店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
テレビ・新聞などは、伊勢志摩サミット関連で持ちきりでございます。世界の首脳の方々が、伊勢神宮へお参りに行かれたとのこと。各種報道では「”二拝二拍手一拝”は求めずに自由に参拝」などと報道されておりますが、そもそも伊勢神宮は「四拍手」だとも言われており、まぁ、あえて作法を求めなかったというのは、余分な混乱や堅苦しさを避ける意味で良判断でございましたね。
さて、神社関係では、こんな別のニュースもございます。最近、さして混雑していないのに賽銭箱の前に長い行列が出来ることが多いらしいのでございます。「賽銭箱の中央で参拝しなければいけないと思い込んでいるのか、あるいは、中央にしかパワースポットがないと思い込んでいるのか?」とは、ある神主談。神社側では「鈴を鳴らしたら、横にずれて下さい」とお願いしているそうなのですが、なかなか行列がなくならないそうでございます。
別に、あれは、端っこでお参りしても、何ら問題ないですよ。あと、二拝二拍手一拝とか口や手を濯(すす)ぐ方法とか、事細かく作法が決まっている様ではございますが、あれを厳格に守らせようとする風潮も、ワタクシは大っ嫌い。ワタクシは、ほぼ毎朝、近所の神社へお参りするのを日課にしておりまして、まぁ、だいたい、作法通りにお参りしてはおりますが、そんなに拘りません。形よりも「心」が重要だと思っているからでございます。
それで気になるのが、もうひとつの風潮。パワースポットとかへ、やたら「パワーを”もらいに”行く」という感じで赴く風潮。「Give」と「Take」のTakeばかりしかないということですよね。こういった「ちょうだい根性」で参拝するのはどうかなぁ、と思うのでございます。
ワタクシは、パワーというのはパワースポットに有るのではなく、各個人それぞれの「心の中」に有ると思っております。寺社仏閣へ赴く際、その場所まで足を運ぶ尽力さ、境内に入るあるいは結界を超える時の敬虔(けいけん)さ、そして参拝する時の感謝の気持ち、こういった真摯な姿勢(Give)が、自分の中のパワーを引き出してくれるのだと思っております。つまり、もともと自分が持っているパワー(自力)を、寺社という環境の力(他力)によって引き出してもらう、という考え方でございます。
日本にはもともと、「八百万(やおよろず)の神」という概念がありまして、石ころから木や山、果てはトイレにまで神様が宿っているという考えがございます。そう考えると、我々一人一人にも神様が宿っているとも、考えられるわけでございます(その考え方で、能楽を飛躍的に進歩させたのが「世阿弥」なのですが、その話はまたの機会に)。参拝によって、その自分の中に宿っている神様を引き出すということでございますね。そういう気持ちがあると、寺社やパワースポットへ出かけるのも、より有意義になるのではないでしょうかねぇ。