追記

薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2018-08-17 【枕カバーを探して幾年月】

プレイルームの枕カバーを交換していた時のことでございます。布のたわんだ部分に軽く指が引っかかりまして、指を抜こうと思った矢先、枕カバーが「シャーーー」と真っ二つに裂けたのでございます。

それがね、もうほんと、全然力が入っていないのに裂けてる。まるで薄紙を裂くかのよう。長年使い込んでいて、弱っていたのでしょうね。金属には「金属疲労」なる語がございますが、布にも「布疲労」なんて言葉が有るのでしょうかねぇ?

数十枚の枕カバーをトッカエヒッカエ使っておりますが、交換頻度を考えますと、それぞれ「使用・選択・乾燥」のサイクルを尋常じゃない速さで繰り返しているわけでございます。中にはオープンの18年前から使い続けているものも有るわけで、そりゃぁ布疲労も溜まるってもんでさぁ。

枕カバーのくたびれは、以前から気がついておりました。補充しなきゃいけないなと思いながらも、ついつい先延ばしにしておりました。それはね、枕カバーの購入が意外と難しいから。素材やデザインのバリエーションが多すぎて、購入した後、自宅で袋から出して「アレッ?」ということが度々有るのでございます。

店頭で売られている枕カバーって、まずほとんどが小さくカッチカチに包装されてる。それで素材やデザインが今ひとつ分からず、失敗することもございます。袋から出してみたらペッランペランの布地だったり、ヘンテコデザインだったりとか。

また、当店の場合、各プレイルームに枕が二つずつ置いてございます。ですからいつも同じ物を二つずつ購入いたします。店頭で「良い柄だな」と思っても、在庫がひとつしか無いと諦めてしまうこともございます。枕カバーに多くのスペースを割いている店舗は少なく、店頭在庫が少ないのは致し方ないのでございます。

そこで、通販でございます。ただねぇ、この通販、店頭のカッチカチ包装よりもおっかない。写真が綺麗すぎるのですよね。安いからと気楽に発注すると、向こうが透けて見えそうなくらいペランペランの枕カバーが届いたりする。失敗覚悟で発注し、良い物を見つけたら同じ系統の物から選ぶなんてことをしております。

ということで、枕カバーを大量発注いたしました。痛んでいる物、古い物から順に入れ替えていくのでございます。まぁ、同じデザインの物を大量発注して、全部屋同じにしちゃえば手間いらずなのですが、それも味気ないですからね。いろんな柄で楽しんでもらいたいと思うゆえの、枕カバー探しの難しさでした。では、では。


2018-08-16 【全く逆だから、面白いし、難しい】

お久しぶりでございます。チョイトお休みを頂いてしまいました。

前回、日本語は表現のふところが大きく、J-POP ではボーダーレスに日本語と英語が使われていると申し上げました。言葉足らずで曖昧な表現になり易い日本語と、叙述的でダイレクトかつスピード感の有る英語とが良い対比になっているということですよね。

これとは別に、さらに日本語が持つユニークな性質がございます。それは「アクセント」。アクセントってのは、単語の音が強くなる部分。アクセントの場所で同じ単語でも意味が変わったりするのでございます。そのアクセントの構造が、全く別物なのでございますよね。

みなさまお馴染みの日本語のアクセント、これは「高低アクセント」と言って音の高い・低いでアクセントを区別します。「雨」と「飴」が聞き分けられるのは、雨が「ア高・メ低」で、飴は「ア低・メ高」というアクセントだから。まぁ、方言によってこれは逆になりますが、音の高い低いで区別しているのは同じでございます。

音の高さというのは、音楽で言うと音符の上下の変化、つまり「メロディー」なのでございます。日本語ってのは一つ一つの語に固有のメロディーが貼りついていて、まるで「歌」の様な言語なのでございます。

この性質は、作詞とか訳詞する時に、いろいろ面倒くさくなるのでございます。単語固有のメロディーに沿ったメロディーラインにしないと歌詞の意味が通じにくくなったりするのでございます。先ほどの「雨」で言いますと、「雨」という歌詞に逆アクセントの「低・高」というメロディーラインを付けたりすると、歌を聴いている方は「雨」ではなく「飴」と聞こえてしまうのでございます。

