店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
店舗が何部屋にも別れていたり、休止中ではございますが2号店もございますし、あと、寮もありますし、ということで、電気・ガス・水道も、それぞれ複数の契約をしております。そうそう、あと電話回線もございますね。電話も、店舗・携帯電話合わせますと6回線分ほど契約しております。
たくさん契約しておりますと、それぞれで請求書などが発生し、またそれぞれで支払いや引き落としのタイミングが違います。非常に面倒くさかったりするものでございまして、以前は、一覧表を作ってチェックするなんてこともしておりました。
「以前は」と申しましたのは、数年前から、NTTを初めとして複数の契約をまとめるというシステムが作られたからでございます。一番便利なのは、やはりNTTの「おまとめ請求」。光回線2本、ISDN加入電話、4本の携帯電話、これらが全部ひとつの請求書で管理され、毎月、まとめて引き落としされるのでございます。
その後に追随したのが、東邦ガス。ガスや電気で問題になるのは、複数の契約の「検診日」が違っていて、請求日がバラバラだったこと。しかし今や、東邦ガスも、1枚の請求書に全契約が網羅され、まとめて引き落とされております。請求書も簡素にまとめられていて、GOOD!! なのでございます。
さて、問題なのは、中部電力。中部電力からは、毎月契約数分の郵便物が送られてきて、それぞれに請求書と月報が入っております。同じ住所に送っているのだから、せめて郵便物をまとめるくらいしても良さそうなのに、それが長年出来てない。
するとですねぇ。中部電力からお店に電話がかかって参りました。丁寧な女性の声で、これまた丁寧に説明をしていただきました。その電話では、「請求書・領収書をひとつにまとめた物を送付するようにいたします」とのこと。な~んだ、ちゃんとそういうシステムが有るんじゃない。あぁ、簡単、簡単。と、その時は思ったのでございますが、事はそう簡単には運ばないのでございます。
次の日に、中部電力の同じ女性から、またお店に電話がございました。「昨日、まとめた物を送付すると申しましたが、その様なシステムが無いので、個別の請求書・領収書とは別に、総額をまとめた請求書を別にお送りします」というお言葉。う~ん、ますます郵便物が増えたのでございます(笑)。
不思議なのは、銀行引き落としに関しては、中部電力は古くから、複数契約をまとめた総額で引き落としていたのでございます。どこかに契約をまとめるシステムがあるはずなのですが、それを流用することが出来ないのでしょうね。逆に東邦ガスは、以前は銀行通帳に複数契約分の引き落としがズラッと並んでおりました。しかし、システム改変で、今では総額で引き落としに変わっております。
トランペッターの日野皓正さんが、話題になっております。中学生にビンタをしたとか。まぁ、中学生も反省してますし、中学生の父親も当然だと言っておりますし、これ以上新たに騒ぐことでもないような気がいたします。
母親にビンタされたのは2回。どちらも小学校低学年。小学校の集団下校の途中に行方不明になり、家に戻ったらいきなり母親にビンタをされたのでございます。ワタクシは、多分、何かを見つけて追いかけていったのでしょう。ただ、このビンタで、「下校途中で行方不明になるのは重罪」ってのを学習したのでございます。
もう1回は、旅行先で。川下りがある場所なので、岐阜当たりかなぁ? 川辺で遊んでいたら、地元の子供と仲良くなったのでございます。地元の子供がヒョイヒョイと崖を登っていくので、ワタクシも付いて登って行き、崖の頂上に二人で腰掛け、眼下の川下りを眺めておりました。
すると、川下りの乗客が、崖の頂上に座る子供たちを目撃。危ないということで、その後警察に通報(通報されるほど危険な場所だった)。ワタクシとその地元の子供は、おまわりさんにこっぴどく叱られることになったのでございます。迎えに来た母親に、やはりビンタ一発。このビンタで「命がけで遊ぶのは重罪」ってのを学習したのでございます。
この事件のちょっと前に、体育の授業中にワタクシは窓ガラスを割ってしまっているのでございます。その時は、きちんと担任の先生に報告いたしましたよ。すると、授業中の出来事なのでお咎(とが)めなしの無罪放免。
単細胞の当時のワタクシ、この時に「学校の窓ガラスを割っても無罪」という定理が脳裏に刻まれるわけでございます。で、その後、休み時間でのガラス破損事件でも「無罪」という勝手な理屈で放置。ビンタされることになるのでございます。このビンタで「無条件の定理など有り得ない」ってのを学習したのでございます。
同級生からのビンタは、小学四年生でございます。ある同級の女生徒(スケバン風)から、軽いイジメを受けておりました。なぜか、放課後に待ち伏せされて、なんか訳の分からないことで叱られて、ビンタをされる。そんなことが時々ございました。
それがね、そんなことが何日か続く内に、その待ち伏せが嬉しくなって来るのでございます。友人等が「逃げればいいのに」と助言するも、雪女に導かれる旅人のように、ワタクシはその女生徒に吸い込まれていったのでございます。
母親の仕事の都合で転校することになり、そんな奇異な関係は1ヶ月ほどで幕を閉じることに。ビンタという行為ではありますが、両者には何かしら心引かれる衝動が有ったのは間違いなく、小学四年生にして、このビンタで「SMの原点」を学習したのでございます。
ワタクシのビンタ体験は、こんなところかなぁ。親や先生や他人も含め、もし大人が子供をビンタするとしたら、それは子供の生命の危機に関する時かなぁ? 子供ってのは危険なことに関して鈍感ですからね。危ないことをしたときには、痛みで覚えさせるってのは必要だと思っております。
9月の最初ってのは、みなさん忙しそうですからね。特に、子供さんがいたりすると、学校が始まったりいたしますし。転勤や移動が多いのは、一般企業だと10月ころでしょうか。公務員だと、9月が多いと聞いております。
ノンビリした日曜日でしたが、昼過ぎから核実験のニュースで持ちきり。重ねて、眞子さまの婚約のニュースが報道されますが、なんか核実験のきな臭いニュースで、おめでたい話もめでたさが薄まってしまったのでございます。
昔、婦人週刊誌に宮内庁がクレームを入れたことがございました。皇室の記事と下着メーカーの広告とが、見開きの右左に並んで配置されていたのでございます。皇室と下着姿の女性を並べるとは何事だ! ということでしょう。今は緩くなったのでしょうか?
とのこと。同じ「言葉を扱う芸能」ではありますが、片や、頭の中に残すものだとして覚え、片や、吐き出した途端消えていくものだとして覚える。落語家さんのこの感覚、興味深かったのでございます。落語とドラマを両立させている談春さんならではの、感覚でしょう。
以上、落語のお話でございますが、これは、舞台や音楽にも似たような感覚がございます。舞台・音楽ってのは、演じた途端に消えていく芸術でございます。特にドラマってのは、同じ台本を何度も演じるということがございません。
消えていく芸術なのでございますが、時として、同じ演目や曲を何回もやることにもなるわけでございます。数回くらいのレベルですと、終わりますと綺麗さっぱり忘れちゃいます。ところが、数十回というレベルになると、今度は逆に、頭の中に残ってしまい忘れることが出来なくなる。芸能にとって、この「忘れることが出来なくなる」というのは、チョイト面倒なのでございます。
頭の中に残りすぎますと、それが「飽き」につながるのでございます。飽き、または「慣れ」と申しましょうか。これが表現の邪魔をすることがある。演者ってのは上昇志向ですから、「前回よりも良い演技(演奏)を」と常に思っているわけでございますね。
しかし、ここに飽きや慣れが関わりますと、今までと同じ事を繰り返すことが苦痛になる。変える必要のない部分まで、不用意にこねくり回したくなる。そして、迷走するということも有るのでございます。頭に残すことも必要。でも、時として、忘れることも重要だったりいたします。
最期に、もう一つ。言葉を扱う職業で「辞書編纂(へんさん)」というものがございます。広辞苑などの辞書に入れる言葉を日常生活から拾い集め、それの説明文を付け、辞書に加えるという職業でございます。その職業に携わる人が、こんなことを申しております。
「広告代理店も辞書編集者も、どちらも言葉を集める仕事。でも、広告代理店が集める言葉は、”パッと咲いたばかりの花”、”芽吹いたばかりの芽”、”散り始めた花粉”であって、今の瞬間を萌えさせ、消えていく言葉。しかし、辞書編集者の集める言葉は、地面に降り積もって土になって腐葉土になって、次の日本語を育てる土壌になるもの」
今日は、お店終了後に、すぐに仮眠。2時間ほどウトウトして、起床。サッカーの試合を観戦しようと思ったのですが、結局、ウトウト。気がついたらハーフタイムが終わって後半戦が始まっておりました。見終わって、今、これを書いております。これ書いたら、二度寝するつもりでございます
サッカーと野球って、よく比較されますよね。サッカーの試合後に、今日の○○は調子が良かったとか悪かったとか批評されますが、ワタクシはあれが不思議。画面を見ていても、調子が良いとか悪いとか全然分からない。というか、誰が誰なのかが全然分からない。
一方、野球の方は、一目瞭然。打率とか被安打とか、各選手の成績が数字になって表れてまいります。もっとも、結果の数字だけで判断されるのは、選手としては心外なこともあるでしょうけどね。でも、ワタクシのような人間には、野球の成績は非常に分かりやすいのでございます。
あと、野球は、ポジションがハッキリしている。これも分かりやすい。人が入り乱れないというの、これは見ていて楽ですよね。各ポジションで役割がハッキリしている。これも分かりやすい。サッカーはね、入り乱れるでしょ。そして、フォワードとかバックとか言いながら、結局、みんな入り乱れてる。ポジションとか、あんまり関係なくない?
