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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2017-06-21 【千数百億個の壁】

何でも、中学三年生の棋士が28連勝したとかで、大騒ぎでございます。この28連勝がどんなすごい記録なのかは、とんと想像がつきません。ワタクシの中学3年と言えば、教室の中でエロい話をする同級生の話に、聞いてない振りをして耳をダンボにしていたのが微笑ましい思い出。ますます、想像がつかないのでございます。

この28連勝は人間vs人間の勝負でございますが、人間vsコンピュータの勝負なんてのもございます。人工知能との戦いでございますね。この戦いで、ここのところ人間は負け続きでございます。将棋、囲碁、チェスといった勝負で、完敗なのでございます。

チェスは、終盤になるにつれて盤上の駒の数が減っていきますので、人工知能にとっては計算は軽くなっていくのでございます。それに比べ、将棋は取った駒を再利用出来るので、チェスよりも計算が複雑になると言われております。

さらに囲碁は、盤面が広い・手の多さなどで、人工知能にとっては難攻不落だと長い間言われておりました。にも関わらず、現状では、将棋・チェス・囲碁において、もはや人間が人工知能に勝つのはかなり難しくなっております。

実は、ボードゲームでの人工知能は、ある時期から急に強くなっております。昔の人工知能は、単純に次の手の全ての可能性を羅列し、それらをある数式(評価関数)で評価し、一番評価の高い手を選ぶというだけのもの。

このやり方、コンピュータの性能が高くなるにつれ、3手先とか数十手、数百手先まで深読みすることで強くなるのですが、深読みすればするほど計算量は膨大になってまいります。いくらコンピュータが高速になっても、どこかで頭打ちになるのでございます。

そこで、人工知能の新しい時代がまいります。人間の打った手を片っ端から入力していき、その多くの手から”傾向”を導き出すという方式を取り入れたのでございます。「こういった状況では、人間はこういう手を打ちやすい」という傾向を、無限に蓄積していくわけでございますね。

そして、その無限の”傾向”の中から、結果的にその後の展開が有利になった手と不利になった手を分けていくと、「良い手」「悪い手」のデータベースが出来上がる。次の手を数学的に求めるのではなく、膨大な人間の経験から得た”傾向”をもとに、次の手を決めているのでございます。

これは、恐いですよ。人工知能が「直感」を持ったということでございますから。計算し、確信を持って手を打つのではなく、「なんか、こうすればいいはず」という閃(ひらめ)きのようなもので行動するわけですから。

この「直感」だけは人間様の特権、最後の砦だと思っておりました。人間がする多くの経験や失敗の蓄積からのみ得られる感覚だと思っておりました。しかし、その人間の経験や失敗を膨大に収拾し、高速に分析することで、人間と同じような直感的行動が出来る様になったのは、コンピュータの勝利でしょうねぇ。

さて、ここで、ワタクシはこのお話を逆に人間に当てはめてみたのでございます。人がオギャーと生まれて、さまざまな経験をし、知性や感情を高めていく過程は、実はこの人工知能が”傾向”を蓄積する過程と同じなのではないか、そう考えるのでございます。

「みんなが悲しそうにしている、これは悲しい出来事なんだ、じゃぁ悲しもう」「みんな笑っている、これは楽しいことなんだ、笑おう」といった幼少期からの小さな経験を膨大に蓄積することで、人の感情も形成されていくのではないか? そんな思いに行き当たるのでございます。

以前、コンピュータがネットで繋がることによって、そのネット全体が有機的な反応をすると書きました。ここにきて、多くの人間の”傾向”を蓄積したコンピュータが、より人間的な「直感」で行動する時代に入っております。

人間の脳細胞の数は、千数百億個とも言われております。その膨大な数ゆえに、脳細胞をコンピュータの電子回路で模倣するのは不可能だと思われておりました。しかし、コンピュータがネットで繋がったり、膨大なデータを蓄積したりしてその「千数百億個」に近づいているのは間違いなさそうでございます。鉄腕アトムも、夢じゃないのかな?

さて、最期に、ちょっと恐い余談を。以前、Google が自社の人工知能を開放し、一般人に自由に言葉を入力させていた時期がございました。人工知能に、人間の言葉の”傾向”を蓄積させたかったのでしょう。

すると、数日も経たぬうちに、その人工知能はナチスを礼賛する言葉を連呼し始めたのでございます。Google は慌ててその人工知能をシャットアウト。多分、意図的にそういう思想の言葉が数多く入力されたのでしょう。人工知能も人”間”知能も、幼少期に出会う人や言葉が重要だということでしょうね。ちょっと恐い余談でした。では、では。


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