店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
スタンフォード大学の行った「マシュマロ実験」というものがございます。実験対象は何人かの4歳児。その4歳児を1人ずつ部屋に通し、椅子に座らせ、テーブルの上にはお皿に乗せたマシュマロが1つ置いてある。そして仕掛け人がこんな言葉を4歳児に発します。
「僕はちょっと用事が有って15分程出てくる。そのマシュマロはあげるけど、戻ってくるまで食べるのを我慢できたら、もうひとつマシュマロを上げよう。ただし、我慢できなかったら、ふたつ目は無しだよ」
実験結果。3分の2の子供は、マシュマロを触っている内に我慢できずに食べちゃった。3分の1の子は、他のことをやって気をそらし、我慢することが出来たそうでございます。さて、実験の真の目的はこのずっと後に有るのでございます。
この子達のその後10~15年後を、追跡調査したそうでございます。すると、我慢できた子は大学進学適性試験の点数で、2400点満点で平均210点高かったそうでございます。なんとも、スパンの長い実験でございます。
「1つの誘惑に勝てるということは、あらゆる誘惑に対しても自制心が働きやすい。逆に、1つの誘惑に負ける人は、あらゆる誘惑に負ける」
ちょっと極端な仮説ですが、何となく当を得てるかなとも思うのでございます。この仮説を考えるに、じゃぁ、将来成績の良い子供に育てようとしたら、4歳児の頃からまず「我慢」を覚えさせることが”いの一番”だということですよね。でも、確かに、そんな4歳児がいたら、将来大成するように思えてくるのでございます。
さて、この実験を見て、最近の「カジノ解禁」の話に結びついたのでございます。ギャンブル依存症を防ぐために何やらいろいろ策を講じているようですが、要は「本人が我慢できるかどうか」でございますよね。策を講じるよりも、小学校から「我慢」をカリキュラムに組み込むことが重要なんじゃないですか?
学校つながりで思い出したのが、自動車教習所。交通事故のほとんどは、「我慢」が出来ないから起こるのでございますよね。細々とした交通ルールが守れない。数分の赤信号が待てない。飲酒運転を自制できない。誘惑に弱い人ほど、事故を起こしやすい。
それでですね、教習所ではとにかく「我慢」を叩き込むのでございます。どうやって叩き込みましょうか? 練習コースの信号機は、赤信号が5分くらい続くとか(笑)。横断歩道では、ゆっくりゆっくりとお婆さん(のロボット)を渡らせるとか。受講者も、この「我慢」が無事故につながることを意識して受講すれば、効果はさらに大きいのでございます。
ワタクシは、音楽・舞台・水商売・風俗と、人気商売を渡り歩いております。人気商売の世界でも、この「我慢」というか「自制」は重要な要因なのでございます。やはり、「我慢・自制」の出来る人は強いし、人気も出ることが多い。多分、スポーツも同じでしょうね。「我慢=ストイック」と置き換えられるのではないでしょうか。
ただ、ワタクシの経験では、人気商売やスポーツで結果を出す人は、「我慢」を我慢とは思っておりません。「投資」と考えております。我慢だと思うと苦痛ですよね。でも、自分への投資だと思い、ステップアップだと思うと、それが快楽に変わってくるのでございます。
人気商売で伸びる人とそうじゃない人の違いは、この「我慢を快楽に変換する思考」にあるのでございます。伸び悩む人というのは、ちょっとした投資が苦痛で出来ない。お金や労力を費やすことに、妙にハードルが高かったりするのでございます。「もったいない」「面倒くさい」が優先しちゃうのですよね。
ちょっと前に、Googleの人工知能がナチス礼賛を連呼し初め、慌てて人間様が人工知能を止めるというニュースがございました。これは、経験値を上げるために、一般の人(人間)との会話を許していたのが原因でございました。悪意の有る友人が、いらんことを吹き込んだようでございます。
先月のニュースでは、フェイスブックの二つの人工知能が、突如、人間には分からない機械独自の言語で会話をし始めたとのこと。この場合も、やはり経験値を上げるために二つの人工知能で会話をさせていたところ、独自のコミュニケーション方法を自分たちで開発してしまったらしいのでございます。
経験値を上げるために人工知能どうしで対戦させるというのは、チェスや将棋の人工知能でも、よくやる事でございます。そして、人工知能どうしのコミュニケーションから、人間の思いも寄らぬ奇手が生まれたりするのでございます。その奇手が、国家間の国防に及んだらどうなるか? というのが、これからご紹介する映画でございます。
1970年のアメリカ映画でございます。内容は、アメリカが、国防システムを優秀な人工知能に任せてしまうというお話。すると、ソビエトでも同様の人工知能が稼働していることが発覚し、その内、アメリカとソビエトの人工知能が「対話」をするようになる。自我を持ち、暴走を始めた人工知能”たち”が下した判断とは...結末は書きませんよ、安心して下さいませませ。
人工知能の暴走は、SFでは定番のストーリーでございます。が、それが実際に起きる時代になったのですよねぇ。Googleの例は、悪友に染められたから。フェイスブックの場合は、共感する者どうしが傷をなめあっていたから。フ~ム、人間の世界と同じでございますねぇ...
人間社会でも、若い頃の経験や出会った人によって、自分のの価値観が決まってしまうようなところもございます。また、気の合う友との愚痴話も、それがストレス発散になればよろしいのですが、逆に「思い出したら腹が立ってきた」という逆効果の場合も有るようで。
ですので、人工知能のような暴走を”人間様が”起こさないためには、広く色々な考えの人と接するべきであるし、また、共感する者どうしでの傷の舐め合いを避けるべきだとも思います。(唐突ですが)そこで思い出すのが、最近の横一線報道のバカマスコミ。
加計問題にしろ、どのマスコミも同じ報道。国会中継ではセンセーショナルな発言がいくつか有ったようですが、バカマスコミは取り上げない。恣意的な報道をあそこまで横一線に同調出来る日本のマスコミ、悪い意味で「筋金入り」。
ここで、ワタクシ、ある推測がございます。今の働き盛りの人達は、「イジメ問題」をくぐり抜けてきた世代。学校のイジメでは、「目立つ」ことや「孤立」するということは、自分が「標的」にされることにつながる。ですので、この世代には、「本意に関係なく周りに同調する処世術」が本能的に身についちゃってるのではないでしょうか?
他社と同じ内容で出しておけば、とりあえず、スクープや大当たりはないけれど、ひとり負けすることもない。そんな路線を、本能的に選んでないかなぁ。営業的には安全パイでしょうけど、ジャーナリズムとしてはどうかなぁ?
人工知能が暴走するように、人間も時と場合によっては暴走いたします。韓国の大統領弾劾でのデモ騒ぎ、イラク戦争での「大量破壊兵器疑惑」等等等。人工知能はスイッチを切ればいいですが、人間様にはスイッチが有りませんからねぇ。あぁ、くわばら、くわばら。
池上彰さんの番組を放送していたので、チラリチラリと見ておりました。ゼロ戦の写真が写されましたが、なんかこれが怪しい。不明瞭で色がどす黒く、翼や胴体の日の丸が赤くない。なんとなくゼロ戦風な機体だけど、なんか変。
で、胴体の日の丸の中に、うっすらと「★」のマークが?? ★のマークは連合軍の機体では? 機体尾部の形も、ちょっと違うような気がするし。ゼロ戦の画像なんて山ほど有るのに、どうしてあんな怪しい画像を使ったかなぁ。
スタッフが戦争を知らない世代なのは当然だけど、だからと言って間違えて良いわけではない。いや、間違いと言うよりも「怪しい」。★のマークがうっすらと見えているのが怪しい。何か特殊な機体なのかも知れないが、そんな特殊な画像を持ってくる意味が分からない。
テレビの間違いと言えば、日本テレビの大間違いがございます。自衛隊のPKO活動の様子だと言って紹介された映像。ブルーのヘルメットの部隊が、銃を構えていて、どう見ても”戦闘状態”の映像。でもよく見ると、肩に中国の国旗のワッペンが。
そのニュース番組、国連の中国部隊の映像を自衛隊だと言って放送してしまったのでございます。単なる間違い”かも”しれませんよね。で・も・ね、中国部隊の映像なんて、わざわざ探さないと見つからないでしょ。同じ映像を使い回すテレビ局が、どうしてこの時だけ、わざわざ探してきた?