サインも、野球はハッキリしている。というか、サインを交わしている間、プレーを止めてみんなが待ってますよね。あれも、分かりやすい。サッカーには、サインは有るのでしょうか? 有るとしたら、プレーをしながら意思疎通するわけですよね。う~ん、不思議、不思議。
スキャナーというもの、分かりますでしょうか? 書類を読み込んでデジタルデータに変換する機械でございます。お店のスキャナーがとうとうご臨終となりまして、今回、新調することになったのでございます。とりあえず、新旧のスキャナーを並べてみました。
左側のは、16年前の家庭用最高機種。右のは、現在の家庭用最低機種。機能に違いは有るとはいえ、小さくなりましたよねぇ。16年前に購入したものが大きいのは、フィルムを読み込む機能があるからでございます。フィルムの時代は、その機能でフル回転していたのでございます。
さて、この壊れたスキャナー、どうやって処分しようか悩んでいたのでございます。お店が入っているビルのルールに従えば、不燃ゴミ袋に入るサイズであれば、不燃ゴミとして出すことが出来るのでございます。ただ、もったいないですよねぇ。壊れているのにもったいないとはどういうことか、こういうことでございます。
このような電子機器には、電子回路の部品に金などの貴重な金属が使われております。量的に微量とは言え、これを不燃ゴミに出してしまうのはもったいない。同様の理由で、わが家には山ほどの電子機器が溜まっているのでございます。
タワー型パソコンが2台、ノートパソコンが6台、プリンタが3台、キーボードが3~4枚、あとビデオレコーダーとかラジカセとか、かなりの物がお店の倉庫に積み上げられております。やはり、電子機器を不燃ゴミに出せずに、溜まっていったものでございます。
ところがですねぇ、今回、ほんと、偶然、非常に興味深いダイレクトメールがビックカメラから送られてきたのでございます。「パソコン・小型家電リサイクル」の案内でございます。新しいスキャナーを購入したのはビックカメラ。で、この案内はビックカメラから。う~ん、意図的に送られたのだとしたら、アッパレなのでございます。
ビックカメラのサービスは、1箱詰め放題で¥1,780。箱の大きさは、タテ・ヨコ・高さを合わせて160cm以下ということですので、かなり大きい。しかし、30kg以内という制限があるので、まぁ入れられる数は限られてくる。箱を用意すれば、佐川急便が取りに来てくれますので、お手軽って言えばお手軽でございます。
「小型家電リサイクル」って言葉がチョイト気になりまして、検索してみたのでございます。すると、環境省とか経済産業省なんて文字が出てくる。政府主導でやっているリサイクルのようでございます。ビックカメラだけでなく、区役所や家電量販店なども扱っているようでございますが、そちらの方は、サイズが15 × 40 × 25 cmとちょっと小さめ。入れられる物が限られてくるのでございます。
本日は、ちょっとしたアクシデントがございました。ポリデントじゃござんせんよ、アクシデント。ワタクシの連絡ミスから、スペシャル90分のコースのお客さまをコンパニオンが60分で帰してしまったのでございます。
コンパニオンは、お客さまを送り出した直後に、伝票の数字を見てビックリ。ワタクシは、接客終了の連絡が早すぎるので、オヤオヤ? 確認をしにコンパニオンの元へ行きますと、コンパニオンも困った表情。問うまでもなく、何が起きたがすぐに把握したのでございます。
お客さまにはすぐに連絡いたしまして、次回来店時に差額を割引させていただくということになりました。いやぁ、お客さまも(電話なので見えませんが)笑顔で応対して頂きまして、ありがたいのでございます。今回は、申しわけございませんでした。
電子機器がこれだけ発達しているにもかかわらず、今の電話機の音声は非常に悪く、聞き間違えのリスクを常に抱えているのでございます。まぁ、その前に、ワタクシが言い間違えている可能性も大いに否定できないわけですが、それに関してはムニャムニャムニャムニャ。
今、NHK-BSで連続テレビ小説『こころ』を放送しておりますが、奇しくも本日の回のエピソードが、電話予約で「ヨッカ」と「ヨウカ」を聞き間違えるというもの。いやぁ、他人事ではないです。ワタクシも電話を受けている者として、こういうエピソードは、ドキドキするのでございます。
「ヨウカ(八日)」という語は、危険ですよねぇ。お客さまが電話で「ヨウカ」と言われましても、ワタクシは「ハチニチですね」と復唱をしております。なんか「ハチニチ」とか言うの、実に馬鹿っぽくて頭の悪い子だと思われそうですが、この復唱で聞き間違えに気づく事も時としてございます。
あと、「イチジ(一時)」と「シチジ(七時)」も、モスト・デンジャラス! このどちらの時間も、電話予約では非常に人気の有る時間というのが、デンジャラスに拍車をかける! これらも必ず「ジュウサンジですね」「夜のナナジですね」と復唱をしております。う~ん、はやり、文字で書くと、馬鹿の子みたいですねぇ、ホジホジ。
こういった聞き間違えを防ぐノウハウと言えば、やはり軍隊。自衛隊の数字の読み方を採用しようかと思ったこともございました。これですと、1時(13時)は「ヒトサンマルマル」。2を「フタ」と読みますので、「1時20分」とかは「ヒトサンフタマル」。
いやぁ、面白い。これならば、絶対に聞き間違えはないでしょう! 個人的には、是非、是非、導入したいとは思いますが、コンパニオンから苦情が出ることは必至でございましょう。お客さまに使った日にゃぁ、「ニューハーフになる前は、自衛隊だった?」と聞かれそうでございます(笑)。
Eテレの『オイコノミア』という経済学の番組がございます。先日の放送の内容が、非常に興味深かったのでございます。「経済学で考える、人生は運か努力か?」というタイトルで、「運」というものを経済学的に分析していたのでございます。
人は成功した時、その成功が「運」なのか、あるいは自分の「努力」なのかを考えるのでございます。大抵は、「運」と「努力」の両方が作用しているものでございますが、そのどちらにウェイトを置くかというのは、本人の個性に因るのでございます。
ここで、経済学的に面白い統計が有るとのこと。税収入的には「運」にウェイトを置く人が多い方が、社会が潤うのだとか。運で成功したと考える人は、納税や寄付をし易いそうでございます。逆に自分の努力にウェイトを置く人は、納税や寄付に関しては財布の紐が固くなるらしいのでございます。
さて、ここで、ワタクシ的に、客商売での「運」と「努力」の関係を分析いたしましょう。サービス業、特に客商売というのは、「運」も「努力」も両方とも必須なのでございます。特に最近は、お客さまの流れが予想しにくい。ですので、「来店」というのはある意味「運」なのでございます。その運が巡ってきた時に十分な接客が出来るかは、日頃の準備、つまり「努力」なのでございます。
運が良くお客さまに恵まれる人も、日頃の努力を惜しんでその運を取りこぼすこともございましょう。また逆に、日頃の努力を重ねても、なかなか運に恵まれない人もございます。そういう人は、どこかで心が折れてしまい、少ない運を取りこぼすやも知れません。運と努力、どちらに偏ってもうまく行かない。客商売は、バランス感覚が必要なのでございます。
これとは別に、商売にはもっと大きな運のうねりがございます。1ヶ月とか、半年とか、あるいは1年とか数年とか。そんな大きな周期の「運」「不運」の波が有るのでございます。この周期は、やはり読めない。今のうねりが、いつ、うねり返すのかは商売の神様しだい。では、この大きなうねりに、「努力」がどう絡んでくるのかお話しいたしましょう。
経済学において「運にウェイトを置く人は、納税や寄付をし易い」というのが冒頭のお話。これを客商売的に言い換えますと、「納税や寄付」に当たるのは「投資」でございます。つまり、「運を信じる人は、投資をためらわない」「運を信じない人は、投資が出来ない」ということになるのでございます。
