店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
とのこと。同じ「言葉を扱う芸能」ではありますが、片や、頭の中に残すものだとして覚え、片や、吐き出した途端消えていくものだとして覚える。落語家さんのこの感覚、興味深かったのでございます。落語とドラマを両立させている談春さんならではの、感覚でしょう。
以上、落語のお話でございますが、これは、舞台や音楽にも似たような感覚がございます。舞台・音楽ってのは、演じた途端に消えていく芸術でございます。特にドラマってのは、同じ台本を何度も演じるということがございません。
消えていく芸術なのでございますが、時として、同じ演目や曲を何回もやることにもなるわけでございます。数回くらいのレベルですと、終わりますと綺麗さっぱり忘れちゃいます。ところが、数十回というレベルになると、今度は逆に、頭の中に残ってしまい忘れることが出来なくなる。芸能にとって、この「忘れることが出来なくなる」というのは、チョイト面倒なのでございます。
頭の中に残りすぎますと、それが「飽き」につながるのでございます。飽き、または「慣れ」と申しましょうか。これが表現の邪魔をすることがある。演者ってのは上昇志向ですから、「前回よりも良い演技(演奏)を」と常に思っているわけでございますね。
しかし、ここに飽きや慣れが関わりますと、今までと同じ事を繰り返すことが苦痛になる。変える必要のない部分まで、不用意にこねくり回したくなる。そして、迷走するということも有るのでございます。頭に残すことも必要。でも、時として、忘れることも重要だったりいたします。
最期に、もう一つ。言葉を扱う職業で「辞書編纂(へんさん)」というものがございます。広辞苑などの辞書に入れる言葉を日常生活から拾い集め、それの説明文を付け、辞書に加えるという職業でございます。その職業に携わる人が、こんなことを申しております。
「広告代理店も辞書編集者も、どちらも言葉を集める仕事。でも、広告代理店が集める言葉は、”パッと咲いたばかりの花”、”芽吹いたばかりの芽”、”散り始めた花粉”であって、今の瞬間を萌えさせ、消えていく言葉。しかし、辞書編集者の集める言葉は、地面に降り積もって土になって腐葉土になって、次の日本語を育てる土壌になるもの」