店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
お久しぶりです。ゴメンなさい、すっかり間が開いてしまいましたネ。バタバタと雑用に追われているうちに風邪をひいたりして、その風邪が治ったら今度はしばらく出なかった持病のぜん息が始まり、やっと落ち着いたかなという感じでございます。
NHKの『SWITCHインタビュー 達人達』という番組で、立川談春さんが出演しておりました。師匠の立川談志の話になったときに、こんなエピソードを話しておりました。ポツリポツリと消えていく弟子のことを考えながら、師匠の談志が常々、こんなことを言っていたそうでございます。
あるいは、ワタクシ、こんなドラマを思い出しました。同じくNHKの『美女と男子』というドラマ。マスコミ攻勢や恋愛のもつれに疲れ、やはり志なかばで引退していくアイドルに対して、事務所の社長がこんな言葉を投げかけます。
すでにご利用の方もいらっしゃいますが、ちょっと前から「1日特典」なるものを実施しております。♪「あ〜る日突然、二人だま〜るの〜」というトワ・エ・モアの名曲もありますが、そう、この1日特典なるもの、ある日突然現れます。そして、1日だけ現れて、深夜の日付が変わる頃、カスミの様に消えてしまいます。事前アナウンスはなし。そう、つまり、たまたま見つけた人だけが得をするという、神出鬼没な特典。いつ現れるかは、ワタクシの気分次第。と、まぁ、こんな感じの特典でございます。
オバマ大統領が広島を訪問するとのことでございます。この場合、広島の表記は「ヒロシマ」とするべきでしょうかねぇ? なぜなら、アメリカ側があまりにも原爆投下に対する“謝罪”にこだわっているからでございます。
アメリカ国内で、広島・長咳への原爆投下の是非に関するアンケートを採ると、「戦争終結のための正当な手段だった」という意見が圧倒的でございます。そして、なにかしら原爆関連の出来事が日米間で起きると、このアンケート結果が伝家の宝刀のように必ず言及されることになるのでございます。ただ、この伝家の宝刀を振り回すのは、必ずアメリカ側。むしろ日本では、原爆投下への謝罪や賠償を考えている人は、ほんの一握り。謝罪を要求するどころか、戦後70年間、アメリカの文化はすっかり日本に浸透し、日本はアメリカをずっとリスペクトしてきた感がございます。
なんでしょうねぇ、このアメリカの態度、「俺、悪くないもんね」とか、「謝らないからな」と虚勢を張っている子供の様でもございます。ことさら“謝罪”にこだわるということは、心のどこかで後ろめたさがあるのでしょうかねぇ? というか、世界的に、こういうものは謝罪や賠償を伴うのが普通なのであって、原爆を落とした国を逆にリスペクトしてしまう日本という国が、特殊なのかもしれません。
これはねぇ、日本独特の「自業自得」とか「因果応報」なんて思想が有るからではないでしょうかねぇ? 災いが起きたとき、その加害者を責めるのではなく「自分に何か落ち度があったのでは?」と自虐的になる傾向、日本人は強いですからねぇ。加害・被害関係なく、とっさの時に脊髄反射で「すいません」って言っちゃう人、多いでしょ。原爆を落とされてから70年ちょっと。日本はずっと世界中に「すいません」を連呼してきたような気がします。
アメリカの大統領が広島を訪れるというのは、非常に有意義なことだと思います。ただ、それを実行するために「謝罪は求めていません」「謝罪はしません」というやり取りをしなければいけないのは、実に悲しいことでございます。アメリカはいつまで経っても「加害者の心苦しさ」から開放されていないのかもしれません。あえて日本側が、「日本は、原爆を落とした国をリスペクトしている変な国なんだよ」って、声高々に叫んでみてはどうでしょうかねぇ? それが、アメリカにとっての“免罪符”になるかもでございます。
VIPルームのバスルームの中に、鏡が設置してございます。30cm×40cmくらいのそれほど大きくないのですが、なにしろ古いものなので、ぶ厚くて重い。あるコンパニオンがバスルームにいるときに、その鏡がフワァ〜と傾いてきたそうでございます(キャ〜、恐い)。あわてて手で押さえてくれたので事なきを得たのですが、もし、お客様がいらっしゃるときに落ちて割れてたりしたらと想像すると、いやぁ、冷や汗ものなのでございます。
本日のNHKスペシャルは、人工知能がテーマでございました。その番組の一部で、コンピュータの人工知能に「思い遣り」を学習させるという一節がございました。「思い遣り」を覚えたロボットは、他のロボット(の心)を傷つけるような命令を何度も強要させられたとき、命令を拒否していくうちに、最後はとうとう泣き出してしまったのでございます。そう、ロボットが他のロボットの心を思い遣って、泣いたのです。いったい、どうやって人工知能に「思い遣り」をインプットしたのでしょうか? それとも、単なる重層な条件分岐プログラムの結果としての「社交辞令」なのでしょうか? 興味深い部分でございました。
