店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
というのを6月末まで実施いたします。現行の4コースに加えて、2つのコースが期間限定ではありますが、選べるようになります。まぁ、詳しくはオフィシャルサイトの「イベント」のページを見てくださいませ。
60分のコースというのは、当店のオープン当初から要望が大きかったコースでございます。また、60分のコースというのは、他の多くのお店が採用しているスタンダートなコースであるとも言えます。オープン当時、どうして業界スタンダードをあえて採用しなかったか? それは、ワタクシの40分のコースに込める「想い」というものが有ったのですよね。
当店独自の40分のスペシャルコースは、40分という短い時間の中で、シャワーを浴び、ときには相互アナルまでプレイし、そしてお客様をお返しする。非常に、時間的に厳しいコースでございます。それゆえ、コンパニオンは急ぎまくります。ワタクシは、この急ぎまくるというところに「美学」を感じておりました。
というのも、かつて(と言っても20年くらい前ですが)この業界は、とっても大名商売なところがございました。選ばれてもすぐにスタートしない。シャワーに行ったっきりなかなか戻ってこない。時間前にさっさとお客様をお返ししてしまう。こういった風潮が嫌いで、ワタクシがこのお店をオープンした時には、このような因襲を刷新すべく、「時短なし、写真のごまかしなし」を大々的にうたい文句にしたことがございました。
その一環として、60分でのんびりプレイして実質40分程度の内容で提供するよりは、「40分のコースで急ぎまくってお安い金額で提供した方がお客様の利益」という理念のもと、あえて60分のコースを作らずに、40分のスペシャルに固執したという経緯がございます。
時代は流れまして、ワタクシが当初危惧していた悪い風潮も、今は企業努力をしている店舗も増えてまいりました。すると、やはり「40」と「60」という数字の長さだけが比較され、「時間の短さ」だけしかお客様へのメッセージとして伝わらないということになってきております。
そこで、まぁ、期間限定のトライアルなのですが、新たに60分のスペシャルコースを選べるようにいたしました。また、「どうせトライアルするなら盛大にやりましょう」ということで、30分のヘルスコースも儲けちゃいました。
NHKの『SONGS』という番組がございます。以前は土曜日の夜という至極リッチな気分にさせる時間帯の番組でございましたが、最近は、木曜日の午後10時50分という、何とも中途半端な時間帯。時間帯が変わっただけで、その番組の内容まで違って見えてくるのも不思議なものでございます。
さて、この番組の本日の出演が「高橋真梨子」さん。名曲「For you . . .」は、大変ウルウルしながら聴かせていただきました。「襟裳岬」、ちょっとワタクシが想像していたのと違うかなぁとは思いましたが、真梨子風の襟裳岬、それはそれで良かったのでございます。
この「For you . . .」という曲が大好きという人が、ワタクシの先輩でいらっしゃいます。「山田薫」さんというニューハーフの方で、かつて女子大小路(名古屋の飲食店街のひとつです)に有った「つけもの」というショーパブでワタクシが働いていた時の、大先輩でございます。ショータイムでは、よくこの歌を歌っておられました。歌も良し、踊りも良し、スタイル抜群! 前田美波里を彷彿とさせるようなニューハーフ界の逸材で、何をやってもチンチクリンでバシッと決まらないワタクシは、大尊敬しておりました。
その後、ワタクシは東京へ。山田薫さんは「つけもの」のママに昇格するや、すぐ独立して「ガラシャ」というショーパブを始め、ガラシャのママとして名古屋のニューハーフ界の「顔」となるのでございます。しかし、そのガラシャも安定期に入り安泰かなと思われた頃、脳梗塞で倒れるという不運があり、復帰後も体調があまりよくなかったようで、現在では飲食業からは退いているそうでございます。
で、ここからが本題。ワタクシ、東京で風俗店に入った時、「名前を決めてくれ」と言われたのでございます。水商売で使っていた名前をそのまま使うのも「どうかなぁ」と思いまして、いろいろ名前を思い巡らすわけでございます。下の「薫」という名前は即決。ワタクシが尊敬している人の名前。さすがに名古屋でこの名前を使うのは勇気がいるというか、不可能。しかし、遠く離れた、(名古屋から見れば)極東の東夷(あずまえびす)の国ならば大丈夫(笑)。ということで、「薫」という名前は、すぐに決まったのでございます。
問題は、上の名前、つまり名字。覚えやすくて、ワタクシの特徴をよく表していて、それでいてインパクトのある名字。いくつも考えてはボツにするということの、くり返し。そのうち、面倒くさくなってヤケクソになるわけでございます。「そうだ、宝塚の人などは、出身地を名前にするじゃん」と思いつき、ちょっと冗談で「名古屋薫」という名前を店長に提案。即決でございます。店長さんの決意は固く、修正や取り消し不可。ワタクシの「名古屋薫」時代の幕開けでございます。
春先から、ぜん息で困っております。もともとぜん息は持病で、毎年発症しておりました。しかし、ここ4〜5年は出ないので、「やっと、治ったかなぁ」と思っておりましたら、今年、久方ぶりに発症。いつもは数週間で治まるはずが、今年は2ヶ月ほど経ち、治まる気配がない。薬やのど飴を使いまくっております。
昔から飲んでいてよく効いていた漢方薬は、今年はなぜか効き目がない。4〜5年使わずに眠っていた薬ですので、賞味期限切れかなぁ? あと、咳止めシロップ、錠剤、うがい薬と、代わる代わる試すが、なかなかテキメンなのがない。結局一番有効なのは、浅田飴の3粒同時なめ。3粒ずつなめるので、あっという間に一缶なくなってしまうのでございます。
自分が咳き込んでいる時、「そういえば、母親もまったく同じ咳をしていたなぁ」と思うことがしばしば。どうやら、このぜん息は、母親から「貰った」のでしょうか? そういえば、アイメイクをするとき「目元のたるみ、母親にそっくりになってきたなぁ」と思いますし、そうそう、体型もそう。外を歩いていてガラス戸に自分の体が映ったときなど、母親が立っているのかとドキッとしちゃいました。もうね、お腹あたりの膨らみ方が、そっくり(笑)。
母親からは、遺伝性の目の病気も貰っております。母親は晩年、階段やエスカレーターを非常に嫌っておりました。多分、この病気があったためでしょうね。でも、母親は「老化」だと思い込んでいたので、この病気のことを知らずに亡くなっております。その後、ワタクシは人間ドックの検査で、この病気のことを知ることに。遺伝性の病気だということで、晩年の母親の行動に、察しが付いたというわけでございます。
名古屋薫はテレビっ子でございまして、必然的に、この欄はテレビの話題が多くなるのでございます。毎週土曜日に楽しみにしているドラマがございます。「トットてれび」。満島ひかりさんは、ほんと芸達者。『ど根性ガエル』での「あまりにも完璧なぴょん吉」には本当に驚かされましたが、今回の「いかにも黒柳らしい」演技も、見応えがあるのでございます。
で、本日のテーマは、その「黒柳徹子」さん本人。実はワタクシ、幼少期の頃から、黒柳さんの大ファンでございました。東ハト提供の子供向けクイズ番組の司会を黒柳さんがしておりまして、小学低学年のワタクシは、その番組に毎週くぎ付け。しかし、ニューヨーク留学のために降板されるのを知ったときには、大泣きしたものでございました。
クイズ番組はリニューアルされて続きましたが、ワタクシは主人を待ち続ける忠犬ハチ公の様に、毎週、毎週、その楽しくもないクイズ番組(東ハトさん、ゴメンナサイ)を見続けたのでございます。それも、黒柳さんが最後のシーンで、「また戻ってくるからね〜」と手を振って叫んでいたから。もうね、ちいさな子供相手に、戻ってこられないのに「戻ってくる」なんて言ってはいけませんよ。罪作りでございます(プン、プン)。
黒柳さんの何とも説明のしようがない魅力は、その「天然さ」ではないでしょうか。純粋で作為のない言動が、多くの人の共感を呼ぶのかもしれません。実は、人気商売、特に風俗でも同じようなことがございまして、天然っぽくてちょっとボカンとしたような子がバカ売れするということが、よくございます。美人とか、テクニックがあるとか、そういったことも重要な要素ではあるのですが、それらを凌駕する、人智を越えた、天性の「引力」のようなものを持っているのですよね、そういう子は。
ですので、そういった天性を持っているこの場合、多少ヘンテコな写真でも、それをお客に「選ばせてしまう」という不思議な吸引力を持っているのでございます。もっとも、舞台ではワタクシも似たような経験はしております。全く同じ事をしていても、目立つ人と埋没する人が必ず出てくる。舞台の場合は、身長の差やスタイル、リズム感などのちょっとした差で違ってくると予想できるのですが、風俗の場合は「写真」ですからねぇ、「引力」なるもの、まか不思議なのでございます。
