店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
巷の評判では、かなり楽な組に入ったとのこと。最後の最後に残った二枠が、天国と地獄のふたつだったそうで、そのふたつを、日本と韓国が取り分けたことになるのでございます。まぁ、運命の分かれ道、サッカーに詳しい人にとっては、最後まで手に汗握る抽選だったでしょうねぇ。
元号が2019年に変わる事が、正式に決まったようでございます。ゴールデンウィークのど真ん中で切り換えるのは、お休み中ならば混乱が最小限という配慮なのでしょうか? 素人考えでは、12月31日か3月31日で切り換えた方が何かと便利だと思うのですが、そこには大人の事情でもあるのでしょうか? きっと、テレビで、池上彰さんが解説してくれる事でしょう。
新元号は来年半ばに公表とありますが、カレンダーとか大丈夫かなぁ? 年明け早々に発表しないと、印刷関係、厳しいんじゃないかな? 来年の夏に、過労でダウンする印刷オペレーターが続出しない事を祈るばかりでございます。変わるのはカレンダーだけじゃ有りませんからね。世の中の日付の入っている印刷物はほぼ全て、刷新となるわけですから。
2000年問題でコンピュータ関係が大わらわした教訓で、その後のコンピュータソフトはほぼ全て、西暦や元号への対応をしているそうでございます。それでも、きっと何か起きるのでしょうね。プログラムのこういった部分は、「その時」が訪れないと発覚しないエラーとかが潜んでいることが多いものでございます。
「都庁爆破!」というドラマの撮影が、名古屋で進められているそうでございます。名古屋の人には見慣れた風景がドラマに現れるわけで、名古屋人限定でチョイト違和感のあるドラマになるのでしょうか。ドラマの内容とは別の意味で、少し興味があるのでございます。
「ブラタモリ」で名古屋がテーマの回、あまりにも知っている事が多く、名古屋回だけレベルの低い番組に思えたものでございます。これは、自分の地元がテーマになる回では、その地元の方が同様に感じられている事なのでしょうかねぇ。見慣れた風景が画面に映るのは嬉しいのですけどね。
ときおり、YouTube をダラダラと見ております。まぁ、おバカな笑える映像だったり、他人のゲーム画面だったり、あるいは、最新技術のテクニカルな映像だったりとか。もうね、テレビのバラエティ番組はいりませんね。テレビを見ない世代が、増えるわけでございます。
(YouTube より)
安全運転の センスの高め方を教えます【センスと技術は別モノです】
https://www.youtube.com/watch?v=zyhoLREHklk
一方、センスというのは、想像力、洞察力の世界でございます。このビデオの投稿者は、この「センス」を磨くためには、「体験」することしかないと言っております。事故のドライブレコーダー映像を見るのも有効だとも、言っております。
さて、ワタクシ、このビデオを見て、はたと膝を叩いたのでございます。新人さんに接客の指導などしておりますが、「接客の技術」は教えやすいのに対し、「接客のセンス」というのはなかなかに説明が難しい。けれど、この You Tube の映像がズバリ、核心を突いていたのでございます。
接客をするに当たって、どんな声でどの様に話しかけるか、やるべき事、やっていい事、いけない事、こういった言葉で説明出来る事項は、すべて「接客の技術」でございます。では、「接客のセンス」とは何になるのか? それは、お客様が次に何を欲しているかを想像する能力ということになるのでございます。
YouTube のビデオでは、「センスを磨くのは”体験”することが有効」と言っております。接客でも同様、体験を重ねることでセンスが磨かれるわけでございますが、ここには「問題意識」も必要。センスというのが何であるのか、それを磨くためには何に注目すべきなのか、そういったことが分かっていないと、多くの体験も右から左に受け流す事になってしまうのでございます。
今日のニュースで、懐かしい法律の名称が出てまいりました。「優生保護法」でございます。重度の知的障害のある女性が、10代で不妊手術を強要されたことに対し訴訟を起こしたのでございます。その女性は現在60代とのこと。ほぼ半世紀前、現在の感覚では想像し難い法律が存在していたのでございます。
優生保護法の起源となるのは「優生学」「優生思想」といったもの。「人類の優秀な遺伝子のみを後世に残そう」という考え方であり、古代ギリシャから存在した思想ではございますが、20世紀に入ってから、アメリカやドイツで盛んに支持されるようになったのでございます。そんな流れもあり、日本でも戦後間もなく、優生保護法という法律が制定されることに。
優生保護法が猛威を振るっていた頃は、大勢の「劣っている」と判断された方が強制的に避妊手術などを受けさせられたのでございます。今から思えば人権問題でございますが、当時は当たり前の考え方でございました。いやはや、法律というものが、いかにその時どきの”世間の気分”で制定されているかということでございます。
この優生保護法が改正され、優生思想に基づく条項が削除され、名称も「母体保護法」と改められたのが1996年。そう、つい最近まで残っていた法律なのでございますね。で、ワタクシ、この優生保護法には、別の形で関わっているのでございます。
性転換手術を合法的に認める法律「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」が制定されたのが、2003年。ということは、この法律が出来るまでは、国内での性転換手術は違法行為でございました。性転換手術だけではなく、キンタマを抜く手術も違法。当然ワタクシは、その違法行為の当事者となるのでございます。
この性転換手術やタマヌキ手術を違法とした根拠が、旧優生保護法の第28条。「何人も、この法律の規定による場合の外、故なく、生殖を不能にすることを目的として手術又はレントゲン照射を行ってはならない。」という条項でございます。健康な人の生殖機能を失う手術は御法度という意味でございます。
この条項、母体保護法に改定される際に無くなったのかなと思いきや、今も残っているみたいですね。まぁ、性転換手術に関しては別の法律が出来ましたので、現在、性転換手術が母体保護法で罰せられる事はございませんし、そもそも母体保護法は、医師への罰則でございます。
性転換が合法になる前は、性転換手術やタマヌキ手術は違法だったというのは、先に申し上げたとおり。ですので、国内でのその様な手術はアンダーグラウンドで行われる事になり、それで逮捕された医師などもございました。ワタクシがタマヌキ手術をした際も、医師から「あなたが最後で、今後は受けないつもりだから、誰かを紹介とかしないでね」と釘を刺されたものでございます。
今、性転換手術を希望している人は、優生保護法なんて時代があった事、知らないでしょうねぇ。ニューハーフという世界がアンダーグラウンドの世界で、チョイト背徳的な空気があった時代。その時代に生きたニューハーフは、ある意味、極道者。ただ、そんな背徳感のあった時代の方が、ニューハーフは「文化」として輝いていたように思えます。
ダイエットのためにお酒は極力控えているのですが、マッコリは低糖質らしいということで、最近はマッコリを時々飲んだりしております。お酒の宣伝に釣られまして、「ホットマッコリ」なるものも試してみたのでございます。マッコリをレンジでチンしまして、そこへ生姜を入れる。見た目、香りはまるで甘酒そっくり。さぁ、お味の程は?
う~ん、あまりいただけない。ワタクシの作り方がいけないのかなぁ? 匂いが強くなり、乳酸菌独特の爽やかさが無くなってしまう。しかも、ムチャクチャ酔いが回るのが早い。生姜入りで体が温まりますので、ほんの少し、寝酒にいいかも知れませんね。
さて、話題は変わって、喉を守って200年、ゴホンと言えば龍角散。あの龍角散が、劇的なリニューアル! と言っても、粉末の方ではなく付属の小さいスプーンのお話。あのスプーンに穴を3つも開けてしまったとのこと。新聞などでも大々的に宣伝しております。
ラーメン屋の穴あきスプーンはそぼろ用、あれはなかなかに便利でございます。しかし、粉末を乗せるスプーンに穴を開けるとは! しかも、小さなスプーンに盛大な穴が3個も開いております。様々な実験を繰り返して、辿り着いた形状なのでしょうねぇ。スプーンの改良に200年ですか。いや、ほんと、目からウロコのインプルーブメント(改良)なのでございます。
豊洲が、まだまだ揉めてますねぇ。ゼネコンがサジを投げ始めているとのニュース報道。結果的に、小池さんが掻き回して、ただ停滞させてしまっただけの形になっちゃいましたね。小池さん、受注業者と都議会のドンとの癒着を問題視してツッコんだみたいですが、小池さんには荷が重すぎたのかもしれません。
たとえ不純な要素が含まれていたとしても、自分の任期の前に決まってすでに進行していたことですからねぇ。苦々しく思いながらも、やり過ごすべきだったかも。で、自分の任期中に、同じ不正をやらせなければ良いのですから。いつも同じ事を言っちゃうけど、清濁併せのむこと、小池さんには必要かなぁ?
名古屋市が整備した水上バスが車いすに対応してないとのことで、障害者団体が市の担当者に噛みついたとの事。いや、本当に噛んだわけではなく、苦情を言ったということでございます。ワタクシ、同様の事件で同じ事を何度も申し上げておりますが、障害者団体は「愛される団体」を目指した方がよろしいと存じ上げますが、いかがなものでしょうか?
