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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2010-08-01 30回以上噛むと、食後の血糖値上昇も抑えられるそうです

アッという間に8月でございます。今年の夏は暑くて暑くて、かなり体調を崩しております。体がそうめんとスイカしか受け付けない。コンビニ弁当とか食べちゃうと、もうお腹がもたれるもたれる...そうそう、そうめんのつゆにラー油を少し入れると中華風で美味しいというのを知り、一度試してみたいと思っているのでございますが、これがなかなか実現しない。まぁ簡単に試せばいいじゃないかとお思いでしょうが、事の真相はこういったこと。

何しろそうめんは1分ほどで湯上がってしまいますし、その1分ほどの間にテーブルの上に箸や食器を用意し、麺を冷やすための氷水を準備し、冷蔵庫からめんつゆと生姜を出して、と、そうめんを食べる時というのは、F1チームのピットスタッフなみの速さと手際で動いているのでございます。これが名古屋薫流のそうめんの準備風景。

で、その勢いのまま、出来上がった美味しそうなそうめんを、チュルチュルと胃の中に流し込んでしまうのでございます。ワタクシのお気に入りは、めんつゆに生姜を多めに。そして、煎りゴマををめんつゆが見えなくなるほどにバラバラと入れてしまう。もう食べ終わるころには、めんつゆを吸ったゴマしか残っていなかったりいたしますが、そのゴマと最後の麺を絡めて食べてしまうのが、これまた大好き。ゴマというのは香りが良いですよね。プチプチと弾ける食感も大好きでございます。あと、ゴマ粒ってのは、食後、忘れた頃に口の中のどこからかポロッと落ちてきて、これが得をしたような美味しさ。一粒で二度美味しい、まるでグリコのキャラメルのような楽しみがあるのでございます。

え〜と、話が脱線いたしましたね。そうめんの準備中もすごい速さで動いております。その勢いのまま、食卓のそうめんを食べてしまいますので、食事時間なんてあっという間。そして、食べ終わったあとに、ラー油に気がつくという始末。この失敗を、もう何回も繰り返しております。体が覚えている手順というのはすごいですよね。そうめんを作り始める時には、「今日は必ずラー油を入れやるぞ!」と思っているのに、体がいつもの手順を勝手に思い出し、夢遊病者のようにそうめんを流し込み、気がつくと入れ忘れている。う〜ん、まぁ、「口が卑しくて、がっついているだけでは」と、言う人もおりますけどね。

そういえば、カップ麺とかについてくる「隠し味調味料」みたいなの、あれも忘れること多いのですよね。ラーメンを食べたあとに、入れ忘れた小さなコショウの袋が残っていたりするのでございます。で、次食べる時には「このコショウをふたつ入れて、ますます美味しくして食べてやろう」という野心を持ち、同じカップ麺をわざわざ選んで買ってくるのでございますが、気がつくと、小袋がふたつ並んでいる。叩くとビスケットが増えるポケットというのはございますが、ワタクシのカップ麺は、食べる度にコショウが増えていく不思議なカップ麺でございます。ゆっくり食べた方がダイエットにもいいと言いますし、ゆっくり食べる習慣をつけなければいけませんよね。暑さで食欲が無い割には、食事の速さがハンパない名古屋薫でございました。


2010-08-09 原付免許しか持っていませんが

今日はね、免許証の更新に行ってきたですよ。当たり前と言えば当たり前なのですが、ワタクシの免許の更新は、毎回真夏の炎天下。暑さで汗をダクダクかき、グズグズの姿になってしまったころに写真撮影をするので、ワタクシの免許写真はいつもグズグズでございます。

かれこれ20年以上前のことですが、ワタクシがニューハーフになって初めて更新をしたときには、窓口の中の人達がなにやら揉め始めまして、散々待たされたなんて事もございました。まだまだニューハーフなんてものを知らない人も世の中には大勢いらっしゃる頃でございましたからね。一方、今回の更新はいたってスムーズ。色弱検査の担当の男性が、ワタクシの顔を見上げてニコッと笑ったのは、書類の性別欄に気がついたのでしょうかねぇ。最近はニューハーフに限らずいろいろな格好の人が更新に来るでしょうから、試験センターの人も慣れているようでございます。

次の更新は5年後。5年後のワタクシはどんな姿になっているのでしょうかねぇ?