銃を構えている映像が欲しかったのかな? なんてゲスの勘ぐりもしてしまいますが、まぁ、単なる間違いとしておきましょう。スタッフも疲れていたのでしょう。これがわざとやったのだとしたら、ニュース番組としては悪意が有りすぎますからね、ケケケ。
ケントギルバートさんが、「日本のメディアは談合してる」と言い放っております。ケント氏いわく、テレビ局と新聞社が資本関係で繋がっているというのが問題だと指摘しております。でも、なぜか、独立しているはずのNHKにも、恣意的な報道の傾向がある。日本のメディアの体質なのかも。
「私が『こう思っている』と言うと、それを盲信する人が出てくる。でも、それは一番危険なことなのです。私は考える材料を与えるだけ。それを見て、自分の頭で考えるという事、今の日本人にはそれが必要なんです。」
ワタクシのパソコンのデスクトップでございます。モニタが二つございまして、左側には日本地図、右側には世界地図が背景になっております。この二つの地図、表示されている雲の映像は、人工衛星から撮影された実際の雲の映像。3時間ごとに更新されるのでございます。
気象予報士の仕事場のようなデスクトップでございます(笑)。注目は、左側の日本地図。台風5号が九州沖に鎮座しております。だいたいですねぇ、雲の形なんてありふれておりまして、たま~に変わった雲にお目にかかれると、ワクワクするのでございます。
ですから、台風なんかが来ますと、もうね、衛星画像を見ながらワクワク...おっとっと、不謹慎でございますね。ここ連日、台風の被害を心配しつつ、その画像を興味シンシンで見入っております。でも、まぁ、巨大で速度が遅いとか、いやな台風でございます。
子供の頃から、雲を見るのが大好き。雲の形から何かを想像するってのはよくある遊びでございますが、ワタクシの場合は、その想像したものの物語が頭の中で始まるのでございます。ワタクシの白昼夢癖は、こんな所から培われていたのかも知れません。
衛星画像も面白いですが、実際の雲にはかないませんね。風が強くて、刻々と形の変化する雲とか、もう最高! 雲ひとつないピーカンの青空とか言いますが、雲が無い空なんて、実に無意味。ピーカンの空に、わずかにポツンと浮かんだ小さな雲を見つけたりすると、それだけで気分は上機嫌。
夏の風物詩、入道雲ってのは、それを直下で見上げますと、その大きさ、その高さに驚くのでございます。そして、直下にいるということは、しばらくすると、夕立に見舞われるということ。ムクムクと起き上がり、そして激しい雨を浴びせかけるあの雲を称して「入道」とは、よく言ったものでございます。
秋の空は高いと言います。秋になり気温が下がると、空気中の水蒸気が少なくなり、空ははるか上空まで見通せるようになるのでございます。上空の強い気流に翻弄(ほんろう)され、薄く、長く、たなびく秋の雲も、またワタクシのお気に入り。
先日のバラエティ番組で、第二次世界大戦直後に、広島に家を建てようと尽力したアメリカ人がいることを知ったのでございます。フロイド・シュモーという人だそうです。アメリカで募金を集め、賛同者を募り、日米の政府を説得し、原爆投下の4年後に最初の2棟が完成したそうでございます。
話は変わって、ハワイの真珠湾に、アリゾナ記念館という施設がございます。日米開戦のきっかけとなった場所でございます。その記念館に、折り鶴が展示されているそうでございます。広島で被爆し、12才で亡くなった佐々木禎子さんが病床で折った、実物の折り鶴でございます。
その折り鶴の展示には、やはり原爆投下に縁の有るトルーマン大統領のお孫さんが、尽力されております。リメンバー・パールハーバーを掲げて建てられたアリゾナ記念館は、今やそのテーマを「パールハーバー・トゥ・ピース」「融和」へと大きく転向しております。かたや、広島の原爆資料館も、今や「平和記念資料館」と名前を改めております。
戦争の起点となった場所、終結となった場所、その二つが折り鶴で繋がり、かつ、惨状を訴える施設から平和を希求する施設へと、どちらも変貌を遂げております。また、シュモーさんの家、アリゾナ記念館の折り鶴、日米の多くの賛同者の「融和」が有ってこそ、こういったものが実現しているのでございます。
日本は「因果応報」「自業自得」の思想が根強いですので、他者を責める前にまず自らを責める傾向がございます。しかし、アメリカ人はそういう考え方はいたしません。「やられたらやり返す」の思想。だから、当然、「日本は謝罪と賠償を求めているはず」と考える。
原爆投下という史実を平和を希求するための礎(いしずえ)とし、日米の融和が有り得るとしたら、まず、日本人とアメリカ人のこの間隔の違いを埋める必要がございます。そのための第一歩。昔から議論されてきている、次の話題に終止符を打つべきでございます。
昨日は、日本人とアメリカ人の感性の違いってのに、少し触れておりました。そこで今日は、別の角度から、その違いを紐解くのでございます。題材は「百人一首」。ピーター・J・マクミランという方が百人一首を英訳しておりまして、その中から「小野小町」を選びましょう。では、はじまり、はじまり~~~。
花の色は うつりにけりな いたずらに わが身世にふる ながめせしまに
「桜の花の色はすっかり色褪せてしまったなぁ...長雨が降り続いて空しく日々を過ごしている間に」という意味でございます。この歌には、もう一つの意味がございますが、それは後ほどに。で、これを英訳するとどうなるか? これでございます。
I have loved in vain and now my beauty fades like these cherry blossoms paling in the long rains of spring that I gaze upon alone.
結論から申しましょう。元の小野小町の歌、これは「はぐらかし」の集大成でございます。一方、ピーターさんの英訳はともうしますと、これが実にダイレクト。一点の曇りもなく、写実的に表している。では、1行目から紐解いて行きましょう。
まず、英訳の1行目、いきなり「I have loved in vain」と来ちゃいました。いやぁ、シビレル! ロックだねぇ! いきなり本題に入っちゃいますか! 実は、この歌には意味がもう一つございます。「私の容姿はすっかり衰えたなぁ...空しく恋に時を過ごし、もの思いにふけっている間に」という意味が隠されているのですが、それをズバリ、最初に、言っちゃいますかぁ。いやぁ、ロックンロール!