その水上バス、いったいどれくらいの車いすの人が利用するのでしょうか? というか、その水上バスに乗れなかったら、日常生活に支障がでるの? というか、いままで、どうしてたの? 障害者団体の中の人、前にも申し上げましたが、「世間一般の共感」を忘れては、健常者と障害者の共存は有り得ないのでございます。
性転換手術が保険適用になるかも! これは、ある意味、すごく恐い。今、性同一性障害の診断基準が曖昧で、手術をしない方がいい人にまで診断を下してしまっている傾向がございます。精神科医による十分な所見が行われていないのですよね。保険適用になると、街の美容外科がウハウハで性転換ビジネスに参入してくるかも。
まぁ、ものは考えようで、性転換手術がマイノリティつまり少数派だったからいろいろ注目されるわけで、二重まぶたの美容整形を行うような気分でオチンチンを切ったり付けたりする時代がもし来たら、マイノリティ特有の疎外感や差別といった問題は無くなるのかも。結局、世の中、「多数派=常識」となってしまうのですから。
個人的な見解では、歯の矯正とかを保険適用にした方が、よっぽど日本人の印象が良くなると思うのでございます。外国人に日本人のイメージのアンケートを採ると、「歯並びが悪い」「口臭が強い」というイメージが上位に上がってくるのでございます。
まずね、一番重要なこと。現在、合法的な性転換手術の対象者は「性同一性障害」のみでございます。そして、この性同一性障害というのは「先天性」であること。これ、多くの場で見過ごされている重要な事実なのでございます。
先天性ということは、思春期つまり第二次性徴よりも前に症状が出ている必要があるのでございます。ですから、十分な大人になってから急に目ざめたとかいう話、そんなのは性同一性障害ではございません。あくまでも、幼少期に、ヒゲが生えたりオッパイが膨らんできたりする前に、すでに兆候があるのでございます。
精神科医はこれを確認するために、本人だけではなく家族にまで問診を行ったりするのでございます。ただねぇ、本人の「診断がもらいたい」という願望が強すぎると、いろいろなところにバイアスがかかっちゃいまして、ついつい「もっともな」返答をしてしまいがちなのですよね。
診断を貰うための「問診模範解答マニュアル」なんてものが出回ったこともございます。あるいは、診断を貰う前に海外などで手術を済ませちゃう人なんてのもいらっしゃいます。そういう事後承諾の人には、精神科医も判断が甘くなっちゃったりいたします。
衣装倒錯には、性同一性障害ではなく他の様々な「心の病」の可能性もございます。しかし、どうも多くの精神科医は「積極的に他の心の病を疑う」という方向性は持っていないように感じられるのですよね。これは、性同一性障害という病気の歴史が非常に浅く、専門医でさえ十分な知識を持っていない場合が多いからではと、ワタクシなりに推測しております。
性同一性障害という病気は、診断を下す基準が、まだまだあやふやな状態。そして、性転換手術の可否を決める法律も、その基準がコロコロ改訂されております。流れ的には、厳しかった基準が緩くなるように改訂が重ねられております。診断の判断もあやふや、手術の可否もあやふや、そんなボンヤリした決まり事の中で、現状の合法的な性転換手術は行われているのでございます。
さらに、この問題にはもう一つの大きなバイアス(偏向)がかかっております。それは、歴史的に、「心の性を治療する」という方向性はタブーになっていることでございます。どの精神科医も、これを絶対に言い出さない。多分、言い出した途端、その人の医者としての生命が脅かされてしまう、それほどにタブーとなっているのでございます。
これはですねぇ、かつて同性愛者への差別や迫害、同性愛者を「治療」しようとした黒歴史があるからではないでしょうかねぇ。その結果、「同性愛者を”治療する”」というのは、世界的なタブーとなっております。その流れが、性同一性障害にも適応されちゃっているのでしょうね。ただ、アメリカなどでは性転換手術後の自殺者が多い事が問題になり始め、今は「心の治療」を優先する考え方も見直されております。
今日は、先日入荷いたしました雑誌をご紹介いたします。今まで、雑誌入荷のご案内はしておりましたが、その内容まで紹介する事はございませんでしたよね。そこで今回は、画像を交えまして、内容までご紹介しちゃいますよ~~
その前に注意点を。画像は全て直に貼らず、リンクをクリックすることで表示されるようにしております。クリックしちゃうと、エロエロウフ~ンな画像が表示されちゃいますので、会社で読んでいらっしゃる方とか、電車の中で読んでいらっしゃる方とか、どうぞ気をつけて!
では、まず表紙から。本文に戻る場合はブラウザの「戻る」ボタンを使ってね。
http://she-mail.jp/blog/images/171206_d_nh0.jpg
先日ご紹介した『奴隷ニューハーフの淫乱調教記録』でございます。発売日は11/30。表紙で気になるのは、右下の「付録DVD完全オリジナル新作」という文字。この手の雑誌の付録映像は、普通、既販AVからのハイライトシーンであることが多いのですが、この雑誌に関してはオリジナル作品のようでございます。素晴らしい!
そのDVDのメニュー画面がこちら。
http://she-mail.jp/blog/images/171206_d_nh5.jpg
240分収録されております。中の映像を、チョイト見せちゃいますよ~~
http://she-mail.jp/blog/images/171206_d_nh6.jpg
今日は、業務連絡がございます。「綾瀬まこ」がキャンペーン中でございましたが、扁桃炎でダウンしてしまいました。4日~1週間で復帰する予定でございます。予約を頂いていたお客様、申しわけございませんでした。
扁桃炎というもの、このお仕事の職業病みたいなところがございまして、これで苦しむ人はこの業界には多いのでございます。単純に、体力が落ちていると発症する、ただそんだけ。風邪とか引いて体の抵抗力が落ちた後に、ついでに発症してくれたりすることもございます。一日に何度もシャワーを浴びるお仕事ですからねぇ、風邪のついでってのはよくあるのでございます。
成人になってしまうとほぼ何の役にも立っていない器官なので、頻繁に発症する人は手術で取ってしまったりもいたします。この手の病気は、前兆がございます。本人には、なんとなくその前兆が分かるものでございます。その前兆の段階でいかに先手を打てるか、それで軽度にやり過ごせるか重症化してしまうかに分かれたりするのですよね。
さて、その扁桃炎、ワタクシは「扁桃腺」「扁桃腺炎」と記憶していたのでございますが、今回ネットで再確認いたしましたら、「扁桃」「扁桃炎」と改められているみたいでございます。「腺」としての機能は元々無かったとの事。日々更新の進んでいるネット、そのネットで調べ物をすると、時々出くわすことでございます。
過去にも、こんな面白い発見をいたしました。「アクチノバシラス・アクチノミセテムコミタンス」、これ、何だか分かりますか? 歯周病の原因となる歯周病菌の学名でございます。医学生くらいしか縁の無いこの学名が時々ネットに登場するのは、有名なドラマの中で使われたからでございます。
ドラマ『古畑任三郎』の中で、主人公の古畑が何度も繰り返したこの学名、実は後年、名称が変わったいたそうでございます。え~と、新しい名前は「アグリゲイティバクター・アクチノミセテムコミタンス」とか。まぁ、ほんと、一般人にはどうでもいい名称でございますね。ネットを散策していますと、時々、こんな雑学に出会うのでございます。
ネットの情報は、その信憑性の問題とかはあるのですが、特徴的なのは「即時性」。とにかく、日々更新されていく巨大な百科事典のようなものでございます。そしてもう一つの特徴が、「検索」というシステム。このネット独特の検索システムで、思いもよらぬ情報に巡り会うことも多いのでございます。
「国語辞典」ってのは、読みの順番に並んでいる。似たような名前の語がページ内に収まっているのでございます。分野別の事典は、同じ項目のものがページ内に集められている。紙媒体の辞書・事典というものは、何らかの関連性によって編集されているのでございます。
一方、ネット検索は、全くの「無編集」。とにかく、タイトルや本文に検索語が少しでも引っかかったら、無作為に検索結果にリストアップするというシステム。この無編集・無作為のシステムによって、まったくジャンルの違う縁もゆかりもない情報同士がリンクで繋がれる事になる。
夜の9時半に、ゆうパックが届いたのでございます。2日ほど前に発注していた掃除機のホース(補修部品)でございました。時期が時期とは言え、夜の9時半に配達、ご苦労さまでございます。いやはや、こんなお歳暮の時期に注文して、申し訳ない。ただね、どうしても悠長に待つことが出来ない商品だったのでございます。
今使っているお店の掃除機のホースが、もう正体が無いほどにクタクタのヘナチョコ。スイッチを入れると本体の吸引力でホースがひしゃげてしまいまして、手で膨らませながらの騙し騙し運転。こりゃダメだとばかりにホースだけ注文したのでございます。
しかし、実は、今年の夏に、新しい掃除機を買ってしまっていたのでございますよねぇ。夏にホースのみを取り寄せようとしましたが見つからず、仕方なく買っちゃったのでございます。今年いっぱい、ギリギリまで古い掃除機を使い倒しまして、年明けに新しい掃除機を出そうと思っていた矢先に、ネットで補修部品のホースを発見。う~ん、悩ましいのでございます。
現状の掃除機は2010年物。7年前ですから、当然、メーカーのサポートは終了しております。一般市場の在庫に残っている補修部品が頼みの綱なのですが、今夏に調べたときには全く見つからない。けれど、先日、たまたま、掃除機の型番で検索したら、あっさりヨドバシ・ドット・コムでヒット。ネットというもの、日々、流動的に変化しておりますよねぇ。
ということで、新しい掃除機は、もう少し眠っておいて貰いましょう。当店では、掃除機はかなりハードな使われ方をいたします。ある意味、掃除機は消耗品。「2010年物+新品ホース」で行けるところまで行っちゃうのでございます。ただねぇ、ホースを新調すると今度は本体が壊れるってのは掃除機アルアル。頑張ってちょうだいよ、本体ちゃん。
慌てて注文いたしましたのは、年代的にいつ消えてもおかしくない補修部品だったからでございます。実際、ヨドバシのページでも「残りわずか」となっておりました。というか、量販店にこういった補修部品が残っているというのは、どういった流通なのでしょうかねぇ? まぁ、ネットの時代だからこそ見つかった部品でございましょうね。
さて、ここからは、掃除機のメーカーにちょいとイチャモン。毎日掃除機を使うものとしましては、もっと実用的な掃除機が欲しいのですけどねぇ。ホースはもう少し丈夫だったらと思いますし、あと、すぐ弱くなる電源コードシュルシュルはいらねぇ。ハンドルを手でグルグル回してもいいし、引っかけるところを作っておいて貰えたら、自分でグルグル巻き付けるのでございます。
昨日、最後に、日本の全ての家電メーカーには猛省を促したいと申しました。それはですねぇ、ルンバ型掃除ロボット。「ルンバ」とは、もうお馴染みですよね。アメリカのアイロボット社によるロボット掃除機でございます。これが発売されるやいなや、日本のメーカーがこぞって類似品を販売。いやね、もうね、恥ずかしい、恥ずかしい。日本のメーカー、恥ずかしくないのか!
