店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
いや、書き込みが少し滞りまして、失礼いたしました。ここのところ、広告原稿をふたつとニューハーフファンのコラムの原稿を抱えておりまして、それに没頭しておりました。というか、原稿を抱えたぐらいで更新が滞る自分のキャパシティーの無さを痛感するしだいでございます。
痛感といえば、ここのところ腰痛に悩まされております。たぶん椅子に座っての作業が多かったためでしょうが、椅子に座っていると何ともないのですが、立ち上がったりいたしますと何かの拍子に声が出るほどの痛みが走るのでございます。柳葉敏郎さんの「固まった」って言うCMがございますよね。もうね、あんな感じ。日頃の運動不足が原因だと自戒しております。
本日の朝ご飯は、近くのスパゲティ専門店で‘あんかけスパゲティ'をいただいたのでございます。先日、NHKの『すいエんさー』という番組で「スパゲッティーの上手な食べ方」を科学しておりまして、その番組の記憶もございまして、まんまとスパゲティを食べたくなったのでございましょう。まったく、単純でございますね、ワタクシは。
そのスパゲッティの食べ方に関する講釈は別の日にお話しするといたしまして、日本式の「すする食べ方」と西洋風の「すすらない食べ方」を比較する番組では、ほとんどの番組がある重要なポイントに関して言及し忘れております。それは、食品の「温度」でございます。
日本式の「すする食べ方」は、食品の温度が関係しております。例えば、味噌汁なんてのは普通に80度ぐらいございます。そば・うどんの類もそれに近い温度。あと、○○汁と言われるようなものや鍋類・ラーメンなど、日本の大衆食はかなりの高温で食べるようなものが多いのでございます。一方、洋食のスープなどは、必ず50度以下の温度。この50度というのはタンパク質が熱で変成する温度ですので、この温度を超すと口の中を焼けずる可能性が出てくる。「すすらない食べ方」をする西洋食では、汁物が50度以上になるということは、きわめて希なはずでございます。
さて、話を日本食に戻しますが、日本食のような高温の汁物を飲む際に必要不可欠なのが、「すする」といった食べ方。汁と空気を同時に吸うという食べ方が、汁の温度が大きく下げるのでございます。もしすすらないと、口の中を焼けずることは必至。「すする」習慣が無い海外では、たとえ日本食でも汁物は低い温度で出されることが多いそうでございます。
いやぁ、目覚め一番、朝からとんでもないニュースでビックリさせられた日でございました。あれだけ隠していた“例の映像”が、YouTubeに流されたとのこと。う〜ん、海に落ちた海上保安官が銛で突かれるシーンは含まれていないようでございます。もしそんなシーンが残されているのだとしたら、日本はまだまだ大きな“切り札”を持っているということでございますよ、もしそんなシーンが有るとすればのお話でございますけどね。
で、その映像の内容に関しては他の人たちにお任せするといたしまして、「誰が映像を漏らしたのか?」という犯人捜しが一部で取りざたされておりますよね。ということで本日は、画像や映像に付随するデータのお話でございます。この付随データを調べることによって、データの出所が分かることもあるのでございます。
カメラがデジタルになって以降、画像データにはカメラ(携帯電話)の機種や露出などの撮影データが、自動的に付けられております。これは画像データとは別のブロックに保存されておりますので、画像を編集したりトリミングしても付随データは残ります。しかし、オープンなデータですので、画像ソフトで簡単に変更や削除することも可能でございます。セキュリティとか秘匿といったこととは無縁な、実用的なユースのために用意されている付随データでございます。
ということで、セキュリティ・秘匿といった用途になりますと、画像データの中にデータを隠すという方法が出てくるわけでございます。実は、この画像データの中に他データを隠すといったことは、誰でも手に入れられる数千円のソフトで実現可能なのでございます。何気ない風景写真の中に、エロエロの秘密画像や動画を隠しておくなんてことも可能でございます。ちょっと秘匿性は高くなりますが、それなりの知識を持っている人ならば簡単に見破られてしまう隠し方でございます。
