受けて、解説の北の富士親方。「私の頃は、手つきなんて一切言われませんでしたねぇ。そのかわり、腰を落とせとはいわれました。」との発言。もうね、この千秋楽の大相撲中継、アナウンサーも解説も反体制、この柔らかい批判ぶりがちょっと小気味よかったのでございます。お洒落な北の富士親方、洋服だけでなく発言もマイペースなのでございます。

ワタクシ的には、立ち合いの瞬間は力士両者の駆け引きが出るところであり、重要なのは「息を合わせること」だと思うのでございます。不成立で取り直しになると、その手の内の一端が見えてしまって、興ざめなのでございます。

また、競技開始の合図が「息を合わせること」なんて競技は、世界でも珍しいのでございます。ワタクシは、その何かしらの基準では取り決めできない「精神」とか「空気感」といったものを大事にして欲しいのでございます。手つきを厳格にするというのは、踏み切りを監視しファールを出すという陸上競技みたいで、味気ないのでございます。「手をつかないとだらしない」という思いから厳格化に走った手つき問題でしょうが、逆に、世界には希な大相撲独特の空気感を失っているのでございます。

ビデオ判定を導入しても、そのビデオを最優先して判定するわけでもございません。そして、「かばい手」「送り足」「死に体」といった曖昧な判定基準を残している大相撲。そんな曖昧な部分を残していながら、手つきを厳格にするというのはアンバランスでございますよね。もうね、大相撲は曖昧でいいのでございます。その曖昧さが、近年、ワクワクするようになってきたのでございます。どうか、曖昧でいて下さいませ。

さて、横綱昇進の基準も曖昧な大相撲。稀勢の里はどうなるのでしょうねぇ、といったところで今回は失礼いたしましょう。曖昧な大相撲、バンザ〜イ! では、では。


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