店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
トランプさんが、パリ協定から離脱するウンヌンの騒ぎを起こしております。な~んかね、FBIの件で突っつかれておりますので、話題そらしの感も否めませんが、まぁ、選挙前の公約でも言っておりましたから、本気なんでしょう。
マスコミはこぞって「地球温暖化問題に逆行」と騒ぎ立てておりますけど、アメリカにはアメリカの事情が有るでしょうしねぇ。と、まぁ、ワタクシがちょいとトランプ寄りの考え方なのは、京都議定書とかパリ協定に「?」と思っている部分があるからでございます。
排出量の計算って、出している部分だけしか計算しませんよね。しかし、広大な森林は大量のCO2を吸収いたします。これは、計算に入れないのですよね。アメリカ・中国なんてのは排出量も多いけど、広い原生林を考慮に入れたら、どうなるのでしょうねぇ。もっとも、これやると、日本はかなり不利になりますけどね。
あとね、排出権取引なんてものがありまして、排出権を商品のように売り買いしちゃってる。これが有るためにボーダーラインを思いっきり下げられますので、まぁ少しは効果は有るとは思うのです。しかし、発展途上国が排出権を買って貰うために目をウルウルさせながら日本にすり寄ってきているような気がして、どうも気分が悪いのも事実でございます。
政権交代時に、「CO2を25%削減!」なんて格好つけちゃった人がいましたけど、あれを喜んだのは多くの発展途上国。絶対不可能な数字ですからね。当然、発展途上国で余っている排出権を日本は買いまくることになる。発展途上国にしてみれば、棚からぼた餅。国連の会議場で、小躍りして喜んでいる発展途上国の代表らの姿、今だに覚えております。
中国は、まだまだ排出を下げられるでしょうが、日本とかアメリカは、すでに最新の技術を導入しまくってギリギリまで下げている。この状態からさらに下げるというのは、コストばかりかかって実に現実的では無い。というので、トランプさん、強権を発動したのでしょうねぇ。いや、ほんと、分からんでもない。日本も格好つけないで、恥も外聞も脱ぎ捨て、「無理!」って叫んでもいいと思う。
南スーダンに派遣されていた自衛隊の方々が、戻っていらっしゃいましたね。もうね、本当に頭が下がります。ご苦労さまでした。これも町内会のお付き合いみたいなもの。「自衛隊」と名が付く組織が、他の国の平和のために駆り出されるというのも、皮肉なものでございます。
「パリ協定を脱退する」って言えちゃうトランプさんが、ほんと羨ましい。ワタクシ、本音を言うと、南スーダンなんて放っておけばいいと思うのでございます。すぐ隣で毎週のようにミサイルが打ち上がり、中国の潜水艦や戦闘機がわがもの顔で近づいてくる。南スーダンの人々には申し訳ないと思いますが、そんなところの治安に関わっている場合ではないのでございます。
思い起こせば、湾岸戦争。あれが、ターニングポイントでございました。町内会長が「アンタも、ドブ掃除、参加しなくちゃダメよ!」と日本に言ってくる。でも、日本の憲法では、自宅のドブ掃除しか許されてない。で、「家庭内のルールで、参加できないの、お金出すから、許して」ってやったら、もうね、町内会中からバッシングの嵐。
次のターニングポイントが、アメリカのイラク侵攻。ワタクシはハッキリと「侵攻」って言っちゃいますよ。だってあれは、9.11に対する報復戦争ですから。「大量殺戮兵器が有る」ってでっち上げて、殴り込んだんですから。まぁ、でっち上げは満洲事変で日本もやらかしてますから、あまり突っ込めないのですけどね。
さぁ、このイラク侵攻で、日本はお人好しをやっちゃいます。家庭内ルールを変えてまで、ドブ掃除に参加しちゃったのでございます。でも、「ドブを直接触れないので、お茶を出したり、後始末とかやるね」と、お嬢様の様な発言。しかし、ここらあたりから、テロ組織の日本に対する認識が変わってきたのでございます。
かつてはアメリカに戦争を吹っかけ、中東問題に関してもいたって中立を守ってきた日本は、テロ組織にとっては「標的外」でございました。ところが、このイラク侵攻あたりから、標的の対象となっちゃった。アルジェリアでは日本の企業が標的になり、日本人も犠牲になっております。
ワタクシの妄想でございますが、アメリカのイラク侵攻、あれは、日本は頑なに関わりを断って欲しかった。当時、「大量殺戮兵器ウンヌン」の話は出ておりましたが、どう見ても報復にしか見えなかった。アメリカの報復に、日本は荷担しちゃったのでございます。
もし、当時の日本の首相がトランプみたいな人なら、厳として断っていたかもしれません。そしてら、どうなっていたでしょう。日本は世界中からバッシングでしょう。外交や貿易で、不利や不平等なことが起きるでしょう。でも、それは「日本が戦争を回避した代償」として、受け入れなければならないのでございます。
まぁ、そんなことは起きなかったわけで。でも、今の日本人は、この「代償」を忘れている。そう、「戦争に参加した代償」があれば、「戦争を回避した代償」も有るのでございます。この世に戦争が存在する限り、参加・不参加どちらの道を選んでも、必ず「代償」はある。その覚悟が、必要なのでございます。
今後、また自衛隊が海外に派遣されることが、あるでしょう。それに関して、賛否両論出るのは当たり前。でも、どんな道を選んでも、必ず「代償」が発生する。賛成する人も反対する人も、その代償を無視して議論してはいけないのでございます。
そして、代償と言えば、自衛隊員の死傷者。まだ海外派遣で「戦死者」は出ておりません。戦闘地域へ行ってないという前提ですから、そういう扱い。でも、事故とか自殺などでの死亡は起きております。ここで、新たなるターニングポイントが発生する杞憂がございます。
日本中のサークルKが、次々とファミリーマート化しております。吸収合併に伴い、店舗の看板まで変えちゃおうということで、街中がファミリーマートだらけになりつつ有ります。お店の近くのサークルKも、つい数年前に大改装をしてリニューアルしたのですが、今回の看板差し替え騒ぎに伴い、また新たなる大改装をしております。なんか、大変ですね。
ただね、新しいコンビニが出来たりすると、「どんな品揃えかな?」なんて興味本位に覗いたりいたします。コンビニ内をブラブラしているだけで楽しいワタクシですが、お店の人からは不審者扱いされてるかも(笑)。そんなコンビニ新店探訪にて、またまた、興味深い商品を見つけたのでございます。
「パクチーチップス」そして「きざみパクチー」。ちょいと前にワタクシが、パクチー味のポテトチップスのお話をいたしましたが、食品メーカーの開発部は、ワタクシのコラムをチェックしているのか!、と思えるようなタイミング。まぁ、そんなことはないでしょうけどね。ただ、今、世間一般的に軽いパクチーブームのようでございます。