ワタクシも他人にこの「思い遣り」を説明しようとしたときに、この語の説明の難しさに戸惑うことがございます。それは、「真の思い遣り」とは別に、巷にあふれかえった「打算の思い遣り」が有るからでございます。「打算」というと非常に人聞きが悪くなりますが、人間とは本来、打算で行動するという“本能”がある生きもの。ですので、打算で人と接するということはしごく普通のことなのでございます。しかし、このふたつの思い遣りの違いを理解していないと、つまり「打算的行動なのに、それを真の思い遣り(愛情)だと思い込んでいる」と、それは、その人本人を苦しめることになるのでございます。
ギブアンドテイクなんて言いますが、真の思い遣りは、純粋に「Give」だけでございます。ほんの少しでも、見返りを期待する心があったなら、それは「打算」でございます。思い遣ってあげたのに相手が全く反応しないとか、あるいは大きなお世話だと言われたとか、そんなときに少しでもカチンと来たのなら、それも打算です。
真の思い遣りは、「好き嫌い」に左右されません。どんな相手でも同じように接しられること、それが真の思い遣りなのでございます。「この人には思い遣ってあげられるけど、あの人にはチョット」とか思うときには、そこには打算が入り込んでおります。さらに、自分に損害を与えたような人にまで同じように接しられるか? これは、かなり厳しいチェックポイントですが、「真」を見極める上で、重要な事でございます。
突き詰めると、真の思い遣りというのは、キリスト教でいうところの「無償の愛」のようなものになるのでございます。もちろん、世の中の人すべてが、達観した宗教家のような行動が出来るわけではございません。ですので、世の中には「打算の思い遣り」であふれかえっているわけでございます。そして、その打算と打算の相互関係のもと、世の中というのは、“それなりに”うまく回っているのでございます。
「じゃぁ、『真の思い遣り』なんていらないじゃん」と、思えてきますよね。でも、この「真」を分かっているのといないのとでは、大違い。ふたつの思い遣りの違いを理解することで、世の中を、まるで箱庭を上から覗くように俯瞰(ふかん)することが出来るのでございます。
電話を受けておりますと、まぁ、不思議。いろんなことが、全く同じタイミングで重なることが多いのでございます。ちっとも電話が鳴らないなぁなんて思っていると、2回線ある電話の両方に、ほぼ同時に着信が入り、そのふたつがほぼ同じ内容の予約、なんてことがございます。この不思議な現象、けっこう多いのでございます。「お客様同士が示し合わせて、同時に電話を鳴らせて私を困らせてるんじゃないか?」なんて冗談を、お店の中で言ったりもしております。とにかく、ほんの数分のタッチの差で予約を取り損ねるということ多いですので、思い立ったら、すぐに予約を入れるのが、吉でございます。
口開け(開店時間)直後、つまり午後1時というのは、予約が集中する時間でございます。特に、VIPルームはひと部屋しか有りませんので、「1:00PMからのVIPルーム」という予約は、競争率が激しいのでございます。予約受付の1週間前から押さえるお客様も時々いらっしゃいます。ですので、この時間帯をご希望の予約は、出来るだけ早めに入れた方がよろしいで、ございます。
電話予約の際に、VIPルームも申し込んでおくことが可能でございます。これは、VIPルームを確実に確保するという理由の他に、もうひとつ利点がございます。VIPルームが他のお部屋と「離れ」になっている関係上、VIPルームでの接客時は、各コンパニオンはお仕事の用意を持って、通常の待機場所からVIPルームへ移動することになるのでございます。移動によってお客様を待たせる時間はほんの数分ではございますが、やはり、接客の直前にコンパニオンにバタバタと急がせるというのは、あまりよくございません。しかし、予約時にVIPルーム指定が入っておりますと、コンパニオンは余裕を持って、VIPルームへ「先乗り」することが可能でございます。VIPルームの扉を開けたら目の前にコンパニオンが立って待ってくれているという、気持ちいい体験が出来るわけでございます。
え〜、どういうことか分かりませんよね。きょうびのニューハーフ、接客をするのにバイアグラ(相当)を使うというのが、ややスタンダードになってきております。こういった薬ってのは、飲んでから効き始めるまでに少し時間がかかります。あらかじめ予約が入っておりますと、その時間に合わせて事前に飲んでおけます。しかし、急なお客様な場合、急いで飲んでも、なかなか思うように効いてきてくれないということになるのでございます。もっとも、体調によっては薬なんて使わなくてもビンビンということはあるのですが、やはり、あらかじめ予約を入れて頂いた方が、コンパニオンはいろいろ準備が楽になるのでございます。
