店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
鈴木砂羽さんの舞台の話が、話題になっております。女優の鈴木砂羽さんが主演と演出を兼ねた舞台で、出演者2人が公演直前に出演を辞退したというお話。鈴木砂羽さんが土下座を強要したとかしないとか、そんなお話でございます。
それは、ワタクシが通っていた演劇学校の卒業公演でございました。ワタクシはすでにいくつかのミュージカルに出演しておりまして、その学校では30過ぎの最年長。ワタクシ以外の人は20代前半の人が多く、舞台経験のない人もチラホラおりました。
その卒業公演の演目ですが、4人の若者が結託して世界征服を目論むが、最期は自滅してしまうというお話(ほんと、うろ覚えでゴメンナサイ)。劇中に、歌を歌うシーンが有る。有ると言っても、ミュージカルのように演技しながらではなく、寄り添って合唱するといった感じ。ワタクシ、年長者ということもあって、主役級の4人の中の1人だったわけでございます。
この時の演出家は、その演劇学校の校長先生。この先生が、威圧的な稽古をするわけでございます。まぁ、それは問題ない。威圧的な演出家なんてのは普通。それ前提で、舞台の世界に足を踏み入れているわけでございますから。ただ、ちょっとワタクシ的に心配だったのは、その演出担当の先生が、音楽の知識に皆無だったことでございます。
さて、稽古を進めていきますと、実に些細なことで稽古が止まり、そのワンシーンだけ執拗に稽古が続く。演出家の拘りなので仕方が無い。仕方が無いのですが、本番の日程は決まっているわけで、ワタクシとしては「間に合わない!」という感情が沸き上がってきたのでございます。
まだ、歌部分の稽古はスケジュールも決まってない。伴奏も発注しなければいけないはず。なまじっかミュージカルの経験が有ったから必要以上に焦ったのかも知れませんが、「この演出家、歌部分が念頭にない!」と、ワタクシ思い始めたわけでございます。
で、ワタクシが取った行動は、舞台のマネージャーに相談すること。このマネージャーというのは、演出家の息子さん。マネージャーにワタクシの思いの丈を話し、歌部分の稽古や準備はマネージャーが進めてくれるようにお願いしたのでございます。同時に、ワタクシも歌練習のためのデモテープを自分の声と伴奏で録音し、歌のある出演者に配っておりました。
ひとつ歯車が狂い出すと、他の部分も鼻についてしまうようになるものでございます。脚本の解釈とか、演出の仕方とか、稽古の日程とか、「あぁ、自分ならもっと上手にやれるのに」という”思い上がり”が首をもたげるのでございます。ガンダムを下ろされた時のアムロ・レイの心境でございますね(笑)。
そして、舞台稽古に入りますと、ワタクシがプッツンする出来事が起きるのでございます。実際の舞台は、稽古場よりもはるかに広い。普通、稽古の段階で稽古場に実際の舞台の大きさをラインで引きまして、実寸で動きを確認する稽古をするものでございます。ところが、この舞台では、稽古場でそのような実寸を確認するという稽古が無かったわけでございます。
舞台稽古に入り、どうするのかなと思いきや、演出家、稽古場の寸法で動けとのこと。広い舞台を狭く使えと言ってきたのでございます。ここで、ワタクシ、プッツン。もう、そんな指示を無視して、舞台全体を使う大きな演技を自分勝手に始めたわけでございます。
これには、演出家も、名指しはせず遠回しに注意。他の演者は、ワタクシを指さして非難ゴウゴウ。ワタクシの中で「良い舞台を作ろう」という感情は消え、「私は正しい!」という思いで占められたのでございます。今、思い出すと、ちょっと恥ずかしいお話。
結局、ワタクシが自主規制しまして、無事に舞台は開演。ただ、「本当は私が正しいのに」という思いは舞台が幕を閉じた後も消えることがなく、結局、みんなが誘ってくれた「打ち上げ(終演後の飲み会)」を断って、1人帰路についたのでございます。今でも克明に思い出される、ワタクシのトラウマのひとつでございます。
どうすれば良かったのでしょうかねぇ。「この演出家にはついて行けない」と思った時に、早い段階で辞退すべきだったでしょうか? 少なくとも、演出家を見下す気持ちがワタクシに芽生えた時、「離れるか」あるいは「折れて服従するか」の決断をすべきでございました。気持ちが曖昧なままに進んで行ったことで、結果的に土壇場で問題行動を起こすことになったのでございます。
さてさて、冒頭の鈴木砂羽さんの件の、ワタクシなりの感想を。土壇場で降板なんかすると、いろんな人にメチャクチャ迷惑がかかります。だからみんな、稽古中は怪我をしないように、病気にかからないようにと、細心の注意を払って初日に臨むわけでございます。ですので、自分の感情でドタキャンするなんてのは、それこそ「人道にもとる」行為でございます。