以前ご紹介したのは、「パクチー味」のポテチでしたが、今回のは、パクチーそのもののチップス。製造者の欄には香川県のとある有限会社の名前がございます。地方の小さな工場で、細々と作っているのでございましょうか? 原材料も、パクチーの他はデンプンと調味料・香料の類だけ。まさに、パクチーだけでチップスにしている様でございます。
もうひとつ、「きざみパクチー」。こちらは、由緒正しきヱスビーの製品。お馴染みのチューブに入っております。ヱスビーがこれを作るということは、巷のパクチーブーム、まぁまぁ高まっているのでしょう。ただ、「柚胡椒」とか「食べるラー油」の時と同じ空気を感じてはおりますけどね。
では、実食! ただね、今、ワタクシの体調、最低。鼻づまりで香りは分からない。そんな体調ですが、食べてみましたよ。チップスの方は、うん、確かにパクチー。そのパクチーが口の中で粉々に砕ける。う~ん、口内が騒がしい。粉々のパクチーが、口内中に張りつく。水分で流し込みながら食べないと、ちょいと大変かも。
きざみパクチーのパッケージには、そうめんに、唐揚げに、冷や奴やお鍋の薬味に、餃子やチャーハンの下味にと、用途が紹介されております。指先にちょろっと出してなめてみましたが、やはりこれだけではエグイ。これも、食事の際にいろいろ試してみるのでございます。
今回は、パクチー商品の紹介でした。実食してみたものの、体調が悪くて、ワタクシがパクチーを受け入れられる状態ではございません。体調が戻りましたら、またいろいろ試してみましょう。名古屋薫のパクチーへの戦いは、続く。
吉田鋼太郎さん曰く、「(演技をするに当たって)ギリギリまで使ってしまう」とのこと。アナウンサーの有働由美子さんが「リスクヘッジとか考えないのですか?」と問いかけますと、「20%残したりすると、残しているのが気になって楽しめない」という返事が返ってまいりました。
有働さんの言うリスクヘッジってのは、まさしくプロ的な考え方ですよね。いかにもNHKのアナウンサーって感じでございます。吉田鋼太郎さんは「楽しめない」と発言。これも、引退直前の浅田真央さんが「スケートを”楽しむ”こと」に拘っていたのと重なって、面白いのでございます。
ギリギリまで使うと言っても、やはりお仕事ですから必ずどこかでコントロールされているわけで、本当のギリギリではないと思いますよ。でも、鋼太郎と有働さんのお仕事へのアプローチの仕方の違いが、興味深かったのでございます。
iPhone でお馴染みのアップル社が、年に一度、基調講演(WWDC)というものを行っております。それが、本日の深夜。ウトウトしながら、アメリカからの同時中継を見ております。新製品がこの基調講演で発表されることが多いので、世界中が注目するわけでございます。
ここのところずっと、アップルはモバイル系にウェイトを置いております。iPhone、iPad 、ノートパソコンなどは定期的に新製品を投入しておりますが、据え置き型のコンピュータは、かなり放置プレイ。この秒進分歩の時代に、2~3年放置される機種も珍しくございません。
コンピュータの世界が大きくモバイル系に移行しているのは、お店のホームページの閲覧でもよく分かるのでございます。アクセスされる機種の7~8割がスマートフォンでございます。もはや、PCからネットを見るという人は、少数派なのでございますよね。
それとですねぇ、もうひとつ注目なのが、もはやスマートフォンの方がPCよりも画面が細かいという現実がございます。画面というのは細かい光の点の集まりなのですが、PCの大画面よりもスマートフォンの小さな画面の方がその光の点の数が多くなっている。逆転しているのでございます。
昔は、PC用にはサイズの大きな画像を用意し、携帯電話には軽い小さな画像を用意するのが当たり前でございました。しかし、今は、スマートフォン用にもPC用とほぼ同じサイズかPCよりも大きなサイズの画像を用意することもございます。そして明らかに、PCよりもスマートフォンの画面の方が、精細で鮮やかになっております。
画面の精細さを表す数字で、「解像度」というものがございます。1インチの間に何個の光の点が並んでいるかというのを表しております。普通の印刷物の解像度が「350」。1インチ(約2.5cm)の間に350個の光の点がならんでいて、それで細かい字や写真を表現しているのでございます(実際にはインクですのでチョット違うけど、解像度的には同じ)。
コンピュータの解像度が、昔だと「72」とか「96」とか。最近の細かいものでも100前後(一部を除く)。つまり、画面の細かさが、印刷物の3分の1から5分の1しか無かったのでございます。言い換えますと、印刷物で普通に読めていても、PCでは3倍から5倍に拡大しないと読めなかったりしたのでございます。
さて、今のスマートフォンがどのくらいの解像度が有るかと申しますと、300~400に達しております。もうね、すでに印刷物の解像度を凌駕しているのでございます。拡大せずに、印刷物と同じサイズで読むことが出来る。ここ数年、電子書籍用の端末が一般的になってきたのも、こういった理由がございます。
ただ、PCも、昨今は高解像度化の流れがございまして、一部機種では解像度300前後のものもございます。こうなってくると、紙媒体を読むのと同じ感覚。ますます、「紙」の登場する機会が少なくなるのでございます。
この季節にしか出ないぜん息なので、多分花粉がらみのアレルギーなのかもしれません。2~3年出てなかったのでここのところは安心していたのですが、今回、出ちゃいました。ただ、痰が少しずつ切れやすくなってきております。もうそろそろ治まるのではないかと予想しております。
茨城県大洗町の放射性物質を扱う施設で、また事故がございました。ほんと、現場の方がかわいそうでございます。マニュアルが完備していなかったか、マニュアル通りに作業していなかったのか、事故の調査報告が気になるのですが、そもそも正直に報告されるのか? そこも問題。
99年の臨界事故に比べるとはるかに少ない被曝量ですが、それでも、今後何十年に渡って精密検査を繰り返していくことになるでしょう。そして、放射線関連の施設では全く働けなくなってしまいました。いろいろ、気の毒なのでございます。
今回は、容器のフタを開けたら吹き出したとのこと。これで思い出すのは、2013年の福知山花火大会での事故。あれも、先にタンクの空気抜きをしていれば防げた事故。何度も同じ手順を繰り返していると、ついつい、どこかで手順を省略したくなるのでございますよね。ここに落とし穴がある。
隙間からいくらでも外気が直接入って来ちゃうからだとか。ですので、マスクの主なる機能は「自分が咳をしたときの飛沫をまき散らさないこと」なのでございます。ただ、ここにも落とし穴がある。実は、風邪をもらっちゃったりするのは、マスクの隙間が原因では無いのでございます。
単刀直入に申しましょう。それは、自分の「手」「指先」なのでございます。マスクをしていても、口元に手をやるときには、マスクをずらしますよね。もし、その時、指先に風邪のウイルスが付いていたら? あるいは、ついつい目を擦るとき、その手にウイルスが付いていたら?
