店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
本日はワタクシの完全休養日でございます。午前中からお部屋の片づけや買い出しなどをバタバタとこなしておりまして、気がつくと夕方でございます。このまま一日を過ごしてしまうのももったいないと思い、久しぶりに映画館に行くことにいたしました。とりあえず、上映中の映画の“あらすじ”をザッと確認し、映画館へと向かったのでございます。
最初に飛び込んだのは『ワールド・オブ・ライズ』。CIAの諜報員がテロリストを追い詰めるというストーリーでございます。レオナルド・デュカプリオ、貫禄出ちゃいましたねぇ。髭とか生やして恰幅(かっぷく)が良くなっているので、最初、誰だか分からなかったのでございます。そして、映画全編に漂う『ブラック・フォーク・ダウン』の雰囲気、エンドクレジットで確認すると、監督はリドリー・スコットとのこと。納得したのでございます。
最近は、平日でもレイトショーをやっているのでございますね。一本見終わって、まだ間に合う映画がございました。2本目に飛び込んだのは、キアヌ・リーブスの『地球が静止する日』でございます。人類を襲う宇宙人の大群にアメリカが一国で立ち向かうという、「宇宙人vsアメリカ」という、アメリカ映画のよく好むストーリーでございます。
まだ見ていない方のために、細かいストーリーは申し上げませんが、どちらの映画のエンディングも、いたって“アメリカ的”でございます。ただ、今までのアメリカ映画にはなかった傾向として、アメリカ映画が“アメリカの恥部”をさらけ出しております。『ワールド〜』ではアメリカのアラブ人への見下した感覚を、『地球が〜』では“アメリカさえよければ”というアメリカのエゴでございます。
そもそもアメリカ映画には、「インディアン」に対する背徳と免罪の歴史がございます。かつて「みさかいなく白人を襲う殺人集団」として描かれた古き西部劇でのインディアンは、今では正当なアメリカ大陸先住民として描かれ、アメリカ映画はその差別的表現には非常に神経質になっているのでございます。
同じようなことが、宇宙人の表現でも見られるのでございます。「侵略者」としてしか表現されなかった宇宙人が、『未知との遭遇』という映画で初めて「人類と同じ生命体」として表現されたのでございます。SF映画的には画期的なことでございまして、この映画を機に、『ET』などに見られるように、宇宙人の扱いは大きく変わったのでございます。