よく、特許侵害で訴えられないものだなと思っておりますが、そこは大企業、ツボは押さえているのでございましょう。日本の家電メーカー、どこも苦境に立たされておりますが、売れ筋をコピるというのはひと昔前の中韓のやりかたではないですか? まぁ、しかし、今や中韓の家電製品の方が小回り良く改良を重ね、シェアを伸ばしていたりします。
ルンバだけではございません。ダイソンも、日本の企業はパクりまくり。しかも、価格を抑えるためにかなり無理な設計というか劣化版ダイソン的な製品を多く出してしまった。結局、日本製のものはフィルターの掃除とか面倒で、紙パック式の掃除機に回帰するなんて動きもございます。
国内家電メーカーの、この掃除機2大パクリ、これは恥ずかしいなぁ。日本の家電メーカーには、ぜひ、ぜひ、猛省して頂きたいものでございます。と、言ってもなぁ、どこのメーカーも青息吐息、風前の灯。何で、こうなっちゃったかなぁ?
逆に考えてみましょうか。かつて、日本の家電メーカーが世界中を席巻出来たのはなぜか? それは、海外のメーカーが真似をしようにも、日本の部品を使わざるを得なかったからでございます。それくらい、日本の部品が優秀だったのでございます。
それが、ある時期から日本の家電メーカーが圧倒的に劣勢に回ることになる。それは、海外でも同じ物が作れるようになったから。日本の技術が堰を切ったように海外に流出していった結果でございます。これに関しては、日本の家電メーカーはあまりにも楽観的過ぎ、お人よし過ぎだったのでございます。
国内の人件費の高騰で、韓国や中国での生産を余儀なくされた際、実にお人好しな契約をしている感がある。そして、簡単に技術提供をしている感がある。日本の家電メーカー、中韓を舐めてましたよね。「この優位が逆転するはずがない」と高をくくっていましたよね。国内の家電メーカーが揃って、ウキウキ浮かれていた時代でございました。
話は変わりますが、コカコーラの「原液」が絶対的な企業秘密だというのは有名な話。アメリカ本社の数人しかレシピを知らないとも言われております。この慎重さが、国内家電メーカーにはどこにも無かった。そのツケが、今、回ってきているのでございます。
ここで、日本の特殊な事情にもチョイト触れたいのでございます。日本人だけが持つ「もったいない」思想。これが、今や大きな足かせ手かせになっているように感じております。日本のメーカーが製品設計をする際、必ず「省エネ」と「リサイクル」を大前提にしなければならない。ただねぇ、こんな思想を後生大事に持っているのは日本人くらい。ゆえに、日本の製品はガラパゴス化しやすいと考えております。
今、世界で何が売れているのか、どの価格帯が売れているのか、どんな性能が求められているのか、そんなグローバルな目を持ち、省エネもリサイクルも無視した製品を目指してもいいのでは無いですかねぇ。「買う」と「捨てる」、このふたつが経済を回していくのでございます。
アインシュタイン導き出した法則に「E=mc^2(イー・イコール・エムシー2乗)」という法則がございます。え~と、理数系アレルギーの方もご安心を、難しい物理の話はいたしませんよ。このアインシュタインの法則、実は、森羅万象あらゆる現象に通じる自然現象の大法則なのでございます。それでね、人と人との営みにも、こんな全てを貫く大法則がございます。今日は、それをご紹介いたしちゃいます。
落語家の「桂枝雀」さんが、「キンカンの法則」というものを述べております。キンカンとは「緊緩」と書きます。緊張と緩和のことでございますね。緊張したものが開放される時に笑いが生じるという、笑いの極意を説いた法則なのでございます。実は、この法則、笑いだけのお話では無いのでございます。
緊張を「Tension(テンション)」と英訳いたしましょう。すると、偶然の一致なのか、他の様々なジャンルとの共通点が見いだせるのでございます。音楽でテンション・コードというのは、不協和音を含む緊張感のある響きを指すのでございます。そのテンション・コードがより澄んだ響きに導かれる時、そこに感動が生まれる。このハーモニーの動きを音楽用語で「解決(Resolution)」と申します。音楽の感動は、このテンションと解決の繰り返し・積み重ねなのでございます。
テンションとは、張力のこと。偶然にも、邦楽に「張(は)り」という語がございます。「メリハリ」のハリでございます。じゃぁ、メリはなぁに?ということになりますね。「減(め)り」と書きます。メリとハリで、音の抑揚を下げたり上げたりする意味でなのでございます。そして、このメリハリという語が一般化しまして、文体や演技など、表現するもの一般に使われているのでざいます。
音楽用語では「Resolution」と申しますが、もう少し一般的にするために、緩める方は「Release(リリース)」と訳しておきましょうか。このテンションとリリース、このふたつは、およそ人の心を動かす「感動させる」という所作には必ず関わっているのでございます。逆に申しますと、この基本原理を肌で感じ取っている人は、音楽でも演劇でも何をやっても「勘が良い」と言われることになるのでございます。
さ~て、ここまでが前置き。ここからが、本題ですよぉ。「接客」「おもてなし」という所作も、お客様を感動させることですよね。ですから、テンション・リリースの法則が使えるのでございます。テンションとは文字通り、お客様のテンションを上げること。リリースとはお客様を落ち着かせることでございます。そして、この両者をどう使い分けるか、どれくらい幅広く使えるかで、接客の技術が決まるのでございます。
テンション・リリースは、笑いを取るときにも使えますが、それ以外にも、お客様を「どう感動させるか」という方向付けをするのに、非常に重要なのでございます。テンションとは、お客様を覚醒させること。リリースは逆に夢心地にすること。接客の業種によって、この方向性は違うのでございます。
飲食店では、お客様を常に覚醒させた接客をいたします。ですので、テンション重視の接客となるのでございます。一方、風俗はお客様を夢心地にするのがお仕事。当然、リリース重視の接客でございます。ただね、飲食店でも色気商売系ならばリリース重視、風俗でもSM系はテンション重視。どんな感動を与えたいのかを見極めて、テンション・リリースのバランスを取るのでございます。まぁ、これを本能でやっちゃってる人も、時々いらっしゃいますけどね。
さらに、お客様の気分の誘導に、この法則を利用したりもいたします。ノリの悪いお客様だと、まずお客様と同じテンションに自分を合わせ、少しずつギアアップして盛り上げたりいたします。また、興奮しすぎているお客様には、同様にギアダウンしながら落ち着かせたりもいたします。興奮しすぎの場合だけ、いきなりローギアで接客して強烈なエンジンブレーキをかけるのも有効だったりいたします。回転数を合わせるところ、車の運転と似ておりますね。
この「回転数を合わせる」というの、接客においては非常に重要なのでございます。回転数の合う合わないは、お客様との距離感とか相性につながるのでございます。お客様からすると、回転数の合った接客をされると、何も余分なことを考えなくていいので、気分が楽になる。お客様の回転数は様々。ですので、より広い回転数に対応出来るギア数の多いコンパニオンは、接客の守備範囲が広くなるのでございます。
まず、体調不良でお休みを頂いていた「綾瀬まこ」ですが、12/13(水)から通常の出勤に復帰いたします。予約を頂いていたお客様、お店に来て初めて知って落胆された方、申しわけございませんでした。まぁ、風俗嬢ってのは、こういった失敗を繰り返しながら、自分の体調ペースとか予防法とかを身につけていくものでございます。「ひとつ成長した」と考えていただければ幸いでございます。
表の中、ピンク地、白地の部分は「ほぼ確定」でございます。そして、ただ今、このほぼ確定部分に関しては、「1/8(月祝)まで、予約可能」でございます。ほぼ、1ヶ月先までの予約を入れられるということでございますね。グレー部分は、まだ不確定なのですが、今週中には確定できると思います。年末年始の予定がはっきりしている方、早めにご予約可能ですよ!
