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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2016-01-04 【配達の人、ご苦労さまでございます】

2016年の、年賀状だよ〜ん

あけまして、おめでとうございます。本年もよろしくお願いします!

出来上がりました。年賀状。さっそくご披露いたします。

今回は、申年ということで、ベタなサルネタでございます。

ところで、今年はちょっとおかしな現象が。元旦の日に郵便受けを見に行っても、年賀状がほとんど届いてない! 「あ〜、毎年ギリギリで出しているので、みんなワタクシに愛想を尽かしちゃったのか〜〜」と悲痛な思いになった正月三が日。でも、4日の月曜日、なんとドッサリ届いておりました。

みんながみんなギリギリで出して遅れて届いたとは思えず、なんか、まとめて誤配されていて再配達されてきたのかなぁなんて想像しております。まぁ、毎年ギリギリで投函しているワタクシが、偉そうなことを言える立場じゃございませんけどね。

ではでは、失礼いたします。


2016-01-05 【あったかいんだから〜】

毎年1月5日の恒例行事、熱田神宮の初えびすへ行って参りました。毎年、4日の営業が終了した直後の深夜、タクシーで熱田神宮まで出向いております。深夜ですので非常に冷え込む年もございましたが、今年は暖かくて、ほんとに楽でございました。

「熊手」「あきない恵比寿」を購入し、「宮きしめん」を食べて帰ってくるのが、いつものおきまりのコース。あと、まだ夜店が開いておりましたら、ハフハフみたいなのとか、チュルチュルみたいなのとか、「安いよ〜、すべて“千円”」なんてのを、買い食いしたり衝動買いしたりするわけでございます。

さて、先述の「あきない恵比寿」でございますが、これは袋から出して、広げて飾っておくものとのこと。ところがワタクシ、15年間も袋に入れたまま飾っておりました。「お札」だと勘違いしていたのですね。

な〜んか、この勘違いを昨年の正月に誰かから指摘されたような気がするのですが、バタバタしていて忘れちゃったのでございましょう。今年、熱田神宮にお返しした昨年のあきない恵比寿も、きっちりと袋に入ったままでございました(笑)。

今年はね、もう額縁を発注いたしましたよ。ちゃんと飾るよ。

2016-01-09 【1年間、お世話になります】

額、来たよ。

飾ったよ。

1年間、お世話になります。


2016-01-11 【常識の反対は非常識、じゃぁ良識の反対は不良識?】

今日は「成人の日」...ですが、成人の日とはあまり関係ないお話でございます。ちょっと前のあるニュースに関するお話ですが、その前に、ワタクシの若い頃の経験談を。

ワタクシはうんと若い頃、そう、今から20数年前くらいの頃、芸能界をほんの少しかじっていた時期がございました。芸能人の卵でございますから、歌とか踊りのレッスンに通いながら、様々なオーディションに挑戦しまくるわけでございますね。まぁ、ニューハーフのワタクシがそう簡単に受かるオーディションなんてものはございません。なぜなら、「ニューハーフが出てくる脚本」なんてものが、非常に少ないからでございます。

ニューハーフなら女の役をもらえそうな感じがいたしますよね。でも、採用する側からすると、どんなに女っぽく見えても、普通の女性の役にニューハーフを使うなんて“ギャンブル"はしない。女性の役は女性が演じるのが、何よりも「安全」なのでございます。仮に「ニューハーフあるいはオカマさんが登場する脚本」があったとしても、普通の男性の役者さんに“ニューハーフっぽく演技してもらう”というのが、よくあること。それも、「安全」を担保するためでございます。

その様な理由もありまして、オーディションを落ちまくっていた頃のお話。ある舞台のオーディションには不合格だったのでございますが、別の舞台に出演したときに、その不合格だった舞台の関係者とお話しする機会があったのでございます。すると、その人の口から出た言葉が、

