店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
先日のバラエティ番組で、第二次世界大戦直後に、広島に家を建てようと尽力したアメリカ人がいることを知ったのでございます。フロイド・シュモーという人だそうです。アメリカで募金を集め、賛同者を募り、日米の政府を説得し、原爆投下の4年後に最初の2棟が完成したそうでございます。
話は変わって、ハワイの真珠湾に、アリゾナ記念館という施設がございます。日米開戦のきっかけとなった場所でございます。その記念館に、折り鶴が展示されているそうでございます。広島で被爆し、12才で亡くなった佐々木禎子さんが病床で折った、実物の折り鶴でございます。
その折り鶴の展示には、やはり原爆投下に縁の有るトルーマン大統領のお孫さんが、尽力されております。リメンバー・パールハーバーを掲げて建てられたアリゾナ記念館は、今やそのテーマを「パールハーバー・トゥ・ピース」「融和」へと大きく転向しております。かたや、広島の原爆資料館も、今や「平和記念資料館」と名前を改めております。
戦争の起点となった場所、終結となった場所、その二つが折り鶴で繋がり、かつ、惨状を訴える施設から平和を希求する施設へと、どちらも変貌を遂げております。また、シュモーさんの家、アリゾナ記念館の折り鶴、日米の多くの賛同者の「融和」が有ってこそ、こういったものが実現しているのでございます。
日本は「因果応報」「自業自得」の思想が根強いですので、他者を責める前にまず自らを責める傾向がございます。しかし、アメリカ人はそういう考え方はいたしません。「やられたらやり返す」の思想。だから、当然、「日本は謝罪と賠償を求めているはず」と考える。
原爆投下という史実を平和を希求するための礎(いしずえ)とし、日米の融和が有り得るとしたら、まず、日本人とアメリカ人のこの間隔の違いを埋める必要がございます。そのための第一歩。昔から議論されてきている、次の話題に終止符を打つべきでございます。