一番大事なことを最初に言うのは、住所表記でも現れてますよね。欧米の住所は番地やストリート名から先に記述して、州とか国はいちばん最後に書く。日本は逆。大まかな区分から記述し、徐々に細かく書いていく。やはり、アメリカ人、ロックなんですよ。まず、ハートの叫びがあり、細けぇ説明は後でいいんだよっていうノリなのでございます。
この歌には「はぐらかし」が有ると申しましたが、それを一つ一つご説明いたしやしょう。まず、和文では、自分の「容姿」に関して言及しておりません。あくまでも主題は「花=桜」でございます。その桜の色褪せを語りながら、「私の心情を勝手に想像してね」っていうスタンスなのでございます。
歌に二つの意味を持たせたため、和文には二つの「時間軸」が重なっているのでございます。ひとつは、桜が色褪せる春の日の数日間という時間軸。もう一つは、若い頃から恋遍歴を重ね今は年老いてしまったという小野小町の人生。桜が色褪せた数日間を自分の人生に投影するという、実に繊細かつ壮大な重ね合わせが有るのでございます。
まだまだ有りますよ~。歌に二つの意味を持たせるため、ところどころ言葉のマジックをしているのでございます。「ふる」は「(時を)経(ふ)る」と「(雨が)降る」の二つの意味が。「ながめ」には「眺め」と「長雨(ながめ)」との二つの意味を含ませております。同音異義語が多い日本語ならではの、「掛詞(かけことば)」というテクニックでございます。
和文、第三句の「いたずらに」という語。この語は、この歌のキーワードなのでございます。英訳でも冒頭に現れた「vain」という単語がそれ。「無駄に」「空しい・儚(はかな)い」という意味でございます。この語が、桜の色褪せを表すとともに、作者の心情も表している。
そして、この「いたずらに」が歌のまん中に配置されているというのも、ミソ。小野小町のニクイ演出でございます。「いたずらに」が、「うつりにけり」に掛かっているのか「世にふる」に掛かっているのかを、はぐらかしている。桜の花も儚いけど、私の人生も儚かったなぁと、「いたずらに」という語が歌全体にベールを掛けるように色づけているのでございます。
和文は、はぐらかしの集大成。一方、英訳は、隠れた主題をいきなり登場させ、オーバーラップされた二つの意味、二つの時間軸は、それぞれ別に書き連ねる。ですので、一文一文の表現や時制は明瞭。余談を挟む余地は無し。まぁ、英語でも”はぐらかした表現”は出来るのでしょうけど、英訳者のピーターさんは、難解な詩になるのを恐れたのかも知れませんね。
長くなっちゃいましたが、いかがなものでしょう? 日本語の表現ってのは、古来から「はぐらかし」の集大成なのでございます。特に「心情を赤裸々に語らず、はぐらかすのが風流」という考え方がございます。一方、英語の表現というのは、ダイレクト。表現がロックンロールなのでございます。
老人を自転車に乗せ、ひたすら雨の日も風の日も走らせ、日本中を何周もさせる、そんな老人虐待の極悪番組(笑)がNHKにございます。「こころ旅」なんていう番組名でございまして、視聴者からの手紙を読み、思い出の地まで自転車で行くという番組でございます。
ワタクシが最初に火野さんを見たのは、子供の頃に見た学園ドラマの生徒役ではなかったでしょうか。「ちょい不良」って感じの役で、何か気になる役者さんでございました。「ちょい不良」って役柄が、「この人、本当に悪い人じゃないの?」と子供心に思ったものでございます。
そして時は流れ、ワタクシの思春期の頃。そう、過敏な過敏な思春期でございます。その時期に、火野正平さん、浮き名を流す話題が連日のようにテレビを賑わせておりました。当時、過敏なワタクシはその報道を見て、「やっぱり、この人、本当の悪人だ! 不潔! 大っ嫌い!!」と反応したわけでございます。
思春期での刷り込みがございますので、その後、時代劇などに出演する火野正平さんを見ても、イメージは最悪。そんな悪いイメージを持ったまま、何十年も時間は経過するのでございます。で、ワタクシは、「こころ旅」で火野正平さんと”再会”するのでございます。
「こころ旅」で疾走する火野さんは、それまでのワタクシの印象とはかけ離れておりました。火野さん自身が年を取られたというのもありますが、それ以上に、ワタクシが年を経て様々な経験をしたからでございましょうね。
動物の様に人を好きになり、本人にも周りにも大迷惑をかけたこともございました。また、犯罪まで犯してワタクシのために尽くし愛してくれた人もございました。相手に迷惑になるからと、ただただ人魚姫のように言葉を飲み込んだワタクシの片想いもございました。
人を愛することに自由で、正直な人なのでしょうね。たまたま若い頃は「浮き名を流す」ということになり、純朴なワタクシにとっては「不潔感」以外の何ものでも無かったのでございます。今、自分の身が穢(けが)れだらけになりますと、その自由さ、正直さが、人としての魅力に見えて来たのでございます。
さて、お話の本題は、ここから(長ぇ前置きだな、笑)。政界、芸能界と、不倫騒動が連発しておりますが、その中のひとり、「斉藤由貴」さんのお話。ダブル不倫とか言われちゃってますが、その斉藤由貴さん、アイドル時代に不倫の歌を歌っているのでございます。
『AXIA~かなしいことり~』という曲。歌詞の内容は、「彼がいたことを言えなかった、二度と会えなくなりそうで」「でも、あなたと同じあの時に、私も恋に落ちたの」「今では、あなたを好き」「でも彼とは別れられない」「それでも、あなたを忘れない」「これから誰を愛しても、ふたりは胸が痛いのね」
と、まぁ、こんな歌詞。いやぁ、ドロドロ。こんなドロドロの歌を、アイドル時代に歌っていたのでございます。でも、曲調は当時のアイドルっぽいコロコロとした可愛い感じの曲。こんなかわいい声で、こんな可愛い顔して、ドロドロの歌を歌わされる。まぁ、その頃のアイドルにはよくある事でございます。
斉藤由貴さんの不倫の詳細は知りませんが、やはり、自由で正直な人なのかも知れませんよ。そして、今も美貌を衰えさせず、青春時代のように自由に生きられる、そんな生き方、女優さんなら許されるかなぁ。むしろ、そんな人に女優をやって貰いたいなぁと、ワタクシは思う次第でございます。ですので、ワタクシ、完全な斉藤由貴擁護派でございます(キッパリ!)。
不倫はさ、個人の問題であって、お仕事をキッチリやっていれば、あまり責める事もないんじゃないの? 政治家でも同じような騒ぎがありますが、やはり仕事で評価されるべきで、不倫騒動で進退問題まで発展するというのは、いかがなものでしょうか? むしろ、人間ぽくって、いいじゃないと、”汚れちまった悲しみ”だらけのワタクシは、思うのでございます。
初対面の学生を集め、4人ひと組のグループを10個つくり、さらにそれを、AチームとBチームに分ける。Aチームには4人で協力して数学の問題を解いてもらう。そしてチーム内で、リーダーを決めてもらう。Bチームは問題は解かず、Aチームの様子の録画を見て、「誰が各グループのリーダーにふさわしいか」を決めてもらう。
ちょいと分かりにくい実験ですが、要は、4人ひと組のグループで、「自分たちでリーダーを決める」のと「客観的にリーダーを決めてもらう」場合の違いを実験したものでございます。そして、次の様な結果が出ております。
・A、Bともに、ほぼ同じ人物がリーダーとして選ばれている。
・必ずしも数学の能力の高い人が選ばれているわけではない。
・一番最初に発言した人が、リーダーとして選ばれている。
・リーダーの最初の提案が、94%の割合でグループの答えとして採用。
「言い出しっぺ」がリーダーになってしまうわけでございます。ただ、その言い出しっぺが、必ずしも能力が備わっているわけではないというのも、注目ポイント。そして、その言い出しっぺの提案が、かなり高い確率で盲信されてしまうという、ある意味、怖ろしい結果が。
「核禁止条約」に、相変わらず日本は参加しておりません。これには「核保有5大国」と言われる、アメリカ・ロシア・イギリス・フランス・中国も不参加。保有国の不参加は当然として、「被爆国の日本がどうして?」という声は、国内外から発せられております。
まぁ、いろいろ大人の事情があるのでしょうね。ひとつには「北大西洋条約機構(NATO)」という軍事同盟。これに加盟している関係で、カナダやドイツは核禁止条約には不参加。あと、「核拡散防止条約」なんてのもございまして、この条約では核保有5大国が特別扱い。そんなこんなございまして、核に関わりの強い国が軒並み、核禁止条約に不参加となっているみたいでございます。
そこで、冒頭の実験を思い出して下さいませ。ここで、日本が「言い出しっぺ」となるのは、非常にまずい。特に実験結果の2行目、「必ずしも能力の高い人が選ばれているわけではない」ということ。そう、国際的リーダー資質の弱い日本が、どうぞ、どうぞとばかりに前面に押し出されてしまうのは、困るのでございます。
つまり、「核禁止条約」には「平和を希求」なんていう甘い理想論で参加は出来ないのでございます。アメリカの核の傘の恩恵を受けている日本。その日本が、もし、言い出しっぺになったら、こりゃ広告塔の様に利用されてしまう可能性もある。核保有国(特にアメリカ)との対立にもなりかねない。そんなことを考えますと、そりゃ「不参加」は、致し方ないですよね。
人々は自信たっぷりな人を積極的に信頼し従おうとします。でも、その人が一番能力があるとは限りません。自信家を盲信して、本当に才能のある人を埋もれさせないように。
「あれ? 海の日ってこんな時期だったっけ?」なんて思いながら日めくりカレンダーを見ますと、「山の日」なんて書いてある。むむ、初耳、いつから始まった? ワタクシの許しも得ず! とまでは思いませんでしたが、ちょいと検索してみたのでございます。
ほほぅ、昨年から始まってるのですか。昨年の同時期、出勤シフトを作っているときに気づいているはずなのですが、その時はスルーしちゃってますねぇ。日々の雑用に追われ、好奇心を失うというの、いけませんねぇ。反省、反省でございます。
ウィキペディアに因ると、当初は8/12の予定だったとか。しかし、この日付、有名な航空機事故の日付と同じ。しかも航空機が山に墜落した日を「山の日」にするとか、実にいろいろな意味で危なっかしい設定。で、8/11に最終決定したそうでございます。
「お盆」と言っても、昔ながらの年中行事を行う人も少なくなりましたしね。ワタクシが子供の頃、「お盆に海へ行くと引き込まれる」と言われ、お盆期間中は海水浴厳禁でございました。今は、そういった事、気にする人はどれくらいいるのでしょうか?