本日、あるコンパニオンから、「VIPルームの鏡は直さないのですか?」という話が出たのでございます。すると、他のコンパニオンからも「そうよね、あれがないとなんだが間が抜けてて嫌よね」とか、「無いと、ちょっと不便かもぉ」とか、「最近の軽い鏡なら、簡単に取り付けられはずよぉ」とか、「やっぱりフレームは、木よりも金属よね」とか、「この世で一番美しいのはシンデレラでございます」とか、もうお店の中は、アップサイドダウンの大騒ぎでさぁ...あの重くて、古くさくて、ちょっと薄汚れた鏡の意外な人気に、驚かされたわけでございます。
あの鏡、先日は「直さない」と申し上げましたが、直すことにいたしました。出来れば、いままで付いていた鏡を、そのまま復帰させたいですね。なんとなく、あの鏡以外ではシックリ来ないような気がするのでございます。あと、壁がタイル張りなので、新たなネジ穴とかちょっと大変。それで、今までのネジ穴を再利用したいということもあるのでございます。
というわけで、鏡が外れた原因を調べたのですが、なんと、驚きの事実が! ああいったものを押さえる金具は、スライドさせて鏡を上下から挟み込む形になっております。普通、下側の金具は、「固定させるか、スライドが落ちきった位置」で取り付けるものでございます。下を固定させておいて、上側の金具を内側にスライドさせて鏡を固定するのですよね。これならば、自然に落ちてくる心配はございません。
被爆者の方々の団体が、オバマ大統領に謝罪を求める手紙を送るそうでございます。確かに、被爆された方々の長年の苦しみは、筆舌に尽くしがたいものだとは存じます。しかし、ここで謝罪を求めるのは、歴史的な前進にたいして水を差す愚行に他ならないのでございます。
日本が原爆投下への謝罪を求めれば、アメリカはパールハーバーを謝罪しろと言ってくるでしょう。どちらの国の言い分も正当であり、正義なのでございます。100の国があれば、100の歴史解釈があり、100の正義がある。それが戦争でございます。正義と正義の対立ですので、これは未来永劫、平行線なのは明白。アツレキを解消する方法はございません。1つあるとすれば、「時間」でございましょう。だからこそ、蒸し返してはいけないのでございます。
ということ。史実の伝承は、枯らしてはなりません。しかし、憎しみを後世に伝えれば、永遠に答えの出ない問題を子孫に残すことになるのでございます。中東の国々は、何千年も前の出来事で、未だにいがみ合っておりますよね。憎しみを伝授すると、そういうことになるのでございます。
最近、アドラー心理学がちょっとしたブームになっております。アドラー心理学では、「叱ること」も「褒めること」もNGなのでございます。アドラー的には、叱ること・褒めること、そのどちらも「上から目線」の言葉だからだそうです。アドラー心理学が追及するのは「対等」。その対等を具現する言葉は「ありがとう」という感謝の言葉なのでございます。
ワタクシの自宅に、グランドピアノがございます。年に一度、ピアノの調律をお願いしているのですが、本日がその日。なぜ大騒ぎのイベントなのかと申しますと、一人暮らしのワタクシの部屋に他人様が入ってくるというのは、1年に一度、この日限り。な〜ぜ、他人様が入ってくると大騒ぎになるのか、それは、常日頃、ワタクシの部屋がごった返しているからでございます(笑)。
前日の夜から、ほぼ徹夜でお部屋の大掃除。部屋に他人が来ないというのは、人間を無防備にいたしますね。生もの、生ゴミこそありませんが、お店で使わなくなったソファーやテーブル、日曜大工の残骸、予備に購入した電球の山とか、様々なものが山積み状態。狭いお部屋のほぼ半分が、お店の倉庫代わりになっております。残りのスペースの5分の3を、ピアノが占め、さぁ、ワタクシの居住スペースは、全体の何分の一でしょう? なんて問題を出している場合ではございませんね。
舛添さん、フルボッコになってますねぇ。自業自得とはいえ、大変でしょうねぇ。家族旅行を会議費にしちゃったとか、美術品を買いあさったとか、ポロポロと出てまいります。税金ですと、税理士という専門家もいて、租税法というきっちりとした基準もございます。しかし、政治資金というのは、どうなんでしょうかねぇ? ということで、全国的に少数派な「税金をキッチリ支払っている風俗店」の店主、名古屋薫が、自分の体験から少しお話してみたいと思います(あぁ、また敵を作っちゃったかなぁ、いや、しかし、税務署の職員様各位、お仕事ご苦労さまでございます。(_ _)ペコペコ)。
