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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2016-09-08 【TOKYO 2020では、この流れを受け継いでいただきたいですね】

パラリンピックの開会式を、頑張って朝まで見ておりました。これまではあまり放送されることのなかったパラリンピックですが、今回は本気で放送されるようでございます。オリンピック同様に作り込まれた開会式に、ビックリしたのでございます。

あの開会式を見て、日本テレビはどう感じたのでしょうか? 日本テレビの方の某番組は、もう何年も観ておりません。だからとやかく言える立場ではないのですが、ちょっと皮肉っぽいことを言わせていただきましょうか。

まずは、「キューブラー・ロス」という人が説きました「死の受容の5段階モデル」というのをご紹介いたします。人間が「死」を宣告されたときに、どのような心理変化が有るかを述べたものでございます。

 第1段階:否認「何かの間違いだ」
  第2段階:怒り「何で俺がこんなことに」
  第3段階:取引「金は有る、何とかならないか」
  第4段階:抑鬱「何もやる気がしない」
  第5段階:受容「しかたがない」

この5段階を、体に障害を持った人に当てはめて語られることが多いのでございます。もっとも、障害の程度や部位が多岐に渡っているので、必ずしもこのような段階を辿るわけではないとは思います。諸説はあるのですが、どの説にもだいたい共通しているのが、第5段階の「受容」でございます。

死を迎えた人にとっては、「しかたがない」という悟りの境地に収束するわけですが、その後の人生を残している障害者の場合は、「しかたがない、頑張ろう」という前向きな気持ちに帰結するわけでございます。そして、パラリンピックの選手を始め、世の中の多くの障害者は、この第5段階を経て、日常生活に臨んでおります。

前向きに生きていらっしゃる障害者の方々は、ある意味、逆境を乗り越え、達観した人々とも言えるのでございます。パラリンピックの開会式では、そのような人々へのリスペクトを強く感じたのでございます。体の一部が不自由だということ、これは単なる「多様性」に過ぎません。その多様性のさらに深遠にある「精神」を見てあげることが、重要なのでございます。

え〜と、観てもいない番組を批判するのはおこがましいですが、日本テレビの企画の方には、そのリスペクトを感じられない。感じるのは「不自由なのだから、健常者が助けてあげなくてはならない」という上から目線の感覚。そして、企画をむりやり成立させるためのゴリ押しな進行。あの番組には、「障害者にテレビ局が合わせよう」という謙虚な姿勢が感じられないのでございます。

ここで、ちょっと、例え話を。ペンギンやダチョウが空を恋しがっているでしょうか? どちらも鳥類でありながら、空を飛ぶ能力は退化しきっております。でも、ペンギンは海の中を縦横無尽に泳ぐことが出来る。ダチョウは、地上で最高級の速度で走る脚力を持っている。どちらも、もはや「空」を必要としない形態へ進化しております。

体に障害を持った方々も、「しかたがないこと」と受け入れ、自分の境遇で出来ることを模索し、工夫し、訓練し、その結果「普通に」日常生活を送っていらっしゃる方が多いのでございます。ご本人は、自身の障害を忘れている場合が多いのかも知れません。むしろ、不自由な部分をことさら注目してしまうのは、健常者の方かも知れません。

今回のパラリンピックでは、NHKが「本気」で放送しているのに驚かされました。日本の子供達には、こういった作為・演出のない、素のままのパラリンピックの選手を見て頂きたいと思います。スポーツの世界には「作為」が介在しない。だからこそ、「彼ら・彼女ら」の力強い競技、息づかいを、感じて欲しいと思っております。

そして、前述の5段階の途中で苦しんでいらっしゃる方も大勢いらっしゃることでしょう。その様な方々には、「彼ら・彼女ら」の姿に、「希望」を見いだすことが出来るかも知れません。そう、苦しんでいる方の心を開き誘導できるのは、その苦しみを乗り越えた人達の「生きざま」であり「息づかい」しか、有り得ないのでございます。

ワタクシは、訓練をしていないタレントがぼろぼろになって長距離マラソンをする姿に、全く「希望」を感じません。端的に申しますと、「女子供の視聴率を上げるためだけの、演出・キャスト起用」しか感じられません。今回、パラリンピックが本格的に放送されて、日本テレビは何か考えているのでしょうか? 考えて欲しいのですけどね。

ちょっとおこがましいことをいろいろ申しました。重たい内容でしたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございます。


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