そう、ウイルスはこうやって、「手」から口や目を経由して入ってくるのでございます。風邪の予防で、やたら「手洗い」をやらせるのは、こういった理由から。自宅に帰って、「さぁ安心」とばかりにマスクを外し、手も洗わずにいろいろやっていると、もらっちゃったりするのでございます。
世の中、どこに落とし穴があるか分からない。一見無意味と思えるルールにも、ちゃんと意味が有ったりする。ルール省略して100回大丈夫でも、101回目に「事故」が起こるかもしれない。交通事故なんかもそう。これ全て「面倒くさい」との戦い。
芸能人が未成年とナンタラカンタラで、またニュースになっております。やった事は悪いことなのでしょうが、「深夜に、大阪ミナミの飲食店へ、”自分の意思”で、出向いていく」人を、未成年と扱う必要は無いと思いますよ。わざわざ出向いた少女の責任、その少女を店に入れたお店の責任、そういったものも論じられるべきでございます。
以前、「被災者だから、病人だから、と言って批判されないのはおかしい」と申し上げたことがございます。この芸能人の問題も、さしずめ「未成年だから、と言って批判されないのはおかしい」と申し上げましょうか。まぁ、自制の効かなかった芸能人本人が、一番悪いのですけどね。
痴漢冤罪でも、「女性だからと言って、疑われないのはおかしい」と叫んじゃいましょう。先日の東京平井駅での痴漢騒ぎでも、数人の目撃者がその場で反論をしているのに、男性側ばかりが疑われてしまう。おっかしいよねぇ。
余談ですが、うちの様な小さなお店でも、時々、従業員同士の仲違いやケンカが起きたりいたします。そんなとき、ワタクシは仲裁なんてやりません。どちらの側も自分に都合のいい様に少し脚色が入ったり話を盛ったりしてしまうものでございます。うかつに間に入っていくと、藪の中で溺れてしまうのでございます。
一般的にゴタゴタが起きた時ってのは、より演技力があるとか、より口が達者とか、より善人面だったりとか、そんな人が有利に事を運んでしまいがちでございます。先入観に踊らされずに、客観的に判断するには、それなりに訓練が必要でございます。駅員とか警察官とか、ぜひ、そういう訓練をしてもらいたいものでございます。
さて、話は変わり、冒頭の芸能人の事件でございますが、ドラマやCMが次々と放送中止になっております。CMは本人の責任ですが、ドラマは大勢の共同作業でございますから、迷惑ですよねぇ。この放送中止で、日の目を見られなくなった他の出演者がいるわけでございますから。
これはさ、最近のコンピュータグラフィックスでどうにかならないものでしょうかねぇ。ハリウッド映画では、顔の差し替えなんて、実にスマートに自然にやっちゃってます。あの技術使えば、特定の出演者の顔だけ差し替えるなんて、チョチョイノチョイだと思いますよ。まぁ、お金はかかるでしょうけど。
芸能人ってのは、ちょっと非常識くらいでちょうどいいと思っているのですけどね。芸能界ってのは、「楽して、大金を稼げて、モテたい」って人達ばかり。そんな非常識な人達の非常識さを、一般聴衆は楽しんでいるのでございます。
体調の悪いときってのは、何を食べても美味しくないもので、以前、パクチーチップスときざみパクチーをご紹介したときに、ワタクシの評価があまり芳しくございませんでした。そこで、改めて食べてみたのでございます。
うん、これはなかなかいけますよ。めんつゆの様な濃い味と混ざると、パクチーの自己主張がホドホドに押さえられる様でございます。ここでさらに、めんつゆにわさび投入。うん、これはやり過ぎたかも。ちょっと微妙な刺激感。でも、失敗した!ってほどでもない。
次に控えしは、パクチーチップス。口の中の水分を思いっきり持って行かれますからね、傍らにウーロン茶などを用意しまして、準備完了。平べったい形のポテトチップスに比べ、このパクチーチップスは、軽く丸めた団子状にして揚げてあります。平べったく揚げると、正体が無くなっちゃうのでしょうね。
まぁ、確かに美味しい。美味しいけど、何個も食べられない。一度に1~2個かなぁ。ヤミツキになると言うほどのものではない。やはり、パクチーという食材は、単独で食べるのはキビシイかも。何か味の濃いものと一緒に食べて、その良さが引き立つのかもしれません。
最近、この「ひとりごと」欄の元気がございませんが、全て体調のせいでございます。こうも咳き込んでいては、集中力が高まりません。咳止めの薬を飲みすぎて、頭がボ~としておりますし、そんなときは、計算間違いとかタイプミスも増える。ボ~としながら咳き込む自分にイライラしたりもしております。
ただね、ワタクシの母親が、晩年、今のワタクシと全く同じ咳をしていたのございます。そんな咳き込む母親に「うるさいなぁ、ババァ」とワタクシが言ったとか言わなかったとか。まぁ、これに近い言葉は言った。今、その親不孝の報いを受けているのでしょうか。因果応報なのか? 遺伝なのか? 母親に投げかけた言葉に、今さらながら少し後悔しております。
ワタクシは、遺伝性の目の病気も、母親からもらっております。ただ、母親はこの目の病気に気づかぬまま一生を終えております。多分本人は、老化現象としか思っていなかったでしょう。ワタクシが健康診断で自分の目の病気に気がついたときには、母親は他界した後でございました。自分が同じような境遇に入って初めて、晩年の母親の不自由さに気がついたわけでございます。
新人が入りますと、その新人さんの名前のはんこを新調いたします。その用事もありまして、今日の午前中は、東急ハンズへ行っておりました。名前が既成のもので見つかれば、そのまま買って帰るだけ。なければ、発注して数週間待つことになるのでございます。
なで肩になったのは、でレビ電波のデジタル移行が契機でございます。かつてのテレビ塔には、その肩口あたりに各局のアンテナがひしめいておりました。特に目立っていたのは、側面の4方向に張り出していた縦長のアンテナ。あのアンテナがちょっとした”いかり肩”風に見えておりまして、凜々しさに一層拍車をかけておりました。
テレビ塔が存命したのは、大変嬉しかったのでございます。しかし、アンテナが外されて妙になで肩になったその姿には、当時、ガッカリしたものでございます。それで、ふと気になって、兄弟分の札幌テレビ塔を確認いたしました。
設計者が同じということで、かなり似ている兄と弟。お腹にデジタル時計を巻き付けられてしまった弟分は、ちょいと不格好な姿になっております(失礼)。最初から無かったのか、弟分の肩まわりはスッキリとしております。
そこで、テレビ塔に関していろいろ調べておりましたら、アンテナを取り外した頃のニュース記事が見つかったのでございます。そこにはなんと! 衝撃的な言葉が! 「アンテナを取り外されて、テレビ塔は建設当時の姿に戻った」とあるではございませんか!
そう、ワタクシが「凛々しい」とカッコ良く思っていたテレビ塔のお姿は、仮のまやかしのお姿だったのでございます。アンテナが取り外され、なで肩になった今のお姿こそが、生まれたままの真のお姿。建設当時の写真を探しますと、まさに今のお姿にうり二つ。
テレビ塔様は、長年、重荷を背負って責務を果たし、今、やっと解放されて、その余生を過ごしていらっしゃるのでございます。そんなテレビ塔様に、いかり肩の昔の方がカッコ良かったなど、ワタクシは何という暴言を吐いたのでございましょう。
あぁ、テレビ塔様、あのアンテナ、重かったでございましょう。辛かったでございましょう。太いケーブルを体中に張りめぐらされ、さぞや息苦しかったことでしょう。そのアンテナも、ケーブルも、今はございません。どうか、肩の力を抜いて、ノンビリと名古屋の街並みを見下ろしていて下さいませ。
いやぁ、いかん、いかん、ついつい、感情的になってしまいました。名古屋のテレビ塔は、遠景で見たときの美しさもございますが、その直下に行くと、ある奇妙な構造に驚かされるのでございます。塔の最下部、鉄骨で組まれた4本の足の陰に、コンクリート製の巨大なアーチが組まれているのでございます。
そこで、また新たなる衝撃の事実が! 実は、あのテレビ塔、「ほとんど地面に置いてあるだけ」なのでございます。普通は地下何十メートルも掘り下げて基礎を作りますが、地下鉄予定地ということで、掘り下げられたのはたった6m。身長180mのテレビ塔様にとっては、ちょっとつま先が地面にめり込んでいる程度なのでございます。
そこで、4本の足がクパァと開いていかない様に、巨大なコンクリート製のアーチで補強しているのでございます。また、コンクリートの重量が塔全体の重心を下げる効果も担っております。子供の頃はそのコンクリートが邪魔で不思議に思えておりましたが、理由が分かると、納得なのでございます。
まずひとつ目に、昨日のこの欄で、ワタクシが話を盛った部分がございましたので、少し訂正いたします。身の丈180mのテレビ塔様にとって6mの埋め込みは「つま先が地面にめり込んでいる程」と申しましたが、よ~く考えましたら、身の丈180cmの人の6cm分に相当するわけで、くるぶしあたりまでは埋まっている計算になるのでございます。まぁ、それでも、ほとんど埋め固められていないには違いないのですけどね。
フロントでお配りしている「ブレス・ストリップス」なるお口の清涼剤がございます。写真でお分かりのように、これの賞味期限が近づいております。そしてさらに、衝撃的な事実が! 今後、このブレスストリップスは入荷いたしません。ですから、これが最期。
これを扱っている問屋が、扱いをやめてしまったのでございます。問屋に製造元を聞いてみたのですが、「大阪の小さなお菓子屋」としか教えてくれなかったのでございます。もし、製造元が分かれば、そこから直接取り寄せるというのも考えておりますが、現段階では入手不可能でございます。
賞味期限が過ぎれば廃棄してしまうもの。ですから、店頭でブレスストリップスをお取りになるお客さま、どうぞ好きなだけつかみ取って行って下さいませ。持ち帰り用の小袋も、用意してございます。年末年始に行っていた「つかみ取りサービス」の再来でございます。
共謀罪、と言っちゃいけないんですよね、テロ等準備罪。この法案を巡って、いろいろな人達が熱くなっております。天地がひっくり返る様な勢いで反対している人もおりますが、そんな凶暴な法案とも思えないのですけどねぇ?
