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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2017-12-29 【忘れないこと、思い出してあげること、それが供養】

「メメント・モリ」という語がございます。ラテン語でして、「自分がいつかは死ぬという宿命を忘れるな」という意味でございます。芸術的に「死を想う」なんて訳されたりもいたします。中日新聞が、ここ数日間、この「メメント・モリ」というタイトルで火葬場の残骨灰に関する記事を載せておりました。

火葬場で焼いた後の灰には、金や銀などの貴金属が含まれているそうでございます。歯の治療用の金属だそうでございます。残骨灰からこれらを取り出して収益とする企業が古くから有るそうなのですが、最近、この残骨灰が注目されている関係で、残骨灰の争奪戦が起きているそうでございます。

ワタクシとしては、貴重な資源、有効に再利用していただければよろしいと思っております。ただねぇ、日本人ってのは遺骨に関して異常なまでの尊厳を持っちゃってまして、たとえ残骨灰と言えども丁重に葬れとか、まぁいろいろ注文がつくらしいのでございます。

この残骨灰の扱いを定めた法律が、無いそうでございます。それで、先ほど申しました「争奪戦」になっちゃうわけで、過去には何度か裁判沙汰も起きているみたいでございます。ここで、ワタクシ、キッパリ言いますけど、燃やしてしまえばただのカルシウム。もうね、産業廃棄物でええやん、と言いたいのでございます。

先日、「八百万神」の考え方を申しました。その影響なのか、”すべての”遺骨にも何か神聖な感情を抱いてしまいますよね。でも、ワタクシはこう考えるのでございます。「ありがたみ」というのは、遺骨に有るのでは無く、それに関わる「人の心の中」に有るのではないでしょうか?

物がただ置いてあるだけなら、それは単なる無機質な物質に他なりません。しかし、ひとたび、その物質に何かしらの「想い」が向けられると、その物質に何かしらの「ありがたみ」を感じたり「神が宿っている」という情念に至ったりするのでございます。そう、その「思い」は、物質ではなく、自分の心の中にございますよね。

ですので、その物質が「捨てられた」「忘れられた」後は、もうただの「物」。尊厳を感じたり、丁重に扱う必要は無いと思うのでございます。火葬場で言えば、お骨を拾い上げた後の「残りの骨や灰」を火葬場にお任せした時点で、単なる産業廃棄物として扱えばいいと思うのでございます。

忘れられた物を捨てるという考え、「断捨離(だんしゃり)」に通じますよね。そうそう、マリー・ローランサンの「鎮静剤」という詩には、こんな一説もございます。

「死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です。」

ちなみに、ワタクシは、母親が亡くなったときに、お骨を拾っておりません。全て、火葬場で処分していただきました。思い出も、想いも、すべてワタクシの中に残っております。ですので、単なるカルシウムの固まりには、何の未練もございませんでした。まぁ、当時は、賛否両論、いろいろ怒られたりもしましたけどね。では、では。


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