「あのオーディションは合格だったんだけど、トイレの問題があって、それで不合格になっちゃったんだよね」

とのこと。まぁ、当時のワタクシ、別に怒りませんでしたけどね。オーディションなんて落ちまくっていて、「落ち慣れ」してましたから(笑)。端役のオーディションというのは、技量の高さで選ばれるわけじゃない。脚本がワタクシのキャラクターを必要としているかどうか、ただそれだけのこと。自分の条件の悪さは十分に自覚しておりましたので、トイレが理由で落とされたと聞いても、不条理とか不平等とか、そんな感情は全くございませんでした。

ここで、勘の良い方なら、ワタクシが何のお話しをしようとしているか、お察しでございましょう。そう、昨年末の「性同一性障害者の裁判沙汰」のお話しでございます。

ある人が「女性用のトイレを使わせろ」と言って経産省を訴える。またある人は「女性用の更衣室を使わせろ」と言ってスポーツクラブを訴える。そんなニュースがございました。今回は、この一連の裁判沙汰に関するワタクシの所感を、まったくもってワタクシの独断で述べさせていただくのでございます。

まず考えていただきたいのが、世の中には「常識」と「非常識」という大区分があるのでございます。さてさて、常識とは何や? 非常識とは何や? ワタクシ名古屋薫が、単刀直入に申し上げましょう。それは、

常識  = 多数派
非常識 = 少数派

ということでございます。ほんとに、これだけでございます。「え? 常識っていうくらいだから、何か根拠がなければいけないでしょ?」って考えていたとしたら、ブーーなのでございます。ガリレオガリレイの時代は、天動説が世の中の「常識」でございましたでしょ。そう、たとえ真理でなくても、それがその時の多数派であれば「常識」となっちゃうのでございます。ですので、「常識」なんてものは、時代や場所でコロコロ変わってしまうもの。極端な言い方をすれば、「人の数だけ、時代の数だけ常識がある」と言っても過言ではないのでございます。

字面は似ているけれど、常識・非常識とは“別次元”の言葉がございます。それは「良識」というヤツ。良識とは何ぞや? ワタクシ的には、良識とは「おもいやり」「気配り」「愛情」...といったもの。辞書によると「社会人としての健全な判断力」なんて書いてあります。何だか壮大な単語が並んじゃいましたが、要約いたしましょう。良識とは「客観視が出来、社会的に丸く収まるような方向に思考出来る能力」ということでございます。おぉ、なんとこれは、裁判所がやっている仕事ではございませんか。そう、(恐れ多いことに)「裁判所=良識」なんていう方程式が成り立ってしまうのでございます。

そこで、前述の裁判のお話になるのでございます。性同一性障害者というのは、明らかに「少数派」でございます。ですので、悲しいことですが、自動的に「非常識」に分類されるのでございます(コレ大事)。そして、非常識と常識の間を埋めるのが「裁判所」ということになります。ちょっとピンと来ないかもしれませんが、非常識・常識という語を使わずに、「少数派を救済する」という言葉に置き換えればしっくりするのではないでしょうか。じゃぁ、裁判所が間を埋めてくれて一件落着! となると思いきや、この問題には大きな落とし穴があるのでございます。

常識と非常識の間を埋めるのが裁判所ではございますが、裁判を起こした当の本人が、自分が「非常識」に属しているという認識が甘い。「常識と非常識の間を埋めよう」と考えているのではなく、「自分を常識(=多数派)の仲間入りをさせろ」と考えている節(ふし)がある。この原告本人の勘違いがあるために、なかなか不毛な裁判になるような気がいたします。そもそも、正当な良識を持ち合わせていれば、裁判沙汰にまでならなかったはずでございます。