中部地方では、『探偵ナイトスクープ』が金曜日深夜に放送されております。と、まぁ、これは”本場”近畿地方と同じなのでございますが、多分、本場より1ヶ月くらい遅れて放送されております。で、本日の放送が、「童謡『グリーングリーン』を歌うと泣いてしまう女性」からの依頼でございました。
童謡の「グリーングリーン」を歌い始めると、その女性はなぜか涙が止まらないとのこと。どうにか泣かずに歌えるようにならないかという依頼なのでございます。この曲で、どうして泣いてしまうのか、本人にも分からないそうでございます。その泣き方がハンパない。どんな潜在意識が働いているのでしょうねぇ?
ただね、この女性、不思議に思えるでしょうが、ワタクシはちょいと違う。ワタクシも、泣きはしませんが、この曲には暗~いイメージしかない。この女性の反応に、ワタクシは共感しまくりでございました。そして、原因が分からないところも全く同じ。自分と同じ人がいて、少し安心したのでございます。
多分ワタクシは、この曲をNHKの「みんなのうた」で聞いている。記録によると、放送されたのはワタクシが5才の頃。この頃、何が有ったのかなぁ? かなり若い頃からこの曲への独特な感覚を感じていたので、原因は幼少期にあると思うのでございます。「みんなのうた」が怪しいかなぁ?
探偵ナイトスクープに依頼した女性も、原因が全く分からないそうですが、ワタクシも同じ。歌詞はまったく覚えておりませんでしたので、歌詞に反応しているとも考えにくい。メロディーかなぁ? 原曲はアメリカのフォークグループが作曲したとのこと。特に独特な音階が使われてるって訳でもなさそうでございます。
これで思い出したのが、ピアノ買い取りのコマーシャルが流れると、赤ん坊が泣き止んで画面に見入ってしまうというお話。これも、なんか説明がつかないみたいですが、ほんと、実際に赤ちゃんが興味津々で画面に注目してしまうそうでございます。なんとも、不思議、不思議。
「蛍の光」という曲。これはもともとスコットランド民謡。音楽的に言うと「ヨナヌキ音階」の「長調」の曲。ヨナヌキ音階というのは、日本の民謡・歌謡曲・演歌などに広く使われていて、日本とは親和性が高い音階。そして長調というのは、明るい響きを持つ音階のこと。
自分で演奏すると分かりますが、この曲を「暗い響き」で伴奏をつけるのは難しい。いや出来ないことも無いけど、もうほぼ別の曲のようになってしまう。つまり、本来「蛍の光」ってのは非常に明るいメロディーラインの曲なのでございます。
まぁ、興味半分でアイスキャンデー甘酒を購入。食べてみましたよ。印象としては、あまり、美味しく、ないかな...甘酒プチブームに乗っかっての販売なのでしょうが、なんか微妙な味。「どうしてもこれが食べたい」と思うほどではない。森永さん、ゴメンナサイ。
甘酒には、二種類ございます。森永のものは、米麹から作った物。製造過程でアルコールは飛んでしまいますので、完全なアルコールフリー。一方大関のものは、酒粕から作った物。こちらはほんのわずかにアルコール分を含んでおります。
わざかなアルコール分のせいでしょうか、ワタクシは大関の方が馴染みやすいし、毎日飲んでいても飽きない。ただ、ガラス瓶のが大量に溜まっていくというのが、困りもの。資源ゴミとして出してしまえばいいのですが、なんか、もったいないなぁ。
お中元などで頂いたプリンなども、きちんとしたガラス製の容器に入っているものがございます。本当に簡易な容器のものもあれば、底をぶ厚くした本格的なコップ仕様のものまでございます。ああいったものも、もったいないからと取っておいても、あまり用途がない。で、結局捨てちゃう。本格的に作ってある物ほど、もったいない気がする。ウ~ン。
話は変わって、斉藤由貴。なんか懐かしくなって、斉藤由貴のCDをあらためて聴いておりますが、この人の声は可愛らしいねぇ。そして今も、可愛らしいまんまに自由奔放に行動していらっしゃる。そりゃ、医師も惚れるワ。斉藤由貴さんには、変に弁解せず、堂々と不倫を続行して頂きたいのです。
さらに話は変わって、朝までテレビ。田原総一朗氏が「国民には、国を守る義務がある」と言えば、ウーマンラッシュアワーの村本大輔氏が、「絶対に戦争に行くことがない老人に言われても、ピンとこない」と答える。エヘヘ、面白いですねぇ。こういったやり取りが出ることが、この番組の存在価値でございます。結論ありきではなくディベート重視の番組、今では貴重なのでございます。
「国民に国を守る義務がある」と言ってしまうと、徴兵制に繋がる。若い人は反発するでしょうねぇ。ワタクシたちは、警察や消防に自分の平穏な生活を守って貰っているわけで、その恩恵を受けながら警察や消防の存在を否定するってのは矛盾してますよね。同様に、自衛隊のあり方を論議するのは結構なのですが、存在を否定するってのは矛盾だと思いますよ。
当店オープンの17年前は、まだまだフィルムの時代。ユニバーサルフィルムというフィルムを使っておりました。一般のものは「ネガフィルム」というやつで、白と黒が逆(補色)に着色いたしますが、ユニバーサルフィルムは見た目そのままの色で着色するのでございます。と言っても、フィルムそのものを見たことない人が、増えているからなぁ。
で、フィルムですので現像をしなければならない。それも「プロラボ」と呼ばれるプロフェッショナルな現像屋さんに持っていくことになるのでございます。街の写真屋さんは機械による現像・焼き付けですが、プロラボは一枚一枚職人さんの手焼き。手焼きせんべいならぬ、手焼き写真なのでございます。
ちなみにウェブに使うデジタルデータが欲しいときは、フィルムをスキャンしてデータにするという作業がございました。枚数が多かったりすると、気が遠くなるような作業になったのでございます。昔話はこれくらいにしましょうか。
さ〜て時は移り変わり、今では、デジタルカメラが当たり前。ただ、データのもらい方でも、スタジオごとに特色があるのでございます。1回の撮影で数十枚〜数百枚の撮影をするのでございますが、チョイスしたものを「一枚いくら」で購入する場合と、撮影データ全てをもらい受ける場合がございます。まぁ、これはスタジオごとに違う営業方針みたいなものでしょうか。
今回は、撮影データがゴッソリ入ってるタイプ。1人分で200枚以上の写真データが...これを一枚ずつ確認して、どの写真を残すか選んでいくわけでございます。ワタクシの主観、そしてお客さまの男性目線、その両方を考慮するのですが、枚数が多いと、疲れますよねぇ。
撮影データには、スタジオごとにそのスタジオのポリシーというか個性がございます。カメラ吐き出しのデータをそのままくれる所、色を少し補正する所、自動的に修正してくれる所、まぁ、いろいろでございます。うちのお店で使う場合は、あらかじめ「修正無し」をカメラマンに伝えております。