商売は、運だけでもダメ、努力が必ず実るとも限らない。運が巡ってきた時に適切に投資することが必要なのですが、それも必ず成功に繋がる保証は無い。いやぁ、不確実性理論満載なのが商売なのでございます。ただ、その「投資」さえも出来ないと、その後の不確実性どころか確率はゼロになるわけでございます。
「運」を信用できない人は、「ここぞ」という時に「投資」が出来ないのですよね。この「投資」、必ずしも大きな額ではございませんよ。「運」の種類や大きさによっては数百円かもしれない。投資をためらわない人は、小さな運であろうと常に投資を続け、その内のいくつかが大きく実を結ぶかも知れない。投資が出来ない人は、常にためらい続け、運を取りこぼし続けるのでございます。
「投資」って書くと、株や不動産の様な何か大きなものを想像しちゃうでしょうが、ここでいう投資は「自分への投資」。服を新調するとか、アクセサリーを買うなんてのも自分への投資。上質の商売道具を調達するとか、知識を身につけるために本を購入するとか、それが必要となった時にためらわずに手に入れようと出来ること、それが投資なのでございます。こうやって書くと、自分への投資ってのは、ある意味、「努力」でも有るのでございます。
そして、投資ですから、無駄に終わることもある。「投資できる人」というのは、最初からこの「無駄になる可能性」を折り込み済みで投資している。たった1つの投資で元を取ろうとは考えておりません。いくつかの投資の中で何かが当たり、トータルでプラスになればいい、そう考えるのでございます。
最近は通販でほとんどの物が購入できまして、お店の備品もほぼ全て、通販で調達しております。まぁ、便利な世の中になったものでございます。で、先日、トイレットペーパーを発注しようとして、ある異変に気がつくわけでございます。
「いつもの品物」が無い! これまで発注していた商品が、廃番になっております。サイト内を検索いたしますと、代替品として新しい商品がアップされておりました。いろいろ興味深い新商品、とりあえず取り寄せまして、新旧並べて写真を撮ってみたのでございます。
左側は従来品、右が新製品。パッケージには、「ロングロール2倍巻」とか「収納スペース1/2」なんて謳い文句がプリントされております。新旧どちらも2枚重ねのトイレットペーパー。従来品は、30m巻が12本入り、新製品は60m巻が6本入り。まぁ、”総延長”はどちらも360mでございます。
パッケージから出してみました。写真ではあまり差違はないですが、持った感触は全然違うのでございます。従来品がふかふかのマシュマロくらいだとすると、新しいのは硬式のテニスボールくらいの感触。カッチカチ! 試しに、両者の横っ腹を、親指で力いっぱい押してみたのでございます。
う~ん、50過ぎのワタクシのお肌と、ピチピチ18才のお肌くらいの違いが有るのでございます。新製品は、かなり固く巻いてあるようでございます。とは言え、同じ大きさで2倍も巻けるものでしょうかねぇ? ということで、ちょっとめくってみました。
かすかに、新製品の方が透けているような気もいたします。重さを量ると、従来品が125g、新商品が215g。同じ長さで比較いたしますと、新製品は従来品の86%の重さ。やはり、ちょっと薄くなっているようでございますね。
ちょうど”もよおして”まいりましたので(食事中の方、失礼)、使ってみました。う~ん(ダジャレじゃないですよ、笑)、ちょっと薄めで固く巻いてあるせいか、使用感は(2枚重ねになっていない)シングル巻のものと似ている。従来品があえてフンワリと巻いていたのは、まぁ意味があることだったのかも。
ちょっと前に斉藤由貴さんのお話をいたしましたが、なんか懐かしくなって、時々斉藤由貴さんのCDを聴いております。特に「夢の中へ」は、ショーパブのショータイムで使わせていただきまして、当時、一儲けさせていただきました。今なら、JASRACが徴収に来て大変だったかも。まぁ、28年も前の話ですからね、時効、時効、ケケケ。
今、あらためて聴いても、何というか、フワフワコロコロした人ですよねぇ、斉藤さん。天然系って言うか、自然体というか、あまり物事を深く考えない人なんでしょう。生まれ持った資質とは言え、芸能人として貴重な存在だと思いますよ。
水商売・風俗でも、天然系の人がバカ売れすることは多いものでございます。作為的なものを感じさせないのが、いいのかも知れません。ある意味、正直一直線でお客さまと向き合っているとも言えます。この「無作為に正直に」を”何も考えずに”やれるって言うのは、やはり天賦の才能でしょうね。
ワタクシなんかは、ロジカル系でございます。物事を論理的に考え、理詰めで行動するタイプ。ですから、天然系の人とは対極でございます。実際、お水や風俗の現場で働いていたときも、天然系の人が羨ましかったものでございます。
普通に接客し、さぁお客さまをお返しするというタイミングになったとき、なぜかその子、「お疲れさま~」とばかりに帰宅してしまったのでございます。しばらくすると、お部屋からお客さまの呼ぶ声が。店長が言ってみると、帰り支度をしたお客さまが途方に暮れて待ちぼうけを食らっておりました(笑)。
こんなエピソードも、本人にまったく悪気がないから責められない。むしろ可愛く見えてくる。いやぁ、得な性格でございます。そして、こういう失敗も微笑ましいエピソードとしてプラスに働いてしまう。天然系の子が売れやすい要因でございますよね。
昨日は、「斉藤由貴さんの不倫問題なんて吹っ飛んじゃいましたね」なんて申しましたが、間が悪いというか何というか、本日、斉藤由貴さん本人が不倫を認める発言をして、この話題を蒸し返しております。消えかかった話題を本人が蒸し返す。わけ分からないのでございます。やはり、天然系は理解しがたいのでございます。
さて、今日はドラマのお話。2ヶ月ほど前に、ドラマ『コードブルー』のお話をいたしました。初回はそこそこ期待できたのでございますが、回を重ねるごとにどんどん失速。最近の数回は、ちょっと見るのが苦痛な程。来週で最終回ですが、どんな結末になるのでしょうか。
医療ドラマって、「リアリティーに振ったもの」と「オチャラケに振ったもの」とがございます。『コードブルー』『救命病棟24時』、海外ドラマの『ER』なんてのはリアリティー重視でございます。一方、『ドクターX 〜外科医・大門未知子〜』などはオチャラケ重視。まぁ、どっちつかずの中間のものも有りますけどね。
リアリティー重視の『コードブルー』がリアリティーを失ったら、もう見所が無くなるのでございます。そこで、今シリーズでポイントとなるのが、脚本家が変わったということ。女性の脚本家に変わったそうですが、その影響がもろに出ている感じがするのでございます。
この女性の脚本家さん、医療ドラマ、苦手なんじゃないかなぁ。ネタが無くなり、他のドラマの定番ストーリーを拝借してきた疑念がございます。そして、このドラマが確実に押さえておかなければならない「リアリティー」を、軽視しまくっております。
フェロー(新人)の成長劇を描くために、わざとダメダメなフェローを最初に登場させました。これが、リアリティー、ゼロ! 最初に落としておけば、後から上げるのが楽、あぁ、脚本家の怠慢。フェローとは言え、直前まで救命の最前線にいた人たちのはずですよ。出来る人の自信満々の鼻っ柱を折るというストーリーの方が、ドクターヘリの過酷さを表現出来ると思うのですけどね。
フェローを簡単に褒めすぎる。これは、リアリティーというか、これまでのシーズン1・2の世界観と違うので、違和感を感じるのでございます。指導医からなかなか褒められずに鍛えられてきた主要登場人物たちが、自分が指導に回る立場になると、あっさりフェローを褒めてしまう。
一般企業などでは「褒めて育てる」という流れが増えてますが、このシリーズは「褒めないこと」で医療現場の過酷さやリアリティーが伝わったのでございます。前作・前前作の世界観を踏襲出来ないというのは、脚本家だけを責められないですよねぇ。「チーム」とか「仲間」という語がドラマの中で出てきますが、う~ん、このプロデューサーは『ONE PIECE』世代かな?