こういった性質がありますので、作詞・訳詞をする人は、曲のメロディーラインと単語のアクセント両方をを考慮しながら、出来るだけ収まりの良い単語を探したりするわけでございます。と、長々と説明してまいりましたが、実は、この「高低アクセント」の言語は、世界的にもかなりの少数派なのでございます。

では、次に英語の説明をば。英語のアクセントは「強弱アクセント」(強勢アクセントとも)。ほぼ「音の強さ」つまり音量がアクセントとなるのでございます。音楽で言うと「フォルテ」とか「ピアニッシモ」とか言うやつでございます。

これは、音符の高い・低いと干渉しませんので、単語のアクセントを気にせずかなり自由なメロディーラインを取ることが出来る。「歌詞にメロディーを付ける」「メロディーに歌詞を付ける」という作業では、圧倒的に英語の方が自由度が高いのでございます。

以上、まとめますと、日本語ってのは普通に話しているだけで既に「歌」になっている言語なのでございます。一方英語は、よりパーカッシブ、つまり「打楽器的」な言語なのですよね。この両者の違いを楽しめるのも、非情に希有なアクセントを持つ日本語に馴染んでいるからこそなのでございます。

映画『アナと雪の女王』の『レット・イット・ゴー〜ありのままで〜』という曲で、松たか子さん歌う日本語バージョンだけが異常に高い人気を得るということがございました。各言語版をメドレーで聴いた時、日本語だけが他の言語と全く違う性質を持っているゆえに、ひときわ新鮮に聞こえたのかも知れません。

日本ってのは、世界中の料理を日本向けにアレンジして、現地よりも美味しいものを作り出してしまったりする。今や英語に関しても、ひらがな、カタカナ、漢字に続く4番目の表現として取り込んじゃってる感がございますねぇ。まぁ、「日本流」にしてしまうことが英語教育の妨げになってるのかも知れませんけどね。では、では。


2018-08-13 【尾崎豊がもしI Love Youと歌ってなかったら】

ネットのニュースを流し読みしてましたら、外国の方の意見でこんなのを見つけたのでございます。

「J-POP は急に英語の歌詞が出てきて、変」

ふむふむ、確かに、変でございます。普段なにげに英語混じり日本語の歌詞を聞き流しておりますが、英語圏の人からすると、変かも。ちょこっと英語が混ざるなんて程度ではない。今や日本の歌曲は、日本語・英語を縦横無尽に使い込んでおります。

思い起こすに、昭和の歌謡曲の時代は、歌詞に英語を混ぜるってのは「かっこつけ」だったのですよね。お洒落な感じもする。「英語で歌える」ということが特殊技能だった時代でございます(ちょっとオーバーかな、笑)。

ニューミュージックというジャンルが台頭してきて、かなり英語が自由奔放に歌詞の中に混ざるようになってまいりました。それでも、発音の悪い人が無理に英語で歌ったりするとボロクソに叩かれるなんてこともございました。

そして、J-POP の時代に入るわけでございます。今や、英語と日本語はボーダーレス。自由自在に使われております。「ボーダーレス」と申しましたのは、もはや「日本語と英語を使い分けてる感覚すら希薄」という、日本人独特の感覚なのかも知れないのでございます。

ここで、この4つの語を比較してみて下さいませ。

「コーヒー」「こーひー」「珈琲」「Coffee」

日本語ってのは面倒くさいもので、ひとつの語にこんなに表現方法が有るのでございます。「コーヒー」って書くと街の喫茶店風。「こーひー」はあまり見ないけど、コジャレた和風喫茶っぽいかな。「珈琲」だと何やら珈琲専門店風な店構え。「Coffee」だとカフェ風のお店、またはコーヒーのチェーン店って感じ(個人の感想です、笑)。

個人差は有るのでしょうが、この使われてる文字種で違う印象を感じ取るってのは、ネイティブで日本語を使っている人だけの感覚ではないでしょうか? そして、平仮名、カタカナ、漢字を使い分ける感覚の延長として、英語をも使い分けていると。

