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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2017-12-21 【公共放送ゆえの番組があるはず】

毎度、コンビニの話題で申しわけございませんが、今日もほんの少しだけお付き合いを。

コンビニ本部からの指示なのでしょうが、開店直後のコンビニには、必要以上に大量の商品が陳列されております。特に目につくのが、お弁当・パン類。もうね、朝も、夕方も、深夜も、いつ行っても棚から溢れんばかりの商品が並んでおります。

あれ、多分、大量発注の末に、大量廃棄になるのだろうなぁ。店長さん、ギリギリしてるんじゃないかなぁと思ったりしております。そんな商品あふれるコンビニ新店ですが、或る商品だけは非常にシビアな数しか並んでいないのに気がつきました。新聞類でございます。他コンビニの半分以下の部数しか並んでいないのでございます。

想像ですが、新聞だけは発注が別系統なのかも。というか、配本ならぬ「配紙」なのかも知れませんね。どの店にどの新聞を何部置くかを決めるのは、コンビニではなく新聞を取り仕切る問屋が決めているのかもということでございます。

書店に勤めておりましたので、本の配本システムはある程度知っております。どんなに売れ筋だと分かっている本でも、街の本屋には数冊しか問屋から送られてこない。事前に何十という発注数を書いていても、発売日当日に送られてくるのは数冊。書店の発注数に関係なく、どの本屋に何冊配本するかは、問屋が決めてしまうのでございます。

一方、大手の大書店には、発売日に何百冊という本が並び、飛ぶように売れていく。本の売れ行きというのは、発売日からの数日が勝負。街の書店にその本の追加注文分がやっと届く頃(数週間~1ヶ月後)には、需要のピークを完全に過ぎているのでございます(何十年も前のお話ですから、今は事情がチョイト違うかも知れません)。

さて、話は変わり、最近気になるニュースは、NHKの受信料。最高裁でも受信料を肯定する判例が出ちゃいましたので、これからは受信料徴収に拍車がかかるものと思われますよぉ。まぁ、当店でも、プレイルーム内にテレビを置いておりますので、その台数分の受信料を支払っております(台数が多くなると、ちょっと割安になります)。

ただね、携帯電話やパソコンからも徴収するという流れがございますから、これはこの先、一悶着ございますよ。もうね、明らかに、法律が時代遅れなのでございます。ブラウン管式のテレビがサラリーマンの初任給何ヶ月分もの高額だった時代の法律なのでございます。携帯電話を買ったらオマケでテレビ受信機能が付いてくる時代には、合わないのでございます。

でね、「NHKを見ないのに、テレビが有るというだけで受信料を払うのは不条理だ」という意見もございます。「スクランブルをかけろ」という声もございます。テレビがデジタルになって受像機一台ごとの管理が可能になってますので、「見た人だけ徴収する」というのも可能にはなっているのですが、もしそれをやると、多分、NHKは潰れます、間違いなく。

ワタクシは、「先進国として、公共放送は必要だ」と考えております。情報源としてならネットも有効ですが、ネットにはコンプライアンスが無い。特に、災害時などにデマ拡散の元凶になりやすい。民主主義近代国家として、そして、災害の多い国として、全国規模の公共放送局は必須だと考えております。

だからと言って、じゃぁみんなが受信料を払いたくなるかというと、そうはならない。そこで、ワタクシ、こんな事を考えました。受信料の歳入の一部を、民放各社にも配分するのでございます。そして、民放にやって欲しいことは、「『スポンサーなしの番組』を作れ」ということでございます。

何か事件が起きると、放送各社がまったく同じ報道しかしない。大きなスポンサーである車メーカーの不祥事は、なかなかニュースになりにくい。家電の性能を明からさまに比較検証する番組は生まれない。スポンサーや視聴率に縛られて、民放各社どころかNHKまでもが「嫌われる勇気」を持てないでいるのが、現状のテレビ番組でございます。

『暮しの手帖』という雑誌が、厳格な商品検査をするために、長年、広告を取らなかったというのは有名なお話でございます。テレビ局にも、そのくらいの気位を持って頂きたいですよね。論評が、各放送局ごとに違っていても構わない。綺麗な模範解答はいらないのでございます。いろんな意見が錯綜してこそ、国民に「自分の頭で考える」という能力が身につくのでございます。

受信料も、その様な使われ方をすれば、「まぁ、払っておこうかな」と思う人も増えるのではないでしょうか。なぜ、若い人がテレビを見なくなり、ネットで本音をぶちまけるのか? それは、どのテレビ局も「体(てい)の良い番組」しか作らなくなったからでございます。本音がドロドロ出てくるような番組が増えれば、若い人のテレビ離れも少なくなるような気がいたします。

長くなってスイマセン。今日はこの辺で。


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