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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2016-12-07 【行間を読むなんて語もございます】

ワタクシが若い頃、まだ学生だった頃のお話でございます。大学では文学系のゼミに入っておりましたので、頻繁に論文を書かされておりました。その時に、非常に厳しく注意されたのが「孫引き」という行為。ある書物で「○○という本にはこう書かれていた」といった引用部分を、そのまま自分の論文に引用する行為。引用をふたつ重ねますので「孫引き」と呼ばれます。

こういった場合は、その「引用元」つまり「原典」までさかのぼって引用するというのが、まさに論文を書くときの鉄の掟。学生時代のそのような教えもありまして、ワタクシは文章を書くとき、書物などから引用する場合は、出来る限りその書物を購入し、オリジナルに目を通してから引用するようにしております。

また、以前、『シーメール白書』という雑誌にコラムを書かせていただいておりました。ネットとは違い、こちらは恐い恐い紙媒体。印刷物ちゅうのは後から修正とか出来ませんし、何より恐いのは「活字の重さ」でございます。印刷物となったものは信憑性が高いというイメージが有る。「間違ったことは書けない」という怖さがあるのでございます。

で、本日のお題は、今、次々と閉鎖されている「まとめサイト」。このまとめサイトこそ、実に孫引きの塊。しかも極悪なのは、引用の過程で「加筆」をしてしまうということ。さらに悪魔的なのは、その加筆をする人が専門知識を持っていないということ。まとめサイトの暴走は、起こるべくして起きたのでございます。

なぜ、そのようないい加減なサイトが、ここまで増殖してしまったか? それは、まとめサイトに表示される広告収入が有ったからでございます。サイト運営側は、元ネタを取材する必要がない。ネットから記事を拾ってきて、加筆してコピーするだけ。一から取材して記事を作製するよりもはるかにコストがかからない。他人のふんどしで相撲を取っているわけでございます。

また、まとめサイトというのは、「一見」便利に見える。だから、そこを見に来る人が増える。閲覧者が増えれば、そこへ広告を載せたいという人が増える。運営会社にしてみれば、労せずして利益が膨らんでいく金のなる木であったわけでございます。

ワタクシは、まとめサイトというものを今までに1回も利用したことがございません。検索で引っかかって、たまたま見ることはございますよ。しかし、冒頭で述べましたように、必ず「原典」にさかのぼってオリジナルの記事を確認するようにしております。まとめサイトの責任感のかけらもない情報を盲信するほど、危険なことはないのでございます。

先日お話した「ヌーハラ」の話題でもそうでしたが、ワタクシはネットの話題を見ると、「へ〜、そうなんだ」とは思わずに、「この話題がなぜ持ち上がった? 意図は? 誰が得をする?」といった考え方をいたします。まぁ、素直じゃないと言えば素直じゃございませんね。ひねくれた見方でございます。

世の中の人づきあいであれば、あまりに猜疑心(さいぎしん)が強いのは運を取りこぼすことにつながります。しかしながら、ネットの情報というものは、まず疑ってかからなければならない。人づきあいというものには必ず「思いやり」という下地が有るのに対し、ネットの情報は必ずしも思いやりや愛情で支えられている情報ではないからでございます。

そう、これが重要。「情報」というものは「そこに何が書かれているか」が重要ではなく、「その記事を書いた人が、どんな想いで書いているか?」、それが重要なのでございます。文章の向こう側にある執筆者の「想い」、これを読み取ることこそが、「読む」という行為なのでございます。

あ〜、またブーメランかなぁ。自分の言っていることが、そのまま自分に返ってきそうで、ちょっと恐い思いなのでございます。コンビニの調理パンへの想いを熱く語っている回などもございますしね。いやぁ、お恥ずかしい。恥ずかしくなったので、今日はこの辺で。では、では。


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