前段の方法は、見せかけの画像と隠したいファイルをまるでひとつのファイルのように見せかけることで実現しております。さらに高度な方法として、秘密のデータを暗号化して、ノイズの形で画像データ全体にちりばめてしまうという、「深層暗号」という方法がございます。この「ノイズとして」というのがミソ。わずかなノイズなので、普通に見ている分には気がつかない。仮に抽出できたとしても、暗号がかかっているので本物のノイズと区別が付きにくく、見過ごされやすいという利点がございます。ただ、画像や映像に何らかの編集が加えられてしまうと暗号データが破綻して失われてしまうのですが、この性質を逆に利用して、データに改ざんが施されていない証として利用されることもあるようでございます。
さらに強力なものとして、「電子透かし」というものがございます。これも画像や映像に暗号データを埋め込むのでございますが、画像編集を施しても消えない、一度ディスプレイに表示させたものを再撮影しても消えないという、強力な暗号埋め込みでございます。強力ではございますが、大きなデータを埋め込むことは出来ないので、著作権情報を埋め込むのに使われているようでございます。
また、以上のような「隠す」という方向性ではなく、「忍び込ませる」というやり方もございます。地図データなどに使われている方法で、意図的な誤植や存在しない道を所々に忍び込ませておくのでございます。もしその地図データがコピーされて使われても、その意図的な間違い部分を指摘することで、自データであることを主張できるという仕組みでございます。地図の他には、コンピュータソフトにも使われる方法でございます。
やっと、野球が終わりましたね。中日は惜しかったですが、実力なのか、運なのか、勝負ごとはしょうがないですよね。しかしまぁ、なんであんなに時間がかかるの。テレビ中継の放送時間延長が140分とか190分なんて、もう家電メーカーの想定の範囲外。ドラマや映画を録画失敗した人は多かったのではないでしょうか。まぁ、ワタクシなどは、帰宅したら夜9時から始まるはずの映画が深夜に放送されていて、なんか得した気分で映画を観ていたのでございます。
今回の日本シリーズは、地上波での野球中継が有るとか無いとかで話題になっておりました。衛星放送でも見られるし、地上波でわざわざ放送するメリットがあまり無かったのでございましょう。また、地上波では固定視聴者を持つ帯ドラマに大きく影響が出るというのも、野球中継のやりにく原因でもございます。そこで、こんなシステムを考えました! (ドラえもんの声で)「放送権取引システム〜」
CO2の排出権取引ってのが有るでしょ。「うちの国、CO2もうこれ以上減らせんわ。あんさんの国、工場おまへんから、CO2なんか出まへんよな。銭払うさかい、うちの国の排出規制、肩代わりしてもらえんやろか」というアレでございます。テレビのチャンネルに言い換えますと、「アチャ〜、日本シリーズの放送権が回ってきたけど、その時間、絶対外せんドラマが入っとるわ、どないしょうな〜。そうや、あんさんのチャンネル、その時間、大食いするだけのしょーもない番組流しとるやろ。銭払うさかい、ちょっと使わせてくれへんかな〜」と、こんな感じでございます。不正確な関西弁は、どうかお許し下さいませ。
ローソンに、新しい商品発見! (またドラえもんの声で)「新コシ塩にぎり〜」(正式には「新潟コシヒカリ塩にぎり」と言うらしいです)。具が入ってない塩味だけのおにぎりでございまして、税込みでワンコインの100円。う〜ん、素晴らしい! これを105円にせず、税込みワンコインにしたところ、大評価なのでございます。本日の朝食は、この塩にぎり二つに105円のサラダと同じく105円のキンビラゴボウ、そしてアサヒフーズのフリーズドライのインスタント味噌汁。全部合計すると500円弱。う〜ん、決して安くない。しかしながら、何を食べても胃がもたれる最近のワタクシの胃袋には、実に優しい。そして、これだけでお腹いっぱいになり、腹持ちもいい。とりあえず、納得なのでございます。
この塩にぎり、ローソンの店頭には大量に入荷しておりますが、大量に売れ残っている様子でございます。う〜ん、実に残念。やはり、「具が入っていない」というのが大きなマイナスなのか。あるいはブランド名である「おにぎり屋」という名前とパッケージが、「高い」というイメージを与えてしまうのか。こんなに美味しいものが大量に売れ残っているのが、本当に残念なのでございます。