ただ、この予定表、若干、ドタンバになって変更が入る可能性もございます。すでに予約が入っている日は、当然、コンパニオンはお客様に迷惑がかからないように配慮いたしますよ。ただ、急に予定が入ったりとか、体を休めたいとか、コンパニオンもいろいろなのでございます。ですので、ほんの少し、変更が入る可能性はご了承下さいませ。
先日、新刊が入荷したばかりですが、またまた入荷しております。『女装倒錯性慾のすすめ』、135分DVD付き。当店ご利用のお客様は、定価¥3,100を¥2,600に割引しております。フロントで申しつけ下さい。この雑誌の内容レビューも、明日あたり、やりましょうかね。
12月ということで、お店の中にもツリーを飾りましたよ。ここ数年、毎年飾っておりますが、このキラキラ光るツリー、結構お気に入りでございます。何年も使っておりますので、もうそろそろ壊れるんじゃないかとヒヤヒヤしております。
先日、新刊の内容紹介をいたしましたが、なぜかこういったムック、同じ時期に連続して入荷するのでございます。で、さらに入荷いたしました『女装倒錯性慾のすすめ』をご案内いたしますね。前回同様、画像のリンクはエロエロですので、お気をつけ下さいませ。
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基本的に、この手の雑誌はDVDの宣伝でございます。市販DVDや市販映像のダイジェスト版と考えていただくとよろしいかと。ただ、モザイクは、雑誌用に少し大きめとなっておりまして、より細かいモザイクで見たいという人はDVDをどうぞというスタンスでございますね。
では、ムック本体の方もご紹介しましょう。全ページ数のほぼ半分がカラーグラビアのDVDの紹介でございます。だいたいこういった雑誌用の写真は、DVD撮影時に同時進行でスチール写真を撮っております。DVD紹介とは言え、グラビアとしての完成度は高いですよ。ということで、本体の方もご紹介。
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先日、年末年始のスケジュールをご案内いたしましたが、そのスケジュール表の画像を見ておりまして、妙な違和感が ...よ~く見ますと、タイトルの「'16~'17 年末年始スケジュール」の部分、数字の前に付けられている記号が、化けているのでございます。今は修正しちゃいましたが、修正前の画面がこちら。
この印を付けた記号、これは本来「アポストロフィ」という「コンマ」の様な下向きの記号。なぜか逆さまになってるこの記号は「クォーテーションマーク」でございます。ワタクシ、こんな記号を入力した覚えはござんせん。どういった仕組みでここの記号が化けてしまったのか? それを検証するのでございます。
他のテキストエディタで同じタイトルを入力すると、記号の化けは無い。ということは、このスケジュール表を作製したアプリだけの現象のようでございます。使っているアプリは「Adobe Illustrator」。漢字変換は「ATOK」。この組み合わせに、謎が? さっそく検証でございます。
Illustrator での変換途中の映像がこれでございます。注目すべきは、ポップアップメニューの中では間違いなく「アポストロフィ」が選択されておりますが、上の文字はクォーテーションマークになっていること。いろいろ検証を進めますと、どうも、ポップアップメニューを出さずに一発で変換すると正しくアポストロフィが入力出来るのですが、変換キーを押してこのポップアップメニューを表示させてしまうと、この記号バケが発生するようでございます。
システム、アプリ、漢字変換ソフト、フォント、それぞれのバージョンなどの関係で、ワタクシの環境だけで発生する現象なのかも知れません。Illustrator も7年も前のバージョンですから、もはやそのバージョンを使い続けるのは自己責任の世界。まぁ、これから気をつければいいことでございます。
「記号ごときに、神経質な」と思われるかも知れませんが、ワタクシがアポストロフィとクォーテーションマークの入れ違いに違和感を覚えたように、やはり気がつく人には気づかれてしまう。後々に残るものでもございますし、「抜かりなくやりたい」と思う職人気質なのでございます。
『句読点活用事典』『記者ハンドブック新聞用字用語集』なる書物でございます。『記者ハンドブック』に関しては、今や電子辞書版が出ておりますので、そちらの方が便利かも知れません。日々、文章を書いておりまして、記号の使い方、用語の表記揺れなど、時々確認したりしております。
ワタクシが、未だに使い方で悩むのが、文末に来る“閉じカギ括弧+読点"という組み合わせ。約物で書くと、 」。 となります。これが文章の最後に来ると、悩ましいことになるのでございます。『記者ハンドブック』でも、その部分には10以上の用例を出して解説。要するに、前後の流れで、省略されたりされなかったり、カギ括弧の内側だったり外側だったりしちゃうのでございます。
約物に一番厳格な書物は、芝居の台本ではないでしょうかねぇ。脚本家にもよりますが、「…」と「……」で間(ま)の違いを表現したり、「、」「。」の違いが重要な意味を持っていたりと、とにかく、一字一句、約物の使い方などの小さな所にも脚本家の意図が隠れていたりいたします。まぁ、全ての台本がそうと言うわけではございませんけどね。
「綾瀬まこ」、キャンペーン期間中にお休みすることになっちゃいましたので、本人からの要望もあり、キャンペーン期間を一週間延長することになりました。12/22(金)まで「綾瀬まこ限定割引」実施中でございます。
先日、ご案内した年末年始スケジュールですが、ほぼ確定状態です。まぁ、ほんの少し変更が入るかも知れませんが、予約済みのお客様にはご迷惑がかからないように配慮いたします。ただ今、来年の1/8(月)分まで予約可能となっております。
こういう時ってのは、トイレでかがんだだけで、シンガポールのマーライオンよろしく上の口から大放出。また、便座に腰を下ろしただけで、特に力むこともなく、スルスルスルッと流れ落ちていく。「このスルスル感、普段からあると、毎朝気持ちいいのですけどねぇ」なんてことを、オエオエしながら考えておりました。
大問題なのは、この上と下を同時に出来ないこと。マーライオンの途中で「下が危ない!」と思いきや、狭いトイレでくるりと身を翻し、便座に着席、すると今度は眠れるマーライオンが目を覚まし始める。やはり狭い場所でくるりと身を翻す。もうね、トイレの中でクルクルクルクル回っておりましたよ。
さて、シモのお話はここまで。やはり体調の悪い時ってのは、いつもとは顔が違う。メイクをしましょうと鏡を覗き込みますと、別人の様ななさけない顔になっております。でもまぁ、夕方ころには体調も復活いたしましたので、そこからきちんと食事。食事って言いましても、七転八倒した後ですので、いつもよりは控えめでございます。
ただね、こういった体調を崩した日の次の朝は、とてもいい顔をしている場合が多いのでございます。毒素が抜けているって言うのでしょうか、控えめな食事でむくみが取れているって言うのでしょうか、ほっそりとした清々しい顔になっているのでございます。この顔が、ずっと続くといいのですが、なぜか顔っていうのは、毎日変わるのでございますよね。
そう、顔は、毎日変わります。一日の中でも、変わったりいたします。「今、私、どんな顔してる」って感じで、ワタクシは時々鏡を覗き込むのでございます。鏡の中の顔は「他人様が自分を見たときの見え方」でございます。意外とこの客観的な自分の顔、自分の思惑とは違っていたりするものでございます。
人はみな、「自分は他人からこう見えているだろう」という思惑を持っております。でも、他人様は自分を見て「こんな人なんだろうな」という印象を持つものでございます。この自分の思惑と他人の印象、必ずしも一致しないのですよね。それを修正するのが、「鏡を見る」という動作。自分の姿を客観的に確認するのでございます。
ここでね、人気商売で順調にいく人に、ある共通点がございます。それは「よく鏡をみる」ということ。自分を客観的にチェックするということにやぶさかでないのですよね。ただ、鏡の中の自分に溺れる人はダメ。あくまでも他人の立場に立って、自分の姿を客観視出来る人が、人気商売では成功しやすいのでございます。
道具は鏡だけではございませんよ。例えば、自分の写真が掲載されているネットのページなどを見る動作も同じ。写メ日記とかプロフィール欄とか更新だけして終わっちゃう人も多いのですが、自分の写真や文章がどんな場所に掲載されているか、どんな見え方をしているのか、見た人がどう思うだろうか、そういうのが気になって確認する人は、やはり、見た人の興味を引くのが上手くなるのでございます。
昨日、客観視がドウノコウノ申しましたが、今は自分を客観視できる道具が、身近に山ほど有るのでございます。もうね、携帯電話で動画撮影が出来る様になった時期が、ターニングポイントでしょうか。それ以前は、専用のビデオカメラが必要でしたからチョイト敷居が高かったのでございます。
自分を撮影して自分で見る。これが、最も簡単な客観視でございます。これで、まず、最初に大ショックを受けるのは「声」でしょうねぇ。これは、誰しも経験が有るはず。声という物、かなり自分で美化してしまう傾向が有るようでございます。
逆に、自分では「変な声」と思い込んでいても、他人から「いい声ですね」と褒められる場合もございます。それくらい、声という物、自分に聞こえてくる音声と他人が聞く音声が違っているのでございます。また、変なイントネーションの癖を付けている場合も、自分の声を聞くことで発見出来たりいたします。かなり有効な訓練なのですが、ショックが大きい分、根性のいる訓練でもございます。
自分の立ち居振る舞いを撮影して自分で見る、これも驚きの連続でございますよ。舞台の学校に通っているときにも、こういった授業がございました。やはり、自分の動きを客観的にみると、「あぁ、こんなことしてたんだぁ」と気づく事、てんこ盛り。まるで自分じゃ無いように見える場合もございます。
こういった授業では、別の「収穫」もございました。自分の演技を見ている他の生徒のリアクションを確認できるのですよね。言うなれば「自分の演技を客観的に見ている人達を客観的に見る」ていう感じでしょうか。自分の演技を他人様はどう感じているか? これは、自分の演技の重要なバロメーターになったのでございます。
録画して自分で見るということ、確かに稽古や練習では有効でございます。ただ、ワタクシは、自分の出演した舞台とかを自分で見るのは、絶対ダメなタイプでございます。もうね、とにかく恥ずかしい。うっかり見ちゃうと自殺したくなるくらいのレベル。だから、見ません。そういえば、ワタクシ、AVも出てるんだよなぁ。あぁ、恥ずかしい、恥ずかしい。
そうそう、先ほど「重要なバロメーター」と申しましたが、接客業では、そのバロメーターがお客様の「顔」なのでございます。ですので、いかにお客様の顔を見て、その細かい変化に気づけるかというのが、気遣いの第一歩となるのですよね。
そう考えると、やはり、普段から自分の顔を鏡で見ている人の方が、お客様の顔も見やすいのです。逆に、自分の顔の直視に抵抗感のある人は、お客様の顔もあまりじっくりと見ない傾向がある。当然、貴重なサインを見落とすことになるのでございます。
これはねぇ、劣等感みたいなものも、影響したりしている。ただ、人を成長させるのは劣等感ですからね。優越感を持った時点で、その人の成長は終わってしまう。でも、劣等感を持ちすぎると、今度は、マイナス思考に走ったり卑屈な態度を取ってしまったりする。微妙なんですよねぇ、適量の劣等感という物。
山を登ったりとか、道のりを歩いている時とかを、想像してみて下さいませ。次の目標物が見えていると、まだ気持ちが頑張れる。しかし、次の目標物が見えず「この道、どこまで続くのだろう」という気分になってくると、踏ん張りが効かなくなってしまう。この違い、分かりますでしょうか?