2010-08-10 タレントと事務所の関係に近いですね

ご報告です。急な事ですが「上原のぞみ」が退店いたしました。事前のアナウンスが出来ず、お客様にはご迷惑をおかけいたします。従業員には、「辞めるときには早めに教えて下さい」とは言っておりますが、みんな様々な事情を抱えてこのお仕事をしておりますし、またストレスの溜まるお仕事ということもありまして、こういったことは時々あるのでございます。

常々従業員には、「自分をより高く評価してもらえるところがあるなら、あるいは、自分の志すところがあるならば、ご自由に変わって行って下さい」と言っております。便宜上「従業員」という言葉を使いましたが、コンパニオンというのは一人一人が「職人」であり「個人経営者」であると言えるのですよね。ですから、お店がコンパニオンを“使っている”のと同時に、コンパニオンがお店を“選んでいる”のでもあるのです。そりゃいつまでも働いて貰いたいですよ。でも、コンパニオンにもそれぞれの人生があり、それぞれの志が有るでしょうからねぇ。ここは、「去る者は追わず」ということで...ちょっと寂しいですけどね。


2010-08-12 めでたいお話し

いただき物の桃がちょうど食べ頃になりましたので、さっそくいただいたのでございます。瑞々しくて美味しかったのでございます。今回はこの桃がらみでふたつの発見がございました。

ひとつめ。ワタクシ、桃をむくときの種の外し方を知らなかったのでございます。いつも先に皮を全部むいてしまい、その後、果肉をグズグズにしながら中の種を出しておりました。それを店長の「夢乃みずき」に話しましたら、ナ、ナント!、皮をむく前に切り目だけを一周入れておいて、“捻(ねじ)る”のだとか。う〜ん、捻るというのは気がつかなかったのでございます。本当に勉強になったのでございます。そこで、さっそく試してみました。パカッとふたつに割った後、片方の果肉にしがみついた種を外すのにチョット難儀いたしましたが、みごと成功! めでたし、めでたしなのでございます。

ふたつめ。この文章を書いていて気がついたのですが、「みずみずしい」というのは「水々しい」ではなかったのですね(笑、本当にお恥ずかしい)。「瑞々しい」というのが大正解だとのこと。パソコンの自動変換なので気がつきましたが、手書きで書いていたら、間違いなく間違えておりました。この「瑞」という字、名古屋市には「瑞穂区」という地名がございますので、ワタクシ、小さいころから見慣れている文字でございましたが、実に、盲点だったのでございます。辞書で「瑞」という字を調べますと、「みずみずしいこと」「うるわしいこと」「めでたいしるし」なんて意味がございます。「瑞兆(ずいちょう)」なんて単語もあるようで、これまた勉強になったのでございます。めでたし、めでたし。

今回は、ひとつの桃から、ほんに、めでたい事ずくめでございました。めでたし、めでたし。

きれいに切った桃と熱いお茶で、美味しくいただきました


2010-08-17 あと100年ぐらいしたら、もっとクールに語り合えるかな

お盆もなんとか終了いたしましたね。今年は渋滞も少なかったようで、帰省などされた方は少しは楽だったのではないでしょうか。さて、この時期には決まってテレビ番組が「戦争」一色に変わるわけでございまして、ワタクシもボチボチ、そんな番組を見ておりました。今回は日本人と韓国人の直接対決とかありまして、意外と面白かったのでございます。というわけでもないのですが、ワタクシもちょっと戦争にまつわるお話をするのでございます。堅苦しくならないようにいたしますので、どうかおつき合いのほどを。

ワタクシの母親は、11歳で終戦を迎えております。戦前の教育を受けているせいか、朝鮮人や韓国人に対する差別意識をしっかり持っておりました。あと、もともと差別意識の強い性格だったのか、ネイティブアメリカン(アメリカインディアン)や黒人などにも、なんとなく差別意識がございました。少年期(!)のワタクシは母親のこの差別意識だ大っ嫌いで、よく母親と大喧嘩したものでございます。あまりワタクシが腹を立てるので、いつしかワタクシの前ではそのような話をしなくなりましたが、多分、70歳で死ぬまで、母親のその感覚は変わっていなかったと思うのでございます。

そんな母親は、テレビで戦争のシーンを見る度に、「東条英機のバカ野郎! アイツが一番悪いんや」とこぼしておりました。そんな母親も、町内会の慰安旅行ではバスの中で「同期の桜」を歌ったりしておりました。そういえばワタクシが小さい頃、母親は歌を歌ってくれと言われれば、この曲を歌っていたような気がいたします。差別意識を持ち、東条英機が大っ嫌いで、でも「同期の桜」を歌ってしまう、そんな母親でございました。