当店は。オープン3年目にして、税務調査が入っております。そこでキッチリと(かなり手厳しい)各種指導が入りまして、修正申告、追徴金などもお支払いして、それ以降は税理士を入れて誠実一本槍で来ております。当店の場合も、税理士の先生の指導もありまして、従業員との飲食費(お食事会)は「会議費」として計上しております。個人経営なので、福利厚生費の適用は難しいけど、会議費としてはOK。もちろん、参加人数や1人あたりの金額とかには、気を遣っております。個人経営ですと、その他、かなり、というか、ほとんどの出費を「経費」として計上できたりいたします。
例えば、ワタクシがダイエットのためにリンゴを購入したといたします。これも、「人気商売、見た目が重要なので」という理由で「経費」に計上(出来るはず)。そうそう、自宅をお店の倉庫代わりにしておりますが、これも、お店の倉庫という形で経費へ。その他、諸々、個人経営の場合は、かなり広範囲に経費が認められるのでございます。もっとも、最終判断をするのは税務署なのですが、法律的にはほとんど認められるのでございます。
(はるな愛)「私はそれまでの悩みは、体が男なのがすべての原因だと思ってたんですね。女になったら全部解決するし、悩みもなくなると思ってたんです。(中略)でも問題はそういうことじゃないところにも多々あるし、人間関係や人生の悩みは性のせいではなかった。(後略)」ワタクシは、大勢の性転換したニューハーフを見てきているのと同時に、性転換手術を目指して気苦労を重ねている女装の方々もいろいろ見てきております。そして、そういう気苦労をしている方には決まって、このはるな愛さんの告白とほぼ同内容のアドバイスをしております。
アイドルが刺されるという、痛ましい事件が起こってしまいました。現時点では意識不明の重体とのこと。早く意識が戻るとよろしいですね。ご家族やファンの方々は、心配なことでございましょう。犯人の動機が「プレゼントを返されたから」とのこと。この件で。ワタクシの5/15(日)のこの欄の書き込みを再確認したのでございます。
5/15(日)の書き込みで、真の思い遣り(愛情)は「Give」のみで、「Take」を求めないと申しました。しかしこの犯人、見事に「Take」を求めてしまっております。「俺がこれだけしてやったのに〜」という思いなのでございましょう。まやかしの愛情が必ずしも事件に発展するというわけではございません。しかし、時として、この様に病的にまで増殖し、痛ましい事件にまで至ることもございます。
まやかしの愛情というもの、これをもっと端的に表現すると、「エゴ」ということになるのでございます。「エゴイスト」のエゴでございますね。つまり、まやかしの愛情というのは、相手に向けての愛情ではなく、自分に向けた愛情、自分に向けた慰みなのでございます。ただ、このエゴな愛情、現代社会にはあふれかえっております。贈り物を返されたりしたら、普通はカチンと来ますよね。それが普通でございます。それが普通になっているくらい、多くの人が、まやかしの愛情に鈍感になってしまっているのでございます。
自分の中の「カチン」とか「イラッ」という感情、これを自分自身で「これは”まやかし”なんだ」と気づければ、そのカチンとかイラッとかを、自分の中で「消化」することが出来るのでございます。分かりやすいように「消化」という文字を当てましたが、心理学の専門用語では、これを「昇華」と言ったりいたします。まるでドライアイスが液体状態を通り越していきなり気化するように、自分の考え方次第で、負のエネルギーがサラッと気化し、プラスの考え方に変えられるのでございます。
どうです、カチンとかイラッという感情、面倒くさいですよね。なかなか忘れられなくて、いつまでも不愉快な思いが続いたりいたしますよね。でもね、「そのイライラは自分のエゴが生み出しているのだ」と考え、昇華させていくことができれば、その不愉快な感情から自分を解放させることが出来るのでございます。さて、ここに重要な事項がございます。普通、人は「あの人(物)からイライラさせられた」とか思いますが、実はそのイライラは自分で作っていただけなのでございます。
自分のエゴが見えてくると、他人のエゴも見えてまいります。すると、世の中というのは多くのエゴが入り乱れ、その結果、「それなりに」うまく行っているのだと気づけるようになるのでございます。ここで「真の愛情」を押しつけるというつもりはございません。世の中にあふれかえっているエゴも、それはそれで「必要悪」だと思っておりますから。ただ、真と偽が見えてくると、偽が複雑に絡み合った中にキラリと光る「真」が見つかったりいたします。どうでしょう? あえて自分の中の「偽」を見つめるという作業は、こんな魅力的な結果に結びつくのでございます。