ですから、英単語や英語のフレーズが、ほんと、シームレスで歌詞の中に紛れ込んでくる。日本人の感覚だと「文字種が変わった」くらいにしか思わないのですが、英語圏の人だと、「何語の歌なの?」という印象になるのでしょう。

あと、英語の持つ「スピード感」も好まれるのでございましょう。例えば、「私はあなたを愛す」という日本語にメロディをつけると、「ワタシハアナタヲアイス」と11個の音符を割り当てることになる。それが英語だと、「I Love You」と3つの音符で表現出来る。このスピード感の違いは大きいのでございます。

この関係で、日本語の歌詞というのは「選りすぐりの最小限の単語を割り当てる」という和歌や俳句のような”おぼろげ”な表現になるのでございます。一方、英語はワンフレーズに多くの情報を盛り込めますので、細かい表現を重ねた写実的な表現が出来ると同時に、ひとつの音符で感情を表現しきるということも出来る。

この特徴を踏まえて、「空気」を日本語で表現し、「ダイレクトな感情」を英語で表現するという使い分けも多く見られるのでございます。こんな感覚でふたつの言語を使い分けてるのって、日本人くらいでしょうねぇ。日本語と英語が全く正反対の性質を持っていたからこそ、生まれた感覚でしょうね。

といった感じで J-POP を聴き直してみると、また新たな感動が生まれるのではないでしょうか。こういった考察をするに、日本語って、つくづく、ユニークな言語なんだなと実感するわけでございます。では、では。


2018-08-12 【歴史的事件、シィメイルに休業日?!】

9月の下旬にお店の入っているビルが大規模修繕工事を行いまして、その期間、どうしようかというお話を以前いたしました。結局、9/22(土)~9/24(月祝)は、お店を「休業」することにいたしました。

この3日間の休業日を利用して、お店の床の修繕工事を入れることにいたしました。2号店を再起動して営業しようかとも散々悩んだのですが、今のワタクシの体力ですと、1号店の工事の準備、2号店の再起動、これを同時にやるのは無理と判断いたしました。

また、VIPルームの方もついでに床工事を行う予定でして、中の備品を運び出したりなどの準備・復帰がございまして、念のために前後一日ずつは「VIPルーム使用不可」ということにいたしました。

昔のワタクシなら夜中のうちに一人でバタバタバタッとやってしまうのですが、今、その予定で行動したら、危険ですよねぇ~。ということで、VIPルームに関しては予備日を設けさせて頂きました。

ということで、取り急ぎ、9月の臨時休業のお知らせでございます。


2018-08-11 【リセットボタン】

1週間ほど前から、絶不調でございます。首の右側を寝違え、それが治ったら次は右の肩を痛めて右手に力が入らない状態。どちらもはっきりとした原因は分からない。朝、目が覚めたら痛めていたのでございます。あの~、もし、わら人形に針を刺している人がいたら、どうかそろそろご勘弁を(笑)

肩の痛さに加え暑さにもボロボロにやられておりまして、営業終了後はお店のベッドでクールダウンしております。USENを聞き慣れない新鮮なチャンネルに切り換えまして、ベッドで横になり、冷房をやや弱めにして、目を閉じ、瞑想するのでございます。

するとですね、体から少しずつ熱気が抜けていく。そして、1日分の疲れが少しずつ癒されていく。熱気、疲れ、そしてストレスによって溜まった邪気、そんなような物が体から抜け出していくのでございます。

『千と千尋の神隠し』の挿入歌『いつも何度でも』の歌詞の中に、「ゼロになっていく体」という一節がございます。クールダウンしながら体の中のいろいろな物が抜け出していくとき、「あぁ、あの歌の歌詞は、これを言っていたのかなぁ」なんて思うわけでございます。

エアコンの風に当たりながら、USENの音楽を聴きながら、そして瞑想をしながら、自分の体をリセットするのでございます。気がつくと1時間くらいが経過している。普段なら、この後にいろいろやる事がいっぱい有るのですが、今日はすんなりと自宅へ。バスクリンを入れたぬるいお湯に軽くつかって、そのまま寝ることにいたしましょう。

若い時はねぇ、いろんな事を知りたくてしょうがなかった。多くのことを心の留めていって、いつも心がいっぱいいっぱいだった。しかし、年取るとねぇ、「忘れること」「気に留めないこと」が毎日を順調に過ごす急所となっていることに気がつくのでございます。