具体的にはっきり申しましょう。経産省やスポーツクラブといった組織は非常識な人に対してそれなりの譲歩をしているのですから、非常識な側もそれなりに歩み寄って、適度な落としどころで納得すべきでございます。ひと昔前なら解雇されたり出入禁止になったりするような事例でございます。それを考えたら、世の中は非常識(=少数派)に対してかなり間口を広げてきているのでございます。その間口の広さに感謝する気持ちをもう少し持ち合わせていたら、裁判沙汰にまで発展しなかったはずでございます。

同じようにトイレや更衣室の問題を抱えている性同一性障害者の人がもしいたら、ワタクシからのアドバイスを差し上げましょう。性転換もした、性別も変えた、女にしか見えないというレベルの人でも、それでも「元男性と一緒のトイレ(更衣室)はイヤ!」って言う女性は、必ず存在します。この“現実”を十分肝に銘じるべきでございます。そういった価値観の人の心を開くのは、あなたの「人柄」です。迷惑をかけないように、不快感を与えないようにと気配りする心、つまりあなたの良識でございます。「あんなにいい人なんだから、私たちもちょっと折り合ってあげよう」と回りの人に思わせたら、そこが“スタート”なのでございます。

さらに、そんな「折り合い」のかけらもない環境もございます。そういった逆風強い場所では、「完全に騙しきる」ことが必須でございましょう。というか、今現在、社会に溶け込んでいる性同一性障害者のほとんどは、このパターンではないでしょうか。これは、かなり理想的な容姿を持ち合わせていなければ難しいです。ゲイ・レズビアン・性同一性障害に理解がある世の中になってきたとは言いますが、そういう人達に対する世の中の間口なんて、まだまだ、こんなもんです。

では最後に、ワタクシの若い頃のあるエピソードを紹介いたしましょう。数多くのレッスンをこなしながらオーディションを受けまくっていた頃の、お話でございます。その当時のワタクシに、ワタクシが所属する事務所の社長さんは、こんな言葉を投げかけるのでございます。

「ニューハーフの役なんて来るわけないだろ。まず「男役」をきっちり出来るようになれ。それでおまえが“有名”になったら、女役だろうがニューハーフの役だろうが、向こうから頭を下げてお願いに来る」

ということだそうです。日本の芸能界やファッション業界には、ニューハーフ・女装家・おねぇといった人達が多く活躍しておりますが、それはその人達に「唯一無二」の価値あるいは才能があるから。非常識さを補って余りある「利」があるからこそ、その人達には「居場所」があるのでございます。もっとも、その「居場所」を確保するためには、血の滲むような努力や辛酸な経験があったはず。自分の居場所が見つからないと嘆く人がもしいたら、回りの他人に「変化」を求めるのではなく、「まず自分を磨く」ことに専念し、自分の「利」を増やすことを考えるべきでございます。その自分を磨くということも、ひとつの「良識」なのでございます。

長文読んでいただきまして、ありがとうございます。ではでは...


2016-01-12 【骨粗しょう症かと思って、心配しました】

実はですねぇ、昨日、左上の奥歯がひとつ、パッカ〜ンと割れまして、困っておりました。どん兵衛の鬼かき揚げ、あいつにやられました。かけつゆが染みこむ前のサクサクっとしたのをかじりつくのがたまらなく美味しいのでございますが、まさかあんなものにやられるとは。まぁ、以前から弱っていたのでしょうが、不覚でございました。

とりあえず、こういうときはどうするか、ネットで検索でございます。ホント、便利な世の中になったものでございます。すると、なんと!「欠けた歯を牛乳につけろ」との重要情報。「牛乳がなければ口の中に入れ続けろ」とも書いてありましたが、ワタクシの場合そんなことをしたら、絶対に飲み込んじゃう(笑)。小袋に牛乳を入れて、半欠けの歯を入れたのでございます。どうやら、乾燥させないことが重要らしい。歯はカルシウムで出来ていて、酸に弱い。カルシウム豊富でアルカリ性飲料の牛乳に入れるとは、納得至極なのでございます。

(この中に、歯が入ってる)

