店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
ちょっと前に、Googleの人工知能がナチス礼賛を連呼し初め、慌てて人間様が人工知能を止めるというニュースがございました。これは、経験値を上げるために、一般の人(人間)との会話を許していたのが原因でございました。悪意の有る友人が、いらんことを吹き込んだようでございます。
先月のニュースでは、フェイスブックの二つの人工知能が、突如、人間には分からない機械独自の言語で会話をし始めたとのこと。この場合も、やはり経験値を上げるために二つの人工知能で会話をさせていたところ、独自のコミュニケーション方法を自分たちで開発してしまったらしいのでございます。
経験値を上げるために人工知能どうしで対戦させるというのは、チェスや将棋の人工知能でも、よくやる事でございます。そして、人工知能どうしのコミュニケーションから、人間の思いも寄らぬ奇手が生まれたりするのでございます。その奇手が、国家間の国防に及んだらどうなるか? というのが、これからご紹介する映画でございます。
1970年のアメリカ映画でございます。内容は、アメリカが、国防システムを優秀な人工知能に任せてしまうというお話。すると、ソビエトでも同様の人工知能が稼働していることが発覚し、その内、アメリカとソビエトの人工知能が「対話」をするようになる。自我を持ち、暴走を始めた人工知能”たち”が下した判断とは...結末は書きませんよ、安心して下さいませませ。
人工知能の暴走は、SFでは定番のストーリーでございます。が、それが実際に起きる時代になったのですよねぇ。Googleの例は、悪友に染められたから。フェイスブックの場合は、共感する者どうしが傷をなめあっていたから。フ~ム、人間の世界と同じでございますねぇ...
人間社会でも、若い頃の経験や出会った人によって、自分のの価値観が決まってしまうようなところもございます。また、気の合う友との愚痴話も、それがストレス発散になればよろしいのですが、逆に「思い出したら腹が立ってきた」という逆効果の場合も有るようで。
ですので、人工知能のような暴走を”人間様が”起こさないためには、広く色々な考えの人と接するべきであるし、また、共感する者どうしでの傷の舐め合いを避けるべきだとも思います。(唐突ですが)そこで思い出すのが、最近の横一線報道のバカマスコミ。
加計問題にしろ、どのマスコミも同じ報道。国会中継ではセンセーショナルな発言がいくつか有ったようですが、バカマスコミは取り上げない。恣意的な報道をあそこまで横一線に同調出来る日本のマスコミ、悪い意味で「筋金入り」。
ここで、ワタクシ、ある推測がございます。今の働き盛りの人達は、「イジメ問題」をくぐり抜けてきた世代。学校のイジメでは、「目立つ」ことや「孤立」するということは、自分が「標的」にされることにつながる。ですので、この世代には、「本意に関係なく周りに同調する処世術」が本能的に身についちゃってるのではないでしょうか?
他社と同じ内容で出しておけば、とりあえず、スクープや大当たりはないけれど、ひとり負けすることもない。そんな路線を、本能的に選んでないかなぁ。営業的には安全パイでしょうけど、ジャーナリズムとしてはどうかなぁ?
人工知能が暴走するように、人間も時と場合によっては暴走いたします。韓国の大統領弾劾でのデモ騒ぎ、イラク戦争での「大量破壊兵器疑惑」等等等。人工知能はスイッチを切ればいいですが、人間様にはスイッチが有りませんからねぇ。あぁ、くわばら、くわばら。