余談ですけどね、セーラームーンの必殺技に、「ムーン・ゴージャス・メディテーション」なるものがございます。直訳すると「豪華な瞑想」。この「豪華な」ってのが昔からピンとこなくてねぇ。瞑想ってのは質素なイメージがございますからね。まぁ、漫画の必殺技にケチを付けるのもヤボでございますね。気にしない、気にしない。

猛暑が続いております。みなさま方も、ご自愛下さいませ。では、では。


2018-08-09 【情に棹させば流される】

ネットからアプリをダウンロードしたり、あるいはパソコンにソフトウェアをインストールしたりするとい、小さな文字の長~い文章が表示され、「同意しますか?」なんてボタンが現れますよね。あの長~い文章、あなたは読む派? 読まない派?

今日のお話は、アプリのお話ではございません。この時期になるとヒロシマ・ナガサキの話題になり、そして新聞やテレビで取り上げられるのが「核禁止条約」の話題でございます。日本は今年も「不参加」ということで、いろんな人がいろんな意見を言っております。

この核禁止条約、核兵器を保有している国は参加しておりません。また、NATO(北大西洋条約機構)に加盟している国も不参加。あと、オーストラリア、韓国も参加をしておりません。つまり、アメリカの「核の傘」に入っている国は参加していない、いや正確に言うと、参加出来ないのでございます。

核禁止条約は、「自国が核兵器を開発・保有しない」という取り決めだけでなく、「他の核兵器保有国への支援」も禁止しているのでございます。これは、日本とアメリカの場合、日米安全保障条約と矛盾してしまう。困ることになるのでございます。NATO加盟国も同様の理由で、核禁止条約に署名することは出来ないということ。

つまりね、核禁止条約なんてそもそも矛盾を抱えた「ムチャ振り」なわけ。署名出来るのは「アメリカとのしがらみ」が無い国だけ。そもそも無理な物を押しつけてるゴリ押し条約であって、ワタクシ、言いますよ! 核禁止条約は「欠陥品」でございます。

こんな欠陥を秘めた条約なのに、これを推し進めた ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞を受賞するとか、ノーベル賞も笑止千万。明らかに政治的配慮で受賞させてる。まぁ平和賞はいつもそうだから、今さらとやかく言うのもなんですけどね。

ICAN のあざといところは、いや「あざとい」という語を使うと問題だな。ICAN の賢明なところは、実際の被爆者を登場させたこと。「人道」的に主張したのでございます。これでは、署名しない国がまるで「非人道」なことをやっているような印象を持たれてしまう。う~ん、あざとい、いや賢い。

もっとも、被爆者の方々が語り部として活動をされることには、全然反対してませんよ。ただねぇ、な~んか、「政治的に、利用されちゃったかな」という感は否めないのでございます。

でね、核禁止条約の条項が変えられず、そしてアメリカとのしがらみが継続し続ける限り、アメリカの傘の下にいる国は永遠に書名不可能。マスコミはこのメカニズムを理路整然と報道すべきなのに、テレビも新聞も感情論ばかり。ICAN が行ったイメージ操作にやられているのでございます。

日本のマスコミに願うのは、核禁止条約の日本不参加の問題を、人道的な感情論で終始せず、条文のどの項目にどんな問題があるのか? そこをもっと細かく掘り下げていただきたいのでございます。当然、アメリカからの強い圧力もあるのでしょう。どうしてそういうの、書かないの?

ということで、「同意する」のボタンを押そうとして、でもちょいと細かい文字に目を通したら、その中に困った条文が紛れていた。それで同意ボタンを保留しているというのが今の日本。読まずにうっかりボタンを押しちゃったら大変なことになってたかも。みなさんも、細かい文字、読んでる? では、では。


2018-08-08 【秋は夕暮れ】

東京の友人が大型台風の襲来を怖がっておりましたが、何てぇことはなかったようですね。その友人も、熱中症で倒れかけて病院へ駆け込んだそうでございます。何でも、暑いのにまったく汗が出ないのを不思議に思ったとか。いやぁ、何事も無くて、良かった、良かった。