いや、「具の入っていないおにぎりがそれほど美味いのか」と思われるかも知れませんが、具が入っていないからこそ、お米そのものの味を堪能できるとも言えるのでございます。ワタクシは若い頃、おにぎり工場でアルバイトをしていたので分かりますが、コンビニのおにぎりは、ご飯を炊く時からすでに塩水を使っている。だから、ご飯の一粒一粒すべてに塩味が付いているのでございます。三角形の最初の頂点へのひとかじり、中央部分にかぶりつく、そして最後の頂点を飲み込む瞬間まで、そのおにぎり全行程のすべてで、完璧に調整された塩味が安定して舌の味蕾(みらい)を刺激し続けるのでございます(あ〜、なんという完璧な食品なんでしょう)。
さらに、「ご飯は甘い」という真実、これを再認識させてくれるのも、やはり具の入っていない塩にぎりだからこそでございます。ご飯を噛んでいるとお米の甘みが出てきますよね。その甘みを、塩がさらに引き出してくれるのでございます。そう、スイカにかけるお塩、ぜんざいに入れる隠し味の塩、あれと同じでございます。このほのかな甘さ、具が入っていては堪能できません。また、塩なしでもインパクトが弱い。塩味が付いたご飯だからこそ味わえる甘みでございます。噛み始めは塩味がきいている。けれどかみ続けているうちに柔らかい甘みが口中に広がってくる。最初に塩味を感じているので、その甘みがよりいっそう甘く感じられる。そんな喜びが、この塩にぎりのはあるのでございます。
え〜と、書いていて思ったのでございますが、ワタクシって、お米大好きな人間のようですね。最近はお米の消費量が減ってきているとか言いますが、もっとお米の美味しさ、気づいて欲しいなぁと思うのでございます。「お米は太るから敬遠」なんて声も、ダイエットしている人から聞こえてきそうですが、「炭水化物が太るというのは迷信」という説もございます。そうそう、ワタクシが現役で接客をしているころは、自分のオチンチンを元気にさせるのに欠かせないもの、それは毎朝きちんと食べるご飯の朝食でございました。ワタクシが現役時代に逆アナルが出来たのも、お百姓さんが丹精込めて作ったお米のおかげでございます。あ〜〜、最後に下品なことを書いちゃったかな、ということで、この辺で失礼いたしましょう。
「役者は親の死に目に会えない」。ワタクシの母親の口癖のひとつでございました。ワタクシの母親は、幼少時に“松竹”の子役をやっており、女優を経て女剣劇までやった人でございました。母親のこの言葉をけっこう耳にした覚えがございますので、多分、ワタクシの母親は親の死に目に会えなかったのではないでしょうか。
ワタクシも若いころミュージカルをやっておりましたので分かるのですが、役者というのは何があっても舞台に穴を開けることが出来ない。たとえ端役のエキストラといえども、ダブルキャストでない限り、ひとりでも欠けると舞台が成立しないのでございます。自己管理が出来、舞台に穴を開けないというのは、役者にとっては絶対必要条件なのでございます。
松平健さんの奥さんが亡くなられたそうですね。心よりご冥福を申し上げます。松平健さん、奥さんの訃報を知らされたとき、博多で公演中でございました。その日の舞台を終えるやいなや、博多から東京の自宅へ飛び帰り、奥さんの顔を確認すると、きびすを返してまた博多へ戻ったそうでございます。次の日の公演に出演するためでございます。
奥さんの葬儀は、12月に入ってから行うそうでございます。松平健さんのこの行動には様々な反応があるようですが、ワタクシは役者として至極当たり前の行動だと思っております。ワタクシも舞台に立っていたとき、「もし今、母親が倒れても、行けないな」なんて思っておりましたし、逆に、舞台に穴を開けてまで母親の元へ駆けつけようものなら、多分、母親はワタクシのことを厳しく叱りつけたことでしょう。
さて、ワタクシは母親の死に目に会えたのかどうかと申しますと、実は会えておりません。入院中の母親が危ない状態になりワタクシは病院に泊まり込みを始めたのですが、その「いつ死んでもおかしくない」という状態が一ヶ月ほど続いたのでございます。病院を離れるのは最小限にしていたのですが、どうしてもお店に戻らなければならない用事がありまして、3時間ほどお店に戻っておりました。そして、お店から病院に戻る途中で、「今しがた亡くなった」との連絡が病院から・・・出来る限り母親に付き添っておりましたが、わざわざワタクシが離れたスキを狙って逝ってしまったような感じでございました。どうしてでしょうねぇ? 照れくさかったのかな?