ワタクシは、父親とは幼少の頃に生き別れておりまして、ほとんど記憶がございません。ただ一度だけ父親に「戦争では何をやっていたの?」と聞いたことがございました。「南の島で、敵機が飛んできたらゼロ戦をジャングルの中に隠す仕事をしていた」と“嬉しそうに”答えたのを覚えております。ワタクシがゼロ戦のプラモデルを作って見せたりいたしますと、嬉々としていろいろ説明をし始めたりいたしました。

ワタクシの父親も母親も「絶対に戦争を繰り返したくない」という強い意思は持っていたはずでございます。しかし、戦争を憎みつつも、その戦争を生き抜いたそれぞれの青春時代は、輝いていたのでございましょう。世の中には、戦争体験は絶対に話したくないと、堅く口を閉ざす人もおります。韓国のように、マスコミが“憎しみの再生産”をしている国もあれば、未だに戦争に関しては奥歯にものが挟まったような言い方しかできない日本という国もございます。戦争の当事者がまだまだご存命なうちは、はっきりとした妥協点を見いだす事は難しいのかも知れません。「事実は伝えるが、憎しみは伝えない」、これがワタクシの望みでございます。


2010-08-24 何も考えないって、すごく難しいよね

以前よりワタクシ、コンパニオンは「職人」だと申しております。ニューハーフファンのコラムにも書いたのですが、この職人の仕事には「天才型」と「秀才型」があるのでございます。分かりやすく例えますと、天才型が長嶋茂雄で秀才型が王貞治といったところでしょうか(例えが古ッ!)。

天才型の人ってのは“感性の人”なのでございまして、物事の完成形が最初から頭の中に出来上がっております。その完成形というか理想を形にすべく、一直線に努力するわけでございます。「まず理想有りき」で行動しますので、その理想が当たれば大ヒットでございます。しかし、外れると箸にも棒にもかからないということにもなりかねない、実にギャンブルな人生を送りやすいタイプでございます。

一方の秀才型は、“紆余曲折の人”なのでございます。多くの試行錯誤の結果、自分にとっての理想型を見つけていくのでございます。「とりあえず試してみる」というスタンスで行動しますので、ときには失敗することもありますが、その失敗の理由はよく分かっておりますので、その失敗を次の成功に結びつけるのでございます。この小さな失敗と成功を繰り返しながら、自分の仕事を理想型に近づけて行くのでございます。小さな失敗を重ねている結果、打たれ強いタイプであるとも言えるのでございます。

さて前置きが長くなりました。コンパニオンにもこの天才型と秀才型がおりまして、この両者の方法論の違いから、お仕事の最中にちょっとしたストレスを生み出す事がございます。天才型の人が秀才型を見ると、物事に細かすぎて神経質な印象を受けたりいたします。逆に秀才型が天才型を見ると、大ざっぱでいい加減に見えてしまったりする。ワタクシはそういった人たちを俯瞰した立場で見ておりますので、どちらのタイプの気持ちも実によく分かる。どちらも同じ目標に向かっているのですが、その方法論の違いが、それぞれにちょっとした違和感を感じさせるのでございますよね。

方法論は違えども、目標とするところはみんな同じなんですよね。そして、その目標というか理想に辿り着いてみると、以外と理想というものは単純明快だったりするのでございます。「シンプル・イズ・ベスト」とは、よく言ったものでございます。「何も考えない」、「何もしない」、こういったことが理想だったりすることもございます。「分かり合える」ということは相手を分かる事ではなく、ひょっとすると何も考えずに相手を受け入れることではないか、そんな事もふと思ったりいたしました。


2010-08-28 時計がなかった頃には当たり前でした

相変わらず暑い日が続きますが、ワタクシ、数日前から“秋風”の香りを感じております。暦の上の「立秋」は8月の上旬、今日あたりは風が涼しくなるという「処暑」を少し過ぎた頃でございます。自分の感覚と暦とを透かし重ねてみると、時々、その微妙な符合のしかたに驚いたりすることがございます。

8月下旬と言えば、そう、夏休みの宿題。子供の頃は宿題の山を前にして憂鬱になる時期でございました。最近はこの時期に自由研究用の教材がいろいろ出回るようで、東急ハンズなどでそういったものを見つけると、別に発表する場所が有るわけでもないのに、ついつい買っちゃったりするのでございます。今年の夏も、買っちゃいました。なぜかシースルーの時計の教材が気になって。それから、『大人の科学』というシリーズから「和時計」というものが出ておりまして、あ〜、これも衝動買い。どうもメカニカルなものに弱いようでございます。