と言うワタクシも、連日の猛暑であまり体調は良くない。冷房の効いた店内と、バスタオルを干している乾燥室(ほぼ外)とを行ったり来たりしている内に、やられちゃうのでしょうね。それがですね、若い頃ですと水を被ったように汗をかいていたのですが、今年はあまり汗をかかない。チョイトそれを心配しております。

例年、この時期には、毎日着替えが4着は必要でございました。一日に3回ほどシャワーを浴びて、その度にビッタビタになった服を着替えておりました。今年は2着で十分。確実に発汗量が減っております。そのせいかあまり水を飲みたいと思わないので、摂取する水分も自然と少なめになってしまう。

多分、お年寄りの方々とか、こうやって知らず知らずのうちに熱中症の落とし穴にはまっていくのでしょうねぇ。まぁ、汗をかかないのはありがたいのですけど、水分はきちんと摂り、体の危険信号を注意深く感じ取るようにしております。

さて、暦の上ではすでに「秋」なのですよね。ということで、残暑お見舞い申し上げますです。でも思い返すと、7月が暑さのピークだったような気がいたします。7月に比べると、8月の方が楽ですもん。

お店の窓の内側に、蝉がとまっておりました。逃がしてやろうとつまみ上げましたら、もうすでに地上での短いライフを終えた後でございました。そろそろ、秋風が吹いてくれるかな? 夏と冬はジワジワといつの間にか忍び寄ってきますが、春風と秋風は、フワッと唐突に頬をなでてくれる。その瞬間が、嬉しいのでございます。

では、では、残暑見舞いでございました。


2018-08-07 【空に星があるように、当店の予定表にも...】

まずは、これをご覧下さい。

月間予定表でございます。「川原りこ」のスケジュールが出まして、8月末までの出勤予定が出そろっております。そして、さらに、何だか、星印がいっぱい増えておりませんか? では、ひとつひとつ、ご案内いたしましょう。

まず、現在実施中のキャンペーンが、「蛯原みなみ」「綾瀬まこ」。そして、今週末から「星野ちとせ」がキャンペーンを予定しております。これらは既にアナウンス済み。さらに、今週の金曜日から「水沢さくら」がキャンペーンを予定しております。これを新たにご紹介いたしましょう。

◆水沢さくら限定キャンペーン
<電話予約のみ> 期間:8/10(金)~8/28(火)  40分・60分のコース ¥1,000引  90分のコース ¥2,000引  ※他クーポンと併用OK

内容は他のコンパニオンのクーポンと同じでございます。ただ、今回はお盆休みが絡んでいるからでしょうか、割引期間がちょっと長めの3週間となっております。

さてさて、他にも、何やら、星が増えているところがございます。緑色の星が左右にいっぱい! 緑色の星と言えば「週間実話割引」でございます。今週号は少し早めの水曜日発売。そして、2号合併号なので、次の発売日は2週間後の8/22(水)。その間、「週間実話割引」は有効でございます。

『週間実話』そのものが400円ちょっといたします。千円引きでもあまりうま味のない割引ということもあり、使われる方は少なめなのでございますが、今回は2週間有効ですので、ご利用頻度の多いお客様にはお得な割引かも。「持参」で割引ですので、期間中、何回でもご利用出来ます。

◆週間実話割引
期間:8/8(水)~8/21(火) 8/8(水)発売の『週間実話』か 「広告の切り抜き」を持参で オールコース¥1,000割引

もうね、月間予定表は「★」だらけでございます。どうぞ、ご利用下さいませ。では、では。


2018-08-06 【今風に言うと、ブレないって言うのかな】

あるコンパニオンに、こんな提案をいただきました。

「お客様が帰られる際、フロントの前を通る時にカーテン越しでもいいからママが『ありがとうございました』とか声をかけたらどうですか」

というもの。ワタクシ、これをオープン当初はやっておりましたが、ある時期から「やらない」というポリシーで今に至っております。「あれ? どうしてやらなくなったんだっけ?」と疑問に思いまして、今、これを書いております。

「やらない」というのが自分の中で様式化してまして、その理由なんてとっくに忘れておりました。思い返しますと、その理由は、「必ず出来るわけではないから」ということ。やることのプラスより、やれなかった時のマイナスの方が問題だからでございます。