ここのところ、激しくプリンタが不調。とうとう我慢しきれず、修理に出したのでございます。ビジネス用のインクジェットプリンタで、複合機ではないのですが、ちょっと大きめ。ダンボール箱に戻しまして、タクシーでビックカメラまで行ってまいりました。さすがに、大きなダンボール箱をかかえて地下鉄に乗る勇気はございませんでした。
ワタクシのプリンタは使う頻度が多いせいか、よく故障するのでございます。今回修理に出したプリンタも、この16年間で4台目。1台目は昇華型というちょっと変わったプリンタで、ちょっとお高いけど普通紙に艶出し処理を出来るという優れもの。メーカーのサポートも使えるパソコンもなくなって、まだ動くのに泣く泣くお蔵入り。これに懲りて、2台目は激安プリンタ購入。やっぱり、2年ほどで壊れるけど、修理するより新品を購入した方が安いので、3台目として同じ機種を再購入。インクも使い回せて、経済的なのでございます。
それも壊れまして、今のが4台目。それまでの経験から、仕事に使うには「両面印刷機能必須」だということに気がつきましたので、激安プリンタよりもチョット奮発して購入。でもねぇ、購入後1年半でキッチリ故障するってのは、どうなんでしょう。長期保証に入っていたので多分修理費なしだと思うのですが、もし保証期間が切れておりましたら、間違いなく同機種再購入ということになったでしょうねぇ。
プリンタは、本体は原価を割る異常な低価格、そんかわり、インクはちょっとお高め。本体で損をしても、その後必ず購入を続けてくれるインク代で元を取ろうという算段の商法でございますね。しかも、インクジェットプリンタというのは、その構造上、プリントヘッドを乾燥させないために、ときどき微量のインクを吹き出して「捨てる」という動作が必要。さらに、ヘッドクリーニングの度に、大量のインクを消費することになる。プリンタのような「ランニングコスト商法」としては、実にオイシイ仕様なのでございます。
ちょっと前までは、携帯電話がこの商法でございましたね。携帯電話本体はお安く提供し、通信費で元を取るという形。各電話会社の競争が激しすぎて、それを悪用する人も出始めたりして、行政の指導が入りました。この商法はユーザーを取り込みやすいので、いろんなところで利用されております。ホストクラブなんかもそうですよね。「初めてのお客様は¥5,000ぽっきり」とかは、のめり込んじゃったりすると、後から莫大なランニングコストがかかったりするのでございます。
本日のNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』は、名古屋港特集でございました。番組内でポンポン飛び交う名古屋弁、楽しかったのでございます。ワタクシ、港区に住んでいたこともありましたので、港湾のコンテナ基地の風景も懐かしかったのでございます。
若い頃に、名古屋港の「稲永埠頭」という場所の新聞配達をしておりました。埠頭ってのは桟橋が何本も海に突き出しているわけでございますよね。で、その突き出しの先っちょに、作業員や警備員の詰め所があるわけでございます。自伝車全力疾走でその先っちょまで走って行きまして、新聞を投函。また全力で戻ってきて、次の先っちょまで全力疾走。これを何度かくり返すのでございます。ほんと、効率の悪い新聞配達でございました。ただ、早朝から勤務されている方々がいらっしゃったり、船の出航時間が有ったりしますので、配達時間には厳しかった覚えがございます。
もうひとつ、興味深かったのは「船食(せんしょく)」という言葉。辞書にも載っておりませんし、パソコンの日本語変換でも出てこない単語。でも、ワタクシ、中央卸売市場で働いていたときに、この言葉をよく聞いておりました。船に食材や日常雑貨を納入する業者さんでございます。この船食さんも、やはり船の出航時間との兼ね合いなど有って、配達時間を厳しく言われた覚えがございます。新聞配達と市場の荷物運び、それぞれスタンドアローンだと思われていた体験が、この番組を観てワタクシの頭の中でリンクされる感覚、妙に嬉しかったのでございます。
こういうのは他にもいろいろありまして、若い頃の劇団員の経験ってのは、今のお店経営に非常に役立っております。劇団員(特に小さな貧乏劇団の場合)ってのは様々な技術が身につくのでございまして、大道具作製では大工仕事が、衣装作製で裁縫、舞台の電気仕掛けで電工技術、マイクやスピーカーの設営では音響の技術と足場の組み上げ(笑)、照明のプランニングと設営では色彩効果と強電と言われる数百ボルトを扱う電気の世界。これらの経験が、今のお店の照明やBGMや備品などに生かされております。ワタクシのお店が「手作り感満載」なのも、このような経験が反映しているのでございましょう。
そう、それから、台詞を喋るときの滑舌の訓練、美しい日本語を話すための訓練などは、ニューハーフになってからの接客や今の電話応対などで生かされております。人間、どこで何が役に立つか分からないのでございます。先にも申し上げましたが、若い頃にはそれぞれ独立していると思い込んでいた経験、それらが、年齢を重ねてくると、各経験が横のリンクを持ち始め、ネットワーク構造の様な「経験の網目構造」が自分の中で出来上がってくるのでございます。バラバラで散在していたものが、ひとつの大きな塊(かたまり)に変わるってのは、ちょっと楽しいのでございます。何でしょうねぇ、上からしか見えていなかった物体が、初めて横から覗き込めた様な感覚とでも言うのでしょうか。
舛添さん、メッチャクッチャ責められているのでございます。まぁ、最近いろんな分野でよくあることですが、こういう「全国民的集団ヒステリー」っていうのは、もうそろそろやめましょうよ。国益を考えても、何ひとついい事はないのでございます。
今の日本人、一般大衆も政治家も、極端な「微視的展望」で行動し過ぎでございます。舛添さんの問題も、あまりにも執拗な追及を見ておりますと、単なる「ウップン晴らし」にしか見えない。もちろん、潔さのかけらも無い舛添さんの対応も、決して褒められたものではございません。でもね、ここは、「相手のメンツを立てつつ、上手に使う」という考え方をしてもいいのではないでしょうか。
東京都知事というのは、他の県の知事とは格が違うのでございます。政治的には、首相の次に位置する「国の顔」なのでございます。舛添さんの人間の小ささが原因では有るのですが、なにもそれをわざわざ、世界中に発信する必要はない。国の顔でもある人が、しどろもどろに会見する様子が世界中のニュースで報道されるという事実、どうしてこれを「恥ずかしいこと」「国益として大きなマイナス」と考える人が少ないのでしょうか? ほんと、今の日本人(の多く)は、自分の足下しか見ていないのでございます。
舛添さんのやらかしたことは、「可愛らしいゴマカシ」でございます。ズルさはありますが、「腹黒さ」というようなブラックな要素はあまり感じられないのでございます。「領収書をごまかして小遣い稼ぎはするけど、贈賄や機密漏洩のような大それた事は出来ない」といったレベルの人ではないでしょうか。ですので、とことん追及して追い詰めなくても、「コラッ、ダメでしょ、こんなことしちゃ。今度から気をつけてネ(ハートマーク)」といった対応をしておけば、いい仕事をしてくれるはずでございます。ワタクシとしては、この小さな悪事に国民が翻弄されて陰で巨悪がほくそ笑んでいるとしたら、それこそ国益の大きな損失だと思うのでございます。
だって、多くの秘書がいて、取り巻き連中がいて、それなりのチェックやアドバイスが日常的に行われていたはずでございます。それでも、この様な大ごとになるということは、「大ごとになると嬉しい人(たち)」がいるのかもしれない。そういう、ひとつ俯瞰した巨視的な見方も必要だと思うのでございます。一歩下がると、都知事だけじゃなく、その側近の人、あるいは対立する政党の人とかも見えてくる。あるいは、もっと下がり、国外からの策謀まで考慮しなくてはならないかもしれません。
どうでしょう? 一歩下がることに、都知事を取り囲む周りの人、周りの国までもが見えてきて、簡単にヒステリーでウップン晴らしをしていてはいけないことに気がつくのでございます。個人的な領収書ゴマカシではなく、政治的な策謀、あるいは国家的な危機、というように、どんどんマクロ的・巨視的に見ていく必要があるのでございます。それは、桝添さんが単なる「個人」ではなく、「国の顔」に他ならないからでございます。
今の日本、悪意のある外国が要領よく立ち振る舞おうとしたら、簡単かもしれません。どこにでもあるような政治家のスキャンダルを見つけ、雑誌に漏洩し、国民的ヒステリーに誘導する。すると、その政治家はその火消しに手一杯になり、他の事項が手薄になる。あるいは失脚させられるかもしれない。そんなことを繰り返されているうちに、国の対外交渉力はどんどん下がっていく。
