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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2017-12-30 【自宅で初詣も出来ちゃうかな?】

昨日、「ありがたみは、それを想う人の心の中に有る」と申しました。「鰯の頭も信心から」なんて語もございますように、信仰というものの、それを信じる人の心の中にございます。もうすぐ、初詣の時期でございますね。どうぞ、鰯の頭を信じる気持ちで、お出かけ下さいませ。

若い頃から、「宗教」と「哲学」の線引きは何だろう?、ということをよく考えておりました。すっごく大ざっぱに言いますと、どちらも「救い」なんですよね。心の救い。ただ、その救いの求め方に、宗教と哲学の違いが有るような気がいたします。

宗教的な救いは、「受け入れる」ことでございます。今あるがままを受け入れることで、心に安らぎを得ようとする考え方。消極的・受動的な救いと言えるでしょうか? 一方、自分の精神を積極的・能動的に変えていって救いを求めるのが哲学、そんな感じがいたします。まぁ、きっちり、こんな感じで線引きできるわけでも無いのですけどね。

ほら、初詣の意義、見えてきませんか。出向いて、お願いをすることが重要なのではございません。信じる心を持ってわざわざ出向くこと、それによって自分の心の中に安らぎや救いを得ることが重要なのでございます。

「エッ? じゃぁ、神様いらないじゃん」と言われそうですね。そう、神様は、みなさま方の心の中にあると、以前、申し上げましたでしょ。自分の心の中の神様と対話すること、それが信仰なのかも知れません。

さぁ、年の瀬も押し迫ってまいりました。やっと、年賀状に取りかかっておりますが、投函は年明けになっちゃうかな。頑張らなくっちゃ。では、では。


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