ワタクシのこの考え方の原点は、あるテレビドラマにございます。本当に小さな頃に見た、田宮次郎がスーパーの店長をやるドラマでございます。ドラマの内容なんて全然覚えてないのですが、あるエピソードだけ、強烈に覚えているのですよね。

田宮次郎扮する店長が、レジ担当の従業員に「毎回、微笑むように」と指示を出す。レジ担当の人達は、さらにもう一歩踏み込んで、微笑みながら「ありがとうございました」と声かけをするようにしていた。それを店長が見とがめてやめさせる。その時の店長のセリフが「毎回、必ず声かけが出来るわけではないから」というもの。

このエピソードが、子供心にすごく不思議でして、脳裏に焼きつくわけでございますね。三つ子の魂百までなんて申しますが、その後、何かしらの接客するお仕事に従事する度に、このエピソードを思い出すことになるのでございます。

声かけが出来た時には、お客様は喜びますよね。でも、それが「普通」なんだと思ってしまう。では、声かけが出来なかった時、お客様にどんな印象を与えるか? 「席を外してるんだ」と単純に思ってくれる人ばかりではございません。「サービスが悪くなったな」と思わせてしまう可能性もございます。

つまり、サービスにブレがあると、良いサービスが出来た時はお客様にとっては普通、出来なかったときには悪くなったと、悪い時の印象だけが残りやすいのでございます。これは、長期的に考えるとあまり良くない。結果、「良いサービス=安定したサービス」ということになるのですよね。ですから、出来たり出来なかったりするサービスなら最初からやらない方が良い、という図式になるのでございます。

以前、コンパニオンの何人かが、自分の休憩時間を削ってまで接客時間を5~6分延長してサービスするということがございました。お客様争奪の競い合いの中で、それを自分の「ウリ」にしようと無意識にやっていたのかも知れません。あるいは、単に時間に無頓着だけだったのかも知れません。

それをワタクシは、禁止いたしました。その時のワタクシの言葉が、「食べ物屋で毎回量がコロコロ変わるようなところ、足が遠のいて行かなくなるだろ」と。時間を長く感じるか短く感じるかは、お客様の主観。でも提供する側がもし安定していないと、そこから生まれるのは不信や不安だけでございます。

そんな理由で「必ず出来る」「安定」ってのが、ワタクシの接客の基本ポリシーとなっております。そしてその安定が生み出すものは「信頼」なのですよね。まぁ、しかし、幼少期に見たドラマのちょっとしたエピソードが、ここまで尾を引くとはねぇ。人生、どこで、何が、役に立つか分からないのでございます。奇々怪々なり、人生。では、では。


2018-08-05 【新しい風】

先日は、学校がもっと自己責任を乱用すべきだと申しました。ただねぇ、日本の学校がその様な路線に走れないのは、古来から固まった日本人の価値観に起因しているのですよねぇ。それはね、「ムラ的価値観の共有」というやつ。「ムラ」ってのは「村」のことでございます。

日本の稲作ってのは、田植え・刈り取りなんてのを村人総動員でやるわけですよ。田に水を張るのだって、村人全員が同調する必要が有る。異端者がいると、村の存亡に関わるわけでございます。それで、古来より、日本には「全員が同じ価値観を共有する」という極端な全体主義が染みついているのでございます。そんなこともありまして、学校が必要以上の管理主義からなかなか脱却出来ないのでございます。

さて、今日のお話は、「挨拶」がテーマ。日本人特有の「ムラ的」な考え方が関係してきます。そこで思い出して欲しいのが、ちょっと前の堀江貴文さんのエピソード。新幹線の中で前の乗客が座席を倒してもいいか聞いてきたことを、堀江貴文さんは「うぜえ」と考えた。これを考察するのでございます。

ここには二つの価値観がございます。「ひと言挨拶を交わすべきだ」という価値観と、「座席を倒すなんて自由だ、いちいち挨拶なんかするな」という価値観でございます。端的な言い方をすると、「挨拶至上主義派」「挨拶敬遠派」と言えるかなぁ。