先日、ピアノの調律のお話しをしましたが、その調律師さんから「ヤマハ・オータム・ミュージック・フェア」という催し物の招待券を頂きまして、本日の午前中、吹上ホールまで行ってまいりました。ミニコンサートも有ったようなのですが、時間の関係で聴くことが出来ず、陳列品のクラビノーバとエレクトーンをいじり倒してきました。エレクトーンは、足鍵盤がなかなか思うように踏めなくて苦戦しておりましたら、エレクトーンの説明をしてくれていたお姉さんが、横から足を差し入れて足鍵盤のアシストをしてくれたのでございます。ちょっと変則的な“連弾”でございますが、そばで見ていた人からすると、かなり異様な雰囲気だったかもね。アハハ。
しかしまぁ、最近の電子楽器はボタンの多いこと。何から何まで横にいたヤマハのお姉さんに聞きまくりでございます。ああいった楽器を直感で使えないというのは、ワタクシも年を取ったのでしょうかねぇ。昔の電子楽器は、ひとつのボタンにひとつの機能が割り当てられ、機能の数だけボタンが並ぶという感じでございました。電子楽器のデジタル化が進みますと「モード」という概念が生まれまして、ひとつのボタンがモードによって別々の働きをするようになる。「マンマシンインターフェースの複層化」でございますね(アッ、今ワタクシが思いついた言葉ですから、自慢げに使うと、恥をかきますよ)。
この「マンマシンインターフェースの複層化」は電子楽器だけではなく、デジタル技術を使っているもののほとんどが影響を受けております。例えば携帯電話で言いますと、あるキーがモードによって、電話番号入力、文字入力、メニュー選択と、機能がコロコロ変わるわけでございますよね。限られたキーに多くの機能を盛り込もうとするためでございますね。逆に、あえてこの複層化を避ける家電製品もございます。例えばテレビのリモコン。出来るだけひとつのボタンにはひとつの機能にとどめようとする傾向がございます。すると、必然的にボタンの数が多くなっちゃう。それで、使用頻度の少ない余ったボタンをカバーの下に隠すなんて工夫をしておりますよね。分かりやすさを最優先する設計なんだと思います。
アナログの頃のシンプルな操作系を「第1世代」と呼ぶのならば、デジタルの「モード」の概念の操作系は「第2世代」呼べますでしょう。そして今、マンマシンインターフェースは「第3世代」に入ろうとしております。タッチパネルの普及でございますね。デジタル化の「モード」という概念が直感による操作を難しくしているのですが、タッチパネルですと、モードの切り替わりで画面ごと変わってしまいますので、ユーザーはモードの切り替わりを直感で感じ取ることが出来、また操作に関する十分な説明を画面から得ることが出来るのでございます。スマートフォンやiPadを使わないという人でも、銀行のATMでお馴染みですよね。この第3世代のインターフェースの登場で、機器のボタンの数は益々少なくなってきております。
その「第3世代」のインターフェースが、最近面白いことになっております。銀行のATMなどのタッチパネルは、きわめて機械的に反応いたしますよね。ところが、同じタッチパネルでも、iPhoneやiPadの操作系は、出来る限りアナログ的な感覚を再現するように設計されております。スライドスイッチ、つまみ、シリンダーといったアナログ的なインターフェースを画面上でシミュレートしているのでございます。しかも、スライドスイッチはバネで引き戻される感覚があり、シリンダーは回すと慣性力が働いているかのごとく動作いたします。機器の内部ではデジタルで処理されているその操作が、人間との接点ではきわめてアナログ的な操作感を重要視しているのでございます。
デジタル技術の恩恵を受けてきたものが、結局最後には、アナログ的な操作感に回帰するというのは面白いです。「直感で操作できる」ということを追究するとアナログ的な操作感に行き着くということは、そのような操作感が、人類の長い歴史の中で人間のDNAに刻まれちゃっているのかもしれませんね。すると今後の流れは、きわめてアナログ的なものを高性能のデジタル技術でシミュレーションする、そんな機器が増えていくのでしょうかねぇ。本日触ってきた電子楽器も、生楽器、特に管楽器の音をかなり生々しく再現しておりました。管楽器の音というのは、シンセサイザーが一番苦労する分野だったのですが、これもデジタル技術の進歩の恩恵でしょうね。