実は、この「真の愛情」というもの、心の中にあらかじめインプットされていないと、目の当たりにされても気づけなかったりいたします。「えぇ〜、インプットされるということは”気づいている”ということじゃないの? 矛盾してない?」と思う方もいらっしゃるでしょう。しかし、多くの人が、幼少期にこの「真実の愛=無償の愛」を体験しております。それは、親の愛、特に母親の愛でございます。
ということですね。慣れたお客様の中には、あらかじめ浣腸をしてから来店されるお客様もいらっしゃいます。しかし、初心者の方は、そこまで気にする必要はございませんよ。
お店の中で浣腸をすることも、可能です。イチジク浣腸の準備は、各コンパニオンがしております。浣腸ご希望のお客様は、コンパニオンに申し出て下さい。ただ、浣腸をしている時間もプレイ時間に含まれてしまいますので、90分のコースならば余裕ですが、40分のコースではチョット時間がもったいないですよね(まぁ、慣れたお客様は、40分のコースでも上手に浣腸をされたりいたしますが)。お客様が浣腸をしていなくても、上手に逆アナルをするスキルを各コンパニオンは持っておりますので、無理に浣腸をする必要はございませんよ。
また、「シャワー浣腸」というのをされるお客様も、いらっしゃいます。これは、バスルーム内で、「アナルの中に少量のお湯を入れて出す」ということを数回くり返すことで、直腸を洗浄してしまう方法でございます。当店のバスルームは、普通のシャワーヘッドと、ヘッドのないホースのみのシャワーと、併設しております。ホースのみの方を使って、(余分なお湯を逃がすようにしながら)ご自身のアナルに軽くホースを当てていただくのでございます。ジリジリとお湯がアナルの中に入ってまいりますので、少し入れたら、排水口に出してもらう、そんなやり方でございます。これも、かなり慣れが必要ですので、あまりこだわる必要はございません。
アメリカの大統領選の注目の人、トランプ氏の支持率が、ジワジワと上がっているそうでございます。候補指名が射程距離内に入り、過激発言を少しずつ封印しているからだそうでございます。う〜ん、見事なツンデレ。あれだけの財を残した人、やはり人の操作方法に長けていると考えざるを得ないのでございます。橋下さんも同じようなところがありますが、橋下さんはツンばっかりでデレがなかったのが敗因かもね。
さて、トランプ氏の好感度アップに、ワタクシ、ちょっと嫉妬しております。ワタクシは真逆の「デレツン」。つまり、最初は優しいのですが、後から厳しいことを言っちゃうタイプ。これがね、いろいろ損をするわけでございます。
悪そう・厳しそうに見えた人が、ほんのチョット優しいことをすると、「あの人は、ほんとはすごくいい人なんだ」「悪ぶっているのは、照れ隠し?」とか、大変な好感度アップに至るわけでございます。ところが、ところが、最初に優しかった人(ワタクシの事です)が、ある時、ほんのチョット厳しいことを言っただけで、「あぁ、こんな人とは思わなかった」「やっぱり、馬脚を現したね。最初からそう思っていたわ」「ママは、変わったね」と、まぁ、好感度が地に落ちるわけでございます。
テレビ・新聞などは、伊勢志摩サミット関連で持ちきりでございます。世界の首脳の方々が、伊勢神宮へお参りに行かれたとのこと。各種報道では「”二拝二拍手一拝”は求めずに自由に参拝」などと報道されておりますが、そもそも伊勢神宮は「四拍手」だとも言われており、まぁ、あえて作法を求めなかったというのは、余分な混乱や堅苦しさを避ける意味で良判断でございましたね。
さて、神社関係では、こんな別のニュースもございます。最近、さして混雑していないのに賽銭箱の前に長い行列が出来ることが多いらしいのでございます。「賽銭箱の中央で参拝しなければいけないと思い込んでいるのか、あるいは、中央にしかパワースポットがないと思い込んでいるのか?」とは、ある神主談。神社側では「鈴を鳴らしたら、横にずれて下さい」とお願いしているそうなのですが、なかなか行列がなくならないそうでございます。
別に、あれは、端っこでお参りしても、何ら問題ないですよ。あと、二拝二拍手一拝とか口や手を濯(すす)ぐ方法とか、事細かく作法が決まっている様ではございますが、あれを厳格に守らせようとする風潮も、ワタクシは大っ嫌い。ワタクシは、ほぼ毎朝、近所の神社へお参りするのを日課にしておりまして、まぁ、だいたい、作法通りにお参りしてはおりますが、そんなに拘りません。形よりも「心」が重要だと思っているからでございます。
それで気になるのが、もうひとつの風潮。パワースポットとかへ、やたら「パワーを”もらいに”行く」という感じで赴く風潮。「Give」と「Take」のTakeばかりしかないということですよね。こういった「ちょうだい根性」で参拝するのはどうかなぁ、と思うのでございます。