劣等感に潰され易い人は、「次の目標物」を高く設定しすぎていたりするのでございます。階段を一段ずつ上るように、まず確実に達成できる目標物を定めた方がいい。ダイエットでも同じですよね。目標が高すぎると、リバウンドとかしちゃうでしょ。高すぎる目標物は、心が折れるもとなのでございます。
困ったときのネット検索! 「1万円札 謎の刻印」で検索いたしますと、わらわらと画像付きで情報が上がってまいります。ネット検索を鵜呑みにするのもしゃくですが、どうやら、一度海外に持ち出されたお札のようでございます。
海外の税関なのか銀行なのかが、お札にスタンプするとのこと。刻印の名前は、銀行名だったり担当者名だったりとか。書き方があやふやなのは、ネットにも核心的なことが書いてないから。ワタクシ、この1万円札を持って、近所の銀行へ行ってみたのでございます。
取りあえず、窓口で両替を申し込み。1万円札から1万円札への両替でございます。で、窓口のおねえさんにこの刻印を指しまして、「これ、何だか分かりますか?」とひと言。おねえさん、「ちょっと聞いてきますね」と奥へ引っ込む。
さぁ、銀行で真実が明らかになる! と、心を弾ませながら呼ばれるのを待っておりました。呼ばれて、窓口へ。窓口には先ほどのおねえさん。別の1万円札を差し出しながら、「前に使った人の”らくがき”じゃないですかねぇ」とのご返事。ワタクシ、拍子抜けしたのでございます。
銀行の人にとっても、あまり一般的じゃない刻印のようでございます。あるいは、たまたま、その場にいた行員さん達が誰も知らなかったことなのかも。貴重な「証拠物件」を両替で渡してしまったのも不覚。でもねぇ、銀行へ行って、順番を待って、「この刻印なんですか?」って聞くだけって、ちょっと勇気がいるのでございます。
ネットにはさらに、驚くべき情報が。な、なんと! 紙幣へのらくがきは違法行為ではないとのこと。エ~~~~~! オドロキ、モモノキ、サンショノキなのでございます。貨幣、つまりコインに関しては厳しい罰則がございますが、紙幣に対しては取り締まる法律が無いみたいなのです。
現金商売をしておりますと、様々なお札を目にいたします。手書きの数字などが書き込まれたお札には時々出会いますが、こういった刻印は初めて。しかも、それらが全て違法行為では無かったという驚き。必要な刻印なら仕方ないですが、いたずらのらくがきはやめましょうね。みんなが手にするものですから。
さて、お店で多くのお札を扱っておりますと、1万円札、5千円札、千円札と、それぞれに扱われ方の違いがございまして、面白いのでございます。もちろん、一番大事に扱われているのが、1万円札。折り目の全く無いピン札であることも珍しくございません。
一番疲弊しているのは、当然千円札。折り目が入っているのは当たり前。時には、幾重にも折り畳まれて市松模様の折り目が付いているものもございます。小さく折り畳んで、耳の後ろにでも隠していたのでしょうか(笑)。破れていたり、シミが付いていたりなんてことも多いのが千円札でございます。
意外と、5千円札は、クッキリと折り目が入っていることが多いのでございます。これは、「千円札×5枚+5千円札」という10万の束にしたとき、5千円札が折られて”挟み役”になる事が多いからではと、ワタクシなりの勝手な推測でございます。
でも、一番疎んじられているのは、ご存じ、二千円札。滅多にお目にかかれません。また、二千円札を使われるお客様は、実に、実に、申し訳なさそうに、謝りながら二千円札をお出しになります。「いや、現行の有効な日本銀行券ですから」と心の中で呟きながら、受け取っております。
お店の近くに、また、コンビニがオープンするようでございます。開店は明日の早朝でございますが、その前日の今日まで、店頭には「オープンスタッフ募集」の大きな文字が。この時点で募集していて大丈夫なの?と思っちゃいますが、まぁ、本部から応援とか来るのでしょう。
これで、お店の近くは、ファミリーマートとセブンイレブンだらけ。お客様のお店への誘導、相変わらず、ややこしいのでございます。電話で「今、セブンイレブンの前にいます」と言われても、もう、どこにいらっしゃるのか見当も付かない(笑)。
当店オープン当初の17年前は、このあたりはローソン帝国でございました。まぁ、そこらじゅうローソンだらけ。そのローソンが、ひとつ減り、ふたつ減りして、この17年間で完全に逆転したのでございます。でも、まぁ、これほどコンビニが近接していたら、各コンビニの店長さん、心境穏やかじゃないでしょうねぇ。
なんか、「オープンスタッフ」って威張れそうですよね。「あたしゃ、オープンから居るのよ!」とばかりに、他のバイトを恫喝できそうでございます。試しに、コンビニのオープンスタッフでもやってみるかなって、コラコラ、「お店はどうすんじゃ!」と各方面から怒られてしまいますね。
でも、昔、学生の頃、アルバイト求人を見ていて、「オープンスタッフなら威張れますよ」みたいな謳い文句の求人を見たことがございます。アルバイトの世界でも、先輩とか後輩とか有りますからねぇ。今でも、そんな謳い文句、使われているのでしょうか?
ちょいと、ワタクシのお仕事遍歴を、お披露目したくなったのでございます。思い出しながら、書き連ねてみましょうか。中学から高校にかけてやっていたのが新聞配達。ちなみに、お店で新聞を取っておりますが、新聞配達求人のチラシが毎日のように新聞に折り込まれております。やり手が少ないのでしょうねぇ。
早起きが辛くなり、新聞配達の次にやったバイトが、ステーキハウスのスタッフ。こん時に、洋食の基本的な知識やマナーを覚えられたのでございます。ただねぇ、毎日、肉の焼ける香りに浸っておりますと、もうね、肉料理がウンザリになってしまうのでございます。高校卒業と同時に、ステーキハウスも卒業。
大学浪人時代にやったのが、餡子工場。当時、音大を目指しておりましたので、音の出る練習は昼間しか出来ない。ということで、早朝出勤で昼にはお仕事の終わる餡子工場のバイトを選んだのでございます。大手パンメーカーの下請けで、巨大な蒸気釜がいくつも並んでいるような工場でございました。音大を諦め、目をつぶって選んだ大学が仏教系。大学進学とともに、餡子工場も卒業でございます。
大学時代にやったのが、書店。この書店勤務が、ワタクシの人生の大きな転機になりましたね。世の中の最先端の情報が書店に集まってくるというのを、当時、身に染みて感じておりました。また、レコード売り場併設の店舗でしたので、最先端の音楽情報も身近。文芸情報の最前線に居るという快感を感じながら、バイト代の多くを書籍とレコードに費やしてしまう学生時代でございました(お店からすると、思う壺?笑)。
その後は、コンビニ弁当の工場、ほかほか弁当店舗と経まして、ニューハーフとしてスカウトされて錦三(キンサン、名古屋の繁華街)のクラブ(ゲイバー)へ。その後、同じ錦三のニューハーフショーパブへ。一度、ニューハーフ業界から出て、東京のミュージカル研究生に。でも、ドロップアウト。東京のショーパブ、ニューハーフヘルスと経まして、名古屋に戻り、ゲイバー、ニューハーフヘルスと勤めて、今のお店を立ち上げることに。
昨日、ワタクシのお仕事遍歴を紹介いたしましたが、「中央卸売市場」を忘れておりました。書店の次くらいでしょうか。ちょうどバブルの頃というのもありまして、一日に12時間くらい働いて、かなり高額なお給料を貰っておりました。
今ですと、残業がどうのとうるさいので、12時間労働とか無理でしょうね。と言うか、やはり、若さは偉大。今の年齢だと、そんなムチャ出来ないもん。肉体労働を若い時期に体験しておくって、いろいろ人間としてプラスだとは思いますけどねぇ。
さて、先日、クリスマスツリーを出しましたとご報告いたしましたが、電動のツリーに気を取られ、他のクリスマス装飾を出すの、すっかり忘れておりました。まず、これ。入り口の扉にぶら下げるやつ。「リース」と申します。
この黄金のリース、結構高かったので、壊さないようにして長年使い回ししております。まぁ、黄金って言っても、塗料ですけどね。この塗料、パラパラ落ちるので、ビルの廊下を掃除するオバチャンから、大変不評を買っております(笑)。ワタクシも小まめに廊下を掃除するから、許してね。