NHK大河ドラマ『龍馬伝』の坂本龍馬が、終焉を迎えようとしております。本日放送分が「大政奉還」、そして来週放送の最終回で、「龍馬暗殺」になるのでございましょう。史実と照らし合わせると「えっ?」と思う部分も多いこのドラマですが、スタッフ全員が楽しみながら制作しているその“ノリノリ感”がよく伝わってまいります。ドラマとして割り切って、毎回楽しんでおります。
大政奉還への流れに坂本龍馬が大きく働いたと言われておりますが、その坂本龍馬、大政奉還後の結果について、どこまで確信を持っていたでしょうかねぇ。ワタクシたちは、過去の出来事の一部始終を、まるで箱庭を上からのぞき込むように分かっております。しかし、その箱庭の中で疾走していた人たちにとって、未来というものはどういうものだったでしょうか? かなり辛辣な言い方をすれば、「坂本龍馬の英雄像は結果オーライの産物」と言えるかも知れないのでございます。漫画家の西原理恵子さんが「本当に偉いのは司馬遼太郎」と漫画の中で書いております。日本人の坂本龍馬像は、司馬遼太郎の小説の影響を受けすぎているかもしれませんね。
また、大政奉還を決断した徳川慶喜も、はたして自分の判断にどれほどの確信があったでしょうか。世の中の価値観がひっくり返るような変化ですから、慶喜自身にも予測は出来なかったことが多かったでしょうね。でも、予測が出来る出来ないにかかわらず、責任者というのは何らかの判断を下さなければならない。結果としていい目が出れば英雄、悪い目が出れば無能と呼ばれる。でも、最初から悪い目を望んで行動する責任者はいないのですけどね。
毎月、月末のこの頃になると、コラムの原稿や広告原稿の入稿で忙しいのですが、本日、City Heavenの広告データを作製していて大変なことに気がついてしまいました。City Heavenの広告は、発売日のちょうど1ヶ月前がデータ入稿の〆切でして、この11月末の入稿分は、12月末発売のものに掲載されるのでございます。
それで、「え〜と、12月末の発売だから、お正月気分の絵柄にして〜」と思うやいなや、「なんか、先月、お正月の絵柄で作ったぞ」と思い出したのでございます。ワタクシ、先月末にクリスマス用の絵柄にしなければいけない広告を、お正月の絵柄で作って入稿してしまったようでございます。ちょうどその頃、お正月に配るグッズの手配や、坂本龍馬タオルの発注などを慌ててやっておりまして、頭の中のモードが年末年始に切り替わっていたようで、バタバタと雑用に追われているうちに、勘違いをしたようでございます。
名古屋以外にお住まいの方にはあまり関係無いお話しなのですが、名古屋市では、市長が市議会をリコールするための住民署名が1ヶ月ほど前に行われておりました。で、圧倒的な署名を獲得して「市議会リコールか?」となったのですが、「署名の集め方が怪しい」と一部からクレームが付きまして、選挙管理委員会が有効数を吟味し直したら、今度はわずかに足りなくなっちゃった。で、「市長主導のリコール運動はあえなく頓挫」というニュースが流れたのが、昨日の話でございました。
ワタクシ、このニュースを知り、本日の午前中に慌てて署名の縦覧が出来る中区役所に行ってまいりました。というのも、署名の際、住所を書き間違えた覚えがあるからでございます。案の定、自分の署名を確認すると、そこには「無効」の赤いハンコが押されておりました。その場で意義申し立て書を書き、提出してまいりました。
書き間違えたのは、お部屋の号数だけ。それ以外の氏名や生年月日や年齢は正しく書かれております。自分の住所をどうして間違えるかとお思いでしょうが、ワタクシ、お部屋を二つ借りておりまして、住民票が置いてある部屋はただいま物置として使っております。で、署名の際、つい日頃住んでいる部屋番号を書いてしまったのですが、選挙人名簿と照らし合わせる今回の署名では、住民票の置いてある部屋番号を書くのが正解だったのでございます。
いや、でも、これは厳しいな〜。というか、ささいな間違いで無効にされている署名が、かなり有るような気がいたします。住所の誤字・脱字でも無効になるようですし、年齢がひとつでも違っていると、やはり無効になってしまうそうでございます。年齢とか、ついひとつぐらい間違えて書いちゃうとき有りますよね。でも、今回はダメ。また、手の不自由な旦那さんの代わりに奥さんが代筆したなんてのも、筆跡が同じという理由で無効になった例もあるそうでございます。