政治家だけではございませんよ。新製品を売り込もうとしている企業が、ライバル会社をこのような手口で翻弄させるかもしれない。あるいは、東北大震災の後、天然ガスを高額で売りつけたい諸外国が、「脱原発」を必要以上に煽るとか。まぁ、これは推測ですけどね。でも、何か事件が起きる度に国民全員が微視的に大騒ぎしていたら、「本当の黒幕」にとっては思う壺なのでございます。
会社やお店でも、似たようなことはあると思いますよ。誰かと誰かが喧嘩した。でも、その喧嘩を裏で糸引いている本当の「黒幕」がいるかもしれません。風俗や水商売といった人気商売の現場では、ときどき起こることでございます。まぁ黒幕というのは言い過ぎでも、他人のゴタゴタが楽しいというのは人間の常。そういう人が「黒幕的な言動」をしてしまうというのはよくあることでございます。そういうとき、いかに巨視的な考え方も出来るかということが、トラブルを穏便に解決するのにはキモになってまいります。
お店が終わって後片付けをした後、深夜0時30分ごろでしょうか、慌ててスギ薬局へ出かけました。頭痛薬とか、かかとクリームとか、化粧水とか、あとカチューシャがパキッと折れてしまいまして、それも買わなくちゃ、そうそうメラミンスポンジもなかったけ、などと考えながら、いそいそと東新町の方へ出向いたのでございます。
長身の紳士と、これまたモデル体型の真っ赤な服のホステスさん、女性が男性の肩に頭を預けながら、フワフワと寄り添って歩く姿。歩道に座り込んで宴会をしている若い人たち。なぜか深夜に、乳母車を押して歩くおばあさん(ちょっと不気味でございました)。コンビニ前のベンチで酔いつぶれている、肉体労働風の男性。松屋から牛丼のテイクアウトを持って出てくる、入社したてって感じのスーツ姿の男性。身長よりも高く空き缶を積んで、自転車を押し歩く人。たった7、8分ほどの道程で、様々な人とすれ違うのでございます。深夜の新栄町ー東新町界隈は、賑やかなのでございます。
スギ薬局の中も、なぜかちょっとした混み具合。中国語が飛び交っておりますので、中国からの団体客かもしれません。その中の1人の女性、偶然、ワタクシとぶつかってしまいました。すると「ソーリー、ソーリー」という謝りの言葉。中国語が飛び交う店内で急に出てきた英語が、ちょっとおかしくも思えた瞬間でございました。レジの手前で一列に並ぶという日本式の並び方に不慣れな団体客の方々、各レジごとに行列が出来、混沌としたレジ付近の風景。でも、言葉は通じなくても、お互いに「お先にどうぞ」という仕草を交わしながらのレジの順番待ち、深夜の薬局は、立て込んでいるとはいえマッタリしているのでございます。
え〜と、新人が入ってまいります。といっても、まだ昼間のお仕事を続けつつ、お休みの日だけ体験入店という形ではございますけどね。面接だけ行いましたが、写真もプロフィールもまだ取材していない状態ですので、初日出勤日に大急ぎで取材して、アップロードしたいと思います。
昼間は女性として普通のお仕事(接客業)をしている人なので、ルックスは「板に付いている」という感じでしょうか。普通に女性に見える感じの人です。この業界は全くの初めてということなので、当面は「ヘルスコース」のみの受付と考えております。もちろん、お部屋の中で意気投合してアナルセックスが出来そうということになりましたら、スペシャルコースへのコース変更も可能、ということは考えております。
何日か前に、プリンターのお話をいたしました。その問題のプリンタ、戻ってまいりました。戻っては来ましたが、修理は行われず。でも、ワタクシの手元には、新品のプリンターが鎮座しております。どういうことでしょう? 今日は、そのプリンタの顛末をお話しいたしますね。
今回の体験では、量販店の長期保証の仕組みが少し分かったのでございます。このプリンタを購入したのは、1年半前。メーカー保証は1年ですので本来ならば有償修理になるのですが、たまたま量販店の3年長期保証に入っていたというのが救いでございます。そこで、このメーカー保証と長期保証の関係、とくとご説明いたしやしょう。
1年以内の故障ならば、量販店からメーカーに送って修理。それで終わり。1年を過ぎて長期保証の期間に故障しますと、量販店はメーカーに修理依頼するのですが、当然有償。その修理費を、量販店が肩代わりするというシステムのようでございます。ただ、ここに心憎いルールがございまして、「メーカーからの修理見積もり金額が、購入した金額の8割を超えた場合は、修理はせずに新品に交換」とのことでございます。
このプリンタの場合は、なんと、ワタクシの購入金額よりも修理代の見積もりの方が高額だったとのこと。「ランニングコスト商法」とは申しましたが、いかに本体が格安な金額で販売されているかというのが、分かるのでございます。ということで、今回は「新品に交換」してもらうということで、一件落着...となればいいのですが、もうひと波乱ございました。
実は、インクの買い置きがいくつかあったのでございます。インクはプリンタの機種ごとに専用ですので、本体が変わってしまうと、買い置きのインクが無駄になる。それで、同じ機種への新品交換をお願いしたのですが、修理センターでは店舗在庫までは分からないとのこと。ハラハラしながら希望だけを告げ、店舗からの連絡を待つことになったのでございます。
結果は、店舗の人が同じ機種を見つけて下さいまして、みごと、同機種新品Get! 量販店で新旧2つの大きなダンボール箱を受け取り、這々の体で持ち帰ってまいりました。同じ機種なのでインクも使い回しが出来る。しかも、メンテナンスボックス(廃インクタンク)や給紙トレーも使い回せる。出費は、往復のタクシー代くらい。実は、給紙トレーはもう一つくらい欲しかったので、それだけ取り寄せようかと思っていた矢先でもございました。店舗からの連絡を待つ間はハラハラいたしましたが、結果オーライ、大オーライなのでございます。
え〜と、8日の水曜日に、「夜汽車の電車の車窓から窓の外を流れていく灯りを見るのが好きだ」というような事を書きましたら、ある人から「お前は渥美清か」と言われてしまいました(笑)。実は、なぜか渥美清さんの映画は一度も見たことがないワタクシでございまして、でも、渥美清さんが劇中で似たようなことを言っていたのなら、どこかで無意識に渥美さんの言葉をインプットしていたのかなぁ、とも思ったのでございます。
奇しくも、本日の『トットてれび』が渥美回でございました。前回の向田回と同様、ラストで離別が分かっているストーリーというのは重たいのでございます。でもそこは、脚本の「中園ミホ」さん、お上手でございます。見事に涙腺がボロボロになったのでございます。『重版出来!』でもそうですが、主役が緻密な演技をしていると、脇役、演出などの緻密さがどんどん生きてくる。この『トットてれび』も、いたるところに緻密な演技、緻密な演出が施され、しかもあえてそれを無理に説明しようとしない。「分かる人だけ気づいてね」というスタンス。こういうドラマは見る度に発見が有るので、ついつい録画して何度も見返してしまうのでございます。
黒柳さんのような「純粋すぎる人」というのは、純粋過ぎるが故に、無意識に人を傷つけることが多かったのではないかなと想像するわけでございます。子供って空気を読まずに、露骨な「本音」をツルッと言ってしまう事、あるでしょ。あれを大人になってもやっていたような気がするのでございます。でも、ドラマの中の黒柳さんと渥美さんのやり取りを見ていると、そんな言葉の上っ面で起こる誤解など吹き飛ばしてしまうほど、黒柳さんが厚い信頼を得ていたのでしょうね。渥美さんからだけでなく、黒柳さんを取り巻くすべての人から。黒柳さんの「人徳」なのでしょう。
本日は、新人さんの初出勤。まだ写真撮影とか済んでおりませんでしたので、出勤直後にすぐ写真撮影。そして、フロント用の写真を最優先でプリント。その後、ネット用の画像データやプロフィールを入力。それがひと段落したら、今度は新人さんに接客の段取りをひととおり説明。12時半頃から初めて、ちょうど15時に完了。新人さん、受付開始なのでございます。
慌ててたのでワタクシもちょっとミスをしちゃいまして、カメラのレンズにソフトフォーカスフィルターが付いたままだったのに気づかず、撮影を済ましてしまったのでございます。ソフトフォーカスフィルターってのはホワ〜ンとした柔らかい写真が撮れるのですが、プロフィール写真向きではない。まぁ、また撮り直すのでございます。
・たまたまなのか、いつもなのか?
・誰かに間違った指示を受けていないか? または誰かの真似をしているだけではないか?
・本人が間違って覚えている? または本人の価値観では正しいことなのか?
・私の価値観では間違ってはいるけど、これはこれで正解なのかも?