近所にコンビニが開店と申し上げました。さっそく、行ってみましたよ。お店から近いし。ウ~ン、入り口を入って、いきなり2段程の階段。ワタクシ、この手の「入り口に段差のあるコンビニ」が長続きしているの、あまり覚えがございません。まだ「スロープ」ならいいのですが、「階段」となると、このお店、ちょっと苦戦するかも。
当店の入り口も、すべてスロープを設置してございます。当店の場合は、まずひとつ目に店内が暗いのでお客様を入り口で転ばせないように。ふたつ目に、当店は靴を履いたまま上がっていただくお店なのですが、入り口に段差があると、お客様がそこで靴を脱ごうとしちゃうからでございます。
え~と、コンビニのお話に戻りましょう。店舗全体を一段高くしないといけないというのは、下に配管でも通しているのでしょうか。にしては、段差が大きすぎる。あるいは、水害対策か? 名古屋の街、たま~に水害でやられますからねぇ。
またまた、コンビニの話で申し訳ないのですが、ちょいとお付き合いを。コンビニが新規開店すると、必ず、「○○カードはお持ちですか?」と、何度も何度も聞かれるのでございます。いや、あれ、ウザイです、ほんと。まぁ、お店もノルマとか有るのでしょうが、何度も聞かれるとねぇ。
世の中、腕時計でお会計が出来る時代でございますよ。各コンビニが、それぞれ独自仕様のポイントカードを出すって、ほんと、無駄。どこかの段階で、せめて同一カードを全てのコンビニで使えるようなシステムは出来なかったものでしょうかねぇ。
鉄道系も、当初、各社・各地方で様々なカードが乱発されておりました。が、しかし、近年、大手のカードは、ほぼ全国で使えるようになっております。鉄道会社ごとにカードを使い分けるという面倒は、非常に少なくなっているのでございます。この点では、各鉄道会社の企業努力の賜物なのでございます。
この企業努力、コンビニもやって欲しいなぁ。でも、まぁ、クレジットカード系が、猛烈に反対するでしょうね。クレジット会社は、世の中に無駄なカードが多くなればなるほど、契約数が増えますからね。統合されちゃうと、契約数が激減する可能性がございます。
でも、世の中の「便利」ってのは、そういった目先の利益を飲み込んだ先に有るわけで、グズグズしていると、外資系あたりにあっさり足をすくわれるかもしれませんよ。あれほどおサイフケータイを否定していたアップルの iPhone が、あっさりと Apple Watch では目玉商品にして来ましたからねぇ。
ワタクシは、コンビニではいたって現金払い。わざと1万円札で支払うことも多いのでございます。まぁ、コンビニさんには申し訳ないのですが、1万円札で支払って、おつりの千円札や五千円札が欲しいのでございます。今や、銀行の両替は手数料を取られますからね。申し訳ないと思いつつ、コンビニでの買い物で両替を済ませております。
あと、カードで支払うと、請求が遅れてくる。自分の買い物ならそれでもいいのですが、お店の備品だったりすると、忘れた頃にカードの明細に乗っていたりして、管理が煩雑になってしまう。そういうの、うまく管理しちゃう人も多いのでしょうが、ワタクシはダメ。ですので、いつも現金で支払っております。
コンビニ本部からの指示なのでしょうが、開店直後のコンビニには、必要以上に大量の商品が陳列されております。特に目につくのが、お弁当・パン類。もうね、朝も、夕方も、深夜も、いつ行っても棚から溢れんばかりの商品が並んでおります。
あれ、多分、大量発注の末に、大量廃棄になるのだろうなぁ。店長さん、ギリギリしてるんじゃないかなぁと思ったりしております。そんな商品あふれるコンビニ新店ですが、或る商品だけは非常にシビアな数しか並んでいないのに気がつきました。新聞類でございます。他コンビニの半分以下の部数しか並んでいないのでございます。
想像ですが、新聞だけは発注が別系統なのかも。というか、配本ならぬ「配紙」なのかも知れませんね。どの店にどの新聞を何部置くかを決めるのは、コンビニではなく新聞を取り仕切る問屋が決めているのかもということでございます。
書店に勤めておりましたので、本の配本システムはある程度知っております。どんなに売れ筋だと分かっている本でも、街の本屋には数冊しか問屋から送られてこない。事前に何十という発注数を書いていても、発売日当日に送られてくるのは数冊。書店の発注数に関係なく、どの本屋に何冊配本するかは、問屋が決めてしまうのでございます。
一方、大手の大書店には、発売日に何百冊という本が並び、飛ぶように売れていく。本の売れ行きというのは、発売日からの数日が勝負。街の書店にその本の追加注文分がやっと届く頃(数週間~1ヶ月後)には、需要のピークを完全に過ぎているのでございます(何十年も前のお話ですから、今は事情がチョイト違うかも知れません)。
さて、話は変わり、最近気になるニュースは、NHKの受信料。最高裁でも受信料を肯定する判例が出ちゃいましたので、これからは受信料徴収に拍車がかかるものと思われますよぉ。まぁ、当店でも、プレイルーム内にテレビを置いておりますので、その台数分の受信料を支払っております(台数が多くなると、ちょっと割安になります)。
ただね、携帯電話やパソコンからも徴収するという流れがございますから、これはこの先、一悶着ございますよ。もうね、明らかに、法律が時代遅れなのでございます。ブラウン管式のテレビがサラリーマンの初任給何ヶ月分もの高額だった時代の法律なのでございます。携帯電話を買ったらオマケでテレビ受信機能が付いてくる時代には、合わないのでございます。
でね、「NHKを見ないのに、テレビが有るというだけで受信料を払うのは不条理だ」という意見もございます。「スクランブルをかけろ」という声もございます。テレビがデジタルになって受像機一台ごとの管理が可能になってますので、「見た人だけ徴収する」というのも可能にはなっているのですが、もしそれをやると、多分、NHKは潰れます、間違いなく。
ワタクシは、「先進国として、公共放送は必要だ」と考えております。情報源としてならネットも有効ですが、ネットにはコンプライアンスが無い。特に、災害時などにデマ拡散の元凶になりやすい。民主主義近代国家として、そして、災害の多い国として、全国規模の公共放送局は必須だと考えております。
だからと言って、じゃぁみんなが受信料を払いたくなるかというと、そうはならない。そこで、ワタクシ、こんな事を考えました。受信料の歳入の一部を、民放各社にも配分するのでございます。そして、民放にやって欲しいことは、「『スポンサーなしの番組』を作れ」ということでございます。
何か事件が起きると、放送各社がまったく同じ報道しかしない。大きなスポンサーである車メーカーの不祥事は、なかなかニュースになりにくい。家電の性能を明からさまに比較検証する番組は生まれない。スポンサーや視聴率に縛られて、民放各社どころかNHKまでもが「嫌われる勇気」を持てないでいるのが、現状のテレビ番組でございます。
『暮しの手帖』という雑誌が、厳格な商品検査をするために、長年、広告を取らなかったというのは有名なお話でございます。テレビ局にも、そのくらいの気位を持って頂きたいですよね。論評が、各放送局ごとに違っていても構わない。綺麗な模範解答はいらないのでございます。いろんな意見が錯綜してこそ、国民に「自分の頭で考える」という能力が身につくのでございます。
あっという間に、クリスマス目前。子供の頃は、12月に入ると街中にクリスマスの装飾があふれるのが楽しくて、ワクワクしたものでございます。最近は、あまりクリスマスの装飾に気づく事が少なくなりました。世の中が倹(つま)しくなってしまったのでしょうか? あるいは、ワタクシの目や心が、大人になってしまったせいでしょうか?
子供の頃に出来て、成長とともにいつしか出来なくなって残念なことがございます。子供の頃、「音楽を聴きたい」と思ったら、いつ、どこでも、音楽を聴けるという能力がございました。まぁ、「幻聴」みたいなものなのでしょう。ウォークマンが販売されるはるか前から、ワタクシの頭はウォークマン内蔵でございました(笑)。
あとねぇ、洗濯物から立ち上る湯気。毎日のように洗濯物と格闘しておりますが、もう、何十年もアレを見てない。子供の頃、天気の良い日に母親が洗濯物を干したりしますと、物干し竿まで飛んでいって、目をこらしてジッと見つめたものでございました。まるで、洗濯物が燃えているかのように立ち上る水蒸気の湯気。今は見えないのか、あるいは、見ようとしていないからなのか?