「一般市民も対象になるのか?」という点でも議論もされております。ワタクシは断言しちゃいますよ。これを議論するのはあまりにも不毛なのでございます。今や、一般市民が簡単にテロリストに変貌してしまう時代なのですから。その背景には、ネットの存在がございます。これが、昔の治安維持法時代とは、大きく性質が異なる点なのでございます。
闇サイト殺人事件なんてものがございました。赤の他人がネット上で知り合い、初対面の人達が殺人事件までやった事件でございます。ネット上で、犯罪の段取りや話し合いが全てやれてしまうのでございます。この事件の犯人は、3人。でも、3人が数十人、数百人に膨れあがっていたとしても、実体の見えにくいネットでは、それほど目立たなかったでしょう
ネットがない時代でしたら、数十人、数百人がどこかに集まれば、そりゃ目立つ。危険物や武器を大量に購入していれば、すぐに目につく。ところが、ネット上で共謀し、それぞれが個別に行動して社会に埋没していたら、これは見つけにくい。その一人一人は、”普通の一般市民”と何ら変わらなく見えるからでございます。
危険物や武器も、今やそんな特殊なものは必要ございません。9・11で行われたのは「ハイジャック」という手法。ボストンマラソンでのテロは、実行犯はたったの2人。爆薬の材料は、すべてネットから購入可能。単独で、自動車やトラックで人混みの中へ突っ込むというテロ行為も、世界中で横行しております。こうなると、実行寸前までは、ごく普通の一般市民にしか見えない。ですから、一般市民で線引きするのは、不毛なのでございます。
今の時代に「テロを防止」「共謀を防止」と考えますと、ネットの存在は無視出来ないのでございます。「ネットを盗聴出来るかどうか?」、これを避けては通れないでしょう。と、なると、アメリカはかなり前から、ネット・動画に限らず音声通話なども監視しております。この点に関しては、イギリス、カナダ、オーストラリアなんかも、アメリカと”共謀”して情報交換を行っております。
今や、ことテロ対策に関しては、個人情報なんて概念は吹き飛んでしまっております。どこの国も、自国の安全を守るために、手段を選んでおりません。そんな時代に、国民が「個人情報がぁ...」「プライバシーがぁ...」と言い過ぎるのは、国の存亡に関わるのでございます。
プライバシーが守られるというのは、大事だと思いますよ。ただ、今の日本人の多くは、トレードオフの感覚を失っている。0か100しかないのでございます。自分のプライバシーがちょっと覗かれるかも知れないけど、それでテロが防げるのならプラマイゼロ、こういった感覚で落としどころを見つけて行くべきなのでございます。
最近は、各ファーストフード店が低糖質のメニューに力を入れております。松屋は、白米を湯豆腐にチェンジ出来るメニューを用意しておりました。6月に入りまして、その湯豆腐がおろし豆腐に変わっております。夏だから冷たいものをとの配慮でしょうが、う~ん、個人的には湯豆腐の方がいいなぁ。
ある日の朝のことでございます。朝定食に「白米→おろし豆腐チェンジ」「みそ汁→豚汁チェンジ」の2つのオプションを付けたときのお話でございます。運ばれてきた定食を見ますと、なんとみそ汁と豚汁の両方が乗っている。トレー、てんこ盛りで溢れ出しそう(笑)。
それで、松屋の店員、「おろし豆腐単品」を注文されたときの感覚で、おろし豆腐とみそ汁をトレーに追加したものだと推測出来るのでございます。いや、でもね、トレーてんこ盛りだし、汁物が2つも乗っているし、違和感満載なのですが、思い込みとは怖ろしいもの、気づかずに出てきちゃいました。
さて、また別の朝のことでございます。前回2つもオプションを付けたので、それで混乱させてしまったのではないかという反省のもと、今回は豚汁を諦め、「白米→おろし豆腐チェンジ」のオプションのみで朝定食をお願いしたのでございます。
さ~て、運ばれてきたトレー、またまたてんこ盛りで溢れかえりそう。ワタクシ、心の中で大笑い。今回はどんな面白いトレーが運ばれてきたかと申しますと、おろし豆腐と白米が両方乗っている。トレーの上、ギッシリ。視覚的にも、大迫力(笑)。
これもまた、検証いたしましょう。オフションは1つ。白米をおろし豆腐に差し替えるだけ。前回と同じ過ちを犯したのなら、みそ汁が2つ乗ってくるはず。ということは、今回は違うプロセスでエラーが発生している模様。
この場合、食券は2枚ございます。朝定食の食券とオプションの食券でございます。白米をわざわざ用意しちゃったということは、まず「普通の朝定」を作ったということですよね。で、オプションに気がつき、おろし豆腐を用意し...ここで不思議な事が起こる。差し替えればいいのに”追加”しているのでございます。
ふむ、実に面白い。ここで、犯人2人説が浮上するのでございます。当時、店員は2人。朝定というのは、トレーに白米・みそ汁・卵・お新香・小鉢・焼きのりと、6品も乗っている。店員にとってはちょいと手のかかりそうなメニューなのでございます。
1人の店員が、食券をもぎりに来て持ち帰る。厨房にて、もう1人の店員に「こっち、お願い」と言ってどちらか片方の食券を渡す。それぞれが、自分の食券に書かれたものを用意する。朝定の食券担当(A)は、当然トレーに白米を乗せる。もう1人の店員(B)はおろし豆腐だけを用意する。さぁ、合体!