お店を始めて16年、いろいろな事を経験してくると、ひとつの出来事でも、横からとか、裏側からとか、多面的に考察することが重要だということが分かってまいります。たわいのない出来事でも、一筋縄で考えてはいけなかったりいたします。
さて、本題に入りましょ。今の日本人、こういった多面的に考える能力に、まったくかけていると思いますよ。ベッキーしかり、舛添しかり。どうして、「裏があるかも」と言い始める人が全くいないのでしょうか? 「取りあえず悪く見える方」を日本中が徹底的に叩いているという現状。あ〜あ、ほんと、今の日本人は全般に単細胞すぎるのでございます。
風俗嬢の一般常識として、「香水を付けない」「ネイルをしない」ということがございます。いや、「ございました」と言った方がいいかも知れませんね。これは、お客様に匂いを付けない、お客様の体に傷を付けないといったことへの配慮でございます。ところがですね、この香水とネイルが、お店の中でちょっとしたブームになったことがございます。
もう何年も前のことですが、ある売れっ子コンパニオンが、ゴテゴテのネイルを施し、強めの香水を使っていたことがございました。ワタクシとしては柔らかく注意をしましたが、何となく気まずい雰囲気。注意されたことがご不満な様子でございました。ここで、2つの考え方が出来るのでございます。
その結果、「たまたま」でも「真似」でもないのは確実。では、本人の価値観は? ワタクシの価値観では、「お客様に香水の匂いを付けるくらいなら、汗臭いままの方が良い」という考え方。でも、そのコンパニオンにとっては多分、
なんて考察をいたしますと、「そのまま放置」というのが最良の対応だということに、行き着いたのでございます。その子はそれでうまく行っているのだから、あえて触らないという事ですね。ただ、全てにおいて、これが当てはまるわけではございません。
その売れっ子コンパニオンの真似をする、ちょっと苦戦しているコンパニオンがございました。その子は人気を出したい一心で、売れっ子の真似をしていたのでございましょう。この子の場合は、ワタクシはネイルや香水をしないように注意したのでございます。売れっ子とこの子では、ベースとなる条件が違うからでございます。
以前から時々お話しておりますが、売れるコンパニオンというのは、独特の「引力」を持っております。ですので、多少の「不可」が有ってもそれを補って余りある「可」を持っているのでございますよね。でも、その「引力」を持っていない人が形だけ真似をすると、「可」が少なく「不可」ばかりになってしまうのでございます。
イチロー選手、大記録、おめでとうございます。大記録達成の感想を聞かれて、「自分が目標として来たことではないので、大きな事とは思ってないです」と答えるあたり、イチローらしい受け答えなのでございます。渡米後、マリナーズ、ヤンキース、マーリンズと移籍しておりますが、どこのチームでも彼がリスペクトされ歓迎されてきたというのは、記録以上に誇らしいことではないでしょうか。
というのも、メジャーリーグで移籍とかありますと、大体、出て行くチームのファンからはブーイングが起きるものですよね。ところが、あのマリナーズからヤンキースへの電撃移籍の際、シアトルのマリナーズ・ホームグラウンドの観客は、総立ちスタンディング・オベーションでイチロー選手の移籍を祝福したというシーンがございました。ヤンキースのジータ選手が、キョロキョロとスタンドを見回して驚いていた様子を、今でも覚えております。
イチロー選手がリスペクトされ歓迎される背景には、彼の野球に対する真摯な精神があるからではないでしょうか。誰よりも早く球場に入り十分なランニングやストレッチを黙々と行い、試合後も自己管理を怠らず、道具を大事にし、シーズンオフにもその日課を崩さない。まるで修行僧の様でございます(笑)。イチロー選手が若い頃は、これらの姿勢が単なる「バカ真面目」として嫌われた部分もございましたが、彼が記録を残すに従って、このバカ真面目が「真理」として評価されてきたのでございましょう。
ただね、日本人は、このイチロー選手の姿勢をそれほど特別だとは思わないですよね。高校球児の野球への取り組みとか見ておりますと、「それが当たり前でしょ」とも思えてくる。これには、スポーツに関する日本人独特の感性があるからでございましょう。ずばり、「道(どう)」という考え方でございます。柔道に剣道、野球道、相撲道、あと、茶道、華道、北海道、おっとと、最後のは間違い。でも、なんか「〜道」って多いですよね。この「道」という考え方が、実に日本の文化のベースになっているのでございます。
「心・技・体」なんて申しますが、「技」や「体」だけでなく、この「心」重視するのが「道」という考え方。これが、まぁ、世界的にも特殊なんでしょうねぇ。だいたいスポーツの世界ってのは、記録がすべて。どんな心で臨んでいようが関係ない。だから、ドーピングしてでも記録を残そうとする。ところがですね、柔道とか剣道とかを始めますと、まず最初に厳しくされるのは「礼儀作法」。野球でも、高校球児がグラウンドに入るときなど、帽子を脱いでお辞儀をする姿が見受けられます。「〜道」というものは「何を行うか」より先に「どんな精神で行うか」ということを優先するのでございます。
すると、茶道や華道も、ちょっと面白く見えてくる。お茶を入れる技術、花を生ける技術なんて、今やネットでも勉強できます。しかし、それらを行う「精神」に注目すると、狭い茶室での独特の空気感は「おもてなし」の精神、花を生ける人の緊張感には「生きとし生けるものへの賛美」を感じ取ることが出来るのでございます(ここまで書いてきて、ふと気づきましたが、花を生けるという語は「生」という字を当てるというのも、今さらながらに納得したのでございます)。
話をイチロー選手に戻しますと、この「スポーツに精神世界を持ち込む」という考え方、当初、アメリカ人には異様に見えたことでしょう。しかし、イチロー選手がアメリカで実績を積むにつれて、イチロー選手のやり方を真似するメジャーリーガーが出てきたのは、興味深いですよね。そして、イチロー選手の凄いところは、単なる精神論で片づけていないところ。野球を科学的に分析し、どんな筋肉が必要なのか、どんなスケジュールでトレーニングすべきか、その様に理詰めで考え、それを不言実行していることでございます。
欧米人ってのは、こういった「精神性」「スピリチュアル」なものを、日常生活と切り離して「非日常」と考えているのでしょうか。ですので、スピリチュアルと日常とが融合したときに、思いも寄らぬ反応を示すことがございます。それが、「こんまり」こと近藤麻理恵さんの書かれた『人生がときめく片づけの魔法』という本が、欧米で大ヒットしているという現実でございます。
この本の特徴は、「『ときめき』があるかどうかで、不要品を分ける」「不要品には『ありがとう』と感謝をしてから、捨てましょう」としていること。日本人の感覚からすると特別なことではないのですが、この「ときめき」と「感謝」に、欧米人はスピリチュアルなものを感じたのでございましょう(そもそも「ときめき」を正確に表した英単語がない、どう訳したのか興味深いのでございます)。実際に欧米の書店では、スピリチュアルの棚に並べられているそうでございます。この本とシャーリー・マクレーンが並んでいるのでしょうか? 面白いのでございます。
日本では「道」という考え方が日常生活に溶け込んでいるのであまり意識しませんが、諸外国から見ると、この「道」の存在が、いかにも日本を日本たらしめている様でございますよ。まぁ、トイレにまで神様がいる国でございますからね。欧米人にはさぞかし奇異に見えることでございましょう。逆に、日本人はこの考え方をもう少し自覚すると、外からやって来た人との軋轢を減らせるのではないでしょうかねぇ。朝青龍とか白鵬とか、いろいろ有りましたからねぇ。
ロシアの陸上選手、リオ五輪への出場がかなり厳しくなってきましたねぇ。昨日のこの欄では「ドーピング」という語を出しましたが、組織的な悪意のあるドーピングも有れば、トバッチリを受けただけの選手もいるでしょうし、身に覚えのない人はきついでしょうねぇ。モスクワオリンピックで日本がボイコットをした際、柔道の山下選手が記者会見でボロボロ泣いておりましたが、ちょっとそんな風景も思い出したのでございます。
チョット不謹慎かも知れませんけどね、ワタクシとしては、ドーピングとか改造とかして、人間の能力がどこまで伸びるかというのも、見てみたい気がいたします。ですのでね、モータースポーツのように、様々なカテゴリーに分けてしまってはどうでしょうか? ピストリウス選手のように、義足でありながら健常者並みの記録を出してしまう例もございます。いっそのこと、オリンピック・パラリンピックなんて区別もなくし、最速義足カテゴリーなんてのも、欲しいのでございます。
モータースポーツの場合は、F1などの高位カテゴリーで培った技術が、一般車へ還元されるということもございました。ドーピングも、堂々と公の研究にしてしまった方が、その技術やデータが、実際の医療に活かされるということはないでしょうか、ないかなぁ、ないかも。ちょっと気弱になっちゃいました(笑)。ただ、公にすることによって、選手への危険な服用はある程度コントロール出来るような気がいたします。
そういえば、米ソの宇宙技術だって、もともと軍事転用する目的が有ったので、莫大な予算が調達でき、あれほどの進歩が有ったわけですよね。アポロ計画は大陸間弾道ミサイルの研究に転用され、スペースシャトルだって、運用の何分の一かは軍事衛星のために使われております。世の中ってのは、軍事に使える技術というのは、飛躍的に進歩できるのでございます。
日本がコツコツとやってきたロボット研究を、アメリカなどはちょっと馬鹿にして見ている空気がございました。あまりにも日本が「二足歩行」にこだわる姿が、合理的なアメリカ人には「こっけい」に見えたのでしょうね。ですが、この二足歩行、多足歩行が軍事転用できると分かると、今や日本の何十年の研究を追い越す勢いで研究を進めております。これを考えると、何事も「軍事転用厳禁」にこだわる日本は、それだけで技術革新に大きな足かせ・手かせをはめられているようなものでございます。
義足の技術も、それが軍事転用出来るとなると、格段に発展するのでしょうか? 平和の祭典と呼ばれるオリンピックに軍事転用の陰がさすというのは、あまり気分のいいものではありませんね。ただ、その技術が、体の不自由な方々に大きな恩恵を与えるかもしれないという想いもございます。「功罪」なんて言葉がございますが、「功」と「罪」は、表裏一体なのかも知れません。
舛添さんなき後、と書くのはあまりにも恣意的でしょうか(笑)。でも、そのポッカリ空いた都知事というポストに入ろうと意欲を燃やしている人は、いないようですよねぇ。なんかね、学級委員が気に入らなくてみんなで辞めさせたけど、次の学級委員を決めようとしたら誰も手を上げないみたいな、だったら辞めさせるなよ、とそんな感じ。結局、世論に迎合した? それじゃぁ「ポピュリズム」じゃねぇかとか、いろいろ考えるわけでございます。
辞めちゃったら責任を追及できないこととか、石原や猪瀬だってファーストクラスを使っていたこととか、段取りを仕切っていた取り巻きがいたはずだとか、今さらになって言われております。もう、あとの祭りでございます。辞めることが決定したとたん、舛添さんも開き直って口を閉ざしてしまいました。
思い返せば、石原慎太郎があまり叩かれなかったのは、文筆家だからという理由も有ったのでしょうか。出版社は作家の過去の蓄積で食べさせて貰っているようなものですからね。怒らせて「作品を全部引き揚げる」とか言われるのを危惧すること、あるかもしれません。舛添問題も、もし週刊文春が記事にしなかったら、全く騒がれてなかったかも。としたら、雑誌の記事ごときに国民だけでなく政治家までもが振り回されてしまうというのも、脆弱すぎませんかねぇ?