テレビで、「サンタクロースは何歳まで来るの?」という質問がございました。それに対する答えが、「信じていれば、何歳でも」とのこと。「信じていれば」と言われましてもねぇ、大人になると、ついつい論理的に考えちゃいますからね。子供の時のように、素直に「夢」を見られるといいのですけどね。
子供ってのは、まだ頭の中が真っ白です。ですから、見たもの、聞いたもの、触ったもの、すべてを素直に取り込んでいきます。そう、「疑う」ということを子供は知らない。一方、大人ってのは嫌ですねぇ、猜疑心が強くなって、つい疑ってものを見てしまい、論理的な理屈を張り付けようとしてしまう。
き~ぃよぉしぃ~~、こぉ~のよぉ~る~...ということでクリスマスでございます。とかく日本人は、クリスマスを祝う、神社へも行く、お寺へも行くと、節操が無い宗教観を持っていると揶揄されるものですが、今日は、そんな浅はかな揶揄を吹き飛ばしちゃうのでございます。
日本の神様は「八百万神(やおよろずのかみ)」と申しまして、自然界のあらゆるものに神様が宿っているという「多神教(たしんきょう)」の考え方でございます。これに対するものが「一神教(いっしんきょう)」。世界的には、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教といった一神教が圧倒的多数で、日本の八百万神は少数派になるわけでございます。
さぁ~て、日本の場合は、この多神教的な宗教観に、ちょいとスパイスを与える人物が現れるのでございます。彼の名は「世阿弥」。15世紀、室町時代の能役者でございます。もっとも、当時は「猿楽」と申しておりました。この世阿弥が、猿楽に新しい境地を見いだすのでございます。
猿まねなんて言葉があるように、世阿弥以前の猿楽は、単なる「物まね芸」でございました。自然界に有るもの、老若男女を写実的に真似ることを目的としておりました。ここに、「心」が必要だと説いたのが、世阿弥だったのでございます。
え~と、世阿弥は研究がやり尽くされておりますので迂闊なことを書くと怒られそうですが、勇気を持ってドンドン進んで行きますよ。世阿弥は、万物を真似るだけではなく、「万物の『心』を自分の中に見いだし、そこから醸し出る演技こそが誠(まこと)である」と演技論をぶっこいたのでございます。
単なる物まね芸から、精神世界の表現に至ったわけでございます。で、猿楽には、「神様」も登場いたします。するとですねぇ、神を演じようとすれば、自分の外にいる神を単に真似るのではなく、自分の中に神を見いだすことが必要となってくるのでございます。
この「自分の中の神を見つけ出すべし」という一説、世阿弥が晩年に書いた「花鏡(かきょう)」という書物に書いてあったような気がしたのですが、今、手元に訳注本がございませんので確認出来ません。学生時代に、ワクワクしながらその部分を読んだ覚えが有ったのですけどねぇ。
ワタクシ、思うに、日本が「道(どう、柔道・華道など)」という精神世界を重要視してきたのも、こういった考え方が影響しているのではないかななんて想像するのでございます。その「道」でよく言われるのが「心・技・体」。「心」を見いだしたときに誠の「技(わざ)」が見つかると説いた世阿弥の言葉に通じるのでございます。
自然界の全ての物には、神が宿っている。その考え方が、日本人を綺麗好きにし、物を大切に扱うような民族にしたのかも知れません。同時に、全ての人には、神が宿っている。その考え方が、自己よりも他を大事にする思いやり・おもてなしの精神を成熟させたのかも知れません。
冒頭で述べました、日本人がクリスマスも祝い、寺社仏閣にも通うということ、ワタクシは「節操が無い」とは考えません。むしろ、「寛容」なのでございます。全ての物や人に神が宿るという想いに起因する「謙虚さ」、これが「全てを受け入れる」という寛容さに繋がっているのでございます。
雪見だいふくのきなこ味。夏場のわらび餅でお馴染みのきなこですが、子供の頃にわらび餅を食べ過ぎたせいか、あまりきなこには興味がございませんでした。が、先日、たまたま購入して、実食! 美味しい! きなこの美味しさを再認識したのでございます。
12月に入っても、街にあまりクリスマス風情が無いように感じております。これ、ワタクシが大人になって鈍感になってしまったのかなと思っておりましたら、実際にクリスマス装飾をする店舗が、減っているそうでございます。
コンビニも、あまりクリスマス商品を置かなくなりましたよねぇ。クリスマスというイベント、世間はあまり乗っかっていないようでございます。逆に、近年まで全く話題にならなかったハロウィーンが、ここ数年は大勢が仮装して街中に繰り出す大騒ぎ。参加型のイベントの方が、今の世の中は食いつきやすいみたいでございます。
アメリカですと、クリスマスはバーゲンセールの月であり、友人にクリスマスプレゼントを購入する月でもございます。国民のほぼ全てがキリスト教という国ですから、クリスマスプレゼントもすっかり定着しているようでございますね。
そのプレゼントの習慣もあり、アメリカのお店では、通常のレシートとは別に「ギフトレシート」というものが普及しております。金額が記入されておらず、販売店と商品名だけのレシートとのこと。プレゼントをもらった人がそのギフトレシートと現品をお店に持っていくと、別の商品や商品券に交換出来るというシステムになっております。
そもそも、キリスト教では「与えること」が最高級の愛と定義されております。ですので、気楽にプレゼントを交換する。また、大企業は慈善活動として高額な寄付を行ったりしますが、社員も株主も、だれも反対しない。むしろ、自分の働いている企業の慈善活動は、ステイタスでも有るのでございます。
プロスポーツ選手やハリウッドスターがやはり慈善活動をするのも、そういった宗教観から。アメリカでは、多くの非営利団体や公共の施設が、大企業の寄付で賄われているのでございます。日本だと、株主が賛同しなかったり、あるいは売名行為と言われたりいたします。そういうの、ちょいと残念に思ったりいたします。
ちなみに、クリスマスのことを調べていて気がついたのですが、何やら「教会暦」というものがございまして、この暦ですと、「日没」で一日が区切られるそうでございます。ですので、教会暦に因るクリスマスの期間は、12/24の日没から12/25の日没までになるのでございます。
正月飾りの飾り付け日は、9のつく日がいけないとか、大晦日がいけないとか、まぁいろいろ言われておりますが、ワタクシは、一切、気にいたしません。9が「苦」に繋がるとか単なる語呂合わせじゃん。大晦日がいけないって言われても、出すのを忘れていたら、もうどうしようもないじゃん。
飾り付ける日を間違えたくらいで不幸になるのだとしたら、そんな貧乏神はこちらからお断りじゃ! なのです。あくまでも「気持ち」が大事。気持ちがこもっていれば、いつ出しても大丈夫だと思いますよ。そもそも、9という数字も、太陽暦も、人間が作り出した概念ですからね。
安室ちゃんやサザンをムリクリ引っ張り出して来ましたが、特別枠扱いで持ち時間も長大ということで、これも少し興ざめ。なんか、すごく視聴率とか気にしてないですか? 視聴率下がると、担当者が飛ばされるの? 視聴率は気にしないで欲しいなぁ、NHKですから。
で、ここで、紅白歌合戦の「原点」に立ち返るのでございます。そもそも、紅白歌合戦とは何か!? ポイントはふたつ! 「一年を振り返る」、そして「合戦」なのでございます。このふたつに注目すると、紅白歌合戦はどう有るべきか! それをワタクシの独断と偏見で、考察するのでございます。
一年を振り返るのですから、曲目は、その年にヒットした曲限定でございます。昔の名曲とか、歌手のお家芸とか、完全門前払い! 「あぁ、そう言えば、今年、こんな曲を聞いたなぁ...」と思える曲だけにするのでございます。地味ぃ~な選曲になる可能性もございますが、それを派手にする手立てはございます。
「紅白バージョン」というやつ。多くの歌手が、紅白歌合戦用の特別アレンジを用意しております。あれを、もっと豪華なアレンジにするのでございます。NHKの音楽番組『SONGS』は、異常なまでにアレンジと舞台設定に趣向を凝らしております。舞台設定はホールですと制約が多いですが、アレンジは自由自在に出来るはず。問題があるとすれば、本番までの時間的余裕でしょうか。
音楽のアレンジ(編曲)をする人をアレンジャーと申しますが、このアレンジャー陣も、紅白で分けちゃいましょう。ついでに、舞台設計の担当も、紅白で分けちゃいましょう。で、アレンジャーや舞台設計もちゃんと紹介しましょう。曲のアレンジや舞台装置も含めて、総合的に採点基準にするのでございます。
ここで、「合戦」という要素が関係してまいります。ただ、チョイト問題だったのが、なんか点数集計のシステムがややこしい。直感的じゃ無い。もうね、デジタルテレビの時代なんですから、お茶の間でリモコンのボタンを押させればいいじゃない。それを「単純に」足し算する。その単純さが、昨年はございませんでした。
あとですねぇ、諸々の事情で出演を嫌がるアーティストもいらっしゃいます。勝ち負けがあるのが嫌とか、生放送がダメとか、まぁ、いろいろ有るのでしょう。こういった人達をどうするかも、ひとつの課題でございます。
冷凍食品の大学芋。ある時は午後のお茶うけに、ある時は深夜の緊急食にと、重宝しております。ですが、本日お話しするのは大学芋ではございません。大学芋が入っている「包装」に関する謎を、お話しするのでございます。で、この袋の裏側が、これ。
赤い矢印は後からご説明しますが、とにもかくにも特徴的なのが、このまん中で銀色に輝く貼り合わせ部分。業界的には「合掌袋」という梱包形態だそうでございます。折り畳んだ袋の端を、合掌するような形で貼り合わせゆえのネーミングでございましょう。
さて、この合掌袋、奇妙なのは貼り合わせ部分の向き。ポテトチップスの袋など非常に多く使われているこの合掌袋ですが、まず、今まで目にしてきた物の全てが、縦方向(長辺方向)に貼り合わせ部分が走っております。この大学芋の袋の様に、横(短辺方向)に走っているものは始めてみたのでございます。
で、気になるのは、赤い矢印で指し示しました「切り込み」でございます。袋を開けやすくするための切り込みですが、なぜか、この位置。かなりまん中より。貼り合わせの向きといい、切り込みの位置といい、非常に、非常に、特徴的なデザインになったいるのでございます。
この袋、真っ直ぐ破れないのでございます。袋の材質は、多分、プラスチックシートにアルミ蒸着でしょうか。材質の「目」が破る方向に揃っておりません。しかし、たまたま、ワタクシの破り方が下手だったのかも知れません。冷凍庫からもう一袋出してきて、今度は慎重に再チャレンジでございます。
今度は、何とか横方向には破れましたが、とてもフタとして被せるとか、広げてお皿に使うなんて状態ではございません。ワタクシのふたつの推理、完全に頓挫したのでございます。そこで、新たな推理を、ワタクシ、考えたのでございます。
ポテトチップスの袋を開けるとき、貼り合わせ部分を持って引っ張りますよね。それと同じ事を、この大学芋の袋も要求しているのではないか? そう推理したのでございます。この場合、横開きになりますので開放部分が広くなり、ベタベタの大学芋を手でつまみ上げるには好都合。そこまで想定しての異型合掌袋ならば、このデザイナー、ただ者ではございません。
ということで、さっそく実証! 開けてしまえば3袋目ですが、まぁ、冷凍食品ですから、開封しても賞味期限は変わらないでしょ。ということで、冷凍庫内、ガムテープで貼り戻された二袋の大学芋の傍らから、3袋目を取りだしたのでございます(いったい、何袋有るんだ! 笑)。
貼り合わせ部分を持って開けようとしましたが、全く、ビクともしない。強烈に貼り合わせてございます。これは、横開きは想定してないでしょう。ということで、推理は振り出しに戻るわけでございます。この合掌袋のデザイン、謎なのでございます。まぁ、最後に、こんな推理も考えてみたのでございます。
ポチ袋と鏡餅を購入するのに、ちょいと苦戦しております。というのも、こういった正月商品を扱わないコンビニがチラホラ有るからでございます。つとめて置こうとしないのは、やはり売れないからでしょうか。クリスマス装飾も減ってきているそうですし、お正月の恒例行事も、あまり行われなくなってきているのでしょうか?