で、本日朝一番に歯医者へ直行でございます。ダメ元で欠けた歯の牛乳漬けを渡しますと、「ああ、これはセラミックですね」のひと言。あはは、どうりで痛くなかったわけでございます。以前、セラミックで被せた歯が割れたようでございます。歯科医の先生も「よくこんなぶ厚いのが割れましたねぇ」と言っておりましたが、運の悪いときは、そんなものでございます。

結局、この歯は新しく被せ直すことに。痛い出費でございます。ということで、本日の教訓、「歯が抜けたり欠けたりしたら、牛乳漬けの歯を持って歯科医へ直行! だけど、義歯を持って行って、恥をかかないように!」


2016-01-13 【忘れ得ぬ日】

ただ今、お店の給湯器の大刷新計画実行中でございます。当店にご来店のお客様の中には、巨大な給湯器が室内にあるのを驚かれた方もいらっしゃることでしょう。あの過去の遺物はすでにメーカーからの部品供給も終わっておりまして、「もし故障したら修理不可能」というしろものでございました。

そこで、壊れる前に最新式の給湯器へ交換してしまおうということで、二日ほどかけて交換しております。三台の給湯器の内、二台は今回交換してしまうのですが、工事の一番面倒くさいのがひとつ残っておりまして、それは来月の工事になりそうでございます。

さて今日は、実は給湯器のお話がメインではなく、その工事にさしあたって出てきた、ある小さな伝票のお話。壁際に配管を這わすとかいうことになり、備品を入れてある大きな棚を動かすことになったのでございます。すると、その棚の奥からヒラヒラ〜と出てきたのは、小さな小さな伝票。缶ビールを宅配便で注文したときの納品書のようでございます。

他のゴミと一緒に捨ててしまえばいいのですが、つい、「何を買ったんだろう?」なんて興味を持って伝票を見ますと、驚いたのはその日付。5年前の「あの日」でございます。前日に発注したようで、「あの日」のまさに「あの時間」にお届け指定されております。そんな伝票を見ながら、「あの特別な瞬間に、黙々と宅配の仕事に従事する人がいて、それをいつものように受け取るワタクシがいて、ニュースを見ながら『これからどうなるんだろう』と少し不安になり、でも遠く離れた災害なのでどこか他人事な自分がいて...」なんていう、あの「忘れ得ぬ日」を思い出しておりました。

単なるペラペラのゴミなのに、その特別な日付のせいで、なんだか捨てられなくなっちゃったのでございます。思い出したくはありませんが、忘れ得ぬ日でもございます。


2016-01-15 【ストップモーションがグルグル回るの、どうやって撮影されているか知ってる?】

大相撲初場所の真っ最中でございます。ここのところ、「隠岐の海」関に興味津々なのでございます。前場所の九州では、初日からいきなり八連敗。実にやるせない顔つきで臨んだ九日目に、やっと一勝目。涙目でインタビューに答えていたのが印象的でございました。しかし九日目から打って変わっての五連勝で、終わってみれば、五勝十敗の成績でございました。ちょっとやさぐれ感のあるあの顔立ちが、な〜んか気になるのですよね(失礼)。

さてお話は開催中の春場所の話。昨日(1/14)の隠岐の海・豊ノ島戦でのこと。隠岐の海が逆転して勝ったように見えましたが、なぜか軍配は豊ノ島に。物言いも付かないまま、そのまま勝敗が決まってしまいました。前日まで四連勝中でしたから、隠岐の海関、悔しかったでしょうねぇ。で、本日(1/15)のNHKの大相撲中継では、アナウンサーが昨日のその一戦に言及しておりました。

アナウンサー「隠岐の海、昨日は逆転の末に豊ノ島を下したのですが、なぜか軍配は豊ノ島に上がり、そのまま物言いも付かないということがありました。惜しい星を落としました」

