店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
今日は、この絵に関するお話。これは、ピカソの「泣く女」というタイトルの絵でございます。あの北野武さんが、なんと、Eテレの「日曜美術館」に出演しておりました。そして、「好きな絵は?」と聞かれて答えたのが、この絵だったのでございます。
北野武さんいわく、この悲しみの表現の向こう側に、ほとばしるような愛情があるとのこと。そうなんですよね。「泣く女」というタイトルについ”悲しみの表現”なんだと思い込みがちでございますが、たとえば、もしこの絵が「恋人や子供を失った直後の女性の泣き顔」だったと(勝手な)想像をすると、ほら、この泣き顔の向こう側に、爆発するような愛情が見えてくるのでございます。
武さんは、これに続いて、長年主張している「振り子の論理」を説き始めます。善人役を演じられる役者は、悪人を演じるのも上手いというあの論理でございます。武さんは、単なる演出や演技の技法としてお話しているのに過ぎないのですが、この人も言葉足らずが多く、誤解しそうな展開でございました。
と言うのも、武さん、「アウトレイジ」という暴力がテーマの映画を撮影しております。この暴力の裏側に愛情が張りついているという内容にも取れるのですが、これはきわめて危険な論理展開。なぜならば、「愛」が裏返ったものは「憎」であり、暴力ではないからでございます。
「愛憎」って言うくらいで、愛情と憎しみが同じ物の裏表というのは、今までに何回もお話しております。これに対して、「暴力」ってのは必ずしも愛情の裏打ちを持っているわけではございませんからねぇ。「必ずしも」と言うことは、「愛情の裏打ちが有る暴力があるとでも?」と聞かれそうですね。それに対するヒントが、ある別の番組にございました。
「アナザーストーリーズ」というNHKのドキュメンタリー番組がございます。先日の回で、山口組と一和会の暴力団抗争を扱っておりました。その暴力団専属の弁護士の談が、実に興味深い。「子供の時、親の愛情に恵まれた子は、絶対にヤクザにはならない」とのこと。
愛情に飢えたまま成長した人が、幼少期に埋められなかった心の隙間を埋めるものが、「組織」で見つかってしまうのでございましょう。「組織愛」というものでございます。親と子の「絆」を得られなかった人が、「組織との絆」で自らの心のよりどころを見つけてしまうのでございます。
先日、親子の絆は「子のために自分が犠牲になれるか?」ということだと申しました。このワタクシの言葉が、組織に対しても当てはまってしまうのでございます。「組織のために犠牲になれるか?」と...極論になるかも知れませんが、こう考えると、親子の愛情も、組織愛も、根は同じなのかもしれません。
さぁ、おっかない話になってまいりました。ただ、仮に愛情の裏打ちのある暴力があったとしても、じゃぁ「暴力には必ず裏に愛情が張りついている」という訳にはなりませんから、要注意でございます。愛情の無い暴力も、もちろんございます。
武さんの映画は、こんな複雑な暴力は描いておりません。あくまでも暴力を表面的に描いている。まぁそれが「アウトレイジ」という映画の魅力なのでしょうし、そんな哲学的なことを描き始めたら、別物の映画になってしまいますよね。