今日は、「モード(mode)」というのがキーワード。ナントカモードとか、日常でもよく使いますよね。直訳すると「状態」という意味。様々な状態があることを「モーダル」、逆に状態が変わらないことを「モードレス」と言います。みんな、モードの派生語でございます。う~ん、この辺で拒絶反応が起きている方、この後はグッと優しくなりますから安心してね。
分かりやすいのは、パソコンのキーボードの「シフトキー」。通常の状態では「小文字」が入力されますが、シフトキーを押すと”大文字モード”になりますよね。シフトキーがキーボードのモードを変えているのでございます。コントロールキーやALT(オプション)キーなんてのも、同様。
で、食券の話に戻しますよ。昨日のお話では、「朝定」の食券と「ライスをおろし豆腐へチェンジ」の2枚でワンセットになっております。この「チェンジ」の食券が「朝定のモード」を変える働きをしているのでございます。
ここで、松屋の食券システムの変遷も語らなければなりませんね。定食のライスに関して「大盛り」「特盛り」というオプションがございます。これも、以前はチェンジ食券と同様に、定食の食券とは別に出ておりました。2枚でワンセットということですよね。
しかし、タッチパネル式の食券機が登場すると、画面操作の段階でライスの盛りを選択させ、大盛り・特盛りの場合は定食の食券そのものに記載する仕様に変わっております。大盛り・特盛りを選んでも、食券は1枚しか出てこないわけでございます。
この食券1枚で完結しているという仕様、これが「モードレス」でございます。実は、モードが有る作業というのは、人間のミスを引き起こしやすいのでございます。従業員の負担を軽くするため、大盛り・特盛りに関しては、この様な仕様になったのでございましょう。
食券機にも、モーダルな食券機とモードレスのものが有るのでございます。旧式のボタンがいっぱい並んでいるような食券機は、モードレス。ボタンと食品が一対一対応でございます。これだと、大盛り・特盛りは別の食券として出すか、「○○定食大盛り」「○○定食特盛り」と全て個別のボタンを用意するしかないのでございます。
じゃぁ、「チェンジ」をもモードレスな食券にしようとすると、食券機は定食が選ばれる度に「ライスにしますかおろし豆腐にしますか?」と、お客に問いかけることになる。「おろし豆腐へチェンジ」を選ぶ人は少ないでしょうから、これもまた煩わしい。それで、モーダルな仕様のままに残さざるを得なかったのでしょう。
これを完全にモードレスにするには、食券機が一度全ての注文を溜め込み、「おつり」ボタンが押されたときに初めて食券をまとめて吐き出す、という仕様に変えなければいけないのでございます。まぁ、この仕様のレジスターは多いのですが、食券機となると大変でしょう。あまりコロコロ仕様が変わるのは、従業員のストレスにもなるでしょうし。
さて、ちょいと余談を。このモードという概念は、家電製品の使い勝手を大きく変えてきたのでございます。昔の家電は、ほぼモードレス。機械スイッチが多いので、ひとつのスイッチにいくつもの機能を持たせるのが難しかったからでございます。その結果、機能の数だけボタンが並ぶ。どのボタンを押すとどうなるかは一目瞭然。昔の電話機、洗濯機、ラジカセ、テレビ等等等、思い出してみて下さいませ。
しかし、家電の中にマイクロコンピュータが内蔵される時代に入りますと、どんどん機能が増えていく。しかし、ボタンを増やしたくはない。そこで、ボタンが「モーダル」になってしまうのでございます。ひとつのボタンが、状況(モード)によって違う動作をしてしまう。これに付いてこれないと、「最近の家電は使い方が...」と悩む結果になるのでございます。
「りこさんは、アナルコースはダメなの?」というご要望は、入店直後から多くいただいておりました。ただ、18才ということでソチラの方の経験が浅く、慎重に事を運んでおりました。今回、本人からの要望もありまして、「アナルOK」とすることに。それに伴い、ワタクシが彼女のアナルをチェックいたしました!
ローションを塗りまして、まずは指で入念にほぐします。次に、ちょっと小さめのオモチャをゆっくり挿入。実践さながらに前後に動かします。あまり痛がらない様子ですので、オモチャをグレードアァッップゥ! もう少し大きめのオモチャをゆっくり挿入。ちょっときつめの様子ですが、痛がる様子はなし。
星野ちとせの写真を更新いたしました。最初に撮った写真は、ホント、慌ただしく撮った写真だったのでございます。北海道を午前中に発ち、バスと飛行機を乗り継いで名古屋に着いたのがその日の夜。どうせなら、次の日からすぐ稼がせてあげたいと思い、夜のうちに面接・写真撮影とバタバタと片づけたのでございます。
以前、「ネット予約の受付をなんとか始めたい」と書きましたが、なかなか実現いたしません。原因は、ワタクシがイッパイイッパイだから。まぁ、ここのところ体調が良くなかったというのもございますが、それよりも大きいのは、電話予約とネット予約の両立が難しいからでございます。
予約というのは、必ずしもお客さまの希望時間が空いているとは限りません。電話予約ですと、他の予約状況をお客さまに伝えながら調整することも出来るのですが、ネット予約ですと、この調整が難しい。いや、難しそう。
で、今のネット予約システムですと、結局、お店からお客さまに一度電話を入れることになる。あるいは、お店が気づかずに放置してしまうと、お客さまの方からお店に電話が入ることになる。どうしても、「電話」抜きには成立しないのでございます。
要するに、二つの窓口から予約が入る場合、それを「まとめる」部分の処理が重要になるわけでございます。これがうまく行かないと、ダブルブッキングなんてことが起きてしまう。ワタクシは、受付業務の他にホームページの更新や、洗濯などもやっておりまして、パソコンをそれほど頻繁にチェック出来ない。ということで、ネット予約をためらっております。
情報処理で窓口を一元化するというのは、重要なのでございます。チケット販売などは、今やオンラインが当たり前。ひとつのサーバという機械に日本中の端末が結ばれているのでございます。そして、全ての予約申し込みはそのサーバ内の台帳に記帳することになる。処理する場所がひとつなので、ダブルブッキングなどが起きないのでございます。
では、そんなシステムが無かった頃はどうしていたか? コンサートのチケットは、各チケット販売会社ごとに、席が割り当ててあった様な感じでございました。どこの会社がいい座席を確保しているかなんて情報が飛び交ったこともございました。
当店の予約台帳は、「紙」でございます。1日分が1枚。1週間先の予約まで受け付けておりますので、7枚分の紙をバインダーに挟んでそれを台帳にしているのでございます。フロントを離れるときも、そのバインダーがあれば予約を受けられます。逆に、バインダーが手元に無いときに予約の電話を受けてしまうと、非常に困るのでございます。
何でも、中学三年生の棋士が28連勝したとかで、大騒ぎでございます。この28連勝がどんなすごい記録なのかは、とんと想像がつきません。ワタクシの中学3年と言えば、教室の中でエロい話をする同級生の話に、聞いてない振りをして耳をダンボにしていたのが微笑ましい思い出。ますます、想像がつかないのでございます。
この28連勝は人間vs人間の勝負でございますが、人間vsコンピュータの勝負なんてのもございます。人工知能との戦いでございますね。この戦いで、ここのところ人間は負け続きでございます。将棋、囲碁、チェスといった勝負で、完敗なのでございます。
チェスは、終盤になるにつれて盤上の駒の数が減っていきますので、人工知能にとっては計算は軽くなっていくのでございます。それに比べ、将棋は取った駒を再利用出来るので、チェスよりも計算が複雑になると言われております。
さらに囲碁は、盤面が広い・手の多さなどで、人工知能にとっては難攻不落だと長い間言われておりました。にも関わらず、現状では、将棋・チェス・囲碁において、もはや人間が人工知能に勝つのはかなり難しくなっております。
実は、ボードゲームでの人工知能は、ある時期から急に強くなっております。昔の人工知能は、単純に次の手の全ての可能性を羅列し、それらをある数式(評価関数)で評価し、一番評価の高い手を選ぶというだけのもの。
このやり方、コンピュータの性能が高くなるにつれ、3手先とか数十手、数百手先まで深読みすることで強くなるのですが、深読みすればするほど計算量は膨大になってまいります。いくらコンピュータが高速になっても、どこかで頭打ちになるのでございます。
そこで、人工知能の新しい時代がまいります。人間の打った手を片っ端から入力していき、その多くの手から”傾向”を導き出すという方式を取り入れたのでございます。「こういった状況では、人間はこういう手を打ちやすい」という傾向を、無限に蓄積していくわけでございますね。
そして、その無限の”傾向”の中から、結果的にその後の展開が有利になった手と不利になった手を分けていくと、「良い手」「悪い手」のデータベースが出来上がる。次の手を数学的に求めるのではなく、膨大な人間の経験から得た”傾向”をもとに、次の手を決めているのでございます。