女性の脚本家ということで、自分の得意分野の「愛情劇」に持ち込もうとしましたよね。結果、安易なカップルが出来上がり、また安易な理由で別れていく。医者の葛藤、患者の葛藤が、家族の葛藤が、薄っぺらい「思いやり」とか「同情」で語られる。そんな人間の感情を超越したところにあるプロフェッショナルな世界を、見たかったのですけどねぇ。
エボラに感染したかも知れない医師が隔離され、検査結果を恐怖しながら待つ。その隔離病室を恋人が訪れ、室内で愛を語り合う。いや、有り得ねぇって。隔離されてるんですよ。しかも致死率80%のエボラの疑い。愛を語り合う空気じゃないでしょ。これも、リアリティー、ゼロ。
本日は深夜の2時から新しい iPhone が発表されるということで、アメリカからの同時中継を頑張って見始めましたけど、あっさり、最初のBGMとざわつきの段階で寝てしまったのでございます。まぁ、今回は、アップルにしては情報がリーク(漏洩)しまくりで、ワクワク感もありませんでしたしね。
さて、話は変わりまして、先日の9/7の産経ニュース、警察庁が駐車禁止を緩和するというニュースがございました。緩和すると言っても、宅配中のトラックに限るということ。宅配業者は深刻なドライバー不足に悩んでおりまして、ドライバーの負担が軽くなるというのは、宅配業界にとってはやや追い風となるのでございます。
これと関連して、こんなニュースもございました。ちょいと前にヤマト運輸が値上げを発表いたしました。値上げすれば荷物量も減り、ドライバーの負担が少しでも軽くなるだろうという狙いだったのですが、これが全然効果なし。値上げにも関わらず、ほとんどの大口契約者が契約を継続したそうでございます。
ということは、今までの料金が過剰サービスだったということでございますよね。もう、ほんと、通販の「○○円以上、送料無料」とか、やめた方がいいのでございます。非常に便利な時間指定も、配達する側からするとかなりの負担。都市部では、コンビニ受け取りのシステムを、もっと普及させられないでしょうかねぇ。
さて、お話を産経ニュースに戻しましょう。現状では、宅配トラックの多くは、有料駐車場に入れております。そこから小さな台車でその区域を走り回るわけでございます。大きな荷物、重たい荷物だったりすると、大変でしょうねぇ。駐車場が満車だったら、どうするのでしょう? というので、宅配業者は以前から、道路上に駐車できるように要望を入れていたそうでございます。
今回の警察庁の試案は、駐車禁止の場所でも「駐車可能」の標識がある場所では駐車できるようにするとのこと。その場合でも、標識の下に「集配中の貨物に限る」というただし書き(補助標識)が付けられるそうでございます。エ~ッ、その標識のある場所だけ! ケチくさッ、警察庁。
その標識のない場所は、相変わらず駐車禁止なのですよね。どんだけの標識を新規設置することになるんです。あぁ、税金の無駄、無駄、無駄。しかも、紛らわしい、曖昧。「集配中の貨物」がどの範囲に及ぶかが規定されてない。普通の乗用車でも「今、配達中だ」と言ってしまえば駐車出来ることになる。あぁ、曖昧、曖昧。
そこでですね、ワタクシ、以前にも同じ事を申しましたが、新しい種類のナンバープレートを新設するのでございます。今、よく目にするナンバープレートには、白、緑、黄色といった色がございます。この色を増やすのでございます。そして、その新しいナンバープレートは、宅配の様な頻繁に駐車を余儀なくされる業種に使うのでございます。
この新プレート、税金は他のよりちょっと高め。でも、現状、都市部の宅配業者は一般駐車場の使用料金を払っているわけで、これに見合う額であれば、十分に現実的。また、郊外や地方といった駐車スペースに困らない地域は、普通のプレートを選択すれば良い。業者側が地域の現状に合わせてプレートを選択できるというのが、ミソでございます。
鈴木砂羽さんの舞台の話が、話題になっております。女優の鈴木砂羽さんが主演と演出を兼ねた舞台で、出演者2人が公演直前に出演を辞退したというお話。鈴木砂羽さんが土下座を強要したとかしないとか、そんなお話でございます。
それは、ワタクシが通っていた演劇学校の卒業公演でございました。ワタクシはすでにいくつかのミュージカルに出演しておりまして、その学校では30過ぎの最年長。ワタクシ以外の人は20代前半の人が多く、舞台経験のない人もチラホラおりました。
その卒業公演の演目ですが、4人の若者が結託して世界征服を目論むが、最期は自滅してしまうというお話(ほんと、うろ覚えでゴメンナサイ)。劇中に、歌を歌うシーンが有る。有ると言っても、ミュージカルのように演技しながらではなく、寄り添って合唱するといった感じ。ワタクシ、年長者ということもあって、主役級の4人の中の1人だったわけでございます。
この時の演出家は、その演劇学校の校長先生。この先生が、威圧的な稽古をするわけでございます。まぁ、それは問題ない。威圧的な演出家なんてのは普通。それ前提で、舞台の世界に足を踏み入れているわけでございますから。ただ、ちょっとワタクシ的に心配だったのは、その演出担当の先生が、音楽の知識に皆無だったことでございます。
さて、稽古を進めていきますと、実に些細なことで稽古が止まり、そのワンシーンだけ執拗に稽古が続く。演出家の拘りなので仕方が無い。仕方が無いのですが、本番の日程は決まっているわけで、ワタクシとしては「間に合わない!」という感情が沸き上がってきたのでございます。
まだ、歌部分の稽古はスケジュールも決まってない。伴奏も発注しなければいけないはず。なまじっかミュージカルの経験が有ったから必要以上に焦ったのかも知れませんが、「この演出家、歌部分が念頭にない!」と、ワタクシ思い始めたわけでございます。
で、ワタクシが取った行動は、舞台のマネージャーに相談すること。このマネージャーというのは、演出家の息子さん。マネージャーにワタクシの思いの丈を話し、歌部分の稽古や準備はマネージャーが進めてくれるようにお願いしたのでございます。同時に、ワタクシも歌練習のためのデモテープを自分の声と伴奏で録音し、歌のある出演者に配っておりました。
ひとつ歯車が狂い出すと、他の部分も鼻についてしまうようになるものでございます。脚本の解釈とか、演出の仕方とか、稽古の日程とか、「あぁ、自分ならもっと上手にやれるのに」という”思い上がり”が首をもたげるのでございます。ガンダムを下ろされた時のアムロ・レイの心境でございますね(笑)。
そして、舞台稽古に入りますと、ワタクシがプッツンする出来事が起きるのでございます。実際の舞台は、稽古場よりもはるかに広い。普通、稽古の段階で稽古場に実際の舞台の大きさをラインで引きまして、実寸で動きを確認する稽古をするものでございます。ところが、この舞台では、稽古場でそのような実寸を確認するという稽古が無かったわけでございます。
舞台稽古に入り、どうするのかなと思いきや、演出家、稽古場の寸法で動けとのこと。広い舞台を狭く使えと言ってきたのでございます。ここで、ワタクシ、プッツン。もう、そんな指示を無視して、舞台全体を使う大きな演技を自分勝手に始めたわけでございます。
これには、演出家も、名指しはせず遠回しに注意。他の演者は、ワタクシを指さして非難ゴウゴウ。ワタクシの中で「良い舞台を作ろう」という感情は消え、「私は正しい!」という思いで占められたのでございます。今、思い出すと、ちょっと恥ずかしいお話。
結局、ワタクシが自主規制しまして、無事に舞台は開演。ただ、「本当は私が正しいのに」という思いは舞台が幕を閉じた後も消えることがなく、結局、みんなが誘ってくれた「打ち上げ(終演後の飲み会)」を断って、1人帰路についたのでございます。今でも克明に思い出される、ワタクシのトラウマのひとつでございます。
どうすれば良かったのでしょうかねぇ。「この演出家にはついて行けない」と思った時に、早い段階で辞退すべきだったでしょうか? 少なくとも、演出家を見下す気持ちがワタクシに芽生えた時、「離れるか」あるいは「折れて服従するか」の決断をすべきでございました。気持ちが曖昧なままに進んで行ったことで、結果的に土壇場で問題行動を起こすことになったのでございます。
さてさて、冒頭の鈴木砂羽さんの件の、ワタクシなりの感想を。土壇場で降板なんかすると、いろんな人にメチャクチャ迷惑がかかります。だからみんな、稽古中は怪我をしないように、病気にかからないようにと、細心の注意を払って初日に臨むわけでございます。ですので、自分の感情でドタキャンするなんてのは、それこそ「人道にもとる」行為でございます。
大相撲では日馬富士が1回転して負けちゃいまして、大波乱。それ以前に、休場者いっぱいの今場所。やはり、酷暑の名古屋場所の後、巡業が続いての9月場所ですからねぇ、名古屋の暑さが影響しちゃうのかなぁ? ほんの少しですけど、名古屋市民として責任を感じるのでございます(ウソ)。
プロ野球は、本日にも優勝が決まりそうな勢い。優勝に関係する試合「広島×Dナントカ」「阪神×巨人」が急きょ放送されるってんで、まぁ他に見るものもなかったので、ボチボチ見ておりました。両試合とも、8~9回の攻防が大変。2つのチャンネルを行ったり来たりしながら見ておりました。
大相撲も休場力士が多い場所となっておりますが、当店も、9月中旬にお休みが重なっておりまして、責任者としては非常にお客さまに対して心苦しい状態となっております。まぁ、その分、月末には出勤が重なって大勢出ておりますので、どうかご勘弁を。
昨日の演出家のお話で、演出家は「孤独」だと申し上げました。学生の頃、ブラスバンドの指揮者をやっていたこともございますが、これも孤独でしたねぇ。自分以外が、全部、敵に見えてくる。弱音を吐くと、楽団員は指揮者を舐めてくる。こちらは舐められまいと、時にはハッタリもこく。
ただね、客演の指揮者が来た時など、今度は自分が演奏者側に回ることもあるのでございます。すると、どうでしょう、今度はワタクシに指揮者を舐めようとする気持ちが湧いてくるのでございます。おかしいですよねぇ、自分が指揮をしていた時は、舐めてくる演奏者に手を焼いていたくせに、立場が変わると、今度は自分に指揮者をいじめようという気持ちが出てくるのでございます。
こういうのはね、両方やっていると、良く分かる。舞台の「役者と演出家」、音楽の「演奏者と指揮者」、そして経営の「経営者と従業員」。自分の店に関しても、「自分が従業員の頃は○○だったなぁ」と思い出すこともございます。
この「両方の立場」を知っていることが、良いのか悪いのかは分かりません。「知っているから、分かり合える」ということも有れば、「知っていたために、情に流される」ということも有るわけでございます。まぁ、本人次第ということになっちゃいますよね。
これは、ワタクシが30代の頃に自分のプロフィールに書いていたものでございます。いやぁ、ちょいとキザ過ぎるかな。「優しい」というのは大切なこと。でも、優しすぎて情に流され、かえって自分が傷つくことも多かったのでございます。
次は、漢字の問題。これはどう読むのでしょう? これはね、「したたか」と読むのでございます。辞書を引きますと、「強(したた)か」の他に「健(したた)か」という漢字もございます。「心が強(つよ)く、健(すこ)やか」なのが「したたか」ということなのでしょうか?