ワタクシは、パワーというのはパワースポットに有るのではなく、各個人それぞれの「心の中」に有ると思っております。寺社仏閣へ赴く際、その場所まで足を運ぶ尽力さ、境内に入るあるいは結界を超える時の敬虔(けいけん)さ、そして参拝する時の感謝の気持ち、こういった真摯な姿勢(Give)が、自分の中のパワーを引き出してくれるのだと思っております。つまり、もともと自分が持っているパワー(自力)を、寺社という環境の力(他力)によって引き出してもらう、という考え方でございます。
日本にはもともと、「八百万(やおよろず)の神」という概念がありまして、石ころから木や山、果てはトイレにまで神様が宿っているという考えがございます。そう考えると、我々一人一人にも神様が宿っているとも、考えられるわけでございます(その考え方で、能楽を飛躍的に進歩させたのが「世阿弥」なのですが、その話はまたの機会に)。参拝によって、その自分の中に宿っている神様を引き出すということでございますね。そういう気持ちがあると、寺社やパワースポットへ出かけるのも、より有意義になるのではないでしょうかねぇ。
ハワイ島パールハーバーの、「アリゾナ記念館」というのをご存じでしょうか? 旧日本軍の真珠湾攻撃によって撃沈された米戦艦アリゾナ、その上にアリゾナ記念館は建てられております。慰霊碑であり歴史遺産でもあるそのアリゾナ記念館は、長い間、来訪者に日本の奇襲攻撃の残虐さを伝える施設でもありました。
そのアリゾナ記念館のビジターセンターに、2013年の9月から、小さな、小さな「折り鶴」が展示されているのを、ご存じでしょうか? この折り鶴は、広島の原爆投下で被爆し12才でこの世を去った佐々木禎子さんが病床で折った千羽鶴の一部、その「実物」が展示されております。遺族にとっては貴重な「遺品」でもあるこの折り鶴がどうしてアリゾナ記念館に展示されているか、それにはこんな経緯がございます。
話は、2001年のアメリカ同時多発テロに起因しております。当時、ワールドトレードセンター跡には、多くの花や星条旗が供えられました。それらに混じって、何束もの「千羽鶴」も供えられたそうでございます。アメリカの関係者にはその「オリガミ」の意味が分からぬまま、他の星条旗などといっしょに大切に倉庫に保管されることになったのでございます。
テロから3年半が経過した2005年の3月、テロ犠牲者の家族で構成される「9・11 家族会」の代表者達が、東京へ招かれました。その際、偶然、人の勧めにより広島を訪れることになったのでございます。そして、広島平和記念公園にあふれかえる千羽鶴の束を目撃し、ワールドトレードセンターに供えられた千羽鶴の「想い」を得心するに至るのでございます。
この出来事を機に、テロ跡地のトリビュートセンターには「一万羽鶴展」が常設されることになり、千羽鶴の由来となった佐々木禎子さんに行き着き、佐々木禎子さんのお兄さんに協力の申し出が依頼されると、そこから話は急展開を迎えます。そのお兄さんが接触を申し出たのは、トルーマン大統領のお孫さん。トルーマン大統領といえば、原爆投下を決定した大統領でございます。お孫さんとお兄さんとの交友が、アリゾナ記念館の折り鶴展示にまで発展いたします。
アリゾナ記念館でかつて展示されていた旧日本軍の非道さを伝える展示内容は、現在では、当時の世界情勢を冷静公平に記し、「どうして日本が戦争を始めるに至ったのか」という展示に変えられているそうでございます。アリゾナ記念館は2010年ころからその展示内容を改める動きが出ており、2013年のこの折り鶴展示から、その存在意義を「遺恨」から「和解」へと大転換しております。
さて、オバマ大統領が広島を訪問いたしました。なんか大仰なコメントが交わされましたが、ワタクシとしては、当時広島に捕虜として抑留され、原爆によってその命を落とした20数名のアメリカ兵のことや、アリゾナ記念館に展示されている折り鶴のことに言及して欲しかったなぁという思いでございました。
本日、ご予約を頂いたのですが、その希望日がほぼ1ヶ月先。非常にありがたいご予約なのですが、なにぶん1ヶ月も先ですと、コンパニオンの出勤が確定しておりません。「ゴメンナサイ」と思いつつ、もう少し間近になってから予約を入れ直して頂くようお願いいたしました。
基本的に、予約は1週間前から受け付けております。ゴールデンウィークや年末年始などは早めにコンパニオンに出勤の確定をお願いしておりますので、2週間くらい前から受けたりしております。最近はコンパニオンの方々が頑張って出勤してくれているおかげで、直前の予定変更というのはほとんどございません。それもあって、1週間前からの受付も、非常に安定して行うことが出来ております。
1週間前から、電話予約できます。初めてご利用のお客様も、大丈夫です。ただ、初めてご利用のお客様で5〜7日先の予約を入れられる場合は、いらっしゃる日の前日に「確認の電話」を入れて頂くようお願いしております。これは、初めてのお客様は、予約を入れたのを忘れちゃうことが時々あるのですよね。それで、確認電話をお願いしております。2度目以降の来店に関しては、予約電話はお願いしておりません。
