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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2017-06-22 【1%の閃きと99%の汗である】

昨日は、人工知能が将棋を指すお話をいたしました。そしてその人工知能の思考方法が、二種類あることもお話しいたしました。ひとつは、あらゆる手をしらみつぶしに辿っていく方法。もうひとつは、多くの先人の知恵を借り、直感で決める方法。それを踏まえまして、今日は”人間”知能のお話でございます。

実はですねぇ、人間が物事に対処するときにも、この二種類があるのでございます。前者のしらみつぶしに当たるのは「帰納法的アプローチ」。後者の直感で進めるのは「演繹法的アプローチ」なのでございます。

帰納法的アプローチというのは、まさに「しらみつぶし」。考えられる方法を、片っ端から試して行くやり方でございます。試しているうちに、大当たりする場合も有れば、大ハズレの場合もある。大当たりした場合でも、もっと大きい当たりが有るかもしれない。だから、さらに試行を繰り返していくことになる。思い込みが少なく粘り強い性格の人に向いているのでございます。

一方、演繹法的アプローチは、直感が命。直感、つまり「センス」でガシガシ進んでいくやり方でございます。「これは、こうすれば上手く行くはず」という強い直感が最初に存在し、そこを軸に微調整を繰り返しながら最終形に辿り着こうとするやり方なのでございます。センスがある人にとっては、非常に強力なやり方。でも、もし無い人だったら...ということでございます。

この二つのアプローチのどちらを取るかは、性格に因るところが大きいでしょうねぇ。両方を上手に、臨機応変に使い分けられる人もいらっしゃいます。仕事への対処、日常の人づきあい、スポーツ選手・芸術家の練習風景など様々なシチュエーションで、この二つのアプローチが見え隠れするのでございます。

ここで、「センス」という言葉を使いました。「あの人はセンスがある」とか使いますよね。この「センス」こそ、直感なのでございます。それまでの多くの経験から「何となく、こうすれば上手く行くんじゃないかな」と閃く感覚、これが俗に言う「センス」なのでございます。

多くの人間の指し手を蓄積することでコンピュータが直感を会得した様に、人間のセンスも、それまでの経験の蓄積の結果なのでございます。幼少期から多くの経験を重ねますと、その経験に基づくセンスを会得しやすくなる。音楽家の子供に音楽家が多いのも、そんな理由なのでございます。

では、センスの働かない人はどうするか? そこに帰納法的アプローチが有るのでございます。コツコツ型の帰納法的アプローチを「秀才肌」と呼ぶのならば、閃きで突き進む演繹法的アプローチは「天才肌」と呼べるでしょう。1%の閃きを99%の汗で具現化したエジソンは、この両者を合わせ持った人物だったのかもしれません。

さて、人の営みに二つの方法がございますが、ここに「勘違い」が有ったりすると、不幸な結果に陥ったりいたします。秀才肌の人から見ると、天才肌の人は実に簡単に事を進めている様に見えるのでございます。しかし、秀才肌が天才肌のやり方をそのまま真似たところで、必ずしも上手く行くわけじゃ無い。直感という裏付けのない真似は、やはり真似でしか無いのでございます。

また、人を指導する場合にも、天才肌と秀才肌の組み合わせだったりすると、不幸な結果が生じます。天才肌の人は直感で突き進んでいるので、自分の成功を論理的に説明出来なかったりする。秀才肌の人は失敗を重ねているので、自分のやり方の効用に関しては十分な説明が出来るのですが、それを天才肌の人に教えようとすると、軋轢が生まれる。

プロ野球などで、天才プレーヤーが必ずしも名監督にならなかったりするのは、ここに原因が有るのでございます。天才肌の人は、秀才肌の人があまり理解出来ていません。「どうしてこれが出来ないの?」とすぐに思ってしまうからでございます。逆に、秀才肌の人は天才肌をいつも羨望のまなざしで見ているので、自分との違いを如実に思い知らされ、両者の違いをよく分析している場合が多いのでございます。

最前線でガシガシ行動するのならば、この二つのアプローチのどちらでも構いません。しかし、一段高いところから人を指導あるいは統率しようとすると、この両者の存在を無視するわけには行かなくなるのでございます。分かっていて使い分ける、対応を変える、これが必須になってまいります。

コンピュータが直感を持ったという事は、今まで秀才肌だったコンピュータに天才肌が出現するということでしょう。何とも想像が付かないのですが、クワバラ、クワバラ、怖ろしい時代になったなぁと思うのでございますよ。では、では。


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