さぁ、どういう事でしょうかねぇ? 人間の肌には「痛点」という痛みを感じる器官が体中にございます。「痒み」も「痛み」も、その痛点への刺激に因るものなのでございます。刺激の程度が弱いと痒く、強いと痛くなるのでございます。
さぁ、哲学的な文が登場しましたよ。痒みと痛みが同じものだったように、愛情と憎しみも同じもの。程度が弱いと「愛情」となり、度を超すと「憎しみ」となるのでございます。何となく、イメージできますでしょうか。
で、ここでお話がループいたしますよ。冒頭のお話。「優しい」を「愛情」と例えますと、「優しすぎる」のは「憎しみ」に変わるわけでございます。おぉ、恐い、恐い。過ぎたるは、及ばざるがごとし。何事も、中庸(ちゅうよう)が大切。
中庸ってのは、「偏らないまん中」って意味。どうすれば、まん中でいられるかな? 沸き上がる衝動を抑え込んでまん中を保つには、「強(つよ)さ」が必要。そう、優しいというのは、度を超さないように自制できる強さの事なのでございます。
その強さが身についてまん中に立った時、人は「自分の足で立っている」という実感が湧くのでございます。地に足がつくと、物事を冷静に見る「目」が育ちます。その状態を、「健(すこ)やか」と申します。「したたかに生きる」というのは、「強い心を持ち、自分の足で立ち、穏やかな心でものを見られる」という生き方なのでございます。
「したたか」って言うと、何か「ずるい」というイメージが有るかも知れませんが、ワタクシは、「自分がしたたかである」ことは、「他人への愛情」だと思っております。人を助けるとか、何かアドバイスするときには、まず、自分が地に足を付けていることが重要、そう考えるからでございます。
各リンクの「実際のリンク先」を吹き出しにして貼り付けております。詐欺メールのまん中当たりに、超怪しいリンクがございます。多分、これをうっかりクリックしますと、パスワードを再入力させるようなページに飛ばされるのだと思われます。
今回、ヤバイのは、偽装度が高いこと。だいたい、詐欺メールってのは変な日本語が使われていて、一目で「怪しい」と感じられるのでございますが、これの日本語はまとも。本物のメールの体裁をかなり偽装しているのでございます。
各リンク先を見ていただくと分かりますが、下の方のプライバシーポリシー等は、本物のアップルへのリンクを貼り付けております。ただ、ちょっと手抜きなのは、日本語訳がされてないところ。正規のアップルからのメールは、この部分はちゃんと日本語にローカライズ(翻訳)されております。
さて、かの「超危険」なリンク先を見てみましょうか。見かけの文字は「http:/idmsa.apple.com~」で始まっておりますが、実際のリンク先には「apple」の「a」の字もございません。正規のメールを見ていただきますと、全てのリンクは「○○.apple.com」で始まっておりますよね。超危険なリンク先が、アップルと何ら関係ないのが一目瞭然なのでございます。
このリンクアドレスに、もうひとつポイントがございます。今、アップルの全てのアドレスは「https://」で始まるのでございます。えっ? 何が違うのかって? 「http」の後に「s」が付いてるでしょ。「https」というのはページ読み込みの際に「認証」「暗号化」が施されるのでございます。この小さな「s」によって、成りすましを防ぐのでございます。
詐欺メールの超危険なリンク、「http」で始まってますよね。httpで始まるアドレスは、文字などが暗号化されず平文(ひらぶん)で送られます。そのページの身元を署名する「証明書」のやり取りも行われません。実は、httpで始まるアドレスは、偽装やりたい放題なのでございます。
「こころ旅」という番組がございます。火野正平さんが自転車で日本中を走り回るという番組ですが、その特別編が昨日放送されておりました。行き先は「栃木県日光市」。そこにある、とあるダムの横を通過した時に、そのダムの名前がワタクシの記憶をほじくり出したのでございます。
「五十里ダム」。五十里と書いて「いかり」と読みます。変わった地名でございますが、この「五十里」という名前の先生がいたのでございます。高校の世界史の先生でございました。当時、見た目、70才くらいに見えたのですが、定年とかどうなっていたのでしょうか? あるいは、極端に老けて見えていたのかな。
「講釈師、見てきたような...」とは申しますが、ほんと、史実を見てきた様にお話しする先生でございました。話が脇にそれることも多く、その脇話を全部黒板に書いていきますので、ノートを取るのが大変な先生でございました。
ある日の授業、授業開始の挨拶が有り、五十里先生が黒板の方を向いた時に、ある異変に教室の生徒全員が気がついたのでございます。先生のスラックスの、後ろ両側のポケット二つが、スラックスの上にはみ出して、ダランと垂れ下がっていたのでございます。
ポケットの内袋が裏返って外側に出ているというのは、よくあること。しかしこの場合は、内袋がそのまま上に翻(ひるがえ)ってスラックスの上から見えているのでございます。しかも、後ろの二つのポケットが両方とも。グレーのスラックスの上に、白い内袋が飛び出し垂れ下がっている様は、実に奇妙。教室の生徒全員が、注目し始めたのでございます。
いったい、どういう履き方をすればそのようになるのか? 教室のいたるところで、ヒソヒソと会話が始まりました。明らかに、いつもとは違う教室の雰囲気。さすがに、五十里先生も、その教室の不穏な空気に気がつくのでございます。が、しかし、理由は分からない。次第に、五十里先生、不機嫌になっておりました。
そして、とうとう、授業時間の半ばあたり、五十里先生、怒りだします。普段は穏和な先生でございますが、その先生の怒る姿を、教室内の全員が初めて目にしたわけでございます。何が起きているかは、先生以外の生徒全員が理解している。けれど、その事情を切り出せる生徒は、誰も居ない。その後、教室の空気が冷たく固まったまま、その日の世界史の授業は終わったのでございます。
その後、五十里先生の後ろのポケットが飛び出すことは、二度とございませんでした。誰かに忠告されて、気をつけるようになったのでしょう。一方、世界史を受ける教室の空気は、それ以来、少し変わった様に覚えております。少なくともワタクシは、穏和な先生を怒らせてしまったという罪悪感をほんの少し感じておりました。
今日は「就業時間」のお話。近年、一般企業でも「就業時間」の定義が変わりつつあります。一方、当店の様なお店は、一般企業とはちょっと給与体系が違います。そこで、最近の若い新人さんなど、就業時間に関しての感覚の違いを感じることが少なくないのでございます。
まず、一般企業がどう変わっているか。ワタクシは普通の社会人をしていたこともございますが、昔は、就業時間と言えば「実際にお仕事を始める時間」でございました。ですから、「就業時間までに着替えを済ませる」というのが常識でございました。
今は、「制服がある場合は、着替えも就業時間に含めなければならない」というのが一般的な考え方でございます。労働者に優しい考え方でございますね。就業時間がはっきり決まっている一般のお仕事の場合は、これでOK。しかし、当店の様な「どこからどこまでが就業時間?」なんていうお仕事ですと、チョイトややこしいことになるのでございます。
当店のような業種は、「1本いくら」でギャラが発生いたします。あえて「ギャラ」という語を使いました。お仕事の受け方、ギャラの発生、こういうのは芸能界の仕組みと似ているのでございます。つまり、仕事があればお金が貰える。仕事がなければ待ちぼうけ。お店に待機していたとしても、その待機に対してはギャラは発生しないのでございます。