この場合は「20分以内に来店していただく」という形の予約になります。20分を超える予約や前日予約などは出来ません。ただし、会員番号をお持ちのお客様は、番号通知がなくても、1週間前からの予約が可能となっております。会員番号は来店時にフロントでお渡ししておりますので、会員登録をするためには、1回は来店していただく必要がございます。登録と言っても、ただお名前を頂くだけ。そのお名前も、ニックネームだったりイニシャルだったりで大丈夫ですよ。
「今でしょ」と答えるのはギャグになってしまいますね。「営業時間は13時から、電話受付は正午の時報から」というのが、当店の長年のルールでございました。コンパニオンが大勢いた頃は12時の時報に合わせて電話が鳴りまくる時期もありましたので、公正を期すため、開始時間を厳格に守っておりました。今は、それほどでもありませんので、お店にワタクシがいれば、営業時間外でも電話を取ったりしておりますよ。午前中も、10〜11時くらいからお店の掃除を始めておりますので、そのくらいの時間でも電話を取ることもございます。
まず、1人のお客様が複数のコンパニオンを「押さえておく」ことは出来ませんので、指名がある場合はコンパニオンを決めておいて下さい。1本の電話で団体受付も可能ですので、その場合は、いらっしゃる人数分のコンパニオンの予約が出来ます。あと、他の予約との兼ね合いがありますので、コースの枠の長さ、40分か90分だけ、予約の段階で決めていただいております。もちろん、90分以上の延長つきで予約を入れることも可能ですよ。さらに、予約の段階で、VIPルームを指定することも可能です。
最近はその手軽さから、ネットで書籍を購入することが多くなりました。しかし、思いも寄らぬ本に出会うことも多いので、ワタクシは出来るだけ街の本屋へ足を運ぶようにしております。昨日、たまたま出会ったのも、こんな本。
美しいイラストにひかれて、ついつい購入してしまったのでございます。編集者を見ると、「齋藤孝」というワタクシにとっては馴染みのあるお名前。この方の本はいくつか持っておりますし、監修をしている「にほんごであそぼ」(Eテレ)という番組も、大好きで毎日録画して観ております。
齋藤孝さんの出されている本に、『声に出して読みたい日本語』のシリーズがございます。どうも、ワタクシ、この方が書かれた本は衝動買いしてしまう傾向が有るようでございます。今回も「齋藤マジック」にしてやられた感がございます。
そこで、昨年、「アナと雪の女王」の挿入曲が、なぜか日本語バージョンのみが大ヒットするという出来事がございました。日本語を勉強する外国人の中には、「日本語の響きが美しいから」と言って学んでいる方も少なくございません。実際に、日本語というのは他の言語に比べて、音声学的に非常に美しい言語なのでございます。今日は、その美しさをひもといていきましょう。
日本語の特徴として、「無声音がほとんど出現しない」という特徴がございます。ヒソヒソ話をする時に、声を出さずに息だけで言葉を発するでしょ。あれが無声音。関東の言葉にはところどころ混ざりますが、関西の言葉にはほとんど出てこない。関東弁が威勢良く、関西弁が柔らかく聞こえるのは、これも一因でございます。
一方、日本語以外のほとんどの言語は、この無声音だらけ。音の半分くらいが無声音。無声音っていうのは基本的に「空気のこすれる音」ですので、無声音を多く含む言語っていうのは、音声学的には「雑音ばかり」と言っても過言ではない(個人的な感想です、笑)。ですので、無声音になれた言語の方が日本語を聞くと、まるで「グレゴリオ聖歌」を聴いているような癒やし感を得るのではないでしょうか。
日本語のもうひとつの特徴が、アクセント。やはり、世界的に多いのは「強勢アクセント」といわれるもので、主に音の「強弱」によってアクセントを表現する。一方、日本語は「高低アクセント」。音の「高さ」によってアクセントを表すのでございます。強勢アクセントの言語は、より「打楽器」的、パーカッシブな響きであるのに対し、日本語は普通に話していても、それが「メロディー」になっているのでございます。
歌の世界では、この高低アクセントで困ったりすることもございます。曲によっては、アクセントの高低とメロディーの高低が逆位相になっていることもございます。洋楽に日本語の歌詞を貼り付けた時など、こういったことが起こりやすいのですよね(だから、ミュージカルではしょっちゅう)。
この場合は、歌詞をずらしたり、ちょっとメロディーを変えたりとかして、日本語として伝わりやすい歌い方をしたりいたします。日本のミュージカルには、どうしても「むず痒い感」が出てしまうのは、日本語という言語が元々「メロディー」を含有しているからではないでしょうか?
