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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2016-07-02 【ツボイノリオさん、あなたが最後の砦です】

「名古屋のみのもんた」、この様に言われていたとは、初めて知りました(笑)。東海地区限定のビッグスター「宮地佑紀生」さん、暴行事件で、一躍、全国的有名人になったのでございます。ワタクシが受験生の頃は、深夜のラジオ番組では大変お世話になったのでございますけどねぇ。ラジオの生放送中に共演者に暴行って、もうね、自制心ゼロ。まぁかなり以前からイライラしていたとのこと。ということで、今日は「イライラ」を科学するのでございます。

ちょっと想像してみて下さいませ。ここに「縦のものを横にもしない」とイライラしている人がございます。この人は「横であるべき」と思っているわけでございますよね。さてもう一人「横の物はきちんと立てておきなさい」と考える人がいる。この人は「縦であるべき」と考えるわけでございます。こんな両者が出会ったら、さぞもめるでしょうねぇ(笑)。さらにもう一人想像してみて下さいませ。その人は「別に縦でも横でもいいじゃん」と考える人。

さあ、三人の登場人物が出そろいましたよ。最初の二人はイライラしております。縦にしたり横にしたり、もう大変。それを尻目に、われ関せずの3人目、「なんで二人はイライラしているの?」と訳の分からない様子。イライラ2人組と3人目、何が違うのでございましょう。そう、これは「拘(こだわ)り」。拘りがあるかどうかの違いなのでございます。

イライラのほぼ全ての原因は「拘り」。「これはこうあるべき」という思いが、イライラを生み出すのでございます。一方、拘りの無い人から見ると、そのイライラは意味不明。同じ人間なのに、イライラする人としない人が発生する。そう、そうなんです。人は「○○にイライラさせられた」とは言いますが、実は、イライラは自分の中の「拘り」が作り出しているだけなのでございます。

でも、その「拘りの呪縛」から抜け出せないのは、「自分が正しい、相手が間違っている」との思いが有るからでございます。でもね、ここで気づいて頂きたいのは、「拘りの無い3人目」の存在でございますよね。どちらが正しいとも思っていない人も存在するのでございます。実は、正しいとか間違いというのは「幻想」。理想郷を求めるが故の幻想なのですが、万人の理想に適(かな)う理想郷なんて、そもそも存在しないのでございます。

イライラからは抜け出したい。でも、自分の理想は捨てられない。ここで、ジレンマに陥るわけでございます。選択肢は2つ。「理想を追求してイライラし続ける」か「理想を棄ててイライラから脱却する」かでございます。この「理想」が志高いものであるのなら、イライラする価値もございましょう。しかし、多くのイライラは、どうでもいい単なる拘りから発する物。そこで結論、ほんの少しの「こだわりを捨てる勇気」を持てば、イライラから解放されるのでございます。

そこで、実践編。もしイライラしたら、まず、数秒間かけてゆっくり唾を飲む。この数秒間で、「イライラする程の問題なのか? 単なる拘りではないのか?」と自問自答するのでございます。ここで結果を出す必要は必ずしもございません。この「数秒間」に意味があるのでございます。実は、イライラというのは、最初の数秒間をやり過ごせれば大きなイライラに発展しにくいという実験結果が出ております。どうやら、初期の小さなイライラに油を注いでいるのは、自分自身のようでございますね。

さて、ワタクシ自身はと申しますと、子供の時は「癇癪(かんしゃく)持ち」でございました。20代前半くらいの時に、「この癇癪を放置しておくと大変なことになる」と気がつきまして、ちょっと自制心が強くなった時期もございました。しかし、この自制心を弱くしたのが中年時期の更年期障害。まぁ、ワタクシのかかりつけ医は「自律神経失調症だったかもなぁ」と申しておりましたが、この生理現象によって、7〜8年、イライラが強い時期がございました。

世の中には、イライラを強くする生理現象や疾患もございます。この様な要因を疑うことでも、イライラを解消する糸口が見えてきたりいたします。イライラは、拘りという「理想」を見続けているうちは、なかなか抜け出せないものでございます。クールになり、「原因」を理路整然と突き詰めていくと、少しずつ抜け出せたりいたします。そして、その原因は殆ど、自分自身にあったりするのでございます。

現代社会は、イライラすることでいっぱい。ストレスとの戦いでございます。しかし、ちょっとした心の持ち様でそのイライラから解放されるとしたら、こんな安上がりなことはございません。また、イライラしている人のせいで、こちらがイライラさせられるということもございますよね。そんな時も、「あぁ、あの人は、今、自分の拘りと戦っているんだ」と思えば、ちょっとは自分のイライラも解消されるのでございます。

宮地佑紀生さんの事件も、ご本人の自覚、そして回りの人達の対応。そういったもので避けられたかも知れませんよねぇ。どうなるのでしょうか? ワタクシとしては、ほとぼりが冷めた頃に復帰して頂きたいものでございます。では、では。


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