とさ。アナウンサーも、あれを「誤審」だと思っているようでございます。というか、テレビの精細なスローモーションではっきりと見えておりますから、テレビ中継を見ていた人は、ほぼみんな、「誤審」だと思ったでしょうねぇ。ところが、相撲の世界には誤審という概念はない。真実や過程がどうであろうと、最終的な判断は、審判団の「胸先三寸」。なぜならば、「死に体」「かばい手」「送り足」といったグレーゾーンなルールを残しているからでございます。

さらに、「同体にしてもう一番取らせた方が盛り上がる」とか「この関取には横綱になってもらいたいから...」といった「興行的」な理由では?と、いぶかしく思われる場合もあったりして。ただ、そもそも大相撲はその発祥が「興行」であって、近代になってスポーツ的要素が入ってきたのでございますが、どうも、その興行とスポーツとの兼ね合いの歪みに、先ほどのクレーゾーン的なルールが残ってしまっているのでございましょう。

日本人は、大相撲のそういうグレーなところも含めて楽しんでいるわけでございますが、近年になって増えてきた外国人力士には、どこまで理解できるでしょうかねぇ。ヘタすると、「外国人差別」と受け取られるのでは、と心配になったりするのでございます。勝敗にお金が絡んでいるのでございますから、もうそろそろ「グレーなルールの見直し」をしてもよろしいのではないでしょうか? 現状でもビデオ判定は行っておりますが、どうも、ビデオ室の意見よりも土俵上の審判団の思惑の方が勝ってしまっているようで、ビデオ判定の意味があまりないのでございます。

せっかく、世界のNHKが放送しているのでございますから、今、はやりの4Kカメラを駆使してはどうでしょうかねぇ。土俵を四方向から囲むようにカメラを向けておけば完璧でございましょう。八台くらいのカメラでグルッと囲んでしまえば、マトリックスよろしくストップモーションのままグルグル回すことだって出来ちゃうのでございます。4K画像なら、相当な画像拡大にも耐えられる。大きく拡大しても画像が荒れないことを見せつければ、4Kのいい宣伝にもなるのでございます。

スポーツの世界では、ビデオ判定ってのは急激に進んでおります。土俵の面積を考えると、サッカーやテニスなどよりはるかに簡略なシステムで行えるはずでございます。あとは、審判団の「プライド」でしょうかねぇ。ビデオ判定優先で勝敗が決まるのなら、審判団はいらないだろうって話になっちゃいますからね。でも、これはビデオ判定の導入を進めているスポーツ全てに共通する問題ですから、克服の糸口は見えている。むしろ、本当の「壁」は審判団のプライドではなく、「大相撲のスポーツ化」ではないでしょうか? スポーツと化することで、何か大きな伝統を失う、そんな恐れを多くの人が持っているのではないでしょうかねぇ。

「文化と文明」という語がございます。文化というのは、人の心根に由来する物。人の生きざまに由来する物。一方、文明というのは、人間独特の曖昧さを排斥し、技術や物質優先で世の中を作り出そうとすること。大相撲の伝統的な要素が「文化」ならば、それのスポーツ化というのは「文明」でございます。文化的要素の強い大相撲だけに、それの「文明化」は、時間がかかるかもしれませんねぇ。

大相撲のストップモーションがグルグル回る様、見てみたいなぁ...


2016-01-16 【♪わ〜たし〜、髪を切りました〜〜】

「♪撫子の花が咲きました〜 芙蓉の花は枯れたけど〜」

という歌い出しの曲がございます。さだまさしの『追伸』という曲でございます。さだまさしと言うよりは、「グレープ」と言った方が正確かも知れません。少女の失恋の歌なのですが、歌詞の中に「わたし、髪を切りました〜」という部分がございます。失恋と髪を切る行為が相互リンクされたのは、いつからなのでございましょうねぇ? 特にワタクシは失恋をしたわけではございませんが、髪を切りました。う〜んといっぱい切りました。その姿がこれ。

