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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2016-09-05 【「どうしてこんな事が出来ないの?」と、つい言ってしまいますよね】

パラリンピック開催が近づいているということで、テレビ番組も関連したものが多いのでございます。本日のNHK『プロフェッショナル』は、義肢装具士がテーマでございました。義足を作る技術者でございます。その方がこんな言葉を発するシーンがございました。

(人々が行き交う街中の雑踏の中で)「この中に参加できない人が、大勢いるんですよね」

この言葉がジワジワと感じられるのは、ワタクシも目に程度の軽い障害があるからでございましょうか。ワタクシの場合は視野狭窄。視野の周縁部が見えておりません。ただ、程度が軽いので、日常生活にはほとんど支障はございません。

ただ、周辺部が見えていないというのは、斜め前から近づいてくるものが見えない。これで恐いのが、歩道を走り抜ける自転車。高速で向かってくるものは、どうしても気付くのが遅れる。また、斜め前から近づくものは、完全に死角に入るので、ぶつかるまで気がつかないのでございます。

ワタクシは、見た目は健常者と区別が付きません。ですので、自転車で近づいてくる人は、ワタクシが見えているものだと思い込んで近づいてくる。ところが、ワタクシには見えていない。ぶつかったり、あるいはぶつかりそうになってから、「なんでこの人は避けないんだ?」といった顔をされる。説明するのも面倒くさいので、「すみません」と言って謝る。そんなことが多いのでございます。

解決策はございます。白状と呼ばれる白い杖を持つことでございます。これを持っていれば、目に障害があるというのは一目瞭然。ただし、ワタクシのように視力が大幅に残っている者が使うのは、非常に勇気がいりますよね。実際、中程度の弱視や視野狭窄の人が白状を使っていて、「障害者の振りをしている」と誤解される例もございます。

ですので、駅のコンコース程度の雑踏でも、人にぶつからずに歩こうとすると非常に気を張るのでございます。一般の方々が普通に行っている日常生活のひとこまも、何らかの障害を持っている人にとっては、それが困難だったりいたします。街中の雑踏程度の人混みでも、そういうことが起こり得るのでございます。

そこで、冒頭の言葉。義足を使っていても、少し歩き方がぎこちない程度にしか見えません。義足の性能、そしてそれを使う人の訓練のたまものですよね。それでも、人々が複雑に交差する街中の雑踏では、ワタクシの目の場合と同じ事が起きるかもしれない。「さっさと歩きなさいよ」「どうしてよけないの?」という心ない視線を浴びている可能性はございます。

これが、多分、杖を使っていたり車いすだったりすると、状況が違うのかもしれません。ワタクシも肉離れで1ヶ月ほど松葉杖の生活をしたことが有りましたが、「松葉杖」という明白な「物証」が有りますと、人というのは実に好意的に接してくれるものでございます。

こういったことを考えますと、健常者と障害者の齟齬(そご)は、障害者が日常生活に溶け込もうとするその「接点」でのみ、起きていると言えるのでございます。障害者がその障害を乗り越えて健常者に近づくほどに、健常者側の「無知」という高い壁を思い知らされるのでございます。

「目が見えているようで、実はあまり見えていない人がいる」「普通の人に見えるけど、実は片足あるいは両足が義足の人がいる」、この様に思えるかどうかは、想像力の力ですよね。健常者側が障害者に歩み寄ることが出来るとすれば、この想像力を働かせることだと思うのでございます。某番組のような感動なんていりません。ちょっとした想像力で思い遣ること、それだけで十分なのでございます。

さて、明日からパラリンピックが始まります。オリとパラ、別日程でなければ難しいのかなぁ? 障害者にとっての幸福は、「普通に出来る」ことだと思うのでございます。その「普通」を実現するためにも、オリンピック・パラリンピック同時開催を夢みるワタクシでございます。陸上競技とか、義足ランナーとボルトが競い合ってゴールするシーンとか、思い浮かべちゃうのですけどねぇ。まぁ、難しいかなぁ? では、では。


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