店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
これは、ワタクシが30代の頃に自分のプロフィールに書いていたものでございます。いやぁ、ちょいとキザ過ぎるかな。「優しい」というのは大切なこと。でも、優しすぎて情に流され、かえって自分が傷つくことも多かったのでございます。
次は、漢字の問題。これはどう読むのでしょう? これはね、「したたか」と読むのでございます。辞書を引きますと、「強(したた)か」の他に「健(したた)か」という漢字もございます。「心が強(つよ)く、健(すこ)やか」なのが「したたか」ということなのでしょうか?
さぁ、どういう事でしょうかねぇ? 人間の肌には「痛点」という痛みを感じる器官が体中にございます。「痒み」も「痛み」も、その痛点への刺激に因るものなのでございます。刺激の程度が弱いと痒く、強いと痛くなるのでございます。
さぁ、哲学的な文が登場しましたよ。痒みと痛みが同じものだったように、愛情と憎しみも同じもの。程度が弱いと「愛情」となり、度を超すと「憎しみ」となるのでございます。何となく、イメージできますでしょうか。
で、ここでお話がループいたしますよ。冒頭のお話。「優しい」を「愛情」と例えますと、「優しすぎる」のは「憎しみ」に変わるわけでございます。おぉ、恐い、恐い。過ぎたるは、及ばざるがごとし。何事も、中庸(ちゅうよう)が大切。
中庸ってのは、「偏らないまん中」って意味。どうすれば、まん中でいられるかな? 沸き上がる衝動を抑え込んでまん中を保つには、「強(つよ)さ」が必要。そう、優しいというのは、度を超さないように自制できる強さの事なのでございます。
その強さが身についてまん中に立った時、人は「自分の足で立っている」という実感が湧くのでございます。地に足がつくと、物事を冷静に見る「目」が育ちます。その状態を、「健(すこ)やか」と申します。「したたかに生きる」というのは、「強い心を持ち、自分の足で立ち、穏やかな心でものを見られる」という生き方なのでございます。
「したたか」って言うと、何か「ずるい」というイメージが有るかも知れませんが、ワタクシは、「自分がしたたかである」ことは、「他人への愛情」だと思っております。人を助けるとか、何かアドバイスするときには、まず、自分が地に足を付けていることが重要、そう考えるからでございます。