新聞や雑誌は、必ずしも世情を正確に表しているわけではございません。世の中には情報が溢れかえっております。その中から、どの情報をピックアップして紙(誌)面に載せるかというのは、完全に編集部の恣意。そして時には、恣意を通り越して「意図」でも有ったりします。時々、抜群のタイミングで芸能人のスキャンダルが発覚したりしますよね。新聞や雑誌も売らなければなりませんから、その紙(誌)面作りには、必ず意図や戦略がございます。
今や情報社会で、多くの人がことさら情報を欲しがります。でも、本当の情報の活用は、「拾う」ことではなく、「比較」し「捨てる」ことに意味がございます。多くの人が、情報を「拾う」といった段階だけでストップしている。これでは、情報に振り回されてしまうのでございます。
ある情報をゲットしたら、他の人、他の場所ではどうかを考える。過去はどうなっているかを考える。そういった「比較」によって、その情報が「突出」なのか「ありふれたもの」なのかが見えてくるのでございます。「突出」ならば、さらにその突出に意味があるかどうかを考える。それには、「観察」が必要。その結果、意味の無い情報を「捨てて」いって大切な情報だけ残すという結果に至るのでございます。
もともと尿酸値が高めなので、かかりつけのお医者さんからは水分を多めに取るように言われております。一時期は「痛風直前」だと言われ、毎日2リットルの水を飲み続けた日々もございました。そういうこともありまして、夏場は、毎日、アイスのジャスミン茶を1.5リットルほど作り、ガブ飲みしております。今年もそろそろ、始めなければいけませんね。
子供の頃から、ハンパっない汗っかきでした。まだ公立の学校にはエアコンがないという時代でしたので、学校に着替えを持って行くのは当たり前、ハンカチでは追いつかないので、タオル持参が当たり前。そのタオルが、夕方には絞ってしずくが落ちるほどになっておりました。現在でも、夏場は1日に1〜2回は着替えます。もうね、夏は洗濯物の量が多くて大変。ワタクシが一年中、半袖のTシャツで動き回っているのは、そんな理由でございます。
また、性同一性障害者と一般企業とのトラブルが、報じられております。今回は、性同一性障害であることを、全従業員に公表することを強要されたとのこと。新聞・ニュースの情報しかありませんが、おおまかな経過をまとめますと、
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2014年に性同一性障害の診断を受ける
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名前だけ女性名に変更(性転換手術前なので、戸籍は男性)
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保険・年金手続きの都合上、上司に改名を報告
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男性と一緒ではない更衣場所を求める
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他従業員に知られたくないため、職場では男性名使用を希望
(このことから、この時点では容姿はまだ男性だったと思われる)
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しかし、職場は翌月から掲示物の名前を女性名に変更、
役員用更衣室と男女兼用の来客用トイレの使用を認める
本人に、全従業員への公表を要求
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朝礼で、公表させられる
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うつ病の診断、半月ほど休職
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復職後、窓やエアコンのない場所での個人作業に移動
(「追い出し部屋」による退職勧奨かどうかが論点になる)
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会社を提訴
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あ〜あ、なんで、こうも拗(こじ)れるですかねぇ? この人の場合、まだ容姿が男性なのに、名前を変えちゃったりトイレや更衣室に関して会社側に注文を付けちゃったりと、これがボタンのかけ間違いの始まり。「診断」が出て、浮かれちゃったのですかねぇ? でも、急ぎすぎましたよね。
会社側は特定の社員を特別扱いをするには、他の社員へ説明する責務がありますからね。特に、この様なデリケートな問題は、理由とかタイミングとか、社員と会社とが十分に話し合って慎重に進めていく必要がございます。社員側は診断が出たことで舞い上がってしまい、会社側はそれほどデリケートな問題だと認識していなかった、それが拗れまくった要因のひとつだと思うのでございます。
こういった性同一性障害者と企業とのトラブルに関しては今までに何度か言及してきておりますので、要点だけを掻い摘んでお話しちゃいますね。もし、読者の中に同じような事象で悩んでいる人がございましたら、どうか肝に銘じていただきたいと思います。
世の中は「多数派」に都合のいいような構造になっております。それは、資本主義の当たり前の姿。ですので、「少数派」が条件に恵まれないのも当たり前だと「受け入れる」こと。資本主義の恩恵を受けつつ、その資本主義に相反する行動を取るという矛盾を犯してはなりません。
トイレや更衣室など、特別に準備すれば何かしらのコストやリスクが発生します。そのコストやリスクに見合った価値が自分にあるかどうか、コストやリスクを抑える工夫をすれば相対的に自分の価値が上がるのではないか、こんな資本主義的な考え方が必要です。
「男性(女性)の服を着ることが、生理的に受け付けない」「着替えを男性(女性)に見られることが、生理的に我慢できない」と性同一性障害者が思うのと同様に、「(たとえ完璧に女性(男性)に見えたとしても)女装(男装)した人が同じ職場にいるのは、生理的に受け付けられない」と考える人は、必ず存在します。
「私の苦しみをみんなに理解して欲しい!」と叫ぶだけでは、落としどころは永遠に見つかりません。性同一性障害者を受け入れる側の人達の苦しみを察することで、初めて、両者の「歩み寄り」がスタートするのでございます。
明らかな差別を受けることは多いでしょう。しかし、「有色人種への差別」だって、世界中がこれを克服するには何百年もかかっております。しかも、現状、無くなっているわけではございません。差別を無くすというのは、それくらい時間の掛かること。出来るのは、差別を「やり過ごす知恵」「関わらない知恵」でございます。
「世の中を変える、会社を変える」みたいな大上段な考えは捨て、要領よくトラブルを回避しながら生きていく道を選ばないと、必ず袋小路に入ってしまうのでございます。裁判沙汰などを起こして事を公にするよりも、水面下で会社と交渉した方が会社側も融通が利かせやすかったりします。そういった交渉術も、知恵なのでございます。
何が言いたいかと申しますと、社会生活で他人様が気にするのは、「ルックス」「立ち居振る舞い」「声」でございます。まず、これらを徹底的に磨き、作り込み、女性(男性)としての生活基盤を作ることを最優先とするのでございます。既成事実を先に作ってしまうわけでございますね。この既成事実が完成するまでは、トイレとか更衣室とか、とにかく我慢、我慢でございます。
へてから、最後の仕上げとして、性転換手術、戸籍変更などを行うわけでございますね。この順番が重要。生活基盤が出来る前に「私は診断済なの」「手術も済んでいるの」「戸籍上は○○だ」などと言いますと、フリダシに戻ることになるのでございます。そして、「生活の場を求めるために職場を変わる」くらいの覚悟は、絶対必要なのでございます。
「面倒な人だなぁ」と思われたら、コストやリスクをかけてまで温存する必要があるかどうかを会社側は考え始めます。逆に「あんないい人だから、なんとか力になってあげよう」と思わせれば、たとえコストやリスクがあったとしても、道は開けてきます。寓話の「北風と太陽」みたいなものでございますね。