これは、恐いですよ。人工知能が「直感」を持ったということでございますから。計算し、確信を持って手を打つのではなく、「なんか、こうすればいいはず」という閃(ひらめ)きのようなもので行動するわけですから。
この「直感」だけは人間様の特権、最後の砦だと思っておりました。人間がする多くの経験や失敗の蓄積からのみ得られる感覚だと思っておりました。しかし、その人間の経験や失敗を膨大に収拾し、高速に分析することで、人間と同じような直感的行動が出来る様になったのは、コンピュータの勝利でしょうねぇ。
さて、ここで、ワタクシはこのお話を逆に人間に当てはめてみたのでございます。人がオギャーと生まれて、さまざまな経験をし、知性や感情を高めていく過程は、実はこの人工知能が”傾向”を蓄積する過程と同じなのではないか、そう考えるのでございます。
「みんなが悲しそうにしている、これは悲しい出来事なんだ、じゃぁ悲しもう」「みんな笑っている、これは楽しいことなんだ、笑おう」といった幼少期からの小さな経験を膨大に蓄積することで、人の感情も形成されていくのではないか? そんな思いに行き当たるのでございます。
以前、コンピュータがネットで繋がることによって、そのネット全体が有機的な反応をすると書きました。ここにきて、多くの人間の”傾向”を蓄積したコンピュータが、より人間的な「直感」で行動する時代に入っております。
昨日は、人工知能が将棋を指すお話をいたしました。そしてその人工知能の思考方法が、二種類あることもお話しいたしました。ひとつは、あらゆる手をしらみつぶしに辿っていく方法。もうひとつは、多くの先人の知恵を借り、直感で決める方法。それを踏まえまして、今日は”人間”知能のお話でございます。
帰納法的アプローチというのは、まさに「しらみつぶし」。考えられる方法を、片っ端から試して行くやり方でございます。試しているうちに、大当たりする場合も有れば、大ハズレの場合もある。大当たりした場合でも、もっと大きい当たりが有るかもしれない。だから、さらに試行を繰り返していくことになる。思い込みが少なく粘り強い性格の人に向いているのでございます。
一方、演繹法的アプローチは、直感が命。直感、つまり「センス」でガシガシ進んでいくやり方でございます。「これは、こうすれば上手く行くはず」という強い直感が最初に存在し、そこを軸に微調整を繰り返しながら最終形に辿り着こうとするやり方なのでございます。センスがある人にとっては、非常に強力なやり方。でも、もし無い人だったら...ということでございます。
この二つのアプローチのどちらを取るかは、性格に因るところが大きいでしょうねぇ。両方を上手に、臨機応変に使い分けられる人もいらっしゃいます。仕事への対処、日常の人づきあい、スポーツ選手・芸術家の練習風景など様々なシチュエーションで、この二つのアプローチが見え隠れするのでございます。
ここで、「センス」という言葉を使いました。「あの人はセンスがある」とか使いますよね。この「センス」こそ、直感なのでございます。それまでの多くの経験から「何となく、こうすれば上手く行くんじゃないかな」と閃く感覚、これが俗に言う「センス」なのでございます。
多くの人間の指し手を蓄積することでコンピュータが直感を会得した様に、人間のセンスも、それまでの経験の蓄積の結果なのでございます。幼少期から多くの経験を重ねますと、その経験に基づくセンスを会得しやすくなる。音楽家の子供に音楽家が多いのも、そんな理由なのでございます。
では、センスの働かない人はどうするか? そこに帰納法的アプローチが有るのでございます。コツコツ型の帰納法的アプローチを「秀才肌」と呼ぶのならば、閃きで突き進む演繹法的アプローチは「天才肌」と呼べるでしょう。1%の閃きを99%の汗で具現化したエジソンは、この両者を合わせ持った人物だったのかもしれません。
さて、人の営みに二つの方法がございますが、ここに「勘違い」が有ったりすると、不幸な結果に陥ったりいたします。秀才肌の人から見ると、天才肌の人は実に簡単に事を進めている様に見えるのでございます。しかし、秀才肌が天才肌のやり方をそのまま真似たところで、必ずしも上手く行くわけじゃ無い。直感という裏付けのない真似は、やはり真似でしか無いのでございます。
また、人を指導する場合にも、天才肌と秀才肌の組み合わせだったりすると、不幸な結果が生じます。天才肌の人は直感で突き進んでいるので、自分の成功を論理的に説明出来なかったりする。秀才肌の人は失敗を重ねているので、自分のやり方の効用に関しては十分な説明が出来るのですが、それを天才肌の人に教えようとすると、軋轢が生まれる。
プロ野球などで、天才プレーヤーが必ずしも名監督にならなかったりするのは、ここに原因が有るのでございます。天才肌の人は、秀才肌の人があまり理解出来ていません。「どうしてこれが出来ないの?」とすぐに思ってしまうからでございます。逆に、秀才肌の人は天才肌をいつも羨望のまなざしで見ているので、自分との違いを如実に思い知らされ、両者の違いをよく分析している場合が多いのでございます。
関東地方のヘルス店より、アリアリの「きょうこ」さんが移籍予定です。キャリア的には中堅といった感じでしょうか。今まで苗字を付けたことがなかったそうで、苗字は、今、考え中とのことです。面接はすでに済ませておりますが、ホームページに掲載するための写真撮影がまた出来ておりません。とりあえず、写真以外のプロフィールをご覧下さい。
小林麻央さん、頑張っていらっしゃいましたが、ダメでしたね。冥福をお祈りいたします。海老蔵さん、こんなときにも舞台を優先して、きっちり、昼の部と夜の部を勤められたそうでございます。役者というのは、因果な商売ですよね。
人工知能に関したお話をいくつかしておりますが、本日見たテレビ番組『NHKスペシャル』が人工知能を題材にした内容でございました。将棋の対戦の他、株式のトレード、流しのタクシーの集客ポイントへの誘導、退職者の多い職種でのヘルスケアなどを紹介しておりました。
それらの人工知能の利用で共通するのが、「教師データ」というものの存在。今の人工知能は、膨大な過去のデータを入力し、そこから何かしらの因果関係や傾向を見いだし、それを新しく入力されたデータに当てはめるという手法を取っております。
ただ、面白かったのは、人工知能をプログラミンしたプログラマー自身が「人工知能の中で何が起きているのか分からない」と答えていること。コンピュータが膨大なデータから導き出した因果関係や傾向は、人間の先入観や常識では気づけなかった思いがけない結果を出力してくるからでございます。
ここでね、ちょっと心配になったのは、人間がその人工知能の結果に振り回されてしまうのではないかということ。番組では、退職率の非常に高い医療事務という職業で、その従事者へのカウンセリングに人工知能を利用する例を紹介しておりました。カウンセリングでの受け答えの内容で、その人の退職願望を人工知能で推測するというものでございます。
ここでね、人工知能が「この人は大丈夫!」とか「この人は、なんか退職したがっている」なんて結果を出すわけでございます。それを見て、カウンセラーがケアを厚くしたりするわけでございます。心配なのは、心理学における「認知バイアス」とか「ピグマリオン効果」なんてのがカウンセラー側に発生しそうなことでございます。
認知バイアスというのは、まぁ「先入観」と同じと思っていただければよろしいかと。特にピグマリオン効果というのは、教師が生徒に期待を持つとその生徒の成績が上がりやすいという効果。逆に、「この子はダメだ」と教師が思ってしまうと、その子の成長を阻害してしまうことがあるということも。
ピグマリオン効果に関しては賛否両論あるのですが、認知バイアスというのは広く心理学や行動経済学で知られていること。人間というのはですねぇ、先入観を持ってしまうと、ついつい、自分に都合のいいように考え、自分に都合のいいように行動してしまうのでございます。
人工知能がボードゲームで対戦しているくらいならいいのですが、こと人間の管理に使われると、これは恐いですよ。管理ということは、「管理者」がいるということ。管理者は人間ですから、当然、認知バイアスが働いてしまう。人工知能の出す結果を見て、管理される人への対応が変わってしまうことも。
人工知能に「この人は出世の可能性ゼロ」と判断され、訳も分からず冷遇される社員が出てくる可能性もあるのでございます。じゃぁ「認知バイアスの働かないコンピュータに管理まで任せてしまえばいい」なんてぇ考えに至りますと、管理職は社長も含めて全てコンピュータ、人間は現場で働き蟻のように動き続けるだけなんてSFのような世界にもなりかねません。
これがまんざらではないのが、お隣韓国でのお話。汚職・癒着の絶えない韓国では、国会議員も人工知能にやらせようという考えがあるそうでございます。いやぁ、怖ろしや。そういえば、アメリカの新しい大統領も、アメリカファーストでズケズケとした物言い。あの人はすでに人工知能の入ったロボットだったりして...