どうです、短くなったでしょう。

特定の曲が耳について離れないってこと、あるでしょ。ワタクシの場合は、美容院で髪を切るときがコレ。髪をカットしている間じゅう、ずっと、この曲が頭の中で流れ続けております。

そこで、ワタクシの髪の長さに関して、ちょっと面白い年表を作りました。大きな画像になっちゃいましたので、ブログの方に掲載しております。よろしければご覧ください。

【♪わたし、髪を切りました〜】(クリックすると、ブログにジャンプします)

2016-01-21 【ボーという、大音量の低周波】

昨日、お部屋の移動をお願いしたお客様、大変不自由をおかけしました。お湯が出なくなった給湯器は、ちょうど1週間前に取り換えたばかりなのですが、取り換え直後から不調でして、昨日、とうとう安全装置が作動してロックがかかってしまったようです。

本日、朝一番に業者さんに来てもらいまして、修理完了でございます。もう大丈夫、安心してVIPルームの予約を入れて下さいませ。

取り換え直後から汽笛のような大きな音がしておりましたが、「まぁ、そういうものなのだろう」と思い込んでおりました。結局、その大きな音は「釜鳴り」という現象だったらしく、煙突を固定するネジが、煙突の中のナントカという部品に干渉して、排気が不安定になっていたようでございます。

●今日覚えた単語

【釜鳴り】かま・なり 釜で湯を沸かし、また飯を炊くとき、釜がうなるように鳴ること。何かの前兆と感じ、またはその音によって吉凶を占った。(広辞苑より)

オヨヨ、辞書にはなんか意味ありげな文面が・・・何かの前兆なのでしょうか? あるいは吉なのか、あるいは凶なのか? でも、もう修理しちゃったから分っかりっませ〜ん。車のクラクション並みの大音量がする釜鳴りで、びっくりぽんでございました。


2016-01-22 【Mother of Mine】

本日はワタクシの母親の命日でございます。以前書きましたように、毎年の恒例、うなぎ弁当をお供えしたのでございます。母親が亡くなってから11年も経つのですが、未だに、押し入れの奥とかから、母親の持ち物がポロッと出てきたりいたします。昨年末も引き出しの中から母親の名刺ケースが出てきまして、その中から、非常に若い頃の写真が出てまいりました。若い頃の写真はほとんど持っていなかった母親でございますが、この写真は何か思い入れがあったのでございましょう。3cm×4cmといった小さな写真ですが、大事に、名刺ケースの中に収められておりました。

そこで、ちょっとお遊びを。この写真とワタクシの今の姿を、コラボレーションしてみました。

同じような角度になるように写真を撮るのが大変でございました(笑)。

母親の写真、何やらブロマイドみたいなのは、芸能活動をしている頃の写真だからかも知れませんね。ということで、ワタクシが知っている範囲で、母親の経歴を。

松竹の子役だった母親、戦後は女優業から女剣劇に移り、その後、京都で小料理屋を経営し、何が有ったかは分かりませんが、ワタクシを生む直前に名古屋へ移り、今に至るという感じでございます。ワタクシが芸能に関して憧憬が強いのも、母親ゆずりでございましょうかねぇ。ただ、この母親の経歴のおかげもありまして、ワタクシがニューハーフ・カミングアウトする際には、非常にスムーズでございました。なんつっても、子役の頃から女形の俳優さんを見ていたでしょうし、女優業・女将業のころは、さぞかしゲイバー遊びをしたらしゅうございますから。

ただ、昔のハイレベルなゲイボーイさん、シスターボーイさんをたくさん見てきていますから、ワタクシがニューハーフになった後は、ワタクシへのチェックが厳しかったですねぇ(笑)。ニューハーフブームの時も、テレビに出てくるニューハーフをいちいち採点して、ダメ出しをする始末。ワタクシのニューハーフとしての素養の半分くらいは、母親に鍛えられたようなものでございましょう。

Mother of Mine.