例えば、一年中マスクをしている若者が増えております。あれなどは挨拶敬遠派。口元を隠すことで、社交辞令の愛想笑いなどを極力避けているのでございます。逆に、コミュニケーションの啓発本などでは、「ソリの合わない人でも挨拶だけは交わしておきましょう」なんて書いてある。こういったのは挨拶至上主義派の考え方に基づいてる。

古来より日本は、挨拶至上主義の国。幼少期から叩き込まれますので、その結果「日本人は礼儀正しい」なんて評価を世界中から受けているわけでございます。しかし、最近は挨拶敬遠派が着実に勢力を高めているのも事実。そして二つの価値観が衝突したりして、堀江貴文さんのエピソードなどが勃発するわけでございます。

では、この二つの価値観、ニューハーフの世界ではどうなのか。ワタクシ、今まで時々申し上げておりますが、本来、ニューハーフの世界というのはガッチガチの体育系。コッテコテの挨拶至上主義の業界でございました。しかし、最近はチョイト風向きが変わってきている。女装子・男の娘といった新しい風が吹き込み、挨拶敬遠派の人も増えているのでございます。

まぁ、飲食店はチームプレイでの接客ですので、価値観の共有とか挨拶ってのはどうしても必要となってくる。ところが、風俗ってのはある意味個人経営の集まりのようなもの。全員が同じ価値観を共有するという必要性が最初から希薄。当然、挨拶の必要性も、微妙になってくるのでございます。

ここでね、挨拶を必要とするかどうかってのは、「全員が同じ価値観を共有する必要があるかどうか」と言い換えられるのでございます。菅野仁さんは著書『友だち幻想』でこの二つを、「ムラ的共同体」「NEO(ネオ)共同体」と名づけております。ここでもその名称をお借りすることにいたしましょう。

10年くらい前に、関東や関西の老舗ニューハーフ風俗店が、ポツリ、ポツリと消えていった時期がございます。思い返しますと、ニューハーフ業界に新しい風が吹き始めた時、ムラ的共同体の店内にNEO共同体という新しい風を吹き込ませることが出来ずに消えていったのではないか、そう想像するのでございます。

逆に、新しい風が吹き始めた後に立ち上がったお店は、ムラ的共同体という業界の因襲に捉われる必要が無い。そこで、古い体質のお店が苦しみ、新興店舗が新しい波に乗るという最近のニューハーフ業界の図式が出来上がったのではないでしょうかねぇ。

ワタクシも、5年くらい前かな、この図式に気がつきまして危機感を感じた時期がございます。ただねぇ、なまじっか長くやってますと、ムラ的共同体の精神で店内がガッチリ固まっている。従業員と言い争いをすることも時々ございました。少しずつ風通しを良くし、新しい風を入れていったのでございます。

本音を申しますとね、お店の求人欄で「当店は朝夕の挨拶をしなくていい店です」なんてキャッチフレーズを盛り込みたいくらいに考えておりますが、まぁ、未だに挨拶至上主義の考え方は根強く残ってますので、そこまで過激にはなれない。でも、5年前に比べたらはるかに風通しは良くなってるかな。時間のかかることと分かっておりますので、少しずつ、少しずつ、風通しの隙間を広げております。

ムラ的共同体の考え方の人、NEO共同体の考え方の人、その両者に必要なのは、「違う価値観と共存する寛容さ」、そして「許容か拒絶の両極端ではなく、適度な距離感を保ち、気の合わない人とも一緒にいる”技術”」でございます。まぁ、菅野仁さんの著書からの受け売りなのですけどね。

ワタクシも10年くらい前までは、「嫌な相手でも、朝夕の挨拶だけキッチリやって、挨拶以外は接点を持たなければいい」と新人に指導しておりました。でも今は、本心を小さな声で言いますと、「挨拶したい人達だけで交わせばいいんじゃね」と思っております。まぁ、まだほんとに、小さな声でしか言えないですけどね。

長くなっちゃったので、そろそろ終わりにいたしましょう。最期に、参考文献として菅野仁さんの著書をご紹介しておきます。人との距離感の取り方で悩んでいらっしゃる方には、良い参考書となることでしょう。では、では。


『友だち幻想』

菅野仁著 筑摩プリマー新書 定価¥740+税


追記