ここで、普通の感覚の人が、当店のような業種に入ってきたとしますよね。お店の営業時間は13時から。すると、13時に来てそれから準備を始めるなんてこともございます。終わる時も、受付終了時間の少し前に化粧を落とし始めたりなんてことも。もし入れ違いに予約が入っていたり選ばれていたりしたらと思うと、受付としてはヒヤヒヤものなのでございます。
また、営業開始の13時よりちょっと早めに来店されるお客さもいらっしゃいます。1分でも早くコンパニオンに会いたいのでしょうね。コンパニオンから「出勤してます、準備完了」の連絡を貰っていれば、当然、受付としては「お客さま、お願いします」とコンパニオンに伝えるのですが、ここで「え? まだ営業前でしょ」的な顔をされることもございます。
昨今、当店のような業種、特にニューハーフの業種は、就業時間などの扱いに関して大きな変革の時期にございます。というのも、かつてのニューハーフ業界は、体育会系の業界だったのですよね。出勤シフトがガッチリ固められておりまして、遅刻・欠勤などには高額の罰金がございました。先輩・後輩の縦社会の中で、若い人や新人は、その仕組みの中に、まぁ好む好まざるに関わらず組み込まれていったのでございます。
今や風潮は180度変わりまして、自由の風が吹きまくっております。出勤シフトは自分で自由に決められる。遅刻・欠勤にも、罰金は皆無。店内の人間関係にも、体育会系の雰囲気は微塵もございません。先ほど申しました就業時間の感覚の違いも、「この世界はこういうものなの」と押しつけるのではなく、きちんと分かるように説明する義務がお店の方にあると考えております。
この説明も、また難しくてねぇ。自由の風は「拘束されること」を極端に嫌うのでございます。「○○して下さい」と言えば、反発を買う。結果、「○○した方が、得ですよ」的な言い方をして誘導することになるのでございます。
そんなわけで、自由出勤が当たり前の時代になり、その結果、お店全体の出勤状況も不規則になるのでございますよね。コンパニオンが極端に少ない日とか多い日とかが、出てくるわけです。今の時代、お店はそういうのを受け入れざるを得ないでしょうねぇ。お店がコントロール出来ることは、かなり限られてきております。
NHK-BSの再放送の方の連続テレビ小説、次は『花子とアン』だということで、超感激! この作品、当時話題になってから最後の1週くらいだけ見て、すごく気になってたのですよね。1話から見られるというのは、感激。でも、あの再放送枠の内容、誰がどうやって決めてるんでしょうねぇ。
今の『ひよっこ』も好きですが、ここ最近のお気に入りは『あさが来た』『ごちそうさん』でしょうか。脇役で出演した人が、その後主役に抜擢されるというのが多いようで、脇役の人達もなんか気になる最近の朝ドラなのでございます。
琴奨菊が阿武咲に勝利。かたや33才のベテラン、かたや21才の若手。決して万全ではない今場所の琴奨菊ですが、順風満帆の阿武咲に快勝。素人目ではございますが、今場所の琴奨菊はちょっと体のキレが良いように感じるのでございます。
以前ならば、立ち会いでかわされたりいたしますと、そのままブレーキが利かず、土俵の外まで飛び出すなんてことも多かったのでございます。今場所は、それが無い。足の踏ん張りが効いている。6勝4敗と微妙な成績ですが、復活して欲しいですよねぇ。
阿武咲の親方の阿武松さん、現役時代のしこ名を「益荒雄(ますらお)」と言っておりました。ワタクシが子供の頃、わけも分からず親につき合って大相撲を見ていた時、子供ながらに気になったのが、「益荒雄」「魁傑」「麒麟児」なんて名前。う~ん、画数の多い名前が好きなようで、子供ながらに暴走族的趣味が...
車のヘッドライト、夜間にハイビームにするかロービームにするかでニュースになっております。ハイビームにしていたら、もっと事故を減らせていた可能性があるとのこと。一方、まぶしさからのトラブルが増えることになるという意見もございます。
あのライト、ハイビームにしても対向車からまぶしくなければいいわけですよね。ハイビームだけど、腰の高さ以上の光をカットする「ロー・ロング」なんて光は出せないのでしょうか? レンズの形とか、遮光板をつけるとか、出来そうですけどね。
中日ドラゴンズ、巨人に10対2で快勝! この時期にバカ勝しても、なんか微妙。中日ドラゴンズと言えば、やはり、落合さんが居た頃の時期が、一番好きだったかなぁ。落合さん居なくなってから、急に興味が無くなりましたからね。でも、なんか球団からの評判悪いんですよね、落合さん。う~ん、残念。
野球の解説で牛島さんの顔を見つけたりすると、もう気分上々。現役時代、大好きでしたからね。あと、好きだったのは、「都裕次郎」投手。高校野球の頃から「変わった名前だなぁ」なんて思っていたら、中日に入団。今は、中日のスコアラーをしていらっしゃいます。現役の頃、いつも心配そうな面持ちで投球していたのが、妙に可愛らしかったのでございます。
安室奈美恵さんが、引退。この発表でショックを受けている人も多いのではないでしょうか。ワタクシはと申しますと、もうちょっと世代が前ですので、あまりショックでもございません。ただ、もったいないなぁとは思うのでございます。
結婚や出産をを経て、歌い方が変わる歌手の方は多いものです。松田聖子さん、岩崎宏美さん、宇多田ヒカルさんなどもそうですよね。アイドルというのは、恋愛をする前から失恋や別れの曲を歌わされるものでございます。その虚像であった恋や愛や母性愛が、結婚・出産を経て「実像」に変わるわけでございます。当然、歌に乗せる想いも深くなったりするものでございます。
安室奈美恵さんも、結婚・出産・離婚を経て、これから歌のスタイルが変わっていきそうな時期ですが、そのタイミングで引退ってのは、もったいない気がいたします。「変わることの怖さ」が有ったのでしょうか。自分のスタイルが固まっている人ほど、変わるのが恐いものでございます。
歌い方が変わる要因として、声域の問題もございます。年を取ると、どうしても高い音域が出にくくなるものでございます。トレーニングで維持できる人もいますが、多くの場合、最高音のいくつかが出なくなり、自分の歌でありながらキーをいくつか下げることになったりするのでございます。
実際、ワタクシは、松田聖子さんも岩崎宏美さんも宇多田ヒカルさんも、全盛期よりも最近の歌い方の方が好きでございます。これは、「女性」の強みかもしれませんねぇ。女性というのは、女性ホルモンの分泌量で、体や心持ちが大きく変わるのでございます。
その女性ホルモンの分泌量を大きく変化させるもの、それが出産でございます。天と地がひっくり返っても男には真似の出来ない生命の神秘でございます。また、自分の子供に対して「自分の体の分身」という実感が持てるのも、女性の特権。種を仕込むだけの男性は、女性ほどにはその「分身という感覚」は得られないのでございます。
それと比較しますと、出産という人生の大イベントを抱えている女性は、その出産を転機として大きく変わるように見受けられます。「女は弱し、されど母は強し」なんて言葉もございますが、世の中のお母さん、ほんと強いですよ。
自転車に子供を乗せて送り迎えしているお母さん方を見ると、「たくましいなぁ」と思いますもの。ワタクシが若い頃、卸売市場で働いていた時、早朝から働いている女性の多くが、仕事を「早朝・昼・夜」と3つ掛け持ちで働いているというのを聞いて、ビックリした覚えがございます。
そう言えば、『毎日かあさん』でお馴染みの漫画家、「西原理恵子」さんですが、その『毎日かあさん』、数ヶ月前に完結しております。ご本人が、卒業ならぬ「卒母(そつぼ)」宣言をしたのでございます。子供も思春期を迎え、子供を世の中に押し出すとともに、自分も母親の立場から卒業するということだそうでございます。