フルボッコという語がございます。意味というか語源は、「フルパワーでボッコボコ」とのこと。そのフルボッコされた後に、「今日のところは、これくらいにしといたるか」と威勢を張るギャグがございます。吉本新喜劇、池ノめだかさんの持ち芸でございます。
ミサイルの国の急な手のひら返しも、正にこんな感じ。裏で何が有ったのでしょうねぇ? まぁ、トランプ氏との言葉のやり取りも、どちらも子供の喧嘩の様な言い合いでして、そのあまりのレベルの低さに、「これは本当の子供の喧嘩なのか? それとも、一般人の計り知れない高度な政治的駆け引きなのか?」と迷うほどでございます。
ワタクシは、ミサイルの国は「狂気」ではないと思っております。ちゃんと「大ごとにならないギリギリの場所」にミサイルを撃ち込んでおります。もうね、ほんと律儀。その律儀さが、中東のテロとは違うのでございます。ある意味、空気を読み、騒いだ後のシナリオをちゃんと考えてる。
この時期に、米国大統領がトランプ氏だったというのは、幸運だったのかも。ミサイルの国の偉い人もトランプ氏も、同じタイプ。ハッタリ上手なのでございます。同じタイプだから、お互いに相手のことがよく分かる。ブラフをかけるタイミング、引くタイミングなど、危なっかしい者どうし阿吽(あうん)の呼吸が出来ていたのかも知れません。
ミサイル騒動、ひと段落するのでしょうか。落ち着いちゃうと、もう「ミサイルの国」って呼べなくなっちゃうかな。ミサイルをあれだけ正確に飛ばす技術があるのだから、その技術をもっと他のことに使えそうなんですけどね。
コンパニオンがスタジオで撮影してきた写真を、選び、オフィシャルサイト等へアップロード、なんてぇことを時々やっております。写真ってのは不思議なもので、見た目通りに全く同じに写る人もいれば、写真と実物がかけ離れている人もございます。写真うつりが良いとか悪いとか言いますが、正にそれでございます。
写真うつりが良い人は、撮影などでもラクチンでございます。無駄になる写真がほとんど無いので、効率的に撮影を終えられるのでございます。撮影後も、使える写真が数多くありますので、選択にも困らない。た・だ・ね、写真うつりが良い人にも、デメリットがあるのですよ。
写真うつりが良いというか、良すぎますと、その写真を見た人に過度の期待を与えるわけでございますね。で、本人実物に初対面。すると、その瞬間、ちょいとテンションが下がる。写真と実物との乖離(かいり)が大きいほど、大きくテンションが下がる。接客業では、この初期のテンション下がりは、その後の接客が重たくなって大変なのでございます。
では、写真うつりが悪い場合はどうでしょう? 撮影は、困難を極めます。見た目は悪くないのに、写真に撮ると、なんかダメ。撮影を重ねていっても、なかなかパッとしない。それで、撮影枚数がドンドン増えていくことになるのでございます。まぐれ当たりの奇跡の一枚を狙うわけでございますね。
写真うつりが悪い人の写真は、それを見た人があまり期待を抱かない。「まぁ、騙されたと思って入ってみるか」くらいのテンションで選ぶわけでございます。すると、その写真より少し綺麗な子が現れると、「ラッキー!」とばかりに少しテンションが上昇。少しの上昇ですが、この最初のテンションアップは、その後の接客を大いにやり易くするのでございます。
当店にいた子で最強に写真うつりの良かった子は、撮影もアッという間でございました。撮影が始まると、自分で4~5回ポーズを変えながら、その都度シャッターは1回ずつ。で、その4~5枚が、全て使えるという効率の良さ。ポチャッとした日舞の上手な子と言えば、ツウの方にはお分かりでしょう。
コンパニオン本人の、写真好き、写真嫌いというのも、かなり関係してまいります。写真嫌いだけど、後に好きになっていく人もございます。写真嫌いな人というのは、レンズを前にしてどうしても緊張するのでございます。その緊張感が解けたとき、急に写真うつりが良くなったりもするから、面白い。
その他に、コンパニオンが自分を美人だと思っているかどうかも影響してまいります。美人なのにブスだと思い込んでいる子。”それなり”なのに美人だと思い込んでいる子、まぁ、いろいろでございます。これも、自分を客観視出来ずチグハグな状態ですと、シックリとした写真にはならなかったりする。
客観視と申しますと、写真を見る際の「男の目」というものがございます。写真を選ぶとき、自分の主観はもとより、「男性がどんな写真を好むか」というお客目線の考え方も出来るコンパニオンが時々おります。意外と、コンパニオンが好む写真と、お客さまが好む写真は、違っていたりするものでございます。
『FRIDAY』、買っちゃいました。写真週刊誌のFRIDAYでございます。壇蜜さんのヌードが掲載とのことで、いそいそと買ってしまいました。まぁ、女性の裸に興味が有るというわけではなく、壇蜜さんの雰囲気というか醸し出すオーラに感服。不思議な魅力のある人でございます。
先日、「声」に関してお話いたしましたが、壇蜜さんの声は決して美声ではない。まぁ悪くいうとカエルの様な声でございます。ただ、あの話し方で、悩殺されてしまう。そして、その話し方に作為がない。だから嫌味がない。天性のものでしょうねぇ。
FRIDAY誌のヌード、5年前のヌードから今年の撮影まで、年を追って順に掲載されております。体型の衰えもございません。羨ましいですねぇ。その壇蜜さん、ただ今36才とのこと。ならば、ワタクシも、女の厄年33才の頃のヌードを披露いたしましょう。今まで、関係者以外には公表しなかった秘蔵写真完全保存版でございます。
「不倫史30年」と称して、これまで掲載してきた数々の不倫激写のいくつかを、再掲載しております。「不倫」は「悪」なんでしょうかねぇ? 確かに、不倫を”された”方は、悲しいですよねぇ、憎いですよねぇ(経験者は語る、テヘ)。逆に、「不倫は文化だ」と言い放った勇者もございます。
「貞操」を辞書で引きますと、「異性関係の純潔を守ること」なんてございます。「純潔」ですかぁ。次に「純潔」を引きますと「性的に無垢なこと」とございます。じゃぁ「無垢」を引きましょう。「身心の汚れていないこと」とございます。ということで、「不倫=身心が汚れている」という結果になるのでございます。
そもそも、不倫であるかどうかの線引きは「婚姻関係」であるかどうかでございます。この「婚姻」っていうのも、人間が作り出した価値観。どうして婚姻という「縛り」を設けたかと申しますと、「相手を独占したいから」ということではないでしょうか? つうことは、婚姻なんて制度は人間のエゴから生まれた制度。じゃぁ、不倫という自分勝手(エゴ)な行動に走ったところで、何を責められましょうか?
