店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
もうね、豊洲が大騒ぎ。有毒ガスがどうのって騒いでおりますが、何千台ものトラックが出入りする構内では、ベンゼンよりも排気ガスの方がはるかに有毒だと思うのですけどねぇ。と、20代の頃に名古屋の中央卸売市場で働いていたワタクシが、チラッと思ったわけでございます。
さて、本題。4〜5年くらい前からでしょうか、若い新人さんにアドバイスする際、言葉を選んで非常に慎重に声をかけるようにしております。最近の傾向として、若い人が他人からアドバイスを受けるということに対して、大変ナーバスだからでございます。今日は、その理由を、考察してみたりするのでございます。
ナーバスと言いますか、「知らない」のを指摘されることに過敏なのでございます。ですので、「そんな事も知らないの?」というような空気で話しかけること、厳禁でございます。この要因といたしまして、ネット検索の便利さが関係しているのではないかなぁ〜なんて思っております。パソコンでしか出来なかったネット検索がスマートフォンでも出来るようになった時期と、だいたい呼応しているからでございます。
ネット検索がなかった頃は、ものを調べるというのは大変な作業でございました。辞書を引く、百科事典で調べる。書店へ専門書を探しに行く、図書館で本を借りる。こんな感じの行程を踏むわけでございます。文筆家の方の書斎とか部屋中に大量の本が並んでいたりしますが、あれ等も執筆する際の情報収集に必要だったりするのでしょう。
「知る」ということが大変な作業でございますから、「知っている」と「知らない」の「しきい値」が高いわけでございます。知っている人の方が圧倒的に少数派で、知らない人が多数派。かつては、あらゆる分野で、この図式だったわけでございます。以前申し上げましたが、世の中は多数派が常識。ですので、「知らない人が普通で、知っている人が特殊なんだ」という風潮だったわけでございます。
さて時は流れて、ネット検索主流の時代へ。ネットの中には、百科事典どころか世界中の書物の情報で溢れかえっております。単語を打ち込めば、瞬時に検索結果が表示されます。必要なのは、検索する際のテクニック。テクニックと言っても、キーワードの選択程度。ネット検索の時代に入りますと、先ほど申し上げた「しきい値」が、グ〜ンと下がるわけでございます。
しきい値が下がるということは、どういう事か? 知っている人が多数派で常識、知らない人は少数派で非常識、こういった図式になるわけでございます。この図式で飛び交う言葉が、「そんな事も知らないの?」という語でございますね。今の若い人は、この言葉におびえております。この言葉を言われないように、必死で自分を取りつくろうわけですね。ネット検索の弊害だと思っております。
「知らない」ことを隠蔽しようとしますから、何とか自分で調べようとします。そして、体裁を保とうとする。そう、「気取り・気取る」ということでございます。気取りは若者の特権でございます。そして、その気取った上張りを剥がされる度に、知識・経験という引き出しが増えていくのでございます。しかし、「知らない=非常識」という脅迫概念が有りますと、その上張りを鋼鉄の鎧のようにしてしまうのでございますね。
「知らない=常識」という古いタイプの人と、「知らない=非常識」という新しいタイプの人が遭遇すると、ここに悲劇が生まれます。旧タイプが不用意に「え? なんでそんな事知らないの?」というようなニュアンスで語りかけますと、ニュータイプの人は、ますますバリアを張って警戒してしまう。最悪な場合、「この人は私を傷つける人だ」というイメージを与えてしまうと、完全の心の窓口を閉じてしまうのでございます。
さらに、旧タイプの人は「分からなければ、聞けばいいじゃないか」と簡単に思うのですが、「そんな事も知らないの?」という語に怯えるニュータイプはその「気軽に聞く」ということが出来ない。それで、自分ひとりで何とか解決しようとしてしまう。「どうして聞いてくれない」という思いと「聞いたら無能な人間だと評価されてしまう」という思いとが、磁石の同極同士のように反発してしまうのでございます。