「子供の親離れ」「親の子離れ」なんて申します。そう言えば、安室奈美恵さんの子供さん、もうそろそろ成人式の年齢ではないでしょうか。子供が親離れをするのに合わせて、ご自身も新しい人生を歩み出すための歌手「卒業」なのでしょうか。引退って言葉は淋しいですが、「卒業」って言うと、なんだか「おめでとう」と言いたくなりますよね。そう、おめでとうでいいのだと思います。
コンパニオンの待機室には、鍵のかかるロッカーが置いてございます。オフィスでお馴染みの、あのグレーの金属製のロッカーでございますね。人数が増えて一部ロッカーが足りなくなっておりましたので、余っていたものを深夜にせっせと運んでおりました。
あのロッカー、空っぽであればそれほど重たくない。でも、そこそこ大きさがございますので、1人で運ぶってのは、ちょいと無理があるし、危ない。で、コンパニオンの1人に手伝ってもらいながらの模様替えでございました。
何が面倒って言いますと、要所・要所をロッカーが通り抜けられるかということでございます。15年以上も前に設置したロッカーでございます。そのロッカーを置いた後に、店内のところどころに内装工事が入っておりまして、通路などが狭くなっているからなのでございます。
深夜に、新幹線の車体を運ぶお仕事ってございますでしょ。特殊なトラックに新幹線の車体を載せて、無茶苦茶工夫しながら交差点を曲がったりして、海路、陸路を駆使して、工場から車両基地まで運ぶヤツ。もうね、気分はあの雰囲気。回したり、向きを変えたり、斜めに傾けたり、大変でございました。
そうそう、デパートの飾り付けも、深夜に一晩でやっちゃうのですよね。あれも、大変そうですよね。東急ハンズとか、ちょくちょく店内のレイアウトが変わりますが、あれも店員さんが総出で動かしているのでしょうねぇ。ご苦労さまでございます。
あのロッカー、重たくはないのですが、音がねぇ。ぶつけたりすると、とんでもない景気のいい音が鳴り響くのでございます。深夜ですからね、音は困ります。特に、お店の近所、お年寄りの方が多く住んでいらっしゃいます。お年寄りの方、睡眠に付くのが早いですので、深夜の音には、特に気を遣うのでございます。
模様替えそのものは30分ほどで終わりましたが、もうね、ワタクシがクタクタ。夕方くらいからチョット疲れ気味でございまして、眠気覚ましにレッドブルを飲んだりして頑張っておりました。模様替えが済んだ頃、その眠気覚ましも効果が切れたのでしょうね。電池が無くなったオモチャの様に、そのままお店のベッドで寝ちゃったのでございます。
ワタクシ個人的には、眠気覚ましには「レッドブル」が一番効果がございます。ブラックコーヒーとか、眠眠打破とか強強打破とかいろいろ試しましたが、なんかあまり効果が有るようには思えない。コーヒーとかは体が暖まっちゃって、かえって眠たくなる始末。レッドブルだと、シャキッと目が覚めるのでございます。
ただ、レッドブルと言えども、効果が切れると、押さえていた睡魔が2倍になって襲ってくる。もうね、ほんと、気絶するように寝ちゃうのでございます。若い頃は平気で徹夜とかしてましたが、いや、もう、無理は出来ないのでございます。
安室奈美恵さんの引退に、ワタクシは「おめでとう」と申し上げました。アムラーの方々には複雑な心境でしょう。「アムロス」なんて言葉も生まれているそうでございます。「loss」を辞書で引くと「喪失による悲しみ」なんて意味が出てまいります。
「loss」という単語には、「死亡」という意味もございます。ワタクシ、大きな声では言えませんが、人が亡くなられたときも「おめでとう」と(心の中で)申し上げております。そりゃ、本当に声に出して言ったら、ヒンシュクものでございますからね。
これは以前にも書きましたが、よくドラマで殺人犯がとどめを刺す時に、「楽にしてやるぜ」なんて捨て台詞を吐きますよね。そう、死ぬということは、楽になることなのでございます。チョイトこじ付けっぽいですか? まぁ、ご説明いたしやしょう。
「この世とは、生きている間が”修行”」という考え方がございます。空腹とか嫉妬とか欲とか、生きるということには苦しみがいっぱいの修行だらけ。死ぬことは、その修行を「卒業」するということ。卒業だから、「おめでとう」ということなのでございます。
人は他人の死を見て、「あぁ可哀想」と嘆きます。でも、死人が自らを「可哀想」と思ったりはしませんよね。実は、可哀想なのは自分なのですよね。「あぁ、あの人にもう会えない自分は、なんて可哀想」なのでございます。
この2人、お互いに相手に心を寄せておりながら、どちらも若い頃に失った最愛の人への気持ちを捨てられなく、相手への告白に二の足を踏んでおりました。で、とうとう、お互いに気持ちを告白するシーンが登場したのでございます。
シェフ「私は愛子さんにとって、世界で2番目に好きな男性で構わない」
愛子 「はい、私もそうなりたいです」
シェフ「お互いに、出来なかったこと、してみませんか?」
「諦めていたこと、取り戻しませんか?」
愛子 「はい、したいです」
シェフ「うん、よろしくお願いします」
愛子 「よろしくお願いします」
こんな、やり取り。2人とも、かつて失った人への想いが強すぎて、新しい恋へ足を進めることが出来なかったのでございます。しかし、シェフが「2番目でいい」と切り出してから、2人とも亡き人の呪縛から解き放たれるのでございますよね。「2番じゃダメなんですか?」、まぁ、どこかで聞いたことがあるようなセリフではございますけどね。
さて、このセリフで思い出したのが、最近の不倫騒動。そもそも、不倫を「悪」って定義するのも、エゴでございます。「自分が1番じゃないのがイヤ」という思いが、不倫を悪としてしまうのでございます。独占欲でございます。
だから、もし金メダルじゃなくっても、銀メダルをキープしておけばいいと思うのでございます。ここで欲かいて金メダルを取りに行くと、その浅ましさが逆に働き、銀どころか表彰台まで失うやも知れません。また、2位をキープしている間に、1位がずっこけるという場合もございます。
不倫と似たようなもので、「三角関係」というものがございます。三角関係は、さらに人間関係が複雑。三角形ってのは角がとがっておりますように、人間関係もトゲトゲしくなるのでございます。もし車のタイヤが三角形だったら、とてもスムーズには走れません。
この時期になると、相次いで広告代理店の方が集金に来店されます。支払いついでに、軽く世間話をし、業界全般の景気なんかも聞いたりいたします。女の子のお店も含め、9月は全般的に厳しかったようでございますね。広告代理店の方いわく、お盆でお金を使ってしまうので、9月は財布の紐が固くなるのだとのこと。当店も、9月はチョイト厳しめでしたからね。
大相撲、9月場所。波瀾万丈でございました。豪栄道、悠々と逃げきりかと思いましたが、終盤に崩れちゃいました、残念。横綱・大関がゴッソリ休場の今場所は、大チャンス。しかも、日馬富士が序盤で連敗して2歩も3歩も後退してましたからねぇ。日馬富士の自力優勝の芽が出た時点で、結果は見えておりました。
さて、この場所、優勝争い以外にも、注目すべき力士がいろいろといらっしゃったのでございます。子供の頃は、力士の名前、特に画数の多い名前に興味を持つと、チョイト前に申し上げました。では、今は何に興味を持つか? ズバリ、顔でございます。ちょっと気になる「顔」があるのでございます。
いや、はや、これは美形。受け答えも清々しい。どうか、このお姿のままで、十両・幕内と上がってきて頂きたいものでございます。相手力士が張り手なんかしようものなら、会場の女性ファンから悲鳴が出るのではないでしょうか?