2016-01-25 【あのマット、カルナマットという名前です】

足ふきマットに足を乗せるのに抵抗がある方へ

当店で使っている足ふきマット、銭湯を知っていらっしゃる世代ならば懐かしいですよね。あるいは、飲食店の厨房などで使っているところが有るかもしれません。毎日、何十回も足を拭くことになりますので、あれくらいの物でないとすぐにビショビショになってしまいます。

その足ふきマットですが、あそこへ素足を乗せるのに抵抗があると言われるお客様が、時々いらっしゃいます。毎日、午前中に天日干ししておりますので大丈夫ではあるのですが、やはり気にする方は気になっちゃいますよね。

そこで、そういう方は、「足がベチョベチョのまま、スリッパを履いてくださいませ」。当店のスリッパは使い捨てなので、ぜ〜んぜんかまいません。むしろ、そういう方を想定して使い捨てのスリッパを導入しているとも言えます。ヘニャヘニャで、ちょっと履きにくいスリッパではございますが、そういうメリットを考えてのことですので、ご理解下さいませませ。


2016-01-28 【いわんや悪人をや】

シロウトの政治家、クロウトの取り巻き(連中)

甘利大臣、なんかかわいそうでございましたね。あの方は、ある意味、政治家としては「シロウト」でございますからね。むしろ、回りの取り巻き連中が「たかりのクロウト」なんだと思いますよ。そういえば、猪瀬さんの時も、同じような感じでございました。あの場合も、どうもお金を送った方がクロウト。対応に四苦八苦して訳の分からない領収書まで出してしまった猪瀬さんは、どう見てもシロウト。一目瞭然でございます。

政治家のクロウトだったら、秘書のせいにして終わり。そして、その秘書は責任を感じて自殺するか、訳の分からない事故で死んじゃうのですよね。あるいは、政治家本人が「記憶にありません」を言い続けて煙(けむ)に巻いてしまったり。古くはロッキード事件、最近では耳に手を当てる政治家とかいらっしゃいましたよね。ああいう人達は、「政治家のクロウト」なんですよ。クロウトの政治家、クロウトの取り巻きが百鬼夜行する中にシロウトが飛び込んでいったら、そりゃ怪我をしますよ。

善プラス悪、イコール「良識」

以前、「良識」に関して言及したことがございます。「善」は良識なのでしょうか? 答えはYes。では、「悪」は? 悪も良識なのでございます。不思議に思われるかもしれませんが、良識というものは善も悪も包み込んでしまうような懐の大きなものでございます。そもそも、善も悪も、人間が作った概念。そして、「常識」「非常識」の例えのように「その時その時の多数派が“善”」ということも多いものでございます。今まで善だったものが、ある日から悪になってしまうということもあります。色即是空、空即是色。善も悪も同じもの。同じものを表と裏から見ているだけなのでございます。

では、その善と悪を包括する「良識」とは何でしょう。それは、「(その時点での)善と悪を区別し見極め、客観的に適度なさじ加減を行える能力」とでも言いましょうか。分かりにくいですよね。言い換えましょう。善を善、悪を悪と認識できていること、それが良識でございます。そして、その善と悪を、良いあんばいで使い分けられるのも、また良識。「酸いも甘いもかみ分ける」なんて言葉がありますが、すっぱいもの、甘いもの、その両方が必要であり、大事なのでございます。

甘利大臣の会見の姿からは、ワタクシは大臣の良識を感じましたけどねぇ。善と悪を分かりすぎているからこその、あの痛切な顔になるのだと思います。クロウトの政治家の方々は、ひょうひょうと「記憶にございません」を言えてしまいますので、そういう方々は善悪の区別が付かない良識のない方々なのでございましょう。良識のある政治家が資格を奪われ、良識のない政治家がノラリクラリとやり過ごす。ちょっと、やりきれない思いのする、甘利大臣の辞任でございました。