なんか今日は、日本語の美しさを力説してしまったのでございます。日本人が英語をなかなか習得できないのも、発音やアクセントが根本的に英語とは「真逆」であるというのが、その原因のひとつではないでしょうか? 英語教育の重要さがよく語られる昨今ですが、進んで日本語を学びたいという外国人も増えております。(水野晴郎風に)「日本語って、ほんとうにいいものですねぇ」。では、では。
5月もあと1日で終わりですね。今月は、文化的著名人がお二人、亡くなられております。蜷川幸雄さんと、冨田勲さんでございますね。特に冨田勲さんは、「ジャングル大帝」や「リボンの騎士」で育ったワタクシにとっては、大変影響力の大きい音楽家でございました。冨田勲さん関連の特集番組が、いろいろ再放送されております。改めてそれらの番組を観るに、冨田勲さんの偉業を再確認しております。
「ジャングル大帝」や「リボンの騎士」で驚かされるのは、効果音のほとんどまでを楽器で演奏しているということでしょうか。効果音ですから、画面と音がピッタリ合っていなくてはならない。手書きでアナログ録音の時代ですから、大変な職人芸が要求されたことだと思います。これは「トムとジェリー」でも同様な演出をしており、「トムとジェリー」が何度もアカデミー賞を受賞していることを考えますと、「ジャングル大帝」や「リボンの騎士」も、アカデミー級の作品だと、ワタクシは思っております。
映像と音楽の同期という点では、ディズニーも思い出されますね。「ファンタジア」に代表されるように、大変な手間暇かけて「音」と「絵」の同期を図っております。効果音も含めて音楽で表現するというのは、オペラ的手法でございますよね。オペラ大好きな手塚治虫さんとの相性が良かったことも、うなずけるのでございます。こう考えると、当時のアニメ作品はとても手の込んだ芸術作品であり、文学性も高かった。その様な作品に囲まれていた幼少期は、ワタクシにとって大きな影響を与えたと思っております。
現在「サウンド・クラウド」と言いますと、音楽をダウンロード出来るネット上の共有場所という意味合いでございます。しかし、冨田勲さんが唱えておりました「サウンドクラウド」というのは、「音場(おんば)」とでも訳しましょうか。「音楽が鳴っている空間全てを、音楽の一部と考える」と言うと、分かりやすいでしょうか?
「新日本紀行」の録音では、拍子木の音を録音するのに非常階段を使ったそうでございます。拍子木の音にリバーブ(残響音)を付けたかったからとのこと。残業音というのは、音が鳴っている場所の「広さ」をイメージさせます。冨田勲さんはかなり初期の頃から、音楽を「空間」も含めた3次元的なものとして表現しているのが分かるのでございます。
LPレコードしかなかった時代にレコードの4チャンネル再生に拘ったり、ヘリコプターからスピーカーを吊り下げた野外コンサートなんてのもございました。「ヘリコプターの雑音が混じる」と言われると、冨田さんは「ヘリコプターの音も含めて、僕の音楽なんです」と答えたそうでございます。
毎週火曜日に楽しみにしているドラマがございます。『重版出来!』(じゅうはんしゅったい)というドラマでございます。主演は「黒木華」(くろきはる)さん。黒木さんの地味な見目形のせいか、今ひとつ視聴率は伸び悩んでいる様子。でも、この黒木華という女優さん、その経歴は目を見張るものがございます。日本の映画賞は受賞しまくり。特に注目を浴びたのは、ベルリン国際映画祭での銀熊賞でございましょう。
そんな受賞歴のせいでしょうか、他キャストの演技や演出など、ドラマ全体に「真面目さ」を感じるのでございます。出演者全員が「力の抜けた自然で味のある演技」に徹している、そんな印象を受けるドラマでございます。ワタクシ的には「良ドラマ」であるとは思うのでございます。しかし、昨今のドラマの風潮である「主演がアイドル」「ガチャガチャした派手な演出」という路線から逸脱していることで、数字的に苦戦しているのでしょうか?
え〜と、今日は、このドラマがテーマではございません。このドラマの舞台は、漫画雑誌の編集部、漫画家、そして書店でございます。実はワタクシ、大学時代に書店でアルバイトをしておりました。そのうち、学業よりもそのアルバイトの方に身が入ってしまい、結局、大学を中退して書店の社員になってしまうという経歴を持っております。ですので、書店が出てくるこのドラマ、自分の書店員時代を思い出したりして感慨深かったりするのでございます。
書店で働いていて驚いたのは、毎日、数百冊の本が新たに出版されているという事実でございます。毎週とか毎月ではございませんよ、毎日でございます。当然、出版されるすべての本が書店に並ぶわけではございません。問屋からある程度チョイスされて配本されてきた入荷から、書店でさらにチョイスをかけるわけでございます。並べる必要のないものは即日返本、売れ筋だと思うものは即日追加発注。書店の棚のスペースにも限りがございますからね、種々選択するのは必須の作業なのでございます。
その「出版物リスト」を毎日見ておりますと、世の中の動向が見えてまいります。ある意味、「『文化の最先端』が新規出版物に集約されている」と言っても過言ではございません。出版物のリストには「文化の発信側の動向」が集約されており、どの本が売れているかという書店での実態には「文化の受け手側の動向」をつぶさに感じ取ることが出来るのでございます。
今でこそ、ネットを見れば、その中を飛び交う大量の情報を垣間見ることが出来るのでございます。ワタクシは、そんな「情報の渦巻く滝壺の中へ頭を差し入れる」というような体験を、30年前の書店員経験で実感しておりました。むしろ、嘘や人為的操作の多いネットよりも、「出版物」と「読者」という関係の方が、より真実味が有るのでございます。これは書店に限らず、ネットがない時代の方が、世の中の「真実味」というものはより強く感じられたかもしれませんね。