店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
また、性同一性障害者と一般企業とのトラブルが、報じられております。今回は、性同一性障害であることを、全従業員に公表することを強要されたとのこと。新聞・ニュースの情報しかありませんが、おおまかな経過をまとめますと、
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2014年に性同一性障害の診断を受ける
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名前だけ女性名に変更(性転換手術前なので、戸籍は男性)
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保険・年金手続きの都合上、上司に改名を報告
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男性と一緒ではない更衣場所を求める
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他従業員に知られたくないため、職場では男性名使用を希望
(このことから、この時点では容姿はまだ男性だったと思われる)
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しかし、職場は翌月から掲示物の名前を女性名に変更、
役員用更衣室と男女兼用の来客用トイレの使用を認める
本人に、全従業員への公表を要求
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朝礼で、公表させられる
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うつ病の診断、半月ほど休職
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復職後、窓やエアコンのない場所での個人作業に移動
(「追い出し部屋」による退職勧奨かどうかが論点になる)
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会社を提訴
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あ〜あ、なんで、こうも拗(こじ)れるですかねぇ? この人の場合、まだ容姿が男性なのに、名前を変えちゃったりトイレや更衣室に関して会社側に注文を付けちゃったりと、これがボタンのかけ間違いの始まり。「診断」が出て、浮かれちゃったのですかねぇ? でも、急ぎすぎましたよね。
会社側は特定の社員を特別扱いをするには、他の社員へ説明する責務がありますからね。特に、この様なデリケートな問題は、理由とかタイミングとか、社員と会社とが十分に話し合って慎重に進めていく必要がございます。社員側は診断が出たことで舞い上がってしまい、会社側はそれほどデリケートな問題だと認識していなかった、それが拗れまくった要因のひとつだと思うのでございます。
こういった性同一性障害者と企業とのトラブルに関しては今までに何度か言及してきておりますので、要点だけを掻い摘んでお話しちゃいますね。もし、読者の中に同じような事象で悩んでいる人がございましたら、どうか肝に銘じていただきたいと思います。
世の中は「多数派」に都合のいいような構造になっております。それは、資本主義の当たり前の姿。ですので、「少数派」が条件に恵まれないのも当たり前だと「受け入れる」こと。資本主義の恩恵を受けつつ、その資本主義に相反する行動を取るという矛盾を犯してはなりません。
トイレや更衣室など、特別に準備すれば何かしらのコストやリスクが発生します。そのコストやリスクに見合った価値が自分にあるかどうか、コストやリスクを抑える工夫をすれば相対的に自分の価値が上がるのではないか、こんな資本主義的な考え方が必要です。
「男性(女性)の服を着ることが、生理的に受け付けない」「着替えを男性(女性)に見られることが、生理的に我慢できない」と性同一性障害者が思うのと同様に、「(たとえ完璧に女性(男性)に見えたとしても)女装(男装)した人が同じ職場にいるのは、生理的に受け付けられない」と考える人は、必ず存在します。
「私の苦しみをみんなに理解して欲しい!」と叫ぶだけでは、落としどころは永遠に見つかりません。性同一性障害者を受け入れる側の人達の苦しみを察することで、初めて、両者の「歩み寄り」がスタートするのでございます。
明らかな差別を受けることは多いでしょう。しかし、「有色人種への差別」だって、世界中がこれを克服するには何百年もかかっております。しかも、現状、無くなっているわけではございません。差別を無くすというのは、それくらい時間の掛かること。出来るのは、差別を「やり過ごす知恵」「関わらない知恵」でございます。
「世の中を変える、会社を変える」みたいな大上段な考えは捨て、要領よくトラブルを回避しながら生きていく道を選ばないと、必ず袋小路に入ってしまうのでございます。裁判沙汰などを起こして事を公にするよりも、水面下で会社と交渉した方が会社側も融通が利かせやすかったりします。そういった交渉術も、知恵なのでございます。
何が言いたいかと申しますと、社会生活で他人様が気にするのは、「ルックス」「立ち居振る舞い」「声」でございます。まず、これらを徹底的に磨き、作り込み、女性(男性)としての生活基盤を作ることを最優先とするのでございます。既成事実を先に作ってしまうわけでございますね。この既成事実が完成するまでは、トイレとか更衣室とか、とにかく我慢、我慢でございます。
へてから、最後の仕上げとして、性転換手術、戸籍変更などを行うわけでございますね。この順番が重要。生活基盤が出来る前に「私は診断済なの」「手術も済んでいるの」「戸籍上は○○だ」などと言いますと、フリダシに戻ることになるのでございます。そして、「生活の場を求めるために職場を変わる」くらいの覚悟は、絶対必要なのでございます。
「面倒な人だなぁ」と思われたら、コストやリスクをかけてまで温存する必要があるかどうかを会社側は考え始めます。逆に「あんないい人だから、なんとか力になってあげよう」と思わせれば、たとえコストやリスクがあったとしても、道は開けてきます。寓話の「北風と太陽」みたいなものでございますね。
さらに、「あの人に辞められたら会社は大損害だ」と思わせるという道もございます。これは、コストやリスクを上回るベネフィット(効用)を、自分が身に付けるということでございます。そして、それだけの能力があったら「独立」してしまうことも出来るでしょう。そうすれば、どんな格好をしようがやりたい放題。ここまでやったら、世の中も認めるでしょう、と言うか、反対する理由がありません。