2016-01-31 【Love is Blind】

今日は、前回の「良識」の話の続き。今回の主役はベッキーさん、というかベッキーさんに対する非難の雨が主役でございます。

ベッキーさん、略奪愛発覚後も笑顔で番組に出演しておりましたが、ここに来て急展開。全てのレギュラー番組から降板して、休業状態になってしまっております。番組やスポンサー宛に、相当数のクレームが入ったとのこと。男と女の艶事(つやごと)ですからねぇ。面白おかしく巷のうわさ話にこそなっても、それで「追放」されるほどの事かなぁ、と思うのでございます。

善悪メーター

こういうことに執拗にクレームを入れる方というのは、心の中の“善悪メーター”が「悪」の方へ振り切っているのでございましょう。ベッキーが究極の悪人に見えるからこそ、「テレビから抹殺するまでクレーム」という極論に走ってしまうのでございましょう。彼女が非常識だからですか? でも、一般大衆は、非常識なものを求めてテレビを見ているのではないのですか? 子供の教育に悪いとは言いますが、子供に略奪愛なんて理解できるのですか? クレームを入れている人は、ただの一度も浮気をしたことがないのですか?

でもまぁ、いろいろ報道されている2人のやり取りが本当なら、2人とも善と悪の区別もさじ加減も出来ない「恋は盲目」状態(笑)。けっして良識のある状態では無くなっているようでございます。人の心から良識さえも奪ってしまう恋心といふもの、あな怖ろしや、なのでございます。ベッキーさん、あの年齢まで恋愛といえるような経験が浅かったのでございましょうか。中年になってからの初恋は暴走してしまうので、危険なのでございます。

極論に走るのは、中間値を認めないから

さて、ここからが本題。先ほど「善悪メーター」なる言葉を発しましたが、最近の日本人、特に大震災以降、この善悪メーターがどちらかに振り切ってしまう方が多いのでございます。そういう方は、メーターの針が中間値を指すことがない。というか、中間値を認めない。それはどういうことかというと、妥協は一切認めない、自分の主張が100%通るまで、絶対に納得しないという頑固な世論を形成しちゃっているのでございます。

例えば、原発再稼働の問題。原発というものは、利と害を両方とも含み持っているもの。それを包括的に評価した上で、再稼働を論じ、妥協点を見つける。つまり、まさに「良識」が必要なのでございます。ところが、「原発=悪」と振り切っちゃっている人は、何ひとつ妥協を受け入れられないから、論争がどんどん不毛になっていく。震災以降、こういった不毛な議論が延々と続いている気がいたします。

勝ち負けにこだわる人は、トレードオフ出来ない

善と悪を使い分けるさじ加減、妥協点を見つけること、これを「トレードオフ」という言葉で表現することも出来ます。日本人は、このトレードオフがすごく苦手。古来より農耕民族の日本人は極端な全体主義で、全員で意見を一致させるということにこだわり過ぎるところがございます。本来は、学校教育の初期段階から「ディベート」と呼ばれる反論をぶつけ合う授業や訓練を、もっと取り入れるべきなのですけどね。反論をするためには、相手の主張をよく聞く必要があります。これはディベートの基本中の基本。でも、ディベートに不慣れな人は、相手の話を聞くことよりも、自分の主張をアピールすることばかりに執着してしまう。そういう人の中には、「勝ち」と「負け」しかない。これでは、議論はどこまで行っても不毛になってしまうのでございます。

善と悪のトレードオフ

理想を100%追及するのは、「宗教」でございます。宗教には妥協がない。一方、反対意見を受け入れつつ妥協点を見つける作業は「政治」でございます。政治で解決しなければならないことを「宗教」的に考えてしまう風潮があるのは、残念なことでございます。「善」と「悪」、「功」と「罪」、こういったもののトレードオフをしながら考えられる人が増えていけばいいのにな、と思うのでございました。


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