シースルーの時計は、大きな歯車が見えていて非常に面白いのですが、やはりそこは子供向けの教材、ゼンマイを一杯に巻き上げても数時間で止まってしまう。さらに、「カッ、カッ、カッ、カッ」と、まるでメトロノームのような大きな音。まぁ当たり前ですが、とても実用的ではなく、飾って楽しんでおります。

もうひとつの「和時計」。これは大当たり。簡単に説明しますと、時間を刻む天秤のようなもの(天符:てんぷ)が、昼用と夜用で2本付いております。1周24時間の針がちょうど180度回転するたびに、その昼用と夜用の天符が切り替わるのでございます。これは何を意味するか? そう、江戸時代の時間は「不定時法」と言われるもので、早い話が、「日の出はいつでも朝の6時、日没はいつでも夕方の6時」と決めてしまうわけでございます。あぁ、6時というのは分かりやすく現代の表記に言い直しただけでございます。この不定時法、諸外国には全く例を見ない日本独自の文化だそうでございます。

で、夏と冬では昼と夜の長さが違いますよね。そこで、夏は昼用の天秤をゆっくり、夜用の天秤を早く動くように調整し、1日の帳尻を合わせるのでございます。当然、冬はその真逆の設定。昼と夜の長さは毎日少しずつ変化していきますので、昼用、夜用の天秤棒の調整も、二四節気ごとに少しずつ変えていかなければなりません。結構面倒くさい上に、あまり正確ではないのでございます。そんな時計のどこがいいのか? さぁ、それをこれから説明いたしやしょう

よく、「夏は日が長い」とか言いますよね。天文学的には、昼間の時間が長いのですから当たり前でございます。ところが、「日の出は朝6時、日の入りは夕方6時」と決めている不定時法では、「昼は時間がゆっくり進み、夜は早く進む」という感じになるのでございます。そう、この和時計は、その昼と夜との時間の進む速さの“感覚的な違い”を実際の針の動きに反映させてしまうという、何とも“人間寄りな”時計なのでございます。

もっとも、針を等速で動かし、で文字盤の方に細工を施した方がはるかに構造は簡単なのですが(実際、そういう和時計も有る)、それをやらないところに、この時計の「粋(いき)」が有るのでございます。そして、世の中には、実際にこの不定時法で生活をしている人もいらっしゃるとのこと。夏は長い昼をのんびり過ごし、冬は夜長を楽しむ。日の出とともに行動を開始し、日没を一日の区切りとする。毎日を時間で追われる生活をしていると難しいですが、この不定時法による生活パターン、ちょっと魅力を感じるのでございます。ワタクシも現場を離れ年金生活をするころには(って、いつの話だ?)、この不定時法の生活を意識してみましょうかねぇ。


2010-08-30 市民マラソンを企画し、その収益を寄付するとかなぜやらない?

ここ数日間は、City Heavenの広告原稿の作製や、ニューハーフファンのコラムの執筆に追われておりました。お店の事務所の中がとてつもなく暑いので、お店を店長の「みずき」とスタッフの「もえ」に任せまして、ほぼ一日中、涼しいところに避難して原稿を書いておりました。遅い時間に店に戻りましたら、お店の雰囲気にちょっとした違和感が。まぁこれは推測ですが、ワタクシが一日中姿をくらましておりましたので、ワタクシの機嫌が悪いと皆が思い込んだのかもしれません。「ママ、元気で留守がいい」状態かと思っておりましたが、そうでもないようでございます。

話は変わって、テレビで「はるな愛」さんのマラソンのドキュメンタリーを放送しておりました。ワタクシ、あの日テレの「愛は地球を救う」とかいう24時間番組、あまり好きではありません。ですから普通は見ないのですが、今回はランナーが「はるな愛」ということで、特別に見ておりました。

あまりクドクド書きたくないのでアッサリ書きますが、断れないような状況に追い込み、リタイア出来ないような状況に追い込み、そんな追い込んでばかりの企画のどこに「愛」があるのですか? あんなくだらない企画、今年限りでやめちまえ!、なのでございます。「はるな愛」さん、ほとんど歩いておりましたが、完走お疲れ様でした。


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