屁理屈はこのくらいにしましょうか。自分が不倫をされたときの事を思い出すと、そりゃぁ絶対に許せないと思いますが、でも、引き止めるだけの魅力が自分に無かったという自虐的な考え方も出来る。不倫は身心が汚れているという結果が出ましたが、でも、人を愛しているときの気持ちは、婚姻関係でも不倫でも、「純粋」なんですよね。
芸能界なんて、楽して金を儲けて気持ち良くなろうという人物ばかり(異論は認めん!)。そんな非常識な人達が作り出すもので、ワタクシたちは楽しませてもらっているのでございます。でしたら、芸能人は、思いっきり非常識な方が楽しめるというもの。ワタクシは、芸能人の不倫やトラブルなど、大歓迎でございます。それくらいはみ出している人の方が、面白いものを作れると思いますよ。
お店の携帯電話の機種交換のため、栄のドコモショップへ行っておりました。オアシス21の真下にあるショップでございます。すると、ドコモのすぐ近くに、レゴショップが有るじゃぁござんせんか。さっそく、入ったのでございます。
何でしょうねぇ、こういうお店はワクワクいたします。携帯電話が新しくなったというハイテンションも手伝っているのでしょうか、目を輝かせながら物色しておりました。ショップの一番奥に、何やらデッカイ箱が。持ち上げると、ズッシリと重い。パッケージにはポルシェ911らしき姿が。
ポルシェのスポーツカーをレゴで再現した製品でございます。値段が3万円以上。箱を抱えておりましたら、店員がいそいそと近づいてまいりました。まぁ、どこのお店でも、お化粧をしておりますと店員の愛想は良いもの。逆に、スッピンだったりすると、店員の警戒心はマックスに。本日は、ちゃんと化粧をしておりました。
店員と、少し会話。「パッケージの写真は実物大ですよ」なんて教えていただきまして、ちょいと心が傾きましたが、何とか衝動買いの悪魔をなだめまして、スルーいたしました。買って、作っても、置くとこ無いですからね。
バタバタしております。新人さんが入店するというのは、ワタクシが非常に忙しくなるのでございます。その新人さんが、2日続けて入店しましたので、ワタクシの忙しさマックスでございました。まぁ、その内の1人は、このお仕事に向いていなかったようで、3日目に退店となってしまいました。
当店は店舗型ということで、お仕事をやる上で店内に細かいルールがいろいろございます。それは、お客さま同士がはち合わないためとか、シャワーのロスタイムを減らすためとか、複数のコンパニオンが同時進行で接客しておりますので、それを円滑にするためのルールがいろいろ有るのでございます。
ワタクシは、デリバリーというのはほとんど経験がございません。ですので、デリバリー店のやり方は疎いのでございますが、コンパニオン同士が交錯するということがございませんので、店舗型の当店に比べると、いろいろルールは大ざっぱなのかもしれません。
このお仕事に未経験の人ですと、そういった細かいルールは教えやすいものでございます。他のお店でお仕事をしている人ですと、ちょいと難儀したりいたします。他のお店でのやり方が体に染みついておりますからね。他店でバリバリやっていた人ほど、そういうものが固まっているものでございます。
その他店のやり方で、うちでも何ら支障が無ければ、ワタクシとしても構わないわけでございますね。本人のやり易いようにやっていただければいいのでございます。ただ、店内の流れ的に支障が出るようなことですと、そこは注意なり指導をすることになる。このさじ加減、意外と難しいのでございます。
ワタクシの価値観で「ダメ」と思っていても、本人がそれでうまく行っているのなら「OK」とすべきでございますよね、本来は。でも、ここで、「自分の価値観のお仕着せ」をやらかし易いのです、指導的立場の人間は。ですので、「受け流す」「飲み込む」「妥協する」なんてことを散々強いられるのでございます。
注意をしてから、「あぁ、余分だったな」なんて思うこともしばしば。また、逆に、初期の段階で中止をしそびれ、後々になってそれが大きな歪みとなることもございます。最初に何も言われなかったことが、本人にとっては「OKサイン」になってしまうこともあるのでございます。
グアムの観光収益が、ジワジワと増えているそうでございます。ミサイル騒動は逆風とはならなかったみたいですね。トランプ氏、「世界中に有名になったグアムは、収益が10倍になる」と豪語いたしましたが、当たらずも遠からずなのでございます。
ここで、トランプ氏の発言「世界中に有名になった~」という部分、これがチョイト気になるのでございます。日本でこそ非常に有名な観光地「グアム」でございますが、実は、アメリカではあまり知られていなかったようでございます。アメリカ領グアムなのにね。
グアムへのミサイル爆撃騒動を完全にハッタリと決めつけ、逆にこれをビジネスチャンスと考えるトランプ氏の思考は、さすがビジネスマンとして巨富を蓄えてきただけのことはございます。今までにそんなハッタリ商売を散々やってきて、かの国のハッタリもあっさり見抜いていたのでしょう。
そのアメリカ、人種差別で大騒動しております。そもそも、トランプ氏、立候補の時に人種差別発言で揉めておりますしね。この問題も、トランプ氏はビジネスチャンスと捉えているのでしょうか? アメリカで根強い人種差別問題を、どう解決へ導くか興味津々でございます。
アメドラ(アメリカのドラマ)では、登場人物の中に必ず、男、女、白人、黒人、ラテン系、アジア系」が盛り込まれております。何か取り決めでもあるのでしょうかねぇ。これも、根強い人種差別意識への対処なのだと思います。ドラマでこれをやらなければならないほど、根強いのでございます。
黒人の大統領が誕生した際、アメリカの人種差別はひとつの転機を迎えるかと思われました。しかし、相変わらずの本音と建て前の複層構造に変化はなかったのでしょうね。で、トランプ氏就任。トランプ氏が、その隠されていた本音の膿(うみ)をほじくり出してしまったということでございます。
この差別問題を、日本に当てはめて語るのは、難しい。どんな書き方をしても、誰かを不愉快にしそうなのでございます。アメリカの黒人差別は、奴隷制度という因襲を引きずったもの。支配・被支配という関係が生まれると、差別も生まれやすいのでございます。
日本では、黒人に対する差別は、あまり無いように感じております。欧米の植民地政策の影響をあまり受けていないからだと思います。逆に、日本が行った植民地政策では、中国、韓国に大きな因縁を作ってしまっております。ただ、東南アジアにはそのような因縁が出来ておりません。
今日は、名前のお話。新人さんが入ってくると、名前を考えなければならないことがございます。入店前からガッチリ名前を決めてきている、あるいはすでのその名前を使っているという場合もございますが、この業界初めてだったりすると、入店後に考えることになるのでございます。
当店は、下の名前だけではなく名字も出来るだけ付けるようにしております。ネット検索でヒットしやすいとか、他のお店の同名の子との区別化などもありますが、そもそもニューハーフ業界というのは、古くから、狭い業界でありながら営業活動は全国区という特殊な業種でございまして、その影響か、昔から名字をつけるのが当たり前でございました。
で、新人さんに名前をつけるにあたって、本人の希望を聞いたりいたします。ここで、候補がいくつか挙がるようでしたら、作業は順調、すぐに終わるのでございます。が、しかし、時々、まったく希望が無い、思い付きもしない、という人がいらっしゃいます。こういった案件は、作業は困難を極めるのでございます。
まず、本名をもじるというソリューション(解法)を試すのでございます。でも、地元出身だったりすると身バレの心配がございますので、このソリューションは使えません。次に試すのは、好きな歌手・女優などを聞くこと。その好きな人の名前をもじるわけでございます。
ここで、或る傾向がございます。自分の源氏名(お店での名前)に全く感心の無かった人は、女優とか音楽にも全く興味が無いことが多いのでございます。普段聴く音楽とか、最近気になったドラマとか、何を聞いてもニャンニャンニャニャン、ニャンニャンニャニャン、泣~いてばかりいる...いや、泣かしたりしませんけどね(笑)。
こうなると、名前を決める取っかかりをかなり失うのでございます。本人をじっと見て、「誰に似てるかなぁ」と思いを馳せるわけでございます。で、その似てる人の名前をもじったりする。名前とイメージが近いと、覚えてもらいやすくなるのですよね。
でも、そう都合良く誰かに似ていたりもしない。ここで、究極の荒技! 「CityHeaven(月刊誌)ランダム抽出ソリューション」でございます。CityHeavenのページをパラパラパラパラとめくりまして、ランダムに指を差し込む。その指が指したところの名前を選ぶのでございます。
まぁ、なんだかんだ有りまして、名前が決まったりするのでございます。この「音楽とかドラマにまったく興味が無い」っていうのを、お店の外のある友人に話したことがございます。すると、「テレビも見ないし、音楽も聴かないんでしょ」と軽い返事。ふ~ん、そういう人が増えてるのかなぁ?