SFのようなコンピュータに管理される未来社会というのは勘弁願いたいと思うのですが、すでに人工知能は生活の多くの部分に取り込まれて埋没し始めております。「気がついたら、いつの間にかコンピュータに振り回されていた」なんて世の中になってしまうのでしょうか?
ただ、その新人さんが他のお店の経験者だったりすると、ワタクシは非常に楽なのでございます。特に、当店と似たシステムのお店を経験していると、接客の流れなどは手取り足取り指導する必要がない。当店だけのローカルルールだけを説明すれば、すんなりとお仕事に入っていけたりいたします。
ワタクシは、東京の「元祖ニューハーフクラブ」で風俗デビューしておりますので、そこで身についたシステムが自分にとっては一番シックリくるのでございます。ということで、当店も、その元祖さん(以下、敬称略)のシステムを、ほぼ、真似て、いや、真似させていただいております。
ワタクシと同じように、元祖を経験した嬢がその後自分で店を出したりすると、その元祖のシステムを踏襲することが多いようでございます。関東地方のニューハーフヘルス業界では、元祖がほぼ寡占独占していた時期がございました。その時代に一財産残したヘルス嬢がその後独立し、同じようなシステムのお店が乱立、なんてこともございました。
さて、当店も元祖のシステムを踏襲しているとは言え、名古屋という独特の土地柄、難しい部分がございます。関東・関西は一見客の割合が多いのですが、名古屋は逆。圧倒的に常連客の割合が多いのでございます。これは、接客する方は、ちょいと大変。お客さまが遊び慣れている分、遊びのレベルが高いのでございます。
当店には、この業界にソコソコ長くいるベテラン嬢が何人かおりますが、そういった嬢にもそれなりに需要が有り、コンスタントに選ばれております。その様なベテランならではの接客を好まれるお客さまがいらっしゃるということですよね。若さ、美しさが必ずしも最優先とならないところに、名古屋での売り出しの難しさがあるのでございます。
また、ここ最近は、お客さまが慎重になっているような気がいたします。新人さんが入店しても、お客さまが様子を見ている期間がございます。じっくり検討し、納得してからやっとその新人さんに入ってみるという方が多いのでございます。最初の数週間から1ヶ月ほどの期間、新人さんにとってはジリジリとした時間が流れていくのでございます。
これは、この業界全体が玉石混交になっているからでしょうねぇ。もちろん、「玉」にも「石」にもそれぞれ需要があるのですが、玉なのか石なのかを分かった上で、納得して入りたいということなのでしょう。慎重な遊び方になるのは、無借金経営の多い名古屋の土地柄が影響しているのでしょうか?
慎重にならざるを得ないのは、また別に理由がございます。画像修正と在籍詐欺。まぁ、この二つはいにしえの昔から風俗業界では当たり前でございましたが、マニアックなお客さまが多かったニューハーフ業界では、この二つをあまりやってこなかったという歴史がございます。
ここ10年くらい前からでしょうか、ニューハーフ業界にも、新興のお店を起点にこの二つの因襲が浸透し始めたのでございます。そして、今、ホームページのアクセスなどを見ますと、出勤状況やプロフィールページへの感心がどんどん低くなっているの気がつくのでございます。ハナから、お店がアナウンスしている出勤や画像を、信用していないのでしょうね。
で、アクセスが集中しているのが、写メ日記。女の人の風俗業界でも同じ事を聞きますが、今やお客さまが信用しているのは、嬢自身がアップしている写メ日記なのでしょう。ただ、これも、女の子のお店では、プログラムによる自動投稿の日記がそこいらに見受けられる。あ~あ、世知辛い世の中になっちゃったねぇ...
毎月、27日とか28日くらいになると、その月の支払いがすべて終わってホッとするのでございます。25日あたりにゴッソリと支払いが有り、その後、広告代理店各社の人が、ポツリポツリと26日~28日頃に集金にいらっしゃいます。そして、「今月も、無事に終わったぁ~」とひと息つくのが今日あたりなのでございます。
月末が近づくと、月刊誌『CityHeaven』の広告原稿の入稿日が迫ってまいります。当店の広告は、ワタクシが作製してデータ入稿なのでございます。昔は、毎月趣向を凝らした広告を作っておりましたが、最近は同じフォーマットの広告の繰り返し。ホームページなどの管理の負担が大きくなってきたのもあり、紙媒体はチョイト手を抜く、いやいや、楽をさせていただいております。
まず、フロントのレジを精算モードにし、1ヶ月分を精算。これを忘れますと、レジの数字と帳簿の数字が合わなくなり、後から大変面倒くさいことになる。いや、面倒くさくなるのは税理士さんなのですが、まぁ、迷惑をかけないように必ずやっております。
そして、先月分の領収書をまとめて税理士さんへ発送する準備(ここで、それを入れていた箱が空になる)。そして、今月分の領収書の箱には「先月分」のラベルを貼り替える。剥がした「今月分」のラベルは、空になった箱へ貼る。このジュングリ送り、言葉で説明しましたが分かりますでしょうか?
