店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
若い人はみな、したたかに生きようといたします。誰よりも人気が出たい。他の人よりも稼ぎたい。もっと美しくなりたい。自分のポリシーを押し通したい。いろいろな「したたか」がございます。ただ、その自分のしたたかさに押しつぶされてくたびれてしまう人が、時々いらっしゃいます。それには、この「強か」という漢字にヒントがあったりするのでございます。
したたかに生きるということは、「孤高」なのでございます。言い換えますと「一匹狼」。人類が滅亡して自分だけ生き残っても生きていける、それくらいの「強い」精神力が必要なのでございます。まぁ、しかし、えてして、そんな精神力を持ち合わせてない人が、したたかさに「憧れる」という場合がございます。
したたかさというのは、その方法論ばかりが注目されそうですが、実際のしたたかさとは「精神力」そのものなのでございます。内面の精神力が表面に出てきたもの、それがしたたかに見える生き方でございますね。ところが、この見えている部分だけに憧れて方法論だけ真似をしようとすると、それを支える精神力がございませんので、苦労することになるのでございます。
ただ、現実に揉まれて苦悩している本人には、この「原理」がなかなか見えてまいりません。「どうしてあの人のようにうまく行かないのだろう?」と、他人との比較にばかり目をやられて、苦悩を重ねるのでございます。そもそも「したたか」というのは孤高でありますので、他人との比較などが介在しない世界なのですが、形から入った人がそこに気づくのは、はなはだ難しいのでございます。
では、どうするか? こういったものは、感情論・根性論で攻めてはいけません。理屈で考えるのでございます。「したたかさ」と「強い精神力」はワンパックでございます。その両者が揃わないと言うのであれば、答えは二択。両者を揃えてしまうか、あるいは両方とも諦めるか。
両者を揃えるということは、自分の精神力を強くすることでございます。いや、実際には、精神力というのは筋肉のようにトレーニングで強く出来るものではございませんので、直接鍛えるということは難しい。では、どうする? それは、「自分の弱さを自覚する」ことでございます。
精神力の弱い人は、自分の欠点を直視できない。ここに「弱い精神力の負のスパイラル」が存在いたします。逆に、自分の欠点を直視し、「直る・直らないに関わらず、客観的に分析できる能力」、これが強い心でございます。直せる部分は直す。直らない部分は、「それをどう活かすか」を考える。そのポジティブな考え方が、「強い精神力」に他ならないのでございます。
もうひとつ、選択肢がございましたよね。「両方とも諦める」という選択肢。強くなれないのならば、いっそ「したたかに生きるのを諦める」ということでございます。「したたか」に反対語があるかどうかは知りませんが、もし有るとしたら「甘んじる」という語が最適ではないでしょうか。そう、現状に甘んじるのでございます。
甘んじるとは、「受け入れる」ことでございますね。有名な言葉で言いますと「足るを知る」ということでございます。「人間は雨露をしのげて、毎日の食事が出来ればそれで十分。それ以上、なにを望むことがあろう」という考え方でございます。今の人気、今の美貌、今の生活、それが自分に与えられたものなのだと「受け入れる」こと。そのような生き方でございます。
一見、実に消極的な生き方の様に見えますが、そうではございませんよ。受け入れるというのは、大変なパワーが必要なのでございます。したたかに生きるのとは別の精神力が必要だったりいたします。ただ、ある意味、悟りの境地のようなものですから、会得してしまえば、これが最強。そして、「したたか」には「旬」が有りますが、この「受け入れる」という考え方には旬がない。一生の財産なのでございます。
したたかな生き方、甘んじる生き方、こうやって考えると、どちらも「孤高」なんですよね。つまり、苦しみから逸脱するには、どうやったって「孤高」にならざるを得ない。逆に言うと、「他人との比較を始めたところから苦悩が始まる」ということでございます。