以上、テレビ画面を急いで撮影したもので、画像の荒れはご勘弁を。この三力士に共通するのは、「好成績」ということ。いくらイケメンでも、成績を残さないと、露出度は減ってしまう。順調に勝ち上がり、勝ち残りしていってもらいたいものでございます。
「解散! 総選挙!」と叫んだら、さぞかし気持ちが良いでしょうねぇ。唐突の総選挙。野党は空中分解しかけているし、普通に考えれば与党楽勝の総選挙。与党としては、過半数という「免罪符」が欲しいのでしょうか? まぁ、どんな罪の意識があるのか知りませんけどね。
野党は相変わらず、「モリ・カケ」を連呼している。ミサイルが飛んで来てもお構いなし。そんな野党を、国民は愛想を尽かし始めてますよ。ロッキードの時代と比べたら、吹き飛ぶような小さな事件。与党追及の仕方が、あぁみみっちい、みみっちい。
名古屋市長の河村さん、国政に触手を伸ばしちゃってます。でも、後継者がいなくて、難しそう。そりゃそうですよ。河村さんの代わりになる人は、そうそう見つからないでしょう。昔の職場復帰には憧れるでしょうけど、どうか、名古屋に骨を埋めて下さいませ。
小池さん、この方の潔癖症は、政治家に向いてないですって。「清濁併せのむ」なんて言葉がございますが、政治ってのは妥協の産物。最大の人が幸せになるためには、どこに妥協点を落とし込むかという作業。濁ったものを追及しすぎると、政治は停滞しちゃいます。
その小池さんが立ち上げた新党も、危ない、危ない。素人さんが集まった政党が危なっかしいのは、減税日本で証明済み。ただ、小池さんのマスコミの使い方は天下一品。さすが、昔の職場。「モリ・カケ」もこの人が仕掛けたんじゃないかと思えるくらいに、タイミングピッタリで時勢に乗っちゃってる。今後のキーパーソンかも。
また、選挙ですね。ワタクシが行く投票所の受付は、いつも同じ高齢の人。昔はワタクシの戸籍が「男性」なのを驚かれた時期もございましたが、今ではすっかり慣れた感じ。ワタクシ以外にも同じような境遇の人が大勢投票しに来るようになったのかも知れませんね。
「藍井みか」のみの特典です
期間:9/28(木)~9/29(金)
9/28(木)発売の『週間実話』の本誌、
あるいはかわらばんの記事の切り抜きで、
オールコース“さらに”¥1,000割引
他クーポンと併用可能です
蛯原みなみの写真が更新されております。今回のスタジオ撮影は、派手な色調の出来上がりになっております。最近は深夜に営業しているスタジオもあり、コンパニオンも撮影がやりやすくなっているみたいですよね。
こういったスタジオ撮影では、カメラマンの方にあるお願いをしております。ホームページや広告に使う際、画像をトリミングすることになるのでございます。この際、被写体がちょっと小さめで、被写体の回りの背景のマージンがある程度必要となるのでございます。また、手や足の先が切れていると、これまた切り抜いて使うときに面倒くさくなる。
あ~あ、やっちゃいました。観葉植物の葉が(ほぼ)全滅。水やり、忘れてました。忘れた期間、約2週間。無残な姿にしてしまいました。
ただね、幹のまん中あたり、かろうじてひと枝、残っております。いやぁ、植物の生命力、スゴイ。他の枝にも新芽が出てくることを祈りつつ、お水をたっぷりあげたのでございます。
話は変わりまして、ワタクシの知人で、植物と話が出来る人がいらっしゃいます。高齢のお婆ちゃん。職業は占い師。まぁ、植物と話が出来ると本人が言っているだけで、確証はございません。
で、以前、その人の家を伺ったことがございます。家中に観葉植物がいっぱい飾ってある。いっぱい有りすぎて、どうしても枝をかき分け奥に入っていくことになるのでございます。
すると、そのお婆ちゃんが、「痛い!」と声を上げる。観葉植物に触れる度に「痛い!」と言う。そしてワタクシが怒られる。「ちょっと、気をつけてね、痛がってるから」と。
一瞬、「え? ウソ」と思いますが、叱られた後は、用心深く部屋の中を奥へ入っていく。そして、「占い師だから、植物とお話とか出来るのかなぁ」なんてホンワカするのでございます。
ただね、この一件から、少し考え方が変わりました。叱られる前は、家中の観葉植物がワタクシには「見えていなかった」。視野には入っていたけど、無意識にかき分けていた。お婆ちゃん、ワタクシのこの「無意識さ」に痛がったのかも知れません。
人間の脳というのは上手く出来ておりまして、人はものを見るときに、無意識に「見る主体」と「背景」を切り分けております。背景と認識されたものは、目の網膜には写っていても頭の中では「無い」ことになってる。以前のワタクシは、植物は背景の中で埋没していたのでございます。
お婆ちゃんに叱られたことで、意識して植物を見るようにはなったのでございます。ただ、忙しかったり、他のことに気を取られていたりすると、埋没してしまいますねぇ。2週間、埋没したままで気がつかず、観葉植物さんゴメンナサイ。
ちょいと教訓めいたお話になっちゃいますが、接客業でもこの「見えている」のと「背景」というのが、大きく関わってまいります。「よく気がつく人」というのは、この「見えているもの」が多いのでございます。逆に気がつかない人というのは、見えているけど背景に押しやってしまっているということ。
ですので、同じことをしていても、気配りの深さが違ってくる。また「見えている人」は、注意力も敏感になる。照明の明るさや、BGMの音量、備品のちょっとした向きなど、細かいところにドンドン気づいていける。
BGMの音量がゼロになっているのを気がつかない人っていうのは、意外と多いものですよ。BGMって普段聞き流しておりますので、背景の中に埋没しやすいのでしょうね。気づける人は、「あれ? 何か寂しい感じ、あ! BGMが流れてないのか」という感じで気づくわけでございます。
さて、さて、冒頭の観葉植物。復帰するのでしょうか? この状態でやって良いものかどうか分かりませんが、とりあえず、観葉植物用の肥料をあげちゃいました。また結果をご報告したしましょう。では、では。
ワタクシ、遺伝性の目の病気を持っております。その症状のひとつとして、視野狭窄(きょうさく)というものが起きております。これはですね、目の見える範囲が狭いということ。ワタクシの場合は幸いながら、視野の中心部は見えておりまして、端っこの方が見えない。
目というもの、視野の中心部は非常に酷使しております。視力が一番良いのも、この中心部。そして、普通、視野の周辺部というのは「何かあるな」程度でものを見ております。ワタクシの場合は、この周辺部が見えてないのでございます。
でもですね、日常生活ではあまり不便を感じず生活出来ております。ここに、人体の神秘がございます。片方の目で見えてない部分をもう片方の目が補ったり、あるいは記憶や経験から、見えてない部分を脳が想像して「補完」するという、人工知能も真っ青な高度な処理が行われているのでございます。
あまりの脳の完璧な補完作業のため、視野狭窄のことを忘れていることもございます。で、ウカッと行動していると、半開きのドアにぶつかったり、すぐ横に立っている人に気がつかなくて失礼しちゃうなんてことになるのでございます。
さて、ここで面白いのは、網膜では見えていない視野周辺部の風景を、頭の中、つまり脳の中では「認識」しているということでございます。ほら、昨日のお話のまったくド反対。ここで危険なのは、「見えている」という思い込みでございますね。見えているのは脳が作った虚像ですから、「見えてないかも」という前提でいつも行動しなくてはならないわけでございます。
ワタクシの場合は視野狭窄の自覚がございますので、頻繁に視線を動かすことで見えていない周辺部の画像を補っております。まぁ、鳩がヒョコヒョコと首を振りながら歩いてるでしょ。原理的にはあれと同じなのかなぁ。目をチラチラ動かすことで、「見えたつもりになっている部分」を「更新」するわけでございます。
写真で見ると大きく見えますが、写っている紙片はコンビニのレシートでございます。猫ちゃんが通り抜けているように見えますが、上半身と下半身が磁石でくっついているだけ。間に紙などを挟むと、通り抜けているように見えるのでございます。
このグッズ、書店のレジ横に並んでいたものを購入いたしました。全部で6種類くらいあったのをふたつだけ購入。なんか全部揃えたくなってあとから買いに行きましたが、時すでに遅し、売り切れていたのでございます。残念!
若い頃、書店で働いておりましたので、レジ回りのことなど、なんとなく覚えております。レジ横のグッズ、定期的に業者から入ってくるのですが、あっという間になくなるものも有れば、まったく手つかずでレジから消えていくものもございます。確かこれらのグッズ、書店の買い取り扱いだったように覚えておりますが、どうなんでしょうねぇ。
書店で働いていて、一番驚いたのは、出版される本の数。毎日数百冊。毎日ですよ! 出版社の数も膨大で、出版社の一覧表が小冊子になっているほど。当時はネット回線などありませんでしたので、本の取り寄せをする場合は、その小冊子で出版社を確認して、手書き伝票を起こすのでございます。
もう一つ、書店で驚いたこと。それは、本の原価率の高さ。当時、ほぼ8割が原価だったように覚えております。1000円の本を売っても、利益は200円ちょっと。レジの締(し)めもやっておりましたので、1日の売上も分かる。原価率から利益を計算し、自分の給料とか考えると、なんか申し訳なくなった覚えがございます。