次に、コンパニオンのギャラを、1ヶ月分集計。その金額を各人ごとにプリントして、毎月初めに渡しております。このお仕事は、日払いでギャラを貰います。ですので、いつの間にか自分がいくら稼いでいるのか分からなくなってしまいます。「あなたは、これだけ稼いでいるんだよ」と自信を持たせるために渡しているというのが、まずひとつ目の理由でございます。
さらに、このお仕事は、忙しい日もあれば暇な日もある。その日々の変化に一喜一憂していると、ストレスでボロボロになってしまうのでございます。それで、「一喜一憂せず、トータルで考えましょう」という意味を込めて渡しているというのが、もうひとつの理由でございます。
あと、事務的な書類をいくつかプリントいたします。コンパニオンのシフト表、そのシフト表全員分を一覧にするための出勤予定表、お掃除をしたら塗りつぶしていくお掃除チェック表(これ、塗りつぶしていくの、楽しいのよ)、コンパニオンにギャラを渡すためにギャラ袋、こういったものをプリンターで印刷しちゃうのでございます。
そうそう、「月初め割引」のアナウンスを忘れちゃ行けませんよね。毎月恒例の「月初め割引」、これをホームページの「最新情報」欄へアップロード。まぁ、こんなようなことが、月の変わり目にやるわけでございます。
今日はね、「顔」のお話。実はですねぇ、この業界、「自分の顔が嫌い」と言う人が時々いらっしゃる。でも、人気商売で自分の顔が好きになれない人ってのは、いろいろと苦労するのでございます。で、今回は、そんな自分の顔が好きになれない人向けの、自分の顔とつき合う方法のお話なのでございます。
まずですね、自分の顔が嫌いな人というのは、鏡が嫌いなのでございます。あまり鏡を見ようとしない。ですから、どうしても自分の顔に無頓着になる。そして、化粧が崩れた顔でも気づかずに接客に入ったりして、お仕事的にドンドン損をする。その路線にはまってしまうのでございます。
さらに、自分の顔を見るのが嫌いな人は、他人の顔の直視も少ない。自分の顔を見られたくないからでございます。これもまた、損をする。「♪目、と、目、で、通じ合う~、そぉゆう仲になりたいの~」なんて歌詞も有るように、接客業では目は口ほどにものを言う強い武器なのでございます。
さて、一口に「自分の顔が嫌い」と言うのは、あまりにも大ざっぱ過ぎるのでございます。顔の中には、目や口や眉毛、さまざまなパーツがございます。自分の顔が嫌いという人は、そのパーツの中の”何が嫌い”なのかを、細かく自己分析する必要があるのでございます。
すると、必ず、自分の顔の「何が」嫌いなのかが見えてくる。でも、その嫌いな部分”以外”は、特に嫌っているわけではないのですよね。これが見えてきたら、もう道のりは半分進んだようなもの。ここから後の対処法は、ふた通り。それぞれを、ひとつずつご説明いたしましょう。
まず、ひとつの対処法として、嫌いな部分をカモフラージュしてしまう方法。嫌いなのが「目」だったりすると、これは実に有効。目なんて、メイク次第でどうにでも変えられるからでございます。顔の輪郭だったりした場合は、ヘアスタイルでカモフラージュしたりとか。とにかく、その嫌いな部分が見えなくなればいいのでございます。
この「注目させる別なパーツ」とは、顔の中のパーツとは限りませんよ。衣装やアクセサリーかもしれません。とにかく、他の部分を豪華にしてそちらに注意を引けばいいのでございます。ワンポイントで身につけるブランド品も、有効な道具。他の部分の豪華さに引っ張られ、顔もよく見えるのでございます。
どうですか? 考え方は「トータル」つまり全体像で考えるということ。自分の顔の「何が」嫌いなのかをハッキリ分析し、そして、足したり引いたりしながら、全体像として綺麗にまとめていけばいいのでございます。細部で気になる部分が有ったとしても、全体像として綺麗ならば、そんな細部なんて誰も気にしないのでございます。
さ~てと、この「顔」のお話、実は、人づきあいでも同じ事が言えるのでございます。世の中に完璧な人なんて、おりません。みんな、好きな部分、嫌いな部分を合わせ持っているのでございます。あるいは、他人を見て、その人の好きな部分と嫌いな部分が見えてくる場合もございます。
この好きな部分・嫌いな部分にも、先ほどの対処方、使えるのでございますよ。自分の嫌いな部分を封印するか、好きな部分を磨き上げるか。でも、これをやるには、十分な自己分析が出来てないと無理ですよね。最初の方でお話したように、大ざっぱに「自分が嫌い」と思っていては、この対処方は使えないのでございます。
他人への人づきあいにも、同様に使えるのでございます。やはり、他人を十分に分析し、自分なりにその人の好きな部分と嫌いな部分を分析する。そして、あとは、全体像としてその人を見る(これ、重要)。きちんと分析さえ出来ていれば、自分とその人との相性の悪い部分は明白でございます。それを踏まえた上で、好きな部分で接点を持てばいいのでございます。
自分がどんな顔をしているかって、あまり自分では気がついていないものでございます。そこで、ワタクシは、「今日、私はどんな顔?」「今、どんな顔、してるかな?」と、日に何回も鏡を覗き込んだりいたします。するとですねぇ、思いも寄らぬ自分の顔に遭遇したりするのでございます。
「思いも寄らぬ」ということは、まったく自覚が無いということ。自分的には全く普段通りなのに、鏡の中では、目がつり上がったワタクシがいたり、口角が下がったワタクシがいたりいたします。気づいていないけれど、何かしらの体や心の変化が、顔に微妙に現れているのかもしれません。
顔というもの、何も考えず、どこにも力が入っていない状態の顔は、非常に重要でございます。これを仮に、「顔のデフォルト状態」と申しましょうか。無意識に出してしまう表情ですので、このデフォルト状態が、その人の「見かけ上のキャラクター」を決めてしまうのでございます。
見かけ上というのが、くせもの。例えば、デフォルト状態がちょっと目がつり上がった顔ですと、本人は全然怒っていないのに、回りの人は「え? あの人、起こってる?」という印象を回りに与えてしまうのでございます。
逆に、何も可笑しいことを考えていないのに、デフォルトで笑みを湛(たた)えている人とか、あるいは、デフォルトで困っている人、デフォルトで間が抜けている人とか...デフォルト状態とその人のキャラクターと一致している場合もあれば、無意識のうちに違うキャラクターを回りに発散している場合もございます。
ワタクシは若い頃、デフォルトが「ポカ~ン」だったみたいでございます。授業中に何度も「大丈夫、理解してる?」と聞かれたり、人から何かを頼まれた後に「もう一回言おうか?」と聞かれたりが多かった。無意識のうちに、ポカ~ンとした顔になっていたのでございましょう。
今だからこそ、言える! 当時のワタクシを分析してみましょう。ワタクシは何かしらの新しい言葉が入ってきたときに、「自分劇場」の白昼夢に突入していたのでございます。新しい知識を反芻していたのでございましょう。何かを頼まれたときは、それを忘れないようにするためのキーワードを、頭の中で練っていたりしていたのでしょう。
ちょいと話がズレましたね。元に戻しましょう。顔のデフォルト状態というのは、無意識の内に、得をしたり、損をしたりする。無意識なので、本人にはその理由が分からない。ですので、非常にやっかいなのでございます。
そして、冒頭でも申しましたように、これが、毎日コロコロと変わる。微妙に変わる。でも、注意深く見ていないと、多分、見落とす。それくらい微妙な差。この微妙な変化を鏡の中から読み取って、自分へフィードバックしたりもいたします。
どうでしょう? こんな事を考えると、鏡を覗き込むのも楽しくなってきませんか? そして、日々の軽いトラブルなどでも、ちょいと鏡を覗き込んで「今、どんな顔してる」と自分に問いかけるのも、よろしいのでございます。