店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
ワタクシはうんと若い頃、そう、今から20数年前くらいの頃、芸能界をほんの少しかじっていた時期がございました。芸能人の卵でございますから、歌とか踊りのレッスンに通いながら、様々なオーディションに挑戦しまくるわけでございますね。まぁ、ニューハーフのワタクシがそう簡単に受かるオーディションなんてものはございません。なぜなら、「ニューハーフが出てくる脚本」なんてものが、非常に少ないからでございます。
ニューハーフなら女の役をもらえそうな感じがいたしますよね。でも、採用する側からすると、どんなに女っぽく見えても、普通の女性の役にニューハーフを使うなんて“ギャンブル"はしない。女性の役は女性が演じるのが、何よりも「安全」なのでございます。仮に「ニューハーフあるいはオカマさんが登場する脚本」があったとしても、普通の男性の役者さんに“ニューハーフっぽく演技してもらう”というのが、よくあること。それも、「安全」を担保するためでございます。
その様な理由もありまして、オーディションを落ちまくっていた頃のお話。ある舞台のオーディションには不合格だったのでございますが、別の舞台に出演したときに、その不合格だった舞台の関係者とお話しする機会があったのでございます。すると、その人の口から出た言葉が、
「あのオーディションは合格だったんだけど、トイレの問題があって、それで不合格になっちゃったんだよね」
とのこと。まぁ、当時のワタクシ、別に怒りませんでしたけどね。オーディションなんて落ちまくっていて、「落ち慣れ」してましたから(笑)。端役のオーディションというのは、技量の高さで選ばれるわけじゃない。脚本がワタクシのキャラクターを必要としているかどうか、ただそれだけのこと。自分の条件の悪さは十分に自覚しておりましたので、トイレが理由で落とされたと聞いても、不条理とか不平等とか、そんな感情は全くございませんでした。
ある人が「女性用のトイレを使わせろ」と言って経産省を訴える。またある人は「女性用の更衣室を使わせろ」と言ってスポーツクラブを訴える。そんなニュースがございました。今回は、この一連の裁判沙汰に関するワタクシの所感を、まったくもってワタクシの独断で述べさせていただくのでございます。
常識 = 多数派
非常識 = 少数派
ということでございます。ほんとに、これだけでございます。「え? 常識っていうくらいだから、何か根拠がなければいけないでしょ?」って考えていたとしたら、ブーーなのでございます。ガリレオガリレイの時代は、天動説が世の中の「常識」でございましたでしょ。そう、たとえ真理でなくても、それがその時の多数派であれば「常識」となっちゃうのでございます。ですので、「常識」なんてものは、時代や場所でコロコロ変わってしまうもの。極端な言い方をすれば、「人の数だけ、時代の数だけ常識がある」と言っても過言ではないのでございます。
字面は似ているけれど、常識・非常識とは“別次元”の言葉がございます。それは「良識」というヤツ。良識とは何ぞや? ワタクシ的には、良識とは「おもいやり」「気配り」「愛情」...といったもの。辞書によると「社会人としての健全な判断力」なんて書いてあります。何だか壮大な単語が並んじゃいましたが、要約いたしましょう。良識とは「客観視が出来、社会的に丸く収まるような方向に思考出来る能力」ということでございます。おぉ、なんとこれは、裁判所がやっている仕事ではございませんか。そう、(恐れ多いことに)「裁判所=良識」なんていう方程式が成り立ってしまうのでございます。
そこで、前述の裁判のお話になるのでございます。性同一性障害者というのは、明らかに「少数派」でございます。ですので、悲しいことですが、自動的に「非常識」に分類されるのでございます(コレ大事)。そして、非常識と常識の間を埋めるのが「裁判所」ということになります。ちょっとピンと来ないかもしれませんが、非常識・常識という語を使わずに、「少数派を救済する」という言葉に置き換えればしっくりするのではないでしょうか。じゃぁ、裁判所が間を埋めてくれて一件落着! となると思いきや、この問題には大きな落とし穴があるのでございます。
常識と非常識の間を埋めるのが裁判所ではございますが、裁判を起こした当の本人が、自分が「非常識」に属しているという認識が甘い。「常識と非常識の間を埋めよう」と考えているのではなく、「自分を常識(=多数派)の仲間入りをさせろ」と考えている節(ふし)がある。この原告本人の勘違いがあるために、なかなか不毛な裁判になるような気がいたします。そもそも、正当な良識を持ち合わせていれば、裁判沙汰にまでならなかったはずでございます。
具体的にはっきり申しましょう。経産省やスポーツクラブといった組織は非常識な人に対してそれなりの譲歩をしているのですから、非常識な側もそれなりに歩み寄って、適度な落としどころで納得すべきでございます。ひと昔前なら解雇されたり出入禁止になったりするような事例でございます。それを考えたら、世の中は非常識(=少数派)に対してかなり間口を広げてきているのでございます。その間口の広さに感謝する気持ちをもう少し持ち合わせていたら、裁判沙汰にまで発展しなかったはずでございます。
同じようにトイレや更衣室の問題を抱えている性同一性障害者の人がもしいたら、ワタクシからのアドバイスを差し上げましょう。性転換もした、性別も変えた、女にしか見えないというレベルの人でも、それでも「元男性と一緒のトイレ(更衣室)はイヤ!」って言う女性は、必ず存在します。この“現実”を十分肝に銘じるべきでございます。そういった価値観の人の心を開くのは、あなたの「人柄」です。迷惑をかけないように、不快感を与えないようにと気配りする心、つまりあなたの良識でございます。「あんなにいい人なんだから、私たちもちょっと折り合ってあげよう」と回りの人に思わせたら、そこが“スタート”なのでございます。
さらに、そんな「折り合い」のかけらもない環境もございます。そういった逆風強い場所では、「完全に騙しきる」ことが必須でございましょう。というか、今現在、社会に溶け込んでいる性同一性障害者のほとんどは、このパターンではないでしょうか。これは、かなり理想的な容姿を持ち合わせていなければ難しいです。ゲイ・レズビアン・性同一性障害に理解がある世の中になってきたとは言いますが、そういう人達に対する世の中の間口なんて、まだまだ、こんなもんです。
では最後に、ワタクシの若い頃のあるエピソードを紹介いたしましょう。数多くのレッスンをこなしながらオーディションを受けまくっていた頃の、お話でございます。その当時のワタクシに、ワタクシが所属する事務所の社長さんは、こんな言葉を投げかけるのでございます。
「ニューハーフの役なんて来るわけないだろ。まず「男役」をきっちり出来るようになれ。それでおまえが“有名”になったら、女役だろうがニューハーフの役だろうが、向こうから頭を下げてお願いに来る」