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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2010-01-11 ♪君の行く道は、果てしなく遠い〜〜〜

「成人の日」でございますね。自分の成人式の日って、何やってたかなぁって思い出すと、2浪のボロボロの受験生。しかも目標は「音大」。午前中はあんこ工場(和菓子に入れる「餡」をいっぱい作っている工場)でアルバイトをし、午後から夜にかけて毎日8時間ぐらい練習をしている日々でございました。成人式って言ったって、なんか着ていく服もないし、というか本当は振り袖を着ていきたかったけど、そんなもの買うお金も、着て行く勇気もなかったし...ということで、成人式はバックレ(しらばっくれるとかサボるという意味)て、自分の部屋で悶々としていたような気がいたします。

音大っつっても、お金がないので公立のピンポイント受験。そして、その公立の音大っていうのは「東京音大」と「京都市芸」のふたつしかない。どちらも競争率30〜40倍。受験勉強を2浪もしていると、自分の可能性っていうのが見極められてくるものでございます。ここは妥協して「愛教大の音楽科」なんていう選択肢もあるのでございますが、当時は血気盛んな若者であったワタクシ、「ケッ、先コウなんかになれるかよ」なんて思っております(教職の激務に従事されていらっしゃる方々、ごめんなさい、若気の至りです)。きっと「目標を下げたら負け」なんて思っていたのでございましょうね。現実を直視する勇気を持てず、目標が定まらないままに、ただただ黙々と練習だけを続けている日々でございました。

午前中は蒸気釜の大鍋を前にして、ズタボロになってアルバイトをし、午後はひたすら練習をする。ソルフェージュ、ピアノ、専門楽器と、やるべきことは山ほどあり、8時間でも足らないと思っておりました。でも、そんなアルバイトと練習の日々が、まったく辛くはなかったし、それを軽くやってしまう体力もあった。年を取ると脳細胞は賢くなるが体力が無くなる。若い時は体力はあるけど頭の中が単細胞。世の中、うまく出来ているものでございます。目標が定まらないまま、血気だけは熱く、パワーは余りまくっておりました。軍隊の一個中隊でも与えられたらクーデターでさえやりかねない、そんな若者だったのでございましょう。

さて、ちょっと話が変わりますが、最近見たふたつのテレビ番組のお話をいたします。ひとつは1/4にNHKで放送された『7サミット』という番組。これはニートであった若者が山に魅せられ、7大陸のそれぞれの最高峰に挑戦するドキュメンタリーでございます。もうひとつは1/8にテレビ東京系で放送の『たけしのニッポンのミカタ』という番組で、やはりニートが話題になっておりました。何でも最近は、ニート同士がネットでコミュニケーションを取り、お金を恵んだり恵んでもらったりするサイトがあるとのこと。同じニートを扱ったふたつの番組でございますが、妙に対照的な内容であったため、印象に残っております。

両者は同じように、生きる目的が見つからない青年たちの姿でございますが、一方は有り余ったパワーを大きな目標にぶつけるドン・キホーテのような生き方をし、かたや一方は、惰性で生きる者同士が傷をなめ合って現実を直視しないようにしている。この両極端に見えるふたつの生き方に共通するのは、「傷つきたくない」という衝動。そう、若者は傷つくのを恐れるものなのでございます。パワーを出し続けていないと心が壊れてしまったり、傷をなめ合うことで孤独感を紛らわしたり、大人になるのが怖くて成人式で暴れてしまったり...そう、若者のガラス細工のような心は傷つきやすいのです。だから、若者は気取ってばかりいるのでございます。

閑話休題。ガムシャラに山に登っている若者を見ると、「目標を達成しても空虚感が待っているだけだよ。だって、君はただパワーを山にぶつけているだけだから。ぶつけるものが無くなったら寂しくなるだろ」と思ってしまう。それは、自分も通ってきた道だからよく分かる。そして傷をなめ合っている若者たちには、「君たちの中には核融合でも作り出せないような巨大なパワーが秘めているのに、どうして使わないんだい。使っても使わなくても、そのパワーは年を取ると無くなってしまうんだよ」と思ってしまう。それは、ワタクシも若い頃は「この若さが永遠に続く」なんてアマッチョロイことを考えていたから。

ゆとり教育というものが、“我慢の出来ない若者”を大量生産しているような気がしてなりません。でもその教育のシステムを作っているのは大人たち。大人の「いつまでも可愛い子供のままでいてね」という子供をペット化する思いが、そのようなシステムを作ってしまったのかもしれません。その最大の被害者は当の若者たち。世の大人たちは、最近の若者の弱体ぶりを嘆く前に、子供たちを崖下に突き落とす勇気を持てなかった自らの心の甘えに、気づくべきでございます。そして若者たちよ、大人に責任転嫁したところで、自分の人生はすべて自分にツケが回ってくるんだよ。大人を反面教師にして、生きろ!、そう言いたい。

さらに話は変わって、ずっと前に、かぐや姫の『神田川』という歌の歌詞について書いたことがございました。最後の「ただ、あなたの優しさが、怖かった」という歌詞の深い意味に関してでございます。これに関して、テレビのあるバラエティー番組で言及しておりましたので、改めて補足いたします。この歌の歌詞、前半の石けんカタカタとか二四色のクレパスとかのくだりは、女性目線の歌詞だそうでございます。そして、最後の「若かったあの頃、何も怖くなかった、ただ、あなたの優しさが怖かった」という部分だけは、男性目線の歌詞だそうです。女性のひたむきで平凡を求める愛情に溺れそうになる心と、秘めたパワーのやり所に困る心、このふたつの心の間で葛藤する若者の心の歌だったのでございます。

まぁ、年を取ると「平凡の中にも幸せはある」と思えてくるのでございますが、若い頃は「平凡は負け」ぐらいに思っておりますからね。若者には若者にとっての幸せ、年寄りには年寄り向けの幸せというものが有るようでございます。ではでは、最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。


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