さらに、「あの人に辞められたら会社は大損害だ」と思わせるという道もございます。これは、コストやリスクを上回るベネフィット(効用)を、自分が身に付けるということでございます。そして、それだけの能力があったら「独立」してしまうことも出来るでしょう。そうすれば、どんな格好をしようがやりたい放題。ここまでやったら、世の中も認めるでしょう、と言うか、反対する理由がありません。
自惚れのように聞こえるかもしれませんが、本日、お客様から「いつも綺麗だね」と言っていただきました。ワタクシが「女の子の事ですか? 私の事ですか?」と聞き返しますと、どうやらワタクシの事だったようです。まぁ、たまたまフルメイクをしていたタイミングだったのと、社交辞令やお世辞も少し混じってもいたかな。でも、ありがとうございます。毎日の接客の励みになるのでございます。
かなり以前のこと、もう7〜8年くらい前でしょうかねぇ、あるニューハーフの大先輩ママさんからアドバイスを頂いたことがございました。「ママが綺麗にしていないと、女の子達も綺麗にならないよ」と。う〜ん、当時のワタクシ、よっぽどだらしなく見えたのでしょうか? でも、目ウロコの良いアドバイスでございました。
7〜8年くらい前といいますと、ワタクシはプレイをやらずにスタッフに専念していたと思います。ボーイもおりましたし、ワタクシがお客様と接するということはほとんどない時期でございました。客前に出ないというのは、実にニューハーフを堕落させますよねぇ。特に、プレイをしなくなった時期が大きな転機でしたね。その頃から太り始めましたものね。
ワタクシのかつてのベスト体重は、55キロ。20年ほど前、東京にいた頃の体重でございます。そして今は、池中玄大より少し軽いくらい。年を経るに従い食事の量は減っているのですけどねぇ、なかなか体重が落ちてまいりません。今の食事量と運動量と代謝量が絶妙のバランスが取れていて、まるでオールブラックスのスクラムのように、ガッチリ安定しちゃっているのでしょう。まぁ、迷惑な安定でございます。
ニューハーフの場合、とくに風俗嬢ニューハーフは、ある種のジレンマを持っております。逆アナルをやるためには、アソコを立たせなくてはならない。そのために朝食をキッチリ取ったりするわけでございますね。ある意味、肉体労働のようなものでございますから、栄養補給は大事。しかし、太りやすい体質の人にとっては、それがジレンマになるわけでございます。
昨日は「白米」の話題が出ましたが、今日もご飯のお話。ワタクシはね、豚汁が大好きでございます。松屋へ行っても「豚汁変更」にするのは当たり前。ひとつの食品でバランス良く栄養を含んでいる豚汁は、「完全食」なのでございます。
ただね、ひとつ残念なのは、松屋においてはこの豚汁がサイドメニューであること。おかしいだろ!(プンプン)。完全食である豚汁が、どうして「サイド」なんだ! 今こそ、豚汁に光を当てろ! 豚汁をメインにしたメニュー、そう、「豚汁定食」を期待して止まないのでございます。
ただ、解決法はございます。天はそこまでワタクシを見放してはおりません。松屋には「定番朝定食」というものがございます。これのみそ汁を豚汁に変更いたしますと、な、なんと、「ほぼ豚汁定食」の出来上がり。「ほぼ」と付けたのは、これが朝定食であるために、午前中しか注文できない不自由があるからでございます。
「選べる小鉢」も、魅力的。納豆でタンパク質重視も良し、疲れた朝はとろろで精力を付けるも良し、ミニ牛皿で牛丼気分を味わうのも良し、暑さの朝は冷や奴で清涼感を求めるのも良し。ワタクシは冷や奴がお気に入り。玉子をご飯にかけ、玉子かけご飯にするのが定番でございます。
さて、今朝のお話。いつものように券売機から朝定食を注文したときに、その出来事は起きた。もともと生卵が付いているのに、あえてサイドメニューの「生卵」ボタンを押してしまったのでございます。そして「豚汁変更」のボタンも押す。イチローのルーチンワークよろしく券売機のボタンを押しているワタクシではございましたが、この時ばかりは寝ぼけていたようでございます。
で、店員が食券をモギリに来て、さらにワタクシは間違いを犯していたことに気がつくのでございます。そう、豚汁と生卵は単品ではなく「豚汁・生卵セット」を選択すれば、10円安かったのでございます。さらに、生卵がダブっていることも店員に指摘される。もうね、『孤独のグルメ』のゴロウちゃんに鼻で笑われそうなグダグダの注文になってしまったのでございます。
店員が「玉子、どうしますか?」と聞いてくる。「玉子だけキャンセルしておきましょうか」との、暖かい提言も。2秒半ほど思案した末に「大丈夫、両方とも食べます」と笑顔で答えるワタクシ。同じく笑顔で承諾する店員。しかし、さらに店員は質問を畳み掛けてくる!
「玉子と豚汁は、セットにすると10円安くなりますよ」と店員の声。そう、そんなことは百も承知、分かっているんですよ。他のメニューでどれだけ、この間違いを犯したことか。分かっているのだが、体に染みこんでいるルーチンワークが、こうさせてしまう。
「いつも忘れちゃうんですよ、それ」と、ワタクシ。すかさず、次の「いいですよ、そのままで」という言葉が喉元まで出かかったところで、「10円、後からお持ちしますね」との店員の声。おぉっと、あぶねぇ、あぶねぇ、勇み足で10円もらい損ねるところでございました。天は、ギリギリのところで、ワタクシを救いたもうたのでございます(笑)。
ということで、ひとつの玉子はいつも通りの玉子がけご飯として。もうひとつの玉子は豚汁に投入。玉子がけご飯は、あまり混ぜない派でございます。軽くというか、ほとんど混ぜない。白米だけの部分、醤油+白米の部分、玉子+白米の部分、全部が混ざった部分。これらが適度に残った状態で食し、口に運ぶ度に変わる味のバリエーションを楽しむのでございます。
さてここで、ワタクシが長年不思議に思っていることがございます。松屋の「板のり」。あれ、妙に寸足らず。旅館の朝食で出てくるような細長い板のりを想像してはいけません。なんというか、名刺の様な大きさ。あの中途半端な長さでは、「海苔巻き」に出来ないのでございます。
日本人なら、お箸で海苔巻きを作るあの技術、絶対に取得するべきでございます。あんなエレガントな食べ方はない。世界に自慢できるレベル。あれをお箸だけで行うという技術、これは絶対に枯れさせてはいけない。日本の文化として、国家的事業として、あの技術の温存・伝承に努めるべきでございます。え〜と脱線しましたが、松屋の板のりの大きさでは、この海苔巻きが非常に作りにくい。それが、不満と言えば不満なのでございますね。
「newmo」というニューハーフの求人サイトがあるのですが、ここ数日、その原稿に掛かりっきりでございました。23日の営業終了後に原稿をアップロードいたしまして、ちょいと小腹が空きましたので適当にあるものをお腹に入れましょうと思い付き、お腹が張ると首はコクリとうなづき始め、時は夜半の丑三つ時。ゴロンと横になったのが運の尽き。そのまま熟睡でございます。
さ〜てさて、24日の朝、妙な気分の悪さで目を覚ます。え〜と、食事中のお方もいらっしゃるでしょうから婉曲な言い方をしますと、上も下も開放大売り出し。どうも、「適当にあるもの」がワタクシの体にとっては「適当」ではなかったようでございます。横になって悶々と時間を過ごします。ちょっと楽になったタイミングで、太田胃散を山盛りてんこ盛りで飲む。そして、薬がもったいないので、大売り出しをしばらく我慢する(笑)。
そんなこんだで、フラフラになりながら、11時くらいからお店の準備をして。最低限のお化粧をして、また太田胃散を飲む。太田胃散、大活躍でございます。で、かなり復活してきたのが、冒頭に述べましたこの時間でございます。
今日は、世界中が「離脱」の話題で持ちきり。いくら多数決とは言え、あの僅差で決めてしまっていいものでしょうかねぇ? というか、いっそのこと離脱派と残留派と別れて別の国になってしまえばいいじゃないかと思いましたら、「スコットランド」「北アイルランド」は残留派多数、「イングランド」「ウェールズ」は離脱派多数と、かなりきっちりと別れている。
スコットランド、北アイルランドが独立してしまえば一件落着とも思えますが、そう簡単ではないですよね。このスコットランド、北アイルランドには残留派が多いとは言え、その投票区のほとんどが僅差の戦い。これは、イングランド、ウェールズにも言えること。つまり、どう転んでも、「すべての地区で、半数が不満」という面倒くさい事態になっているわけでございます。
