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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2016-05-30 【「惑星」「月の光」「展覧会の絵」「火の鳥」「ダフニスと〜」......】

5月もあと1日で終わりですね。今月は、文化的著名人がお二人、亡くなられております。蜷川幸雄さんと、冨田勲さんでございますね。特に冨田勲さんは、「ジャングル大帝」や「リボンの騎士」で育ったワタクシにとっては、大変影響力の大きい音楽家でございました。冨田勲さん関連の特集番組が、いろいろ再放送されております。改めてそれらの番組を観るに、冨田勲さんの偉業を再確認しております。

映像と音楽の同期

「ジャングル大帝」や「リボンの騎士」で驚かされるのは、効果音のほとんどまでを楽器で演奏しているということでしょうか。効果音ですから、画面と音がピッタリ合っていなくてはならない。手書きでアナログ録音の時代ですから、大変な職人芸が要求されたことだと思います。これは「トムとジェリー」でも同様な演出をしており、「トムとジェリー」が何度もアカデミー賞を受賞していることを考えますと、「ジャングル大帝」や「リボンの騎士」も、アカデミー級の作品だと、ワタクシは思っております。

映像と音楽の同期という点では、ディズニーも思い出されますね。「ファンタジア」に代表されるように、大変な手間暇かけて「音」と「絵」の同期を図っております。効果音も含めて音楽で表現するというのは、オペラ的手法でございますよね。オペラ大好きな手塚治虫さんとの相性が良かったことも、うなずけるのでございます。こう考えると、当時のアニメ作品はとても手の込んだ芸術作品であり、文学性も高かった。その様な作品に囲まれていた幼少期は、ワタクシにとって大きな影響を与えたと思っております。

サウンド・クラウドという考え方

現在「サウンド・クラウド」と言いますと、音楽をダウンロード出来るネット上の共有場所という意味合いでございます。しかし、冨田勲さんが唱えておりました「サウンドクラウド」というのは、「音場(おんば)」とでも訳しましょうか。「音楽が鳴っている空間全てを、音楽の一部と考える」と言うと、分かりやすいでしょうか?

「新日本紀行」の録音では、拍子木の音を録音するのに非常階段を使ったそうでございます。拍子木の音にリバーブ(残響音)を付けたかったからとのこと。残業音というのは、音が鳴っている場所の「広さ」をイメージさせます。冨田勲さんはかなり初期の頃から、音楽を「空間」も含めた3次元的なものとして表現しているのが分かるのでございます。

LPレコードしかなかった時代にレコードの4チャンネル再生に拘ったり、ヘリコプターからスピーカーを吊り下げた野外コンサートなんてのもございました。「ヘリコプターの雑音が混じる」と言われると、冨田さんは「ヘリコプターの音も含めて、僕の音楽なんです」と答えたそうでございます。

音が立体的に広がることをイメージし、音が人間を雲のように包み込むことを、常に目指していたように感じられるのでございます。今でこそ「サラウンド」なんて当たり前ですが、それを今から50年も前に考えていたというのは、革新的なのでございます。

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何年か前に、冨田勲さんが「タモリ倶楽部」に出演されたことがございます。もうね、飛び上がるくらい嬉しかったですね。気さくな音楽好きなおじいさん(と言うのは失礼でしょうか)が、そこにはおられました。

ワタクシも音楽を勉強中、デジタルシンセサイザーを使って多重録音をするなんていう冨田さんのマネゴトをしておりました。冨田勲さんの偉業は、常にワタクシをインスパイアし続けてくれておりました。

亡くなられる日の前日も、コンサートの打ち合わせをされていたとのこと。亡くなられたのを、つくづく残念に思っております。ご冥福を、お祈りいたします。


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