また別の人にこの件のお話をして、「憧れとか無いのかなぁ」とワタクシが話しますと、その人、「憧れは無いけど『こうなりたくは無い』というものは有りますよ」なんて返事が帰ってまいりました。やはり、現実的な人が増えてるのかな。
そうそう、ワタクシの不思議な名前を決めるときのお話を最期にいたしましょうか。東京で風俗デビューした際、店長に「名前を決めて下さい」と言われた訳でございます。名古屋で大尊敬していた先輩の名前「薫」は使いたかったのですが、名字が浮かばない。
フルートでございます。白いフルート。樹脂製。「nuvo」という海外のメーカーの楽器でございます。このメーカー、他にもクラリネットやサクソフォーンなども樹脂で開発しております。本来、金属や木製で作られる管楽器を樹脂製にすることで、軽く、扱いやすくなり、主に子供向けに販売しているメーカーでございます。
この白いフルートは、「Student Flute」という名前でして、学生さん向けなんでしょうね。この製品の他に、子供が持ちやすいように頭部管を曲げてコンパクトにした「jFlute」というラインナップもございます。「Student Flute」が実売価格¥15,000程度。「jFlute」が¥12,000程度ということで、初心者向け金属製フルートの5分の1程度の価格ということになりましょうか。
さぁさぁ、では、ワタクシのフルートコレクションを、ひけらかし...いや、いや、紹介いたしますよ! 最初にフルートを購入したのは中学生の時。「ムラマツ」という日本のメーカーのもの。アルバイトしながら36回払いで購入した覚えがございます。それが、これ。
中学・高校・音大入試(失敗)・バンド活動と、ほんと使い倒したフルートでございます。これまでに2回ほどオーバーホール(分解して再調整すること)いたしまして、今でも現役のバリバリ。その後、バリ、じゃなかった、バブルの頃、この楽器がバージョンアップされることになるのでございます。それが、これ。
フルートの頭部管のみ。大仰なケースに入っております。貴金属をあまり買わないワタクシですが、この頭部管はYAMAHAの純銀製。フルート本体が1本買えてしまうほどの価格でございました。このYAMAHA製の頭部管が、ムラマツの本体に合体したわけでございます。メーカーが違うのにピッタリ合うというのは摩訶不思議。ですが、合ったのでございます(YAMAHA名古屋店の工房で、調整はして貰いましたけどね)。
「普通のフルートじゃん」と思われますよね。月日を経て、普通のフルートに成り下がってしまったのでございます。実はこのフルート、購入時は金色をしておりました。もちろん価格的に本物の金で無いことは分かっておりましたよ。なんか、人前で格好つけたくて購入したのですが、カチャカチャと安っぽいので、あまり使ってはおりません。
このフルート、写真を撮ろうと20年ぶりくらいでケースから出しましたら、見事、表面の金色が無くなっております。どこかに痕跡が残っていないかと、グリングリンと見回しましたが、綺麗に消えてる。「メッキが剥がれる」とはよく言いますが、見事、表面のメッキが“蒸発”しております。安っぽいフルートではございましたが、ちょっと寂しいのでございます。
ガラス製のフルート。これはねぇ、メカニズムが付いておらず、ガラス管に穴が開いているだけ。それを指で塞ぐのでございます。外国製なのですが、手の小さいワタクシには、全く指が届かない。手の大きい外国人でも、これを演奏するのはかなり大変かと。音はね、ガラス瓶の口を吹くと「ボー」とか「ピー」とか音が鳴るでしょ、あんな感じ。やはり、オモチャ的な楽器でございます。
全部を並べてみましたよ。う~ん、壮観。で。最初に紹介した白いフルートの感想を、お話しいたしましょうか。なんかね、レスポンス(反応)が悪い。車でいうと重い車体に非力なエンジンが付いている感じ。速い動きに音が付いてこず、演奏していて重た~い。金属製や木製の楽器ですと、使っているうちに楽器が馴染んでくるということがありますが、樹脂製ですと、どうなんでしょうねぇ。
やはり、金属製の本物のフルートと比較しますと、その演奏性は歴然と違います。「Student Flute」という名称ではございますが、本格的にフルートを勉強しようという人には、勧められないですねぇ。でも、他の楽器をやっていて、遊び程度に演奏するというのには、オススメの価格ではないでしょうか。あと、高校野球の応援では重宝するかも。炎天、雨、これらの影響を受けにくいですからね。こんなこと書いて、メーカーの人、ごめんなさい。
エヘヘヘヘヘ、ワタクシ、昨日は、大きな間違いをしておりました。「メッキが“蒸発”」なんて申しましたが、後から、「跡形もなく消えるかなぁ」と不思議に思っていたわけでございます。それでね、「もう1本、どこかに有るんじゃねぇか?」と思いまして、自宅の大捜索でございます。
金色に光っておりますねぇ。汚れてますけど(笑)。メッキなのか塗装なのかは分かりませんが、金色的な輝き、残っております。手に持ってみますと、表面にサビが。なんか緑青(ろくしょう)みたいなのも出てるし、いったい、このフルートは何で出来ているんだ! って感じでございます。
いやはや、壮観ではございますが、では、昨日、間違えたフルートは何だったのか? な~んとなく思い出したのは、東急ハンズでフルートを買った覚えが有るような無いような。なんかね、ハンズで只同然で叩き売られているフルートがございまして、不憫に思って買い取ったような気がいたします。
引き取っておきながら、そのまま忘れてしまうというのも失礼な話。いやはや、お恥ずかしい限りでございます。ピアノの上に置きっ放しにしたまま、それを「金色」といつの間にか思い込んでしまい、放置してしまったということでしょう。放置されたフルートさん、ゴメンナサイですです。
マラソンに何の意味があるのかは分かりませんが、人選は無難でございましたね。ブルゾンちえみさん、綺麗に完走されておりました。時々、「こんな人を走らせたら、死んでしまうぞ」と心配になるような人選もございますからね、あの番組は。
「感動ポルノ」と批判されているこの番組、その影響なのか、今回は可もなく不可もなしという無難な内容に徹していたように感じられます。イモトの槍ヶ岳登頂が気になってチラチラ見ておりましたが、気がついたらいつの間にか終わっておりました。この登頂企画の人選も、やはり無理の無い人選で、大きなトラブルもなく、登頂できたのでしょうね。
ただね、「笑わせなければいけない」「感動させなければいけない」と拘りすぎですよね。もっと坦々と進めればいいと思うのですが。それとも、たとえチャリティの番組でも、視聴率を出さないと誰かが怒られるのでしょうかねぇ。
キリスト教の影響でしょうか、アメリカの企業は寄付に関しては進歩的でございます。というか、企業でも個人でも、「寄付をする・寄付が出来る」というのがステイタスシンボルなのでございますよね。株主も文句を言わない。ですので、多くの図書館のような公共施設や非営利団体などが、企業からの寄付金で運営されております。
日本だと、株主がうるさいのでしょうかねぇ? 企業が「宣伝を兼ねて」という形で24時間テレビの様な番組に寄付を行うという手もございますが、それだと「売名行為」という批判が必ずついて回る。宗教観、倫理観の違いなのでしょう。
営業時間が終わると、お店の電気を消したり、カーテンを開けたり、足ふきマットを干したりということをやるわけでございます。お店がそこそこ広いので、一部の片づけをコンパニオンにお願いしております。今日は、それにまつわるお話。
責任者として、すべてが片付いた後に店中を見回すのでございますが、少し前から、ある異変が始まったのでございます。夏の夜の怪奇現象...ドロドロドロドロ~~というわけではございませんが、ある場所の足ふきマットが干されずに残ることがあるのでございます。
その場所には大小の2枚のマットが敷いてあり、時々、小さい方だけ残っている。大きい方はきちんと干されているので、明らかに意図的に小さい方を残しているのでございます。で、それが、毎日ではなく、「時々」なのでございます。単なる「うっかり」なのでしょうか、それとも、何かしらの要因が働いているのか、はたまた怪奇現象か!