スコットランド、北アイルランドの離脱派はイングランド、ウェールズに引っ越す。イングランド、ウェールズの残留派はスコットランド、北アイルランドに引っ越す。こうやって民族大移動をすれば、それぞれ考えを同じくする人達で丸く収まる、なんてことも出来そうですが、実際には無理ですよね。EUのために、文化や生活習慣まで変えて、生まれながらの土地を離れるとか、本末転倒なのでございます。
これと、似たような問題が、実は日本にもございます。沖縄の基地問題も、似ていると思うのですけどねぇ。基地に反対する人も多いが、それがあるために生活が成立しているという人も多い。街中のど真ん中に基地があるというのも問題。
本土の部外者のシロウト考えですけど、沖縄を「基地地区」と「観光・住居地区」分けちゃえばいいじゃないかという乱暴なことも考えたことがございます。これはね、「ハワイ」が人工ビーチなどを作って、基地と共存しながら観光名所として発展してきたことなんかと比較しちゃうわけでございますよね。
これも、「先祖代々の土地がウンタラカンタラ」となるわけで、今さら再配置とか出来ない状態。ですので、この問題は何十年もかけて少しずつ調整しなければならない問題なのに、「任期中に県外移転」とか無責任なことを言っちゃうダレカサンもいたりして、こじれまくっているわけでございます。
もうひとつ、これはちょっと工夫すれば解決できそうな同様の問題がございます。東北大震災後の都市計画でございます。高台に移るか低地にそのまま住むか? 堤防を作るか作らないか? この様な選択を迫られて、各地域が二分しているなんてことも少なくございません。
これは、比較的狭いコミュニティーの問題ですから、高台に住みたい人は移る、低地でいい人はそこへ住むということで、それぞれ好きに選択させてしまえばいいような気がいたします。それを、都市計画としてどちらかに決めてしまおうとすれば、やはり「どちらに転んでも半数が不満」という状態になってしまうわけでございますよね。
堤防は難しいですよね。好きにするというわけに行きませんからね。これは堤防を作る街と作らない街をつくり、「堤防派」と「非堤防派」がそれぞれに引っ越す、とか考えていたら、あ〜イギリスのEU問題と同じじゃないかと思えてきた。堤防とか、作ってみないと分からないという部分もございます。作ってみたら「こんなはずじゃ無かった」なんてことも有るようでございます。
まあ、何にせよ、多数決というのは、こういう危険をはらんでいるわけでございます。特に、僅差で決まる場合は、どちらに転んでも半数が不満ということになり、けっして問題解決になっていない。しかし、どこかで線を引かなければ、前に進んでいけない。そして、多数決ってのは往々にして「僅差で決まる」ってのが、面倒なところでございます。
今日は朝早くから張り切ったのでございます。原稿書きに追われ、ここ数日雑用をサボっていたところへ、昨日の食中毒。洗濯物が山のように溜まっておりました。朝8時から洗濯機を回し始め、その間にこの「ひとりごと」欄を執筆。洗濯機が止まったら乾燥機に放り込み、すかさず洗濯機の次の回を回し始める。そして、執筆の続き。
執筆が終わると、掃除機、雑巾がけ、バスルーム、トイレの掃除。お店がとにかく広いので、上へ行ったり下へ行ったりの大騒ぎ。そうこうしていると、いつの間にか洗濯機が止まっておりますので、それを乾燥室へ。ホカホカタオルを乾燥機から出して、ベチョベチョタオルを放り込む。入りきらなかったベチョベチョは、物干し竿に、干す、干す、干す!
洗濯機のベチョベチョ能力の方が、乾燥機のホカホカ能力を上回りますので、ベチョベチョが、溜まる、溜まる、溜まる。こんな時の秘策、「タオル重ね干し」の術でございます。物干し竿に干してあるタオルの上から、さらに重ねて、干す、干す、干す。たわわにしなる6本の物干し竿、整然と干された大量のタオル、壮観でございます。洗濯をするときの「醍醐味」でございますね。
お掃除がひと段落すると、ぼちぼち、ホカホカタオルを畳むわけでございますね。この段階でお昼の少し前。今日は異常な洗濯物の量でしたので時間が掛かりましたが、普段は、だいたい10時くらいから始めると、フルコース完了してお昼前に終わるくらいのスケジュール。そして、軽くシャワーを浴びて、着替えて、ゴ〜ジャ〜ス・メ〜イク・アッップ! 開店時間の1時にフルメイクで準備万端の場合は、だいたいこんなスケジュールで動いていた日でございます。
ところが、寝坊したり、想定の範囲外の出来事が起きてスケジュールが狂ったりいたしますと、間に合わせるためにグダグダになる。開店時間にいらっしゃったお客様が、水を被ったように汗をかいたズクズクのワタクシを目にするような事がありましたら、「はは〜ん、グダグダな午前中だったな」と想像していただいて、ニヤニヤしていただければ光栄でございます。
テレビのバラエティー番組で、早朝から海老の殻を何千尾も剥く定食屋の親父さんとか見たりして「定食屋も大変なんだなぁ」と思っておりましたが、「そういえば、自分も同じようなことをしているじゃん」と感じたとき、なんかホッとした覚えがございます。あの親父さんも、海老が逃げたりして想定外の事が起きると、グダグダになるのでしょうか? そんな想像をしてニヤニヤしてテレビを見ておりました。
先ほど、「ひとりごと」欄を朝に執筆すると申しましたが、これはEテレの番組『オイコノミア』からの知識。問題を読む時間とそれを解答する時間との間に8時間の睡眠を挟むと、能力が最大限に発揮されるという実験結果が有るそうでございます。それに習いまして、寝る前に書くことを決める。そして、寝る、寝る、寝る。起床してすぐに、書く、書く、書く。
セブンイレブンの「コク旨ソースのコロッケパン」。なんか知らんけど、毎日食べてる(笑)。最初の購入は、半信半疑。コンビニのコロッケパンというものには、なんかパサパサしたイメージがあって、あまり良い印象がなかったのでございますよね。ただ、陳列台にあまりにも「執拗な」販促材が張られておりましたので、「まぁ騙されてみるか、コンビニのコロッケパンがそんなに美味しいわけないやろ」→「ほんまや!(ほんまに美味しい)」となったわけでございます。
コロッケがソースで真っ黒になっているのがよろしいですねぇ、実によろしい、工場のパートのおばちゃん、実にいい仕事をしておりますねぇ。コーミソースというのがまたよろしいのかも。ほどほどに粘りけがあり、浸透せず表層に留まっているので、具の甘さを殺していない。芳醇なソースの香りと具の甘さが口の中で融合する。う〜ん、考えただけでジュルルなのでございます。
バンズ(パン)が、またよろしい。ふっくらしっとりしております。これがパサパサだと、それこそ画竜点睛を欠くということになってしまう。だいたい、具に力が入るとコスト削減でパンを手抜きしそうでございますが、そんなことはない。そんかわり、ちょっとお高めの¥130(旧製品は¥125)。ただ、水分で流し込まないといけないようなパンは興ざめ。唾液分泌量の少ない日本人にとっては、このしっとりパンこそが、王道なのでございます。
ソースに言及いたしましたが、ソースにはもう一家言ございます。それは、レジ横のジャンクフードを購入したときにくれる、袋入りのソースでございます。もうね、あれがシャビシャビ過ぎる。コンビニの製品開発部の方々、あれはいけません。改善して下さいませ。小袋を開けるときに、ソースがこぼれる。ジャンクフードにかけると、床や地面にポタポタ落ちる。食べるとき、手がソースだらけになる。これも、興ざめなのでございます。
ワタクシの価値観では、コンビニのジャンクフードは「買い食い」が原則。ですので、あれはお皿が無い状態で食べるものという認識がございます。どのコンビニも、ジャンクフードを入れる袋は、手に持ちやすいようにミシン目の入った袋を採用しております。ということは、コンビニ側も「買い食い」需要を認識しているわけでございますよね。で、ソースにその配慮がないというのは、これこそ画竜点睛を欠くということに他ならないのでございます。
あのソースは、もっとドロドロにすべきでございます。ケチャップぐらいのドロドロさが必要。フランクフルトやアメリカンドッグについてくる「ケチャップ&マスタード」は、手を汚さないようなパキッと折るタイプの容器に入っていたりいたします。あそこまでコストを掛けろとは申しません。もう少しドロドロさせるだけで、ソースのかけやすさ、食べやすさは、格段の差が出ると思うのでございます。コンビニの商品開発部の方々、よろしくお願いするのでございます。
