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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2017-12-18 【若い頃の仕事遍歴で、無駄なものは何ひとつない】

お店の近くに、また、コンビニがオープンするようでございます。開店は明日の早朝でございますが、その前日の今日まで、店頭には「オープンスタッフ募集」の大きな文字が。この時点で募集していて大丈夫なの?と思っちゃいますが、まぁ、本部から応援とか来るのでしょう。

これで、お店の近くは、ファミリーマートとセブンイレブンだらけ。お客様のお店への誘導、相変わらず、ややこしいのでございます。電話で「今、セブンイレブンの前にいます」と言われても、もう、どこにいらっしゃるのか見当も付かない(笑)。

当店オープン当初の17年前は、このあたりはローソン帝国でございました。まぁ、そこらじゅうローソンだらけ。そのローソンが、ひとつ減り、ふたつ減りして、この17年間で完全に逆転したのでございます。でも、まぁ、これほどコンビニが近接していたら、各コンビニの店長さん、心境穏やかじゃないでしょうねぇ。

なんか、「オープンスタッフ」って威張れそうですよね。「あたしゃ、オープンから居るのよ!」とばかりに、他のバイトを恫喝できそうでございます。試しに、コンビニのオープンスタッフでもやってみるかなって、コラコラ、「お店はどうすんじゃ!」と各方面から怒られてしまいますね。

でも、昔、学生の頃、アルバイト求人を見ていて、「オープンスタッフなら威張れますよ」みたいな謳い文句の求人を見たことがございます。アルバイトの世界でも、先輩とか後輩とか有りますからねぇ。今でも、そんな謳い文句、使われているのでしょうか?

ちょいと、ワタクシのお仕事遍歴を、お披露目したくなったのでございます。思い出しながら、書き連ねてみましょうか。中学から高校にかけてやっていたのが新聞配達。ちなみに、お店で新聞を取っておりますが、新聞配達求人のチラシが毎日のように新聞に折り込まれております。やり手が少ないのでしょうねぇ。

早起きが辛くなり、新聞配達の次にやったバイトが、ステーキハウスのスタッフ。こん時に、洋食の基本的な知識やマナーを覚えられたのでございます。ただねぇ、毎日、肉の焼ける香りに浸っておりますと、もうね、肉料理がウンザリになってしまうのでございます。高校卒業と同時に、ステーキハウスも卒業。

大学浪人時代にやったのが、餡子工場。当時、音大を目指しておりましたので、音の出る練習は昼間しか出来ない。ということで、早朝出勤で昼にはお仕事の終わる餡子工場のバイトを選んだのでございます。大手パンメーカーの下請けで、巨大な蒸気釜がいくつも並んでいるような工場でございました。音大を諦め、目をつぶって選んだ大学が仏教系。大学進学とともに、餡子工場も卒業でございます。

大学時代にやったのが、書店。この書店勤務が、ワタクシの人生の大きな転機になりましたね。世の中の最先端の情報が書店に集まってくるというのを、当時、身に染みて感じておりました。また、レコード売り場併設の店舗でしたので、最先端の音楽情報も身近。文芸情報の最前線に居るという快感を感じながら、バイト代の多くを書籍とレコードに費やしてしまう学生時代でございました(お店からすると、思う壺?笑)。

その後は、コンビニ弁当の工場、ほかほか弁当店舗と経まして、ニューハーフとしてスカウトされて錦三(キンサン、名古屋の繁華街)のクラブ(ゲイバー)へ。その後、同じ錦三のニューハーフショーパブへ。一度、ニューハーフ業界から出て、東京のミュージカル研究生に。でも、ドロップアウト。東京のショーパブ、ニューハーフヘルスと経まして、名古屋に戻り、ゲイバー、ニューハーフヘルスと勤めて、今のお店を立ち上げることに。

この一連の流れの中に、小さなバイトがチョクチョク挟まっております。女の子のスナックでも働いたことがございましが、これはさすがに3日間で諦めました。どんなに女っぽくても、やはりニューハーフがカウンターの中に立っていると、お客は「詐欺だ」と文句を言ってくる。女性とニューハーフとの間の大きな壁を感じたものでございます。

さぁてと、ワタクシのお仕事遍歴をダラダラと書いているだけで、結構な長さになってしまいましたね。今日はこの辺で切り上げましょうか。内容が有るような無いような(シャレじゃ無いですよ、笑う)コラムに最後までおつき合い、ありがとうございました。では、では。


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