よく日本を自慢する時、「日本には四季があるから」と言ってしまいますが、これは諸外国には失礼なお話。外国にも四季はちゃんとありますからね。ただ、日本人独特の季節感というものはございます。「はしり」「旬」「なごり」と呼ばれるものでございます。
季節に応じて生活を変えるというのが、欧米の合理的な季節感でございます。ところが、日本人てのは、実に面倒くさい季節感を味わおうとするのでございますよね。先取りした希少品を「粋(いき)」と感じ、残り物にノスタルジーを感じる。「はしり」や「なごり」を考慮すると、日本には12の季節が有ると言えるかも知れません。
で、面倒くさい季節感と申しましたが、面倒くさい物を面倒くさくないように工夫するのは「文明」でございます。そして逆に、面倒くさい物をそのまま面倒くさいまま熟成するのが「文化」でございます(ちょっとややこしい言い回し、ゴメンナサイ)。
以前、堀江貴文氏が、「何年も寿司職人の修行をするなんて無駄、寿司は3ヶ月の研修で握れるようになる」と豪語して話題になったことがございます。あれなんかは、寿司を文明的一面からしか見ていないのでしょうね。寿司には、文化的一面もあるのでございます。
寿司の文化的一面というのは、季節感に他なりません。先ほどの「はしり」「旬」「なごり」を感じながら、それを寿司を通して具現化するという職人技。ワタクシ、以前より日本には「道(どう)」の考え方があると申しておりますが、これも「寿司道」なのでございましょう。精神世界の表現なのでございます。
「メメント・モリ」という語がございます。ラテン語でして、「自分がいつかは死ぬという宿命を忘れるな」という意味でございます。芸術的に「死を想う」なんて訳されたりもいたします。中日新聞が、ここ数日間、この「メメント・モリ」というタイトルで火葬場の残骨灰に関する記事を載せておりました。
火葬場で焼いた後の灰には、金や銀などの貴金属が含まれているそうでございます。歯の治療用の金属だそうでございます。残骨灰からこれらを取り出して収益とする企業が古くから有るそうなのですが、最近、この残骨灰が注目されている関係で、残骨灰の争奪戦が起きているそうでございます。
ワタクシとしては、貴重な資源、有効に再利用していただければよろしいと思っております。ただねぇ、日本人ってのは遺骨に関して異常なまでの尊厳を持っちゃってまして、たとえ残骨灰と言えども丁重に葬れとか、まぁいろいろ注文がつくらしいのでございます。
この残骨灰の扱いを定めた法律が、無いそうでございます。それで、先ほど申しました「争奪戦」になっちゃうわけで、過去には何度か裁判沙汰も起きているみたいでございます。ここで、ワタクシ、キッパリ言いますけど、燃やしてしまえばただのカルシウム。もうね、産業廃棄物でええやん、と言いたいのでございます。
先日、「八百万神」の考え方を申しました。その影響なのか、”すべての”遺骨にも何か神聖な感情を抱いてしまいますよね。でも、ワタクシはこう考えるのでございます。「ありがたみ」というのは、遺骨に有るのでは無く、それに関わる「人の心の中」に有るのではないでしょうか?
物がただ置いてあるだけなら、それは単なる無機質な物質に他なりません。しかし、ひとたび、その物質に何かしらの「想い」が向けられると、その物質に何かしらの「ありがたみ」を感じたり「神が宿っている」という情念に至ったりするのでございます。そう、その「思い」は、物質ではなく、自分の心の中にございますよね。
昨日、「ありがたみは、それを想う人の心の中に有る」と申しました。「鰯の頭も信心から」なんて語もございますように、信仰というものの、それを信じる人の心の中にございます。もうすぐ、初詣の時期でございますね。どうぞ、鰯の頭を信じる気持ちで、お出かけ下さいませ。
若い頃から、「宗教」と「哲学」の線引きは何だろう?、ということをよく考えておりました。すっごく大ざっぱに言いますと、どちらも「救い」なんですよね。心の救い。ただ、その救いの求め方に、宗教と哲学の違いが有るような気がいたします。
で、毎年、年末年始のどうにも身動きの取れないときに何かしらのトラブルが起きるというのが、当店のならわし(笑)でございました。水漏れが起きたり、洗濯機が壊れたり、USENが繋がらなくなったりと、毎年様々なアトラクションが起きるのが、年末年始でございます。
ところが、今年はたいしたトラブルもなく、不覚にも安心しておりましたら、最終日の大晦日に、やられましたよ、ドカンと大きいのを。肉離れ、左足のふくらはぎでございます。昼前に外出しようとして、ちょいと急ぎ足をしたはずみに、ふくらはぎに重たい重たい鈍痛が...歩けなくなりました。
ワタクシ、肉離れは3年前にもやらかしております。その経験がございますので、もうね、準備は万端。ミズノのアイシングバッグ(氷のう)と、それを足に巻き付けるアイシングサポーターを急ぎ取り出しまして、すかさずアイシングでございます。氷で冷やすということでございますね。
肉離れは時間との勝負。いかに早くアイシングを始めるかで、その後の治り具合が変わってくるそうでございます。ただ、疲れが溜まってるのかなぁ、肉離れと同時にこむら返りも頻繁に起きる。これは、面倒くさい! 足にサポーターを巻こうとして、ちょっと無理な体勢になると、すかさずこむら返りが起きる。二重苦なのでございます。
肉離れとこむら返り。似て非なる物。対処方も全然逆なのでございます。筋肉が損傷するのが肉離れ。ですので、肉離れは痛みがかなり長引きます。3年前にやらかしたときは1ヶ月かかりました。今回は少し軽傷っぽいのですが、それでも数週間はかかるでしょう。
肉離れの初期は、とにかく冷やせと言われます。病院へ行くと山のような湿布をくれますし、お風呂に入るときも「足は浸けずに湯船の上へ出しておけ」と言われるくらいでございます。また、ヒールの高い靴を履けとも言われますね。炎症を抑えるための冷却、そして、ふくらはぎに負荷をかけない、ふくらはぎを縮めた状態にする、それが肉離れでは肝要でございます。
一方、こむら返りは逆に足が冷えていると起こりやすいそうでございます。そして、こむら返りの解消法は、まぁよく知られているのが足の指を手前に引いてふくらはぎを伸ばす動作でございますね。ふくらはぎを伸ばして治すのが、こむら返り。肉離れとは逆の動作ですので、ここ要注意でございます。
肉離れとこむら返り、似たような痛みですが、どちらなのかを初期に見極めないと、大変な事になりそうですよね。ワタクシの経験でお話しますと、肉離れの痛みは突然やってまいります。強力なバネが弾けるような感覚があったり、「ブチッ」という音が聞こえることも多いそうです。一方、「来るぞ、来るぞ」という前兆が有るのがこむら返り。そして、こむら返りの激痛は、一過性なのが特徴でございます。
あと、肉離れは、痛い部分がかなりはっきりしている。ふくらはぎを指で押しますと、損傷している部分はかなりの激痛が走りますが、損傷部分を少しでも外れると、全然痛くない。これが肉離れの特徴でございましょう。こむら返りは、とにかく、全部痛い(笑)。そして、ふくらはぎを触ると、収縮して堅く盛り上がっている部分が見つけられます。それが特徴と言えば特徴でしょうか?
まぁ、とにもかくにも、応急処置をしたら、すぐに整形外科へ飛んでいくのが得策でございます。冷やした方が良いのか、暖めた方が良いのか、これは専門医に確認した方がよろしいでしょう。それと、病院の処方で購入する湿布薬は、とにかく安い。湯水の様に使えるのでございます。