さあ、どんどん話は飛んでいきますよ。付いて来てくださいね。袋入りの調味料と言ってさらに思い出すのは、学校給食で出た「マーガリン」。あれ、ワタクシが低学年の時には、四角いキャラメルのような形をしておりました。ただ、あれ、カチカチに固まっておりまして、とても食パンに塗れるような状態じゃなかった。それもあって、ある時期から袋入りに変わったのでございますよね。そして、事件は起きるのでございます。
小学校の低学年ですからね、全生徒がイタズラの天才でございます。さっそく新しいオモチャを見つけた悪ガキどもは、あのマーガリンを床に置いて足で踏むというイタズラを大発明(みんな、やったよね、笑)。足で踏むと、袋の一部がはじけてマーガリンが水平方向に激しく飛び出すのでございます。教室の中で二手に分かれ、大勢で相手の陣地に「打ち合う」のでございますが、下手な子が踏むと、横や後ろに飛んで、味方が負傷(笑)。床もスリッパもズボンもベタベタになるという、そして後からオシッコちびりそうなくらい先生にド叱られるという、地獄の遊びでございました。
ウィンブルドンが始まったわけでございまして、またしばらく寝不足ぎみになるのでございます。録画しておいて翌朝に見ましょうとかやりますと、起床後の朝一番のニュースで結果を知ってしまったりするわけで、なんとももどかしい2週間なのでございます。
ウインブルドンには「白いテニスウェアを着なければならない」というルールがございまして、どちらの選手も、上から下まで真っ白。テレビ画面で分かりにくいですよねぇ。しかもこのルールが、かなり厳格。パンツの色や靴底の色で注意を受け着替えさせられた選手も、過去にいたみたいでございます。合理性よりも「伝統」を重んじているのでございましょう。
一方、柔道は、国際大会では「白」と「青」で区別しますが、国内の大会では白い柔道着しか使っていない様子。国内では「伝統」を重んじておりますが、国際大会で「JUDO」となりますと、合理性重視にせざるを得ない大人の事情があるのでございましょう。ワタクシなんかは、色で別れていた方が、分かりやすくていいと思っちゃいますけどね。
そうそう、伝統と言えば「大相撲」を外すわけにはまいりません。日本ではお馴染みの回(まわ)し姿でございますが、大相撲が海外で開催されたときに、あのお尻丸出しの姿がいろいろ問題になったようでございます。そんな伝統重視の大相撲も最近はカラフルな色の回しが増えていたりして、伝統を尊重しつつ、かつ伝統から脱却する流れもあるようでございます。
さて、話は一気に下世話になりますよ。以前、「ネイル」や「香水」に関して言及いたしました。お客様のためにネイルや香水は控えるべきという「伝統」がある一方、それらが日常的に当たり前になっているという「現実」がございます。ですので、最近はあまりうるさく言っておりません。「伝統が現実に歩み寄る」とき、そこには「革新」が生まれるのでございます。当店も、いろいろな面で「革新」を求められたりしています。
さらに、ネットの普及で、風俗嬢とお客様との情報コミュニケーションにも革新が求められて来ております。伝統的な言い方をすれば、「プライベートでの情報のやり取りは御法度」というのが古い考え。しかし、今やブログやツイッターが当たり前になってきてますからねぇ。どうやったってコミュニケーションが発生してしまう。ですので、今のコンパニオンには、「負担・ストレスにならない程度におやりなさい」と伝えております。
もうすぐ、選挙! NHKの政見放送が、なんともむず痒い(笑)。見ている側が恥ずかしくなるような小芝居をしながらの、穏やかな話し方。どの政党もそんな感じ。あれ、なんでしょうねぇ? 情熱的に「演説」をぶっこいた方がアピールするような気もするのですけどねぇ?
ネットの普及で当店も改革が求められていると申しましたが、政見放送なども、もっともっとネットを利用した方がよろしいと思いますよ。それでなくても、有権者の年齢が引き下げられたわけでございますからね。あと、漫画・アニメ。若い人に見てもらおうと思ったら、もうこれしかないっしょ。アニメの政見放送とか、ちょっと興味深いのでございます。
どちらの立場も、至極真っ当でございますよ。ただ、どちらも「中立」という考え方を「持て余している」感じはいたします。中立にもふた通りございまして、全く意見を述べずに「無言」を貫き通す中立もあれば、意見を出し尽くした上で結論を求めないという「中立」もございます。どうも日本の教育界は、前者の「中立」にしか考えが及ばないようでございます。
後者の「中立」は、教育現場では「ディベート」という形で実施することが出来るのでございます。ディベートちゅうのを、ご説明いたしやしょう。ある議題に関して、教室の中で賛成派と反対派に別れるわけでございます。この際、自分の主義主張は全く関係ございません。自分の考えと反対に割り振られることも、当然ございます。
そして、賛成派・反対派がそれぞれ、「功」と「罪」を分析し、それを材料にして相手と討論するわけでございます。「これを主張したら、こう反駁(はんばく)してくるだろう」などと考えながら戦術を練るわけでございますね。これは、「自分の主義・主張とは関係なく割り振る」というところがミソ。感情ではなく論理的に詰めていく能力、そして相手の立場で考えられるという客観視能力を訓練するわけでございます。
この「後者の中立」の立場だと、教室での教師の対応はこんな感じになるのでございます。まず、各政党の主張に関して「功」と「罪」を出し尽くす。とにかく、出し尽くす。これ、重要。そして、その上で、教師も自分の考えを言わない。教室内での結論も出さない。これも、重要。ドラマの最終回を見損なったような中途半端な気持ちで生徒を放り出す。これによって、生徒の思索は、授業後も、あるいは学校卒業後も、その生徒に影響を与え続けることが出来るのでございます。
相変わらず、ウィンブルドンで寝不足ぎみのここ数日でございます。ただ、本日深夜の「フェデラー×ウィリス戦」は、ほんと、楽しかった。ちょっと説明いたしますと、フェデラーは、世界ランキング3位のスイスのプレーヤー。一方、ウィリスは同ランキング772位のイギリスのプレーヤー。この3位と772位という極端な組み合わせが、試合前から注目の的でございました。
さらにこの試合を面白くさせているのは、開催地がイギリスである事。ウィリスのホームでございます。トーナメント序盤でありながら完売の客席。そして、その観客のほぼ全てがウィリスを応援してる。ランキング3位の選手が772位の選手を前にして、圧倒的なアウェイで戦うという状況。しかし、どこかしらエキシビションマッチの様なほがらかな雰囲気でございます。
アンパイアも線審も、楽しそうにしている。顔から笑みがこぼれることも。そして何より、ウィリス自身がゲームをすごく楽しんでいる。テニス教室のコーチが、ウィンブルドンのセンターコートで、ランキング3位の選手とゲームが出来る。そんな体験は、多分、一生に一度のことでしょうねぇ。そんな奇跡を、ただ、ただ、楽しんでいるようでございました。見ている方も、時々笑ってしまう、実に楽しいゲームでございました。
結果は、フェデラーのストレート勝ち。ウィリスも頑張っていたのですけど、劣勢になりかけると猛烈なスーパーショットで取り返すフェデラーとは、力量は歴然でございましたね。でもね、フェデラーも、この予選6試合を勝ち上がってきた街のテニスコーチを、祝福しているようでもございました。これだけ力量があれば、余裕でございますよね。フェデラー、大人なのでございます。
1ヶ月の「トライアルイベント」の結果、スペシャル60分のコース、非常に好評でございました。それで、7月から定番化いたします。オフィシャル・ホームページ、ヘブンネット、ニューハーフファンの記述など、修正までタイムラグが出来ると思いますが、7/1(金)から、「スペシャル60分」のコース、ご利用可能です。
当店の情報掲載サイトとして、「ヘブンネット」「ニューハーフファン」に掲載しておりますが、さらに、「マンゾクネット」にも情報掲載始めております。まだデータ入力が追いついておりませんので、いくらか不十分な点もいくつかございますが、徐々にアップロードしていきたいと思っております。マンゾクネットの方も、どうぞご利用下さい。
【マンゾクネット】「名古屋シィメイル」
http://www.manzoku.or.jp/shop/aichi/she-mail/
ここしばらく散発的な掲載にしておりました紙媒体の広告ですが、「少なくなって寂しい」というお客様のご意見を頂いておりました。そこで、『中京スポーツ』の「情報コーナー」の広告を、毎日掲載に拡充しております。「情報コーナー」には割引チケットもございますので、どうぞ、ご利用下さい。