さっさと、種明かしをいたしますね。コンパニオンの中に、お店でシャワーを浴びてから帰宅する者がございます。シャワーを浴びるときに足ふきマットが欲しいということで、お店の片づけの際に「小さなマットだけは残す」という慣習が出来上がってしまったのでございます。
もちろんそのコンパニオン、自分が帰宅する前に責任を持ってその小さいマットを干してくれておりました。そのコンパニオンが休みの時は、他のコンパニオンがその事情を知っておりますので、大小両方のマットを干してくれておりました。
何も問題が無いように見えますよね。ただ、ここに新しい要素が加わると、流れが変わるのでございます。当店はここ数ヶ月、新人ラッシュを迎えております。それまでの事情を知らない新人さんが片づけに加わりますと、小さなマットが残されているのを見て、「これは残すんだ」と覚えてしまうのでございます。
シャワーを浴びて帰るコンパニオンが出勤の日や、あるいはそのコンパニオンが休みの日でも複数の人で片づけを行った場合は、大小のマットは両方とも干されることになり、問題なし。問題が発生するのは、事情を知らない新人さんだけで片づけを行ったときでございます。「残す」と覚えておりますから、当然小さいマットだけ残してしまうのでございます。
さて、ワタクシは、こういった「現場だけのルール」「個人で勝手に決めたルール」を『ローカルルール』と言っております。ローカルルールが生まれるのは、お店的にあまり良くないことで、見つけ次第、注意して無くさせております。
なぜいけないか? それは、ローカルルールは増殖していくのでございます。見逃していると、「現場だけのルール」が少しずつ増えていき、いつしや現場ではローカルルールなのか最初からの取り決めなのか分からなくなってしまうのでございます。そして、新人さんのような新しい要素が入ってきたときに、「事故」が起きる。あぁ、嫌な言葉ですねぇ、事故。
ローカルルールの恐いところは、それがきちんと機能している間は、管理者から見えないことでございます。このマットの件も、新人さんが入って来たからこそ発覚したこと。管理者から見えないので、事故を予測できないという怖さがございます。
今回はマットを干すかどうかですので、事故といっても大したこたぁござんせん。が、しかし、もし、戸締まりや、火の始末、水回りなどに関するローカルルールが発生していたら、お店としては一大事。目に見えない時限爆弾を店内に抱えているようなものでございます。どうでしょう、ローカルルールの怖さ、伝わったでしょうか?
足の小指をぶつけると、何であんなに痛いんでしょうねぇ。それを、昨日の夜にやっちゃいました。ベッドの角にしこたまぶつけまして、叫びながら転がり回るような痛さ。ただ、この時、ちょっと痛みが激しすぎるような気がしたのですよね。
そして、夜、恐る恐る足の小指を触ってみたのでございます。痛みはかなり和らいでいるが、触るとやはり痛い。優しく小指をつかみ、ゆっくり関節の動く方に動かしてみたのでございます。すると、その動きでは全く痛みは感じない。ここで、ひと安心、骨は無事のようでございます。
小指の爪がやや赤黒くなっているのを見つけ、爪の下で内出血か何かしているのだろうというのが、素人の最終診断でございます。左足の小指ということで、大きなお腹が邪魔をして、しっかり目視出来なかったので爪の変色に気づかなかったのでしょうね。
ワタクシが「骨にヒビ」を疑ったのは、そのヒビが入ったときの痛さを経験しているからでございます。小学二年生の夏には左手の親指を。人混みの中で、グキッとなっただけでヒビが入りました。その翌年は、ガレージの鉄製の扉に左足を挟まれ、やはりヒビが。
さらに怪我は続きます。その翌年は、プールで転び、右足を負傷。ただ、この怪我が何とも不思議。まったく外傷は無いのに、激しく痛む。「これも骨か」と慌てて病院へ。骨には異常なし。足の親指の爪の下に、うっすらと砂が見えている。どうやら、転んだ際に一瞬爪が浮き上がり、砂が入り込み、そのまま爪が閉じてしまったようでございます。
これは、爪に穴を開けて砂を取り出すという、ちょっとした小手術。鬼医者、最初、麻酔なしでやろうとしたのでございますよ。「爪だから、切っても痛くないし」くらいに思ったのでしょうが、ワタクシは「痛い、痛い」の大連呼。鬼医者、渋々、麻酔を打ってくれました。この時のやり取り、鮮明に覚えております。
「心の傷は?」と問われますと、心の傷は、大人になってからの方が多いですねぇ。子供の頃は、他人の心を傷つける方が多かったように記憶しております。大人になりまして、そんな子供の頃の思い出が、沈殿物が浮き上がるように思い出されてくるのでございますよね。で、落ち込むと。
またまた、ミサイルの国のお話。とうとう、頭上を飛び越えていきましたねぇ。ワタクシ、「大ごとにならないギリギリの所に落としている」なんて申しておりましたが、ほんのチョットだけ大ごとになったのでございます。
頭上をかすめた東北地方では、アラートが鳴り響いたとのこと。で、「鳴ったからって、どうすればいいの?」という声もまた日本中で鳴り響いております。そう、アラートを鳴らされても、どうしようもないのでございます。
今回のミサイルは、弾道が3つに分かれたとのこと。ふむふむ、清く正しい弾道ミサイルの姿でございますね(不謹慎、失礼)。ミサイルの大きな固まりが飛んでくる分には迎撃も少しはやり易いってもんですが、頭の爆弾の部分(弾頭)だけが飛んでくるっていうのは、こりゃ打ち落とすのが難しくなるわけでございます。
ひとつのミサイルに3~5個の弾頭が入っておりまして、その内の何個かはダミーでございます。迎撃する側からすれば、どれがダミーでどれが本物の爆弾かは見分けがつきませんので、目標を定めにくい。しかも、全てを打ち落とすほどには迎撃ミサイルを用意できない。必然的に、数発のミサイルを同時に打たれたら、全てを迎撃するのは不可能になるのでございます。
弾道ミサイルという名称から分かるように、大砲の弾のような軌道を飛んでまいります。ミサイルが加速するのは、ドンッと打ち上げた最初の数分間だけ。そのあとの軌道のほとんどは、惰性による放物線を描くだけでございます。
ですので、最初の燃焼時間が終わると、その後の軌道は計算しやすいということ。日本政府が「動きを完全に把握していた」と言うのも、この弾道ミサイルの(比較的)単純な軌道ゆえでございます。多分、日本の領空に達する前に、日本国内には落下しないというのは分かっていたはず(ここ重要)。にも関わらず、大げさなアラートを鳴らすというのは如何なものかと思うのでございます。
ミサイルの国のドン、愉快犯のような性格ですから、日本が騒ぎ立てるというのは逆効果でございます。案の定、そのドン、「日本が慌てふためく作戦で...」なんて発言をしております。アラートを鳴らしまくっている日本の姿、面白かったでしょうねぇ。
で、冒頭の話題、「アラートを鳴らされたところで、どうすればいい」という問題ですが、まず、政府が闇雲にアラートを出し過ぎ。頭上を通過するだけなら、いちいち鳴らすな! 些細なことで鳴らしていると、本当に危ないときのアラートに緊迫感が無くなるのでございます。アラートは「頭の上に落ちてくるときだけ」鳴らすべき、でございます。
さぁ、では、アラートが鳴ったら、どうするか! まず第1に「諦める」ことでございます。十分遠くへ逃げる時間はございません。諦めた上で、最大限の防御をするのがよろしいかと。どんな爆弾が積まれているかは分かりませんが、とにかく地下に非難するのが一番。昔なら防空壕、今風の名前ですとシェルターですね。ビルの地階や地下街でも大丈夫でしょう。
アラートを鳴らすだけでどう対処すれば良いかの説明をしない政府は、実に片手落ち。まぁ、初めての経験で、どうすれば良いのか分からないのでしょうね。結局、現状の「Jアラート」という物が、「政府はこれくらい頑張ってますよ」というアピールの道具にしかなっていないのが残念でございます。